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鹿木正成(完結版)
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鹿木正成
ナタリー・ジェファーソン
第一章 生駒・大和川攻防戦
1
時は西暦2828年、人類は滅亡の危機に瀕していた。
世界は、恐るべき伝染病である狂猫病に感染した猫人間軍によって支配され、わずかに感染を免れ、人間として生き残ったのは、生まれつき狂鹿病に感染している奈良県民、生まれつき狂猿病に感染している日光と箕面及び高崎山市民、生まれつき狂豚病に感染している茨城県民など、ごく僅かな人々となった。彼らは、生まれつきこれらの伝染病に感染しているために、狂猫病に対する免疫を持っていたのである。
狂猫病とはウイルスにより感染する伝染病で、感染すると二~三週間の潜伏期間を経て、次第に動作が猫に似てくる。前足を舌でペロペロなめたり、車のボンネットの上で昼寝をしたりするのが初期症状であるが、次第に四つんばいで歩くようになり、ついには、自分は猫だと思い込むようになる恐ろしい病気である。なによりこの病気の厄介なことは、仲間を増やすために、やたらと他の人に病気を移したがるという点である。
今や、日本全土のほとんどを征服した猫人間軍は、破竹の勢いで箕面の猿人間軍を滅ぼし、強硬に抵抗を続けている鹿人間軍の本拠地、奈良に迫っていた。
鹿人間軍は、若草山に前衛基地を布き、春日山に本陣の砦を構えて来たるべき猫人間軍の襲来に備えていた。
鹿人間軍の総司令官、鹿木(しかのき)正成(まさしげ)提督は、降伏か絶滅か、選択を迫られていた。降伏すれば、一生、猫人間軍の奴隷として強制労働させられる。しかし、全国の猫人間軍の兵力は六百万人であるのに対し、鹿人間軍の兵力は僅か四万人、兵力差は実に百五十倍である。しかも、猫人間軍には圧倒的な破壊力を持つ最新兵器、『猫ニャン砲』があるのに対し、鹿人間軍が持つのは旧式のアントラーサーベルのみである。
『猫ニャン砲』とは、猫人間軍が開発した新兵器で、この砲撃を受けると、周囲に大きな火炎を生じるとともに、体中に猫に引っかかれたような傷を受けて即死する。一撃で数百人の敵を倒すことが出来る恐ろしい兵器である。
一方、鹿人間軍のアントラーサーベルとは、大和の国に古代から伝承されてきた剣術である鹿剣法の達人のみに与えられる剣であり、達人がこの剣を振るえば、分厚い鉄板でさえ断ち切ることが出来る秘法の剣であるが、飛び道具としては使えないため、一騎打ちには適するが、大量殺戮兵器ではない。つまり、鹿人間軍にとって猫人間軍は、まともに戦ってはとても勝ち目のない相手だった。
その日の朝、正成は本陣の砦に築かれた舞台から奈良盆地を見渡していた。その舞台は清水寺の舞台ほど立派なものではないが、奈良盆地を一望するには十分な高さと広さがあった。
舞台から見下ろす奈良盆地はのどかで優美だった。しかし、いずれここにも猫人間の大軍が押し寄せ、のどかな風景は一変して焦土と化すだろう。それを想像すると正成はやり場のない怒りを覚えた。
強大な軍事力を誇る猫人間軍と戦う鹿人間軍の総司令官としては、あまりにも華奢な体型で端正な顔立ちの青年、軍服の上から超合金の鎧を身に付けた若く凛々しい将校、その人こそが鹿人間軍の総司令官、鹿木正成提督だった。
午後になると、正成のもとに各地からの伝令が続々と到着し、入れ替わり立ち代わり戦況を報告した。
最初に到着したのは豚人間軍の伝令だった。この伝令は豚人間軍の総大将、豚田時近が戦況を伝えるために正成のところに差し向けた者で、長旅のため、まるで乞食のようにみすぼらしい服装になり、髪は乱れ、顔は擦り傷だらけになっていた。
「筑波山にたてこもっていた豚人間軍は、既に兵力の半数を失い、福島方面に撤退しつつありますが、猫人間軍の東京基地より攻め込んだ関東軍と宮城基地の東北軍による挟み撃ちに遭い、全滅は時間の問題です」
伝令からの報告を受けた正成は、関東・東北方面の地図を広げ、腕を組み、右手の親指と人差し指であごを触りながらじっと考えていた。しばらくの沈黙があった。そして、いきなり何かひらめいたように「よし!」と声を上げ、鋭い視線を伝令に向けた。幼い頃から学んだ兵法の知識が、今、彼に妙案を授けていた。
「豚人間軍の総大将、豚田時近に伝えよ。福島方面に退いてはならぬ。那珂川に沿って日光方面に撤退せよと。日光まで退けば、猿人間軍と合流出来るはずだ。日光で猿人間軍と合流し、東照宮に砦を構えて篭城するのだ。猫人間軍は寒さに弱い。冬まで持ちこたえれば、反撃の機会はある」
正成の前にひざまずき、黙って正成の指示を聞いていた伝令が顔を上げ、正成を見つめて異論を唱えた。
「しかし、敵の関東軍は約二十万、東北軍は十万、それに対して、豚人間軍はわずか二万に過ぎません。しかも豚人間は動作が鈍い。日光にたどり着く前に、一気に殲滅されてしまいます」
伝令の異論は正成が想定していた通りのものだった。正成は伝令に歩み寄り、自らも床に膝をついて、伝令の肩に手を置き、優しく諭すように言った。
「那珂川を右に左に横断しながら退却するのだ。猫人間軍は水を苦手とする。橋を探して迂回しながら豚人間軍を追跡しようとするだろう。豚田将軍に伝えよ、後方の橋を爆破しながら日光を目指せと、そうすれば退却の時間は稼げるはずだ」
それを聞いた伝令が目を輝かせながら大きくうなずいた。
「心得ました。直ちにそのご指示を伝えに向かいます」
「長旅ご苦労であった。今夜はこの砦で一晩疲れを落とせ。けがも酷そうだ。軍医に診させよう」
正成の思いやりに満ちた温かい言葉を聞いて、伝令は瞳を潤ませた。
「誰か軍医を呼べ! この伝令のけがの手当てをさせろ!」
側近の者が進み出て、「心得ました。私が軍医にこの伝令を診させます」と言って、伝令を抱きかかえ、本陣の奥にある医務室に向かった。
次に現れたのは、壊滅した箕面の猿人間軍の残党だった。
「提督、必死の抵抗むなしく、我が軍は壊滅しました。百万の猫人間軍に対して、我が軍は、たったの二万、箕面の山にたてこもって善戦しておりましたが、猫人間軍は、我が軍の兵士に対して卑劣極まる誘惑をかけてきました。兵士たちは、偽りの誘惑に負け、昨日は百人、今日は千人というふうに次第に猫人間軍に降伏していきました」
「猫人間軍は、いったいどんな誘惑をかけてきたのだ?」
「はい、ただちに降伏すれば、自由と安全は保障すると……。しかし、これは真っ赤な嘘でした。降伏した仲間の兵士たちはサルマワシに捕らえられ、毎日、芸を仕込まれております」
「御味方は全滅したのか?」
「いえ、敵軍は我が軍の前線基地を攻め落とし、箕面の山の上にたてこもった味方の本軍に対して、猫ニャン砲による無差別攻撃をかけてきました。砦は火の海と化しましたが、幸いにして箕面の山には、蛸の足のように無数の沢が流れております。味方の大半は、散り散りばらばらになりながらも沢伝いに逃げ延びたと思います」
「猿成将軍は?」
「将軍は、わずかな手勢と共に、砦にたてこもり、壮絶な最後を遂げられました。他の者が逃げ延びる時間を稼ぐために、自らおとりとなられたのです」
「おいたわしや……、猿成将軍……。しかし、少数とはいえ、鉄の団結力を誇った猿人間軍が、そこまで簡単に崩壊するとは……」正成はそうつぶやいて唇を噛んだ。
箕面の猿人間と奈良の鹿人間との間には古くから親交があった。正成自身も幼少の頃、猿成将軍に遊んでもらった思い出がある。正成がどんな悪戯をしても、猿成将軍は穏やかな笑みを浮かべて許してくれた。その猿成将軍が戦死するとは……。正成は口を真一文字に結び、瞳を潤ませながら伝令に指示した。
「貴殿は、ばらばらになった御味方の残党を集め、河内の国の千早城に入れ。千早城は小さいながらも天然の要塞だ。小勢でも大軍を迎え撃つことが出来る。猫人間軍は寒さに弱い。冬になり、雪が降れば、必ず逆襲の機会は来る。それを信じて待つのだ」
「心得ました。ただちに残党を集め、千早城に向かいます」そう言って、猿人間軍の残党は去って行った。
最後に報告に来たのは、鹿人間軍の密偵だった。
「提督、猫人間軍は、箕面の猿人間軍を滅ぼした後、軍を二手に分け、我が大和の国に向けて進軍しています。兵力はそれぞれ五十万、一方は、生駒の山越えのルートをとり、もう一方は、大和川沿いに進んでいます。猫人間軍の総司令は、猫条提督です。生駒ルートの指揮を執っているのは猫之上将軍、大和川ルートは猫利将軍です」
正成は、本陣の物見櫓に立ち、考えていた。猫人間軍が生駒ルートと大和川ルートを採るのは読みどおりだ。それぞれ、生駒ルートの生駒山砦には猛将、鹿田将軍、大和川ルートの亀の瀬砦には正成の従兄弟、鹿川将軍を置き、猫人間軍の襲来に備えさせてある。どちらもそう簡単に突破されることはないだろう。しかし、所詮、多勢に無勢、猫人間軍が奈良になだれ込むのは時間の問題だ。若草山の前衛基地は、長くは持たない。次の策を講じなくては……」
2
鹿木正成が二十九歳の若さながら、鹿人間軍の総司令官となった理由は、王家の血筋だということもあるが、それ以上に彼の知略の優秀さと民の人望を集める穏やかで冷静沈着な人柄にあった。
『持久戦』
それこそが正成の戦略だった。狂猫病に感染した人間は、発症後五年間は高度な知能と抜群の運動神経を持つ猫人間となるが、発症後十年を過ぎれば、猫化が進行し、ほとんど『ただの猫』となる。
今回の猫人間軍の総攻撃は、そうなる前に鹿人間、猿人間、豚人間を滅ぼすのが目的に違いない。
したがって、戦が長引けば猫人間軍は、次第にただの猫の集団となって統率を失う。何としてもそれまで持ちこたえるのだ。
各軍の勢力図を見ながら戦略を練る正成のところに参謀総長の鹿上が歩み寄って進言した。
「提督、大和川も生駒も、敵軍五十万に対して、味方は所詮一万、まともに戦っては勝ち目はありませぬ」
「鹿上、もとより両軍が長く持つとは思っていない。しかし、大和川も生駒も断崖絶壁が連続する狭隘な進路だ。大軍を迎え撃つには格好の立地だ。鹿川にも鹿田にも正面からは戦わず、奇襲攻撃で時間を稼げと命じてある。鹿川も鹿田も戦術には精通した最高の指揮官だ。そう簡単に敵軍の進行を許すことはないだろう」
「提督のお考えはよくわかりました。しかし、如何に両将軍の知略が優秀でも所詮は多勢に無勢、敵の突破は時間の問題でしょう。その後は如何なさるおつもりですか?」
「春日山の本陣は、大軍を迎え撃つには適さない。一旦、軍を退き、吉野に新たな拠点を構える。吉野は四方を川に囲まれている。水を嫌う猫人間軍を迎え撃つには最高の立地だ」
「提督のお考えはわかりました。吉野要塞の整備を急がせましょう」
「ああ、そうしてくれ。それから大和川の鹿川、生駒の鹿田に伝えよ、間違っても玉砕はするな。ある程度、時間を稼いだら、若草山の前衛基地まで退くように、今は、一兵の命も無駄に失うことは許されない」そう言って正成は「ふう」とひとつため息を吐いた。
沈痛な表情で戦略を練る正成の背中に鹿姫が声をかけた。
「提督、今のうちに少し休息を取られてはいかがですか?」
正成が振り返ってホッとしたように微笑んだ。
「ああ、鹿姫様ですか、私は大丈夫です。それよりも姫は一刻も早く吉野に御退き下さい」
「いやです。わたくしは提督と一緒にここに残り、提督と運命を共にします」
「ご心配なく、私もこんなところで命を捨てるつもりはありません。春日山では食料や水の調達が難しく、長期戦には向きません。私もここでしばらく時間を稼いで吉野に退きます。大和の民は、みな鹿人間軍の味方です。一旦、猫人間軍に占領されても、農民たちは猫人間軍に食料を供給しないでしょう。百万の大軍を維持するためには莫大な食料が必要ですが、奈良盆地に入れば、奴らはそれを手に入れることが出来ません。長期戦になれば兵糧に困り瓦解を始めるでしょう。我が軍は、吉野に篭り、ただ、ひたすらその時を待つのです」
鹿姫は、憂いを含んだ円らな瞳を正成に向けた。
「わかりました。今は、提督だけが頼りです。提督のご指示に従います。わたくしは吉野に向かう身支度を整えて参ります」
鹿姫は、正成の遠縁にあたり、まだ十六歳だが、十二単を身にまとった艶やかな姿、まるで小鹿のような大きく円らな瞳、長いまつげと栗毛色の艶めく長い髪を持つその容姿は、妖精のように美しい。
古代から大和の国の盟主として崇拝されてきた鹿王家の末裔である鹿姫は、鹿人間軍の心のよりどころであり、邪悪な猫人間軍から鹿姫を守るという目的が鹿人間軍に強固な団結力を与えていた。
「鹿姫様だけは命に代えてもお守りしなければ……」正成は、心に誓っていた。
3
その頃、大和川の大阪と奈良の県境では、熾烈な戦いが繰り広げられていた。
亀の瀬の丘陵地に砦を築いた鹿人間軍の知将 鹿川義成は、物見櫓から敵の動きを観察していた。鹿人間軍の猛者、角田が鹿川に進言した。
「敵軍は既に奈良側に進軍しつつあります。黙って行かせていいのですか? 敵は我が軍を甘く見ております。ぜひ、先制攻撃させてください」
鹿川は、冷静な視線を角田に向けた。
「いや、攻撃はまだ早い。敵軍の先鋒が奈良側に入りきったら、攻撃を開始せよ」
「はっ、わかりました」
待ってましたといった様子で角田は勇躍して砦を飛び出した。
大阪から奈良まで大和川沿いに進むルートは、急斜面が連続し、道は狭い。猫人間軍は東西に長く伸びて進軍を続けていた。
「今だ! 巨岩を落とせ!」
角田の大号令とともに、鹿人間軍が山上に仕掛けていた巨岩・岩塊は、猫人間軍の先鋒めがけて斜面を転がり、猫人間軍の頭上に雨あられと降り注いだ。
「ニヤ~!」
猫人間軍の先鋒は、断末魔の悲鳴をあげながら巨岩の下敷きになったり、斜面を転がり落ちて大和川に転落した。
角田が落とした巨岩・岩塊は、進路を完全に塞ぎ、猫人間軍の先鋒は、生き残った者も後方の味方から完全に孤立した。
「うろたえるな! 鹿人間軍はわずかな数だ! 恐れるに足りぬ!」
猫人間軍の先鋒は必死に体勢を立て直そうとしていた。その時、目の前に猛将、角田が現れた。
「猫人間の愚か者ども、ようこそ大和の地へ来られた。しかし、一人も生かしては帰さぬ!」
角田はアントラーサーベルを頭上に振りかざし、部下の兵士と共に猫人間軍の先鋒めがけて突撃した。
その様子を鹿川は砦の物見櫓から見ていた。
「あのままでは、我が軍にもかなりの犠牲者が出る。敵の先鋒めがけて『マタタビ砲』を撃ち込め! 角田を支援するのだ!」
号砲とともに敵の先鋒めがけてマタタビ砲が撃ち込まれた。マタタビを嗅いだ猫人間軍は酔っぱらいのようにフニャフニャになり、完全に戦意を喪失した。そこへ角田たちの軍勢がなだれ込んだ。敵の先鋒は全滅した。
敵の先鋒が壊滅する様子を砦の物見櫓から見ていた鹿川は、大きくうなずいて、側近に命じた。
「第一段の作戦は成功だ。敵の先鋒は全滅した。大和川ルートは巨岩・岩塊に埋まった。敵が進路を復旧するには、二~三日はかかるだろう。その間に再び斜面の上に巨岩・岩塊を積んでおくのだ」
しかし、その命令に側近は異論を唱えた。
「巨岩・岩塊の準備は二~三日では間に合いません。巨木ならなんとか準備出来ます」
「わかった。巨木でよい。巨木の表面に稲わらを巻き、たっぷりと油を浸み込ませておけ。今度は猫人間軍を火攻めにしてくれる。奴らめ、鹿人間軍の知将 鹿川義成の恐ろしさを思い知るがよい」
4
一方、生駒ルートでは、生駒山上に築かれた砦の物見櫓から、鹿田頼秀が敵軍の動きを観察していた。鹿田が部下の鹿之園に命じた。
「予想通り、敵は信貴生駒登山道を登っている。敵が山の中腹まで着たら、堰を切れ」
「はっ、心得ました」
鹿之園は堰の横に立ち、タイミングを見計らって叫んだ。
「今だ! 堰を切れ」
轟音と共に堰が切られ、猫人間軍の先鋒は濁流に飲み込まれた。生き残った敵の先鋒が撤退しようと逃げ惑っていた時、鹿之園が目の前に立ちふさがった。鹿之園は、部下に号令した。
「猫じゃらし砲を撃ち込め! 一気に攻め潰すぞ!」
鹿之園の軍は、俵一杯に詰め込まれた猫じゃらしを投石器で敵軍に撃ち込み、猫人間軍が猫じゃらしに興じている間に、一気に攻め込んだ。猫人間軍の先鋒は全滅した。物見櫓からその様子を見ていた鹿田は、部下に命じた。
「敵はすぐに体勢を整えて、再び攻撃してくるだろう。堰の再構築を急げ! そして、今日の結果を提督に伝えろ」
大和川、生駒、いずれの戦いも大勝利だったという知らせが本陣の正成のもとに届いた。それを聞いても正成は顔色ひとつ変えなかった。
「伝令を飛ばせ、今日の勝利は敵軍が我が方を甘く見ていたためのものだ。勝利したといっても、敵軍の損害はせいぜい二~三万人だろう。次の攻撃では、敵は主力を先鋒に置き、猫ニャン砲による攻撃をかけてくるだろう。鹿田と鹿川に伝えるのだ。砦は砲撃の目標になり易い。山野に散らばって敵の砲撃を避けよと」
「承知いたしました」参謀本部の鹿上はそう答え、すぐに伝令を発した。
「提督、初戦は大勝利です。ひとまずお体を休められては?」
近衛隊長の美鹿野が後ろから声をかけた。美鹿野佐和子はまだ二十二歳の若い女性将校だが、ひとたび戦が始まれば、その華奢で端正な顔立ちからは想像もつかないほどの勇猛果敢さを見せる鹿剣法の達人である。しかし、女性らしい細やかな心遣いにも優れ、今や正成の片腕となっていた。
「ああ、そうする。この間に参謀本部も食事を済ますように。我々もこの間に夕食を取ろう」
「承知いたしました。あちらに料理を用意してございますので、どうぞお召しあがり下さい」
食卓に着いた正成の隣に佐和子は正座し、お酌をしようとした。それを正成は制止した。
「いや、今夜は酒はよそう。食後に参謀会議を開く、皆も酒は控えろ」
食事の後、正成は、参謀全員と佐和子を集め、参謀会議を開いた。会議の冒頭、正成が諸将をねぎらった。
「今日の初戦は、我が軍の完勝に終わった。これはひとえに皆の努力によるものである。提督として心から礼を言う。皆、誠にご苦労であった」
「恐縮至極にございます。しかし、本日の勝利は、我々の手柄ではありません。ひとえに提督殿の知略によるところと存じます」
正成は、鹿上の言葉に対しては何も答えず、佐和子の方を見た。
「美鹿野、明日以降の作戦を皆に説明せよ」
佐和子は、「ハッ」と言いながら一礼し、説明を始めた。
「密偵からの報告では、本日の戦で、猫人間軍の先鋒隊は、生駒、大和川のいずれにおいてもほぼ壊滅し、敵軍の死者は、生駒で約一万八千、大和川で約一万六千、合わせて約三万四千に及ぶと推定されます。負傷者はその倍、約七万とのことです。
これに対して、我が軍側の死者は、生駒で十一名、大和川で十八名、負傷者は軽症を除いて七十八名です。初戦はひとまず我が軍の完勝と言えましょう。しかしながら、本日、撃ち破った敵の先鋒隊は、猫人間軍にとっては、あくまで偵察部隊のようなものであり、装備も比較的軽装でした。今日の完敗に懲りた猫人間軍は、明日以降、前戦に精鋭部隊を配置することが予想されます。密偵の報告によれば、明日以降、前戦に配置される敵精鋭部隊は、生駒、大和川ともに約十万、いずれにも猫人間軍の最新兵器である猫ニャン砲が多数装備されています。これを迎え撃つ我が軍は、生駒、大和川、共に約一万です。本日、我が軍が破壊した進路を敵が復旧するには、二~三日かかるでしょうが、それ以降、我が軍の前線基地は猫ニャン砲の集中砲火を浴びることになります。陥落は時間の問題でしょう。それを見越した提督は、既に、両前線基地の我が軍を砦から退去させ、付近の山野に潜伏させております。敵軍が進路を復旧し次第、再び崖の上から巨木による火攻め、鉄砲水による水攻めをかけ、時間を稼ぎながら、我が軍の先鋒部隊を若草山まで撤退させるというのが提督の作戦です」
それを聞いた鹿上が異議を唱えた。
「しかし、その作戦では、敵の本隊は、無傷で大和の国に侵入することになります。遠距離から猫ニャン砲の集中砲火を受ければ、若草山の前衛基地どころか、この春日山の本陣も火の海と化します。我が軍はひとたまりもなく壊滅するでしょう。それより、今から特殊工作部隊を敵の精鋭部隊に侵入させ、猫ニャン砲に細工して故障させ、敵の目算が狂ったところで、亀の瀬と生駒山に潜伏している味方の先鋒部隊に突入させた方が、敵に多大な損害を与えることが出来るのではないでしょうか?」
正成は、鹿上の戦術を最後まで黙って聞いていた。そして、
「鹿上、確かにそのとおりだ。私も最初はそう考えた。しかし、山の上から駆け下るのは、攻めるには有利だが、退却は極めて難しい。例え、敵の精鋭部隊に何万という損害を与えることに成功しても、亀の瀬と生駒山の我が軍は玉砕するだろう。我が軍は合わせて二万の兵力を失うことになる。今はまだ決戦の時ではない。今、我が軍にとって最も肝要な課題は、出来るだけ兵力を損ねることなく、吉野に撤退することだ。そのためには、時間を稼ぎながら、我が先鋒部隊を若草山の前衛基地まで退却させた方がよい」
今度は佐和子が異議を唱えた。
「提督様、それでは、若草山の前衛基地とこの本陣をタダで敵にあけ渡すとおっしゃるのですか?」
「若草山もこの本陣も長期戦には向かない。兵糧の調達が難しいからだ。大軍を迎え撃つには、吉野の方がはるかに立地がよい。したがって、今、我が軍に肝要なことは、味方の損害を最小限にとどめながら吉野に退く時間を稼ぐことだ。皆と同じように私も武将の端くれだ。敵に後ろを見せたくはない。しかし、奈良の民は我が軍の味方だ。奈良を占領した猫人間軍に対して兵糧を提供することはない。それぐらいなら奈良の民は田畑を焼いて、我々の待つ吉野に合流するだろう。今回襲来した猫人間軍は百万の大軍だ、農民の協力なくして兵糧は維持出来ない。いずれ、食料も水も底をつき、猫人間軍は自壊するだろう。まして猫人間軍は寒さに弱い。戦が冬まで長引けば、奴らは奈良盆地で立ち往生することになるだろう。それが私の狙いだ」
