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第1章
039
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真っ白な雪原の中、周囲を赤黒く染めながら佇む青年。
重剣が辺りの純白を反射し、鋭い光を帯びる。
クロノは頬の血もそのままに、剣先を向けた。
手っ取り早く、相手が後先考えずに紋章術を使おうとして不発に終わったところへ、一気にとどめを刺してやろうかと考えていた彼だったのだが。
「……あのよ。交換しねえか? これと、それ」
気が抜けるような一言。
青年はクロノのナイフをひょいと片手で向けてきた。
ガンズともあろう単細胞が、ここで紋章術を使えないという可能性を察しているのだろうか。
重剣を構えたまま、恐らく足元の雪よりも冷たい瞳で睨むクロノ。
「だってよお。こんな、ちまっこい武器使ったことねんだっつーの。てめえも慣れてねえだろ? ここはお互いやりやすいようにすんのが、フェアってもんだぜ」
「お前一人が不利なだけだし、構わない。それに、ここでは環境自体が俺に有利だ」
少年は凍えるような吹雪を味方に、自身の零下の紋章術を仄めかす。
嘘ならお手の物だ。
同じ術を使ってこいという挑発だった。
しかし、ガンズは乾いた笑いを零すと、ナイフをくるくると回しながらあっけらかんと言う。
「ずりぃな。俺はもう使えねえよ」
何を言っているのか。
俺「は」という限定的な言い方から察するに、ガンズはこの空間が紋章術を封じることを知らないようだが。ガス欠を起こしたのか、と出方を窺うクロノ。
だが、相手は抉じ開けられた傷の所為で出血多量だというのに、体力も精神力もさして消耗しているように見えない。むしろ、新しいオモチャでも与えられたように、にやけ面を浮かべながらナイフを弄ぶ姿は、再び行われる血みどろのゲームに喜び勇んでいるようにすら見える。
いや、それならば、だ。
何故、真っ先に仕掛けてこないのか。
ガンズは愛用の斧を投げ捨ててもなお、凶器を持った人間を相手に、丸腰で蹴りかかって来るような人種だ。かつての相棒と対峙することへの執着が、今更になってここまで穏やかに会話のキャッチボールを成せるとは思えない。
不可解なほどの静けさに、クロノが怪訝に眉を曇らせた時だ。
ガンズは雪原を踏み締めて、少年の方へと向き直る。
雪混じりの風が通り抜けた。
青年の片手が、風にさらわれて滲んだように見えた。
と思うと、指先から解け、蒸気のように霧散した。
「……?」
あまりにも呆気ない出来事だった。
目を疑う光景に、思考が追い付けずにいるクロノ。
消し飛んだ利き手の行方を追ったのかガンズは視線を遠くへ投げる。
「あぁーあ。さすがにやり過ぎちまったぜ」
意味が分からなかった。
いくら紋章術が心身を削る能力とは言え、乱用した所為で使い手の肉体が蒸発するなんて話は聞いたことがない。それとも、焦熱や過熱蒸気を操るガンズならではのハンデなのだろうか。
クロノは剣先を向けたまま、血の一滴も垂らさない彼の手首を、唖然と見つめる。
「なあ、相棒。てめえは、俺が内臓ほじられても倒れねえのは、頭かなんかがいかれちまってるからだって思ってやがんじゃねえのか?」
「他に理由なんかないだろ。まさかお前まで鍵だとか言い出すのか」
ちげえよ、と青年が噛み付く。
クロノに対するにしては、珍しく言葉少なな否定だ。
と、今度はその片腕が風に巻かれて消え失せる。
ジャケットの片袖を雪風にひらひら泳がせながら、ガンズは舌打ちを漏らした。
「やっぱ無理に定着させた紋章術じゃ、持たねえや。グラールの技術っつーのも大したことねえのな」
――無理に定着させた?
