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第1章
043、それぞれの思惑
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「なん、だ……?」
ズキズキと痛む頭をおさえながら、クロノは目をしばたく。
徐々にはっきりとしてきた視界に映るのは、格式高いホテルのワンルームを思わせる一室。
カリバーン本部の空き部屋だ。
辺りに目線を走らせれば、彼と同じように倒れている人間が三人。
ミントとシグドとミラノである。
三人とも無事だったことに安堵したクロノは小さく息を吐いた。
実際に対象になってわかったことだが、ほぼ間違いなくナビィの紋章術だ。先日ビビアンが見せた開錠ように合図によって発動させたのだろう。詳細まではわからないが、例の封印扉と同じ類の仕組みである可能性が一番高い。扉に鍵を掛けたり、反応を隠したり、遠くの場所へ移動出来たりと、全容や属性は不明だが、便利な能力だ。氷の紋章術とはレベルが違う。
と、小さく呻き声を漏らしてシグドが起き上がった。
「くっそ」
下手なタイミングで紋章術を使いやがって、と不機嫌を露わにぼやいた。
「シグド、大丈夫か?」
「クロノか。……ここはどこだ?」
「カリバーンの屋敷」
その言葉を聞いた途端、シグドは顔色を変え、苛立たしげに立ち上がった。
そして、足元に転がっていた重剣をしまい、ミラノを背負う。あまりの手際の良さにクロノが呆然と眺めている間にも、彼は当たり前のように部屋を出て行こうとする。
それに気付いたクロノは転がるようにドアへ駆け寄り、青年の行く手を阻んだ。
「邪魔すんな。俺たちは帰らせてもらう」
「聞きたいことがあるんだ」
噛み合っていない言葉。
互いに主張は譲る気はなく、睨み合う視線が交差した。
やがて、シグドは舌打ちをすると器用に片手でミラノを支えながら、もう片手をクロノに差し出した。
「ケータイを貸せ」
乱暴な物言いだったが、クロノは言われたものを素直に渡した。
受け取った彼は、慣れた手付きで何かを入力するように操作すると、しばらく画面を眺めていた。そして、ケータイを持ち主に投げ返す。
少年がケータイをキャッチしたのを確認してから再び口を開く。
「通話履歴の一番上が俺の番号だ。何か用があったら留守電に入れとけ」
あくまで電話に出るつもりはないようだ。
「アドレスは?」
「前と変わってねぇよ、思い出せ」
「覚えてるわけないだろ」
いちいちアドレスを覚えたりするかよ、とクロノは文句たれる。
「もう良いだろ。俺たちは帰りたいんだ」
「お前――」
クロノの言葉を遮るように、視界の奥に、新たに三人の人影が現れた。
エイレンとビビアンとナツメである。
クロノとシグドは同時にそちらへと視線を向けた。
彼らは洋室へと転移されるなり、幾分か緊張の糸を解いたのかもしれない。転送の紋章術にも慣れた様子だった。
「やられたわね……そろそろ二重生活も苦になってきた頃だったけれど」
「バレちゃったねー」
諦めたように栗色の髪をかき上げるビビアン。
その横で、ナツメが悪巧みを咎められた悪戯っ子みたいな調子で続く。
実際は、バレたとか悪戯で済まされる問題ではない。
グラールの上層部に、恐らくは反逆行為の一部始終を目撃されたのだ。あの男の平然たる様子からすると、気付いていながらも泳がせていた可能性も十分に考えられるが、いずれにしても、彼女らはグラールという居場所を一挙に失ったことになる。
来月から何で食べていこうかしら、とやたら現実味のある元通信部トップの呟き。
だが、ナツメは事態の深刻さを理解していないのか、あるいは理解した上でか、腹を抱えてきゃっきゃと笑い声を立てた。
「ビー、リーマンみたいだよー! 一緒にがんばろうよ」
