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第1章
056
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「クロノさん、これ」
それは、紋様の刻まれたエンブレムだった。
槍と十字架。
それは、先程ビビアンが見せた聖槍ガエブルグのエンブレムと似ている。
少年の沈黙を催促と捉えたのだろうか、彼女は再び口を開く。
「姉が遺してくれた形見なんです」
告げられた言葉に少年の表情が曇った。
だが、意に介した様子もなくミントは言葉を続ける。
「これを見てナツメさんがこっちの世界について教えてくれました」
エンブレムのこと、結社のこと。
彼らが繰り広げる争奪戦のこと。
そして、それぞれに思惑を持つ使い手のこと。
こちら側にいる人間ならば当たり前でも、少女にとっては初めて知ることで。
童顔術師の語る言葉は、彼女にはどう聞こえたのだろうか。
あの時の表情から少女の心境を汲み取るのは、そう難しくない。
そして同時にクロノは理解した。ナツメはその形見が何であるか知っていること、そして、そのエンブレムがナツメとミントを繋いだきっかけでもあることを。
「その時、最後にナツメさんが言っていたんです」
「うん?」
「何となくここにいるなら手を引くべきだって、わたしの居場所はここにはないって」
「……」
「けど、何をするかはわたしの自由だって、やりたいことをすればいいよって」
ミントの言いたいことが理解出来なかった。
何と答えたら良いのかわからず、クロノは無言で続きを促す。
困ったように微笑みながらミントは言葉を重ねる。
「わたし、わからないんです。自分の目的も、――やりたいことも」
そして少女はしょんぼりとうなだれた。
その様子を見つめるクロノは、なるほどなと胸中で呟く。
争奪戦に参加する使い手の覚悟が生半可じゃないのは、大なり小なり叶えたい目的があるからだ。だからこそ、どんな手段に訴えることも出来るし、命を懸けることも厭わない。逆に言えば、何を犠牲にしてでも叶えたい願いのために戦っていると言うことだ。
だからこそナツメは手を引くべきだと言ったのだろう。
本来ならばそうするべきだ。中途半端な覚悟で生き残れる程争奪戦は甘くない。
「…………君は、この争奪戦で何かしたいことがあるから、ここにいるんじゃないのか?」
おもむろにクロノが口を開くと、つられるようにミントが顔を上げた。
ミントは模索している、――自身の目的を。
自らの意思で争奪戦に参加すると決めたからと言ってすぐにどうなるわけでもないし、クロノ自身、彼女の今後の方針まで考えてやる義理はない。
だからこれは、使い手の先輩としてのアドバイスだった。
「目的は、所属した結社が与えてくれる。だから、必要なのは何をしたいかで、今、君が考えるべきなのは何のために戦うのかだ」
「何のために戦うのか、ですか……?」
「要するに命を懸ける理由だな」
ミントが言葉を失ったのが伝わってきた。
戦う意味を、イコール人を殺す理由だと言わなかったのはクロノなりの配慮だった。
それでも、命の奪い合いとは縁遠かった少女には重い言葉だったようで。
目を見開いて固まっている少女は呆然としているようにも見えた。
構わずクロノは続ける。
「争奪戦は命の奪い合いだ。いざと言う時に命を犠牲に出来る覚悟も、必要な時に躊躇いなく命を奪える覚悟もなければ、この世界じゃ生き残れない。……ナツメが思惑だと言ったそれを持たないやつは半端者でしかない」
「…………」
「だから俺たちは使い手で、君は元一般人なんだ」
絶句していた少女は、ややあって、考え込むように目を伏せた。
つと落とされた木苺色の目線。
当然の反応だろうとクロノは思う。
わざわざナツメがオブラートに包んだ言葉を、剥き出しにして突きつけたのだ。
争奪戦に参加するのは何のためか。
紋章術を振るう大義は何なのか。
それがなければ、この世界で戦う意味も資格もない。
