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第1章
052
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青年は、思い出したように表情を引き締め、円卓を見回しながら語を続けた。
「とりあえず、グラールがすぐに動けないというのは、信頼しても大丈夫そうだな。 だが、ビビアンとナツメが潜入できなくなったから、これからはグラールの動向もわからなくなるし、他の結社の情報を仕入れるのも一苦労だぞ」
「ええ。それに、クロノくんが言った通り、ガエブルグと『白雪姫』の影響で、一度動き出したら、グラールも今まで以上に厄介な行動に出るかもしれないものね」
「これ以上、大変な組織になるんでしょうか……」
今でも十分厄介です、と言いたげなミントの重たい呟きに、満場一致でメンバーが頷いた。
「聖槍もさー。大人しい結社だったのにね。少しやりすぎだよ」
「だが、ガエブルグの動向がおかしくなったのは、一昨日昨日今日の話じゃないはずだぞ。 あいつらは、グラールの人体実験に関わり始めたときから、レールを踏み外してるからな」
ミントの白い顔が、弾かれたようにエイレンへと向けられた。
クロノもまたそれに続く。
「ん? 二人とも。あのヤブ医者から聞いてなかったのか?」
「ヤブ医者?」
おうむ返しに低い声で呟くクロノ。たじたじと視線をさ迷わすミント。 示し合わせたかのごとく腕の包帯を同時に見やる二人だが、エイレンは独りでお構いなしだ。
訳知り顔で語り始めた。
「クロノ。グラールのような海よりどでかい組織が、どうして鍵とか紋章術の使い手を作りたがるのか知っているか?」
クロノはエイレンの問い掛けに、ミントを匿ったあのときに考えたことを再び思い起こした。
グラールが人体実験を行なっている理由として、彼が思い付いた動機は二つだ。
一つは、グラールが実験によって強制的に生み出した使い手を、自分達の戦力に加えようとしている説。 もう一つは、グラールと実験施設にそれぞれ派閥が存在し、実験施設側が独自に使い手を生み出してグラールに対抗し得る即戦力にしようとしている説。
前者は、可能性としては低いと見ていた。
グラールほどの規模の大きな結社なら、黙っていても、紋章術の使い手がいくらでも志願してくるのだ。 自給自足なんかするまでもない。
そして、後者もまた信憑性に薄い一説だ。
人体実験自体が、組織内で反逆を起こすための手段ならば、それをグラールが放任しているのがまずおかしい。 グラールはミントという失敗作の存在を知っていた。これでは、結社が離反組の企みを知っていながら黙認しているのと同じことだ。
わざわざリスクを伴ってまで使い手を、もしくは鍵を増やそうすること。 それは言わば、黙っていては紋章術の使い手が志願しに来ない類の、弱小組織が行う悪あがきに等しい。
もちろん、七つの鍵と紋章術の研究という目的もあるのかもしれない。だが、 それにしても、一般人を巻き込んだ人体実験―― グラールが手を染める事業にしては、あまり彼等自身にメリットがないのではないかと思うのだ。
何故、鍵を模造するのか。
何のために、紋章術の使い手を生み出すのか。
クロノは、ミントやガンズのような悲劇しか生んでいないその実験に、グラールが傾倒している理由がいまだにわからない。
エイレンを見つめる少年少女の眼差し。
彼はクロノの沈黙を、質問への否定ととったようだ。
大きく頷くと、任せろと言わんばかりに言い切った。
「ズバリ言うぞ! グラールは作った使い手や失敗作を、他の結社に割引セールしているんだぞ!」
メンバーが無言になった。
しんと静まった会議室で、ナツメだけが椅子から浮いた両足を忙しなく動かしている。
クロノはやはり腕の包帯を見た。
あのヤブ医者とかいうのに、洗いざらい吐かせるべきだったんじゃないだろうか。相手は一般人だった。ついでに言えば、ここに来るにしては常識人だった。 命の危険さえほのめかせば、もっと実験施設の内部について聞き出せたかもしれない。
――今度、抜糸に来たらやってみるかな。
澄ました顔でとんでもない思考を巡らせているクロノ。
その近くで、ミントが彼の代わりとばかりに問いかける。
「どういうことですか? 他の結社って……敵ですよね?」
「もちろんだぞ。敵に失敗作を売りつけて、甘ったるい蜜を吸いまくっているからな。代わりにへそくりでももらっているのか、結社のプライベート情報を教えてもらっているのか知らないが! オレはグラールがあそこまで偉くなった裏には、この意地汚いシステムがあるんだと睨んでるんだぞ」
もちろんそれだけで発展を遂げたわけではないのだろうが。
あのグラールだ。
ただで使い手を提供しているわけでもなさそうだ。
「それで、ガエブルグも内緒の取引相手のひとつだ! だから、あいつらには、ロンドン橋を叩いて落とすくらいな慎重さで対さないと、危ないというわけだぞ!」