クロノは、わずかに目前の敵から瞳孔を逸らした。
視界の端。こちらの会話は吹雪に阻まれて聞こえないのだろうが、思い詰めたような表情で佇んでいる少女を捉える。
結社の名前が出た時点で、相手の言葉が意味することと言えば、ひとつだけだろう。
グラールの人体実験が、少年の脳裏をよぎった。
「おいおい、余所見してんじゃねえよ。んな心配しなくたって、てめえが連れてる風使いは、俺よか上玉みてえだぜ」
「何で断言できるんだ」
「そりゃあ――俺が欲しかったのは紋章術だけだったしよ。鍵作ろうとして失敗したのと、使い手作ろうとして失敗したのとじゃ、デキがちげえのが当然じゃねえか」
つまり、ガンズ本人は望んで使い手となったということか。ミントは、彼女自身の様子から推測するに、決して自ら希望して人体実験に関わったわけではないはずだ。
そもそも、自分から被験者を志願するような人間がいるということに、少年は辟易した。
「確か俺はよ、グラールに捜してる奴がいて? そのために実験に協力したっつーのに、いざ使い手んなったらそいつが誰だったか忘れちまってなぁ。失敗してこのザマだぜ」
人体実験には魔導具を用いると聞いた。
恐らく、魔導具にあてられたことによる記憶障害。クロノも聞き覚えくらいならあった。ともすると、その人格破綻も、強い魔力にあてられたことに起因するのかもしれない。
そして、もはや考えるまでもないが。
彼が捜していた人間はまさに今日、その命を奪われた。――それもガンズ自身の手でだ。
彼は気付いているのか、否か。
いずれにしても、どこまで救われない兄弟なのかと、クロノは無表情に思う。
「……興味ないな」
「まあ、いいじゃねえか。やってもやられても、これで最後だろうからよぉ。ひとつ教えといてやんぜ」
ガンズは指で遊ぶ内に手慣れたのか、手中の凶器をくるりと操る。
「鍵はどうだか知んねえ。模造品もよくわかんねえ。――けどなぁ、俺は殺せば死ぬぜ」
てめえもそうだろ? と。
口角を三日月に歪ませた青年は、ナイフを縦に払った。
こびり付いていた血糊が、雪面へと音もなく線を描く。
向けられた切っ先。
クロノもまた頬の傷をぐいと拭うと、重剣をかざした。
「俺は死ぬ気はない」
「っは! そうこなくっちゃなあ、相棒!」
――これで終わりにする。
ほぼ同時だった。
彼等は一直線に走り出した。
両者がかち合った途端、二振りの鋼が激しい金属音を立てた。
数秒の鍔迫り合いを受け流す。
クロノは重剣の長さを活かし、真上から袈裟切りを繰り出した。
だが、片腕を失い腹部を抉られてもなお、青年の腕力は並外れていた。横様に薙ぎ払われたナイフが、目にも止まらぬ勢いで弾き返す。
わずかに体勢を崩した少年へ、そのまま靴底が叩き込まれた。
「っ」
雪原に転げる体に、すかさず追い討ちを食らわせんとするガンズ。
クロノは地面に刀身を埋めると、蹴り飛ばされた勢いを殺す。
と、そのまま頭上まで空を切った。
コンマ数秒、白の煙幕が視界を覆った。
舞い上がった白雪を貫き、一気に肉薄する。
しかし、少年の猛攻にガンズは退かなかった。真っ向から軌道を見極め、寸前でふいと体を逸らす。剣先は肩を切り裂いたが、反撃とばかりに、ナイフが赤銅色の瞳孔へ迫る。
瞬時に姿勢を屈め、クロノの金糸だけがはらりと舞った。
「いい加減、倒れろ!」
少年は勢い良く足場を蹴る。
ガンズの鳩尾目掛けて、全体重をぶつけるように肘鉄を食らわせた。
大きく後ずさる彼の足跡に、ぼたぼたと赤いシミが作られる。苦しげに咳き込んだと思うと、ガンズの血塗れた口元が消え入りそうに言った。
「倒れたら、終わっちまう、じゃねえか――」
まるで遊び盛りの子供が夕暮れの訪れを嘆くみたいな、頑是無い言い草だった。
構わずに、クロノは下方から斬り上げようとした。
が、腕ごと止められた。
刀身を踏み付けられたのだ。
まずい、と思った直後だった。
少年は、頭上に鋭刃を見た。
避けられない。
一瞬の判断で、片腕を凶器の前へかざす。
鈍い音があった。
クロノは脳天を突き刺そうとした剣先を、自らの腕に食い込ませることで防いだ。
貫通した傷から生血が迸ったが、今更動揺もない。
相手の足ごと斬り飛ばす勢いで重剣をぶつけるなり、間合いを取ったクロノ。
「いってえよ、こん畜生」
「…………」
