Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

文字の大きさ
46 / 97
第1章

045

しおりを挟む
「どうして半日も放置されたんです? ご自分でも、傷の程度ぐらいおわかりになるでしょう」


 木造の洋館の一室。
 落ち着いたココアブラウンの本棚を横目に眺めながら、クロノは頬を覆う絆創膏に僅かにしわを寄せた。
 部屋の入り口では、ミントが痛々しげに彼を見つめている。

 ベッド脇に置かれた椅子から、丈の長い白衣を垂らし、少年の腕の傷に針を通していく男性。
 エイレンは、クロノの負傷を、単に自然治癒を待ったのでは危ないと見たらしい。どう言うパイプを用いたのか、一般の病院から医者を呼び込んだ。
 ミントから持ち越しにしていた話を聞き出そうとしたら、「医者です」といきなり登場して、これだ。とはいえ、やはり本職だけあって、少年が自分で施した見よう見真似の応急処置とは手際が違った。
 クロノが巻き付けていた包帯を、傷に障らないように迅速に取り去ると、まるでぬいぐるみの綿でも詰め直すように、手慣れた様子で糸を通していく。
 銀縁の眼鏡を通した漆瞳は、真剣そのものだった。
 チクチクと傷を縫い合わせながら、しかし口元のマスク越しに説教は続く。


「参りますね、これだから使い手さん方は。……先々代からの伝統とは言え、うちももう結社関係の非合法な患者さんは、お断りする体制を敷くべきでしょうか。それとも、今更お断りしたら病院を潰しに来られますか?」
「…………」
「当院は本来、派遣業務は行いません。治療をご希望でしたら、ちゃんと来院して頂いて、一般の患者さんと同じように診させて下さい。その方が設備も整っていますし衛生的でしょう」
「…………」
「大体、感染症にでもなったらどうされるおつもりですか。もちろん当院で治療の際は、他の患者さんの目には触れないように配慮致します。使い手さんも静かにしていて下されば、一般の方と変わりありませんから――」
「あの。治療しに来たんですよね」


 説教しに来たんじゃないだろ、と言いたげなクロノの眼差しに、男性は肩を揺らしてため息を零した。
 クロノは縫い合わされていく片腕から、黒い糸がピンと張られるのを見やる。痛みに慣れているからなのか、それとも少年の痛覚に異常でもあるのか、麻酔すらかかっていないと言うのに、その表情はさして動かない。
 何しろ、治療費と時間がもったいない、とクロノ自身が局所麻酔の推奨を一蹴したのだ。「副作用で酔っ払う場合もあるって聞いたし。余計なこと喋ったら困るから」との少年の結社関係者としての言い分に、男性が頭を抱えたのは言うまでもない。

 麻酔なしの縫合。
 ちょっとした裂傷であればあり得ない話でもなかったが、クロノの場合は、ナイフが刺さった表面と突き破られた裏面、つまり腕の表裏を何針にも渡って縫い合わせることになる。
 ミントは卒倒しそうに青褪めた顔をした。
 部屋から出るように言ったクロノだったが、何か思うところがあったのか、彼女は椅子に腰掛けて動かなかった。

 ところが、いざ治療を始めて痛みで騒がれては困ると彼を押さえ付ける役に、医者は派遣業務を押し付けてきた結社リーダーを抜擢したものの、いくら針を通そうが糸を張ろうが少年は眉をしかめるだけに止まっていた。何より、エイレンの方がその代役とばかりに騒ぎ立てるので、治療の邪魔でしかなかったようだ。
 さっさと退散してもらって現在に至る。


「人間は一度に大量に出血すると死んでしまうものなんですよ、普通はね。ご存知ですか」
「……知ってます。紋章術の使い手だって人間だし」
「嘘でしょう。現代医学を無視してるじゃありませんか、使い手さん方は」


 男性いわく、生来の紋章術の使い手は、元々自然治癒力が優れており、常人の三、四倍の早さで傷が完治してしまう場合もあるのだそうだ。古来から鍵と魔導器を巡って、魔法術や紋章術が用いられてきた所為なのだろうか。紋章術の使い手は、もはや戦うための人種と言っても過言ではないらしい。貴方方は遺伝子の事故です、と医者のレンズ越しの瞳が、宇宙人でも見るような目をクロノへと向けていた。

 問題発言も良いところだが、一理あるのかもしれなかった。
 グラールの人体実験のように人為的に植え付ける場合は別として、普通、紋章術の使い手は一般家庭からある日突然、誕生する。そのためか、自身の能力に気付く機会がなく、完全な一般人として一生を過ごす者もいると言われるくらいなのだ。
 隔世遺伝なのか、根拠のない奇跡なのか。
 遺伝子レベルで解析を行おう、と言う動きが医療界や研究学会の裏で見られるらしいが、未だ解明されていないと言うことは、結局、現代の科学でどうにかなる問題でもないのだろう。
 とはいえ、結社に圧力をかけられている可能性も、無きにしも非ずだ。


