変わっていく世界、変わらない想い。

究極美少年しきやまくん

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「うるせーな。んだよ」

 晶は不機嫌極まれりといった様子で、眉根に皺をよせた。

 一度は仰天ぎょうてんした直緒だったが、一旦冷静に考えを巡らせる。


 ありえない。キスマークなはずがない。普通に虫刺されだ。それにしたって無駄に卑猥な虫刺されだ。そこに吸い付きたいのは俺の方だし、おまけに蚊ってのは血まで抜き取る。なんてわきまえのない虫けらだろうか。


 冷静に考えるほど、ふつふつと不快感が込み上げた。

「晶」

 静かに名前を呼び、晶の瞳を見つめた。

「な、なに……」

 晶は視線を逸らしながら鎖骨を掻いた。

 そんな晶を見ている内に、直緒もたまらず腕を掻いた。あー、痒い。足も首も、痒い。痒い痒い痒い。

 ようやく直緒は異常事態に気が付いた。尋常ではないほど刺されている。

「…………晶、もしかしてここ、めちゃくちゃ蚊がいるんじゃないか?」

「え、マジ……?」

 そんなことを話しながらも、両人どこかしらを掻きむしる手は止まらない。

「ヤバい! しぬほど痒い!」

 晶が腕を掻きむしりながら大声で騒いだ。

 今なら『帰ろう』と言い出せそうだと思った時だった。

「兄ちゃんら………」

 背後から男の声がして、直緒の心臓は大きくはねた。


 油断した! あの酔っ払いか!?


 直緒があわてて振り向くと、あの太った中年オヤジが立っていた。

「麦わら帽子、素敵だなぁ」

「へ?」
「は?」

 直緒が晶の様子を伺うと、晶も困惑した表情で直緒の方を向いた。

「これ使うかぁ? カミさんと娘がおんなじのくれてよぉ、一個余っちまってるからよぉ」

「は、はぁ」

 直緒は一瞬理解が追いつかなかった。オヤジはワンカップ片手に、銀色の電池式殺虫剤をもう片手に持って直緒達に差し出していた。
 それと同じ見た目の電池式殺虫剤が、ワンカップを持つオヤジの手首に腕時計みたいに巻き付いていた。

 三者の間に落ちた沈黙に、電池式殺虫剤の無遠慮なモーター音が響く。

 最初に言葉を投じたのは晶だった。

「………………もらっちゃって、いいんですか?」

「おう。やるやる」

「ありがと、ございます……」

 晶がオヤジから電池式殺虫剤を受け取るのを、直緒は呆然ぼうぜんと眺めた。なんとなく、晶のそういう感じは危なっかしいような気がした。少なくとも自分なら、これを貰おうという気持ちにはなれない。

「兄ちゃんらも、流星群見に来たのかぁ?」

 オヤジが水むくれた声で、突拍子もないことを聞いてくる。

「いや、そういうわけじゃないんですけど」

 と、直緒は晶が口を開く前に、やや食い気味に返答した。
 晶の方は「え、なにそれ」みたいな顔をしていた。ここでオヤジと晶の話が弾んだら、自分はオヤジに、敗北感を味わうことになるだろう。そんなのはまっぴらごめんであった。

「そうなのかぁ……いやぁ、俺よぉ。ここで五時間くらい空見てるけどよぉ、一個も見れやしねぇ」

 オヤジは寂しそうに空を見上げた。オヤジの瞳が充血してるのは十中八九酒のせいであるはずなのに、涙を堪えているからなのかもしれないと、そう思えてしまうほどオヤジは寂しそうに言葉をつむぐ。
 それにしたって五時間というのがもし本当であるなら、半分以上は寝ていたんじゃないかと直緒は思った。