「焦土戦術か……」鹿上はそうつぶやいた後で言った。
「提督の戦略は理解いたしました。満座異論はないと思います。しかし、せっかく築き上げた若草山の前衛基地とこの本陣を何の代償もなく敵にくれてやるのはあまりにも無念です」
それを聞いた正成がニンマリと微笑んだ。
「いや、何の代償もなくあけ渡すのではない。敵は我が軍が撤退したことを知れば、若草山の前衛基地にも、この本陣にも、雪崩を打って押し寄せてくるに違いない。そこで、若草山と本陣には遠隔操作式の爆薬を埋め込んでおく、これにより敵軍には多大な損害を与えるに違いない」
それを聞いた鹿上が感嘆の声を上げた。
「いや、提督の戦術には感服いたしました。満座、異論ないな!」
正成が言葉を足した。
「それだけではない。奈良で食料に瀕した猫人間軍は、一旦、大阪に戻り体勢を立て直そうとするだろう。それまでに、亀の瀬の斜面には再度岩塊を積み上げておく。また、生駒の堰には水を貯めておく。奈良から大阪へ戻る敵軍に追い討ちをかけるのだ」
「なるほど!」と参謀たちは正成の戦術に感嘆の声を上げた。
正成が皆に号令をかけた。
「人類の命運は、貴公たちにかかっている。心してかかれ、頼むぞ!」
参謀会議は散会し、参謀たちはそれぞれの担当部署に散った。
正成は物見櫓の上に立ち、満天の星空を見ていた。そこへ佐和子が歩み寄って来た。
「提督、頭上の星空は、子供の頃と何も変わりませんね」
正成は、振り返って佐和子を見つめながら穏やかに微笑んだ。
「ああ、子供の頃、夜、外に出るといえば、神社の縁日ぐらいだった。君は橙色の柄が入った浴衣を着て、私と縁日に出かけたね」
「はい、記憶しております。思い出すと懐かしくて涙がこぼれそうになります」
「君は、金魚すくいで一匹も救えなかったと言って泣き出したんだ。私は君をあやすのに苦労したよ」
佐和子がはにかみながら小さな声で答えた。
「恥ずかしい……」
正成は、物見櫓の手すりに両手をついて、つぶやくように言った。
「その幼かった二人が、今や鹿人間軍の提督と近衛隊長か……」
「もう一度、あの穏やかで平和な日々を取り戻しましょう。提督なら出来ます。私は、提督のためならいつでも喜んで命を捧げます」
「佐和子、今の君は近衛隊長だ。君の役目は鹿姫様を守ることだ。自分の役目を忘れるでないぞ」
「はい、心得ました。命に代えても鹿姫様を守ります」
「頼むぞ」
そう言って正成は穏やかな笑顔を見せた。
満天の夜空に一閃の流れ星が走った。
6
翌朝、鹿姫は、近衛隊長の佐和子とその手勢に守られて吉野に向けて旅立った。
正成が一行を見送りに来た。
「物見の報告によれば、吉野までの道中は安全です。どうかお早めに吉野にお入り下さい。道中の安全は、美鹿野隊長がお守りします」
鹿姫が寂しげな視線を正成に向けた。
「吉野の要塞は、出来る限り整備しておきます。必ず生きてお越し下さい」
正成が高らかに笑った。
「ご心配は無用です。こんなところで犬死はいたしません。春日山で出来るだけ多くの敵を撃破して、吉野に向かいます。美鹿野、私が合流するまで、鹿姫様を頼むぞ」
佐和子は凛と姿勢を正して答えた。
「心得ました」
何度も後ろを振り返りながら、鹿姫は吉野に向けて旅立った。正成は次第に小さくなる一行の姿を見つめていた。
正成がそばにいた鹿上に言った。
「私は寝仏のご隠居のところに行ってくる。しばらく留守を預かってくれ」
「心得ました」
正成が沢沿いに三十分ほど馬を走らせると山の中腹に小さな集落が見えてきた。ここに正成に兵法を教えた寝仏のご隠居が住んでいる。
寝仏のご隠居の家に着いた正成は、馬を降り、小さな門を叩いた。
「ご隠居、正成です。少し相談があって参りました。ここを開けてください」
「正成様ですか? ようお越しくださいました。ご隠居は奥の部屋におられます」
そう言いながら若い娘が門を開けてくれた。この家にご隠居と住む。小夜子だった。
「小夜子、久しぶりだな。元気でいたか?」
「正成様こそ、お元気そうで安心しました。鹿人間軍の提督になられたということで、いろいろお忙しいでしょう。ご健康を案じていたのです」
「私は心配ない。それより、早くご隠居に会いたい」
「それなら奥へどうぞ」
小夜子が正成を奥の部屋へ導いた。奥の部屋では、寝仏のご隠居が座禅を組んで瞑想にふけっていた。
「ご隠居、正成です。相談があって参りました」
「そろそろ来る頃だと思っておった。戦況はどうじゃ。かなり難儀しておるようじゃが……」
「お察しの通りです。現在、春日山の砦におりますが、春日山では長くは持ちません。時期をみて吉野の要塞に退却するつもりです」
「確かに吉野は天然の要塞。籠城するには最適の立地じゃ。だが、所詮は多勢に無勢。長くは持たんじゃろう」
「そう思います。吉野の要塞もいずれは陥落するでしょう。私にはその後どうすれば良いか、わからないのです。どうか妙案をお授けください」
そう言って、正成は首をうなだれた。
「正成、わしはお主に兵法の全てを授けた。もうわしにはお主に教えることは何もない」
「では、我が軍には勝ち目はないと?」
「そんなことは言っておらん。確かに戦力の差は大きいが、勝てる戦じゃ」
「教えてください。どうすれば猫人間軍を倒すことが出来るのですか?」
「それじゃ、一言だけ言わせてもらおう。元を絶つんじゃよ」
「元を絶つ? その意味は?」
「おそらく、今回の戦で少し痛めつけてやれば、猫人間軍は東京の主力部隊を差し向けて吉野の要塞を滅ぼそうとするじゃろう。当然、東京の大猫城は手薄になる」
それを聞いた正成はハッとした。
「ご隠居さま、妙案を授けていただき、ありがとうございます。成功する自信はありませんが、他に方法はありませんね」
「ない。勝利を期すなら、それが唯一の方法じゃ」
「わかりました。やってみます」
そう言って正成は一礼し、寝仏のご隠居の家を出た。
本陣の司令塔に戻った正成のところに、各地の戦況を伝える密偵が次々と参上した。
一人目は、日光に派遣していた密偵だった。
「提督、豚人間軍は、猫人間軍を振り切り、何とか無事に日光東照宮にある猿人間軍の陣地に合流しました」
正成はホッと胸をなでおろした。
「それは良かった。貴殿もさぞかし疲れたろう。ゆっくりと休むがよい」
二人目の密偵は、大阪の千早城からの者だった。
「提督、千早城には、箕面で壊滅した猿人間軍の残党が集結しつつあり、現在、その総数は約八千となりました」
「猫人間軍が千早城を攻める気配はあるか?」
「いえ、今のところその気配はありません」
「そうか、ご苦労であった」
三人目の密偵が勇躍して正成の前に進み出た。
「提督、吉報です。信濃でカモシカ人間軍が武装蜂起しました。現在、長野城跡に砦を築きつつあります。総勢たった二万三千の小勢ですが、信濃は酷寒の地、寒さに弱い猫人間軍にとっては攻めにくい相手でしょう」
それを聞いた正成の表情がパッと明るくなった。
「あの気の弱いカモシカ人間が、とうとう蜂起したか!」
四人目の密偵は、生駒と大和川の攻防戦の状況を伝えた。
「我が軍が破壊した進路を猫人間軍が復旧するのは、おそらく明後日の午後になるでしょう。提督の予想通り、猫人間軍は、現在、両前線に猫ニャン砲装備の精鋭部隊を集結させつつあります。明後日の午後には、決戦の火蓋が落とされることになると存じます」
「そうか、明後日の午後だな。生駒の鹿田将軍に伝えよ。堰を切り、水を流したら、速やかに軍を退き、若草山の前衛基地に戻れと。大和川の鹿川将軍にも巨木の投下が終了次第、若草山まで退却せよと伝えるのだ。兵を損じずに退却することは、進軍以上に難しい。くれぐれも退却のタイミングを失わないよう伝えろ。生駒山も亀の瀬も砦を死守する必要はない。決して無理をするなと伝えるのだ。敵が猫ニャン砲の一斉砲撃を始める前に退くのだ。わかったか?」
密偵が答えた。「心得ました」
「鹿上、鹿上はおるか」正成が叫んだ。
「はい、おります」鹿上の声がした。
「爆薬の配備状況はどうだ。後、どれくらい時間がかかる?」
「ハッ、昼夜兼行で作業を進めれば、明日中には終わります」
「そうか、間に合うな」そう言って、正成は小さく微笑んだ。
正成は物見櫓に登り、砦の各所に爆薬が取り付けられる様子を眺めていた。幼い頃に鹿と戯れた若草山も、佐和子と遊んだ奈良公園も思い出の地は全て爆破され、焦土と化す。正成は無表情につぶやいた。
「国破れて山河あり……か」
その時だった。参謀総長の鹿上が血相を変えて飛び込んできた。
「提督! 一大事です! 猫人間軍の奇襲部隊が宇治を迂回し、城陽に入りました。兵力は凡そ一万、おそらく昨夜大阪を出発し、夜を徹して京都を迂回したものと思われます!」
一瞬の沈黙の後、正成は振り返って鹿上を見つめ、冷静なまなざしで指示を与えた。
「あわてるな! 一夜で城陽まで到達したのなら、おそらく猫ニャン砲を装備していない軽装の奇襲隊だ。敵の目的は、我が軍のかく乱だ。木津川の橋を落として川の対岸に第三騎兵隊を対峙させろ、猫人間軍は水を嫌う。川を渡る艦船の準備もないだろう。敵の奇襲隊は、木津川の北側で立ち往生するだけだ」
「しかし、もし敵軍に艦船の準備があり、木津川を渡って来た場合は?」
「その時は、渡し場に向けて、猫じゃらし砲を一斉砲撃しろ、敵が猫じゃらしに興じている間に第三騎兵隊で一気に叩け」
「心得ました」そう言って、鹿上は走り去った。
総司令官である自分は、どんな時でも見方に動揺した様子を見せることが出来ない。例え予想外の事態が起こっても、すべて想定内の出来事のように振る舞い、部下に適切な指示を与えなければならない。正成は孤独だった。ただ、幼なじみの佐和子がいつもそばにいてくれることが正成の心の支えになっていた。その佐和子も今朝、鹿姫の護衛に旅立った。正成の心を荒涼とした隙間風が吹き抜けていた。
(自分はこれほどに佐和子に支えられていたのか……。寂しい……)
狂おしいほどの佐和子への想いが正成の胸一杯に広がった。自分は、いつも佐和子に提督と近衛隊長として厳しく接してきた。でも、佐和子はいつも自分に女性らしい細やかな心遣いを払ってくれていた。何故もっと佐和子に優しく出来ないんだろう。正成は後悔した。佐和子に再会できるのはいつになるかわからない。再会できる保証はどこにもない。正成はつぶやいた。
「辛きかな…… 一軍の将」
鉄の意志を持つ鬼提督、鹿木正成の瞳が潤んだ。
そこへ再び必死の形相をした鹿上が現れた。
「先月からの渇水で木津川の水位が異常に下がっております。猫人間軍の奇襲隊に木津川の防衛線を突破されました。現在、我が第三騎兵隊と一進一退の攻防となっておりますが、兵力では我が軍が不利です」
「あわてるな! 第五騎兵隊にマタタビ砲を持たせ、援軍に差し向けろ、第五騎兵隊には我が軍随一の猛者、熊鹿重光がいる。彼が行けば軽装備の奇襲隊など一気に蹴散らすだろう」
「心得ました」そう言って、再び鹿上は前衛基地に戻った。
若草山の前衛基地に着いた鹿上は、第五騎兵隊に出動命令を発した。第五騎兵隊の隊長、熊鹿重光は一騎当千の猛者だが、血の気が多すぎて、上官の命令に背くことも多いため、あえて生駒と大和川の戦闘からは外されていた。
出陣の命令を受けた熊鹿はニヤリとほくそえんだ。
「御命令、心得て候。猫人間軍の奇襲隊など、一気に踏み潰してみせまする」
「ものども、出番だ!」
熊鹿が号令をかけると第五騎兵隊の猛者たちは勇躍して基地を出発した。
木津川の河原では、猫人間軍の奇襲隊と鹿人間軍の第三騎兵隊が一進一退の攻防を繰り広げていた。そこへ第三騎兵隊が到着した。鹿光が熊鹿に言った。
「敵は軽装だが、なかなかの強者ぞろいだ。油断するな」
「なんの、あんな連中、俺たちだけで十分だ。お主らはここで一服しておれ、ものども、行くぞ!」
熊鹿の号令と共に、第五騎兵隊の猛者たちは一気に河原に向けて進軍を開始した。熊鹿は長さ三メートルはあるアントラーサーベルの大矛を振り回し、まるで人なき野原を駆け巡るごとく、バッタバッタと猫人間軍を斬り捨てた。その様子を北側の対岸で見ていた猫人間軍は、恐れをなして退却を始めた。戦は鹿人間軍の勝利に終わった。
熊鹿は逃げ惑う敵兵の後を追おうとしたが、それを鹿光が諌めた。
「追ってはならぬ。今は、一刻も早く本陣に戻り、提督をお守りするのが我らの役目。敵の敗残兵と鬼ごっこをしている場合ではない!」
それを聞いた熊鹿は、苦々しそうにその場に踏みとどまり、吐き捨てるように言った。
「ふん! 運のいい連中だ。しかし、今度会ったら命はないぞ!」
こうして第三騎兵隊と第五騎兵隊は、木津川の合戦に勝利を収め、若草山の前衛基地に戻った。
伝令から勝利の一報を受けた鹿上は、物見櫓にいた正成にそれを報告した。勝利の報告を受けた正成は、こともなげに言った。
「そうか、ご苦労だった。第三、第五騎兵隊の隊員には十分な休息を与えろ。それから、けが人には手厚い手当てを施し、死者は遺体を収容し、法師に十分に供養させるように、けが人や死者を粗末に扱うことは軍の士気を低下させる一番の原因になる」
その日の夕刻、鹿人間軍の陣営は、連戦連勝に沸きあがり、兵の士気は頂点に達していた。参謀の中にも、ここに留まって徹底抗戦すべきだという意見が出た。しかし、正成の決意は揺るがなかった。
春日山には地の利がない。長期戦になれば必ず負ける。それは兵法に精通した正成にとって確信的事実だった。
深夜になり、信濃のカモシカ人間軍からの使者が到着した。使者は、カモシカ人間軍の総大将である加茂鹿之助からの密書を携えていた。密書にはこう書かれていた。
「貴軍は春日山に篭城し冬を待て。初雪を合図に我が軍が敵の退路を絶つ。猫人間軍を東西から挟み撃ちにすべし」
密書を読んだ正成は冷ややかな笑みを浮かべ、返書をしたためた。
「春日山は持久戦に利なく、我が軍は初雪を待たずして滅ぶ。我が軍は、春日山を捨て、吉野に退く。貴軍は、そのまま冬の到来を待つべし。幸運を祈る」
正成は、返書を使者に手渡し、その労をねぎらった。
「遠路はるばるご苦労であった。今夜は、ここでゆっくりと体を休め、明日の朝、帰られよ」
深夜になり、正成は眠れずに物見櫓に登った。頭上には満天の星空が広がっていた。正成はその中でひときわ明るく輝いている星を見つめた。そして思った。
(たとえどんなに離れていても、佐和子は今、同じ星を見つめている。こんなところで死んでたまるか……。連戦連勝に浮かれて戦略を変えてはならぬ。今日までに戦ったのは敵の主力ではない。連勝に浮かれて攻めに転じれば必ず墓穴を掘るだろう。戦に迷いは禁物だ。吉野に退くのだ、吉野に。そして時を待つのだ)
その頃、生駒、大和川の両前線では、猫人間軍の司令官、猫之上将軍、猫利将軍のもとに密偵からの報告が入っていた。いずれの戦線でも密偵の報告は、ほぼ同じ内容だった。
「将軍、夜になっても、敵の砦にはたいまつが灯っていません。人の気配は全くありません。鹿人間軍の先鋒は、砦を捨てて、若草山に退却したものと思われます」
それを聞いた猫之上、猫利はしたり顔で言った。
「無理もない、本軍は猫ニャン砲装備の精鋭部隊十万、それに対して奴らはせいぜい一万だ。装備も旧式だ。まともに戦って勝ち目はない。まして砦は猫ニャン砲の目標になる。奴らは、砦を捨てて若草山の前衛基地まで退却したのであろう。進路の復旧を急げ、一刻も早く大和の国に入り、鹿人間軍を根絶やしにするのだ」
7
先に進路の復旧が終わったのは生駒ルートの方だった。猫人間軍は、前線にずらりと猫ニャン砲を並べ、生駒山の砦に向けて一斉砲撃を開始した。ずらり整然と配置された黒光りする猫ニャン砲から轟音と共に次々と砲弾が発射される姿は壮観でもあった。瞬く間に鹿人間軍の砦は火の海と化した。
猫之上将軍が号令を発した。
「敵の先鋒は壊滅した。進路は開かれた。全軍進撃せよ!」
その時だった。「ドドド」という轟音と共に鉄砲水のような濁流が猫人間軍を飲み込んだ。鹿人間軍が再び堰を切り、水を放ったのだ。
「ニヤ~!」阿鼻叫喚とともに、猫人間軍の精鋭部隊は濁流に飲み込まれた。濁流に流された猫ニャン砲がむなしく泥に埋まった。
「おのれ、鹿人間軍め! 空の砦はおとりだったか……」
この鉄砲水により、猫人間軍の生駒部隊は、総勢十万のうち、約半数の五万人を失った。
生駒山の山上からその様子を眺めていた鹿田将軍は、振り向いて全軍に号令した。
「作戦は成功だ。我々の役目は終わった。若草山に戻るぞ」
部下たちが納得出来ない表情で反論した。
「敵は乱れています。今が好機です。突入して敵にとどめを刺しましょう」
「いや、今は、まだ決戦の時ではない。出来るだけ味方の損害を出さずに時間を稼ぐことが我々の任務だ。我々の任務は成功した。後は、一刻も早く若草山まで撤退するのだ」
結局、生駒の合戦で猫人間軍は約七万の兵を失った。これに対し、鹿田率いる鹿人間軍は無傷に近かった。
大和川の合戦もほぼ同じ展開となっていた。猫人間軍は亀の瀬の砦を猫ニャン砲による一斉砲撃で破壊し、悠々と進軍を始めたが、突然、頭上から燃え盛る巨木がまるでなだれのようにゴロゴロと転がり落ちてきた。ここでも、猫人間軍は兵力の半数を失い、猫ニャン砲は巨木と共に大和川の川底に沈んだ。
それを見届けた鹿川は、全軍に対して若草山の前衛基地まで退却を命じた。
結局、生駒・大和川の攻防戦では、猫人間軍の損害は兵員数にして約十五万人、猫ニャン砲四十門となった。一方、鹿人間軍側の死者は、僅か四十一名に過ぎなかった。
大勝利を収め、若草山の前線基地に戻った鹿田、鹿川、両将軍の労を正成がねぎらった。
「ご苦労であった。この度の勝利は、ひとえに両将軍の知略と勇猛果敢な兵士たちの手柄だ。今夜は、ささやかな宴を催すので、ゆっくりとくつろいでくれ」
それを聞いた鹿川が深刻な表情で正成に進言した。
「こんな些細な勝利に喜んでいる場合ではありません。猫人間軍の総勢百万のうち、今回の合戦で討ち取ったのはせいぜい十五万、明日の午後には進路の復旧を終えた敵の本隊八十五万が大和の国に入るでしょう。少しでも砦の補強を進めるべきです」
「いや、明日の朝、我が軍は若草山の前衛基地と春日山の本陣から撤退する」
「撤退? 敵に後ろを見せるのですか?」
「そうだ、敵の本軍には、約百門の猫ニャン砲がある。あれで一斉砲撃を受けたら、前衛基地も本陣も火の海になる。我が軍は戦わずして壊滅するだろう。我が軍はこんなところで滅びるわけにはいかない。一旦、吉野まで撤退し、時を待つのだ。吉野は天然の要塞だ。持久戦には極めて適している。今は、吉野に篭って時を待つのだ。反撃の機会は必ず到来する」
「しかし……」鹿田は納得しなかった。
正成は、鹿田、鹿川両将軍を見つめ、諭すように言った。
「明日の栄光のために、今日の屈辱に耐えるのだ。それが戦略と言うものだ」
「心得ました。提督の指示に従います」鹿田、鹿川が口を揃えて言った。
翌日の夜半、猫人間軍の本軍が到着した。猫人間軍の総指令、猫条提督は、若草の前衛基地と春日山の本陣に灯っている無数のたいまつを見て、参謀たちに命じた。
「鹿人間軍の兵力は相当なものだ。まともに戦っては、我が軍にもかなりの被害が出る。敵陣に突撃する前に、猫ニャン砲で徹底的に叩け! 敵が戦意喪失するまで徹底的に砲撃を続けろ!」
轟音と共に猫ニャン砲の一斉砲撃が始まった。若草山の前衛基地も春日山の本陣も瞬く間に火の海と化した。砦の中からは阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてきた。砦は、ほぼ丸裸に近い状態となった。
猫条提督が号令を発した。
「今だ、全軍突撃!」
「ウニャー!」という喚声と共に、猫人間軍の大軍が若草山の前衛基地になだれ込んだ。しかし、意外にもそこは無人と化していた。猫人間軍は勢いに乗じて一気に春日山の本陣にも攻め込んだが、やはり、そこは無人だった。砦に灯っていた無数のたいまつは、実は、砦内に大軍がいると見せかけるために正成がしかけた偽装工作だったのだ。砲撃を受けた時に砦内から聞こえた鹿人間軍の悲鳴も、実は録音テープだったのだ。
伝令からその状況を聞いた猫条提督が言った。
「まあよい。敵は猫ニャン砲の一斉砲撃を恐れて、砦を捨てて逃亡したのであろう。全軍、敵陣に入れ、敵の砦で今夜は野営する」
参謀の一人が猫条に訊いた。
「敵の敗残兵は追跡しないのですか?」
「その必要はない。奴らにはもう再起を図る戦力は残っていまい」
その夜、猫人間軍は若草山と春日山の鹿人間軍の砦に野営し、戦勝を祝して大宴会を催した。その宴の様子を三輪山の山上から眺めていた正成が号令を発した。
「今だ!」
轟音と共に、若草山と春日山の砦に埋設されていた爆薬が次々と爆発し、猫人間軍は阿鼻叫喚に包まれた。
「ニヤ~!」という断末魔の叫び声と共に、猫人間軍の兵士たちがバタバタと倒れた。火ダルマになって悲鳴をあげながら逃げ惑う兵士も多数いた。
猫条提督が叫んだ。
「しまった! 敵のワナだ! 全軍、砦の外に退却せよ!」
その命令はもはや後の祭りだった。百万の猫人間軍は、全滅に近い大きな損害を受けた。その様子を見届けた正成は、視線を足元に落とし、鹿上に言った。
「作戦は成功だ。さあ、吉野へ行こう」
