Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第2章

089

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割れたクリスタルから溢れた魔力は空気を震わせ、〝ある存在〟に対してのみ効果のある音波を発生させる。
その音波に〝ある存在〟の紋章術は強制的に共鳴し、持ち主の意思を無視して内部から力を爆発させる。
もちろん、その経過を一部始終観察する人間たちに害の無いよう、共鳴した音波と紋章術の波がぶつかる箇所に魔力遮断の隔離壁が発生するようになっている。

実験施設で使用されている対〝人工紋章術の使い手〟用の制御アイテムに関して、シグドはミラノからそう聞いていた。


本来ならば、あのクリスタルを見た瞬間にその使用を阻止すべきだったのだろう。
だけどシグドは理解していた、自分と敵との距離があまりにも開きすぎていたことを。青年がどんな行動をしようと、それが使われるのを事前に防ぐことは出来ないことを。
だから彼は、敵を押さえ付けるのではなく彼女を守ることを優先させた。

つんざくような悲鳴が耳を、そして天を衝く。

単純に性能だけで考えるならば、どんな紋章術相手にも引けを取らない〝音の紋章術〟は、クリスタルが発生させた隔離壁などたやすく破壊した。
解放され溢れ出た音の衝撃波は、何よりも先に彼女の傍にいる彼を襲う。


「ミラノ!」


片膝をつき、シグドは彼女の名を呼んだ。
衝撃波をもろに受けた体を、シグドは地面に刺した重剣を支えにすることで崩れ落ちるのを防ぐ。そんなことで倒れているわけにはいかないのだ。
背後でクロノたちが雪原に倒れる音が、そして『人魚姫の領域』が割れる音が聞こえた。
だが、今のシグドにはそれらを気にする余裕などなかった。

銀世界が消えていき、クロノたちが倒れた場所が雪上から崩れかけた建物へと姿を変える。
が、しばらくもしないうちに崩れかけの屋敷は完全に崩壊した。それら全てをやったのが、未だ響き続けるミラノの叫び声による紋章術なのは一目瞭然だろう。


「ミラ、ノ……っ」


支えにした重剣を頼りに、それに掴まるようにしながらシグドはふらふらと立ち上がる。

ただ鳴り渡っているだけの紋章術は、確かにある程度は有害であるが、結局はただ相手にダメージを与えるだけの衝撃波しか発生させない。
たかが攻撃、されど攻撃。
意図して照準を絞った攻撃ではないにしろ、音の紋章術は人体の外部と内部のどちらもに影響のある衝撃波を放つ。紋章術の暴走が収まるまで、彼女の魔力が枯渇するまで待っていたのでは衝撃波を受け続けた体が文字通り壊れてしまうだろう。身体が無事でも、クロノのように紋章術が使えなくなる可能性だってあるなわけで。

いや、それ以前に。
ミラノは『人魚姫』の鍵の片割れでもある。魔力の枯渇なんて訪れるのかどうかもわからないのだ。


「何で、起き上がれるの……?」


微かに聞こえた声の方へシグドが視線を向ければ、膝をついているだけですんでいるグラールの人間たちが見えた。いくらか距離があるおかげで受けた被害は比較的少なかったようだが、仕掛けた罠で自分たちもダメージを受けるなど自業自得も良いところだろう。

とは言え彼らを一瞥したシグドが思ったのは、橙色のツインテールに「この間の借り」という言葉を思い出し、やっぱり面倒事を手伝うんじゃなかった、と場違いな後悔ぐらいだったが。


「くっそ」


シグドが小さく漏らした舌打ちは何に対してのものだったのか。
事態を止められなかった自身か、事態を引き起こした聖杯の少女か、数日前の電話越しでの助太刀か。そのどれかに向けられた苛立ちは、どちらにしろ、この場に反響する声によって掻き消されたので、吐いた本人にも届いていなかった。


地面に刺した重剣を支えに立ち上がったシグドは、おもむろにもう一本の重剣を抜く。

そして、報復だと言わんばかりに、一瞥した視線の先へそれを投げて攻撃した。
迷いなく放たれた重剣は、真っ直ぐに橙色の少女へとその刃を突き刺そうとしている。


「っ?!」


目を見開いたカルナの目の前で鮮血が上がった。

だが、剣を投げた本人は結果を見届けるどころか、すでに攻撃したことすら忘れたかのようにその深紫の瞳を、今もなお叫び続ける彼女へと向けている。


「待ってろ、今、助けてやるから」


シグドが伸ばした腕が、ふらつきながらも、ミラノの肩に触れる。

ミラノが『人魚姫』の鍵の片割れと呼ばれるのは、『人魚姫』の鍵をシグドとミラノで共有しているからだ。それによりミラノが鍵の恩恵を授かれるわけだが、実は、共有した鍵を媒体に互いの魔力も共有している。……そもそも鍵と呼ばれる存在は、自身の魔力と鍵の魔力が連結しているので、その鍵自体を共有すればそういうことも起こるのだろう。互いに相手の紋章術を使えるわけではないのだが、魔力共鳴による紋章術の同調、つまり互いの紋章術を重ねた複合紋章術を放つことができるのだ。

だからこそ、魔力共鳴による紋章術の同調を逆手に取れば、シグドがミラノの代わりに彼女の紋章術が暴走しているのを止めることもできる。


触れた肩から溢れるように伝わってくるミラノの紋章術の振動を、シグドは『人魚姫』の鍵の魔力を通じて強制的に押さえつける。他人の紋章術を操るなど初めてのことだが、四の五の言ってられる状況ではない。

その間もミラノの咆哮は刃となってシグドを襲う。
シグドはクロノのように紋章術の器を破壊されることはない。だが、その分、体力や気力を削られていく。シグドの意識が朦朧としてきた頃だ。


「っ」


反響なのか残響なのか、判別できないその叫び声が、ピタリと止んだ。

力無く倒れてきたミラノの体をシグドは両手で抱き留める。小さく息を吐いた彼もまた、二人分の体を支えられるほどの体力に余裕などなく、そのまま勢いに任せて地面に倒れる。
木製の固い床に転がったシグドは視界の隅で、自身の剣が突き刺さる真っ赤に染まった白い布を確認する。殺し損ねたと物騒なことを考えたが、これ以上どうすることもできない。


朦朧とする意識が遠のく中で、微かに旧友が起きる気配を感じた。
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