「オッサンさ、もしかして見る方角間違えてんじゃねぇーんですか?」

 直緒がしんみりしてる隙に、晶が敬意のない話し方でオヤジに助言した。

「いや、そんなはざぁ、ねぇ! ペルセウス座流星群は、北東なんだよぉ!」

 オヤジは自身の風貌とは親和性のない言葉をスラスラ言い連ねた。

◇◇◇

 直緒と晶は、オヤジが見てた方角とペルセウス座流星群について諸々の情報をスマホで検索してやった。たしかにおおむね合っている。

「じゃあ、酒の飲みすぎなんじゃねぇの? 流れ星に気付けてないだけとか?」

 晶が敬意を完全に放棄すると、オヤジは泣き出しそうに眉を困らせて、ため息をついた。

「今日はもう、帰るかぁ……兄ちゃんら、オッサンと話してくれて、あんがとな。じゃ」

 直緒と晶は、オヤジの丸い背中を見送った。


 晶はモーター音を発する電池式殺虫剤を見つめながら言った。

「帰るか……」

◇◇◇

「あ」
「あ」

 直緒と晶は、同じようなタイミングと調子で放った。

 違法駐輪の痕跡が跡形もなく消えていたのだ。

 駐輪禁止の看板は、威厳を取り戻したように堂々と立っていた。

◇◇◇

 元来た道を歩く。湿度の高い空気が夜に満ちている。名前も知らない虫の鳴き声が茂みから聞こえた。
 車道のおこぼれのような路側帯ろそくたいの白線。車なんて全然走ってなかったけれど、はみ出ないように一列になって歩いた。

 リュックサックを背負った晶の背中を見つめながら、直緒は話しだした。

「結局蝉の羽化は見れなかったけど、大丈夫なの?」

「あー、んー……。ちょっと『リアリティ』にとり憑かれてたかもしんねぇ」

「どういうこと?」

「リアリティの魔物っていうか? んー。本物を描かなきゃいけないなら、俺は蝉の羽化じゃなくてオッサンを描かなきゃいけなくなる。ま、とりあえず大丈夫ってこと」

 晶は拍子抜けするほど淡白に言った。

「そういう、ものなのか……?」

「なんていうかさ、欲しい絵面ばっかに気ぃとられてたけど、蝉の羽化じゃなくても面白いことはいっぱいあったし」

「そっ、か。俺も、久しぶりに晶と出かけられて、良かったよ」

「そうそう」

 直緒はふと、今日のプレゼンを思い出した。慣れない企画提案に、上司のダメだし。
 直緒には絵のことも、物語をつくることも、晶の追う夢についても、理解できることなんてほとんどなかった。
 けれど、観念の檻に自ら囚われていたのかもしれないと思えた。晶のように、もっと自由奔放に目の前のものを糧とできたなら、自分の見ている景色が色を変えるかもしれない。

「あのさ」

「ん?」

「結局、スクショしたやつって……、読んだの?」

「え? ………………あぁ! そういえば! 読んでない!」

 晶はそう言って立ち止まると、ポケットをあさってスマホを取り出そうとした。

「ちょ! ちょっと待って! い、いいから!」

「思い出したら気になってきたんだけど!」

「いいから……! いいから、話聞いて……」

 晶がようやく大人しくなると、直緒はおそるおそる話しだした。

「……その、不安で」

「……不安? 何が不安? 教えて」

 晶は優しくほほえむと、直緒の手を握って再び前を向いて歩きだした。
 向かい合って話すには小っ恥ずかしかったから、これくらいが調度いいと思った。
 直緒は繋がれた手を握り返した。

「……晶が、俺の知らない場所で傷ついてないかとか……」

「うん」

「……晶が新しいことを始めるたびに、どんどん俺の知らないことが増えてる気がして……」

「うん」

「あの、その……、性格とかも、出会った頃と比べたら別人っていうか、それは良い意味で変わったって言いたいんだけど、それなのに俺って最近全然ダメ」

「待て」

「ええと」

「ダメとか言うなよ。直緒はずっとキラキラでピカピカだ」

 その言葉に、直緒の胸で罪悪感が暴れ回った。

「いや。もう。昔みたいにはいかないなって、つくづく思い知ってしまって。なんか、社会人になってから挫折が多すぎるし」

「あー、違う違う。そうじゃなくて」

「え?」

「上手く言えないけど、直緒は直緒だから」

「でも」
 直緒は固唾かたずを飲んだ。
「……晶が好きになった直緒は、もう折れちゃったかもしれない」

 直緒のすぐ横を車が走り抜けた。ヘッドライトが舐めるように晶を照らす。影が伸びて、また縮む。

「…………人が変わるのは当たり前だと思う。これから俺達には色んなことが起こって、色んな気持ちになって、一緒に変わっていくんだ」

 晶は静かに言った。だから直緒も、つとめて平静をよそおった。けれど、晶の後ろ姿を見つめていたら涙がそっと流れ落ちた。

「ずっと一緒?」

「ずっと一緒」

「俺がすごい陰気になっても、俺のこと好き?」

「なにそれ。めっちゃ当たり前じゃん」



 晶が振り向くことはなかった。歩道に出る頃には涙もとまっていた。

 握り合った手が熱かったのは、夏のせいなんかじゃない。

 二人一緒の証だ。


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