78 / 97
第2章
077
しおりを挟む
「申し遅れましたが。抜糸後しばらくは、患部に負担をかけない行動を心掛けて頂きたい。傷に障りかねませんので」
さも一般の患者を労わるような穏やかな口調に、クロノはめまいを覚えた。
半ば諦めたように椅子に腰掛けると、頭を抱える。
「……最悪だ。ただの医者が、銃なんか持ち歩いてるのか」
「とんでもない。私を使い手さん方と一緒にしないで頂きたい」
クロノの、総毛立つほど敵意を帯びた深紅色の目が、じろりとソエストを捉えたが、彼は動揺するでもなしに応じる。
「貴方には感謝致しますよ。ある人物の血液から生成した物質が、紋章術を打ち消せるということを、証明して下さった。……本来なら、紋章術が不使用になるほどの濃度ではなかったのですが。おそらく、グラールが何らかの手を加えたのでしょう」
「ふざけるなっ、研究なんか俺には関係ない。俺から紋章術を奪ってどうするつもりだ!」
「おっしゃる通り、関係のないことですので。お答えする道理もありません」
今にもナイフを脳天に投げ付けようかという剣幕のクロノだったが、ソエストはふと気が変わったように付け加えた。
「失礼。貴方は仮にも、私の研究の礎になられたお方でしたね」
まず葬儀を見に来た理由でしたか、と。
見当違いなことを掘り返された所為で、クロノはいら立ちを通り越して頭が痛くなった。
しかし、淡白に続けられた言葉は、その予想を別の意味で裏切るものだった。
「私も、グラールの技術レベルがどこまで発展しているのか、全てを把握している訳ではないのでね。セラや他の使い手さん方の遺体が、悪用されることがないか。それを確認しておきたかったのですよ」
「……ちょっと待て。どうしてあんたがセラを知ってるんだ?」
ソエストは、困惑したクロノの表情を銀縁に捉えたまま、素っ気なく答えた。
「同じ里親に引き取られた養子同士ですので。血の繋がりはありませんが、あの姉妹と私は、同じ家の子供ということになりますかね」
セラが姉妹であることはともかくとして、里親だのという話までは聞いていない。
黙り込んだクロノに、ソエストは思わずといった風に苦笑した。
「構いませんよ、貴方も今さら上司のお家事情に興味もないでしょうから。私もそんなことをお話しするつもりはありません」
無感情に語る彼は、どうでもいい世間話でも話すような口上だ。
クロノは違和感を覚えた。
彼がセラと家族関係にあったというのなら、彼女の死に、何か思い悩むことはないのだろうか。今にして考えれば、セラの亡骸を見ても、ソエストが顔色ひとつ変えずにいたのは異常とも言えたのかもしれない。気掛かりに思わないといえば嘘になるが、ソエストの言う通り、彼等の家族間の事情などクロノが知っても仕方がないことだろう。
「あんたはセラだけじゃなくて、リラって人についても知ってるのか」
「心外ですね、彼女をご存知とは。ついでに申し上げますと、貴方から紋章術を奪ったのは彼女ですよ」
白々と告げられた事実。
そうだったのか、なんてスムーズに頷けるような、差し障りのない話題ではない。
クロノは普段のオクターブは低い声で言った。
「つまり、そいつの血が、俺の紋章術を壊したってことか」
「……血中の紋章術までご存知でしたか。それについては、グラールの実験に関わった一部の人間しか知らない筈なのですがね」
レンズ越しの鋭い視線を、少年は適当にいなす。
情報を聞き出すつもりはあっても、こちらから教えるつもりはないのだ。
堂々と黙殺の構えを取るクロノ。
相手にしてみれば、彼の態度は不公平そのものだったのだろうが、ソエストは、別段腹を立てもしなかったようだ。興醒めしたみたいに手の平を返す。
「まあ、いいでしょう。貴方はそれとはまた別のケースですので」
図らずも、クロノは反応に迷った。
シグドの話と食い違うことになってしまう。……信頼性でいえば、少年は間違いなく親友からの情報を選んだだろうが、目の前にいるのは実際に研究に関わっていた人員だ。
ソエストの説明もまた、無視するわけにもいかない。
「血液に同化した魔導反応については、グラールの研究で明らかになったことです。確かに、それを用いて別の使い手の紋章術を破壊することは、紋章術の属性や相性にもよりますが、不可能ではありません」