とはいえ、必ずしも目的は必要ではない。ただ何となく争奪戦に参加している使い手だって探せばいるだろうし、目的を忘れて戦いに身を投じる頭の狂った使い手もいるほどだ。意志の強さがそのまま戦闘力に反映されるわけではないが、少なくとも原動力になっているのは事実だ。目に見える強さではないので精神的な話かもしれないが。
何を支えにこの世界にいるのか。
きっとそれが、使い手たちの戦う理由だろう。
「……まあ、今すぐに決めなきゃいけないことじゃないし、それを見つけるために争奪戦に参加するのだって立派な理由になるだろ」
肩を竦めたクロノは、ため息混じりに言った。
真剣に考え込み始めたミントに対して釘を刺す意味もあった。要は「屋敷に帰ろう」と言外に催促しただけなのだが。
それは、意外にも少女の考えの後押しになったようで。
「クロノさん」
ミントが顔を上げる。
少年を見つめる赤紫色はとても真っ直ぐだった。
どうやら、少女なりの答えを見つけたらしい。
「わたし、もう大切な人に傷付いてほしくないんです。そのために何が出来るのかはわからないですけど、ここにいればそれが見つけられると思うんです」
「…………」
「だから、クロノさんの目的を、わたしにも手伝わせてください」
今度はクロノが言葉を失う番だった。
ミントが言葉を選んだことは汲み取れた。それが、少年を説得するのに一番適切な言葉だと思ったのだろう。
そこまでしてクロノと共にいることに意味があるとは思えない。
全ての結社、ひいては全使い手と相容れない目的だ。
敵が多いことは告げている。けれど、その上でミントがこの決断をしたのならば。
それこそ、少年には口を挟む理由はない。
毒気を抜かれたクロノは、呆れた様子で苦笑いを浮かべる。
「良いんじゃないかな」
何をするかは君の自由だし。
いけしゃあしゃあと返したのは、突き放すような無責任な言葉だった。
けれど、その返事に満足したのか、ミントは微笑を浮かべた。
クロノは改めてステンドグラスを見上げる。
教会の静けさと、埃を照らす暖かな日差しだけが、彼らの沈黙をぼんやりと包んでいた。
それは、紋様の刻まれたエンブレムだった。
槍と十字架。
それは、先程ビビアンが見せた聖槍ガエブルグのエンブレムと似ている。
少年の沈黙を催促と捉えたのだろうか、彼女は再び口を開く。
「姉が遺してくれた形見なんです」
告げられた言葉に少年の表情が曇った。
だが、意に介した様子もなくミントは言葉を続ける。
「これを見てナツメさんがこっちの世界について教えてくれました」
エンブレムのこと、結社のこと。
彼らが繰り広げる争奪戦のこと。
そして、それぞれに思惑を持つ使い手のこと。
こちら側にいる人間ならば当たり前でも、少女にとっては初めて知ることで。
童顔術師の語る言葉は、彼女にはどう聞こえたのだろうか。
あの時の表情から少女の心境を汲み取るのは、そう難しくない。
そして同時にクロノは理解した。ナツメはその形見が何であるか知っていること、そして、そのエンブレムがナツメとミントを繋いだきっかけでもあることを。
「その時、最後にナツメさんが言っていたんです」
「うん?」
「何となくここにいるなら手を引くべきだって、わたしの居場所はここにはないって」
「……」
「けど、何をするかはわたしの自由だって、やりたいことをすればいいよって」
ミントの言いたいことが理解出来なかった。
何と答えたら良いのかわからず、クロノは無言で続きを促す。
困ったように微笑みながらミントは言葉を重ねる。
「わたし、わからないんです。自分の目的も、――やりたいことも」
そして少女はしょんぼりとうなだれた。
その様子を見つめるクロノは、なるほどなと胸中で呟く。
争奪戦に参加する使い手の覚悟が生半可じゃないのは、大なり小なり叶えたい目的があるからだ。だからこそ、どんな手段に訴えることも出来るし、命を懸けることも厭わない。逆に言えば、何を犠牲にしてでも叶えたい願いのために戦っていると言うことだ。
だからこそナツメは手を引くべきだと言ったのだろう。