クロノはエイレンの言い分に、ここに来て初めて興味を示した。
つまり、聖杯と聖槍の間には、使い手や失敗作を提供する側、提供される側という一種の取引関係があるということらしい。
エイレンの話が事実という確証はないし、情報源が何であるかを知らない以上は、頭から信用するわけにもいかないが、長年続けられているグラールの人体実験だ。 数多の失敗作のやり場には、紋章術の使い手という即戦力に飢えた他組織に流してしまうのが、一番都合のいい手段なのかもしれない。 ついでに、仮初であっても紋章術の使い手を提供する見返りに、結社内部の情報を要求することもできなくはないはずだ。
人体実験を行なう根本的な動機としては弱いが、一因ではあるのかもしれない。 今更ながら、グラールが実験の被験者をモルモットかマウスぐらいにしか思っていないことがわかる。
三大結社ともあろう組織が、裏で癒着している可能性が出てきた。
――ややこしい話になってきたな……。
クロノは円卓に置かれた聖槍のエンブレムを、恨めしげに見やる。
女性陣もまた、エイレンの話に耳を傾けていた。
「正直に言って、あまり真正面から戦いたい相手ではないわね」
「鍵殺しちゃったもんねー」
暗鬱な顔でうつむくミント。
エイレンは円卓の席をぐるりと眺め回して、声高に言った。
「とりあえず、こっちから仕掛けるには情報が足らなすぎて不安だぞ。後手に回ることになりそうなんだが、下手に動けないから、まあ仕方ない! ガエブルグの動向がわかり次第、我がカリバーンもディフェンスなりオフェンスなり対応することにするぞ!」
話しながら、彼は裾のボタンをカチリとねじると、口元に寄せる。
「聞いてたな、ナビィ? お前は『白雪姫』の毒りんご殺害が、『赤頭巾』に変な気を起こさせてないかとか、突然変異を起こさせてないかとか、今後ももろもろの監視を任せるぞ」
『……まだ続けるのかい? この仕事。僕は陰性植物でも観察していた方が、ずっと楽しいよ』
ボタンから、いかにも自宅警備員らしい返答が響いた。
メンバーが苦笑いを浮かべる。
気を取り直すようにわざとらしい咳払いを漏らし、リーダーが声を張った。
「ガエブルグが妙な動きをくねくね見せたら、こっちも動くぞ。奴らのご乱心は見過ごす訳にはいかないからな。名付けて、後出しジャンケン作戦だ!」
作戦名はどうでもいいとして、一同がエイレンの一言に頷いたようだった。
空席だらけの円卓会議室に、カリバーンはまとめ上げられた。
そんな中、ただ独り、ミントだけが思い悩む表情を浮かべていた。
クロノは視界の端で彼女を捉えながらも、詮索をしない。
何食わぬ顔で、彼は席を立った。
「とりあえず、グラールがすぐに動けないというのは、信頼しても大丈夫そうだな。 だが、ビビアンとナツメが潜入できなくなったから、これからはグラールの動向もわからなくなるし、他の結社の情報を仕入れるのも一苦労だぞ」
「ええ。それに、クロノくんが言った通り、ガエブルグと『白雪姫』の影響で、一度動き出したら、グラールも今まで以上に厄介な行動に出るかもしれないものね」
「これ以上、大変な組織になるんでしょうか……」
今でも十分厄介です、と言いたげなミントの重たい呟きに、満場一致でメンバーが頷いた。
「聖槍もさー。大人しい結社だったのにね。少しやりすぎだよ」
「だが、ガエブルグの動向がおかしくなったのは、一昨日昨日今日の話じゃないはずだぞ。 あいつらは、グラールの人体実験に関わり始めたときから、レールを踏み外してるからな」
ミントの白い顔が、弾かれたようにエイレンへと向けられた。
クロノもまたそれに続く。
「ん? 二人とも。あのヤブ医者から聞いてなかったのか?」
「ヤブ医者?」
おうむ返しに低い声で呟くクロノ。たじたじと視線をさ迷わすミント。 示し合わせたかのごとく腕の包帯を同時に見やる二人だが、エイレンは独りでお構いなしだ。
訳知り顔で語り始めた。
「クロノ。グラールのような海よりどでかい組織が、どうして鍵とか紋章術の使い手を作りたがるのか知っているか?」
クロノはエイレンの問い掛けに、ミントを匿ったあのときに考えたことを再び思い起こした。
グラールが人体実験を行なっている理由として、彼が思い付いた動機は二つだ。
一つは、グラールが実験によって強制的に生み出した使い手を、自分達の戦力に加えようとしている説。 もう一つは、グラールと実験施設にそれぞれ派閥が存在し、実験施設側が独自に使い手を生み出してグラールに対抗し得る即戦力にしようとしている説。
前者は、可能性としては低いと見ていた。
グラールほどの規模の大きな結社なら、黙っていても、紋章術の使い手がいくらでも志願してくるのだ。 自給自足なんかするまでもない。
そして、後者もまた信憑性に薄い一説だ。
人体実験自体が、組織内で反逆を起こすための手段ならば、それをグラールが放任しているのがまずおかしい。 グラールはミントという失敗作の存在を知っていた。これでは、結社が離反組の企みを知っていながら黙認しているのと同じことだ。
