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第2章
063
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今、気にするべきなのは、ガエブルグとグラールの接触だ。あまりぐずぐずしていられない。
クロノは後に続く少女を横目で振り返ると、点々と設けられた電灯を避けながら、敷地内のコンクリート建築に近付いた。
非常口を示す、緑色の光が灯ったマーク。
鉄製の階段を足音を立てずに上り切ると、扉の前でケータイを取り出す。
着信履歴にあるカリバーンリーダーの番号。
ワンコール繋げて切った。
と、その途端、非常口の扉が音もなくわずかに開けられた。
隙間から覗いたのは、暗闇の中でも目を引く鮮やかな朱色。
「遅いぞ、クロノ! まるで初めてのデートの約束をすっぽかされた乙女のような――」
「声がでかい」
何で扉だけ静かに開けたんだ、と露骨に顔を引きつらせるクロノ。
無言でドアを叩き閉めてやりたい衝動を耐え忍ぶと、背後のミントを連れて、エイレンを蹴倒すくらいの強引さで非常口の中へと入り込んだ。
押し退けられて床のタイル張りへすっ転んだエイレンだが、少年は構う素振りすらない。
すぐさま、後ろ手に扉を閉める。
「まるで押し売りのセールスマンみたいな無理矢理さだな、クロノ! 見ろ、ミントが路地裏の怖いお兄さんに脅されたような顔をしているぞっ」
「え? わたし……ですか?」
「そうだぞ、ミント! こんな夜遅くに連れ回されて、まったくクロノは朴念仁というやつだな。良いか、クロノ。か弱い少女には門限というオプションが――」
「ちょっと黙ってくれ」
「………………」
「いや、普通に黙るなよ。何の為に呼び出したんだ」
だって黙れって言ったじゃないか、と程度の低い問答を吹っかけられる前に、クロノは畳み掛けるように続けた。
「グラールは? ガエブルグは? その情報の出所は? ソースは信用できる筋なのか?」
踊り場に座り込んだエイレンを、階段から突き落とさんばかりに凄むクロノ。
ミントが呆気に取られたように見つめているが、彼はカリバーンリーダーの間抜け面を睨みつけたままだ。
「わ、わかった、落ち着けクロノ! そんな悪霊に取り憑かれたように我を失って――今オレが除霊してやるからな、アブラカタブラ開けゴマ」
「あんたが落ち着け」
じゅげむじゅげむ、とか言い始めたエイレン。
見兼ねたのか、横からミントが控えめな声を挟む。
「あの、エイレンさん。グラールとガエブルグは……?」
はっとした様子で、朱色の頭が彼女を振り仰いだ。
「そうだった! すまん、クロノ! 今はお前の除霊よりも、泣く泣く涙を呑んで、がぶ飲みして優先しなきゃならないことが――」
「いや、うん、わかったから。さっさと状況だけ説明してほしいんだけど」
いら立ちを通り越して穏やかに言うと、エイレンは、呪文が効いたんだな、やっと冷静になってくれたな、と感涙を流しそうに少年に迫る。
クロノは眉ひとつ動かさずに一歩引いた。
「……で? グラールとガエブルグの奴らはどうしたんだ」
「うーむ、それがだな、クロノ。ここからずっと敏腕刑事のように演習場に張り込んでるんだが、人っ子一人、Gの一匹も見当たらないんだぞ」
エイレンの視線の先には、銀枠の窓。
ガラス越しに、塀に囲われた広い砂地が見下ろせる。
踊り場に散らばったアンパンと牛乳は見なかったことにして、クロノは平静と話を進める。
「じゃあ疑うべきなんじゃないのか、その情報。どこの誰から仕入れたんだ」
「それは安心していいぞ、情報についてはオレが芋版を捺す。何たって、カラメルソースは当事者だからな!」
当事者がソース。
だからこそ安心できないというのに、さらにエイレンが太鼓判を捺す相手らしい。
クロノは脳内で青年の口上を懸命に噛み砕きながら、惜しげもなく表情を歪ませた。
――むしろ信用できる要素がない。
しかも、どこの誰だと聞いたのに、中途半端に論点をずらされた。いつものとち狂ったエイレン流の回答だったのか、それとも、答えられないという言外の意思表示か。