結局、猫人間軍の百万の軍勢は、二十万の敗残兵を残して壊滅に近い被害を受け、猫人間軍の本拠地、東京に逃げ帰ることになった。しかし、体勢を立て直すために一旦、大阪へ撤退しようと大和川ルートを退却していた敵の敗残兵を待ち受けていたのは、さらに苛烈な追い討ちだった。鹿之園は、斜面の上に、ずらりと積み上げた巨木に火を放ち、下を通って大阪に戻る敵の敗残兵に向けて解き放った。
炎の雪崩のように、巨木が敵の敗残兵に向けて転がった。巨木の下敷きになる敵兵、巨木と共に大和川に転落する敵兵、体中火ダルマになって逃げ惑う敵兵の阿鼻叫喚が渓谷に響いた。そこはまるで地獄絵だった。二十万の敗残兵は、ほぼ全滅し、約三千の兵が命からがら大阪に戻った。大阪に戻った敵兵は既に軍隊の態をなしておらず、まるで浮浪者の集団のような状態になって、東京を目指した。
猫人間軍の司令官である猫条提督は、まだ健在だったが、既に指揮官としては機能しておらず、烏合の衆の一員と化していた。
東京に逃げ帰ろうとする猫人間軍の敗残兵たちが静岡の浜名大橋に差しかかった時、目の前にカモシカ人間の軍勢が現れた。
カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助が言った。
「そこにおわすは猫人間軍の猫条提督であろう。その首を頂戴するのでお覚悟めされい」
「ニヤ~!」逃げ惑う猫人間軍の敗残兵をカモシカ人間軍は完膚なきまでに叩いた。百万の大軍を失った猫条提督は、自刃して果てた。
「エイエイオー!」カモシカ人間軍の勝鬨がこだました。
8
その頃、日光では、猿人間・豚人間の連合軍に対して、猫人間軍の関東軍が猛攻撃をかけていた。しかし、猿人間軍の知将、飛猿将軍の戦術は、かなり効を奏していた。
彼の戦術とは、集中砲火を受け易い砦を自ら放棄し、ゲリラ戦に徹するというものだった。飛猿のイメージしていたものは、大昔の戦争で北ベトナム軍が米軍を駆逐したときの戦術だった。
ひたすら山に篭り、地下や樹上で生活し、攻撃はもっぱら樹上からの狙撃手によるというものだった。
都会生活に慣れた猫人間軍は山岳地での質素な暮らしだけでも士気を低下させていたし、いつどこから狙撃されるかわからないという恐怖感は、軍の統率を乱した。
豚人間軍が各所に設けた落とし穴も猫人間軍を悩ませていた。あらかじめ水が貯められてある落とし穴に落下し、溺死する猫人間軍の兵数は、三千人に及んだ。
特に、日を追って厳しくなる冬の寒さは、もともと寒さに弱い猫人間軍にとって、厳しい自然の洗礼だった。地の利と気候を味方につけた猿人間・豚人間のゲリラ戦術は、今のところ完全に成功していた。
猫人間軍は比較的温暖な千葉まで撤退し、そこに野営しながら、時折、猿人間・豚人間の連合軍に大規模な攻撃をかけたが、大軍による攻撃は失敗を繰り返し、関東軍の兵力は次第に減じられていった。兵力の損失以上に痛かったのは、寒さと猿人間・豚人間のゲリラ攻撃による兵士の士気低下であった。
ついに、関東軍の司令官は、千葉の駐屯地を出ず、春が到来するまで攻撃を延期するという判断を下した。
ただ、ゲリラ戦と言葉にするのは簡単だが、ゲリラとして戦う兵士には、鉄のような固い意志と超人的な忍耐力が要求される。
実際、猿人間・豚人間のゲリラたちは、木の枝の上や地下に掘った小さな穴で睡眠をとり、水溜りの水をすすって生活していた。食べ物といえば、木の実やワナで捕らえた野ねずみや野うさぎ、蛇でもカブトムシの幼虫でも、雑草でも、毒にならないものは何でも食べて飢えをしのいでいた。戦で怪我をしても手当てしてくれる医療班すらいないのである。傷口にうじ虫がわいていることなど珍しくもなかった。それでも日光の猿人間・豚人間の連合軍は猫人間軍に屈しなかったのである。
また、信濃のカモシカ人間軍も同様の戦術で猫人間軍を苦しめていた。カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助は、一旦、本拠地の砦を放棄し、山野に撤退したように見せかけ、砦を占領した猫人間軍を逆に外から包囲した。
狭い砦内に閉じ込められた猫人間軍のストレスは極限に達し、また、兵糧も底を突いた。
せっぱ詰まった猫人間軍は、砦から脱出するための大規模な軍事作戦を何度も試みたが、全て失敗に終わり、結局、砦に撤退する結果になった。猫人間軍が寒さに弱いことを知っていた加茂将軍は、砦内に燃料となるものを一切残していなかった。暖をとることすら出来ずに篭城する猫人間軍の瓦解は時間の問題だった。
大分高崎山の猿人間軍も、日光と同様にゲリラ作戦に徹した戦術をとり、猫人間軍の大軍を苦しめていた。冬場の野戦には脆いというのが、今や、猫人間軍に対する定説となりつつあった。
『泥沼化』
正成が目指した戦略は、全国各地で着実に実現しつつあった。
同じ頃、正成率いる鹿人間軍は、吉野の要塞に向かっていた。紅葉で真っ赤に染まった獣道を正成たちは進んだ。遠くの方に両手を大きく振っている女性の姿が見えた。佐和子だ! 佐和子がここまで出迎えてくれたのだ! 正成は勝利の証にアントラーサーベルを抜き、頭上に大きく振りかざした。
佐和子は正成に駆け寄り、大粒の涙をこぼした。
「提督、よくご無事で…… お怪我はありませんでしたか?」
正成は穏やかな微笑を返した。
「怪我はない。我が軍の死傷者はわずかだ」
「猫人間軍は?」
「百万の敵軍は、ほとんど壊滅状態で東京に逃げ帰った。作戦は成功だ」
それを聞いた佐和子は、再び泣きじゃくった。
「それは…… 何よりです」
「鹿姫様はご無事か?」
「はい、ご健勝です」
「それは良かった」
正成はそっと佐和子の肩に手を置き、その労をねぎらった。
しばらく進むと吉野の要塞が見えてきた。それは、まだ石垣の構築工事中ではあったが、四方を清流に囲まれた天然の要塞だった。木製の城壁で守っていた若草山の前衛基地や、ほとんど城壁らしきものがなかった春日山の本陣とは、比べ物にならないぐらい堅固で広大な要塞だった。
正成軍が近づくと要塞の門が開いた。全軍が要塞の中に入った。正成は物見櫓に登り、兵士に向けて言った。
「諸君! この度の戦は我が軍の完勝に終わった。今夜はささやかながら諸君の労をねぎらう宴を催したい。皆、今夜だけは思いっきりはめをはずすがよい!」
「ウオー!」正成の言葉を聞いた兵士たちが歓声を上げた。歓声が静まった後で、正成が釘をさした。
「諸君、勝利したといっても、今回の敵は百万、全国の猫人間軍の総勢六百万の一部にしか過ぎない。それに比べれば、我が軍はたったの四万、敵の百五十分の一の兵力だ。しかし、我々には一騎当千の勇気と知恵がある。どんなに不利な戦でも必ずや勝利を手にするのだ! 勝ち負けはひとえに諸君の信念と我が軍の固い結束にかかっている。幸い、この吉野の地は天下の嶮、地の利は我が軍にある。猫人間軍は、再び大軍で攻め寄せるだろうが、勝利の日を信じて頑張るのだ! 今夜の宴が終わったら、早速、敵の大軍を迎え撃つ準備を始めるのだ。よいな!」
「ウオー!」、「提督万歳!」という潮のような歓声がこだました。
(勝てる、いや勝たねばならない)
正成は勝利への誓いを新たにした。皆の歓声を背に物見櫓を降りた正成は、本陣の奥にある鹿姫の御所を訪ねた。鹿姫の御所は、決して豪華な建物ではなかったが、要塞の中に造られた御所としては、神々しい品格を放っていた。
正成は御所の警備兵に小さく挨拶した。
警備兵は深く一礼して、御所の入り口に設けられた小さな門を開いた。
正成が中に入ると、正成の姿を見つけた鹿姫が簾の中から駆け出してきた。
「提督殿、よくぞご無事で……」
「鹿姫様こそ、ご健勝で……」
鹿姫は、瞳を潤ませて肩を震わせていた。そして言った。
「信じていたのです。貴公は必ず来てくださると…… そう信じてお待ちしていたのです」
「正成は約束を守る男です。犬死はしないと約束申し上げたはずです」
「ありがとう、本当にありがとう。生きてここにおいでくださって、本当にありがとう。今夜はこの御所で宴を催します。参謀本部の方とご一緒下さい」
「恐縮至極に存じます」
正成は、鹿姫に一礼し、本陣に戻った。本陣の縁側から紅葉を眺めていた正成のところに佐和子がやってきて茶と和菓子を差し出した。
「お疲れでしたでしょう。猫人間軍が再び体勢を整えて押し寄せるにはかなりの日数がかかるはずです。それまで、下々のことは私どもに任せて、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
正成は茶を一口、口に含んだ。
「ああ、旨い…… 不思議だな、何故か私の口には佐和子の茶が合う」
「フフ」佐和子は口元に右手を添えて小さく笑った。二人はしばらく黙って紅葉を眺めていた。静寂の時が流れたようにも、時の流れが止まったようにも感じられた。
その日の夜は、鹿姫を囲み、参謀本部の宴が催された。佐和子はピッタリと正成に寄り添い、酌をしていた。鹿上が懐から横笛を取り出し、笛を吹き始めると、鹿姫はゆっくりと席を立ち、舞を披露した。鹿姫のあまりにも優雅で美しい舞を、参謀本部の一同は言葉を失ってじっと見守った。つかの間の和やかなひとときだった。正成は、穏やかな笑顔を浮かべながら鹿川将軍の所に歩み寄り、一通の手紙を手渡した。鹿川がその紙を開くと、こう書いてあった。
「明朝、一万の兵を率いて熊野へ下れ、全軍が海路で移動出来るだけの船舶を整えよ」
それを読んだ知将、鹿川はハッとした。正成の意図が読めたからである。提督は、いずれこの要塞も捨てる計画だ。熊野古道を南下し、熊野から船でどこかに行くつもりなのだ。しかし、奈良を除けば日本全土は猫人間軍に支配されている。いったい、提督は船でどこに行くつもりなのか? それは鹿川にもわからなかった。
その頃、東京の永田町にある猫人間軍の大本営では、鹿人間討伐軍全滅の知らせを受け、御前会議が開かれていた。僅か四万の鹿人間軍に百万の軍勢が駆逐されたという事実に、猫人間軍の総帥、化猫(ばけねこ)大帝は激怒した。
「このうつけどもが! ろくな装備も持たぬたった四万のゲリラに我が軍の精鋭百万が敗れただと? どの面下げてそのような報告に来たのだ!」
怒りに震える化猫大帝に、副官の三毛猫参謀総長が恐る恐る進言した。
「大帝、ひとえに今回の敗戦は、敵軍の力を甘く見たためのものです。次回はより戦力を増強し、猫ニャン砲装備の主力部隊、三百万を持って討伐に向かいます。提督には、我が軍随一の知将、黒猫大将を当てます。そうすれば次回は万が一にも敗戦ということはございません。なにとぞお怒りを静められ、出陣の命をお下しください」
「うーむ」化猫大帝は、うなりながらどっかりと席に戻り、そして言った。
「黒猫を呼べ」
黒猫大将が化猫大帝の前に進み出て、ひざまずいた。
「大帝、お呼びでございまするか?」
「黒猫、そちに我が軍の主力部隊三百万を託す。ただちに奈良の鹿人間軍の討伐に向かうのだ!」
黒猫はニヤリとほくそえんだ。
「心得ました。冬の到来までに鹿人間軍を殲滅してお見せしましょう」
化猫大帝が威圧感のある声で命じた。
「ゆけ!」
「ハッ」黒猫はそう答えて起立し、振り返って大本営を出た。
第二章 吉野要塞攻防戦
1
正成が新しい要塞を築いたのは千本桜で有名な吉野山から東に五キロほど下ったところにある十二社神社からさらに一キロほど北上した地点である。ここは、吉野川が大きく蛇行しており、東・西・北側を川に囲まれている。唯一南側だけは急峻な斜面となっている。この急峻な斜面には三船山を水源とする小川が流れており、飲み水の調達にも有利である。この要塞にアクセスするには、吉野川に沿って狭い山道を進む以外にない。つまり、この地は、守るに易く、攻めるに難い天然の要塞なのだ。
正成がこの付近の地理に精通していた理由は、幼少の頃を吉野山にある竹林院で過ごしたからである。佐和子とはそこで知り合った幼なじみである。幼い頃から山歩きが好きだった正成は、竹林院から三重県の熊野まで踏破したこともある。つまり、正成は、この付近の地理について隅から隅まで知り尽くしていたのである。
その日、吉野の要塞で正成は工作班の作業を見守っていた。正成が開発を命じたのは、『鹿ロボット』だった。狭隘で急峻な渓谷が連続する吉野の地では、戦車や装甲車では身動きが取れない。そこで、正成が発案したのが『鹿ロボット』だった。これが完成すれば、急な斜面を駆け下って敵に奇襲をかけることも、逆に退却することも容易だ。技師長の鹿爪少佐が鹿ロボットの試作機を見せ、その構造や操作方法を正成に説明していた。正成が鹿爪を叱り飛ばした。
「貴様も軍人なら、これに乗って敵と戦う様子をよく想像しろ。鹿ロボットの操作は体重移動だけで出来る必要がある。足は鹿ロボットから振り落とされないように絶えず固定しておく必要がある。わからないのか? 両手でサーベルを振り回しても鹿ロボットから振り落とされることなく、自由自在に操れる必要があるのだ!」
「ご指摘の趣旨はよく理解いたしました。ただちに改良設計に入ります」
「頼むぞ!」そう念を押して正成は工作室を離れた。次に正成は、要塞内で武術の訓練を行っている若手の兵士たちを視察した。教官は、例の熊鹿だった。熊鹿は束になって襲いかかる若手兵士たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、カカと笑って言った。
「ガキども! そんなへっぴり腰で戦が出来ると思ってるのか? もっと体を鍛えなおせ! 要塞の周りを十周走って来い!」
若手兵士たちは武器を足元に置き、ランニングに出ようとした。熊鹿はそれをさらに叱った。
「このバカども! お前ら実戦で走るとき、武器を置いて行くのか? ちょっとは考えろ!」
それを聞いた若手兵士たちは武器を身に着けて再び出発しようとした。それを正成が呼び止めた。
「ちょっと待て、君らに実戦の怖さを見せてやろう」
正成は熊鹿の前に立ちふさがった。
「熊鹿、私を敵だと思ってかかって来い」
それを聞いて熊鹿が困惑したような表情を見せた。
「かかって来いと言われても、提督にお怪我をさせるわけにはいきませぬ」
それを聞いた正成はニヤリと笑みを浮かべた。
「さーて、怪我をするのはどっちかな?」
その言葉にカッとなった熊鹿は、自慢の大矛を振り上げた。その瞬間、目にもとまらぬ居合い抜きで正成のアントラーサーベルが熊鹿の喉元に突きつけられた。
正成の俊敏な身のこなしに若手兵士たちから驚嘆の声が漏れた。
「皆、よく見ておくように、これが実戦だったら、熊鹿は間違いなく死んでいた。実戦では一瞬の隙も許されない。わかったな!」
「はい!」兵士たちは、正成に一礼してランニングに出発した。
次に正成は、鹿上が指揮している城壁の工事現場を視察した。鹿上の怒鳴り声が聞こえてきた。
「石垣のかみ合いが緩いではないか! 岩と岩をもっとガッチリかみ合わせるのだ! こんな石垣では、敵の猫ニャン砲の集中砲火ですぐに倒壊してしまうぞ! それから、北側の石垣はもっと高く、要塞の内部が完全に隠れるまで積み上げるのだ。敵は、吉野川の対岸から猫ニャン砲を放つだろう。こんな高さでは、砲弾が石垣を超えて要塞の内部に着弾するぞ!」
額に汗を浮かべながら工事を指揮する鹿上に正成が声をかけた。
「作業は順調か?」
鹿上が首を傾げながら答えた。
「いえ、地形が複雑なので、弱点が出来ないように入念に城壁を築いているため、少し手間取っております」
「まあいい、まだ時間には余裕がある。そう急ぐな、作業中に城壁の倒壊事故でも起こしたら、もともこもないぞ」
「はい、心得ました。作業中の安全には十分に注意します」
正成が鹿上に尋ねた。
「ところで、川の対岸の山の中腹まで、トンネルを一本掘れるか? 敵陣に夜襲をかけたい」
「掘れますが、逆に敵に進入路を与えることにもなりかねません」
「それが狙いだ。我々の夜襲がそのトンネルを使っていると知った敵は、トンネルを通って要塞に侵入しようとするだろう。その時にトンネル全体を爆破するのだ。それで千人ぐらいの敵兵を生き埋めに出来る」
「なるほど! さすがは提督。早速、掘削を始めます」鹿上はそう言って作業に戻った。
要塞の視察を続ける正成に佐和子が声をかけた。
「提督、少し休息なさっては?」
正成がニッコリと微笑んだ。
「そうだな、今日は陽気がいい、少し歩こうか?」
二人は要塞の裏手の散策道を歩いた。散策道には紅葉がカーペットのように敷き詰められ、踏みしめるとふわふわした感触だった。二人は散策道の脇の倒木に腰掛けた。
「提督様、紅葉が美しゅうございますね……」
それを聞いた正成が少し表情を曇らせた。
「紅葉の赤は美しい。しかし、やがてこの要塞は人の血で朱に染まるだろう」
「それは、この要塞が陥落するという意味ですか?」
「いや、違う。もともとこの要塞は時間稼ぎのために築いているものだ。死守するつもりはない。やがてこの要塞は敵軍の血で朱に染まるだろう。少しでもこの要塞で時間を稼ぎ、敵軍に被害を与えて熊野に退く。それが私の戦略だ」
「熊野に? 熊野に何があるのですか?」
「鹿川に命じて船を用意させている。熊野から船に乗り、海を渡るのだ」
「でも、今や日本全土が猫人間軍に支配されています。船に乗っても行く当てはありません」
「いや、ある」
「それはどこですか?」
正成は足元に視線を落とし、紅葉の葉を眺めながら答えた。
「それはいずれ皆に教えることになる。今は知らずともよい」
「味方にも教えられないほどの作戦なのですね。わかりました。これ以上は訊きません」
それを聞いた正成は穏やかな微笑を浮かべた。
「さあ、もう暗くなる。要塞に戻ろう」
ピッタリと寄り添って散策道を戻って行く二人の後ろ姿を野うさぎが不思議そうに見つめていた。
2
翌々日の夕方、密偵からの報告が入った。
「猫人間軍は、近衛兵のみを東京に残し、主力部隊の三百万を率いてこちらに向かっています。十日後には到着するでしょう。敵の提督は黒猫大将です。約千基の猫ニャン砲を装備しています」
それを聞いた正成はニヤリとほくそえんだ。
(敵は全軍を引き連れて来るのだな……。しかし、吉野の狭隘な地形では、大軍はあまり意味をなさない。まして四方を川に囲まれているこの要塞は、天然のお堀に守られているようなものだ。水を苦手とする猫人間軍には最悪の立地だ。来るなら来い)
夜の参謀会議で正成が作戦を説明した。
「敵の兵力は三百万、率いるのは知将、黒猫提督だ。猫ニャン砲を約千基装備している。しかし、この地形では、大軍はあまり意味をなさない。敵軍は、南北に長く伸びた陣形を取らざるをえない。おそらく敵軍は、前回と同じように、猫ニャン砲の集中攻撃で、この要塞を滅ぼそうとするだろう。しかし、今、構築中の石垣なら要塞の内部は猫ニャン砲の死角になり、要塞の内部は安全だ。したがって、我が軍は、この要塞にたてこもり、猫人間軍の苦手な冬の到来を待つ。戦が長引けば長引くほど、気温は下がり、敵軍の士気は低下するだろう。幸いにして、この要塞の裏山には、豊富な湧き水と木の実がある。兵糧の心配もないだろう」
鹿上が言った。
「敵の自壊を待って撃って出るのですね」
「いや、ここも最終決戦の地ではない。出来るだけ敵の士気を低下させ、少しでも兵力を削ぐのがこの要塞の役割だ。敵を十分に叩いたら、我々は、熊野古道を南下し、海に出る。既に熊野では、鹿川の軍が、船舶の準備を進めている。我が軍が熊野に着くまでには、四万人分の船が揃うだろう」
「海に出る?」鹿上が不思議そうに尋ねた。
「既に日本全土は猫人間軍に支配されています。一旦、海に出たら、もう上陸出来るところはありません」
正成は表情を変えずに首を横に振った。
「いや、ある。そこが決戦の地だ」
「それは、どこですか?」
正成はニヤリとほくそえんだ。
「それは、その時が着たら教える。今は訊くな。我々が熊野から乗船するのが二月なら、勝利の女神は我が軍に微笑むだろう」
正成は、鹿上に三通の密書を手渡した。
「使者を放て。千早、信濃、日光の友軍にこの密書を届けさせるのだ。いいか、絶対に封を切ってはならぬ。友軍の将に直接手渡すのだ。途中、猫人間軍に捕まるようなことがあれば、この密書を食べ、自刃するのだ。使者は、この密書を命がけで守れる者を選べ、よいな」
「心得ました」
参謀会議が散会した後、正成は一人で物見櫓に登り、夜空の星を眺めていた。以前、春日山で眺めた星空を思い出した。あの時、自分は、同じ星を佐和子も見ていることを祈った。心から佐和子を愛しいと思った。この戦が終わったら一緒になろう。そう思っていた。でも、戦が終わる保証などない。勝利の保証もない。たとえ戦に勝利しても、自分たちが生きている保証はない。戦とはそういうものだ。いや、人間の命自体がそういうものだ。明日の保証など何もない。今、やりたいことは今すべきだ。しかし、正成にはそれが出来なかった。それが、鹿人間軍四万の命を預かる提督としての使命だった。気がつくと、すぐそばに佐和子が寄り添っていた。正成が驚いて振り返った。
「何だ佐和子、来ていたのか」
佐和子が少しむくれた表情を見せた。
「何だとはご挨拶ですね、提督。星を見ていたのですか? 今夜は満天の星空ですね。どの星を見ていたのか当てましょうか? あれ、あのひときわ明るく輝いている大きな星ですね」
「当たりだよ。実は、春日山でもあの星を見ていた。君の事を想いながら……」
それを聞いた佐和子はほほを赤らめた。
「まあ、どうせ、私の悪口でも言っておられたのでしょう?」
正成は、黙って首を横に振った。
「少し冷えてきたね。もう中に入ろう」
二人はゆっくりと物見櫓を降り、それぞれの寝所に戻った。
3
五日後、要塞の守りは完成した。正成は工作兵に命じ、要塞に渡る全ての橋に爆薬を仕掛けさせた。