わざわざリスクを伴ってまで使い手を、もしくは鍵を増やそうすること。 それは言わば、黙っていては紋章術の使い手が志願しに来ない類の、弱小組織が行う悪あがきに等しい。
もちろん、七つの鍵と紋章術の研究という目的もあるのかもしれない。だが、 それにしても、一般人を巻き込んだ人体実験―― グラールが手を染める事業にしては、あまり彼等自身にメリットがないのではないかと思うのだ。
何故、鍵を模造するのか。
何のために、紋章術の使い手を生み出すのか。
クロノは、ミントやガンズのような悲劇しか生んでいないその実験に、グラールが傾倒している理由がいまだにわからない。
エイレンを見つめる少年少女の眼差し。
彼はクロノの沈黙を、質問への否定ととったようだ。
大きく頷くと、任せろと言わんばかりに言い切った。
「ズバリ言うぞ! グラールは作った使い手や失敗作を、他の結社に割引セールしているんだぞ!」
メンバーが無言になった。
しんと静まった会議室で、ナツメだけが椅子から浮いた両足を忙しなく動かしている。
クロノはやはり腕の包帯を見た。
あのヤブ医者とかいうのに、洗いざらい吐かせるべきだったんじゃないだろうか。相手は一般人だった。ついでに言えば、ここに来るにしては常識人だった。 命の危険さえほのめかせば、もっと実験施設の内部について聞き出せたかもしれない。
――今度、抜糸に来たらやってみるかな。
澄ました顔でとんでもない思考を巡らせているクロノ。
その近くで、ミントが彼の代わりとばかりに問いかける。
「どういうことですか? 他の結社って……敵ですよね?」
「もちろんだぞ。敵に失敗作を売りつけて、甘ったるい蜜を吸いまくっているからな。代わりにへそくりでももらっているのか、結社のプライベート情報を教えてもらっているのか知らないが! オレはグラールがあそこまで偉くなった裏には、この意地汚いシステムがあるんだと睨んでるんだぞ」
もちろんそれだけで発展を遂げたわけではないのだろうが。
あのグラールだ。
ただで使い手を提供しているわけでもなさそうだ。
「それで、ガエブルグも内緒の取引相手のひとつだ! だから、あいつらには、ロンドン橋を叩いて落とすくらいな慎重さで対さないと、危ないというわけだぞ!」
クロノはエイレンの言い分に、ここに来て初めて興味を示した。
つまり、聖杯と聖槍の間には、使い手や失敗作を提供する側、提供される側という一種の取引関係があるということらしい。
エイレンの話が事実という確証はないし、情報源が何であるかを知らない以上は、頭から信用するわけにもいかないが、長年続けられているグラールの人体実験だ。 数多の失敗作のやり場には、紋章術の使い手という即戦力に飢えた他組織に流してしまうのが、一番都合のいい手段なのかもしれない。 ついでに、仮初であっても紋章術の使い手を提供する見返りに、結社内部の情報を要求することもできなくはないはずだ。
人体実験を行なう根本的な動機としては弱いが、一因ではあるのかもしれない。 今更ながら、グラールが実験の被験者をモルモットかマウスぐらいにしか思っていないことがわかる。
三大結社ともあろう組織が、裏で癒着している可能性が出てきた。
――ややこしい話になってきたな……。
クロノは円卓に置かれた聖槍のエンブレムを、恨めしげに見やる。
女性陣もまた、エイレンの話に耳を傾けていた。
「正直に言って、あまり真正面から戦いたい相手ではないわね」
「鍵殺しちゃったもんねー」
暗鬱な顔でうつむくミント。
エイレンは円卓の席をぐるりと眺め回して、声高に言った。
「とりあえず、こっちから仕掛けるには情報が足らなすぎて不安だぞ。後手に回ることになりそうなんだが、下手に動けないから、まあ仕方ない! ガエブルグの動向がわかり次第、我がカリバーンもディフェンスなりオフェンスなり対応することにするぞ!」
話しながら、彼は裾のボタンをカチリとねじると、口元に寄せる。
「聞いてたな、ナビィ? お前は『白雪姫』の毒りんご殺害が、『赤頭巾』に変な気を起こさせてないかとか、突然変異を起こさせてないかとか、今後ももろもろの監視を任せるぞ」
『……まだ続けるのかい? この仕事。僕は陰性植物でも観察していた方が、ずっと楽しいよ』
ボタンから、いかにも自宅警備員らしい返答が響いた。
メンバーが苦笑いを浮かべる。
気を取り直すようにわざとらしい咳払いを漏らし、リーダーが声を張った。
「ガエブルグが妙な動きをくねくね見せたら、こっちも動くぞ。奴らのご乱心は見過ごす訳にはいかないからな。名付けて、後出しジャンケン作戦だ!」
作戦名はどうでもいいとして、一同がエイレンの一言に頷いたようだった。
空席だらけの円卓会議室に、カリバーンはまとめ上げられた。
そんな中、ただ独り、ミントだけが思い悩む表情を浮かべていた。
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