ミントが代弁するように、エイレンを見つめた。
「協力してくれた人がいるんですか?」
「そうだぞ。そいつとは、ラブアンドライクの関係だ」
「? そう、なんですか?」
「うわ違った! ギブアンドテイクの関係だ! 違うぞ、誤解するんじゃないぞ、ミント」
「あの、えっと……?」
疑問符でフリーズしているミントを横目に、クロノの赤褐色がエイレンを見据えた。
この状況で二度も同じ質問をはぐらかした。
――答える気がないわけか。
クロノは浅くため息をついた。彼自身も他人のことを言えた口ではないものの、カリバーンの人間は誰も彼も隠し事が多すぎる。
エイレンともあろうネジの緩んだ人間が口を割らない、当事者とは一体誰なのか。
ナツメやビビアンはグラールから退いた訳だし、もう生の情報は望めない。収穫があるにしても、それはもはやグラールの過去のデータでしかないのだ。先手を打つ判断材料にするには、情報が古すぎるだろう。
他にカリバーンに生きた情報源があるとすれば――ナビィだろうか。
何しろ同じ組織内のメンバーでありながら、彼は顔を見せたことがない。あの声から察するに、カリバーンのメンバーと喋っているナビィは、多分、少年なのだろうが、声だけでは人間の素性は割れない。いくらでも騙しが利くということもまた事実だろう。
年齢不詳。性別不詳。ついでに、どこにいるのかもわからないので、住所不定。
まるで犯罪者みたいなプロフィールだが、裏で動いているのだとすれば一番確実性があるようにも思える。とはいえ、それはナビィが真正のひきこもりでなければの話だ。
結局、何とも推測しようがない、というのが結論だった。
それよりも、と。
クロノは窓越しに演習場の敷地を見やると、思い出したように呟いた。
「何でグラールが不安定になってるこのタイミングで、わざわざ接触するんだ……? 合併でもする気じゃないだろうな」
ミントとエイレンが、同時に少年の言葉に顔を向けた。
組織間の合併話には嫌な思い出があるクロノだ。
自分で言っておきながら、彼は悪寒でも催したみたいに眉をしかめる。
ミントはクロノの思惑を察したのだろう。少しだけ目を伏せたのが見えた。
「それを確認するためにデバカメしに来たんだぞ、クロノ」
「変質者みたいな言い方するなよ」
「それにしても、ナツメの睨みは青酸カリのように百発百中だったな! グラールは思ったよりあたふたしてくれてるぞ。第二演習場はまるで無人島のようだ!」
さすがにそれは言いすぎだろうと思うが、確かにグラールの演習場にしては静か過ぎた。
グラールは実力があれば結果を与えられる術師結社だ。
朝だろうが夜だろうが、戦闘技術を磨く使い手は多い。
常であれば、誰かしらが演習場を陣取って訓練に勤しんでいるはずなのだが、不可解なほど人気がなかった。
リアフェールの一件だけで、ここまで痛手を負ったのだろうか。
しかし、体制を整える人員ならグラール本部に、ある程度は控えているはずだ。まさかその本部でも何か問題が起こったのか、と些細な憶測がクロノの脳裏を掠めた。
その時だった。
窓枠の向こうに、何かが過った。
あいまいに捉えていた視界を、さっと下方の演習場へ向けるクロノ。
弾かれたような仕草に、釣られて窓を見やるミント。
そして「何事だー!」とか言いながら、窓に貼り付こうとしたエイレン。
クロノはとっさに、かがり火のような真紅色の頭をがしりと掴む。
床に叩き付ける勢いで窓枠からフレームアウトさせ、自分も身を屈めた。
「うおあっ痛っ、痛いぞ、クロノ! 暴力反対っ」
「使い手がどの口で反対するんだ……っていや、そうじゃなくて。今、演習場に何かの光が見えたんだ」
「光、ですか? それって――」
「クロノ、そんなベタな脅かし方じゃ、このオレをビックリさせることはできないぞ!」
「あんたここに何しに来たんだっ?」
小声ではね付けたクロノは、そっとガラス越しの下界を窺う。
薄暗い演習場の砂地。
そのど真ん中を突っ切るように、小さな光が動くのが見えた。