(いつでも来い)正成がそう思ったときだった。密偵からの連絡が入った。敵の先発隊が奈良に入ったとの事だった。兵力は約二十万だという。
正成は鹿上に命じた。
「明日の午後には敵の先発隊が襲来する。要塞に渡る全ての橋を爆破せよ」
「心得ました」そう言って鹿上が本陣を出た。しばらくすると、あちこちで「ドドドドッ、バシャン!」という爆破音が響いた。爆破音が収まり、しばらくして鹿上が戻った。
「橋は全て爆破しました。準備完了です」
夕刻になり、敵の偵察隊がちらちらと姿を現した。こちらの要塞の様子を探っているようだった。正成は物見櫓からその様子を見つめていた。
(明日の正午には来るな)正成はそう感じた。正成は全軍を集め、号令をかけた。
「皆の者、よく聞け、敵の先発隊が明日の午後には襲来する。兵力は約二十万、ここまで一週間で来た事からおそらく猫ニャン砲は装備していないだろう。しかし、敵は猫人間軍だ。どんな新兵器を持っているかもわからぬ。みんな、今夜はよく寝ておけ、明日から激しい戦になるぞ」
「オウーッ!」という兵たちの喚声がこだました。何かを信じている軍は強い。鹿人間軍にとってその何かとは、鹿姫であり、正成だった。正成は身の引き締まる思いを胸に抱き、本陣に戻った。
予想通り、翌日の正午頃に敵の先発隊が姿を見せた。敵軍の指揮官、社務猫(しゃむねこ)大佐が命令を発した。
「全軍、敵の要塞を包囲せよ! ただし、裏手の散策道だけは開けておけ、敵の逃げ道を残しておくのが城攻めの常道だ」
本陣の正成のもとに鹿上が来て状況を報告した。
「敵の先発隊が到着しました。要塞全体が包囲されました。ただし、敵軍は裏の散策道だけには兵を配置していません」
それを聞いた正成は「フッ」と小さく笑った。
「敵の指揮官にも多少は兵法の心得があるとみえる」
一般に敵の城を攻めるときには一箇所だけ逃げ道を開けておくのが常識である。完全に城を包囲すると、逃げ場はないと覚悟を決めた城内の兵士が超人的な抵抗をするからである。しかし、一箇所でも逃げ道を残しておくと、勝ち目はないと判断した兵士たちが城から脱出を始める。そうなると、篭城側の士気は一気に衰え、城はあっけなく陥落する。
鹿上が正成に問いかけた。
「敵には攻めてくる気配はありません。我が軍は如何いたしましょうか?」
「ほおっておけ。こちらの様子を十分に把握したら、敵はロケットアンカーを打ち込んで川を渡るつり橋を架けるに違いない。それが一箇所や二箇所なら我が軍の集中攻撃を受ける。おそらく、十分に準備を整えて、四方八方から同時に無数のつり橋を架けるだろう。しかし、ロケットアンカーで作ったつり橋では一度に大軍は渡れない。こちらの思う壺だ」
正成の予想は的中した。要塞を包囲した敵軍は、一斉に要塞に向けてロケットアンカーを打ち込み、無数のつり橋を架けた。しかし、敵はすぐには攻撃してこなかった。しばらくして一人の白旗を掲げた猫人間軍兵士がつり橋を渡り、要塞の門を叩いた。
「私は、我が軍の社務猫大佐の使者、白猫です。門をお開けください」
兵士たちはざわめいたが、その様子を物見櫓から見ていた正成は、使者を要塞に入れるように指示した。兵士たちは、使者の身体検査を行い、武器を持っていないことを確認した上で、要塞に入れ、本陣の正成のところに連れてきた。
「私は、我が軍の司令官、社務猫大佐の使者、白猫と申します」
「何の用だ?」正成がぶっきらぼうに訊いた。
「社務猫大佐のお言葉を伝えます。貴軍に一時間の猶予を与えます。それまでに、降伏して武器を捨て、要塞を開放しなさい。さもなければ貴軍を殲滅すると」
それを聞いた正成は嘲笑を浮かべた。
「一時間経とうと、一ヶ月経とうと我が軍の答えは『ノー』だ。貴殿も早く軍に戻り、戦の支度をするがよい」
「貴軍は、自ら望んで滅亡するのですか?」
「我が軍は自ら望んで滅亡したりせぬ。ただし、隷属か滅亡かどちらかを選べと訊かれれば、迷わず戦って滅亡する方を選ぶ。もう話はない。早う帰られよ」
「そうですか……。わかりました」そう言って使者は帰って行った。
それから約一時間後、社務猫大佐が号令をかけた。
「全軍、つり橋を渡り、敵の要塞を突破せよ!」
「ウニャー!」という怒涛のような喚声とともに敵軍が突入してきた。つり橋を渡りきった敵兵は、ハシゴを掛け、石垣を登り始めた。石垣を登りきった敵兵は、内側にもハシゴを掛け、雪崩のように石垣の内側に飛び込んできた。その様子を正成は物見櫓の上から黙って見守っていた。石垣の内側が敵兵で埋めつくされた時、正成の号令が響いた。
「今だ、煮え湯を注げ!」
石垣は二重になっていたのだ。石垣と石垣の間に立ち往生した敵兵たちは、頭から煮え湯を被せられ、「ニヤ~!」という断末魔の悲鳴をあげながら次々と熱湯の池に沈んだ。二重石垣の内部は、瞬く間に敵兵の屍で埋め尽くされた。正成は次の命令を発した。
「今だ! 敵のつり橋に向けて油を注げ!」
要塞の内部に配備された投石器から次々と油を溜めた樽が投じられた。敵のつり橋は油まみれになった。正成は次の号令を発した。
「今だ! 火矢を放て!」
敵のつり橋に向けて火矢が放たれると、瞬く間に敵のつり橋は火の海になった。
「ウニヤ~!」全身火だるまになりながら敵兵が逃げ回った。要塞全体を焼け死んだ敵兵の死臭が覆った。見る見る間に要塞の全周が敵兵の屍で埋めつくされた。まるで地獄絵のような光景だった。結局、初戦だけで敵の先発隊は九千の兵を失い、ちりぢりバラバラに退却した。その様子を正成は無表情に見つめていた。佐和子が正成に歩み寄り、状況を報告した。
「敵兵の損失は約九千、対岸まで総退却いたしました。味方側は無傷です」
「そうか、ご苦労だった。敵兵の屍は吉野川に流せ。工作隊に命じてつり橋を一つ残らず撤去しろ。
間違えるな、アンカーごと引き抜くのではない。アンカーを無理に抜くと、要塞の岩盤が緩む。アンカーの先のワイヤーを切断するのだ。それから、敵兵の亡骸は、法師に命じて十分に弔うように」
「心得ました」佐和子はそう答えて物見櫓を降りた。
正成は、吉野川に流される無数の遺体を眺めながら一句詠んだ。
「ちはやぶる 神のなき世の亡骸は 空しく流る 紅葉のごとく」
4
それから正成は、近くにいた鹿上に言った。
「熊鹿を呼べ」
鹿上が熊鹿を連れて物見櫓に戻ってきた。正成が熊鹿に命じた。
「今夜、お前は第五騎兵隊を率いてトンネルを抜け、敵の先発隊に夜襲をかけろ。敵の先発隊は我が軍に奇襲をかけるために昼夜兼行でここまで来たに違いない。その上に今日の惨敗だ。今夜は疲れきって深く寝入るに違いない。お前の部隊は、奴らの寝込みを襲うのだ。ただし、決して深入りするな、目的は敵を眠らせないことだ。敵陣に斬り込んで、ひと暴れしたら、すぐに撤退せよ。これは命令だ。どんなに戦況が有利でも、撤退するのだぞ! もう一度言う、目的は敵を熟睡させないことだ」
熊鹿がひざまずいて正成に一礼した。
「心得て候」
その日の深夜、熊鹿率いる第五騎兵隊は、トンネルをくぐり、敵先発隊を背後から急襲した。不意をつかれた敵軍は、総崩れになり、暗闇の中で逃げ惑う兵士でパニック状態になった。熊鹿が部隊に号令をかけた。
「提督の命令だ! 惜しいが今夜はこれで撤退する」
熊鹿の部隊は、あっさりと兵を引き、再びトンネルをくぐって要塞に戻った。大変なのは、熊鹿らが去った後の敵軍だった。暗闇で不意を疲れてパニック状態になった敵軍は、なんと同士討ちを始めたのだ。二十万を誇った敵の先発隊は、翌朝には、約半数にまで激減していた。先発隊の司令官、社務猫大佐は、地団太を踏んで悔しがった。しかし、次の日、遂に敵先発隊は攻撃してこなかった。社務猫は、兵法ではとても正成に勝てないと悟ったのだ。
社務猫は悔しそうにつぶやいた。
「本隊の到着を待って、猫ニャン砲の一斉攻撃をかけるしかない。それ以外にあの要塞を落とす方法はない。しかし、鹿人間軍の鹿木という男、さすがに百万の軍勢を全滅させただけのことはある。只者ではないな……」
その頃、要塞の本陣では鹿上が正成に訊いていた。
「提督、今夜も夜襲をかけますか?」
「いや、今夜行ってはならぬ。敵軍は十分に夜襲に備えているだろう。鹿上、奇襲というのは予期せぬ時に予期せぬ所から攻め込むから奇襲なのだ。備えある敵に奇襲攻撃は通用しない」
その夜、敵先発隊は一晩中徹夜で夜襲に備えていたが、結局、鹿人間軍は攻めてこなかった。敵先発隊の兵士たちは二晩連続で徹夜になり、疲労は極限に達した。
翌日、猫人間軍の主力部隊が到着した。前線に到着し、味方の先発隊が既に十万の兵を失ったと報告を受けた黒猫提督は愕然とした。確かに猫人間軍の兵力が三百万であることを考えれば、兵力の損失は微々たるものだが、わずか二日間の戦いで疲弊しきった先発隊の兵士を見た黒猫将軍は、鹿人間軍の要塞の堅固さと、その戦術の巧みさに感嘆した。
(我が軍の兵力は敵の百倍だ。しかし、鹿人間軍の高度な知略と結束の固さ、地の利を考えれば、形勢は互角だ)黒猫提督はそう思った。黒猫は、鹿人間軍の夜襲に備え、堅固な野営陣地の構築を指示した。社務猫大佐とは違い、すぐに要塞を攻めようとはしなかった。
密偵が正成に猫人間軍の状況を報告した。
「敵の本隊が到着しました。兵力は約三百万、約千基の猫ニャン砲を装備しています。しかし、敵は野営陣地の構築を行っており、要塞に攻め込む様子はありません」
正成が密偵に命じた。「敵陣の陣形をもっと詳細に探るのだ」
それから正成は、そばにいた鹿上と佐和子に言った。
「敵の提督、さすがに三百万の軍勢の総司令官となるだけあって、只者ではないな。まずは、敵の陣形を詳しく調べた上で戦術を立案しよう。苦しい戦いになるぞ」
『敵軍の総攻撃はいつか?』要塞の内部は、緊迫した状態が続いていた。正成は物見櫓に登り、全軍に指示した。
「何をそんなに緊張している。どうせ戦は長期戦になる。そんなに緊張していては体が持たんぞ。みんなもっとくつろげ。この要塞は戦場であると同時に、皆の生活の場でもあるのだ」
提督は落ち着いている。提督の指示に従っていれば大丈夫だ。そんな安堵感が全軍に広がった。
次に正成は、鹿姫の御所を訪れた。
「鹿姫様、何か不自由はございませんか?」
鹿姫は小さく首を横に振った。
「わたくしは快適に暮らしています。それより戦況は如何ですか?」
「まだ、戦況というほどの戦いは始まっていません。戦はこれからです」
「そうですか? 今は、提督だけが頼りです。お風邪などお召しにならぬよう……」
「ありがとうございます」
本陣に戻った正成に密偵からの報告が入った。
「敵軍は、南北に長い布陣を布き、東西に防護柵を築いています。先鋒には猫ニャン砲の配備を進めています」
その報告は、正成の予想通りだった。ここの狭隘な地形では三百万の大軍が野営する陣地を構築することは非常に難しい。陣地は必然的に南北に非常に長く延びた形になる。黒猫は、まともに攻撃してこの要塞が簡単に陥落するとは考えていない。おそらく猫ニャン砲による集中攻撃で石垣を破壊するまでは、本格的な攻撃は仕掛けてこないだろう。
密偵は、少し気になる報告もした。それは、敵陣から大量の土砂が搬出されているとの報告だった。
正成にはピンと来た。鹿人間軍と同じように猫人間軍も要塞内部に侵入出来るトンネルを掘っているのだ。しかし、この陣地の周りは自立性のない砂礫層が多く、トンネルの掘削は容易ではない。正成は、敵のトンネルのルートを探るように密偵に指示した。
猫人間軍は、野営陣地を完成させた後で、猫ニャン砲による一斉攻撃を開始した。
「ドカン! ドカン!」という轟音が要塞内部に響いたが、石垣は簡単には崩れなかった。また、高い石垣の死角になっているため、要塞の内部に猫ニャン砲が着弾することはなかった。このままでは、外側の石垣を破壊するのに一ヶ月以上はかかるだろう。思う壺だ。正成はそう考えていたが、兵士たちの間には、少しずつ崩れ始めた石垣に対する不安が広がっていた。外垣が崩れれば、敵軍は一気に押し寄せてくるだろう。そうなれば、所詮、多勢に無勢だ。要塞は簡単に陥落するだろう。皆はそう考えていた。
参謀会議で、正成は皆の不安を払拭した。
「石垣は、あくまで時を稼ぐためのものだ。もうすぐ冬になる。寒さに弱い猫人間軍は、初雪までに要塞を陥落させようと焦っている。敵を滅ぼすのは、我が軍ではなく、吉野の真冬の寒さだよ」
翌日、密偵から新たな報告が入った。敵のトンネルは、非常に深く、地表の砂礫層を貫通し、その下の粘土層を掘り進んでいるとのことだった。トンネルは東、西、北の三箇所を起点にして掘り進められているとのことだった。正成には黒猫提督の作戦が読めた。これらのトンネルは、要塞内に侵入するためのものではない。石垣の基礎地盤を爆破し、石垣を倒壊させるためのものだと。
正成は、鹿上を呼び、要塞の内部から、敵のトンネルに向けて迎え掘りすることを指示した。
鹿上が不思議そうに尋ねた。
「敵のトンネル掘りをわざわざ手伝ってやるのですか?」
「いや、迎え掘りの先には爆薬を仕掛けておく。敵のトンネルが迎え掘りに到達したら、一気にトンネルを爆破し、敵の掘削班を生き埋めにするのだ」
「心得ました。すぐに迎え掘りを始めます」
猫ニャン砲による砲撃は連日続いた。要塞内は無傷だったが、外垣は少しずつほころび始めていた。
朝夕の寒さが身にしみる季節になった。猫人間軍の陣内は、いつも暖をとるための焚き火がたかれていた。
(そろそろだな……)そう思った正成は、第三騎兵隊の鹿光を呼んだ。
「今夜、トンネルをくぐって敵に夜襲をかける。しかし、敵の野営陣地の東西には堅固な防護柵がある。貴公の仕事は、喚声を上げながら、敵陣に夜襲をかけるふりをするだけだ。貴公と第三騎兵隊は、敵の堅固な防護柵を見て、夜襲を諦めて逃げ帰るふりをするのだ。必ずや敵軍は、トンネルをくぐり、後を追ってくるだろう。貴公たちがトンネルを抜け、要塞に戻ると同時にトンネルを爆破する。敵の追撃隊を生き埋めにするのだ」
「心得ました」
深夜になり、鹿光は第三騎兵隊を率いて出陣した。トンネルを抜けて敵に夜襲をかけた。しかし、敵の陣地には夜襲に対する十分な備えがあり、鹿光は奇襲を諦めて全軍に撤退を命じた。退却する兵士たちに対し、猫人間軍は、陣地内から『レーザー機関銃』で銃撃してきた。「うわ~!」という断末魔の悲鳴と共に、数名の奇襲兵がバタバタと倒れた。
黒猫提督は千載一遇の好機だと思って号令した。
「第二師団は、敵の後を追い、トンネルをくぐれ、要塞の中に進入すれば、もう勝利は我が軍のものだ」
猫人間軍の第二師団約一万兵が続々とトンネルに侵入してきた。トンネル内が敵兵で一杯になったのを確認した鹿上が号令をかけた。
「今だ! トンネルを爆破せよ!」
「ドドドドッ!」という鈍い爆音と共にトンネルは陥没した。トンネル内部にいた敵兵二千が生き埋めになった。
鹿上は勇躍して本陣に駆け込み、作戦の成功を正成に伝えた。
正成は安堵の表情を鹿上に向けた。
「そうか、よかった。鹿光と第三騎兵隊を十分にねぎらってやれ」
鹿上は少し表情を曇らせていた。
「何か憂いごとでもあるのか?」と正成が問うと、鹿上が答えた。
「作戦の成功は間違いないのですが、鹿光から気になる報告がありました」
「気になる報告? それは何だ」
「はい、敵陣から退却する時、敵陣内から見たこともない『レーザー機関銃』による掃射を受けたそうです。実際に数名の犠牲者が出ています」
「レーザー機関銃? わかった。白兵戦では脅威だな」
「そう思います」
5
翌日からの砲撃は熾烈を極めるものとなった。要塞内には一日中爆音が響いて会話が出来ないほどの状態になった。それでも外垣は崩れなかった。猫人間軍の黒猫提督のイライラは頂点に達していた。
初雪までに敵の外垣は落ちない。この上は、要塞の裏の散策道から敵陣に侵入するしかない。黒猫はそう考えた。黒猫は、精鋭十万を用意し、要塞の裏の散策道からの攻撃を命じた。そして、それは正成の想定内だった。
要塞裏の散策道は、両側を急斜面に囲まれた、人一人がやっと通れる程度の小道だった。小道の両側にはうっそうとした雑木が茂っていた。猫人間軍はその小道を一人ずつ通りながら、鹿人間軍の要塞を目指した。要塞までもうすぐ到着するというところまで来た。その時だった。両側の斜面の頂上に鹿ロボットに跨った鹿田、鹿川両将軍が現れた。鹿川が猫人間軍を嘲るように出迎えの言葉を発した。
「猫人間軍よ、ようこそ来られた。しかし、一兵も生かしては帰さん」
その声を聞いて、猫人間軍は騒然となったが、雑木に遮られて鹿人間軍の姿は見えない。
その時、鹿田が号令を発した。
「またたび砲を撃て! 行くぞ! 全軍突撃!」
「ウワー!」という喚声と共に、鹿ロボットに乗った鹿人間軍が、細い小道に長く伸びた敵軍に襲いかかった。逃げ惑う猫人間軍の兵士たちに鹿田、鹿川の軍勢は、容赦ない攻撃を加えた。猫人間軍は、新兵器『レーザー機関銃』を装備していたが、鹿人間軍が放ったマタタビ砲に惑わされ、銃撃はほとんど当たらなかった。「ニヤ~!」という猫人間軍の阿鼻叫喚が散策道に響き渡った。猫人間軍の精鋭十万は壊滅した。
連戦連敗、冬の酷寒、猫人間軍の士気は、どん底まで低下していた。毎夜毎夜、戦線を離脱して脱走する兵は後を絶たず、昼間も兵士たちは焚き火を囲み、雑談に興じていた。戦況は、正成の狙い通りになりつつあった。
ある日の夜、敵軍の脱走兵約四十名が、要塞裏の散策道を歩いているところを味方の番兵に捕らえられた。その脱走兵は、鹿人間軍に捕まることを覚悟で、散策道を要塞の方に向かって来たのだという。
脱走兵たちは、正成の前に引き立てられた。
正成が脱走兵のリーダーらしき者に訊いた。
「君らは、猫人間軍の脱走兵だと聞いたが、何故、わざわざ我々に捕まることを承知で、要塞裏に向かって来たのだ?」
「私たちは間違いなく、猫人間軍の脱走兵です。我々全員、狂猫病に感染しています。でも、我々は皆、感染初期の患者で、まだ人間らしい感情が残っています。私たちは提督の軍と戦いたくはないのです」
正成は、彼らの言葉を鵜呑みにはしなかった。隙を見つけて要塞の中をかく乱するためのスパイかもしれない。正成はそう疑っていた。しかし、その兵は言葉を続けた。
「どうか、私たちを牢屋に入れてください。私たちの狂猫病は確実に進行します。いずれ時期が来れば人間らしい心を失い、あなた方を滅ぼそうとするでしょう。それは、もうどうすることも出来ないのです。私たちが人間の心をなくしたら、どうぞ、私たちを処刑してください。私たちは人間でなくなってまで生きていたいとは思いません」
彼の言葉に偽りはない。正成はそう思った。間違いなく彼らの病状は進行し、いずれ人間らしい心を失う。それを止める方法はない。かといって、今現在、人間らしい心を持つ彼らを牢屋に入れることは正成の本意ではなかった。正成は迷った挙句、一つの結論を出した。
「医療班、毎日彼らを診察し、病状を報告するように、彼らの病状が我が軍に危険を及ぼすまでは彼らを我が軍の一員として扱う、熊鹿、彼らをお前の第五騎兵隊に編入する。自分の部下として戦に参加させろ、病状が進行して人間の心を失ったと感じたときは、迷わず斬れ、私の了解は必要ない」
熊鹿が「ハッ、心得ました」と答えた。脱走兵たちはすすり泣いていた。正成に許される精一杯の寛大な処置だった。
それ以降、医療班から毎日、脱走兵たちの病気の進行状況が報告されるようになった。幸いにして、医療班からの報告は、今のところ深刻な変化は認められないという趣旨のものが続いた。
来る日も来る日も、要塞内には敵軍が放った猫ニャン砲の轟音が響き渡っていた。その日、正成と佐和子は裏手の散策道を歩いていた。
「提督、提督は連戦連勝にも関わらず、いつも浮かぬ顔をしておられますね。何か懸念事項でもあるのですか?」
「いや、今のところ計画通りだ。しかし、連戦連勝とは言っても、敵の損失は、三百万のうちのわずか二十万だ。今までの勝利など、たいした意味はない。大切なことは、時を稼ぐことだ。以前にも言ったろう、我々が熊野で海に出るのが二月なら、勝利は我が手にあるだろうと……。今の状況なら、おそらく、この要塞は二月まで支えられる。私が憂いでいるのはその先のことだ」
佐和子が心配そうに訊いた。
「その先の作戦はまだ言えないのですか? 兵士たちも気にしているようですが……」
「言えない。今は、まだ言うべきではない」
「わかりました。私は、提督の作戦がどんな作戦でも、黙ってそれに従います」
「ありがとう。君は近衛隊長だ。鹿姫様を守ることだけ考えておればよい」
「心得ました」
翌日から猫ニャン砲による砲撃は昼夜兼行となった。鹿人間軍の兵士を熟睡させないことが目的だった。しかし、砲撃を行えば熟睡出来ないのは猫人間軍も同じである。長期間の篭城で、鹿人間軍の兵士たちにも疲労や苛立ちが目立ち始めたが、連戦連敗という結果と酷寒の吉野での野営に猫人間軍は疲弊しきっていた。その上に夜中の轟音である。猫人間軍の士気の低下は甚だしいものだった。兵士たちの不平不満の声は、黒猫提督の耳にも届いていた。しかし、連日の砲撃で、要塞の石垣は少しずつ緩みつつある。外垣さえ破壊すれば、内垣を突破することは難しくない。黒猫提督はそれに期待していた。
十二月四日になり、吉野に初雪が降った。要塞の内部は十分な防寒対策が採られていたので、鹿人間軍にとってはたいしたことではなかったが、野営している猫人間軍にとっては一大事だった。猫人間軍の兵士たちは、陣営のテント内にコタツを作り、命令があったとき以外は、コタツにこもるという生活を続けた。それでも軍人である以上、夜警の順番などは回ってくる。テントから出た兵の「寒っー」という言葉がいつの間にか猫人間軍の合言葉になっていた。
