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第1章
019
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「……だから、離れろって言っただろ」
「ごめん、なさい」
「まあ、勝手に死ななければ何でも良いけど」
普通なら聞き捨てならない台詞だ。
しかし、走馬灯でも見てしまったのか、彼女は目を白黒させたまま何も言わなった。
それにしても、だいぶ強引な庇い方だったかな、とクロノは思う。さっきまでの地面だったらあちこち擦り剥いたかもしれないが、砂地がクッションになったのか、掠り傷一つない。
砂塵には触れられる。日差しで熱を持っているのも感じる。
要するに、この砂漠はただの幻覚ではないと言うことだ。
「これって――」
一面の砂の絨毯へと、地図をなくした異邦人みたいな顔を向けるミント。
クロノは金髪についた砂粒を払うと、相変わらず死んだように俯いている茶色を見やった。
「多分、奴のせいだな。君と初めて会った時もそうだったけど、鍵はそこにありもしないものを存在させる作用があるみたいだ」
「でも、わたしは鍵じゃないんでしょう?」
多少は彼女の記憶も鮮明になってきているようだった。
もしくは、改めて知り得る機会があったのか。
「とりあえず、奴と鍵が無関係じゃないってことは確信出来たかな」
「それで、どうするんですか?」
「捕まえて持ち帰る」
「……どうやって?」
返答の代わりに、クロノは彼女に背を向けた。
ローブに身を包んだ小柄な姿に、真正面から対峙する。
「君は下がっててくれ」
時間がないからな。
有無言わせない呟きは、彼の用いようとしている手段を示唆させた。
しかし、再び両刃剣がかざされた時だ。
「攻撃したら、駄目です」
こちらも否応なしの口調。
クロノは、これこそ幻覚なんじゃないのか、と数秒間黙り込んだ。
「……冗談だろ?」
「わたしが話し合ってきます」
「いや、話し合いの段階じゃないだろ。大体、あいつ意識なさそうだし、どうやって話し合うんだ」
「それは――」
何かを言いかけたように口を開いて、つとラズベリーの視線を落とす。
クロノが彼女に打ち明けていないことがあるのと同じように、彼女もクロノへと話していないことがあるのだろう。
そんなことはわかりきっていたが、今は気に留めている余裕もない。
クロノ自身が紋章術の連発に抵抗を覚えると言うこともあるが、あの自宅警備員が言っていた通り、もたもたしていては他組織と接触する羽目になる。それに、人魚姫の一件もある。早く片付けて、合流地点に向かわないとまずい。
平らな砂地が波打って砂丘になる。
と思うと、寄り集まった砂の波が、巨大な岩石へと姿を変えた。
――明らかに不利だよなぁ。
胸中の独り言とは裏腹に、彼は鋭い気配を纏う。
と、今度は目前にミントが回り込んできた。
「駄目、攻撃しないでっ」
「……良いから下がってろ」
「わたしが話し合いますっ。あの人の、中の人と話すんです」
「中の人?」
「この景色は、鍵の――精霊の持つ記憶なんです。ずっとずっと、昔の記憶なんです。だからわたし、きっとあの人と通じ合えると思います。その……中の人、と言うか――」
クロノには、彼女が何を隠そうとしているのかわからないから、伝えようとしていることもわからない。
「ごめん。俺、オカルトには詳しくないし」
「紋章術の使い手がそんなこと言わないでくださいっ」
小競り合いをやっているうちに、見る見る岩の塊が体積を増していく。
クロノは、以前ケータイで着信拒否にしたグラールの同僚を思い出していた。
戦闘になるとまるっきり働かなくなって、足を引っ張り合うことになる相手だったが、平和主義者じゃないだけまだやりやすかったんだと気付かされる。
「お願い、クロノさんはあの人を引き付けてください。わたし、行ってきます!」
駆け出したミントの後姿に、彼はとんでもないことをぼんやりと考える。
――凍らせて黙らせとこうかな。
「本当、やんなっちゃう」
何に向けた言葉なのか、呟いた本人もわからないままに片腕を上げる。
無意識に舌打ちをしながら、クロノは手の平に意識を集中させ――。
次の瞬間。
集まった魔力は何の脈絡もなく霧散した。
「え……?」
予想外の出来事に、クロノは呆然と手の平を見つめる。
気を抜いたつもりはなかったし疲れているわけでもなく、ましてや、使い方を知らないわけでも、使うのに躊躇いがあったわけでもない。
だがそれでも。
まるで、シャボン玉が割れるように、不可視の力によって魔力は当然のように消された。
もう一度試しても結果は同じ。
まるで、この空間が紋章術の使用を拒否しているかのように、集まった魔力は具現化することなく消えていく。この場所には溢れんばかりの魔力があるのに。
だが、この空間で紋章術が使えない、なんてことはないはずだ。あの時セラは、あの公園で魔導反応が確認されたと言っていたし、クロノ自身も紋章術での戦闘跡を見ている。
――ん?