ふらつく青年の胸板へ、深い裂傷が走っていた。
しかし、クロノの片腕には、ナイフが刺さったままだ。
それでも、血飛沫を残して雪原に放られた剣を、ゆっくりと拾うガンズ。同時に、クロノは腕を貫いたナイフを躊躇いなく抜き去った。
結果的に互いに適応する武器を用いるはめになった訳だが、もはや関係はない。ここまで来れば精神力の戦いだ。
白い雪景色に、両者の傷だけが赤をこぼす。
駆けたのは、クロノの方だった。
冷風に身を裂かれながら、ガンズへと刃先を構える。
すれ違い様――重剣とナイフが、一閃した。
やけに静かな雪が降っていた。
靴底を雪面に軋ませ、ゆらりと佇むクロノ。
その背後で、ガンズがぽつりとつぶやいた。
「……楽しかったぜ、相棒」
一面の雪が、倒れ込んだ青年の体を包んだ。
深い息を吐いて振り返ろうとした少年。
と、その耳に雪を踏み締める音が聞こえ、そちらへ視線を向けた。
その足音の主は、少年ではなく倒れた青年の元へ寄る。
警戒心を滲ませた視線を向けるクロノの目の前で、ミラノがガンズを見下ろしていた。
トドメでも刺しに来たのだろうか。
だが、ミラノはどこからか取り出した、雪のように白い花をガンズの上に落とした。
ガンズからのリアクションもない。既に死んでいるのか、それとも声が届かないだけなのか。
彼らがどんな言葉を交わしているのか、それとも互いに沈黙を貫いているのか、クロノの位置からはわからない。
静寂だけが流れていく。
「…………」
やがて、ミラノは落ちていた重剣を拾うと、その剣の持ち主へ目を向けた。
くるりと振り返った彼女と目が合った。かと思えば、すぐに彼女の視線はクロノの奥へと向けられる。
何事かと同じように振り返ったクロノは、戸惑いがちにこちらへ向かって来る少女の姿を認めた。泣きそうな顔で少年を見やる木苺色の目に、クロノは安心させる意味を込めて、ゆっくりと少女へと一歩踏み出した。
そして、思わず、ちらりと青年の上に落とされた花を見る。
――あれは確か……ダリアだったか。
伝えたかった言葉を意味として持つ花を殉職者に贈る。
それは、リアフェールで伝統として受け継がれている行為だそうで。争奪戦に参加してその数が多くなった今ではすっかり廃れたが、確かシグドは律義に花を送っていた記憶がある。
おそらくシグドから聞いていたのだろう。何故ミラノがガンズの死を悼むのかはわからないが、興味もないことだったので言及するつもりはなかった。
だからクロノは、涙目で駆け寄ってきた少女を苦笑いで迎えた。
重剣が辺りの純白を反射し、鋭い光を帯びる。
クロノは頬の血もそのままに、剣先を向けた。
手っ取り早く、相手が後先考えずに紋章術を使おうとして不発に終わったところへ、一気にとどめを刺してやろうかと考えていた彼だったのだが。
「……あのよ。交換しねえか? これと、それ」
気が抜けるような一言。
青年はクロノのナイフをひょいと片手で向けてきた。
ガンズともあろう単細胞が、ここで紋章術を使えないという可能性を察しているのだろうか。
重剣を構えたまま、恐らく足元の雪よりも冷たい瞳で睨むクロノ。
「だってよお。こんな、ちまっこい武器使ったことねんだっつーの。てめえも慣れてねえだろ? ここはお互いやりやすいようにすんのが、フェアってもんだぜ」
「お前一人が不利なだけだし、構わない。それに、ここでは環境自体が俺に有利だ」
少年は凍えるような吹雪を味方に、自身の零下の紋章術を仄めかす。
嘘ならお手の物だ。
同じ術を使ってこいという挑発だった。
しかし、ガンズは乾いた笑いを零すと、ナイフをくるくると回しながらあっけらかんと言う。
「ずりぃな。俺はもう使えねえよ」
何を言っているのか。
俺「は」という限定的な言い方から察するに、ガンズはこの空間が紋章術を封じることを知らないようだが。ガス欠を起こしたのか、と出方を窺うクロノ。
だが、相手は抉じ開けられた傷の所為で出血多量だというのに、体力も精神力もさして消耗しているように見えない。むしろ、新しいオモチャでも与えられたように、にやけ面を浮かべながらナイフを弄ぶ姿は、再び行われる血みどろのゲームに喜び勇んでいるようにすら見える。
いや、それならば、だ。
何故、真っ先に仕掛けてこないのか。