同時に、暗闇の中を歩く人影――二つ。
恐らく、懐中電灯か何かの明かりを持っているのだろう。
「誰か来たみたいです」
ぴたりと壁に寄り添って姿勢を屈めたミントが、息まで殺したように言う。
クロノは黙って頷くと、壁際に身を隠したまま、人影の姿を追う。
夜闇の落ちた敷地内は暗い。夜目でも二つの立ち姿が歩いていることは確認できるが、この場所からでは遠すぎる。人影が何をしているかまではよく見えない。
何でこんなポイントで張ったんだ、と思わずエイレンへ顔を向けたクロノ。
その眼前に、双眼鏡らしきものがにゅっと差し出された。
きっちり人数分、三セット揃えられた双眼鏡らしきものには、ヘッドフォンみたいな、マイクみたいなものが取り付けられ、ミリタリーゲームでしか見ないようなやたらと重厚な装備が隙間なく施されている。どことなく――というか、全体的に犯罪臭がする。
それを片手で差し出しながら、ぐっと親指を立て、スポーツ飲料のCMか何かみたいに白い歯を見せるエイレン。
あまりに爽やかな笑顔に乗せられて、ノーリアクションで双眼鏡らしきものを受け取ろうとした、寸前で、クロノは、はっと我に返る。
「ちょっと待て。何なんだこれ。双眼鏡?」
「ファンタジックなボケだな、クロノ! 双眼鏡以外の何に見えると言うんだ! 超高感度集音マイクと超高性能ノイズキャンセリングヘッドフォン、大容量ボイスレコーダー仕込み、鮮やかサーモグラフィー搭載の、コンクリート壁マイクのおまけ付き、くっきり録画機能込み込みのデジタル双眼鏡だぞ!」
「誰の受け売りだ?」
「ナビィ」
「そうか」
カリバーン通信部は、いい仕事をしているみたいだ。
クロノは何をどこから言及したらいいのかわからなかったので、色々放棄した。
硬い表情でエイレンに目礼すると、コメントが思い付かずにいるミントへと双眼鏡らしきものを一セット渡す。
エイレンが窓を覗き込みながら、赤髪の上からフードを被った。
クロノもまたブレザーの首元の襟をいじり、裏面に取り付けられたジッパーを開ける。引っ張り出したフードで、金髪が目を引かないよう覆い隠してから、ヘッドフォンを耳に当て、レンズを覗いた。
クロノは後に続く少女を横目で振り返ると、点々と設けられた電灯を避けながら、敷地内のコンクリート建築に近付いた。
非常口を示す、緑色の光が灯ったマーク。
鉄製の階段を足音を立てずに上り切ると、扉の前でケータイを取り出す。
着信履歴にあるカリバーンリーダーの番号。
ワンコール繋げて切った。
と、その途端、非常口の扉が音もなくわずかに開けられた。
隙間から覗いたのは、暗闇の中でも目を引く鮮やかな朱色。
「遅いぞ、クロノ! まるで初めてのデートの約束をすっぽかされた乙女のような――」
「声がでかい」
何で扉だけ静かに開けたんだ、と露骨に顔を引きつらせるクロノ。
無言でドアを叩き閉めてやりたい衝動を耐え忍ぶと、背後のミントを連れて、エイレンを蹴倒すくらいの強引さで非常口の中へと入り込んだ。
押し退けられて床のタイル張りへすっ転んだエイレンだが、少年は構う素振りすらない。
すぐさま、後ろ手に扉を閉める。
「まるで押し売りのセールスマンみたいな無理矢理さだな、クロノ! 見ろ、ミントが路地裏の怖いお兄さんに脅されたような顔をしているぞっ」
「え? わたし……ですか?」
「そうだぞ、ミント! こんな夜遅くに連れ回されて、まったくクロノは朴念仁というやつだな。良いか、クロノ。か弱い少女には門限というオプションが――」
「ちょっと黙ってくれ」
「………………」
「いや、普通に黙るなよ。何の為に呼び出したんだ」
だって黙れって言ったじゃないか、と程度の低い問答を吹っかけられる前に、クロノは畳み掛けるように続けた。
「グラールは? ガエブルグは? その情報の出所は? ソースは信用できる筋なのか?」
踊り場に座り込んだエイレンを、階段から突き落とさんばかりに凄むクロノ。
ミントが呆気に取られたように見つめているが、彼はカリバーンリーダーの間抜け面を睨みつけたままだ。
「わ、わかった、落ち着けクロノ! そんな悪霊に取り憑かれたように我を失って――今オレが除霊してやるからな、アブラカタブラ開けゴマ」
「あんたが落ち着け」
じゅげむじゅげむ、とか言い始めたエイレン。
見兼ねたのか、横からミントが控えめな声を挟む。
「あの、エイレンさん。グラールとガエブルグは……?」
はっとした様子で、朱色の頭が彼女を振り仰いだ。
「そうだった! すまん、クロノ! 今はお前の除霊よりも、泣く泣く涙を呑んで、がぶ飲みして優先しなきゃならないことが――」
「いや、うん、わかったから。さっさと状況だけ説明してほしいんだけど」
いら立ちを通り越して穏やかに言うと、エイレンは、呪文が効いたんだな、やっと冷静になってくれたな、と感涙を流しそうに少年に迫る。
クロノは眉ひとつ動かさずに一歩引いた。
「……で? グラールとガエブルグの奴らはどうしたんだ」
「うーむ、それがだな、クロノ。ここからずっと敏腕刑事のように演習場に張り込んでるんだが、人っ子一人、Gの一匹も見当たらないんだぞ」
エイレンの視線の先には、銀枠の窓。
ガラス越しに、塀に囲われた広い砂地が見下ろせる。
踊り場に散らばったアンパンと牛乳は見なかったことにして、クロノは平静と話を進める。
「じゃあ疑うべきなんじゃないのか、その情報。どこの誰から仕入れたんだ」
「それは安心していいぞ、情報についてはオレが芋版を捺す。何たって、カラメルソースは当事者だからな!」
当事者がソース。
だからこそ安心できないというのに、さらにエイレンが太鼓判を捺す相手らしい。
クロノは脳内で青年の口上を懸命に噛み砕きながら、惜しげもなく表情を歪ませた。
――むしろ信用できる要素がない。
しかも、どこの誰だと聞いたのに、中途半端に論点をずらされた。いつものとち狂ったエイレン流の回答だったのか、それとも、答えられないという言外の意思表示か。
ミントが代弁するように、エイレンを見つめた。
「協力してくれた人がいるんですか?」
「そうだぞ。そいつとは、ラブアンドライクの関係だ」
「? そう、なんですか?」
「うわ違った! ギブアンドテイクの関係だ! 違うぞ、誤解するんじゃないぞ、ミント」
「あの、えっと……?」
疑問符でフリーズしているミントを横目に、クロノの赤褐色がエイレンを見据えた。
この状況で二度も同じ質問をはぐらかした。
――答える気がないわけか。
クロノは浅くため息をついた。彼自身も他人のことを言えた口ではないものの、カリバーンの人間は誰も彼も隠し事が多すぎる。
エイレンともあろうネジの緩んだ人間が口を割らない、当事者とは一体誰なのか。
ナツメやビビアンはグラールから退いた訳だし、もう生の情報は望めない。収穫があるにしても、それはもはやグラールの過去のデータでしかないのだ。先手を打つ判断材料にするには、情報が古すぎるだろう。
他にカリバーンに生きた情報源があるとすれば――ナビィだろうか。
何しろ同じ組織内のメンバーでありながら、彼は顔を見せたことがない。あの声から察するに、カリバーンのメンバーと喋っているナビィは、多分、少年なのだろうが、声だけでは人間の素性は割れない。いくらでも騙しが利くということもまた事実だろう。
年齢不詳。性別不詳。ついでに、どこにいるのかもわからないので、住所不定。
まるで犯罪者みたいなプロフィールだが、裏で動いているのだとすれば一番確実性があるようにも思える。とはいえ、それはナビィが真正のひきこもりでなければの話だ。
結局、何とも推測しようがない、というのが結論だった。
それよりも、と。
クロノは窓越しに演習場の敷地を見やると、思い出したように呟いた。
「何でグラールが不安定になってるこのタイミングで、わざわざ接触するんだ……? 合併でもする気じゃないだろうな」
ミントとエイレンが、同時に少年の言葉に顔を向けた。
組織間の合併話には嫌な思い出があるクロノだ。
自分で言っておきながら、彼は悪寒でも催したみたいに眉をしかめる。
ミントはクロノの思惑を察したのだろう。少しだけ目を伏せたのが見えた。
「それを確認するためにデバカメしに来たんだぞ、クロノ」
