フルムーン・オクロック

瑠俱院 阿修羅

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13. 儀式

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中からは音楽が聞こえてくる。
〈なりそこない天使〉もガラスに両手をついて、中をよく見ようと顔を近づけた。
室内は、何かが違って見える。
部屋の中にあるのが空気ではなく水のような感じがする。
エメラルドグリーンの光が部屋のあちこちに灯され、それが水中のようにゆらめいているせいだ。
『送りの部屋』の床の真ん中が、さらに六角形にくりぬかれている。
その中はエメラルドグリーンの光で満たされている。
その六角形の穴の前に、頭が牛、体が人間で両腕につくりものの翼を装着したミノタウルスイカロスの姿が見えた。
体を丸めるように膝をかかえ、姿勢を低くして座っている。
その両脇に、六角形の穴をはさんで向かい合うようにして、あれほど捜し求めた二人がいた。イクテュースとコネホだ。
イクテュースは、網で包んだ白い壺のような楽器を振って音を出していた。同じように振っているのに、音階のあるメロディがそこから流れてくるのだった。
コネホは、二つ並んだボウルに浮かべた丸く平べったい円盤状のものをバチで叩いていた。
後ろには、側面の縫い目がひきつってカーブした雑な作りの革張りの太鼓が吊りさげてあり、コネホは時々体をねじって向きを変えては同じバチでそれも叩く。そうやって、リズムを刻む。
二人とも、前に会った時と同じ人とは思えなかった。
あのおだやかなイクテュースが、怖いくらい真剣な顔でメロディを奏で、コネホもあの悪ガキとは思えない大真面目な顔でリズムを刻んでいた。
〈なりそこない天使〉が天井に顔を押しつけるようにして見おろしているのに、気づく気配もない。
儀式の行われている部屋にもやはり、水球時計があった。
ただし、中のイルカ針は時を刻む役目から解放されたように上下左右に勝手きままに泳いでいた。
イクテュースは壺を、渦を巻いて列をなすイルカの浮き彫りしてある白い台の上に置いた。
植物の茎を束ねて切りそろえたような道具を手に取り、紫色の透き通った巻貝を連ねたすだれのようなものをそれで撫でおろす。
ころころと、心地よい音がした。
コロシアムのコアトリクエは、これを真似ていたのだ。
心地よいメロディと狂騒的な打楽器の音に美しい歌声が混じりこんできた。細身のイシュアクアはなりそこない天使に背を向ける位置にいて、これまで〈なりこそない天使〉はその存在に気づくことができなかったのだ。
彼女はイクテュースの言うとおり、子供だった。
大人にあれこれ世話を焼かれるほど幼い子供ではない。
それよりもかなり歳が上だが、細くたよりなげで、とても、たくさんの子供の運命を任されている神子には見えなかった。
彼女は白い衣をまとい、なりそこない天使がトンネルの中で見たのと同じ動物の絵柄のついた四節の竹を持っていた。
竹の中はくりぬいて砂のようなものが入れてあるらしく、イシュアクアが斜めに傾けるたびにさらさらと音がした。
さらさら、さらさら。
その音に、催眠術でもかけられたように、〈なりそこない天使〉は夢見心地になって、音楽堂の天井にあたる透明な床に額をつけて目を閉じた。
主旋律が歌声だけになった。
のびやかで、清らかで、まるで耳を通らずに直接心にしみこんでくるような歌声だった。
とても懐かしい、どこかへ帰り着いたような幸せな気持ちがわいてきた。
草原で日の光を浴びて風に揺れている木々が、不意に見えた。
ハチドリやカワセミがその枝から枝へ飛びまわって何かをついばんでいる。それは光のつぶだった。
小鳥たちが飛び立つと、光らなくなった葉っぱにはすぐにまた、新しい光が降りそそいだ。
次に、雲で覆われた真っ白な空が見えた。
ところどころ、雲の輪郭に沿って銀色のリボンが流れ降りている。
それを背景にして、地平線にぽつりぽつりと生えている木のシルエットが見えた。
ヤシの木やフェニックスのようだ。
天が斜めに傾いたような模様を残して、夕焼けが地平線に流れこむ砂漠の落日が見えた。
数えきれないくらいの木の葉が木漏れ日で万華鏡を作る森が見えた。
