Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第1章

055

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「私もレンレンもビーも、もちろんクロノ君にだって目的がある。……けど、ミントちゃんは違う。紋章術も『至高の存在』も知らない立場の人間なんだよ」


 その考えは何度も浮かんでいた。
 争奪戦に巻き込まれた元一般人。
 今でこそ使い手としてそこそこ知識も実力も付けつつあるし、自らの意思でこちら側にいることを選んだ彼女ではあるが、根本は変わらない。


「だから、クロノ君。ミントちゃんを守ってあげてね」


 それはとても落ち着いた物言いだった。
 にこりとナツメが浮かべた笑みは、年相応に大人びておりその容姿から浮いていた。

 返事を失ったクロノは思わず、くしゃりと髪を掻いた。
 取引内容が理解出来た後ですら、今ひとつ、ナツメが取引を利用して少女の安全保障を持ち掛けてきた理由が見えてこない。だが、話さないと言うことは深く言えない事情でもあるのだろうとクロノは考える。
 旧友に持ち掛けた取引と言うのも何となく察せた。

「まあ、基本的にはカリバーンの方針に従うつもりだよ。カリバーンは『鍵の保護』を優先して考えてるし、それに、レンレンの性格を考えれば過激なことはしないはずだもん」


 しかし、今のところナツメの行動基準も『鍵の保護』と言うことは、『至高の存在』を壊せなかった場合の万一の手段として、鍵の破壊を考えていたクロノとは真っ向から対峙することにもなりかねないのだが。
 能天気なようで、何かと情報に聡いナツメだ。
 クロノの思惑を把握していないとも考え難い。
 そもそも、彼はミントに自分たちの目的を打ち明けてしまったのだ。二人に関係性があるのならば、彼女を通じて、ナツメがリアフェールの組織方針を知っている可能性も高いだろう。


 ――そのために聞き出したのか?


 クロノは横目に、ミントの俯き顔を見やった。
 考えてみれば、いくら約束だったとはいえ、『赤頭巾』に痛手を負わされた後、怪我もそのままに情報開示を求められたのは、不自然じゃなかっただろうか。あの時は、彼女の必死さに折れる形になってしまったわけだが、性急さを感じなかったといえば嘘になる。
 クロノの寡黙な眼差しを受けて、何を思ったのだろう。
 少し気まずそうに、小さく肩を縮めた少女。


「ごめんなさい。わたし、そんなつもりはなかったんです」
「え? ああ。別に気にすることないだろ」


 否定はしないが、肯定もしない。
 それどころか彼のまっさらな表情は、今更どうでも良い、と言いたげだった。
 相変わらず温もりの足りないクロノの対応に、ナツメが横から茶々を入れる。


「そうだよ。ミントちゃんが謝ることないって。クロノ君の読みが甘かったのがいけないんだしさー」


 幼げな面差しに、にまにまと薄笑いを浮かべたナツメだが、クロノは、やはりまともに取り合うつもりがないようだった。
 曖昧に頷いて、ステンドグラスの光を受ける大木を見上げた。


「で、そっちはどうなんだ」


 唐突な一言だった。
 クロノの視線は彼女たちと合わせない。
 だが、言葉だけはナツメに向けられていた。
 荒れ果てた教会に差し込む、柔らかい極彩色。
 幻のような色彩と静けさの中で、彼は感慨もなさげに、ただ問い掛けた。


「何があっても、最後まで味方でいられるんですか」


 改めて言うまでもないが、ずいぶんと無根拠で皮肉な言葉だ。
 クロノのような、本来なら他人に依存することを嫌う人間に限らず、術師結社や鍵の争奪戦に関わった以上は、誰もが認めざるを得ない。
 この世界では、味方や敵なんて概念自体が曖昧なのだ。
 昨日の敵は今日の友。昨日の友は今日の敵。
 感情や私情さえ排除すれば、利害の一致次第で、いくらでも仇同士が手を組める。味方同士が、手を切れる。欺き合うも殺し合うも、目的の内だ。

 間違ってなどいない。
 それが術師結社の、紋章術の使い手のあるべき姿なのだから。
 とは言え、頭でわかっていても、普通の人間は依存をなしには生きられないのだが。
 人の性といえばそれまでかもしれない。

 だから、クロノが彼女に向けたのは問い掛けではなかった。
 ひどく意味のない確認をされたことに対する、小さな報復。
 ナツメは少年の意中を察したのだろう。
 どこか困ったように、それでも花のように笑った。


「それはクロノ君次第だよ。ね? ミントちゃん」


 突然向けられた言葉に、ミントは押し黙ったままだ。
 少年への信頼によるものだろうか。
 その真意は彼女にしかわからないことだ。


「……卑怯だな、その言い方」


 たいして腹を立てたでもなさそうだったが、独り言のように呟いたクロノ。
 ミントもナツメも、口を閉ざしたまま沈黙を保つ。


 それからしばらくもしないうちに、ナツメはエイレンとの約束があるからと、一足先に帰った。残されたクロノとミントは、示し合わせたように顔を見合わせる。

 クロノもミントも、何も言わない。
 もう用事は済んだはずだろう。
 取引、ミントとナツメの繋がり、鍵の役割。主導権を握っていたナツメ不在の今、これ以上この場で何を話せと言うのだろうか。


「俺たちも帰ろう」


 いつもと同じ口調でクロノが声を掛けた。
 ぎゅっと手を握りしめるミントからの返事はない。
 けれど、気にした様子もなく踵を返そうとしたクロノは。
 ふと、ステンドグラスを見上げた。

 淡い色彩を持つ柔らかな光、静かに佇む樹木。
 まるでここだけ切り取られたみたいな無音の世界。


「何で、ここだったんだろうな」


 返事を求めていない、クロノの独り言。

 屋敷を出る際にナビィを含むカリバーンとの連絡手段は全て通信不能にしている。後をつけられない限り盗み聞ぎされる心配はないし、そもそもエイレンはともかく一般人であるビビアンに、ナツメとクロノの二人に気付かれないように尾行など出来るはずがない。だから、内緒の話し合いを、この寂れた教会跡で行う理由が、クロノにはよくわからなかった。ナツメのことだから何も考えていない可能性は否定出来ないのだけれど。

 結局、ナツメはこの場所について何も触れなかった。
 言い換えれば、触れる必要がない、と言うことなのだろう。


「…………」


 躊躇いがちなため息が聞こえた。
 風の音も騒音もしないこの場所では、相手の呼吸も手に取るようにわかる。
 何かを言おうとして止めた、そんな息遣いだ。


「どうした?」


 何かあったかと視線と共に問いかけるクロノ。
 目が合った少女は、どこか困った様子で言葉を探している。

 どうするべきか逡巡したクロノだったが。
 少女がポケットから何かを取り出す方が早かった。
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