「……お誘いは嬉しいけれど、子供を雇ってくれる職場なんてあるのかしら」
何とも頭の痛くなるやり取りだ。
かつての同僚と上司の死に様を拝んだ上に、腕の傷で貧血を起こしそうなクロノは、黙らせようという気力すらない。
そこへ、状況を更にかき回すべくエイレンが便乗した。
「それじゃあ、この際だ。オレと同棲してしまうか、ビビアン!」
「ええ、まぁ当分は、カリバーンの屋敷にお世話になるでしょうね」
「そうか! なんだか空振りフルスイングした気もするんだが、ビビアンは天然ナチュラルガールということでオレが許す。例え神様が許さなくても、オレが許すぞ!」
「あ、そうだ。レンレンはさー、リーダーなんだから何とかしてくれるよね」
「ナツメも同棲するか! 残念だが、オレにはロリコンの気はないんだぞ」
クロノは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
これでは絶対にシグドを引き止められない。多分、もう説得できる段階でもない。
死んだ魚のような目をして、無言で突っ立っているクロノ。
彼が察した通りだった。
シグドは完全なるノーリアクションで、かしましい三人からふいと視線を逸らした。そのまま何も見聞きしなかったかのように、クロノの背後にある扉を開こうとする。
と、エイレンがそれに気付いた。
「こら、どこへ行く青年! ここに呼んだがウン百年目。人魚姫を置いていけば、お前はお家に帰ってもいいぞ!」
言いながら、いきなり大剣を取り出す。
その辺にあった机やら椅子をふっ飛ばすなり、銀の後ろ髪へと矛先を向けた。
どう考えても出来ない相談だった。
その上、シグドは鍵が自分とミラノであることを断言したというのに、人魚姫は単身だ、という決定的な勘違いをしているらしいエイレン。
カリバーンのリーダーたる男に、クロノはますます濁った目をやった。
「クロノ。何度も言わせんじゃねぇよ。俺たちは帰る」
シグドは唯一話の通じそうな相手に言っているつもりなのだろうか。エイレンの言葉などまるで聞こえていないようだった。
しかし、どかないなら蹴倒すぞ、という言外の意に、クロノは頭を抱えたくなった。
「待ってくれ、シグド。この屋敷は外部に魔導反応が出ないんだ。不用意に外に出るより、ここにいた方が得策だろ」
「だからなんだ。どけって言ってんのが聞こえなかったのか」
「悪い。どけない。せめてその人が起きるまで待ってほしい」
「わかった。お前を黙らせれば問題ねぇな」
今にも実力行使に出ようというシグド。
それでも食い下がるクロノ。
帰ると言っても、どこに帰るつもりなのかとクロノは思う。
社長は生きているのだろうが、リアフェールは破壊されたも同然だ。半壊したあの本部に戻って、一体これから何をどうしようというのだろう。
一方、カリバーンの三人衆は、クロノが見せるいつにない必死さを、さも希少な珍獣を見るような顔で眺めていたが、ややあって、慌てた様子で口を挟んできた。
しかも、状況悪化しか望めないエイレンがだ。
「ちょっと待った! クロノ、お前はその青年といつ名前を呼び合う仲になった!? さあ、このオレに洗いざらい話してみろ!」
「は? いや、今更そんなこと――」
「……お前、今度は何でこんなうるせぇ結社に居座ってるんだよ」
「ええーと、それは……」
前後から経緯の説明を求められ、くしゃりと傷のない腕で金髪をかいたクロノ。
彼はしばらく停止した。
すると、何を勘違いしたのか、エイレンがその双眼をめらめらと燃やし始める。
「そうか。言えないような理由なのか。海より深く、空より果てない事情なんだな……! わかった。こうなったらオレが一肌も二肌も脱ぎまくって、お前の代わりに戦ってやるぞ」
――もうどうにもならない。