「……だから、今回はそれが起こったんじゃないのか」
「いいえ。残念ながら彼女は使い手ではありませんので。紋章術など持ち合わせていません」
「じゃあ、その人の何が俺の紋章術を使えなくしたんだ?」
医者――ではなく、研究員は不意に考え込むような間を空けた。
ソエストのような人間なら、どんな大仰な嘘でも真しやかに語れるだろう。
実際に、クロノの傷を縫合していたあの時は、彼は虫も殺さぬ顔で〝ただの医者〟の仮面を被っていた。嘘でないとすれば、何をそんなに黙り込む必要があるのか。
探るような目を向けたクロノに、ややあって、彼は説明を始めた。
「彼女は訳あって、紋章術とは真逆の――極めて有毒な要素を体に宿してしまいましてね。私はグラールとは別個の立場で研究を続け、その血液から毒素のみを抽出することに成功したのですが……」
ちらりと味気ない視線が、少年を捉える。
「本来は取引材料に使われる筈だったそれを、貴方が浴びてしまい、彼女の毒に紋章術を壊されたと。そういうことでしょう」
何がそういうことだ、とクロノは他人事を話すような無表情を睨み付ける。
彼の置いた沈黙は、把握情報の少ない人間に対して、事態をどう噛み砕いて説明するか、それを考える時間だったのだろう。
あれだけ優秀な紋章術師の姉妹でありながら、紋章術に有害な真逆要素を持っているとは、どういうことなのか。ソエストはグラールの実験施設で、鍵の模造について研究していたのではないのか。
大体、紋章術に害を及ぼすようなものが、どうして結社間の取引材料に用いられたのか。
クロノは説明を募りたいことが多すぎて、何から切り出せばいいのかわからなくなった。
さも一般の患者を労わるような穏やかな口調に、クロノはめまいを覚えた。
半ば諦めたように椅子に腰掛けると、頭を抱える。
「……最悪だ。ただの医者が、銃なんか持ち歩いてるのか」
「とんでもない。私を使い手さん方と一緒にしないで頂きたい」
クロノの、総毛立つほど敵意を帯びた深紅色の目が、じろりとソエストを捉えたが、彼は動揺するでもなしに応じる。
「貴方には感謝致しますよ。ある人物の血液から生成した物質が、紋章術を打ち消せるということを、証明して下さった。……本来なら、紋章術が不使用になるほどの濃度ではなかったのですが。おそらく、グラールが何らかの手を加えたのでしょう」
「ふざけるなっ、研究なんか俺には関係ない。俺から紋章術を奪ってどうするつもりだ!」
「おっしゃる通り、関係のないことですので。お答えする道理もありません」
今にもナイフを脳天に投げ付けようかという剣幕のクロノだったが、ソエストはふと気が変わったように付け加えた。
「失礼。貴方は仮にも、私の研究の礎になられたお方でしたね」
まず葬儀を見に来た理由でしたか、と。
見当違いなことを掘り返された所為で、クロノはいら立ちを通り越して頭が痛くなった。
しかし、淡白に続けられた言葉は、その予想を別の意味で裏切るものだった。
「私も、グラールの技術レベルがどこまで発展しているのか、全てを把握している訳ではないのでね。セラや他の使い手さん方の遺体が、悪用されることがないか。それを確認しておきたかったのですよ」
「……ちょっと待て。どうしてあんたがセラを知ってるんだ?」
ソエストは、困惑したクロノの表情を銀縁に捉えたまま、素っ気なく答えた。
「同じ里親に引き取られた養子同士ですので。血の繋がりはありませんが、あの姉妹と私は、同じ家の子供ということになりますかね」
セラが姉妹であることはともかくとして、里親だのという話までは聞いていない。
黙り込んだクロノに、ソエストは思わずといった風に苦笑した。
「構いませんよ、貴方も今さら上司のお家事情に興味もないでしょうから。私もそんなことをお話しするつもりはありません」
無感情に語る彼は、どうでもいい世間話でも話すような口上だ。
クロノは違和感を覚えた。
彼がセラと家族関係にあったというのなら、彼女の死に、何か思い悩むことはないのだろうか。今にして考えれば、セラの亡骸を見ても、ソエストが顔色ひとつ変えずにいたのは異常とも言えたのかもしれない。気掛かりに思わないといえば嘘になるが、ソエストの言う通り、彼等の家族間の事情などクロノが知っても仕方がないことだろう。
