カント・ドッグ・ハント

アシッドハウサーE

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選挙事務所はワールドワイドの深水に

10 シングルマッチトライアル

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 予想通り通りだった。あの日の翌日、パソコンでチャットをした次の日に衆議院はしっかりと解散が宣言された。厳粛な様子をうかがわせつつも、完璧な作戦から溢れ出るニヤつきを抑えきれない首相が思い浮かぶ。俺がその浮ついた面を引っ叩くと思うと自分の面も一緒にニヤついていた。
 今日は、選挙の説明会だ。正確には、立候補者説明会と言うらしい。事務的な内容だとは聞いている。それに、なるべき外に出たくない。それらを見込むと、俺が行く必要があるとは思えないが、我が陣営はひとり。行かざるをえない。
 普通の陣営は、取り巻きが行くらしい。要は雑用が出席する仕事だ。例のショートメッセージの彼には、俺が出るように促された。初心者なんだから出とけってよ。雑用から陣頭指揮まで、ここまで忙しい立候補者はいないだろう。俺は、まだ立候補すらしていない、何もやっていないに近いことを棚上げにして、自分が非常に忙しいとでっち上げた。
 そんな説明会に参加するには、部屋から出なければならない。それどころか、家から出て、外の世界へ飛び出さなければならない。
 別に普通の精神状態であれは、特段困ることもない。しかし、7年以上も部屋から出ていないのだからそれすら躊躇するのも無理はない。また、自分への甘さを露呈する。
 難関ポイントは親父だ。いきなり部屋から出たら、いくら仲が悪くて、息子に興味がないからと言って、知らんぷりということはないだろう。ごちゃごちゃと部屋から出た訳を聞いてくるに違いない。たとえ親父から立ち退きを請求してようともだ。
 クソ。鬱陶しすぎるぜ。息子が一人で更生しようとしているんだからほかっといてくれよ!そう俺は、心の中で懇願しながら、だからといって目立たぬよう慎重に部屋のドアを開けた。出てすぐの階段を軋ませないように気を使いながら降りる。かかとから爪先までに全神経を集中させた。
 階段を降りる途中一階からは、人の気配がしないことに気づいた。親父がいない。すぐに俺は13段ある階段の中腹から飛び降りた。運動不足からか、膝には予想外の衝撃が走る。だが、親父がいないことを確信するための痛みにもなったのだから決して悪い痛みではない。
 因みに、昨日何故か配給の中にT字の髭剃りが入っていた。きっと親父が自分のと間違えたのだろう。几帳面な親父からはなかなかお目にかかれない事柄だった。
 親父のものを使うのは若干癪だったが、今日外へ出ることがわかっていたから、それを使って身だしなみを整えた。
 ヒゲは、口元だけ残して頭は全て剃りあげた。そして、昔使ってた眼鏡をかけることとした。口と目に装飾を施すのは挙動不審隠しも理由だが、何より程よくインテリチックな風貌になったと自負している。俺は、形から入るタイプなのさ。
 俺は、足を進めて家の前のドアまで来た。ついに引きこもりへピリオドを打つことになる。ドアノブに手をかけ一気に捻った。自宅のドアは押して開けるタイプなのだ。体全体を稼働させて、ありえないほど重く感じるそのドアをこじ開けた。ほぼ体当たりに近い。
 ドアの外側と内側で気圧が違うのか、外の空気は一気に内側へと浸潤してきた。開かなかったのもこのせいだろうか。
 とにかく俺は、入ってきた外の空気に飲まれ、飲み込み気分を害した。換気は大事だとインテリアコーディネーターとか、一級建築士とかはいうけれども、それは外で生きている人間を思ってのことだ。酸素を毒だとしている生物がいるように、俺にとっては野外の空気は毒でしかない。
 ここから、電車に乗ってまあまあの距離を移動しなければならいと思うと、憂鬱で小便も出そうになる。ストレスって感じると生理現象に影響を及ぼすもんだ。
 とにかく玄関に立って毒を喰らい続けるわけにも行かない。俺は、最寄りの駅に足を運ぶことを再直近の目標とした。
 ーー駅に着いた。駅までの道のりでは、あまりフラストレーションを貯めることがなかった。田舎ってのは、人と人との物理的な距離が遠いからあまり人に合わない。俺は運良く人に会わずに駅まで来れた。逆に人に遭遇したら大変だっただろう。田舎ってのは、精神的な距離が非常に近いんだ。田舎と俺の運には、最大限の感謝をしよう。
 駅も田舎らしく無人なのも有難い。俺は難なく切符を買い改札を抜けた。
 電車が少しだけ遅れてやってくる。ちょっとだけ混んでいる。俺の運は尽きた。今度は完全に人間を視野に入れることとなる。合併症のコミュニケーション能力の欠乏症は、重篤な症状を持っているようで、他人と一緒の箱に入れられると先程自宅の玄関先で感じた悪感の何十倍のものを感じ思わずえづいた。
 電車に快速のペースで飛ばされ、俺の目的地まで止まらず車体を揺らし続ける。
 ここから出れない。そんな状況に陥った。
 あまりにえづくから俺の周りにミステリーサークルが出来上がっていた。優しそうな女性が心配して声をかけてくる。
「大丈夫ですか?」
 大丈夫じゃないのは、お前が近ずいてくるからだ。ギロリ。俺は陰湿そうな形相で彼女の方に振り向いた。
「だいじょうぶだから」ほっといてくれ。
 後半は声にならなかったが、女性は戸惑い後ずさりしながら俺から離れた。ミステリーサークルは、目的地に着くまで消えないことだろう。なんてったって俺がずっとえづいているから。
