Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第2章

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「彼女の毒が、紋章術と同じように血液にも含まれている事実と、それを使い手が実際に受けた場合。貴方が協力して下さったおかげで、今度こそはっきりとした実証が得られましたよ」
「協力したくてした訳じゃない。それに、今度こそって――」
「今までのものは、失敗作と言わざるを得ません。事実、貴方は記憶障害しか起こさなかったでしょう」


血の気が引くのを感じた。

今回、グラールとガエブルグの取引に使われたのは、以前クロノが回収したアタッシュケースに酷似するものだった。しかも、グラールで鍵の回収を命じられたあの日、そのアタッシュケースに関する記憶だけが抜け落ちている。
そして、ソエストが口にした、記憶障害という言葉。

クロノの中で、情報と情報が、かすかに繋がりを持った。


「……記憶障害って何のことだ」
「何のこと、と言われましても。貴方は、ソエストという名前を今日知った、とご自分でおっしゃった」
「それがどうしたんだ?」
「そうお思いになるのが、記憶障害の最たる証明でしょう。私はアタッシュケースを持った貴方と、グラール本部で自己紹介を済ましておりますので」


クロノは言葉を失った。

以前にも会っている? グラール本部で?
記憶になかった。

思い出そうにも、掘り起こす記憶自体が、彼の中から失われているのだ。

言いようのない空虚感に、クロノは背筋を冷たくする。


「カリバーンでお会いした際に、私が名乗りもせずに治療に取り掛かったのを、不可解に思われませんでしたか? 薬剤や輸血はタブーか否か、術師結社の宗派。あれは、本来の初対面の際に私が貴方にした質問事項、そのものだったのですが」


貴方は以前とまったく同じ答えを返して下さいましたね、と。
退屈そうな顔で、眼鏡へ指をやったソエスト。

あの質問攻めが、毒素の影響を知るための探りだったと思うと、心底気分が悪くなった。


「……あんたは、あのアタッシュケースがどうなったのか知ってるのか?」
「それは、貴方が上からのご命令でケースを廃棄した後、どのようにして貴方の体が毒されたのか、という意味でよろしいのでしょうか」

 ――わざと言ってるのか、こいつ。


クロノが聞きたかったのは、手元からアタッシュケースが消えた理由であって、その先の説明などではない。そもそも、自分で廃棄した記憶すらない彼にしてみれば、ソエストの言い回しは嫌味そのものだ。
神経を逆撫でされながらも、クロノはそれ以上の言及を避けた。

相手がさり気なく話題を散らそうとしているのは、分かり切ったことだ。
それに、今彼が聞くべきなのは、そんなことではない。
少年は眉を歪めながらも、まっすぐにソエストを見た。


「俺はこのままでいるつもりはない。紋章術を取り戻したい」


彼の一言は、薄暗い資料室にやけに響いた。

ソエストの目付きがさっと曇る。
露骨に難色を示した男を、クロノはなんとなく珍しく思った。


「先ほども申し上げましたが。何故そこまでして、この世界で生きようとされるんです? せっかく紋章術を手放せたというのに、いい機会だとお思いになりませんか」
「思わない。俺はこっち側でやっていくって決めたからな」


揺らぎもしない否定。
閉口したのかもしれない。長いため息がつかれた。

それでも、埃と古書が占めるこもった香りの中、ソエストの声は静かに問い掛けた。


「君はもう少しよく考えるべきだ。術師結社や紋章術が、何をもたらすのか」


一瞬、独り言ではないのかと錯覚した。
人を食ったような丁寧語が、鳴りを潜めていた。

相手の言い分を一蹴できなかったのはその所為だろう、と無意識の内に自分へ言い聞かせるクロノ。

ソエストは、相変わらず淀みない言葉付きで語を並べた。


「私は結社の存在に意味を見出せないのでね。悲劇の元凶でしかないなら、絶ってしまった方がよろしいかと」


貴方はそうは思われませんか、と。
共感を求めるでも、押し付けるでもない純粋な疑問のような口振りが、妙にあざとく見えた。

何も答えずにいるクロノは、彼の目にどう映ったのだろう。


「……それがあんたなりの正義か? じゃあ、そっちの目的は、紋章術の撲滅ってことだな」


この男に紋章術の奪還を相談するのは見当違いだったようだ。
それどころか、一生涯、協力できそうにない。

言外に引導を渡したクロノだったが、ソエストは思い出したように微笑した。


「正義? そんなに大それたものではありません。言うなれば――私怨ですかね。それに、撲滅だなんてとんでもない。ジェネラルがいくら抗ったところで、使い手さん方にはかないませんので」
「だったら、何の為にここにいるんだよ」


少年が大して興味もなさそうに聞いた所為だろうか。
問われた男もまた、驚くほどあっさりと答えてのけた。


「やはり、私怨でしょう。私にも、何がどうしても存在自体が許せない相手というのがいましてね。そのお方に〝こちら側〟からご退場頂くまで、私も退くに退けないのですよ」


呆気なく話すには、ずいぶんと不穏な動機だった。
しかも、ソエストの立場から推測するに、クロノはその人物に少なくとも心当たりがあった。

まさか、と憶測の相手を思った時だった。
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