寒さと共に、猫人間軍を悩ませていたのが、毎夜のように千早城からやって来て、猫人間軍の陣地の両側の山上から、たいまつを炊いたり、喚声を上げたりする箕面の猿人間軍の残党による嫌がらせだった。兵力は、たかが一万程度でも、毎晩、陣地の近くまで来て、たいまつを灯したり喚声を上げたりされれば、一応、一通りの戦闘体制は整えなければならない。そのため、三百万の猫人間軍は、ほとんど毎晩熟睡出来ない状態が続いていた。
数日後、鹿上から報告が入った。敵軍が掘り進めているトンネルが、今日中にこちら側の迎え掘りに達するとの報告だった。正成は、トンネルが貫通し次第、迎え掘りの先に据え付けられている爆薬に点火するように指示した。その日の夕刻、要塞の周りのあちこちの地下から爆音が響き、トンネルを開通させた数千の猫人間兵が生き埋めになった。
6
敵軍の士気が極限まで低下していることを密偵からの報告で聞いた正成が鹿上に命じた。
「時期が来た。そろそろ火遊びに出かけるか?」
「火遊び?」鹿上が問い返した。
「そうだ。火遊びだ」
その夜、鹿ロボットに跨った第三、第五、両騎兵隊は、要塞の裏の散策道を迂回して、猫人間軍の陣地がある谷の両側の山の上に移動した。夜中になり、鹿光、熊鹿の両隊長が号令を発した。
「全軍突撃!」
鹿ロボットに跨った両騎兵隊は、敵陣の両側の斜面を駆け下り、防護柵沿いに鹿ロボットを走らせながら、火矢を放った。火矢は猫人間軍のテントに突き刺さり、次々と火災を起こした。もともと、風除けの簡易なテントなので、大火災とはならなかったが、テントを焼き尽くされた猫人間軍は、酷寒の中、風除けもない野宿を強いられるようになった。
猫人間軍の参謀が黒猫提督に進言した。
「提督、このままでは、我が軍は自壊します。一旦、奈良まで退却してはどうですか?」
黒猫は首を横に振った。
「枯れ木でも枯れ草でも何でもよい。とにかく陣地に防寒対策を採れ、寒さに耐えられるように陣地を改良するのだ。兵に伝えよ、あの要塞を落とすまで、どんな理由があっても退却はしないと。脱走を企てたものは処刑するとも伝えよ」
翌日の参謀会議で、鹿上は、火攻めの効果で敵陣の士気が低下していること、防寒のために敵陣には稲わらや枯れ木が積み上げられていることを報告した上で進言した。
「提督、現在、敵陣には風除けのために稲わらや枯れ木が積み上げられています。巨大な焚き木のような状態です。もう一度火攻めをかければ、敵陣は火の海と化すでしょう」
それを聞いた正成は苦笑いを浮かべた。
「いや、今、出てはならぬ。これは敵のワナだ。おそらく敵陣の両側の山の尾根沿いには、大勢の兵を伏せてあるだろう。敵の黒猫という提督はなかなかの知将だ。同じ失敗を繰り返しはしない。もともとこの篭城の目的は敵の殲滅ではない。今のところ全て予定通りだ。焦る必要はない」
年が明け、西暦二八二九年になった。元旦も猫ニャン砲による砲撃は続いたが、要塞内ではささやかな宴が催された。宴の後、正成は物見櫓に登り、全軍に号令した。
「皆の者、よく聞け、今のところ、全て計画通りだ。諸君の勇気と努力に感謝する」
「ウオー!」という兵士たちの喚声がこだました。正成は話を続けた。
「しかし、皆も気づいているとおり、要塞の石垣は徐々にほころびつつある。外垣が倒壊したら、敵軍は一斉になだれ込んでくるだろう。そうなれば、我が軍に勝ち目はない。我が軍は外垣の崩壊に先立ち、要塞を捨てて熊野古道を南下し、熊野に出る。熊野では既に鹿川が四万人分の船舶を用意している。我々は、それに乗り、海に出るのだ。よいか、明日より全軍熊野に向けての撤退準備にかかれ!」
「ウオー! 提督万歳!」という合唱がこだました。
宴の後、正成は佐和子と二人で散策道を歩いていた。木の枝にはうっすらと雪が積もっていた。
「春になれば、ここは千本桜で桃色に染まる。その景色を生きて二人で見よう」
「春にもう一度、生きてここに来ると約束してくださいますか? 提督が約束してくださるなら、私も約束します」
「ああ、約束する」
それは哀しいかな何の保証もない約束だった。でも、その約束に佐和子の心は満たされた。佐和子が足元を見ながらポツリと言った。
「もし、桜の季節に提督がここに来られなければ、私もここにおりませぬ」
本陣に戻った正成のところに密偵から報告が入った。
「提督、吉報です。但馬、飛騨、佐賀で次々と牛人間軍が蜂起しました。現在、それぞれの砦に篭り、各地の猫人間軍と対峙しています」
「そうか、それは良い知らせだ。ご苦労であった」正成は密偵の労をねぎらった。
もう一人の密偵が来た。その密偵の表情に、正成はただならぬ事態を予想した。
「敵は、三十万の大軍を千早城に差し向けました。おそらく、猿人間の毎夜の嫌がらせに業を煮やした敵軍は、猿人間の殲滅を狙っているものと思われます」
「千早城は天下の嶮、例え、猿人間の守備隊がたった一万だとしても、そう簡単には落ちない。しかし、猿人間の残党は、武器らしい武器はほとんど持っていないはずだ。三十万の大軍には持たないな……」
正成は少し表情を曇らせて鹿上に命じた。
「鹿光を呼べ」
鹿上が鹿光を連れてきた。鹿光が尋ねた。
「提督、お呼びですか?」
「ああ、貴公に頼みがある」
「ご遠慮なく、お申し付け下さい」
「第三騎兵隊を率いて、千早城へ行ってくれ、千早城に三十万の敵軍が迫りつつある。猿人間の残党一万では長くは持たん」
「はっ、命令とあれば参りますが、第三騎兵隊も所詮は小勢です。大勢を覆すことは難しいかと思われます」
「それは、そう思う。そこで、猿人間軍の残党一万をこの要塞に合流させようと思う。貴公は、千早城に行き、猿人間軍がこちらに移動する指揮をとってもらいたい」
「そういうことなら、喜んで」
「しかし、実際はそんなに容易ではないぞ、猿人間が千早城を放棄したと知れば、猫人間軍は直ちに追っ手を差し向けて来るだろう。貴公は、千早城に残り、猿人間軍が撤退する時間を稼ぐのだ」
「心得ました。命に代えても」
「いかん、命に代えてはいかん、今は、一兵の命も損じたくはない。貴公は、千早城にまるで大軍がいるように巧妙に細工して、敵の進軍を阻み、自軍も被害を最小限にとどめて帰還するのだ。出来るか?」
「やってみます」
「よし! 行け!」
鹿光は勇躍して本陣を飛び出して行った。
7
鹿光の軍勢は、裏の散策道を抜け、吉野川沿いに西に進み、途中から山道を北上して千早城に入った。千早城の北側斜面では、既に激戦が繰り広げられていた。千早城は天下の嶮、三十万の敵軍の攻撃にもよく耐えていたが、武器や兵糧を十分に持たない猿人間軍の抵抗は、限界に達していた。既に全滅の覚悟を決めていた猿人間軍の兵士たちは、鹿光の援軍が来たと聞いて狂喜乱舞した。猿人間の残党を指揮していた猿渡大佐に鹿光が言った。
「大佐、残りの兵を率いて吉野の我が軍に合流してください。追っ手は私たちが防ぎます」
「そうか、願ってもない誘いだが、君たちはどうする。ここで玉砕してはならんぞ」
「ご心配なく、十分に時を稼いだら、私たちも速やかに撤退します。ここで犬死するつもりはありません」
「それを聞いて安心した。それでは、先に吉野に行ってるぞ、必ず生きて吉野に戻って来い」
猿渡は、猿人間軍一万を引き連れ、吉野に向かった。
鹿光は、ありとあらゆる謀略を駆使して、敵の追っ手を食い止め、数日後、ほとんど兵を損じることなく吉野の要塞に戻った。
正成は、鹿光をねぎらった後、熊野の鹿川に密偵を送った。必要な船舶数が四万人分から五万人分に増えたことを伝えるためである。
その夜、正成は、猿渡と鹿光を招いて、ささやかな宴を催した。
「鹿光、ご苦労だったな。猿渡大佐、猿人間軍の合流を心より歓迎します」
猿渡が深々と頭を下げた。
「猿人間軍を滅亡の淵から救出いただき、感謝の意に絶えません」
「いや、こちらこそ、毎夜の貴軍のかく乱戦法には、どれだけ助けられていたかしれません。礼は無用です。それに、吉野の要塞に入ったからといって、決して安全になったわけではありません。この要塞はまもなく陥落します。我々は、熊野に落ち延び、海に出ます。どうか貴軍も同行してください」
「それはかまいませんが、海に出た後どうするのですか?」
「それは、今は言えません。熊野に着いたらお話します」
「そうですか、いずれにしても我が軍は貴軍と行動を共にします」
「ありがとうございます」正成が猿渡に一礼して、宴は散会した。
その日の深夜、鹿上がドタドタと正成の寝室にやってきた。
「提督、番兵が一名刺殺されています。石垣にはロープがかかっていました。敵の忍びが侵入したと思われます」
正成は寝所から飛び起き、鹿上に指示した。
「全軍戦闘配備、敵の忍びは、中から要塞の門を開けようとするだろう。門の周りの警備を固めろ!」
正成は軍服に着替え、物見櫓に登って要塞の内部を見回した。そして、思わず「しまった!」と声を上げた。敵の忍びが攻撃しているのは、鹿姫の御所だった。御所は常時百名ほどの近衛兵が警護に当たっていたが、敵の忍びは小型の『レーザー拳銃』で近衛兵を襲っていた。飛び道具を持っていない近衛兵には圧倒的に不利な戦いだった。敵の攻撃を受けてバタバタと倒れていく近衛兵の様子が物見櫓から見えた。ただ一人、近衛隊長の佐和子だけが鮮やかな身のこなしでレーザー銃をかわしながら次々に敵の忍びを斬り倒していた。少し離れたところに潜んで、敵の忍びが佐和子にレーザー銃の照準を合わせていた。
「佐和子があぶない!」そう思った正成は、アントラーアーチェリーを力いっぱい引き絞り、アントラーアローを放った。アントラーアーチェリーとは鹿剣法の達人が使う秘伝の弓矢で、その飛距離は普通の弓矢の約十倍であり、アントラーアーチェリーで放たれたアントラーアローは、分厚い鉄板でさえ射抜くことができる。正成が放ったアントラーアローは、忍びの首を貫き、忍びはバッタリと倒れた。その音で、佐和子は初めて自分が背後から狙われていたことに気づいた。物見櫓を見上げた佐和子に、正成がアントラーアーチェリーを高くかざして合図した。佐和子もアントラーサーベルを高く振りかざして正成に合図を送った。残りの忍びは、騒ぎを聞いて駆けつけた熊鹿らによって斬り刻まれた。忍びによる急襲は事なきを得た。正成は、物見櫓を駆け下りて御所に向かい、鹿姫の安否を確認した。
「私どもの手落ちです。怖い思いをさせて申し訳ありません」
正成は警備の手抜かりを鹿姫に詫びた。それに対して、鹿姫は毅然と答えた。
「わたくしは戦場にいるのです。わたくしだけ安全などとは考えていません。むしろ、提督の足でまといになって申し訳なく思っています」
その後、正成は全軍を集めて号令した。
「この要塞はもう長くはもたない。だからと言って警備に手抜かりがあってはならぬ。全てこちらの予定通りに進むように努力するのだ。それが戦略というものだ」
一月二十一日、ついに外垣が崩壊した。既に鹿人間軍は熊野に向けて退却を始めており、要塞内には僅かなしんがりだけが残っていた。しかし、正成はまだ要塞内に大軍が残っていると見せかけるため、時限式の投石器による自動攻撃をしたり、「ウオー、ウオー」という喚声を流すスピーカーを各所に配置するなど、様々な細工を施していた。
猫人間軍の黒猫提督は、正成の作戦にまんまとはまって号令をかけた。
「外垣は破壊した。しかし、鹿人間軍に逃げる気配はない。敵は、要塞を死守するつもりだ。ロケットアンカーを打ち込み、つり橋を架けろ! 全軍突撃だ! 一気に敵を踏み潰せ!」
「ズドン! ズドン!」という轟音と共に、対岸の各所からロケットアンカーが撃ち込まれ、瞬く間に、要塞の周囲に釣り橋が架けられた。
「ウニャー!」という喚声と共に、猫人間軍が要塞内になだれ込んだ。しかし、そこはもう、もぬけの殻だった。
「提督、要塞は占拠しました。しかし中は、もぬけの殻です」その報告を聞いた黒猫提督は、とっさに「しまった!」と叫んだ。次の瞬間、轟音と共に、要塞の各所で爆発が起こった。猫人間軍は、またしても正成の策略にはまり、大軍を失う結果となった。
鹿人間軍のしんがりを務めた熊鹿は、その様子を見て高々と笑った。
「ざまあみろ! バカ猫どもめ! 散策道も土砂に埋まった。しばらくは追っても来れまい。ウアハハハハハ! ウアハハハ! さあて、ものども、熊野に向かうぞ!」
第三章 旅立ち
1
猫人間軍の本陣では、黒猫提督が部下を叱り飛ばしていた。
「この馬鹿どもが! 鹿人間軍は、南に落ち延びたに違いない。追うのだ! 直ちに後を追え!」
参謀の一人が恐る恐る進言した。
「しかし、要塞の裏の散策道は、土砂に埋まっています。復旧には数日かかります」
それを聞いた黒猫提督が怒鳴った。
「追えといったら追え! たとえ崖を這い上がってでも、敵の後を追うのだ!」
「心得ました。直ちに追っ手を放ちます」
その頃、鹿人間軍は熊野古道を南下していた。熊野古道は人ひとりがやっと通れるような嶮しい山道である。先頭を鹿上に任せ、正成はしんがりについていた。まるでアリの行列のような長い行軍となった。しばらくして、しんがりに熊鹿の部隊が追いついた。熊鹿が正成に報告した。
「敵の軍勢は、吉野の要塞とともに吹っ飛びました。二~三万は吹っ飛んだと思います。散策道も土砂に埋まったので、追っ手が追いつくにはかなりの日数がかかるでしょう」
「そうか、ご苦労だった。後は、熊野に向けて急ぐのみだ。この様子では熊野まで十日はかかるな」
何日も何日もひたすら行軍が続いた。真冬の熊野古道は、鍛え抜かれた鹿人間軍の兵士たちにとってもそれはそれは嶮しい道のりだった。靴底が抜け、それを布で縛り付けて歩いている者、ほとんど裸足に近い状態で、足の裏を血まみれにする者などが行軍から遅れ始めた。予想以上に熊野への行軍は、はかどらなかった。
十津川温泉郷を抜けて、小辺路にさしかかった時、正成が立ち止まった。
「熊鹿、お前は手勢を率いてここに残れ、この狭隘な地形は天然の砦だ。ここに残って追っ手の進軍を阻め」
「心得ました」
正成が眉間にしわを寄せながら熊鹿を見つめた。
「お前、私の命令の意味がわかっているのか?」
「はい、わかります。ここを死守して、全軍が乗船するまで時を稼げとおっしゃりたいのですな」
「そうだ。それは、お前たちは一緒に乗船出来ないことを意味する」
「わかります。ここで、弁慶の立ち往生をすればよろしいのですな」
「そうだ。ただし、死ねとは言っていない。三日も稼いでくれれば十分だ。その後は、ちりぢりバラバラに逃げて、春まで熊野に篭れ、春になれば、我が軍は必ず吉野に戻る。生きて吉野で会おう」
「心得ました。ここから先は一歩も敵を通しません。春に吉野で会いましょう」
「頼んだぞ、熊鹿」
熊鹿は、自分の部下である第五騎兵隊の兵士たちを集めた。
「この狭隘な地形なら、敵の進軍を阻止するのに大軍は必要ない、わしと共に残るのは三十人で十分だ。ここで死ぬ覚悟のある者は、一歩前に出ろ!」
第五騎兵隊の全員が一歩前に出た。そこには猫人間軍の脱走兵もいた。
「私たちに残らせてください。私たちにはどうせ先の希望はありません。いずれ奴らと同じように、人間らしい心を失ってしまうのです。それくらいなら私たちは人間として死ぬほうを望みます。お願いします。これは人間として死ねる最後の機会かもしれません。提督に恩返しが出来る最後の好機かもしれません。どうか、私たちを残らせてください」
熊鹿は黙って頷き、正成も了承した。
勝利のためとはいえ、冷酷な命令だった。正成はしんがりを進みながら、自らが下した残酷な命令に涙をこぼした。
2
二日後、熊鹿が待ち受けているところへ猫人間軍の先頭集団がやってきた。熊鹿が山道に立ちふさがった。
「化け猫ども、よう来た。しかし、ここから先は一歩も通さぬぞ!」
奮い立って敵兵がレーザー機関銃を構えた瞬間、脇の茂みに潜んでいた第五騎兵隊の伏兵が猫人間軍に向けて、マタタビ砲の集中攻撃が浴びせかけた。
マタタビの匂いに酔っ払って支離滅裂になった猫人間兵を、熊鹿は自慢の大矛で次から次へとなぎ倒した。熊鹿はまるで工場の生産ラインのように、次から次へと敵を斬り続けた。
いくら敵兵を斬って捨ててもきりがなかった。あたり前である。敵兵は三百万人いるのである。
三日三晩、熊鹿はまるで機械のように敵兵を斬り続けた。
四日目の朝、敵の放ったレーザーが熊鹿の右ひざを射抜いた。熊鹿はその場にガックリと膝をつきながらも、襲い掛かる敵を斬り捨て続けた。
二発目のレーザーが今度は熊鹿の左肩を貫いた。熊鹿は悪鬼のような表情で敵兵を睨み付け、右手一本で大矛を振り回し、敵兵を斬り裂いた。
三発目が熊鹿の左ももを射抜いた。熊鹿は、バッタリと両膝をつき、鬼神のような表情で大矛を振り続けた。苦痛に顔がゆがみ、次第に動きが鈍り始めた熊鹿の全身を無数のレーザーが貫いた。
「うーむ……」そう一言うなって熊鹿はバッタリとうつぶせに倒れた。それを見た第五騎兵隊の伏兵たちは、マタタビ砲を乱射しながら敵兵に向けて突撃した。
血で血を洗う戦場となった。伏兵たちは無数の敵を倒しながらも一人一人、レーザー機関銃の餌食となり、倒れた。
熊鹿を含め、四十一人の兵士が戦死した。しかし、その周りは彼らに斬り捨てられた猫人間兵の屍の山と化していた。熊鹿は正成との約束を守って、見事に三日の時を稼いで憤死したのである。
その頃、鹿人間軍の先頭、鹿上らが熊野にたどり着いた。鹿川は見事に五万人分の船舶を用意して待っていた。船上には、投石器や猫じゃらし砲など、集められる限りの武器弾薬が満載されていた。
鹿上と鹿川は抱き合い、お互いの無事を喜んだ。続々と鹿人間軍が熊野に到着し、二日後にしんがりを務めていた正成が到着した。隊列の中間で鹿姫の護衛をしていた佐和子が正成に駆け寄り、大粒の涙をポロポロこぼした。
「提督、良くご無事で……」
正成は、佐和子の肩にそっと手をやりながら穏やかな笑みを浮かべた。
「君こそ、よく無事だった。鹿姫様にはお変わりないか?」
佐和子が涙を拭いながら答えた。
「はい、鹿姫様はお元気です」
「そうか、それはよかった」
正成は全軍を集め、号令した。
「全軍、直ちに船に分乗し、東京に向かう。敵の主力は現在、熊野古道にいる。敵の大本営、東京永田町の大猫城は、少数の近衛兵により守備されているに過ぎない。我々は、今から敵の本拠地に奇襲攻撃をかけ、敵の大本営を殲滅し、敵の総帥、化猫大帝を討ち取る。これが我が軍に与えられた最初で最後の好機だ。失敗は許されない。勝利か全滅か二者択一の時が来たのだ!」
「ウオー!」という喚声が上がった。皆、口々に叫んだ。「東京だ!」、「東京へ行くんだ!」、「敵の本拠地を壊滅するのだ!」、「化猫大帝を討ち取るのだ!」
全軍が船舶に分乗し終えたのを見届けた正成が号令した。
「全軍、東京に向けて出陣!」
約千隻の鹿人間船団がゆっくりと港を離れた。
3
船団は、一路東へ進路をとった。日が暮れ、正成は黙って真っ黒な海面を見つめていた。そばには佐和子が寄り添っていた。
「この潮の流れなら、東京までは二日で着く。君とこうしていられるのも、あと二日だけかもしれない」
「一秒にも劣る二日間もあれば、百年にも勝る二日間もありましょう。私はこの二日間、ご一緒出来て十分に幸せです。もう思い残すことはありません」
「そうか、そう言ってくれると嬉しい。しかし、敵の大本営は、少数とはいえ、鉄壁の守備がなされているに違いない。例え勝利しても、生きて帰れるものは僅かだろう。私には、私の命令一つで、この五万の将来ある勇者たちの命が失われていいものとは思えない」
「何をおっしゃいます。私たちが今まで生きてこれたのは全て提督のおかげです。提督なくして私たちに明日はありません。今、提督と共に敵の本拠地に向かっていることを兵士たちは心から誇りに思っています」
「そうか、そう言ってくれると救われる。ところで、鹿姫様のことだが……」
「鹿姫様が何か?」
「決戦の間、どこかにかくまう場所はないだろうか?」
佐和子が鋭い視線を正成に向け、正成の憂いを払拭した。
「いえ、鹿姫様も我が軍の一員です。鹿姫様は御自分だけどこかに避難せよと言われても悲しむだけでしょう。同じ女の私にはわかるのです。決戦を前に、お前だけ避難しておけなどと言われるのは屈辱です。皆、生きるも一緒、死ぬも一緒、それが鹿人間軍です」
「そうか……」正成は頭上の月を見つめた。
「この自然の営みの中では、人の一生など瞬く間です。でも、私はその瞬く間を全力で生きてきました。瞬く間の全てを提督に捧げました。二日後の決戦でどうなろうと、私はそれを誇りに思っています。私だけではありません。皆そう思っています」
それを聞いた正成は、黙ってうつむいた。正成の瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。月明かりに照らされてキラリを光った正成の涙が、佐和子には流れ星に見えた。
次の日の夜、正成と佐和子が同じように星空を眺めていると、緊迫した様子で鹿上がやってきた。
「提督、先頭の船から報告です。大船団がこちらに近づいています。ただ、船頭の報告では、どうも軍艦ではないようです」
「大船団? いったい何者だ?」
「それはわかりません」
「まあよい。今さら、どこの船団と出くわしたところで進路を変えるわけにはいかん。全軍、守備隊形を取り、このまま直進しろ!」
しばらくして、後方の船に乗っていた正成の肉眼でもその船団が捉えられるようになった。確かに軍艦ではないようだ。しかし大船団だ。よく見えないが、千隻ぐらいはあるのではないか?