「差し支えなければお答え下さい。結社の皆さんにとって、薬剤や輸血はタブーですか」
「……別にタブーなんてないと思いますよ。他の結社は知らないですけど」
「宗派があるわけですか。では、忌み数字が並んだ日に、死んだ仲間の臓器を食するのは?」
「やったことないな」
「敵対結社の人間を捕まえては、バラして裏社会に売り飛ばすそうですが」
「…………」


 外部の人間が、結社に対してどういう偏見と知識を持っているのかがよくわかる。
 タブーとされるのは、普通の会社と同じように結社内の規律に背くことだし、そもそも宗派なんてものはない。

 無理もなかった。
 どこの結社も、妙な吹聴をされるだけのことはやらかしている。実際、この日、白昼のビル街で行われた術戦は、メディアに大きく取り上げられていた。
 焼け焦げた建物と、一般人の犠牲。
 最も被害を被ったと見られるリアフェール本部だが、大量の血痕だけが残されていたらしい。

 要するに、殉職者の遺体は、敵味方問わず回収済みだったという訳だ。グラールの仕事の早さに、クロノは毎度のごとく虫唾が走る思いだ。もはや結社間の抗争は、法が縛り切れる規模ではない。それどころか、近頃は術師結社と国政の癒着まで報じられる始末。

 壁沿いの椅子で膝を揃えているミントは、元一般人として複雑な気持ちなのだろう。ひどく思い詰めたような顔をしていた。
 伸ばされた黒糸が手早く結ばれて、ハサミで切られる。
 縫合が終わった途端、無造作な手先だ。クロノの腕にぐるぐると包帯が巻かれた。


「……使い手さんのお体でも、壊死が起きるのどうかは存じませんが。患部はくれぐれも清潔に保って下さい」


 包帯交換は二日に一度で結構です。
 早口に言い切ると、医者はカバンへ医療用具をしまい込む。
 ナイフが腕の裏側まで貫通した上に、無理やり引っこ抜いたのに、傷口を縫っただけで大丈夫なのかと、いやに他人事のように傷を見やるクロノだが、医者は紋章術の使い手とは先先代からの腐れ縁だそうだ。本人もさして意識したことのなかった使い手の治癒力を知っている辺り、恐らく、彼の治療は信用しても問題ないのだろう。
 だが、さっさと立ち上がった白衣に、クロノは声をかけた。


「生来の使い手と、人工の使い手がいるのを知ってますか」


 白衣の後ろで、ミントが不意に顔を上げるのが見えた。
 どうしてそんなことをこの人に聞くのか、と言いたげに、視線が訴えている。
 クロノの問いに、やはり男性は特に感慨もなさげに、眼鏡のブリッジを押し上げた。


「それを私に聞かれましても」
「じゃあ、ある結社で、七つの鍵を作るための人体実験が行なわれているのは知ってますか」
「……興味深いお話ですが。私はこの通り、ただの医者ですので。そちらの世界に関しては存じ上げません」


 愛想笑いのような声音だった。
 しかし、クロノは医療用具のしまわれたバッグへと、つと目を落とした。


「ただの医者が、そんなの持ち帰ってどうするんですか?」


 無言で、ぱちぱち目をしばたかせるミント。
 それは傍からしてみれば、不思議な詰問だっただろう。
 医者が医療用具を持ち帰ってどうするんだ、と聞いているように見えるのだから。
 しかし、男性は滑らかに繰り出していた丁寧口調を、ぴたりと止めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白き魔女と黄金の林檎

みみぞう
ファンタジー
【カクヨム・エブリスタで特集していただきました。カクヨムで先行完結】 https://kakuyomu.jp/works/16816927860645480806 「”火の魔女”を一週間以内に駆逐せよ」 それが審問官見習いアルヴィンに下された、最初の使命だった。 人の世に災いをもたらす魔女と、駆逐する使命を帯びた審問官。 連続殺焼事件を解決できなきれば、破門である。 先輩審問官達が、半年かかって解決できなかった事件を、果たして駆け出しの彼が解決できるのか―― 悪しき魔女との戦いの中で、彼はやがて教会に蠢く闇と対峙する……! 不死をめぐる、ダークファンタジー! ※カクヨム・エブリスタ・なろうにも投稿しております。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。  そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。  【魔物】を倒すと魔石を落とす。  魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。  世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。

処理中です...