大剣を手に踏み込んできた朱色を、冷々たる眼差しで見やるシグド。彼がろくに構えもせずに、背後へ応戦しようとした時だ。
剣先がぴたりと止まった。
クロノが、その前に立ち塞がっていた。
シグドの背を庇い、完全にドアを放棄した状態。
だが、相変わらず捨て身の行動に出る少年の立場を案じたか、もしくは単に呆れたのか。後者なのかもしれなかったが、シグドはすぐに出て行こうとはしなかった。
クロノ? と世にも不思議な出来事を見たように、首を傾げるエイレン。
カリバーンに所属して間もないというのに、何故そこまで驚かれなくてはいけないのか。クロノは、仮にもリーダーの意に反しているのだが、これといった抵抗を覚えていなかった。
それどころか、切っ先を素手で握ると、無感情に言う。
「元上司だけで十分だろ。友だちにまで向けるのか」
だったら俺は戦う、とクロノは言い切った。
大剣が僅かに震えた。
元上司にか、友だちにか。少なくとも、エイレンが動揺を見せたのは確かなことだった。
クロノの思惑通りだ。
相手が反応を示すのがどちらであろうと、戦意を削げれば何でも構わなかったのだ。
「……諦めた。言い出したら聞かないんだ、こいつ。引き止めても怪我人が増えるだけだろ」
手の平を返したような態度一変だった。
その口上に、シグドのあからさまに不機嫌な視線が振り返った。だが、クロノはちらりと目配せで応える。今は合わせろ、と沈黙が語っていた。
「そんなこと言ってもな、クロノ……。ここで逃がしたら、いつキャッチできるかわからないぞ。それに、他の巣の渡り鳥に摘まみ食いされるかもしれないしな」
「他組織に攻撃されても、そう簡単には捕まらないし、殺されない。あのセラが押されてたんだ。既成事実は十分だろ」
とはいえ、初めて見た彼女の劣勢が、最初で最後になるとは思っていなかったクロノだが。
懐のシガレットケースにかすかな重みを感じながら、少年は冷静に続ける。
「赤頭巾はどうやって黙らせてるんだ? もしナビィの紋章術か何かで鍵を封じてるなら、シグドに同じ手を使うのは止めた方がいい。多分、その前にナビィが殺される」
カリバーンにとって、ナビィが重要な人材であることは考えるまでもない。その証拠に、エイレンのみならず、ビビアンとナツメも微かに表情を変えたようだった。
「あいつは易々と倒される相手じゃないぞ」
「……余計危ないかな。術戦で屋敷が壊れたら困るし」
「木造建ての築ウン十年だからな! まあー、そうなったら、どうにもならない」
結社のリーダーが、どうにもならない、と宣言する。
グラールはもちろんのこと、リアフェールでも類を見ない出来事だ。
もう峠は越えたも同然だった。
「で、今さっき、何かあったら連絡を寄越すように取り付けた」
これ以上は望むべくもない、と。口にはしなかったが少年は断言する。
嘘だというのに言い切れる。恐ろしいほどのふてぶてしさだ。
シグドの横顔には、もはや気抜けした表情が垣間見えた。
クロノは掴んだ剣先を離す。
押しの一手とばかりに、真っ直ぐエイレンを見据えた。
カリバーンのリーダーは、やれやれと言いたげに紅の頭を振った。
「……クロノにここまで言わせるとは、デキるな、青年!」
エイレンは潔く頷く。
思い切ったら早いらしい。大剣が部屋の光取りを反射しながら、すっと収められた。
「今回は、だるまさんをやったまま振り返らないみたいに目を瞑るぞ。かくれんぼの鬼は、カウントしたまま捜さないぞ。だからクロノ。上手くやってくれ」
言い終わるや否や、話は済んだとばかりに扉を開けたシグド。
その後に続くように部屋を出るクロノが、当然、大見得を切ってかばい立てした見返りを求めているのを察したのだろうか。銀髪の揺れる背中が、ため息を漏らしたのが聞こえた。
――上手くやれ、か。