船内にいた鹿上が甲板に上がってきた。
「提督、向こうの船団から入電です。こちらの船籍を尋ねています」
正成は無線機の前に立ち、謎の船団からの入電に応答した。
「こちら奈良の鹿人間軍、こちらに攻撃の意図はない。貴船団は何者だ?」
スピーカーから声が聞こえた。
「こちらは、どこの軍にも属さない民間の船団です。狂猫病の感染を恐れて海上生活をしています。船は約千隻、総勢約十万人の民間人を載せています」
「我が船団は、現在、猫人間軍の本拠地東京を攻撃するため、航路を東に向けている。速やかに航路を開けられたい」
スピーカーの向こうの男が訊いた。
「猫人間軍の本拠地を攻撃するのですか?」
「そうだ、猫人間軍の主力部隊は、奈良の吉野に足止めしてある。現在、敵の本拠地を守っているのは約十万の近衛兵だけだ。化猫大帝を討ち取るには最初で最後の好機だと考えている」
「それなら、我が船団も合流したい。女子供や老人を除いても、約五万人の兵を用意出来る。武器らしいものはほとんどないが……」
それを聞いた正成は、内心、天の助けだと思った。
「武器はこちらの船団に多少余分に積んでいる。兵員以外にも輸送や伝令など人手があると助かる。戦う意思のある者を集めてこちらの船団に合流されたい」
船団の旗艦らしき船が近づいてきた。ヒゲを長く伸ばした白髪の老人が甲板に立っていた。船団の長老らしかった。その老人が正成に話しかけた。
「猫人間軍の本拠地を攻めるそうじゃの」
「そうです」
「おそらくは生きて帰れまい」
正成は何も答えなかった。老人が話を続けた。
「戦える者は皆、合流させる。お前さんに託す。生かすも殺すもお前さん次第だ」
「私に約束できることは、彼らを犬死させないということだけです」
老人はそれを聞いて大きくうなずいた。その船はゆっくりと遠ざかって波間に消え失せた。
約五百隻の船が新たに加わった。兵力は総勢十万人になった。大猫城を守る敵の軍事力は強大だが、これで兵員の数は、ほぼ互角になった。正成は思った。
(これで勝負になる。後は、勝利の女神がどちらに微笑むかだ)
4
東京湾に着いた鹿人間軍の船団は、ひっそりと築地に停船し、全軍が上陸した。敵の首都、東京はほとんど無警戒だった。当然である。三百万の大軍に包囲されているはずの鹿人間軍が東京の大本営を急襲するなどとは、想像もつかないことである。正成は、鹿上、鹿田、鹿川、鹿光そして佐和子の五名を呼んで命じた。
「鹿上、お前には機甲師団を託す。投石器を用いて敵の城門を破壊するのだ。鹿田、お前には第一師団を任す。機甲師団の前衛を務め、城壁を攻撃しながら投石器を守るのだ。鹿川、お前には第二師団を託す。大猫城の両翼に展開して、城を包囲し、城内に猫じゃらし砲とマタタビ砲を撃ち込んで敵をかく乱するのだ。我々の第一目標は、敵の大猫城の城門を破壊し、内部に突入することだ。鹿光、お前には第三騎兵隊を託す。命に代えても鹿姫をお守りするのだ。そして美鹿野、お前と近衛中隊は私に続け、城門が開いたら、わき目を振らず真っ直ぐに敵の大本営に突入する。途中の敵兵は相手にするな。ただひたすら真っ直ぐに大本営を目指し、敵の総帥、化猫大帝を討ち取るのだ。化猫さえ倒せば、敵の残党は、指揮系統を失って、烏合の衆と化すだろう。佐和子、お前の近衛中隊は、私と敵の心臓部に飛び込むことになる。まず、生きては帰れぬだろう。覚悟はいいか?」
佐和子は鋭い視線で正成を見上げた。
「もとより」
「敵の関東軍二十万が千葉にいるはずです。挟み撃ちにされるのでは?」
鹿上の懸念を正成が払拭した。
「その心配はない。我々の動きに呼応して、日光の猿人間と豚人間の連合軍が敵の関東軍に突撃する。関東軍は、しばらく足止めを食うだろう」
鹿上が続けて訊いた。
「敵の中部軍は?」
「それも大丈夫だ。我々の攻撃と同時に信濃のカモシカ人間軍が迎え撃つ。大井川を渡る橋を全て爆破すれば、当分、中部軍は足止めを食うはずだ」
「わかりました。後方の憂いはないということですね。さすがは提督」
「最後に言う。皆、心して聞け。この戦に退却はない。退却しても我が軍が逃げ帰るところはない。勝利か、全滅か、二つに一つだ。どんな苦境に陥っても、決して退いてはならぬ。我が軍に逃げ場はない。前進あるのみだ。わかったな」
「はい!」全員が口を揃えて答えた。
出陣前に正成は、海上で合流した船団の民兵たちを閲兵した。その中には、まだ十二~十三歳ぐらいの少年たちがいた。
「君たちはまだ子供だ。戦争はまだ無理だ。このまま船に残って待て」
彼らのリーダーらしき少年が答えた。
「僕たちは、猫人間軍によって滅ぼされた海王軍の末裔です。僕は、海王の息子、海仁(うみひと)です。僕たちも戦闘に参加させてください」
正成は、少年たちの指の付け根に水かきがあるのを見た。間違いなく海上生活をしていた海王軍の末裔だ。正成が驚いてその少年に問いかけた。
「君があの海王の息子、海仁王子か?」
「はい、そうです」
「海王軍は、強力な水軍を持っていたはずだ。海上戦の苦手な猫人間軍などに何故滅ぼされたのだ?」
「猫人間軍と海王軍との間には、和平協定が締結されていました。海王軍が、猫人間軍に海産物を提供する代わりに、海王軍が陸上で物資を調達することを許すという協定です。でも、海王軍が港に停泊して物資の積み込み作業をしていた時、猫人間軍は、一方的に協定を破り、海王軍の艦船に攻撃を仕掛けてきたんです。海上での戦いなら海王軍は無敵ですが、停泊中に不意を突かれた我が軍は、なす術なく、猫人間軍に殲滅されました。僕とここにいる仲間は、救命ボートで海を漂流しているところを市民船団に助けられたんです」
それを聞いた正成が悔しそうにつぶやいた。
「卑劣な猫人間軍め…… 海仁王子、君の父君の仇は、きっとこの正成が取ってみせる。戦いに加わりたいという君たちの気持ちはわかるが、今日の戦いは陸戦だ。それに君たちはまだ若すぎる。ここで待っているんだ」
「わかりました。僕らには僕らの戦術があります。連れて行ってもらえないのなら別働隊として行動します。きっとお役に立つでしょう」
「君たちが別働隊として行動することは自由だ。だが、命を粗末にするなよ」
「わかりました」
第四章 決戦
1
東の空が白み始める頃、鹿人間軍は進撃を開始した。寒風吹きすさぶ寒い朝だった。おそらく最低気温は氷点下に転じていただろう。号令なき静かな出撃は、ただならぬ悲壮感を全軍に感じさせた。
築地から永田町に向かう途中の進軍は、静かすぎるほど静かだった。猫人間軍は、まさか首都、東京が急襲されるなど夢にも考えていなかったし、何せ、寒さには弱い猫人間軍のことである。城の周りの警備兵も極めてずさんな警備体制しか布いていなかった。ほとんどの警備兵は、詰所のコタツに入り、マージャンに興じていて、たまに物見櫓に立ち、ざっと周りを見渡す程度だった。
夕刻、鹿人間軍は、何ら攻撃を受けることなく、敵の本拠地、永田町の大猫城にたどり着いた。さすがに正成らの姿に気づいた猫人間軍の警備兵が上官に報告した。
「隊長、なにか軍隊のようなものが城に近づいてまいります。遠くで良く見えませんが、かなりの大軍です」
警備兵の隊長は、「面倒だなー、このくそ寒いのに……」と愚痴をこぼしながら物見櫓に登った。もう、日が傾く時間だったので、西日がまぶしくて鹿人間軍の姿はシルエットしか見えなかった。
「おそらく日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋してきたのだろう。一応、上に報告は上げておけ」
部下にそう命じた警備兵の隊長は再び詰所に戻り、コタツに潜り込んだ。
「大帝、日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋した模様です」
参謀から報告を受けた化猫大帝は、首をかしげた。
「妙だな、偵察隊からは、かなり苦戦していると聞いていたが……。関東軍の司令官を呼んでこい!」
城門の横の小さなくぐり戸が開き、猫人間軍の使者が近づいてきた。
正成はアントラーアーチェリーをキリキリと引き絞り、使者めがけてアントラーアローを発射した。
「ニヤ~!」という悲鳴と共に、使者はその場にバッタリと倒れた。使者が撃たれるのを目の前で見た警備兵は血相を変えて、隊長に報告した。
「使者が撃たれました。あれは関東軍などではありません。敵軍です!」
それを聞いた警備隊長は、ぶったまげてコタツを飛び出し、正成の軍勢を確認した。
「間違いない、敵軍だ! それも大軍だ!」
警備隊長は、すぐその報告を城の守備隊長に送った。守備隊長からの報告を受けた副官の三毛猫参謀総長は仰天して、化猫大帝に報告した。化猫は怒りを露にし、三毛猫に怒鳴った。
「何? 敵の大軍だと、どこの軍勢だ!」
三毛猫は恐る恐る答えた。
「それはまだわかりません」
「貴様ら、城の目の前まで迫っている大軍がどこの兵かもわからないのか?」
「すぐに調べてまいります」
三毛猫は大本営を飛び出した。守備隊長からの報告があった。敵軍は間違いなく、鹿人間軍だとのことだった。
三毛猫がいぶかしげに言った。
「鹿人間軍? 鹿人間軍は我が軍の主力部隊三百万に包囲されて、吉野に篭城しているはずではないか?」
守備隊の使いが答えた。
「はい、そのはずです」
「まあいい、どこの軍勢だろうとたいした戦力はないはずだ。ウルトラ猫ニャン砲の発射準備にかかれ。その敵軍を殲滅するのだ!」
「心得ました」そう言って三毛猫は大本営を出た。
大本営を出た三毛猫は近衛師団の司令官である銅鑼猫(どらねこ)中将に命じた。
「ウルトラ猫ニャン砲発射準備、敵を殲滅せよ!」
2
鹿人間軍の目の前に、敵の本拠地、大猫城が姿を現した。四方を高さ二十メートルの超合金の壁に囲まれた、それはそれは堅固な城だった。城の内部は、城壁の死角になり見えなかったが、城の中央部には、豪華な天守閣のような背の高い建物があった。おそらくあれが化猫大帝の居所だ。
鹿人間軍は、先頭に投石器を並べ、城門への攻撃を開始した。
「ゴーン!」という大きな音がした。投石器から発射された巨岩には爆薬が仕掛けられていた。如何に強固な城門でも、爆薬を備えた巨岩で攻撃すれば、破壊出来るだろう。誰もがそう考えていた。
「ゴーン!」、「ゴーン!」という轟音が城内に鳴り響いた。
城壁の各所には、通常のレーザー機関銃よりも強力なレーザー砲が装備されており、城の守備隊は、それを使って反撃してきたが、射程距離の短いレーザー砲では、超合金で表面を覆われた鹿人間軍の投石器を破壊することは出来なかった。
鹿田率いる第一師団は、投石器の前にたちふさがり、兵に長いはしごを持たせて、城壁の突破を試みた。鹿田の号令を皮切りに、鹿人間軍の第一師団が城壁に向けて突撃した。レーザー砲の一斉掃射を浴びて、鹿田の兵はバタバタと倒れた。それでも鹿田は撤退しようとはせず、ひたすら城壁に向けて突撃を続けた。鹿田のまわりの兵士たちがバタバタと倒れた。兵士たちは動揺して突撃を躊躇した。
鹿田が再び号令した。
「何を躊躇している! 突撃せよと命じたはずだ! 全軍突撃! 敵の城壁を突破せよ!」
「ウワー!」という喚声と共に鹿田の兵が突撃を再開した。レーザー砲の一斉掃射で、兵士たちがバタバタと倒れた。それでも鹿田の兵は突撃を続けた。城門の近くまで来ると、鹿田が号令した。
「マタタビ砲を発射せよ! 猫じゃらし砲も発射せよ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
城内で、マタタビ砲や猫じゃらし砲が炸裂した。猫人間軍は戦意を喪失し、猫じゃらしに興じ始めた。しかし、レーザー砲の周りは、堅固な防弾ガラスによってシールドされていた。レーザー砲による攻撃は激しさを増した。城壁の周りには、鹿人間軍の屍の山が築かれた。
その間も投石器による城門への攻撃は続けられていた。しかしながら、城門は堅固で、投石器による攻撃ではビクともしなかった。
鹿田の軍勢は、城内にロケットアンカーを打ち込み、城壁をよじ登ろうとしたが、やはり、レーザー砲による攻撃で、犠牲者を増すばかりの結果となった。
そうこうするうちに、猫人間軍の最終兵器『ウルトラ猫ニャン砲』の発射準備が整った。
「ドカン!」という轟音と共にウルトラ猫ニャン砲が発射されると、鹿人間軍はまるで紙切れのように飛び散った。ウルトラ猫ニャン砲の破壊力は、通常の猫ニャン砲の十倍はありそうだった。ウルトラ猫ニャン砲が着弾するたびに、その周りにはまるで、地震のような地響きとともに爆風が広がった。ウルトラ猫ニャン砲が次々と着弾し、そのたびに、味方の兵士たちがバタバタと倒れた。恐るべき最終兵器だった。
鹿上は、必死の形相で投石器による攻撃を続けたが、城門は相変わらずビクともしなかった。見る見る間に、城の回りは鹿人間軍の屍で埋めつくされた。ウルトラ猫ニャン砲の砲口は投石器にも向けられた。ウルトラ猫ニャン砲の砲撃で、大多数の投石器は破壊され、発射不能となった。
一方、城壁を包囲してマタタビ砲と猫じゃらし砲を城内に撃ち込んでいた鹿川の軍勢は、一定の成果を挙げていた。敵守備隊の指揮系統は乱れ、城内の兵士たちは猫じゃらしで遊んでいた。それでも、敵のレーザー砲による死傷者の数は、時間を追って増すばかりだった。
『全滅』という言葉が正成の脳裏をよぎった。しかし、退却という選択肢はない。敵の本拠地を落とさない限り、鹿人間軍に逃げ場はないのである。
その時、敵のレーザー砲の一基が故障したのか、一箇所からレーザー砲の掃射が止まった。それに気づいた鹿田はそこに攻撃を集中させた。内部に向けてマタタビ砲と猫じゃらし砲を十分に撃ち込んだ後、城門にハシゴをかけ、兵士たちは城内に侵入しようとした。しかし、城門の上からの攻撃により、なかなか内部には侵入出来なかった。四時間に亘る攻撃で、鹿人間軍は兵力の約半分を失った。
数十名の兵士が城への侵入に成功したが、内部の守備隊による集中攻撃を受け、無残な最期を遂げた。
鹿田の突撃隊は、既に兵力の大半を失っていたが、それでも攻撃をやめようとはしなかった。その時、一発のレーザー砲が鹿田の太ももを貫いた。鹿田は四つんばいになり、それでもロケットアンカーの先のワイヤーをよじ登って、城内に侵入しようとした。次のレーザー砲が鹿田の胸を射抜いた。
鹿田は吐血し、それでもワイヤーに手をかけたまま、壮絶な憤死を遂げた。大将の死にも怯むことなく鹿田の兵は城攻めを続けた。しかし、残された兵力は僅かだった。城門の周りには、累々たる鹿人間軍の屍が積み重なった。
「もはやこれまでか……」正成がそう思ったとき、使者から一報が届いた。信濃のカモシカ人間軍の援軍が到着したというのだ。兵力は約二万、鹿人間軍とは逆の、城の北側の城壁を攻撃しているという。既に損じた兵力の約半分が再び補充されたことは大きい。しかし、城門を突破出来ない限り結果は同じだ。苦悩する正成の横顔を心配そうに佐和子が見つめていた。その時だった。
護衛の鹿光とともに鹿姫が正成の所に歩み寄ってきた。鹿姫は胸に勾玉を抱きしめていた。
「わたくしを投石器に乗せて城門に向けて発射してください!」
「何をおっしゃるのです! 心配は無用です! 姫は後方でお待ち下さい!」
「このままでは味方は全滅します! あの城門を突破出来ない限り、我が軍に勝利はありません!」
「それはそのとおりです! しかし、鹿姫を城門に向けて発射して、それでいったいどうなると言うのですか?」
「提督、提督は、わたくしがこの勾玉に念じれば何が起こるかご存知ですね!」
「存じています。しかし、それは出来ません!」
「提督、お願いします! わたくしにはもう、これ以上味方の兵士たちが倒れていくさまを見ることは出来ません! どうか、わたくしを投石器に乗せて、城門に向けて発射してください!」
「出来ません! 断じてそれだけは出来ません!」
鹿姫が瞳を潤ませながら言った。
「提督、提督はわたくしが死にに行くと思ってらっしゃるのですね。そうではありません。
わたくしの肉体は消滅するかもしれません。でも、そうすることで、わたくしの魂は永遠にあなたがた鹿人間軍の中で生き続けるのです。人の一生などというものは悠久の自然の営みに比べれば、ほんの一瞬のことです。でも、その一瞬にも価値ある一瞬と、無意味な一瞬があるのです。わたくしは、価値ある一瞬を生きたいのです。提督、勝ちなさい。絶対に勝つのです。この一戦は、人類の将来のために絶対に負けられない戦いなのです。その戦いでわたくしはお役に立ちたいのです。わたくしは、あなた方の女神となって永遠にあなたがたを見つめ続けるでしょう。そして、あなたがたの幸福のために祈り続けるでしょう。わたくしは死にません。たとえ肉体が滅んでも、わたくしは死にません。提督、どうかわたくしを投石器に乗せてください」
正成は、鹿姫の言葉を聞いて嗚咽しながら部下に命じた。
「鹿姫様を投石器にお乗せしろ! それから、全軍とカモシカ人間軍に伝えよ! 今から城門を破壊する。城門が落ちたら、全軍、城内に突入しろ。雑魚にはかまうな! 我々の目標はただ一つ、敵の総帥である化猫大帝を討ち取ることだ。繰り返し言う。この作戦の目的は敵の殲滅ではない。一直線に敵の大本営に斬り込み、化猫大帝を討ち取るのだ! よいな!」
全軍に通達がいきわたったことを確認した正成は、投石器に乗って静かに待っていた鹿姫に言った。涙で鹿姫の顔が見えなかった。
「発射します」
鹿姫は、目をつむって念じていた。
「オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ……」
正成が号令をかけた。
「第18号投石器発射用意! 目標! 敵正面城門! 秒読み開始! 発射10秒前! 9! 8! 7! 6! 5! 4! 3! 2! 1! 発射!」
「ガーン!」という投石器の発射音が響いた。勾玉を胸に抱いたまま、鹿姫が宙を舞った。城門に落下する瞬間、鹿姫は両目を見開き、唱えた。
「オンサンマヤサトバン!」
次の瞬間、目がくらむような青白い閃光が走った。鹿姫が勾玉を自爆させたのだ。
敵味方双方とも一瞬、目を伏せた。
閃光の後を追うように、「ドスン!」という地鳴りのような大きな音が響いた。城門が倒れたのだ。
3
それを見た正成が号令をかけた。
「全軍、城門に向けて突撃! 城内に侵入し、大本営に斬り込むのだ!」
「ウオー!」という喚声とともに全軍が城内に突入した。城内で、血で血を洗うような白兵戦が始まった。
正成、佐和子、それに佐和子率いる近衛兵三百名が鹿ロボットに跨った。
先頭に立った正成が号令した。
「我々の目標はただ一つ、化猫大帝を討ち取ることだ。雑魚の相手はするな、一直線に敵大本営に向かえ、行くぞ!」
「ウオー!」という喚声と共に、鹿ロボットに跨った三百名の軍勢が突撃を開始した。「ドドドドドド」という鹿ロボットの足音が響いた。それはまさに生還の希望なき特攻隊だった。
正成率いる特攻隊は、城内の乱戦には脇目もふらず、大本営に上る石段を駆け上がった。石段を登りきって、さらに進むと、おそらくこれが大本営の入り口と思われる小さく堅固な門があった。門は百人ほどの衛兵で守られていた。特攻隊が衛兵に向かって突撃した。衛兵は、レーザー機関銃を乱射してきた。特攻隊の兵士たちはバタバタと討ち取られ、鹿ロボットから転がり落ちた。
レーザー機関銃をかいくぐった特攻兵たちが今にも衛兵に飛びかかろうとした時、「ガーン!」という大きな音と共に、特攻兵が次々と鹿ロボットもろとも、何かに跳ね返されて転倒した。
正成は目の前に薄い半透明のスクリーンがあるのを見て叫んだ。
「防御シールドだ! このままでは前に進めない!」
佐和子が叫んだ。
「何とか防御シールドを破らないと!」
「防御シールドは、我々の武器では破れない。防御シールドのコントロール機構を破壊する必要がある。しかし、コントロール機構はおそらく大本営の内部にあるだろう。何とかして大本営に侵入しない限り、防御シールドは破壊出来ない!」
その間にも、衛兵からのレーザー機関銃の攻撃は続いた。味方は、物陰に身を潜めたまま、身動き出来ずにいた。
佐和子が正成に視線を向けた。瞳が涙に潤んでいた。
「ここまでで終わりなのですか? 大本営は目の前なのに……」
その頃、鹿人間軍とは行動を別にしていた海王軍の少年たちは、地下の下水道を泳いで、大本営に侵入していた。大本営の窓から、防御シールドに行く手を阻まれている正成たちの姿を見た海仁王子は、仲間に向けて言った。
「この建物のどこかに防御シールドのコントロール室があるはずだ。それを探してシールドの電源を切るんだ!」
少年たちは、手分けして大本営内部を探索した。少年たちは次々に大本営内の衛兵に見つかって射殺された。海仁王子は、天井裏に潜り込み、その中を這い回って、電気系統の配線を探った。そして心の中で叫んだ。
(最上階だ! 主要な信号ケーブルは全て最上階の鐘楼に繋がっている。最上階が防御シールドのコントロール室だ!)
海仁王子は、天井裏のダクトを通って、エレベーターシャフトに出た。そして、シャフト内の配管をよじ登って、最上階の鐘楼の天井裏に侵入した。海仁王子は、天井裏の点検口をそっと開いて、部屋の中を見た。そこは間違いなく、防御シールドのコントロール室だった。部屋の中には四人の兵士がいた。奴らを倒さなければ防御シールドのスイッチは切れないのか? 海仁王子は考えた。そして、意を決して腰の短剣を抜いた。
(奴らを倒せなくてもスイッチは切れる)
海仁王子は、防御シールドの制御盤の位置を確認し、天井裏を這って、その真上に移動した。
(いくぞ! いち、にの、さん!)
海仁王子は、勢いよく天井板を蹴破り、真下に飛び降りた。兵士たちが驚いて、彼を見た瞬間、海仁王子は、防御シールドのスイッチを切ると同時に、制御盤に繋がっている太い信号ケーブルに短剣を突き立てた。
衛兵たちが腰のレーザー拳銃を抜いて、海仁王子めがけて発射した。海仁王子は、体中にレーザー銃を受けながら、薄れゆく意識の中で窓の下を見た。防御シールドが消えていた。
「やったぞ……」
それが海仁王子の最後の言葉になった。
最上階の鐘楼で閃光が走り、それと同時に防御シールドが消えたのを見た正成は、直感的に叫んだ。
「防御シールドが消えたぞ! 誰かがコントロール機構を破壊したんだ! 今だ! 突っ込め!」
特攻隊は防御シールドよる防衛線を突破し、なりふりかまわず、城門の衛兵に襲いかかった。白兵戦になれば、アントラーサーベルを持つ鹿人間軍の方が有利だった。衛兵を全て倒し、門を開けようとした時、一発の流れ弾が正成の肩を貫いた。
正成は、バッタリと鹿ロボットから転がり落ちた。佐和子が血相を変えて正成に駆け寄り、正成を抱き起こした。
正成は苦痛に顔をゆがめながらも厳しい口調で言った。
「行け! 私のことはいい、行くのだ! 君だけでも行って化猫大帝を倒すのだ!」
「いやです!」
「命令だ! 行け! 行って化猫を倒せ!」
「いやです!」
「今、行かなければ我が軍に勝利はない! 今までの苦労が全て水の泡になるのだぞ!」
「提督のいない勝利など、私には何の意味もありません。約束をお忘れですか? 春に二人で吉野の桜を見ると約束したことを、二人で生きて桜を見ようと約束したことを…… 約束を守れない提督の命令に従う義務はありません。私もここに残ります」
正成が苦痛に顔をゆがめながらも体を起こした。
「わかった。私を鹿ロボットに乗せろ。一緒に行こう。一緒に行って二人で化猫大帝を討ち取ろう」
「わかりました。その前に止血をしないと…… 傷口を拝見します」
佐和子は自分の衣を引き裂き、それで正成の肩を強く縛った。佐和子に支えられながらかろうじて鹿ロボットに跨った正成が、声を絞り出した。
「さあ、行くぞ!」
今度は、正成に代わり佐和子が先頭に立ち、約二百名の特攻隊が大本営の長い廊下を駆け抜けた。豪華な石張りの壁に赤いじゅうたんが敷かれた煌びやかな廊下だった。途中、要所要所に敵の衛兵が伏せていてレーザー機関銃による攻撃を仕掛けてきた。レーザー機関銃を受けた兵がバタバタと鹿ロボットから転がり落ちた。兵力は百名にまで減った。大本営を抜けるとさらに中庭があり、その向こうにひときわ豪華な御殿があった。正成が言った。
「あれが化猫大帝の御所に違いない」
御所の前にも百人ほどの衛兵がおり、レーザー機関銃を構えていた。
佐和子が号令した。
「全軍、突撃!」
「ウオー!」という喚声とともに、百名の特攻隊が衛兵に襲いかかった。レーザー機関銃の掃射で、仲間の兵士がバタバタと倒れた。それでも、特攻隊は突撃を続け、アントラーサーベルで衛兵に襲いかかった。佐和子は、鮮やかな剣さばきでバッタバッタと敵の衛兵を斬り捨てた。敵の衛兵は全滅した。
