ハンガク!

化野 雫

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第百十六話

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「そうだね、巴の疑問はもっともだよ。
 でも、その答えはとても簡単。
 僕ら鬼牙は、遺伝的に圧倒的劣勢という事なんだ。
 極端な話、純粋な鬼牙同士の交配でも子供は鬼牙にならないケースがほとんど。
 今では鬼牙になり得るのは純粋血統同士で生まれた女性のみ。
 しかも、その条件ですら完全な鬼牙に生まれるのはかなり稀。
 『知恵』と『力』の両方を得た代わりに、
 僕ら鬼牙は遺伝的には、常識外れに虚弱な種になってしまったんだ。
 人間に擬態して混血した副作用がこれだったんだ。
 そう意味では『人類の上位互換種』なんてたいそう言い方したけど、
 『上位』って偉そうに言えるかどうか微妙だよね。
 ある意味、僕ら鬼牙にもこんな形で神の試練は課せられてたんだね」

 板額は緑川にそう答えて、自嘲気味に笑った。

網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさず」

 板額の言葉に緑川が思わずそう呟いた。

 そして、僕も言葉にこそしなかったけれど同じ言葉を思い浮かべた。

「まさにそう。
 種として神を出し抜いたつもりが、
 しっかり神の手のひらの上で転がされていたに過ぎなかった。
 まるで孫悟空だよね」

 緑川の呟きに板額はすぐさまそう答えた。自嘲気味にまた笑った板額の顔は少し悲しげだった。


 ちょうどその時、黒いスーツに夜だと言うのにサングラスと言う、いかにもお約束と言ういでたちの屈強な男の人がそ数人階段を上がって来た。その人たちは、僕らをまるでそこに居ない者の様に無視する一方で、板額には深々と一礼してから、望月先輩の遺体の方へ歩いて行った。

 どうやら彼らは、メイドの篠原さんが望月先輩の遺体を片付けるために呼ばれた人達らしい。

「ところで板額、君が鬼牙と言う僕ら人類の上位互換種だとは分かったけど、
 じゃあ、あの望月先輩は何だったんだ?」

 彼らが手際よく、しかも僕らから望月先輩の遺体が見えない様に配慮しながら片付けるのを見て、僕はそう率直な疑問を板額にぶつけた。

「ああ、彼ね。
 彼の様な者を僕らは『き者』と呼ぶ。
 僕と同類、鬼牙だよ」

「あなたと同じですって!じゃあ、板額、あなた……」

「板額、君は同類を殺したって言うのかい!」

 板額の言葉に緑川が一歩先に反応してそう叫び、僕がその後半を引き継ぐ形で声を上げた。

「待って、板額、それおかしいじゃない。
 あなた今しがた『鬼牙は女性にしかなり得ない』って言ったはずでは」

 しかし緑川がすぐにそう問い返した。

 そうだ、確かに板額は先ほどそう言っていた。もしその通りなら男である望月先輩が鬼牙であることは矛盾する。

「だから『憑き者』なんだ。
 彼は純粋な鬼牙ではないんだよ。
 それで居て普通の人より強く鬼牙の因子を引き継ぐ者。
 本当ならそれでも何事もなく『人類ひと』として一生を終えられるはずだった。
 でも、彼はあまりに強く自身の欲望に身を任せてしまった。
 その欲望が鬼牙持つ特異な『力』を暴走させ、
 そして、その『力』が彼から理性を奪ってしまった。
 結果、あの様に理性を持たぬただの危険な野獣と化してしまったんだ。
 ああなってはもうどうする事も出来ない。
 殺してやることがただ唯一の救いとなるんだよ。
 彼自身にも、そして何も知らない人類にもね」

 板額はそう言って寂し気に笑った。

 そう確かに板額は笑った。しかし、その表情は涙こそ見せなかったけれど泣いているように僕には見えた。

 問答無用で望月先輩を真っ二つにしたのは、一見、無情で残忍に思える。しかし、実際には同族でもある望月先輩の苦しみを少しでも減らして葬ってやる板額なりの優しさだったのかもしれない。


 そう思った時だった。僕は凄く恐ろしい事に気が付いてしまった。

「じゃあ、もしかして僕も『憑き者』かもしれないって事では?」

 僕は板額に恐る恐る尋ねてみた。そうなのだ。望月先輩の事は他人事じゃないのだ。自身で『憑き者』であるかどうかが分からないなら、僕だって『憑き者』で有る可能性は十分にある。

「そうよね、私だってそうかもしれない……」

 そう言った緑川の顔は明らかに曇っていた。

「そうだね、その可能性はないとは言えない。
 まあ、それでも基本、普通はああなることはまずないよ。
 彼みたいに人の道を外れるほどの欲望を抑えきれなくなった時だけだ。
 君たちはそうならないと僕は思ってるよ。
 まあ、そうなった時はなったで、僕が苦しまない様に殺してあげるから」

 そう言って板額は妙に陽気に笑った。

 しかし、その陽気な笑いがこの場合、逆に恐ろしく感じた僕だった。

「ちょっと、板額、それ洒落になってない」

 板額の言葉に緑川がちょっと怒ったように頬を膨らませてそう言った。
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