自信ないんだけどな、と。少年は血で貼り付いたブレザーを脱ぐ。気合を入れる意味もあってか、腕の止血にぎゅっと縛り付けた。
ズキズキと痛む頭をおさえながら、クロノは目をしばたく。
徐々にはっきりとしてきた視界に映るのは、格式高いホテルのワンルームを思わせる一室。
カリバーン本部の空き部屋だ。
辺りに目線を走らせれば、彼と同じように倒れている人間が三人。
ミントとシグドとミラノである。
三人とも無事だったことに安堵したクロノは小さく息を吐いた。
実際に対象になってわかったことだが、ほぼ間違いなくナビィの紋章術だ。先日ビビアンが見せた開錠ように合図によって発動させたのだろう。詳細まではわからないが、例の封印扉と同じ類の仕組みである可能性が一番高い。扉に鍵を掛けたり、反応を隠したり、遠くの場所へ移動出来たりと、全容や属性は不明だが、便利な能力だ。氷の紋章術とはレベルが違う。
と、小さく呻き声を漏らしてシグドが起き上がった。
「くっそ」
下手なタイミングで紋章術を使いやがって、と不機嫌を露わにぼやいた。
「シグド、大丈夫か?」
「クロノか。……ここはどこだ?」
「カリバーンの屋敷」
その言葉を聞いた途端、シグドは顔色を変え、苛立たしげに立ち上がった。
そして、足元に転がっていた重剣をしまい、ミラノを背負う。あまりの手際の良さにクロノが呆然と眺めている間にも、彼は当たり前のように部屋を出て行こうとする。
それに気付いたクロノは転がるようにドアへ駆け寄り、青年の行く手を阻んだ。
「邪魔すんな。俺たちは帰らせてもらう」
「聞きたいことがあるんだ」
噛み合っていない言葉。
互いに主張は譲る気はなく、睨み合う視線が交差した。
やがて、シグドは舌打ちをすると器用に片手でミラノを支えながら、もう片手をクロノに差し出した。
「ケータイを貸せ」
乱暴な物言いだったが、クロノは言われたものを素直に渡した。
受け取った彼は、慣れた手付きで何かを入力するように操作すると、しばらく画面を眺めていた。そして、ケータイを持ち主に投げ返す。
少年がケータイをキャッチしたのを確認してから再び口を開く。
「通話履歴の一番上が俺の番号だ。何か用があったら留守電に入れとけ」
あくまで電話に出るつもりはないようだ。
「アドレスは?」
「前と変わってねぇよ、思い出せ」
「覚えてるわけないだろ」
いちいちアドレスを覚えたりするかよ、とクロノは文句たれる。
「もう良いだろ。俺たちは帰りたいんだ」
「お前――」
クロノの言葉を遮るように、視界の奥に、新たに三人の人影が現れた。
エイレンとビビアンとナツメである。
クロノとシグドは同時にそちらへと視線を向けた。
彼らは洋室へと転移されるなり、幾分か緊張の糸を解いたのかもしれない。転送の紋章術にも慣れた様子だった。
「やられたわね……そろそろ二重生活も苦になってきた頃だったけれど」
「バレちゃったねー」
諦めたように栗色の髪をかき上げるビビアン。
その横で、ナツメが悪巧みを咎められた悪戯っ子みたいな調子で続く。
実際は、バレたとか悪戯で済まされる問題ではない。
グラールの上層部に、恐らくは反逆行為の一部始終を目撃されたのだ。あの男の平然たる様子からすると、気付いていながらも泳がせていた可能性も十分に考えられるが、いずれにしても、彼女らはグラールという居場所を一挙に失ったことになる。
来月から何で食べていこうかしら、とやたら現実味のある元通信部トップの呟き。
だが、ナツメは事態の深刻さを理解していないのか、あるいは理解した上でか、腹を抱えてきゃっきゃと笑い声を立てた。
「ビー、リーマンみたいだよー! 一緒にがんばろうよ」
「……お誘いは嬉しいけれど、子供を雇ってくれる職場なんてあるのかしら」
何とも頭の痛くなるやり取りだ。
かつての同僚と上司の死に様を拝んだ上に、腕の傷で貧血を起こしそうなクロノは、黙らせようという気力すらない。