佐和子が御所の扉を開けた。中央に噴水のある豪華な御所はもぬけの殻だった。正成が周りを見回した。
「吹き抜け階段の奥に両開きの豪華な扉がある。あの中が化猫大帝の居所だ」
生き残った八人の特攻隊が階段を駆け上がり、扉を開いた。
4
部屋の奥に一人の男が座っていた。その男が不敵な笑いを浮かべた。
「鹿人間の坊やたち、よく来たね。しかし、一人も生かしては帰さぬ」
奥の扉から三十人ほどの敵兵が飛び出してきた。敵兵は、恐ろしく敏捷な動きで正成らに襲いかかった。敵兵の動きはとても人間とは思えないほど敏捷で力強かった。佐和子が軽やかな身のこなしで敵の攻撃をかわし、アントラーサーベルを一閃した。佐和子のサーベルで、まともに腹を突き抜かれた敵兵は、何と表情一つ変えずに攻撃を続けてきた。
それを見た正成が叫んだ。
「こいつらは人間じゃない! アンドロイドだ! 闇雲に切ってもダメだ。どこかに急所があるはずだ。急所を探せ!」
八人の鹿人間兵と敵アンドロイドの間で、壮絶な戦いが繰り広げられた。敵サーベルの攻撃を味方のサーベルが受け止め、火花が散った。一人の兵士が敵アンドロイドと刺し違えた。刺し違える瞬間に兵士はアンドロイドの首を斬り落とした。首を失ったアンドロイドは、コントロール回路を切断され、まるで壊れた機械のように痙攣して倒れた。それを見た正成が叫んだ。
「首だ! 敵の弱点は首だ! 頭のコントロール回路と体の筋肉は、首の信号ケーブルでつながれている。敵の首を狙え!」
それを聞いた兵士たちは、敵アンドロイドの首を狙って襲いかかった。しかし、敵のアンドロイドは強かった。味方兵士はバタバタと討ち取られ、正成と佐和子の二人だけが生き残った。佐和子は、華麗な剣さばきで次々に敵アンドロイドの首を斬り落とし、正成も最後のアンドロイドを倒した。正成と佐和子はサーベルを手にゆっくりと化猫大帝に近づいた。化猫大帝は立ち上がり、真っ赤に光り輝く猫ニャンサーベルを抜いた。
「鹿人間の坊やとお嬢ちゃん。なかなかチャンバラごっこがお上手だね。だが、お遊びはこれで終わりだ。二人仲良くあの世にゆくがよい」
正成と佐和子は一瞬、互いに視線を向け、呼吸を合わせて二人同時に飛びかかった。
「ダーッ!」全身全霊を込めた二人のサーベルが化猫大帝に襲いかかった。
「ウァハハハハッ」化猫大帝は二人の攻撃を軽くかわしながら高らかに笑った。
「二人ともガンバレ、ガンバレ、ファハハハハ」
「天誅!」佐和子が叫びながら斬りつけた。「カチン!」佐和子の剣は軽くはたかれた。
「おのれ!」今度は正成が剣を突きつけた。化猫大帝は、それを軽くかわしながら、ヒョイとジャンプし、高さ三メートルはある回廊に飛び乗った。正成と佐和子が階段を駆け上がって化猫大帝を追った。二人が回廊に上がると、化猫は回廊からヒョイと飛び降りた。
「どうした、どうした、鬼さんはこっちだよ」
正成と佐和子も回廊を飛び降り、二人同時に化猫大帝に飛びかかった。
「グサッ」という鈍い音がして、佐和子の足元に鮮血が飛び散った。「ウッ」という声を漏らして佐和子がその場に倒れた。正成が叫んだ。
「佐和子!」
正成が必死の形相で佐和子に駆け寄り、傷口を見た。佐和子は腰を切られていた。
「佐和子! しっかりしろ! 傷は大丈夫だ! 傷は大丈夫だ! 佐和子! 佐和子!」正成は、声を震わせて叫び続けながら、ハチマキで佐和子の傷口を縛った。佐和子が瞳を潤ませながらか細い声で言った。
「正成さま、あなたと二人で桜を見たかった。約束を守れなくて、ごめんなさい」
その言葉を最後に佐和子はガックリと力尽きた。正成が叫んだ。
「佐和子! 佐和子!」
正成は、こぼれる涙を拭おうともせず、振り返って化猫大帝をにらみつけた。
「おのれ! この化け猫!」
鬼神と化した正成の猛烈な攻撃を化猫はかわし続けたが、さすがに少し恐れをなしたか、化猫は大きく後ろに跳びよけた。そして、真っ赤に輝く猫ニャンサーベルを頭上に振りかぶり、低い声で唱えた。
「ダンワラ、ワバイニ、この世に巣くう魔物ども、我に力を与えよ! ヌオー!」
猫ニャンサーベルの先端に閃光が走り、真っ赤な雷撃が正成に向けて放たれた。正成は、アントラーサーベルで雷撃を防いだが、その反動で、壁際まで弾き飛ばされた。
バッタリと倒れ込んだ正成に化猫大帝が飛びかかり、馬乗りになって、サーベルを振りかざした。化猫大帝が低い声で叫んだ。
「これで、終わりだ!」
「ガチン!」化猫の一撃を正成はアントラーサーベルで受け止めた。両手で必死にサーベルを支え、化猫のサーベルを防ごうとする正成だったが、肩に受けたレーザー機関銃の傷のために、左腕に力が入らなかった。化猫のサーベルがじわじわと正成の喉に近づき、とうとう、その刃先が正成の喉に触れた。正成の心に、撤退の時間を稼ぐために憤死した熊鹿、体中にレーザー砲を浴びながらも城壁をよじ登ろうとして死んでいった鹿田、そして、城門を破るために自爆覚悟で投石器に身を託した鹿姫の姿が走馬灯のように思い出された。その時だった。
「ヌオー!」という叫び声とともに、化猫大帝の攻撃が緩んだ。床をはいずりながら近づいてきた佐和子のサーベルが、化猫大帝の太ももに突き立てられていた。佐和子は、鬼のような形相で、そのサーベルをさらに深く突き刺した。
「ハッ」一瞬の隙をついて、正成は身をかわし、立ち上がって、化猫大帝の背中を踏みつけた。正成はサーベルを両手に握り、全身全霊の力を込めて、それを化猫大帝の背中に突き立てた。
「ウニヤ~!」という化猫大帝のうめき声がした。正成は、化猫大帝の背中に突き立てたサーベルをグリグリと回しながら言った。
「これは、熊鹿の分!」
そして、一旦、サーベルを抜き、今度は、それを化猫のわき腹に突き立てた。そして、それをグリグリ回しながら言った。
「これは、鹿田の分!」
そして、もう一度サーベルを抜き、乾坤一擲の力を込めて、それを化猫の心臓に突き立てた。
「グハッ」と口から鮮血を吐き、化猫大帝は絶命した。正成は、既に息絶えている化猫の心臓に突き立てられたサーベルをグリグリ回しながら、叫んだ。
「これは、これは、鹿姫の分だ!」
正成は、化猫大帝の屍の横にバッタリと倒れ込んだ。その正成に、佐和子がにじり寄り、正成のほほをなでながら言った。
「帰りましょう、二人で吉野の桜を見るのです……」
5
静まりかえった室内にドタドタと靴音が響いた。血相を変えて鹿川らの部隊が飛び込んできた。
「提督! 近衛隊長!」そう叫びながら、鹿川が気を失って倒れている正成と佐和子のところに駆け寄った。鹿川は二人の胸に耳をあてて、叫んだ。
「二人とも生きてるぞ! 医療班は、生きてるのか?」
そばにいた若い兵士が答えた。
「鹿光様の部隊の医療班は、健在のはずです。今、城外で、負傷者の手当てにあたっているはずです」
鹿川が叫んだ。
「すぐに連れて来い!」
「はい、わかりました!」その若い兵士は、そう答えて駆け出して行った。
鹿川が大粒の涙をポタポタ落としながら、すがるように叫んだ。
「提督、近衛隊長、お願いです。死なないで下さい。お二人に逝かれたら、いったい何のための勝利なのですか?」
「うーん」という正成のうめき声がした。鹿川が叫んだ。
「提督、提督、聞こえますか? 鹿川です。お願いします。お気を確かに、我が軍の勝利です。我々は勝ったのです。わかりますか?」
うっすらと見開いた正成の目に、ぼんやりと鹿川の顔が映った。正成がかすかな声で訊いた。
「鹿川か? 勝ったのか?」
鹿川が嗚咽して、声を震わせながら答えた。
「勝ちました。我が軍の勝利です」
「そうか……」朦朧としていた正成がハッと目を見開いた。そして訊いた。
「佐和子は? 佐和子は? 佐和子!」
苦痛に顔をゆがめながら正成が顔を横に向けると、目の前に佐和子が倒れていた。
「佐和子! 佐和子!」
「近衛隊長もご存命です。ご安心下さい。もうすぐ医療班が来ます。大丈夫です」
正成は、震える手を伸ばして、佐和子のほほを撫でた。そして呼び続けた。
「佐和子、佐和子……」
医療班が血相を変えて飛び込んできた。医療班が叫んだ。
「提督!」
「私は大丈夫だ。佐和子を頼む」
医療班が佐和子に駆け寄り、傷口を覗き込んだ。
「大丈夫です。酷い出血ですが、傷は内臓には達していません。輸血すれば助かります。近衛隊長はA型でしたね」
医療班は、佐和子の首にかけられていた身分証の血液型を確認し、後ろを振り返って叫んだ。
「A型の者は前に出ろ! 輸血を開始する」
五~六人の兵士が前に進み出た。輸血が開始された。
医療班は、佐和子の胸に聴診器を当て、脈を計り続けた。一同が固唾を呑んでその様子を見守っていた。長い長い時間だった。正成は朦朧とする意識の中でその様子を見守り続けた。正成も輸血を受けていた。正成の出血も酷かった。
佐和子を診続けていた医療班がホッとしたように肩の力を抜いて言った。
「どうやら、安定したようです。あとは意識が戻るのをお待ちするだけです」
「そうか…… ありがとう」正成がそう言って再び意識を失った。
医療班が立ち上がり、鹿川に言った。
「お二人とも、もう大丈夫です。でも、動かすのは良くありません。意識が戻るまでここでお待ちしましょう」
鹿川は黙ってうなずいた。攻撃開始からまる一日が経過していた。
鹿川が思い出したように言った。
「お前! 全軍に伝えるのだ! 化猫大帝は討ち取った。提督も近衛隊長もご無事だと!」
「わかりました!」命令を受けた兵士がそう答え、勇躍して駆け出して行った。
6
数時間後、佐和子の意識が戻った。佐和子がうっすらと目を見開き、横を向くと、隣のベッドに寝かされている正成が穏やかに微笑んだ。
佐和子がか細い声で訊いた。
「私たち、助かったのですか?」
「そうだ、傷は痛むか?」
「いいえ、ちっとも……」
「我が軍の勝利だ。我々は勝ったのだ」
それを聞いた佐和子の瞳からとめどなく涙が溢れた。
ずっと二人を見守っていた鹿川が二人の会話を聞いて声を上げて泣いた。
正成が鹿川に言った。
「鹿川、全軍の兵士に伝えてくれ」
「はい、何と?」
「皆、ご苦労だった。ありがとう……」
「心得ました」
鹿川は、医療班に後を頼み、部屋を出て行った。
城門の物見台に上った鹿川は、思わず目を伏せた。見渡す限り、屍の海が広がっていた。半数近くは、味方の屍だった。意を決して鹿川は顔を上げ、号令した。
「全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える」
その声を聞いた全軍が静まりかえった。
「もう一度言う、全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える。提督のお言葉は、次のとおりだ!」
少し間を置いて、鹿川が大声で言った。
「提督のお言葉はこうだ! 『皆、ご苦労だった。ありがとう』」
それを聞いた全軍が怒涛のような喚声を上げ、抱き合って勝利を喜んだ。狂ったように踊り狂う者、大声で泣き声をあげる者、黙ってうつむきすすり泣く者、喜びの表現は様々だった。
「勝ったんだ!」、「俺たちは勝ったんだ!」
喜びの喚声はいつまでもやむことがなかった。
第五章 掃討作戦
1
その夜、正成は鹿上を呼んだ。
「皆に伝えよ、勝利の美酒に酔うのは今夜で終わりだ。明日の朝からは、城の補修を急げ、武器の整備も怠るな。ウルトラ猫ニャン砲やレーザー機関銃など、敵の武器でも使えるものは使う。忘れるな、本拠地を滅ぼし、化猫大帝を討ち取ったとは言っても、日本全国には、まだ三百万以上の猫人間軍の残党がいる。もちろん、指揮系統を失った烏合の衆だ。以前ほどの力はないだろうが、他の指導者が現れれば、息を吹き返す可能性は十分にある。幸い、この大猫城は、攻めるにも守るにも最高の城だ。今後当面は、この城の名前を『大鹿城』と改名する。我が軍の本拠地とするのだ。そのために城の補修を急げ」
「心得ました」鹿上はそう答えて医療室を出て行った。
隣のベッドから佐和子が声をかけた。
「あと二ヶ月で、吉野に戻れなければ、二人で桜を見る夢は叶いませんね」
正成が穏やかに微笑んだ。
「今年の桜にこだわる必要はない。私たち二人は、これから毎年二人で同じ桜を見るのだから……」
佐和子にはその言葉の意味がわかった。
「嬉しい……」
佐和子は、涙を流してすすり泣いた。そして、突然、「ワッ」と少女のように泣きじゃくった。
医療室には、他にも大勢の負傷者が収容されていた。重篤なけが人も多くいた。でもその夜だけは、佐和子の瞳に他のけが人は映らなかった。
翌朝、『大鹿城』の前の広場では、戦没者を弔う大祭典が催された。
正成は、敵味方の区別なく、戦没者を弔うように命じていた。
城壁の物見台に車椅子に乗った正成が姿を見せると、全軍が大歓声を上げた。
「提督万歳! 提督万歳!」
その歓声はいつまでも静まる気配がなかった。
正成が右手を前に差し伸べると、歓声がぴたりと収まった。全軍が固唾を呑んで正成の言葉を待った。
「諸君、この度の勝利はひとえに皆の努力によるものである。私は、あなたたちの指揮官であることを心から誇りに思う」
その言葉を聞いて「ワアー!」という地響きのような歓声が上がった。正成は再び右手を差し伸べて歓声を抑えた。
「しかしながら、勝利の影には、命をかけて敵と勇猛に戦い、亡くなっていった多くの仲間がいることを忘れてはならない。今日は、戦没者を弔い、彼らが成仏して天国に召されることを祈願して祭典を行う。皆も、今日の日を忘れず、明日のために努力を続けて欲しい」
一呼吸おいて正成は話を続けた。
「確かに、我が軍は猫人間軍の本拠地を攻め落とし、化猫大帝を討ち取った。しかしながら、日本全国にはまだ、三百万の猫人間軍の残党がいる。もちろん、奴らは指揮系統を失った烏合の衆だが、数の上では我が軍をはるかに上回っている。したがって、我々は、敵の残党が新たな指導者を立てて体勢を立て直すまでに、完膚なきまでに敵軍を叩かなければならない。今回の勝利は、その第一歩に過ぎない。」
正成はさらに話を続けた。
「幸いにして、我が軍の友軍である日光の猿人間・豚人間の連合軍、各地の牛人間軍、信濃のカモシカ人間軍、高崎山の猿人間軍も有利な戦いを進めている。敵の残党を掃討するには、今が最高の好機である。我が軍は、今後、この城を『大鹿城』と呼んで本拠地とし、まずは千葉に野営している猫人間軍の関東軍を掃討する。諸君は、今日の祭典後、早速その準備に入ってもらいたい。敵関東軍の包囲から、日光の猿人間・豚人間の連合軍を解放するのだ!」
全軍の「ウオー!」という潮のような歓声と拍手がいつまでも鳴り止まなかった。
正成は、小さく右手を上げて、物見台を降りた。
物見台の下では、やはり車椅子に乗った佐和子が満面の笑みをたたえながら拍手を送っていた。
正成は、それを見てニッコリ微笑んだが、その後の表情は固かった。佐和子が心配そうに尋ねた。
「提督、何か憂いごとでも?」
それを聞いて正成が小さく頷いた。
「直近の憂いごとと言えば、やはり敵の関東軍だ。関東軍にもし優秀な指導者がいるとすれば、猿人間・豚人間の連合軍に対する攻撃を一旦中止し、ここを奪還しに来るだろう。敵の関東軍は総勢約二十万、それに対して我が軍の生き残りは約七万だ。いくらこの城があるだけ有利だとは言っても、数の上では向こうが有利だ。早く対策を考えないと……。特に、今、我が軍の兵士たちは戦勝気分に浮かれている。不意を突かれたらひとたまりもない」
「関東軍の動きは監視しているのですか?」
「ああ、大勢の密偵を送って、一時間毎に報告させている。敵は、既にこの城を奪還するための戦闘準備に入っている。進軍を始めるのは時間の問題だろう」
「敵がこの城に向けて進軍を開始したら、日光の猿人間・豚人間の連合軍に背後を突かせ、挟み撃ちにするのがよろしいかと……」
「私も最初はそう考えた。しかし、猿人間・豚人間の連合軍の東には、猫人間軍の東北軍がいる。うかつに撃って出ると、逆に猿人間・豚人間の連合軍が挟み撃ちにされかねない」
「確かにそうですね……」そう言って佐和子は考え込んだ。
しばらく沈黙の時間があった。
正成は鹿上を呼んだ。
「お呼びですか?」
「鹿川を呼べ」
鹿上が鹿川を連れてきた。
「先制攻撃をかける。第一師団一万を率いて、今夜、敵関東軍の陣地に夜襲をかけろ。それに呼応して、猿人間・豚人間の連合軍にも総攻撃をかけさせる。敵は、まさかこんな安全な城を占拠した我が軍が、わざわざ外に撃って出るとは思っていないだろう。敵の不意を突くのだ」
「心得ました」
その会話を横で聞いていた佐和子が言った。
「如何に鹿川将軍でも手勢が一万では敵の二十分の一です。少し少なすぎませんか?」
「いや、昔から大軍による夜襲が成功した例はない。夜襲というのは少人数の精鋭でやるものだ」
「確かに……」
正成が鹿川に言った。
「敵から奪ったレーザー機関銃を持って行け、きっと役に立つだろう」
「いえ、レーザー機関銃は城の守備に必要です。それに夜襲にレーザー機関銃は必要ありません。僭越ですが、私には私の戦い方があります」
それを聞いた正成がニヤリと笑みを浮かべた。
「火攻めか?」
鹿川は黙って頷いた。
2
深夜、作戦は決行された。鹿川の軍勢は、尖兵に敵の警備兵を討ち取らせながら、投石器の射程距離まで軍を進めた。寒風吹きすさぶ酷寒の夜だった。猫人間軍の野営地は静まり返っていた。
鹿川は、前線に投石器をずらりと並べ、油を満載した樽を搭載させた。
その前に、火矢を携えた兵士たちが進み出た。
鹿川が大号令をかけた。
「攻撃開始!」
「ドーン!」という轟音と共に次々と投石器から油樽が投下された。油樽は、敵陣に着弾すると「パーン!」と破裂し、周囲に油が飛び散った。
鹿川が次の命令を発した。
「火矢を放て!」
ヒュンヒュンという音をたて、無数の火矢が放たれた。火矢は、油にまみれた猫人間軍の陣地に次々と突き刺さった。
「ボオッ」という音とともに、一瞬にして敵陣地内は火の海になった。
「ニヤ~!」という悲鳴をあげて猫人間軍の兵士たちが逃げ惑った。
阿鼻叫喚が乱れ飛び、敵陣地内は地獄絵の様相を呈した。
猫人間軍の兵士たちは完全に統率を失い、次から次へと、陣地の外に逃げ出してきた。
鹿川が号令を発した。
「全軍、突撃! 敵関東軍を殲滅せよ!」
鹿川の軍勢が敵の兵士に襲いかかった。敵関東軍は、体勢を立て直す間もないまま、バタバタと討ち取られていった。
鹿川の攻撃に呼応して、陣地の東側からも、猿人間・豚人間の連合軍が総攻撃を開始した。あまりにもあっけなく、敵二十万の関東軍は全滅した。
鹿川は、その様子を表情ひとつ変えずに見守っていた。
東の空が明るくなり、敵関東軍二十万の亡骸が日の光に晒された。この世の光景とは思えなかった。
鹿川は、全軍を集めた。
「敵関東軍は全滅した! 我が軍の勝利だ!」
「ウオー!」兵士たちの喚声がこだました。
喚声が静まるのを待って、鹿川が号令した。
「任務は完了した。さあ、大鹿城へ帰ろう!」
鹿川は、ほとんど兵を損じることなく大鹿城に戻った。正成が彼の帰りを待ちわびていた。戦勝の報告を聞いた正成は、鹿川の労を深くねぎらった。
「鹿川、誠に大儀であった。敵関東軍の殲滅は、我が軍にとって、当面の安泰を意味する。ゆっくりと休んでくれ」
鹿川が去った後、正成は、車椅子に乗り、大本営の中庭に出た。同じように車椅子に乗り、佐和子がついてきた。正成と佐和子は車椅子を並べ、二人で中庭の風に当たっていた。寒風吹きすさぶ寒い日だったが、二人の心は暖かかった。
「関東軍は、想像以上に弱かったようですね」
「ああ、敵軍は完全に指揮系統を失っているし、兵士も戦意を喪失している。例え兵力が二十倍でも、鹿川の敵ではなかったようだ」
佐和子がニッコリと微笑んだ。
「これで、この城は当面安心ですね」
「そう思う。しかし、吉野にいる敵の本隊を倒すまでは、戦は終わったとは言えない」
「確かにそう思います。でも、猫人間軍は既に指揮系統を失った武装集団です。たとえ、兵力が三百万と言っても、こちらが戦術を誤らない限り、勝利出来るのではないでしょうか?」
「その三百万だが、結局、我が軍を追って、熊野にたどり着いたのは二百五十万、残りの兵は、途中から吉野に引き返して逃亡した模様だ。熊野の二百五十万は、船を用意出来ずに、尾鷲、鳥羽、伊勢と紀伊半島の東側を海沿いに北上しているようだ」
「それでは、兵糧も底を尽き、士気の低下も甚だしいのではないですか?」
「そう思う。その状態で、名古屋に入ろうとすれば、おそらく木曽川でカモシカ人間軍の急襲に遭うだろう。カモシカ人間軍の兵力はたった二万だが、川を挟んだ戦いでは、カモシカ人間軍に有利だ。猫人間軍は、相当な被害を受けるに違いない」
「木曽川をはさんで対峙すれば、猫人間軍は多大な損害を受けるでしょうが、猫人間軍にも知将、黒猫提督がいます。カモシカ人間軍だけで完全に殲滅するのは難しいでしょう。我が軍はどうなさるおつもりですか? この城で敵を向かえ撃つのですか?」
「いや、篭城はしない。篭城という戦法は、時間が経てば有利になることがわかっている場合にのみ通用する戦法だ。篭城だけでは敵を殲滅出来ない」
「では、あくまで攻めに出るのですか?」
「そのつもりだ、今、その戦術を考えている」
「考える時間は十分にあります。それまでささやかな平和を楽しんではいけませんか?」
それを聞いて正成がニッコリと微笑んだ。
「いや、束の間でも平和を楽しむことは良いことだ。兵の休息にもなる。我々も今日、明日ぐらいは、ゆっくりと休もう」
その夜、参謀本部ではささやかな宴が催された。化猫大帝を討ち取り、当面の敵である関東軍を殲滅した安堵感が皆の表情を和らげていた。
宴会の席上で鹿上が言った。
「提督、実は、皆の総意として一つ提案があるのですが……」
正成が穏やかに微笑んだ。
「何だ、遠慮せずに言え」
「提督は、もともと王家の血筋に当たります。鹿姫なき後、我が軍には象徴的存在が必要です。兵は皆、提督の王への即位を望んでいます」
それを聞いた正成は苦笑いを浮かべた。
「私はそんな柄ではない。私の望みを叶えさせてもらえるのなら、この戦が終わって平和な世が来たら、佐和子と二人で、田畑でも持たせてもらって、ひっそりと暮らしたい」
それを聞いた佐和子は、ほほを赤らめた。
正成の発言に鹿上は仰天した。
「とんでもない。たとえ、平和な世が来たとしても提督に隠居されては困ります。平和な世にも、それなりに国家運営上の様々な難しい課題があるのです。例え、議会制民主主義の国を目指すとしても、象徴的存在として国王の存在が必要なのです」
「象徴的存在か……」そう言って、正成は口ごもった。正成の心の中を鹿姫との想い出が駆け巡った。正成の瞳が潤んだ。
佐和子が心配して声をかけた。
「提督、お加減が悪いのですか?」
正成は、慌てて首を横に振った。
「いや、なんでもない。今夜はみんな楽しんでくれ、それから、鹿川、今より、貴公を、副提督に任じる。参謀総長の鹿上と協力して私を助けてくれ」
鹿川が恐縮して言った。
「私は、副提督などという器ではございませんが、今までどおり、全力を尽くします」
正成が言った。
「明日の十四時より、参謀会議を開く。皆、出席するように」
その夜は珍しく、皆、深酒した。束の間の平和を満喫した。
3
翌日、予定通り、参謀会議が開かれた。会議の席上、鹿上が現況報告をした。
「猫人間軍の残存兵は、全国に散らばっていますが、そのほとんどは指揮系統を失い、ただの武装集団と化しています。その中で、吉野で我が軍と戦った敵の主力部隊だけが、黒猫提督の指揮のもと、正規軍として活動しています。兵力は約二百五十万、我が軍の、約三十五倍です。兵力だけで考えれば、我が軍よりはるかに強大な勢力を持っています。ただ、本拠地であるこの城を奪われ、総司令官の化猫大帝なき今、敵軍の士気の低下は確実です。兵糧も弾薬も底を突きつつあります。現在は、木曽川をはさんで二万のカモシカ人間軍と対峙していますが、この戦でも、猫人間軍は相当な被害を受けることが予想されます。本日は、敵軍が木曽川のカモシカ人間軍を突破した後の我が軍の戦術を決定するためにお集まりいただきました」
鹿上がそのまま話を続けた。
「この城に篭城して敵を迎え撃つというのも、一つの戦術です。ただ、この作戦には提督は賛成ではないようです。敵軍に包囲された状態で持久戦に入ると、この城ではこちら側の兵糧が先に尽きるというのがその理由です。皆、忌憚ない意見を述べて下さい」
鹿川が言った。
「私も篭城には反対です。篭城という戦術は、長期戦になれば必ず有利になるという確固とした根拠があるときにのみ採用すべき戦術です。戦は、城の外に撃って出るのが基本です」
正成が鹿川に言った。
「そちの作戦を述べてみよ」
鹿川が自分の意見を説明した。