いや、そんな記憶はなかった。
言われたのは「クロノは一切の戦闘を行っていない」だけで、見たのは「暴風の刃で破壊された公園」だ。
同時に、あの時の記憶が蘇る。
あの時ミントは、お世辞でも効率が良いとは思えない戦い方をしていた。ガス欠を考えずに連発していた紋章術、まき散らすように無差別に放たれた暴風。
今まで思い付きもしなかった可能性が浮かんだ。
使い手ではない少女が、組織の連中をことごとく薙ぎ払えた理由。
もし、相手が〝紋章術を使えない状況〟だとしたら。
それならば、一般人でも使い手に勝てる見込みは十分ある。……それに、他人の力を借りることを好まない青年が、連れだけに紋章術を使わせていたのにも納得出来る。
恐らく、クロノたちのような普通の使い手は、この場所では紋章術を使えない。
理由や仕組みはわからないが、そう言う原理なのだろう。
例え偽物呼ばわりされていても、あの空間を出せるのならば。彼女ならここでも紋章術を使えるかもしれない。
クロノはおもむろにミントを見やる。
視線の先でミントは、足を止め何か訴えかけるように声を上げている。だが、残念ながらこの距離では何を言っているかはわからない。
対する相手は、話す気はないようで、膨張した岩がミント目掛けて放たれた。
助けに向かおうと踏み込もうとした直後、僅かな風の気配を感じる。
と、放たれた岩と彼女の間に竜巻が起きた。
理解するよりも先に、クロノは動いていた。
「っと」
竜巻の風圧で飛ばされたミントを受け止める。
視界の奥では、竜巻に煽られた岩が砕けて砂に戻っていく。
命の危険を感じた彼女がとっさに紋章術を放ったのか、それとも無意識に身を守ったのだろうか。どちらにしろ、彼女がこの空間でも紋章術を使えるのは間違いないようだ。
戦力は彼女だけで考えなくてはいけない。……例え、今の本人に戦う気がなくても。
「で、どうだった?」
「仲間が命懸けで守ろうとしていたモノを、守っているみたいです」
意味わかんないんだけど。
クロノは反射的に言いかけた言葉を飲み込んだ。
見当外れにも限度があるだろうと言いたくなる返事だったが。要するに、何かを守るために襲ってきた、と言うことなのだろうか。
いやそれよりも、だ。気を失った人間に話しかけて答えが返ってきたと言うことは、彼女の言い分は妄想ではないのだと、とクロノはぼんやりと納得する。精霊の記憶だとか、中の人だとか。聞き慣れない単語を口走っていた彼女を思い出し、諦めた様子でため息を零した。
「仕方ない、か」
困惑と焦りを漂わせる彼女の、その身を庇うかのように一歩前に出る。
少女のラズベリー色が驚いた様子で少年を見やった。
「このままじゃ埒があかない。言っただろ、時間がないって」
「で、でも……」
「攻撃はしない。君の援護に回る」
クロノ自身、その性格上紋章術に頼らない戦闘方法には慣れている。この場所で紋章術が使えなかったとしても、何の問題もないのだ。
おもむろに、〝武器〟に触れる。
「その代わり、後で全部話してくれ」
「え……?」
「もしかしたら、目的は同じかもしれないんだ」
口から出まかせも良いところだ。
だが、彼女の目的をクロノが知らない以上、嘘にはならない。
ならないが、クロノは自分の言葉が嘘であると十分理解していた。それはそうだろう。何をどう考えたって、境遇の違う二人が同じ目的を持てるはずがない。
そもそも。こんな場面でクロノの口から場違いな話題が出るのは、カリバーンの方針に基づいてだった。聖剣カリバーンは「目的が違っても手段が同じなら協力出来る」と言う理念の下で作られた組織らしい。だから、クロノはそれを利用した。こんな切羽詰まった状況で仲違いをしている余裕はない。打開策がミントしかないのなら少年は彼女の意見に従うしかないのだが、意味不明なことを言われてはいそうですかと納得出来る程クロノはお人好しでもない。
「そう……ですよね、わかりました」
クロノの想像以上に、ミントはすんなりと少年の言葉を受け入れた。
彼女なりに思うところでもあったのか、それともただのお人好しなだけか。クロノは別にどちらでも構わなかった。
「あ、あの。それじゃあ、クロノさんのことも教えてくれますか?」
「君が教えてくれたら」
後ろで彼女は無言で頷いた。
「ごめん、なさい」
「まあ、勝手に死ななければ何でも良いけど」
普通なら聞き捨てならない台詞だ。
しかし、走馬灯でも見てしまったのか、彼女は目を白黒させたまま何も言わなった。