ガンズは愛用の斧を投げ捨ててもなお、凶器を持った人間を相手に、丸腰で蹴りかかって来るような人種だ。かつての相棒と対峙することへの執着が、今更になってここまで穏やかに会話のキャッチボールを成せるとは思えない。
不可解なほどの静けさに、クロノが怪訝に眉を曇らせた時だ。
ガンズは雪原を踏み締めて、少年の方へと向き直る。
雪混じりの風が通り抜けた。
青年の片手が、風にさらわれて滲んだように見えた。
と思うと、指先から解け、蒸気のように霧散した。
「……?」
あまりにも呆気ない出来事だった。
目を疑う光景に、思考が追い付けずにいるクロノ。
消し飛んだ利き手の行方を追ったのかガンズは視線を遠くへ投げる。
「あぁーあ。さすがにやり過ぎちまったぜ」
意味が分からなかった。
いくら紋章術が心身を削る能力とは言え、乱用した所為で使い手の肉体が蒸発するなんて話は聞いたことがない。それとも、焦熱や過熱蒸気を操るガンズならではのハンデなのだろうか。
クロノは剣先を向けたまま、血の一滴も垂らさない彼の手首を、唖然と見つめる。
「なあ、相棒。てめえは、俺が内臓ほじられても倒れねえのは、頭かなんかがいかれちまってるからだって思ってやがんじゃねえのか?」
「他に理由なんかないだろ。まさかお前まで鍵だとか言い出すのか」
ちげえよ、と青年が噛み付く。
クロノに対するにしては、珍しく言葉少なな否定だ。
と、今度はその片腕が風に巻かれて消え失せる。
ジャケットの片袖を雪風にひらひら泳がせながら、ガンズは舌打ちを漏らした。
「やっぱ無理に定着させた紋章術じゃ、持たねえや。グラールの技術っつーのも大したことねえのな」
――無理に定着させた?
クロノは、わずかに目前の敵から瞳孔を逸らした。
視界の端。こちらの会話は吹雪に阻まれて聞こえないのだろうが、思い詰めたような表情で佇んでいる少女を捉える。
結社の名前が出た時点で、相手の言葉が意味することと言えば、ひとつだけだろう。
グラールの人体実験が、少年の脳裏をよぎった。
「おいおい、余所見してんじゃねえよ。んな心配しなくたって、てめえが連れてる風使いは、俺よか上玉みてえだぜ」
「何で断言できるんだ」
「そりゃあ――俺が欲しかったのは紋章術だけだったしよ。鍵作ろうとして失敗したのと、使い手作ろうとして失敗したのとじゃ、デキがちげえのが当然じゃねえか」
つまり、ガンズ本人は望んで使い手となったということか。ミントは、彼女自身の様子から推測するに、決して自ら希望して人体実験に関わったわけではないはずだ。
そもそも、自分から被験者を志願するような人間がいるということに、少年は辟易した。
「確か俺はよ、グラールに捜してる奴がいて? そのために実験に協力したっつーのに、いざ使い手んなったらそいつが誰だったか忘れちまってなぁ。失敗してこのザマだぜ」
人体実験には魔導具を用いると聞いた。
恐らく、魔導具にあてられたことによる記憶障害。クロノも聞き覚えくらいならあった。ともすると、その人格破綻も、強い魔力にあてられたことに起因するのかもしれない。
そして、もはや考えるまでもないが。
彼が捜していた人間はまさに今日、その命を奪われた。――それもガンズ自身の手でだ。
彼は気付いているのか、否か。
いずれにしても、どこまで救われない兄弟なのかと、クロノは無表情に思う。
「……興味ないな」
「まあ、いいじゃねえか。やってもやられても、これで最後だろうからよぉ。ひとつ教えといてやんぜ」
ガンズは指で遊ぶ内に手慣れたのか、手中の凶器をくるりと操る。
「鍵はどうだか知んねえ。模造品もよくわかんねえ。――けどなぁ、俺は殺せば死ぬぜ」
てめえもそうだろ? と。
口角を三日月に歪ませた青年は、ナイフを縦に払った。
こびり付いていた血糊が、雪面へと音もなく線を描く。
向けられた切っ先。
クロノもまた頬の傷をぐいと拭うと、重剣をかざした。
「俺は死ぬ気はない」
「っは! そうこなくっちゃなあ、相棒!」
――これで終わりにする。
ほぼ同時だった。
彼等は一直線に走り出した。
両者がかち合った途端、二振りの鋼が激しい金属音を立てた。
数秒の鍔迫り合いを受け流す。
クロノは重剣の長さを活かし、真上から袈裟切りを繰り出した。
だが、片腕を失い腹部を抉られてもなお、青年の腕力は並外れていた。横様に薙ぎ払われたナイフが、目にも止まらぬ勢いで弾き返す。
