Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第1章

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「……飽きたなぁ」


 滑らかなシーツとスプリングベッドの上。
 クロノは、天井の木目を見つめながら、ぼんやりとこぼした。
 治癒の紋章術と言っても、テレビゲームなんかで見る回復の魔法のように、劇的に傷が癒されるわけではない。事前に自宅警備員から聞かされていたものの、クロノはベッドの上で毛布みたいに転がっていることに、そろそろだれてきた様子だった。

 ちなみに、怪我の正体はと言うと、呼吸するにもくしゃみをするにも痛覚が付きまとっていたので、今更改めて確認するまでもない。へし折られたのは、またも肋骨だったらしい。


 ――雨の日は、肋骨骨折に気をつけよう。


 少年は謎のモットーを胸に秘めた。

 それは『赤頭巾』を連れ帰ってすぐのことだ。
 報告催促のついでにビビアンが怪我の具合について部屋を訪ねてきた。


「ま、あんなに動いて内臓損傷までいかなかったんだもの。クロノくん。貴方、悪運が強いわ」
「その件なんですけど。内臓なんていつ超音波検査したんですか?」
「――というより超能力検査かしら。治癒の使い手さんのお墨付きよ」


 誰が上手いことを言えと言ったのか。
 ビビアンの微笑を眺めながら、クロノはどこか投げやりな笑みを返した。

 彼女いわく、治癒の紋章術の使い手は、あちこちの結社であれこれと傷を治して回っているので、対象の怪我の度合いなら、目視しなくても感覚的に掴めるのだそうだ。『二度あることは三度あるかもしれないじゃん。内臓損傷したら、もう紋章術はお呼びじゃないよ』と、ビビアンは治癒の使い手からそう言付かったと言っていた。
 どうやら相手は、クロノにとって二度目の肋骨骨折だと言うことまで、超能力検査でお見通しらしかった。顔も名前も知らない相手だったが、それなりに経験を積んだ使い手なのかもしれない。まあ、彼は「童顔術師みたいな言い回しだな」とどうでも良い感想を抱くだけに留まったのだが。


 それにしても、二度も肋骨を折って、二度も内臓が無事なんてほとんど奇跡的だった。
 ちゃんと詰まってるのかな、なんて、ろくでもない懸念を抱きながら、クロノは胸部に巻かれた固定帯と冷湿布をうっとうしそうに見下ろした。そして、以前セラのおかげで習得した、患部に負担がかからない最低限の動きで、ゆっくり身を起こす。
 食後の鎮痛薬。それから、胃を荒らすそうなので、胃腸薬も併用する。


「もう一週間か……」


 治癒の紋章術が働いているからか、鎮痛薬のおかげなのか、早くも疼痛は薄れていた。しかし、こんな療養と言う名の膠着状態が七日間も続いていると思うと、本来は仕事嫌いであるクロノも、さすがに嫌気が差してくる。

 それはまあ、折れた骨がくっつくのに三日やそこらで済むはずがない上に、普通なら一ヶ月以上かかるのが関の山なのだから、これでも急ピッチの回復状態にあるのだが。
 怪我や痛みにはすっかり耐性を身に付けつつあるクロノは、その後の治療が一番面倒で嫌いだった。時間はかかるし、身動きが取れない。

 と、彼が幾分か自由につけるようになったため息をついた時だ。
 地響きのようなものが伝わってきた。

 屋敷全体が僅かに揺れた。パラパラと降ってきた砂埃。
 おもむろに床の絨毯を見下ろしたクロノは、屋敷の地下室で行われている戦闘訓練を思う。


「床、抜けたりしないだろうな……」



 ちょうど一週間前のことだ。
 治癒の紋章術を受けるため自室に戻ったクロノは、ケータイ越しのミントへ一気に告げた。


「実は、鍵が作り出すあの空間で、俺は紋章術が使えないみたいなんだ。だから何か方法が見つかるまで、君が主戦力になってほしい」


 彼女は無言電話よろしく沈黙してしまった。
 そして、追い詰められたあまりケータイを窓から投げでもしたんじゃないか、とクロノが壁面の向こうの隣室を心配したのと同時だった。
 彼の部屋の扉が、唐突に開かれた。
 ミントが、壁にもたれるようにして立っていた。


「……何してるんだよ、まだ自力で歩ける状態じゃないだろ」


 自分のことは棚に上げて、手を貸そうとするクロノ。
 彼女が珍しく尖った声を上げた。


「どうして隠してたんですか」
「何が?」
「あの場所で紋章術が使えないって、どうして黙っていたんですか」


 ミントはふらつく体で、それでも、クロノへとぐっと強い眼差しを向ける。


「ああ、ごめん。あの場では伏せておかないと、君が動いてくれないと思ったし」
「じゃあ、なんで引き付けるなんて言ったんですかっ」
「……何でって、そうしないと切り抜けられなかっただろ」


 当たり前みたいな顔をして、平然とうそぶいたクロノ。
 とりあえず部屋に戻れ、と彼が肩を取って促すと、ミントは華奢な両腕でその胸倉に掴みかかった。思わぬ抵抗だった。彼女に押し倒されるようにして尻餅を付く羽目になった少年が、激痛に意識をとばしかけたのは言うまでもない。
 クロノは、相手が自分の敵視する存在か、関心のない人間であれば、反射的に蹴り飛ばすくらいのことはやっていただろう。だが、まるで轢死した子犬でも見るような、ミントの悲痛な面持ちを目にすると、彼の思考は、はたと停止した。


「そういうのやめてください。わたし、クロノさんを信じたいんです。なのにっ」
「…………」
「ずるいです。ちゃんとクロノさんが信じるに値する人だってこと、示してください。……だってその方が、効率が良いからっ。そうじゃないと、わたし――」


 ミントは声を詰まらせた。
 無関心なように見えて、その実、自分を殺してでも状況を打破しようとする徹底した合理主義者であるクロノ。そんな人間を前に、彼女なりに必死で説得しようとしているのだろう。
 クロノは、彼女に「効率」なんて言い方をさせてしまったことを、少しだけ悪く思った。


「……もうやめてください。そういう嘘、つかないで」


 押し殺したような声だった。
 張り詰めていたミントのラズベリー色が、とうとうこぼれ落ちた。
 いつかはそうなるだろうと思っていたクロノだったが、こんな形でと言うのは完全に想定外だった。何せクロノは、結社と関わってしまった後悔とか、巻き込まれた運命を呪う意味で、ミントがいつか泣くだろうことを予想していたのだ。自分が無茶をすることが、そこまで彼女を追い詰める要素になっていたなんて、到底考えられなかった。

 いつの間にこんなことになったんだろう、とクロノは淡い後悔を抱きながら、掴んだ胸倉に顔を埋めるようにして震えるミントを、じっと眺めていた。



 ……結局。
 ミントの信頼を利用するような形になってしまったが、ひとまず戦闘訓練を受けさせる流れには持っていった。
 地下室では、紋章術の基礎訓練が実施されていることだろう。

 とはいえ、クロノも黙って鍵の言いなりになるつもりなど毛頭なかった。彼ならばナイフを用いた白兵戦でも十分に戦えるのだが、今回のように戦うたびに痛手を負っていたのでは話にならない。クロノもまた、あの空間での紋章術の使用方法か、あるいは、決まった戦闘方法を編み出す必要があるのだ。


 ――まあ、今は早く治すのが仕事かな。


 なんて考えつつも、腕力の衰えを考慮してのことか、壁際の本棚からわざわざ腕に重量のある分厚い本を選んでくる辺りに、往生際の悪さを感じるのだが。
 クロノはこの数日間で何冊目かの古書の表紙を、静かに開いた。


「………………」


 それからしばらく経ったが、屋敷の揺れは断続的に続いていた。

 今回の特訓は、ミント本人が直接ビビアンに頼んだらしい。
 栄えある特訓生第一号だと苦笑交じりに返されたこと、その上、紋章術の基礎を教えてくれる人を準備したこと、そして、その講師はクロノの怪我が完治するまでの期限付きであることを、他の誰でもない彼女自身がはにかみながら教えてくれた。

 講師の条件として告げられた期限は、完治したら自分で教えろ、と遠回しに言われているのかと思ったクロノだったが。なんてことはない。ミントの臨時講師は、彼らの怪我を癒している紋章術師の連れなのだ。なら、その期限とは、暗に怪我を癒し終わったらさっさと引き上げることを表しているのだろう。中立と言う立場でありながら、結社で働こうとしている一般人の少女の戦闘訓練に付き合うだなんて、治癒の紋章術師の連れはどれだけ暇人なのか。
 自分のことを棚に上げてそんなことを考えるクロノ。

 と。今までの中で、一番盛大に震動が伝わった。

 屋敷の地下室は、周辺の目を気にすることなく紋章術を使える場所として、時折、戦闘狂に似たバカ術師たちが、良くわからない優越感に浸りながら紋章術を好き勝手使っていたのだとビビアンが苦笑いと共に教えてくれた。

 もしこの結社が魔導反応を完璧に隠せないのなら、こんなことは出来ない。そう考えると、この揺れは無償の安心感を与えるのかもしれない。……が、これはこれで別の不安がある。


「…………」


 不意にクロノは、読んでいた本から目線を上げた。
 分厚い本を脇に置くと、その手はケータイに伸びる。
 ふと気になった赤頭巾のその後。調べたらわかるのではないかと思ったのだ。

 何しろ、支給されたケータイには、仕事内容などだけではなく、わざわざ誰かに聞かなくとも争奪戦の状況がある程度わかるらしい。これも、通信部との会話を極力減らすための手段なのかと思うと、何とも言えない気分になるのだが。今は逆にそれが有り難かった。

 どうやら、赤頭巾は未だこの屋敷の中にいるようだ。ちゃんと生存も確認された。
 こうなると、他の鍵の所在が気になってしまう。
 クロノは無遠慮に記された鍵一覧のページを開く。

 『赤頭巾』・『灰被姫』・『人魚姫』・『親指姫』・『茨姫』・『白雪姫』・『アリス』。
 そのうちの一つ、白雪姫の文字が赤くなっていた。

 彼の情報が正しければ、この白雪姫が開錠された鍵である確率は高い。それならばメモに記されていた意味不明だった単語にも納得がいく。書かれていた通り、殺されたのだろうか。いや、だが壊された鍵は『白雪姫』だ。
 何しろ〝白雪姫〟は、魔女の毒林檎で一回死んでいる。

 童話の内容になぞらえて、鍵として一回死んだ後、何らかの条件を満たすと人間として生き返る可能性は十分に考えられる。相手は鍵だ。常識がそのまま当てはまるとは限らない。
 狼に食べられた赤頭巾しかり、呪いで永遠の眠りについた茨姫しかり、有り得ない話ではない。この場合、人魚姫は王子様を殺すことになるのだろうけれど。


 ――情報が少なすぎる。


 深いため息を共に、クロノはケータイを放り出した。
 もし本当に死んだのだとしたら、エイレン辺りが全員を呼び出して会議を行うだろう。自分から調べておきながら、無責任にそんなことを考える。

 そして、脇に置いた本を再び手に取る。
 一瞬の躊躇いの後、彼は読書を再開した。
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