それにしても、だいぶ強引な庇い方だったかな、とクロノは思う。さっきまでの地面だったらあちこち擦り剥いたかもしれないが、砂地がクッションになったのか、掠り傷一つない。
砂塵には触れられる。日差しで熱を持っているのも感じる。
要するに、この砂漠はただの幻覚ではないと言うことだ。
「これって――」
一面の砂の絨毯へと、地図をなくした異邦人みたいな顔を向けるミント。
クロノは金髪についた砂粒を払うと、相変わらず死んだように俯いている茶色を見やった。
「多分、奴のせいだな。君と初めて会った時もそうだったけど、鍵はそこにありもしないものを存在させる作用があるみたいだ」
「でも、わたしは鍵じゃないんでしょう?」
多少は彼女の記憶も鮮明になってきているようだった。
もしくは、改めて知り得る機会があったのか。
「とりあえず、奴と鍵が無関係じゃないってことは確信出来たかな」
「それで、どうするんですか?」
「捕まえて持ち帰る」
「……どうやって?」
返答の代わりに、クロノは彼女に背を向けた。
ローブに身を包んだ小柄な姿に、真正面から対峙する。
「君は下がっててくれ」
時間がないからな。
有無言わせない呟きは、彼の用いようとしている手段を示唆させた。
しかし、再び両刃剣がかざされた時だ。
「攻撃したら、駄目です」
こちらも否応なしの口調。
クロノは、これこそ幻覚なんじゃないのか、と数秒間黙り込んだ。
「……冗談だろ?」
「わたしが話し合ってきます」
「いや、話し合いの段階じゃないだろ。大体、あいつ意識なさそうだし、どうやって話し合うんだ」
「それは――」
何かを言いかけたように口を開いて、つとラズベリーの視線を落とす。
クロノが彼女に打ち明けていないことがあるのと同じように、彼女もクロノへと話していないことがあるのだろう。
そんなことはわかりきっていたが、今は気に留めている余裕もない。
クロノ自身が紋章術の連発に抵抗を覚えると言うこともあるが、あの自宅警備員が言っていた通り、もたもたしていては他組織と接触する羽目になる。それに、人魚姫の一件もある。早く片付けて、合流地点に向かわないとまずい。
平らな砂地が波打って砂丘になる。
と思うと、寄り集まった砂の波が、巨大な岩石へと姿を変えた。
――明らかに不利だよなぁ。
胸中の独り言とは裏腹に、彼は鋭い気配を纏う。
と、今度は目前にミントが回り込んできた。
「駄目、攻撃しないでっ」
「……良いから下がってろ」
「わたしが話し合いますっ。あの人の、中の人と話すんです」
「中の人?」
「この景色は、鍵の――精霊の持つ記憶なんです。ずっとずっと、昔の記憶なんです。だからわたし、きっとあの人と通じ合えると思います。その……中の人、と言うか――」
クロノには、彼女が何を隠そうとしているのかわからないから、伝えようとしていることもわからない。
「ごめん。俺、オカルトには詳しくないし」
「紋章術の使い手がそんなこと言わないでくださいっ」
小競り合いをやっているうちに、見る見る岩の塊が体積を増していく。
クロノは、以前ケータイで着信拒否にしたグラールの同僚を思い出していた。
戦闘になるとまるっきり働かなくなって、足を引っ張り合うことになる相手だったが、平和主義者じゃないだけまだやりやすかったんだと気付かされる。
「お願い、クロノさんはあの人を引き付けてください。わたし、行ってきます!」
駆け出したミントの後姿に、彼はとんでもないことをぼんやりと考える。
――凍らせて黙らせとこうかな。
「本当、やんなっちゃう」
何に向けた言葉なのか、呟いた本人もわからないままに片腕を上げる。
無意識に舌打ちをしながら、クロノは手の平に意識を集中させ――。
次の瞬間。
集まった魔力は何の脈絡もなく霧散した。
「え……?」
予想外の出来事に、クロノは呆然と手の平を見つめる。
気を抜いたつもりはなかったし疲れているわけでもなく、ましてや、使い方を知らないわけでも、使うのに躊躇いがあったわけでもない。
だがそれでも。
まるで、シャボン玉が割れるように、不可視の力によって魔力は当然のように消された。
もう一度試しても結果は同じ。
まるで、この空間が紋章術の使用を拒否しているかのように、集まった魔力は具現化することなく消えていく。この場所には溢れんばかりの魔力があるのに。
だが、この空間で紋章術が使えない、なんてことはないはずだ。あの時セラは、あの公園で魔導反応が確認されたと言っていたし、クロノ自身も紋章術での戦闘跡を見ている。
――ん?
いや、そんな記憶はなかった。
言われたのは「クロノは一切の戦闘を行っていない」だけで、見たのは「暴風の刃で破壊された公園」だ。
同時に、あの時の記憶が蘇る。
あの時ミントは、お世辞でも効率が良いとは思えない戦い方をしていた。ガス欠を考えずに連発していた紋章術、まき散らすように無差別に放たれた暴風。
今まで思い付きもしなかった可能性が浮かんだ。
使い手ではない少女が、組織の連中をことごとく薙ぎ払えた理由。
もし、相手が〝紋章術を使えない状況〟だとしたら。
それならば、一般人でも使い手に勝てる見込みは十分ある。……それに、他人の力を借りることを好まない青年が、連れだけに紋章術を使わせていたのにも納得出来る。
恐らく、クロノたちのような普通の使い手は、この場所では紋章術を使えない。
理由や仕組みはわからないが、そう言う原理なのだろう。
例え偽物呼ばわりされていても、あの空間を出せるのならば。彼女ならここでも紋章術を使えるかもしれない。
クロノはおもむろにミントを見やる。
視線の先でミントは、足を止め何か訴えかけるように声を上げている。だが、残念ながらこの距離では何を言っているかはわからない。
対する相手は、話す気はないようで、膨張した岩がミント目掛けて放たれた。
助けに向かおうと踏み込もうとした直後、僅かな風の気配を感じる。
と、放たれた岩と彼女の間に竜巻が起きた。
理解するよりも先に、クロノは動いていた。
「っと」
竜巻の風圧で飛ばされたミントを受け止める。
視界の奥では、竜巻に煽られた岩が砕けて砂に戻っていく。
命の危険を感じた彼女がとっさに紋章術を放ったのか、それとも無意識に身を守ったのだろうか。どちらにしろ、彼女がこの空間でも紋章術を使えるのは間違いないようだ。
戦力は彼女だけで考えなくてはいけない。……例え、今の本人に戦う気がなくても。
「で、どうだった?」
「仲間が命懸けで守ろうとしていたモノを、守っているみたいです」
意味わかんないんだけど。
クロノは反射的に言いかけた言葉を飲み込んだ。
見当外れにも限度があるだろうと言いたくなる返事だったが。要するに、何かを守るために襲ってきた、と言うことなのだろうか。
いやそれよりも、だ。気を失った人間に話しかけて答えが返ってきたと言うことは、彼女の言い分は妄想ではないのだと、とクロノはぼんやりと納得する。精霊の記憶だとか、中の人だとか。聞き慣れない単語を口走っていた彼女を思い出し、諦めた様子でため息を零した。
「仕方ない、か」
困惑と焦りを漂わせる彼女の、その身を庇うかのように一歩前に出る。
少女のラズベリー色が驚いた様子で少年を見やった。
「このままじゃ埒があかない。言っただろ、時間がないって」
「で、でも……」
「攻撃はしない。君の援護に回る」
クロノ自身、その性格上紋章術に頼らない戦闘方法には慣れている。この場所で紋章術が使えなかったとしても、何の問題もないのだ。
おもむろに、〝武器〟に触れる。
「その代わり、後で全部話してくれ」
「え……?」
「もしかしたら、目的は同じかもしれないんだ」
口から出まかせも良いところだ。
だが、彼女の目的をクロノが知らない以上、嘘にはならない。
ならないが、クロノは自分の言葉が嘘であると十分理解していた。それはそうだろう。何をどう考えたって、境遇の違う二人が同じ目的を持てるはずがない。
そもそも。こんな場面でクロノの口から場違いな話題が出るのは、カリバーンの方針に基づいてだった。聖剣カリバーンは「目的が違っても手段が同じなら協力出来る」と言う理念の下で作られた組織らしい。だから、クロノはそれを利用した。こんな切羽詰まった状況で仲違いをしている余裕はない。打開策がミントしかないのなら少年は彼女の意見に従うしかないのだが、意味不明なことを言われてはいそうですかと納得出来る程クロノはお人好しでもない。
「そう……ですよね、わかりました」
クロノの想像以上に、ミントはすんなりと少年の言葉を受け入れた。
彼女なりに思うところでもあったのか、それともただのお人好しなだけか。クロノは別にどちらでも構わなかった。
「あ、あの。それじゃあ、クロノさんのことも教えてくれますか?」
「君が教えてくれたら」
後ろで彼女は無言で頷いた。
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