「変質者みたいな言い方するなよ」
「それにしても、ナツメの睨みは青酸カリのように百発百中だったな! グラールは思ったよりあたふたしてくれてるぞ。第二演習場はまるで無人島のようだ!」
さすがにそれは言いすぎだろうと思うが、確かにグラールの演習場にしては静か過ぎた。
グラールは実力があれば結果を与えられる術師結社だ。
朝だろうが夜だろうが、戦闘技術を磨く使い手は多い。
常であれば、誰かしらが演習場を陣取って訓練に勤しんでいるはずなのだが、不可解なほど人気がなかった。
リアフェールの一件だけで、ここまで痛手を負ったのだろうか。
しかし、体制を整える人員ならグラール本部に、ある程度は控えているはずだ。まさかその本部でも何か問題が起こったのか、と些細な憶測がクロノの脳裏を掠めた。
その時だった。
窓枠の向こうに、何かが過った。
あいまいに捉えていた視界を、さっと下方の演習場へ向けるクロノ。
弾かれたような仕草に、釣られて窓を見やるミント。
そして「何事だー!」とか言いながら、窓に貼り付こうとしたエイレン。
クロノはとっさに、かがり火のような真紅色の頭をがしりと掴む。
床に叩き付ける勢いで窓枠からフレームアウトさせ、自分も身を屈めた。
「うおあっ痛っ、痛いぞ、クロノ! 暴力反対っ」
「使い手がどの口で反対するんだ……っていや、そうじゃなくて。今、演習場に何かの光が見えたんだ」
「光、ですか? それって――」
「クロノ、そんなベタな脅かし方じゃ、このオレをビックリさせることはできないぞ!」
「あんたここに何しに来たんだっ?」
小声ではね付けたクロノは、そっとガラス越しの下界を窺う。
薄暗い演習場の砂地。
そのど真ん中を突っ切るように、小さな光が動くのが見えた。
同時に、暗闇の中を歩く人影――二つ。
恐らく、懐中電灯か何かの明かりを持っているのだろう。
「誰か来たみたいです」
ぴたりと壁に寄り添って姿勢を屈めたミントが、息まで殺したように言う。
クロノは黙って頷くと、壁際に身を隠したまま、人影の姿を追う。
夜闇の落ちた敷地内は暗い。夜目でも二つの立ち姿が歩いていることは確認できるが、この場所からでは遠すぎる。人影が何をしているかまではよく見えない。
何でこんなポイントで張ったんだ、と思わずエイレンへ顔を向けたクロノ。
その眼前に、双眼鏡らしきものがにゅっと差し出された。
きっちり人数分、三セット揃えられた双眼鏡らしきものには、ヘッドフォンみたいな、マイクみたいなものが取り付けられ、ミリタリーゲームでしか見ないようなやたらと重厚な装備が隙間なく施されている。どことなく――というか、全体的に犯罪臭がする。
それを片手で差し出しながら、ぐっと親指を立て、スポーツ飲料のCMか何かみたいに白い歯を見せるエイレン。
あまりに爽やかな笑顔に乗せられて、ノーリアクションで双眼鏡らしきものを受け取ろうとした、寸前で、クロノは、はっと我に返る。
「ちょっと待て。何なんだこれ。双眼鏡?」
「ファンタジックなボケだな、クロノ! 双眼鏡以外の何に見えると言うんだ! 超高感度集音マイクと超高性能ノイズキャンセリングヘッドフォン、大容量ボイスレコーダー仕込み、鮮やかサーモグラフィー搭載の、コンクリート壁マイクのおまけ付き、くっきり録画機能込み込みのデジタル双眼鏡だぞ!」
「誰の受け売りだ?」
「ナビィ」
「そうか」
カリバーン通信部は、いい仕事をしているみたいだ。
クロノは何をどこから言及したらいいのかわからなかったので、色々放棄した。
硬い表情でエイレンに目礼すると、コメントが思い付かずにいるミントへと双眼鏡らしきものを一セット渡す。
エイレンが窓を覗き込みながら、赤髪の上からフードを被った。
クロノもまたブレザーの首元の襟をいじり、裏面に取り付けられたジッパーを開ける。引っ張り出したフードで、金髪が目を引かないよう覆い隠してから、ヘッドフォンを耳に当て、レンズを覗いた。
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