「あんたはセラだけじゃなくて、リラって人についても知ってるのか」
「心外ですね、彼女をご存知とは。ついでに申し上げますと、貴方から紋章術を奪ったのは彼女ですよ」
白々と告げられた事実。
そうだったのか、なんてスムーズに頷けるような、差し障りのない話題ではない。
クロノは普段のオクターブは低い声で言った。
「つまり、そいつの血が、俺の紋章術を壊したってことか」
「……血中の紋章術までご存知でしたか。それについては、グラールの実験に関わった一部の人間しか知らない筈なのですがね」
レンズ越しの鋭い視線を、少年は適当にいなす。
情報を聞き出すつもりはあっても、こちらから教えるつもりはないのだ。
堂々と黙殺の構えを取るクロノ。
相手にしてみれば、彼の態度は不公平そのものだったのだろうが、ソエストは、別段腹を立てもしなかったようだ。興醒めしたみたいに手の平を返す。
「まあ、いいでしょう。貴方はそれとはまた別のケースですので」
図らずも、クロノは反応に迷った。
シグドの話と食い違うことになってしまう。……信頼性でいえば、少年は間違いなく親友からの情報を選んだだろうが、目の前にいるのは実際に研究に関わっていた人員だ。
ソエストの説明もまた、無視するわけにもいかない。
「血液に同化した魔導反応については、グラールの研究で明らかになったことです。確かに、それを用いて別の使い手の紋章術を破壊することは、紋章術の属性や相性にもよりますが、不可能ではありません」
「……だから、今回はそれが起こったんじゃないのか」
「いいえ。残念ながら彼女は使い手ではありませんので。紋章術など持ち合わせていません」
「じゃあ、その人の何が俺の紋章術を使えなくしたんだ?」
医者――ではなく、研究員は不意に考え込むような間を空けた。
ソエストのような人間なら、どんな大仰な嘘でも真しやかに語れるだろう。
実際に、クロノの傷を縫合していたあの時は、彼は虫も殺さぬ顔で〝ただの医者〟の仮面を被っていた。嘘でないとすれば、何をそんなに黙り込む必要があるのか。
探るような目を向けたクロノに、ややあって、彼は説明を始めた。
「彼女は訳あって、紋章術とは真逆の――極めて有毒な要素を体に宿してしまいましてね。私はグラールとは別個の立場で研究を続け、その血液から毒素のみを抽出することに成功したのですが……」
ちらりと味気ない視線が、少年を捉える。
「本来は取引材料に使われる筈だったそれを、貴方が浴びてしまい、彼女の毒に紋章術を壊されたと。そういうことでしょう」
何がそういうことだ、とクロノは他人事を話すような無表情を睨み付ける。
彼の置いた沈黙は、把握情報の少ない人間に対して、事態をどう噛み砕いて説明するか、それを考える時間だったのだろう。
あれだけ優秀な紋章術師の姉妹でありながら、紋章術に有害な真逆要素を持っているとは、どういうことなのか。ソエストはグラールの実験施設で、鍵の模造について研究していたのではないのか。
大体、紋章術に害を及ぼすようなものが、どうして結社間の取引材料に用いられたのか。
クロノは説明を募りたいことが多すぎて、何から切り出せばいいのかわからなくなった。
0
あなたにおすすめの小説
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
白き魔女と黄金の林檎
みみぞう
ファンタジー
【カクヨム・エブリスタで特集していただきました。カクヨムで先行完結】
https://kakuyomu.jp/works/16816927860645480806
「”火の魔女”を一週間以内に駆逐せよ」
それが審問官見習いアルヴィンに下された、最初の使命だった。
人の世に災いをもたらす魔女と、駆逐する使命を帯びた審問官。
連続殺焼事件を解決できなきれば、破門である。
先輩審問官達が、半年かかって解決できなかった事件を、果たして駆け出しの彼が解決できるのか――
悪しき魔女との戦いの中で、彼はやがて教会に蠢く闇と対峙する……!
不死をめぐる、ダークファンタジー!
※カクヨム・エブリスタ・なろうにも投稿しております。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる