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第2章
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「申し遅れましたが。抜糸後しばらくは、患部に負担をかけない行動を心掛けて頂きたい。傷に障りかねませんので」
さも一般の患者を労わるような穏やかな口調に、クロノはめまいを覚えた。
半ば諦めたように椅子に腰掛けると、頭を抱える。
「……最悪だ。ただの医者が、銃なんか持ち歩いてるのか」
「とんでもない。私を使い手さん方と一緒にしないで頂きたい」
クロノの、総毛立つほど敵意を帯びた深紅色の目が、じろりとソエストを捉えたが、彼は動揺するでもなしに応じる。
「貴方には感謝致しますよ。ある人物の血液から生成した物質が、紋章術を打ち消せるということを、証明して下さった。……本来なら、紋章術が不使用になるほどの濃度ではなかったのですが。おそらく、グラールが何らかの手を加えたのでしょう」
「ふざけるなっ、研究なんか俺には関係ない。俺から紋章術を奪ってどうするつもりだ!」
「おっしゃる通り、関係のないことですので。お答えする道理もありません」
今にもナイフを脳天に投げ付けようかという剣幕のクロノだったが、ソエストはふと気が変わったように付け加えた。
「失礼。貴方は仮にも、私の研究の礎になられたお方でしたね」
まず葬儀を見に来た理由でしたか、と。
見当違いなことを掘り返された所為で、クロノはいら立ちを通り越して頭が痛くなった。
しかし、淡白に続けられた言葉は、その予想を別の意味で裏切るものだった。
「私も、グラールの技術レベルがどこまで発展しているのか、全てを把握している訳ではないのでね。セラや他の使い手さん方の遺体が、悪用されることがないか。それを確認しておきたかったのですよ」
「……ちょっと待て。どうしてあんたがセラを知ってるんだ?」
ソエストは、困惑したクロノの表情を銀縁に捉えたまま、素っ気なく答えた。
「同じ里親に引き取られた養子同士ですので。血の繋がりはありませんが、あの姉妹と私は、同じ家の子供ということになりますかね」
セラが姉妹であることはともかくとして、里親だのという話までは聞いていない。
黙り込んだクロノに、ソエストは思わずといった風に苦笑した。
「構いませんよ、貴方も今さら上司のお家事情に興味もないでしょうから。私もそんなことをお話しするつもりはありません」
無感情に語る彼は、どうでもいい世間話でも話すような口上だ。
クロノは違和感を覚えた。
彼がセラと家族関係にあったというのなら、彼女の死に、何か思い悩むことはないのだろうか。今にして考えれば、セラの亡骸を見ても、ソエストが顔色ひとつ変えずにいたのは異常とも言えたのかもしれない。気掛かりに思わないといえば嘘になるが、ソエストの言う通り、彼等の家族間の事情などクロノが知っても仕方がないことだろう。
「あんたはセラだけじゃなくて、リラって人についても知ってるのか」
「心外ですね、彼女をご存知とは。ついでに申し上げますと、貴方から紋章術を奪ったのは彼女ですよ」
白々と告げられた事実。
そうだったのか、なんてスムーズに頷けるような、差し障りのない話題ではない。
クロノは普段のオクターブは低い声で言った。
「つまり、そいつの血が、俺の紋章術を壊したってことか」
「……血中の紋章術までご存知でしたか。それについては、グラールの実験に関わった一部の人間しか知らない筈なのですがね」
レンズ越しの鋭い視線を、少年は適当にいなす。
情報を聞き出すつもりはあっても、こちらから教えるつもりはないのだ。
堂々と黙殺の構えを取るクロノ。
相手にしてみれば、彼の態度は不公平そのものだったのだろうが、ソエストは、別段腹を立てもしなかったようだ。興醒めしたみたいに手の平を返す。
「まあ、いいでしょう。貴方はそれとはまた別のケースですので」
図らずも、クロノは反応に迷った。
シグドの話と食い違うことになってしまう。……信頼性でいえば、少年は間違いなく親友からの情報を選んだだろうが、目の前にいるのは実際に研究に関わっていた人員だ。
ソエストの説明もまた、無視するわけにもいかない。
「血液に同化した魔導反応については、グラールの研究で明らかになったことです。確かに、それを用いて別の使い手の紋章術を破壊することは、紋章術の属性や相性にもよりますが、不可能ではありません」
「……だから、今回はそれが起こったんじゃないのか」
「いいえ。残念ながら彼女は使い手ではありませんので。紋章術など持ち合わせていません」
「じゃあ、その人の何が俺の紋章術を使えなくしたんだ?」
医者――ではなく、研究員は不意に考え込むような間を空けた。
ソエストのような人間なら、どんな大仰な嘘でも真しやかに語れるだろう。
実際に、クロノの傷を縫合していたあの時は、彼は虫も殺さぬ顔で〝ただの医者〟の仮面を被っていた。嘘でないとすれば、何をそんなに黙り込む必要があるのか。
探るような目を向けたクロノに、ややあって、彼は説明を始めた。
「彼女は訳あって、紋章術とは真逆の――極めて有毒な要素を体に宿してしまいましてね。私はグラールとは別個の立場で研究を続け、その血液から毒素のみを抽出することに成功したのですが……」
ちらりと味気ない視線が、少年を捉える。
「本来は取引材料に使われる筈だったそれを、貴方が浴びてしまい、彼女の毒に紋章術を壊されたと。そういうことでしょう」
何がそういうことだ、とクロノは他人事を話すような無表情を睨み付ける。
彼の置いた沈黙は、把握情報の少ない人間に対して、事態をどう噛み砕いて説明するか、それを考える時間だったのだろう。
あれだけ優秀な紋章術師の姉妹でありながら、紋章術に有害な真逆要素を持っているとは、どういうことなのか。ソエストはグラールの実験施設で、鍵の模造について研究していたのではないのか。
大体、紋章術に害を及ぼすようなものが、どうして結社間の取引材料に用いられたのか。
クロノは説明を募りたいことが多すぎて、何から切り出せばいいのかわからなくなった。
さも一般の患者を労わるような穏やかな口調に、クロノはめまいを覚えた。
半ば諦めたように椅子に腰掛けると、頭を抱える。
「……最悪だ。ただの医者が、銃なんか持ち歩いてるのか」
「とんでもない。私を使い手さん方と一緒にしないで頂きたい」
クロノの、総毛立つほど敵意を帯びた深紅色の目が、じろりとソエストを捉えたが、彼は動揺するでもなしに応じる。
「貴方には感謝致しますよ。ある人物の血液から生成した物質が、紋章術を打ち消せるということを、証明して下さった。……本来なら、紋章術が不使用になるほどの濃度ではなかったのですが。おそらく、グラールが何らかの手を加えたのでしょう」
「ふざけるなっ、研究なんか俺には関係ない。俺から紋章術を奪ってどうするつもりだ!」
「おっしゃる通り、関係のないことですので。お答えする道理もありません」
今にもナイフを脳天に投げ付けようかという剣幕のクロノだったが、ソエストはふと気が変わったように付け加えた。
「失礼。貴方は仮にも、私の研究の礎になられたお方でしたね」
まず葬儀を見に来た理由でしたか、と。
見当違いなことを掘り返された所為で、クロノはいら立ちを通り越して頭が痛くなった。
しかし、淡白に続けられた言葉は、その予想を別の意味で裏切るものだった。
「私も、グラールの技術レベルがどこまで発展しているのか、全てを把握している訳ではないのでね。セラや他の使い手さん方の遺体が、悪用されることがないか。それを確認しておきたかったのですよ」
「……ちょっと待て。どうしてあんたがセラを知ってるんだ?」
ソエストは、困惑したクロノの表情を銀縁に捉えたまま、素っ気なく答えた。
「同じ里親に引き取られた養子同士ですので。血の繋がりはありませんが、あの姉妹と私は、同じ家の子供ということになりますかね」
セラが姉妹であることはともかくとして、里親だのという話までは聞いていない。
黙り込んだクロノに、ソエストは思わずといった風に苦笑した。
「構いませんよ、貴方も今さら上司のお家事情に興味もないでしょうから。私もそんなことをお話しするつもりはありません」
無感情に語る彼は、どうでもいい世間話でも話すような口上だ。
クロノは違和感を覚えた。
彼がセラと家族関係にあったというのなら、彼女の死に、何か思い悩むことはないのだろうか。今にして考えれば、セラの亡骸を見ても、ソエストが顔色ひとつ変えずにいたのは異常とも言えたのかもしれない。気掛かりに思わないといえば嘘になるが、ソエストの言う通り、彼等の家族間の事情などクロノが知っても仕方がないことだろう。
「あんたはセラだけじゃなくて、リラって人についても知ってるのか」
「心外ですね、彼女をご存知とは。ついでに申し上げますと、貴方から紋章術を奪ったのは彼女ですよ」
白々と告げられた事実。
そうだったのか、なんてスムーズに頷けるような、差し障りのない話題ではない。
クロノは普段のオクターブは低い声で言った。
「つまり、そいつの血が、俺の紋章術を壊したってことか」
「……血中の紋章術までご存知でしたか。それについては、グラールの実験に関わった一部の人間しか知らない筈なのですがね」
レンズ越しの鋭い視線を、少年は適当にいなす。
情報を聞き出すつもりはあっても、こちらから教えるつもりはないのだ。
堂々と黙殺の構えを取るクロノ。
相手にしてみれば、彼の態度は不公平そのものだったのだろうが、ソエストは、別段腹を立てもしなかったようだ。興醒めしたみたいに手の平を返す。
「まあ、いいでしょう。貴方はそれとはまた別のケースですので」
図らずも、クロノは反応に迷った。
シグドの話と食い違うことになってしまう。……信頼性でいえば、少年は間違いなく親友からの情報を選んだだろうが、目の前にいるのは実際に研究に関わっていた人員だ。
ソエストの説明もまた、無視するわけにもいかない。
「血液に同化した魔導反応については、グラールの研究で明らかになったことです。確かに、それを用いて別の使い手の紋章術を破壊することは、紋章術の属性や相性にもよりますが、不可能ではありません」
「……だから、今回はそれが起こったんじゃないのか」
「いいえ。残念ながら彼女は使い手ではありませんので。紋章術など持ち合わせていません」
「じゃあ、その人の何が俺の紋章術を使えなくしたんだ?」
医者――ではなく、研究員は不意に考え込むような間を空けた。
ソエストのような人間なら、どんな大仰な嘘でも真しやかに語れるだろう。
実際に、クロノの傷を縫合していたあの時は、彼は虫も殺さぬ顔で〝ただの医者〟の仮面を被っていた。嘘でないとすれば、何をそんなに黙り込む必要があるのか。
探るような目を向けたクロノに、ややあって、彼は説明を始めた。
「彼女は訳あって、紋章術とは真逆の――極めて有毒な要素を体に宿してしまいましてね。私はグラールとは別個の立場で研究を続け、その血液から毒素のみを抽出することに成功したのですが……」
ちらりと味気ない視線が、少年を捉える。
「本来は取引材料に使われる筈だったそれを、貴方が浴びてしまい、彼女の毒に紋章術を壊されたと。そういうことでしょう」
何がそういうことだ、とクロノは他人事を話すような無表情を睨み付ける。
彼の置いた沈黙は、把握情報の少ない人間に対して、事態をどう噛み砕いて説明するか、それを考える時間だったのだろう。
あれだけ優秀な紋章術師の姉妹でありながら、紋章術に有害な真逆要素を持っているとは、どういうことなのか。ソエストはグラールの実験施設で、鍵の模造について研究していたのではないのか。
大体、紋章術に害を及ぼすようなものが、どうして結社間の取引材料に用いられたのか。
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