 とにかく、県庁の最寄の駅には着くことができた。えづくことはあっても、吐くことはなく、無事だ。人混みが俺の周りを避けてくれたことが功を奏したのだろう。
 ここから、歩いて県庁へ向かう。辺りは、国に餌を巻かれた犬でいっぱいだ。獣の匂い、いや、金の匂いが悶々としてくる。どちらにせよ、好きな匂いではない。ただ、気持ち悪くならないだけマシってところだ。
 く歩くと、やたら古めかしい建物が見えてくる。愛知県の本丸。県庁本庁舎だ。いかがわしさ満点の匂いはここからだ。やたら分厚いドアを抜けるとすぐに無駄に豪勢な案内板が露わになる。金の使い方をどう間違えたらこれを買うのか。俺のマスかきのお供、強いては宅配型マッサージ店で使用した方がはるかに健全だ。ただここは案内に従う他はなかった。案内された部屋に着くと県庁職員が受付事務を行っている。名前を書いて普通に通り抜けるだけだ。
「立候補予定者名簿に名前と住所を書いてください。」
 言われるがまま名前と住所を書く。そいつらは他の奴らには愛想よくしていたが、俺が名簿に名前を書くのにてこずっていると苛ついて説明してきた。
「ここに名前でここに住所です。」
 なんだか俺には代議士の素質がないと言われているようで、少しの錯綜状態に陥らされた。
 素人っぽさを露呈してしまったかもしれない。「元」引きこもりの俺には、名前を書くだけでも精一杯だ。
 会場には、政治家の下僕みたいなやつらが椅子を埋めていた。まあまあ偉そうで、まあまあ胡散臭そうだ。各々自分のケツを差し出して、代わりに政治家の土壌を将来約束されたようなやつらだろうと思う。自分が出馬するわけじゃないのに、席を前から埋めている。誰もいないのに、やる気を見せつけているのか。目障りなやつらだ。俺は、空いている最後列の席に座った。
 説明自体はクソつまらないただの事務連絡だった。あいつがなんでこれに出ろといったのか分かりかねる。世は情報社会なんだ。はっきり言って調べればわかるレベルの内容だ。それも、この会と同じ時間数程度でだ。
 隣の席のやつは、首相の住吉の陣営のやつらしい。俺が座った後に、トイレに行くふりをして名簿を見たようで、そいつが話しかけてきたのでわかった。
「同じ選挙区なんですね。野党が擁立しないとのことなので我々以外出馬しないかと思いましたよ。」
 住吉の名を借りて「我々」とか言っちゃう辺りが気に入らない。なんだか余裕そうに浮かれているのも気に入らなかった。
「そちらの陣営も大変でしょう。せいぜい供託金ぐらい戻してもらえるといいですね。」
 まさか、俺が立候補者とは思っていないようだ。邪魔くさいやつだが、ここは弱々しく見せておくのが吉らしい。相手陣営がどんなやつだったか報告ぐらいするだろう。
「そうなんですよ。当の本人は何か勘違いして立候補したみたいで……。こっちは知り合いだからって付き合わされて、たまったもんじゃない。」
精一杯の演技をしてみた。コミュニケーション能力の欠如は深刻で、かなりのどもりがさらにボンクラ具合を加速させる。俺は、まともにやってもこんなもんだってことはわかっていたが、演技したと心の中で言い張った。
 向こうはくだらないやつで時間を潰してしまったとか思っているらしい。適当に会話を遮断して、その後二度と話しかけてくることはなかった。
 説明会が終わるとさっさと会場を後にした。空気が悪すぎる。住吉陣営とは同じ空間にはいたくない。早足で地下鉄まで進み、電車にのりこむ。とりあえず県庁とはおさらばだ。次は県庁と自宅の中間地点あたりのカフェに向かう必要がある。電車を最寄駅から暫くのところで降りた。ちょっと先で降りたのは、ガヤついた街に体を慣れさせるためだ。さっきまでの街とは違い、仕事の雰囲気はなく、また違った金の匂いがする。単純に金を使わせる、吸収しまくっているような感じだ。ベン・E・キング、オアシス、ジャスティン・ビーバーから、ハイスタンダードにラッドウィンプスと国やタイプ、時代なんて関係無しに至るところから、ランダムにBGMを垂れ流しにしている。
 ストレートラインシステムだっけか、言葉に声の調子、ボディランゲージが大切だって言ってたっけ。店にあった曲調と声を流せば2つも制覇できるんだから、この街でスピーカーが搭載されまくるのは当たり前だった。
 でも、直近まで引きこもりの多感性過敏症には刺激が強すぎる。街中を早足で通り過ぎて携帯のナビアプリの予測時間を裏切るように目的地へ向かった。
 ちょっと外れの目的地へ近づくにつれ多量の混合音は遠のき、今度は静寂に包まれた。
 地図で見たことある場所だった気がしたとおり、何回かきたことある気がしてきた。まだ明確にどんな場所だったか思い出せない。目的地の目の前まで来る。明らかにきたことがある。店はカフェになっているが、元は雀荘のはずだ。
 クローズの札を無視してドアを開けると、見たことのある女性がいた。
「えっと……。」
 俺が名前が出てこず、誤魔化そうとしているのに気づきたようだ。
「忘れたの?雀荘の。はなむ……。」
「瑠夏!」
 思わず大きな声が出た。7年前自宅軟禁されて以来だ。
 再開は思わず、興奮を感情の前面に押し出した。と同時に、チャットの主と、花村瑠夏が同一人物だという事実に錯綜した。
 結果、興奮と錯綜が化学反応を起こして混乱を生み出した。その触媒は花村瑠夏だ。
とりあえず、頭の整理のために瑠夏に事情を聞くとしよう。
 
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