きっと『約束の天体』だ。
あんな美しい光景はどうしたって、誰もが幸せになれるすばらしい場所にしかないはずだもの。
ふと気がつくとなりそこない天使は、家の二階の小さな部屋にいた。
壁には二枚の絵が掛けられている。
一つは幻想的で風変りな風景画。
もう一つは、力強いタッチの肖像画。淡いミントグリーンの天井には、金糸のようにきらきら光る細い線で星座の模様が描かれている。
ナラ材の机には、四つの玉の振り子がどちら側にも半回転する、ローマ数字の文字盤がついた時計。
部屋中に乱雑に置かれた絵の道具。大小のキャンバス。絵具の付いたくしゃくしゃの新聞紙。
バルコニーから風が入ってくる。
女の人の顔が浮かぶ。
《今日はパパとママの結婚記念日なのよ。あら、パパだ、おかえりなさい》
《ただいま。おもしろいものを買ってきたよ》
男の人が開く紙の包みを、そっくりな顔をした二人の子供が鼻先をくっつけあうようにして見守る。
出てきた画集を男の人が開く。
二人は両側からのぞきこむ。
《この絵を見てごらん。フォービズム、日本語では野獣派というんだ。こんな絵を最初に描いた人たちは、誰にもわかってもらえなくて大変だったんだよ。パパにも昔は、仕上げをする時間がなかったようにしか見えなかったよ》
《僕わかる》
《僕だってわかる》
《マネしないで》
《マネじゃないもん》
二人が言い合いを始めると、男の人は二人を交互に抱き上げる。
《こんなところに世界一すばらしい子供が二人もいるぞ。ギネス社に手紙を出さなくちゃ》
すると二人は、世界一素晴らしい同士でけんかはよそうという気になる。
もう、帰らなければ。と、なりそこない天使は思う。
でも、どこへ帰れないいのかわからない。
《病弱な男の子は、女の子として育てると丈夫に育つと、昔、お婆ちゃんが言ってたよ》
《それじゃあ、天美寿とちょうどさかさまになってしまうじゃない。パパ。天美寿にもっと女の子らしくするように言ってちょうだい。着ている物だけでは見分けがつかないわ。言葉も男の子みたいだし、阿幌のマネをして『僕』と言うのだけでもやめさせないと》
《いいじゃないか。阿幌となんでも同じにしたいんだ。少しお姉さんになったら、自然に女の子らしくなるよ》
パパが手美寿の味方をする。ママが笑ってため息をつく。いつものパターン。
《それじゃ、せめて自分のことは名前で言ってちょうだい》
ママの顔がすぐ目の前に迫ってきて、なりそこない天使に問いかけた。
《阿幌なの?天美寿なの?》
なりそこない天使は、はじかれたように目を開けた。
夢から覚めたような気分だった。
六角音楽堂の中では、儀式が続いていた。
ミノタウルスイカロスは膝をかかえていた手を放し、何かにあやつられるようにのっそりと立ち上がった。
六角形の水槽の中をのぞきこもうとしている。
そこに元々の自分を見て別れを告げ、〈旅立つ子供〉は『約束の天体』へ行くことになっていると、イクテュースは言った。
そして、その儀式を受けるのは、本当ならなりそこない天使のはずだ。
《阿幌なの?天美寿なの?》
そうだ。自分は誰なのか。それを確かめなければ。
水に映った元々の姿。
このままではミノタウルスイカロスの元々の姿が水に映し出されてしまう。
「だめぇ」
なりそこない天使は叫んで羽ばたいた。
そして飛び上がると、六角音楽堂の透明な天井板めがけて急降下し、目をぎゅっと閉じてつっこんでいった。
ガラスにぶつかる衝撃を覚悟していたが、何もなかった。
ただ、上から降ってくるはずのないものの到来によって、その場は大混乱に陥ってしまった。
驚いたミノタウルスイカロスが右往左往してあちこちの楽器にぶつかり、物を倒す。
壁の外側から半人半獣たちがわめく。
「何者」と叫ぶイクテュース。
彼が手に持っている白い壺の中からも、怒号が起こる。
弓に矢をつがえてこちらに狙いを定めたコネホが、「なりそこない天使」と呼んだ。
あらゆる音が完全に止まった。
時間も止まったようだった。
〈なりそこない天使〉は、気を失うまでのわずかな時間に、真下の六角形の穴の中の水鏡で顔を見ることができた。
なりそこない天使は、声にならない声でつぶやいた。
《阿幌》
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