わずかに体勢を崩した少年へ、そのまま靴底が叩き込まれた。
「っ」
雪原に転げる体に、すかさず追い討ちを食らわせんとするガンズ。
クロノは地面に刀身を埋めると、蹴り飛ばされた勢いを殺す。
と、そのまま頭上まで空を切った。
コンマ数秒、白の煙幕が視界を覆った。
舞い上がった白雪を貫き、一気に肉薄する。
しかし、少年の猛攻にガンズは退かなかった。真っ向から軌道を見極め、寸前でふいと体を逸らす。剣先は肩を切り裂いたが、反撃とばかりに、ナイフが赤銅色の瞳孔へ迫る。
瞬時に姿勢を屈め、クロノの金糸だけがはらりと舞った。
「いい加減、倒れろ!」
少年は勢い良く足場を蹴る。
ガンズの鳩尾目掛けて、全体重をぶつけるように肘鉄を食らわせた。
大きく後ずさる彼の足跡に、ぼたぼたと赤いシミが作られる。苦しげに咳き込んだと思うと、ガンズの血塗れた口元が消え入りそうに言った。
「倒れたら、終わっちまう、じゃねえか――」
まるで遊び盛りの子供が夕暮れの訪れを嘆くみたいな、頑是無い言い草だった。
構わずに、クロノは下方から斬り上げようとした。
が、腕ごと止められた。
刀身を踏み付けられたのだ。
まずい、と思った直後だった。
少年は、頭上に鋭刃を見た。
避けられない。
一瞬の判断で、片腕を凶器の前へかざす。
鈍い音があった。
クロノは脳天を突き刺そうとした剣先を、自らの腕に食い込ませることで防いだ。
貫通した傷から生血が迸ったが、今更動揺もない。
相手の足ごと斬り飛ばす勢いで重剣をぶつけるなり、間合いを取ったクロノ。
「いってえよ、こん畜生」
「…………」
ふらつく青年の胸板へ、深い裂傷が走っていた。
しかし、クロノの片腕には、ナイフが刺さったままだ。
それでも、血飛沫を残して雪原に放られた剣を、ゆっくりと拾うガンズ。同時に、クロノは腕を貫いたナイフを躊躇いなく抜き去った。
結果的に互いに適応する武器を用いるはめになった訳だが、もはや関係はない。ここまで来れば精神力の戦いだ。
白い雪景色に、両者の傷だけが赤をこぼす。
駆けたのは、クロノの方だった。
冷風に身を裂かれながら、ガンズへと刃先を構える。
すれ違い様――重剣とナイフが、一閃した。
やけに静かな雪が降っていた。
靴底を雪面に軋ませ、ゆらりと佇むクロノ。
その背後で、ガンズがぽつりとつぶやいた。
「……楽しかったぜ、相棒」
一面の雪が、倒れ込んだ青年の体を包んだ。
深い息を吐いて振り返ろうとした少年。
と、その耳に雪を踏み締める音が聞こえ、そちらへ視線を向けた。
その足音の主は、少年ではなく倒れた青年の元へ寄る。
警戒心を滲ませた視線を向けるクロノの目の前で、ミラノがガンズを見下ろしていた。
トドメでも刺しに来たのだろうか。
だが、ミラノはどこからか取り出した、雪のように白い花をガンズの上に落とした。
ガンズからのリアクションもない。既に死んでいるのか、それとも声が届かないだけなのか。
彼らがどんな言葉を交わしているのか、それとも互いに沈黙を貫いているのか、クロノの位置からはわからない。
静寂だけが流れていく。
「…………」
やがて、ミラノは落ちていた重剣を拾うと、その剣の持ち主へ目を向けた。
くるりと振り返った彼女と目が合った。かと思えば、すぐに彼女の視線はクロノの奥へと向けられる。
何事かと同じように振り返ったクロノは、戸惑いがちにこちらへ向かって来る少女の姿を認めた。泣きそうな顔で少年を見やる木苺色の目に、クロノは安心させる意味を込めて、ゆっくりと少女へと一歩踏み出した。
そして、思わず、ちらりと青年の上に落とされた花を見る。
――あれは確か……ダリアだったか。
伝えたかった言葉を意味として持つ花を殉職者に贈る。
それは、リアフェールで伝統として受け継がれている行為だそうで。争奪戦に参加してその数が多くなった今ではすっかり廃れたが、確かシグドは律義に花を送っていた記憶がある。
おそらくシグドから聞いていたのだろう。何故ミラノがガンズの死を悼むのかはわからないが、興味もないことだったので言及するつもりはなかった。
だからクロノは、涙目で駆け寄ってきた少女を苦笑いで迎えた。
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