Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第1章

018

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「鍵の反応だって……?」
「クロノさん?」


 隣で不安そうに見つめていたミントが、会話を聞こうと耳を傾けている。

 七つの鍵のうちの一つの反応があった。
 そんなものがわかるのならば、争奪戦など意味がないではないか。そもそも、どういう原理なのだろうか。紋章術なのか、それとも技術なのか。いや、能力の一種なのかもしれない。
 そして、その何らかの手段を、カリバーンは持っている。

 クロノの中で、カリバーンに居座る理由がひとつ増えたが、今はそれどころではない。
 少年は眼前を見つめる。


「……」


 そう、七つの鍵のうちの一つの反応があったのだ。
 しかも、目の前ときた。
 そこにあるのは、片手用の両刃剣を握りしめたまま気絶している人間だけ。
 剣か、人間か。……それとも、他に何か魔導具を隠し持っているのか。

 いや。
 近付かなくてもわかる、魔導反応は一つだけだ。
 大事そうに握りしめているその剣は正直、量産品ではないものの、少し値が張るだけのどこでも買えるものだ。
 そうなると、選択肢は限られる。


 ――まさか、こいつが……?


 鍵が人間かもしれないと言う想定外の選択肢に、今度こそクロノは頭が真っ白になった。

 信じられない。
 結社はどの派閥も総力を挙げて鍵を探し回り、命懸けの争奪戦を繰り広げている。その争いの根源である魔導具が、まさか自分たちと同じ人間だなんて。信じられるはずがない。


『――もしもし。もしもーし、聞いてるのかい?』


 元グラールのわりに軟弱すぎやしないかな、とケータイ越しに小ばかにした声が聞こえる。
 しかし、クロノは動揺も露わに、倒れたセミショートの茶髪を見つめた。

 もしもこの人間が七つの鍵の一つだったとすると、鍵は他に六つあることになる。
 つまり、争奪戦を勝ち抜くには、今後六人もの人間を確保しなければいけないと言うことなのか。もしくはこの鍵が偶然〝人型〟だっただけで、他の鍵は無機物を模した〝モノ〟なのだろうか。


 ――情報が少なすぎる。


 通常なら、こんな風に何が真実で何がガセネタなのかわからなくなる以前に、調査がなされるところだが。不自然なまでに、情報がない。
 この分では、鍵が人間だと言うことに気付き得るのも、ほんの一握りの結社だけだろう。


「あの……何かあったんですか?」


 戸惑いがちに見上げるミント。
 クロノは、鍵の模造品であり失敗作だと呼ばれるその整った相貌を改めて見やる。

 使い手と関係のある人間に魔道具を使って、模造品を作る――。
 旧友の言葉が今になって真実味を帯びてきた。

 これまでクロノは、無機物だと思い込んでいた魔導具と人体の関連性がまったくわからなかった。そのため、グラールが行っていると言う人体実験については、あくまでも憶測の域を脱しなかったのだが……今は違う。
 グラールは「鍵が人間である」可能性に間違いなく気付いている。そして、恐らく、それを組織内の限られた人間にしか公表せず、使い手たちを争奪戦の渦中へ放り込んでいる。
 何が目的なのか。元グラールの使い手であるクロノが、今更そんなことを懸念するのもおかしなことだが、彼は所属した当時から「魔導具の研究」と言う表立った内容しか聞かされていなかった上、正直、グラールの方針などどうでも良いことだった。

 創世の証。
 古の記憶。
 紋章術の根源。
 世界の摂理。
 挙げれば切りがない程に、争奪戦に参戦する結社には七つの鍵に対してそれぞれの価値観と主義主張があり、手に入れんとする動機も様々だ。そして、そこへ所属する人間は通常、自分が志を共に抱ける結社を選び抜き、その目的ために全身全霊を懸けて奔走するのが筋なのだが。
 クロノは違った。

 親友と仲間を生かすため。
 それだけのために、選んだ道だった。
 今回とて、鍵の模造品について彼があんな風に苦しげに、憤り混じりに語らなければ、クロノがミントを守ろうとすることはなかった。ましてや、彼女を生かすためにグラールから脱走するなどと言う無謀な行動は、思い付きもしなかったに違いない。