本来ならばそうするべきだ。中途半端な覚悟で生き残れる程争奪戦は甘くない。
「…………君は、この争奪戦で何かしたいことがあるから、ここにいるんじゃないのか?」
おもむろにクロノが口を開くと、つられるようにミントが顔を上げた。
ミントは模索している、――自身の目的を。
自らの意思で争奪戦に参加すると決めたからと言ってすぐにどうなるわけでもないし、クロノ自身、彼女の今後の方針まで考えてやる義理はない。
だからこれは、使い手の先輩としてのアドバイスだった。
「目的は、所属した結社が与えてくれる。だから、必要なのは何をしたいかで、今、君が考えるべきなのは何のために戦うのかだ」
「何のために戦うのか、ですか……?」
「要するに命を懸ける理由だな」
ミントが言葉を失ったのが伝わってきた。
戦う意味を、イコール人を殺す理由だと言わなかったのはクロノなりの配慮だった。
それでも、命の奪い合いとは縁遠かった少女には重い言葉だったようで。
目を見開いて固まっている少女は呆然としているようにも見えた。
構わずクロノは続ける。
「争奪戦は命の奪い合いだ。いざと言う時に命を犠牲に出来る覚悟も、必要な時に躊躇いなく命を奪える覚悟もなければ、この世界じゃ生き残れない。……ナツメが思惑だと言ったそれを持たないやつは半端者でしかない」
「…………」
「だから俺たちは使い手で、君は元一般人なんだ」
絶句していた少女は、ややあって、考え込むように目を伏せた。
つと落とされた木苺色の目線。
当然の反応だろうとクロノは思う。
わざわざナツメがオブラートに包んだ言葉を、剥き出しにして突きつけたのだ。
争奪戦に参加するのは何のためか。
紋章術を振るう大義は何なのか。
それがなければ、この世界で戦う意味も資格もない。
とはいえ、必ずしも目的は必要ではない。ただ何となく争奪戦に参加している使い手だって探せばいるだろうし、目的を忘れて戦いに身を投じる頭の狂った使い手もいるほどだ。意志の強さがそのまま戦闘力に反映されるわけではないが、少なくとも原動力になっているのは事実だ。目に見える強さではないので精神的な話かもしれないが。
何を支えにこの世界にいるのか。
きっとそれが、使い手たちの戦う理由だろう。
「……まあ、今すぐに決めなきゃいけないことじゃないし、それを見つけるために争奪戦に参加するのだって立派な理由になるだろ」
肩を竦めたクロノは、ため息混じりに言った。
真剣に考え込み始めたミントに対して釘を刺す意味もあった。要は「屋敷に帰ろう」と言外に催促しただけなのだが。
それは、意外にも少女の考えの後押しになったようで。
「クロノさん」
ミントが顔を上げる。
少年を見つめる赤紫色はとても真っ直ぐだった。
どうやら、少女なりの答えを見つけたらしい。
「わたし、もう大切な人に傷付いてほしくないんです。そのために何が出来るのかはわからないですけど、ここにいればそれが見つけられると思うんです」
「…………」
「だから、クロノさんの目的を、わたしにも手伝わせてください」
今度はクロノが言葉を失う番だった。
ミントが言葉を選んだことは汲み取れた。それが、少年を説得するのに一番適切な言葉だと思ったのだろう。
そこまでしてクロノと共にいることに意味があるとは思えない。
全ての結社、ひいては全使い手と相容れない目的だ。
敵が多いことは告げている。けれど、その上でミントがこの決断をしたのならば。
それこそ、少年には口を挟む理由はない。
毒気を抜かれたクロノは、呆れた様子で苦笑いを浮かべる。
「良いんじゃないかな」
何をするかは君の自由だし。
いけしゃあしゃあと返したのは、突き放すような無責任な言葉だった。
けれど、その返事に満足したのか、ミントは微笑を浮かべた。
クロノは改めてステンドグラスを見上げる。
教会の静けさと、埃を照らす暖かな日差しだけが、彼らの沈黙をぼんやりと包んでいた。
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