そこへ、状況を更にかき回すべくエイレンが便乗した。
「それじゃあ、この際だ。オレと同棲してしまうか、ビビアン!」
「ええ、まぁ当分は、カリバーンの屋敷にお世話になるでしょうね」
「そうか! なんだか空振りフルスイングした気もするんだが、ビビアンは天然ナチュラルガールということでオレが許す。例え神様が許さなくても、オレが許すぞ!」
「あ、そうだ。レンレンはさー、リーダーなんだから何とかしてくれるよね」
「ナツメも同棲するか! 残念だが、オレにはロリコンの気はないんだぞ」
クロノは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
これでは絶対にシグドを引き止められない。多分、もう説得できる段階でもない。
死んだ魚のような目をして、無言で突っ立っているクロノ。
彼が察した通りだった。
シグドは完全なるノーリアクションで、かしましい三人からふいと視線を逸らした。そのまま何も見聞きしなかったかのように、クロノの背後にある扉を開こうとする。
と、エイレンがそれに気付いた。
「こら、どこへ行く青年! ここに呼んだがウン百年目。人魚姫を置いていけば、お前はお家に帰ってもいいぞ!」
言いながら、いきなり大剣を取り出す。
その辺にあった机やら椅子をふっ飛ばすなり、銀の後ろ髪へと矛先を向けた。
どう考えても出来ない相談だった。
その上、シグドは鍵が自分とミラノであることを断言したというのに、人魚姫は単身だ、という決定的な勘違いをしているらしいエイレン。
カリバーンのリーダーたる男に、クロノはますます濁った目をやった。
「クロノ。何度も言わせんじゃねぇよ。俺たちは帰る」
シグドは唯一話の通じそうな相手に言っているつもりなのだろうか。エイレンの言葉などまるで聞こえていないようだった。
しかし、どかないなら蹴倒すぞ、という言外の意に、クロノは頭を抱えたくなった。
「待ってくれ、シグド。この屋敷は外部に魔導反応が出ないんだ。不用意に外に出るより、ここにいた方が得策だろ」
「だからなんだ。どけって言ってんのが聞こえなかったのか」
「悪い。どけない。せめてその人が起きるまで待ってほしい」
「わかった。お前を黙らせれば問題ねぇな」
今にも実力行使に出ようというシグド。
それでも食い下がるクロノ。
帰ると言っても、どこに帰るつもりなのかとクロノは思う。
社長は生きているのだろうが、リアフェールは破壊されたも同然だ。半壊したあの本部に戻って、一体これから何をどうしようというのだろう。
一方、カリバーンの三人衆は、クロノが見せるいつにない必死さを、さも希少な珍獣を見るような顔で眺めていたが、ややあって、慌てた様子で口を挟んできた。
しかも、状況悪化しか望めないエイレンがだ。
「ちょっと待った! クロノ、お前はその青年といつ名前を呼び合う仲になった!? さあ、このオレに洗いざらい話してみろ!」
「は? いや、今更そんなこと――」
「……お前、今度は何でこんなうるせぇ結社に居座ってるんだよ」
「ええーと、それは……」
前後から経緯の説明を求められ、くしゃりと傷のない腕で金髪をかいたクロノ。
彼はしばらく停止した。
すると、何を勘違いしたのか、エイレンがその双眼をめらめらと燃やし始める。
「そうか。言えないような理由なのか。海より深く、空より果てない事情なんだな……! わかった。こうなったらオレが一肌も二肌も脱ぎまくって、お前の代わりに戦ってやるぞ」
――もうどうにもならない。
大剣を手に踏み込んできた朱色を、冷々たる眼差しで見やるシグド。彼がろくに構えもせずに、背後へ応戦しようとした時だ。
剣先がぴたりと止まった。
クロノが、その前に立ち塞がっていた。
シグドの背を庇い、完全にドアを放棄した状態。