「クロノさん。この人、怪我はないみたいですけど……」


 放られた体を労わるように、容態を確認するミント。
 ふと彼の思考が引き戻された。


「――ああ。多分、意識がないだけだ。死んでない」


 どこか焦点の定まらない様子で呟いたクロノだが、すぐに淀みない口調で告げる。


「鍵の反応があったって連絡が入った。で、俺たちに確保してほしいらしい」
「えっ? じゃあ急がないと」
「うん。こいつが赤頭巾、兼、鍵かもしれない」


 ミントの双眸が見開かれる。


「それって……どういうこと、ですか?」
「いや、俺にもよくわからない。人間の形してるなんて聞いてないし」


 言いながら、クロノは倒れた小柄な体の傍らへと片膝を付く。
 人間の形と言うか、人間なのだろうか。

 仮にこの人間が鍵だと言うなら、呼吸はしているのか、体温はあるのか。そもそも「生きている」と言える状態なのか。得体の知れない相手だったが、びしょ濡れの服から察するに、雨が上がる前からずっと外を歩き回っていたのだろう。
 どちらにせよ、ここに放っておくわけにもいかない。


 ――まあ、風邪引いたり出来るのかは知らないけどな。


『クロノくん。まだ生きているなら返事をしてくれるかい? それとも、また懲りずに気絶中かい?』
「……死んでないし寝てもいない。そんなしょっちゅう気絶しない」
『それは良かった。じゃあ鍵をゲット出来たら、僕の紋章術が届く範囲まで運ぶと良いよ。早くしないと他の結社に嗅ぎ付けられて、初仕事で殉職することになりかねないよ』


 大して「良かった」でもなさそうに少年の平淡声が告げると、通話は切られた。
 かけるのも一方的。切るのも一方的。
 とんでもない通信部だな、とクロノは黙り込んだケータイをさっさとポケットにしまうと、ずぶ濡れでボロ雑巾みたいに転がっているローブへ手を伸ばした。
 その時だ。

 バチリ、と水面を叩くような音。
 片手が弾き飛ばされた。
 いや、片手どころじゃなく、体が宙に浮いていた。


「クロノさん!?」


 ミントが悲鳴染みた声を上げる。
 もんどりうちそうになったところを、とっさに受け身を取ったクロノ。
 数メートル離れた地面で、彼のスニーカーが摩擦音を上げて踏み止まった。
 呆然とローブ姿を見つめる。


「何だこれ……?」


 反発力があった。
 まるで同じ極の磁石が弾き合ったかのような、凄まじい拒絶。
 いや、弾かれたのはクロノだけだったのだが。

 どういうことなのだろう。ミントはその体に触れても何も起きなかった。と言うか、彼女は現に今そうしているが、何も起こっていない。
 そこでふと、彼女が鍵の模造品だと言われたことを思い出す。
 まさか、とクロノが息を止めた。
 その視線の先。

 ローブが波打った。
 伸ばされた片手が、地面へ爪を立てる。

 意識が戻ったのかと身構えた彼だったが、それにしては様子がおかしかった。
 ぶらぶら四肢を揺らしながら、ぎこちなく起き上がるその姿は、糸で吊るされた人形を思わせた。……恐らく、意識がないまま動いている。
 突然のことに、わけがわからないといった風な顔をしているミント。
 クロノは叫んだ。


「――離れろ!」


 常ならば平静なその声が、強く張られた。
 それと同時だった。


 目の前に、砂漠が広がっていた。


 どこまでも果てのない、だだっ広い砂原。
 殺風景に横たわる砂の海で、クロノとミント、そして、首を垂れたままのセミショートが佇んでいる。
 彼らが立っていた地面も、そこかしこに見られた緑も、ビルのひとつもない。

 さっきまで雨が降っていたのは夢だったのだろうか。からりと乾いた風が、砂塵を巻き上げて通りすぎる。
 と、濡れそぼったローブから、一滴の水が滴った。
 それが、クロノの意識を現実へと戻す。


「何だこれ?」


 さっきも同じようなこと言った気がする、とのんきに考えかけて、彼は覚えある圧迫感に総毛立った。

 脳裏と鼓膜を突く、甲高い不協和音。
 そして、実在しないはずの光景がいきなり現れる現象。

 ミントは紋章術を使っていない。
 と言うことは――。

 がっくりと顔を俯かせたまま、両刃剣を突き出す動作。
 その先で、縫い付けられたみたいに動けずにいるワンピース姿があった。
 弾かれるより早かったかもしれない。
 クロノは砂を蹴った。

 掲げられる剣先に呼応するように、固形化した砂塵が雪崩れかかる直前。
 彼女の体を、真横からかっさらうものがあった。


「っ!!」


 声を上げるより先に、地面へ転がる。

 間一髪だ。
 砂まみれになりながら起き上がったクロノの腕から、ミントが顔を出した。
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