Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第2章

069

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ベギーネルは演習場の正門を目指しながら、妙に甘えたような第一声を告げた。


「こんばんはー。月がキレーですね、オニーサン」
『……夜分遅くに悪戯電話とは。恐れ入ります』
「だしょ? そんで、かなりわりー知らせと、とってもわりー知らせ。どっちから聞いちゃう?」
『もう何でも構いませんが』
「じゃ、超わりー知らせから聞けよ」


そんな選択肢はなかっただろう、と言いたそうにしているのが、顔を見なくてもわかる。
ベギーネルは躊躇いなく続けた。


「聖杯のヤツ、闇のオネーサン持って来た。意外に美人じゃね? あれ」


唐突な報告に、ケータイの向こうで空気が硬直するのがわかった。
沈黙を通り越して何も返せずにいる。

思考そのものが止められたように窺えたが、それもほんの一瞬のことだ。
電話相手は、すぐに動揺のない声音を返してきた。


『……それでどうされたんです? 大人しく頂いて帰ったんですか』
「じゃ、とってもわりー知らせ。横取りされちった。ごめんちゃい」


捨て鉢もいいところなベギーネルの言い草に、電話の彼は何を思ったのだろう。
返す言葉もないといった空白。

やがて、男の声は低い声で応じた。


『なるほど。では、かなり悪い知らせというのは?』
「そーそー。聖杯のおっちょこちょいの所為で、取引おじゃんなのに。こっちのプレゼント、返って来ねんだわ」
『何をおっしゃっているんですか』
「あの0番の毒、聖杯のヤツが使っちった」


ガエブルグが毎度押し付けようとする度、グラールが否認したり破棄してきた取引材料だ。
0番の血液から抽出したという、試験管に込められた毒。
イルエが聖剣の少年に叩き付けたのは、アタッシュケースの中に安置されていたそれだった。

あの少年にどんな悪影響を及ぼすか。
研究員いわく、以前取引を邪魔された際に持って行ったのものよりは質が悪く、効果も劣る代物らしいので、紋章術との相性が特別悪くない限り、二度と紋章術が使えなくなったり、気が狂ったりということはないだろう。
しかし、一定期間、あるいは一定時間、使い手の体に何らかの支障を来たす可能性はある。

ベギーネルにとっては、その様子を目の前で観察できないということ以外、大して悪い知らせでもないのだが、電話相手にとっては違う。
何度目のだんまりだろう。
疲れたようなため息が聞こえた。


『……貴重な原液だと、事前に申し上げた筈なのですが』
「いーっしょ? 別に減るもんじゃねんだ」
『もう結構。取引材料に用いるのは、今後一切やめて頂きたい』
「怒んなって、オニーサン。それよか、聖杯のヤツ、別の交換条件出してきたんだわ」


相槌のないケータイに、続きを促される。
彼女は引きずるスーツの襟首を持ち直して、あくびの後に付け足した。


「カリバーンの赤毛リーダー、殺しゃいーって」


今までの聖杯より、話通じんじゃね?
反応を試すように言い足された、ベギーネルの一言。

だが、電話の声は、そうですか、と平淡な返事を口にした。


『悪い知らせは以上ですか? こちらも忙しいもので、失礼したいのですが』


特に感慨もない応対だった。
ベギーネルはふと立ち止まると、辿り着いた演習場の正門に背を預ける。
ガシャリ、と夜の静粛に金属音が響く。

常に感情が抜け落ちたように、どうでもよさげに話す彼女の割りには、不自然な間だった。
ベギーネルは真っ赤なケータイに、問い掛ける。


「止めねーの? オレ、冗談で言ってんじゃねんだ」


確認とも取れる言葉だ。
彼女が言っただけに、意外に思ったのかもしれない。
毎度落ち着き払っている彼にしては、珍しく驚いたような静黙が置かれた。

ベギーネルは、相手が何か言う前に続ける。


「だってオニーサン、聖剣とお友達っしょ」


やけに冷静な、確信のこもった口上だった。

今更、容易く情報を漏らすグラールでもないし、ガエブルグもまたそこまで迂闊ではない。
取引の情報がカリバーンに渡った経緯を考えていた彼女だったが、それも無駄に終わった。
闇の紋章術師の身柄を横取りされたことを告げた時、彼はそれ以上の疑問を口にしなかった。

どこの誰に横槍を入れられたのか。
闇の紋章術師の身柄は無事で済みそうなのか。

電話相手は生真面目な男だ。
常ならば、真っ先に聞いてくるのが当然の筈だった。
しかし、彼は深く問い掛けることをしなかった。
それは何故か。理由があるとすれば、ひとつしかない。

聞くまでもなく、知っていたからだ。

カリバーンに取引の情報を流したのは、恐らくこの男だろう。
それなら、横槍を入れてきた相手など改めて聞く意味がないし、カリバーンがどういった組織なのかを知っていれば、闇の紋章術師をどう扱う相手なのかも自ずとわかる。
こいつしかいない、と。
ベギーネルは、確信にも似た推測を脳裏に、電話相手の返事を待つ。

だが、返ってきた反応は、少女を少なからず驚かせた。


『仮にそうだとして、何故止める必要が? そもそも、止めても止まらないでしょう』


動揺も焦燥もない。
妙に静かな返答に、ベギーネルはカラスマスクの内で、思わず口元を吊り上げた。


「……ちょい寝ぼけてね? オニーサンって、もっとお友達思いっしょ?」
『では、寝ぼけるような時間に連絡しないで頂きたい。失礼します』
「あータンマ。勝手に切んないでチョ。殺しに行っちゃう」


語尾にハートでも付けそうに、ちゃらけた口調で言うベギーネル。
紋章術の使い手の「殺す」宣言が、どれほど他人に圧迫感を与えるものなのかを、彼女はわかっていないのかもしれない。いや、わかっていてあえて言っているのか。

図らずも電話を切るタイミングを逃した彼に、ベギーネルは真っ平らな声で話し続ける。


「今から飯行かね? オニーサン。オレ、緊張して小腹減っちったんだわ」
『貴方でも緊張という単語をご存知でしたか。丁重にお断りします』
「お断りとかお断り。いーっしょ、今日は、眼鏡ぶっ壊さねーどいてやんよ」
『そう言って、会う度に叩き割りますがね』
「気のせいじゃね? ホント、オレ今日はいー子にしとく」


何かあったのか、と聞きたげな沈黙。
ベギーネルは月のない真っ暗な空を見上げると、ふと漏らした。


「昔の友だち、引き止めらんなかった。柄じゃねーけど、ご傷心中なんだわ」


まるで遠い思い出話でもするような、抑揚のない声音。
逆に痛々しくさえ思えるほどだった。
呟いた彼女に、ケータイは何も返さなかった。
それを肯定と取ったのか、少女はぽつぽつと待ち合わせ場所を付け足す。
眼鏡を奪い取って叩き割ってみせた際の、彼の眉間のしわを思う。


ベギーネルは片手に青年を引きずったまま、静々と演習場を後にした。
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