だが、相変わらず捨て身の行動に出る少年の立場を案じたか、もしくは単に呆れたのか。後者なのかもしれなかったが、シグドはすぐに出て行こうとはしなかった。
クロノ? と世にも不思議な出来事を見たように、首を傾げるエイレン。
カリバーンに所属して間もないというのに、何故そこまで驚かれなくてはいけないのか。クロノは、仮にもリーダーの意に反しているのだが、これといった抵抗を覚えていなかった。
それどころか、切っ先を素手で握ると、無感情に言う。
「元上司だけで十分だろ。友だちにまで向けるのか」
だったら俺は戦う、とクロノは言い切った。
大剣が僅かに震えた。
元上司にか、友だちにか。少なくとも、エイレンが動揺を見せたのは確かなことだった。
クロノの思惑通りだ。
相手が反応を示すのがどちらであろうと、戦意を削げれば何でも構わなかったのだ。
「……諦めた。言い出したら聞かないんだ、こいつ。引き止めても怪我人が増えるだけだろ」
手の平を返したような態度一変だった。
その口上に、シグドのあからさまに不機嫌な視線が振り返った。だが、クロノはちらりと目配せで応える。今は合わせろ、と沈黙が語っていた。
「そんなこと言ってもな、クロノ……。ここで逃がしたら、いつキャッチできるかわからないぞ。それに、他の巣の渡り鳥に摘まみ食いされるかもしれないしな」
「他組織に攻撃されても、そう簡単には捕まらないし、殺されない。あのセラが押されてたんだ。既成事実は十分だろ」
とはいえ、初めて見た彼女の劣勢が、最初で最後になるとは思っていなかったクロノだが。
懐のシガレットケースにかすかな重みを感じながら、少年は冷静に続ける。
「赤頭巾はどうやって黙らせてるんだ? もしナビィの紋章術か何かで鍵を封じてるなら、シグドに同じ手を使うのは止めた方がいい。多分、その前にナビィが殺される」
カリバーンにとって、ナビィが重要な人材であることは考えるまでもない。その証拠に、エイレンのみならず、ビビアンとナツメも微かに表情を変えたようだった。
「あいつは易々と倒される相手じゃないぞ」
「……余計危ないかな。術戦で屋敷が壊れたら困るし」
「木造建ての築ウン十年だからな! まあー、そうなったら、どうにもならない」
結社のリーダーが、どうにもならない、と宣言する。
グラールはもちろんのこと、リアフェールでも類を見ない出来事だ。
もう峠は越えたも同然だった。
「で、今さっき、何かあったら連絡を寄越すように取り付けた」
これ以上は望むべくもない、と。口にはしなかったが少年は断言する。
嘘だというのに言い切れる。恐ろしいほどのふてぶてしさだ。
シグドの横顔には、もはや気抜けした表情が垣間見えた。
クロノは掴んだ剣先を離す。
押しの一手とばかりに、真っ直ぐエイレンを見据えた。
カリバーンのリーダーは、やれやれと言いたげに紅の頭を振った。
「……クロノにここまで言わせるとは、デキるな、青年!」
エイレンは潔く頷く。
思い切ったら早いらしい。大剣が部屋の光取りを反射しながら、すっと収められた。
「今回は、だるまさんをやったまま振り返らないみたいに目を瞑るぞ。かくれんぼの鬼は、カウントしたまま捜さないぞ。だからクロノ。上手くやってくれ」
言い終わるや否や、話は済んだとばかりに扉を開けたシグド。
その後に続くように部屋を出るクロノが、当然、大見得を切ってかばい立てした見返りを求めているのを察したのだろうか。銀髪の揺れる背中が、ため息を漏らしたのが聞こえた。
――上手くやれ、か。
自信ないんだけどな、と。少年は血で貼り付いたブレザーを脱ぐ。気合を入れる意味もあってか、腕の止血にぎゅっと縛り付けた。
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