「仮に、木曽川を突破した敵軍の総数を二百万と仮定します。我が軍は、静岡の富士川まで南下し、まず、川を渡ろうとする敵を徹底的に叩くべきです。猫人間軍は水を嫌いますから、必ず船で川を渡るでしょう。その時に、投石器と火矢による攻撃をかければ敵の半数は壊滅するでしょう。そこで、我が軍は、一旦退却し、今度は箱根で敵を迎え撃ちます。箱根は天下の嶮、大和川や生駒の戦で用いた戦法がそのまま使えます。ここでも、敵は、兵力の約半数を失うでしょう。つまり、東京までたどり着く敵兵は、総数五十万ぐらいだというのが私の読みです。五十万と言っても我が軍の七倍です。単純な篭城作戦では、城を攻め落とされる可能性は十分にあります。そこで、我が軍は、二万の兵を城に残し、篭城するふりをしながら、実際には残り五万の兵で、敵の背後を突きます。具体的には新宿御苑に五万の兵を伏せておき、敵が城攻めを始めると同時に、敵の退路を絶ちます。行き場所を失った敵軍はパニックに陥って自壊するでしょう。これが私の提案です」
鹿川の戦術を聞いた正成が苦笑いを浮かべた。
「鹿川、貴公には参ったな、私の作戦とまったく同じだ」
鹿上がニッコリと微笑んだ。
「提督と、副提督の作戦が、期せずして一致したということは、それが最良の作戦だという証明だと思います。異議はありますか?」
異議を唱える者はいなかった。作戦は決定した。
「よし、作戦は決まった。後は、皆の努力のみで雌雄が決せられる。我が軍が敗れるとしたら、些細な連絡ミスや油断が原因となるだろう。皆、心してかかれ!」
「おう!」と一同が声を上げた。参謀会議は散会した。
その頃、木曽川では、猫人間軍とカモシカ人間軍の壮絶な死闘が繰り広げられていた。カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助は、ありとあらゆる知略を用いて、猫人間軍を苦しめた。その上、但馬の牛人間軍に背後を突かれたことも猫人間軍には大きな損害を与えた。挟み撃ちに遭った猫人間軍の黒猫提督は、木曽川の強行突破を命じた。
血で血を洗うような激戦になったが、所詮は二百五十万対二万の戦いである。木曽川の東岸を支えきれないと判断した加茂は、全軍に退却を命じた。木曽川を渡りきった猫人間軍は百七十万までその数を減じていた。
正成のところに密偵からの報告が入った。
「猫人間軍は、木曽川を突破しました。兵力は百七十万です」
それを聞いた正成は、鹿上、鹿川、鹿光、鹿之園を呼び、それぞれに命令した。
「鹿川、そちに機甲師団と第一師団を託す、富士川に陣を築き、敵軍を迎え撃て。予定通り、支えきれなくなったらあっさりと退却し、箱根で鹿光と合流せよ。鹿光、そちには第二師団を預ける。箱根街道の両側に、巨岩、巨木を積み上げろ、戦術は、大和川の戦と同じだ。鹿之園、そちには第三、第四、第五師団を任せる、新宿御苑に兵を伏せて、敵の城攻めが始まったら、その背後を突け。鹿上、そちは第六、第七師団で城の防備を固めろ、よいな。皆、即座に行動にかかれ」
一同、声を合せて答えた。
「心得ました」
翌朝、全軍が城門の前の広場に集められた。正成が城門の物見台の上から号令を発した。
「諸君、これが最後の戦いだ! 勝てば昔のような平和で豊かな暮らしが出来る。負ければ全滅だ。人類の存亡をかけて諸君の活躍に期待する!」
「ウオー!」という地響きのような喚声がこだました。全軍が武者震いしながら、行動を開始した。
午後には、富士川に向けて鹿川の軍勢が出発した。その後を追うように、鹿光、鹿之園の軍勢も進軍を開始した。その様子を物見台の上から正成と佐和子が見つめていた。佐和子が正成に尋ねた。
「彼ら、やってくれますよね?」
正成が無表情に答えた。
「やる。必ず……」
4
鹿川の軍勢と黒猫提督の猫人間軍は、ほぼ同時に富士川に到着し、川を挟んで対峙した。猫人間軍は、船の手配に手間取っているようだった。その間に、鹿川の軍勢は、河原に投石器を並べ、陣地の整備をした。知将、鹿川は、河川敷の至るところに釣り糸を張り巡らせた。川を渡りきった敵軍が足を引っ掛けて転ぶようにワナを仕掛けたのである。そしてそのワナの先には、弓矢を持った伏兵を配した。
鹿川は考えていた。敵は、熊野古道を通ってきた軍だ。猫ニャン砲を運べるはずがない。敵の主力兵器はレーザー機関銃だろう。それももう、どれだけバッテリーが残っているか怪しいものだ。富士川の水深から考えて、大きな船では渡れない。十人乗りの小船を千隻用意したとしても、一度に渡れるのは、一万人だ。十分に戦えると。
富士川の河川敷に立って敵軍を観察する鹿川のほほを生暖かい強風が撫でた。鹿川はつぶやいた。
「春一番か、もうすぐ春だったな……」
翌日の夜半から、猫人間軍の渡航が開始された。先頭の船が川の中央に達した時、鹿川が号令を発した。
「攻撃開始! 投石を始めろ! 火矢を放て! マタタビ砲を撃て! 猫じゃらし砲を発射せよ!」
富士川の上空にまるで花火のように無数の火矢が放たれた。敵軍は船上からレーザー機関銃で反撃してきたが、十分に守備体勢を整えていた鹿川の軍勢には、ほとんど当たらなかった。投石器による攻撃の直撃を受けた敵船が次々と沈没した。火矢の集中砲火を受けて炎上する船も多かった。沈没する船から川に飛び込んだ敵の兵士の悲鳴が聞こえた。
「たっ、助けてくれ! 俺、泳げないんだ! ニヤ~! ゴボボボ……」
阿鼻叫喚の飛び交う中で、ほとんどの敵兵が川底に沈んでいった。川底が埋まるほどの大軍が溺れ死んだ。それでも、敵軍は強行突破を諦めなかった。次第に、鹿人間軍の攻撃をかいくぐって川岸に着岸する敵船が数を増した。上陸した敵兵は、レーザー機関銃を乱射しながら突撃してきたが、鹿川が仕掛けたワナに足を引っ掛けて転倒する兵士が多かった。転倒した兵士に向けて、一斉に矢が放たれた。瞬く間に、河原は敵兵の屍の山となった。それでも、敵は突撃を続けた。所詮、猫人間軍百七十万に対して、鹿川の軍勢は一万である。次第に敵は、勢力を増して攻撃を仕掛けてきた。河川敷では敵味方入り乱れての壮絶な攻防戦が続いた。投石器が全て破壊され、火矢が底を突いたとき、鹿川が判断を下した。
「全軍、退却!」
既に、東の空が明るくなっていた。富士川の河原は八十万人の猫人間軍の屍で埋め尽された。鹿川の軍勢も約三千人の兵を失った。
鹿川軍の総退却を見届けると、敵兵は、それ以上追っては来なかった。敵兵の疲労も極限に達していたのである。結局、猫人間軍はその日、一日を富士川の河川敷で野営した。
翌朝、黒猫提督が号令を発した。
「全軍、進軍を開始せよ!」
東側の堤の上には、不自然な敷板のようなものが敷かれていた。それを踏んだ兵士が「ウッ」とうめいてバタバタと倒れた。それは、鹿川が仕掛けた『置き土産』であった。板を踏むと、自動的に矢が放たれる仕掛けになっていたのである。この仕掛けだけで、敵兵は千人の犠牲者を出した。数にすれば僅かだが、この『置き土産』で猫人間軍の士気は大きく低下した。
箱根で鹿光の軍と合流した鹿川は、作業の進行状況を視察して驚愕した。何と、巨岩・巨木の積み上げ作業がほとんど進行していなかったのである。
鹿川は、鹿光を呼んで怒鳴りつけた。
「いったい、どういうことなんだ! 遠足に来てるんじゃないんだぞ!」
鹿光が申し訳なさそうに言った。
「それが、一旦積み上げた巨岩・巨木が一昨日の春一番で倒壊してしまったんです」
「……」
鹿川には次の言葉が見つけられなかった。これでは、敵の通過に間に合わない。
しばらく考え込んだ後、鹿川が鹿光に言った。
「とにかく作業を急げ、私は、もう一日稼ぐ」
そう言い残して鹿川は、第一師団を引き連れ、もう一度静岡方面に進軍を始めた。三島市の東端まで南下した鹿川は、兵を二班に分け、南北の両斜面に配置した。鹿川が命じた。
「ここから矢を放ち、猫じゃらし砲とマタタビ砲で敵の進軍を阻め、どうしても、もう一日稼ぐ必要がある。矢が尽き、砲弾がなくなったら、全軍突撃せよ」
鹿川の作戦は、九十万の敵軍の中に七千人で突撃するという無謀極まるものだった。
命令を聞いた兵士たちがざわめき始めた。
鹿川が言った。
「士はおのれを知る者のために死ぬ。私は私を信じて、この大役を命じてくださった提督のために死ぬ。私はここを墓場に決めた。逃げたいものは逃げろ、責めはしない」
それを聞いた一人の兵士が言った。
「士はおのれを知る者のために死ぬのです。副提督は我々が逃げたりしないことをご存知ですよね」
「……」
鹿川は何も答えず、声を殺してすすり泣いた。
夕刻になり、猫人間軍の軍勢が見え始めた。鹿川軍は、斜面にそっと身を潜めていた。
敵軍の通過が始まった時、鹿川が号令をかけた。
「攻撃開始!」
不意を突かれて敵兵がバタバタと倒れた。猫じゃらし砲、マタタビ砲が次々と発射された。敵の先鋒はパニック状態に陥った。逃げ惑う兵士たちを黒猫提督が叱った。
「退くな! ここで退いてどうなるというのだ! 首都東京は占領された。我が軍の本拠、大猫城は陥落した。もう我々には帰るところはない。逃げ場はない。大猫城を奪還するしか生きる道はないのだ! 全軍、守備隊形で突撃!」
敵兵たちは、再び進軍を開始した。鹿川軍の壮絶な攻撃が続いた。敵兵は、味方の屍を踏み越えて前進を続けた。登山道は屍の山となった。それでも猫人間軍は進軍を止めなかった。猫じゃらし砲の砲弾が尽きた。マタタビ砲の砲弾が尽きた。遂に矢が尽きた。放つ矢がなくなった鹿川軍は一斉に剣を抜き、斜面を駆け下りて敵軍に突入した。敵味方入り乱れての白兵戦になった。しかし、猫人間軍の総数は、鹿川軍の百倍だ。どれだけ時間を稼げるか? それだけが鹿川軍の課題だった。鹿川は、悪鬼の形相で敵軍に斬り込み、バッタバッタと敵兵を斬り倒した。しかし、所詮は多勢に無勢、結果は見えていた。体中に斬り傷を受け、血まみれになった鹿川が西の空を見上げて言った。
「一日稼げたな……」
それが鹿川の最後の言葉となった。
5
猫人間軍は味方の亡骸を踏み分け、進軍を続けた。そして、深夜に、鹿光の待つ芦ノ湖の西側の急斜面までたどり着いた。徹夜の戦いを終えた上に徹夜の進軍である。猫人間軍の兵士には、過酷すぎる登山道だった。それでも猫人間軍は、重い足を引きずりながら進軍を続けた。その進軍を山の上から鹿光が冷めた目で見つめていた。
鹿光がつぶやいた。
「鹿川副提督の仇、思い知るがよい」
次の瞬間、鹿光が大号令を発した。
「攻撃開始!」
山上に高々と積み上げられた巨岩・巨木が一斉に斜面を転がり落ちた。
「ニヤ~!」猫人間軍の兵士たちは、断末魔の悲鳴をあげて、巨岩・巨木の下敷きになり、あるいは巨岩・巨木と共に谷底に落ちていった。昨夜の鹿川の奇襲と今夜の鹿光の攻撃で、黒猫提督率いる猫人間軍は総勢三十五万人にまで激減した。秋に城を出発した時のほぼ十分の一である。
巨岩・巨木は完全に登山道を塞いだ。黒猫提督は仕方なくそこで野営した。これ以上先に進む力が誰にも残っていなかった。それを見届けた鹿光は、軍を退き、鹿之園が待つ新宿御苑の軍に合流した。
正成のところに密偵からの報告が入った。
「味方の作戦は成功です。敵軍は総勢三十五万にまで激減しました」
正成が密偵をねぎらった。
「そうか、ご苦労だったな」
密偵が報告を追加した。
「提督、残念なお知らせがあります。鹿川副提督が戦死なさいました」
「えっ」正成は一瞬目の前が真っ暗になった。呆然とその場に立ち尽くす正成に密偵が言葉を足した。
「箱根に積み上げた巨岩・巨木は春一番のために一旦崩壊しました。鹿川副提督は、もう一度巨岩・巨木を積み上げる時間を稼ぐため、手勢を引き連れて敵軍に突撃しました。その結果、鹿川副提督と第一師団は全滅しましたが、箱根の作戦は成功しました」
密偵を帰らせた後、正成は一人になり、声を上げて泣いた。その姿を佐和子が見守っていたが、慰める言葉を見つけられずにいた。
翌日、他の密偵からの報告が入った。猫人間軍は、登山道を塞いだ巨岩・巨木をよじ登りながらも進軍を開始したとの報告だった。正成がそばにいた佐和子に言った。
「黒猫提督の猫人間軍は、以前、吉野の要塞を攻めたときの猫人間軍ではない。もう、彼らには逃げて帰る場所はない。彼らが生き残る方法は、この城を奪還するしかない。
佐和子、以前、我が軍がこの城を攻めたとき、私は我が軍に逃げ場はないと通知した。今度は猫人間軍が同じ立場でこの城に攻め込む。あの時の我が軍は総勢十万だったが、今度の敵軍は三十五万だ。手強いぞ……」
「提督のおっしゃること、よくわかります。背水の陣を布いた軍は強い。そうおっしゃりたいのですね」
正成は黙って頷いた。
その日は、密偵からの報告が続々と届けられた。最後の報告は、猫人間軍が川崎に野営の準備を始めたとの報告だった。
鹿上が正成に進言した。
「敵は川崎に野営します。鹿之園の伏兵がいる新宿御苑とは目と鼻の先です。鹿之園に今夜、夜襲をかけさせれば、一気に敵を殲滅出来るのではないですか?」
それを聞いて正成が苦笑いを浮かべた。
「鹿上、そちには何故、猫人間軍が川崎のような見渡しの良い平地に野営したかわかるか?」
「は?」鹿上が問い返した。
「川崎に野営しているのは、敵軍のおとりだ。敵の主力は、今夜、移動を開始し、品川方面から迂回して、城に攻め込むつもりだ。今夜、鹿之園の軍が川崎を攻めれば、敵の主力は、後方の憂いなく城攻めができる。黒猫提督の狙いはそこにある」
鹿上が首を傾げながら正成に訊いた。
「何故、提督にはそこまで敵の作戦が読めるのですか?」
「簡単だ、私が黒猫の立場だったらそうするからだよ」
そう言って、正成は鹿上に背を向け、空を見上げた。そしてつぶやいた。
「今夜の敵は強いな……」
深夜、大鹿城の正門の前に猫人間軍の大軍が姿を現した。
「ニャー!」という黒猫提督の号令を合図に敵が突撃を開始した。まるで地震のような地響きがした。
鹿上が号令を発した。
「ウルトラ猫ニャン砲発射!」
轟音と共にウルトラ猫ニャン砲が発射された。かつての鹿人間軍と同じように、ウルトラ猫ニャン砲の直撃を受けた敵兵たちが、まるで紙切れのように飛び散った。ウルトラ猫ニャン砲の連射を受けた猫人間軍は瞬く間に屍の山を築いた。しかし、敵軍は全く怯むことなく突撃してきた。ウルトラ猫ニャン砲は猫人間軍が開発した兵器である。黒猫提督はその弱点もよく知っていた。あまり近くの敵は撃てないのである。
ウルトラ猫ニャン砲の射程を越えて敵軍が接近したとき、再び鹿上の号令が響いた。
「レーザー砲掃射開始!」
レーザー砲の閃光が走ると、城壁に接近した敵兵がバタバタと倒れた。それでも敵軍は全く怯まず、突撃を続けた。鹿人間軍は城壁の上から無数の矢を放ち、城壁の周りは敵兵の屍の山と化した。それでも敵軍は怯まずに突撃してきた。とうとう敵兵の屍の山は高さ二十メートルある城壁の頂点まで到達した。猫人間軍は、味方の屍の上をよじ登り突撃を続けた。遂に城壁の一部が突破され、猫人間軍が城内になだれ込んだ。城内で、壮絶な白兵戦が始まった。
その時、敵軍の後方から鹿之園の軍勢が攻撃を始めた。城壁との間で猫人間軍を挟み撃ちにするという作戦通りだった。一瞬作戦は成功したかに思えた。しかし、鹿之園軍のさらに背後から川崎に野営していたはずの猫人間軍が攻撃を開始した。もはや、敵と味方の区別もつかないような凄絶な白兵戦となった。その様子を大本営の物見台から観察していた正成の胸にかつてないような緊張感が走った。正成の目で見ていても、どちらの軍が優勢なのか判断出来ないほどの乱戦となったからである。
正成は、大本営の中庭に待機させていた第一、第二騎兵隊に命令を発した。
「城内にマタタビ砲を発射しろ、猫じゃらし砲も発射しろ、砲弾が尽きるまで撃って撃って撃ちまくれ!」
轟音と共に、城内の各所に砲弾が着弾した。城内に、マタタビと猫じゃらしの雨が降り注いだ。それを契機に城内の猫人間軍は劣勢になった。次々と城内に突入してきた敵軍は、マタタビの匂いに戦意を失い、猫じゃらしと戯れ始めた。そこに、鹿人間軍が攻撃を加えた。城内は、敵兵の屍で埋め尽くされた。
一方、城外での戦いでは、敵の背後を突いたはずの鹿之園軍が逆に敵に挟み撃ちにされ、危機に瀕していた。
物見台からその様子を見た正成が命令を発した。
「第四騎兵隊は鹿ロボットに騎乗せよ!」
正成は物見台を降り、自らも鹿ロボットに跨った。そして号令をかけた。
「第四騎兵隊は私に続け、敵の司令部に突入する。黒猫提督を討ち取るのだ! 今から城門を開ける。準備はいいか?」
全員が一斉に答えた。
「はい!」
正成がアントラーサーベルを振りかざして城門の守備兵に合図を送った。城門が開いた。正成が叫んだ。
「全軍、敵司令部に向けて突撃! 黒猫提督を討ち取るまで帰還は許さん!」
「ドドドド」という鹿ロボットの足音と共に、正成軍の突撃が開始された。正成軍は、周りの乱戦にはわき目もふらず、敵の司令部に向けて直進した。正成軍は、城外に出て、血で血を洗う乱戦が繰り広げられている戦場の中を突き進んだ。敵の司令部が見えてきた。敵司令部の衛兵たちがレーザー機関銃の掃射を始めると、第四騎兵隊の兵士たちは次々と討ち取られ、鹿ロボットから転げ落ちた。正成は、レーザー機関銃をかいくぐりながら衛兵の集団に飛び込み、まるで人なき野原を行くごとく、バッタバッタと衛兵を斬り捨て、敵の司令部に飛び込んだ。そこに、黒猫提督の姿があった。
黒猫提督がゆっくりと立ち上がって言った。
「どうやら私の負けのようだな……」
黒猫は、腰の短剣を抜き、それを自分の喉元に突きつけた。
(自刃して果てるつもりか……)
正成がそう思って、黒猫の様子を見守っていた時、物陰に潜んでいた敵の衛兵がいきなり正成に斬りつけた。
「ガチン」という金属音がした。
衛兵が振り下ろしたサーベルを佐和子のサーベルが受け止めていた。佐和子は鮮やかに身を翻して衛兵をバッサリ斬り捨て、黒猫提督をにらみつけて叫んだ。
「この卑怯者! 天誅!」
「ニャ~!」という低いうめき声を発して黒猫提督がバッタリと倒れた。
その様子をあっけに取られて正成が見守っていた。
「佐和子、君も来ていたのか……」
佐和子が小さく微笑んだ。
「これでおわかりになったでしょう。提督には私が必要だということが……」
指揮系統を失った猫人間軍は戦意を喪失し、総崩れの状態となった。
勝敗は決した。
正成と佐和子は、鹿ロボットに跨って累々たる屍の海と化した戦場をゆっくりと進み、大鹿城に戻った。城壁の物見台の上に登った二人は周りを見回した。既に夜が明けていた。見渡す限り屍の海が広がっていた。味方も約半数が戦死した。正成は、サーベルを振りかざして、生き残った鹿人間軍に向けて叫んだ。
「全軍、静まれ!」
正成はサーベルをさやに収めて、右手のこぶしを振りかざし、もう一度叫んだ。
「勝利だ! 平和だ!」
「ウオー!」という地響きのような歓声が響いた。
「鹿木! 鹿木! 鹿木!」という連呼がいつまでも続いた。
正成は、全軍が見守る中で、佐和子の手を握り、そっと抱き寄せた。
それを見た一人の兵士が叫んだ。
「王様万歳! 王妃様万歳!」
それを聞いた全軍が連呼した。
「そうだ! 王様だ! 国王万歳! 王妃万歳!」歓声の連呼が続き、鹿人間軍が互いに抱き合って喜びを分かち合った。
正成が佐和子の耳元でささやいた。
「帰ろう、まだ吉野の桜に間に合う」
佐和子が弾んだ声で答えた。
「はい」
雲の隙間からこぼれた朝日が、まるでスポットライトのように二人の姿を照らしていた。
― 了 ―
ナタリー・ジェファーソン
第一章 生駒・大和川攻防戦
1
時は西暦2828年、人類は滅亡の危機に瀕していた。
世界は、恐るべき伝染病である狂猫病に感染した猫人間軍によって支配され、わずかに感染を免れ、人間として生き残ったのは、生まれつき狂鹿病に感染している奈良県民、生まれつき狂猿病に感染している日光と箕面及び高崎山市民、生まれつき狂豚病に感染している茨城県民など、ごく僅かな人々となった。彼らは、生まれつきこれらの伝染病に感染しているために、狂猫病に対する免疫を持っていたのである。
狂猫病とはウイルスにより感染する伝染病で、感染すると二~三週間の潜伏期間を経て、次第に動作が猫に似てくる。前足を舌でペロペロなめたり、車のボンネットの上で昼寝をしたりするのが初期症状であるが、次第に四つんばいで歩くようになり、ついには、自分は猫だと思い込むようになる恐ろしい病気である。なによりこの病気の厄介なことは、仲間を増やすために、やたらと他の人に病気を移したがるという点である。
今や、日本全土のほとんどを征服した猫人間軍は、破竹の勢いで箕面の猿人間軍を滅ぼし、強硬に抵抗を続けている鹿人間軍の本拠地、奈良に迫っていた。
鹿人間軍は、若草山に前衛基地を布き、春日山に本陣の砦を構えて来たるべき猫人間軍の襲来に備えていた。
鹿人間軍の総司令官、鹿木(しかのき)正成(まさしげ)提督は、降伏か絶滅か、選択を迫られていた。降伏すれば、一生、猫人間軍の奴隷として強制労働させられる。しかし、全国の猫人間軍の兵力は六百万人であるのに対し、鹿人間軍の兵力は僅か四万人、兵力差は実に百五十倍である。しかも、猫人間軍には圧倒的な破壊力を持つ最新兵器、『猫ニャン砲』があるのに対し、鹿人間軍が持つのは旧式のアントラーサーベルのみである。
『猫ニャン砲』とは、猫人間軍が開発した新兵器で、この砲撃を受けると、周囲に大きな火炎を生じるとともに、体中に猫に引っかかれたような傷を受けて即死する。一撃で数百人の敵を倒すことが出来る恐ろしい兵器である。
一方、鹿人間軍のアントラーサーベルとは、大和の国に古代から伝承されてきた剣術である鹿剣法の達人のみに与えられる剣であり、達人がこの剣を振るえば、分厚い鉄板でさえ断ち切ることが出来る秘法の剣であるが、飛び道具としては使えないため、一騎打ちには適するが、大量殺戮兵器ではない。つまり、鹿人間軍にとって猫人間軍は、まともに戦ってはとても勝ち目のない相手だった。
その日の朝、正成は本陣の砦に築かれた舞台から奈良盆地を見渡していた。その舞台は清水寺の舞台ほど立派なものではないが、奈良盆地を一望するには十分な高さと広さがあった。
舞台から見下ろす奈良盆地はのどかで優美だった。しかし、いずれここにも猫人間の大軍が押し寄せ、のどかな風景は一変して焦土と化すだろう。それを想像すると正成はやり場のない怒りを覚えた。
強大な軍事力を誇る猫人間軍と戦う鹿人間軍の総司令官としては、あまりにも華奢な体型で端正な顔立ちの青年、軍服の上から超合金の鎧を身に付けた若く凛々しい将校、その人こそが鹿人間軍の総司令官、鹿木正成提督だった。
午後になると、正成のもとに各地からの伝令が続々と到着し、入れ替わり立ち代わり戦況を報告した。
最初に到着したのは豚人間軍の伝令だった。この伝令は豚人間軍の総大将、豚田時近が戦況を伝えるために正成のところに差し向けた者で、長旅のため、まるで乞食のようにみすぼらしい服装になり、髪は乱れ、顔は擦り傷だらけになっていた。
「筑波山にたてこもっていた豚人間軍は、既に兵力の半数を失い、福島方面に撤退しつつありますが、猫人間軍の東京基地より攻め込んだ関東軍と宮城基地の東北軍による挟み撃ちに遭い、全滅は時間の問題です」
伝令からの報告を受けた正成は、関東・東北方面の地図を広げ、腕を組み、右手の親指と人差し指であごを触りながらじっと考えていた。しばらくの沈黙があった。そして、いきなり何かひらめいたように「よし!」と声を上げ、鋭い視線を伝令に向けた。幼い頃から学んだ兵法の知識が、今、彼に妙案を授けていた。
「豚人間軍の総大将、豚田時近に伝えよ。福島方面に退いてはならぬ。那珂川に沿って日光方面に撤退せよと。日光まで退けば、猿人間軍と合流出来るはずだ。日光で猿人間軍と合流し、東照宮に砦を構えて篭城するのだ。猫人間軍は寒さに弱い。冬まで持ちこたえれば、反撃の機会はある」
正成の前にひざまずき、黙って正成の指示を聞いていた伝令が顔を上げ、正成を見つめて異論を唱えた。
「しかし、敵の関東軍は約二十万、東北軍は十万、それに対して、豚人間軍はわずか二万に過ぎません。しかも豚人間は動作が鈍い。日光にたどり着く前に、一気に殲滅されてしまいます」
伝令の異論は正成が想定していた通りのものだった。正成は伝令に歩み寄り、自らも床に膝をついて、伝令の肩に手を置き、優しく諭すように言った。
「那珂川を右に左に横断しながら退却するのだ。猫人間軍は水を苦手とする。橋を探して迂回しながら豚人間軍を追跡しようとするだろう。豚田将軍に伝えよ、後方の橋を爆破しながら日光を目指せと、そうすれば退却の時間は稼げるはずだ」
それを聞いた伝令が目を輝かせながら大きくうなずいた。
「心得ました。直ちにそのご指示を伝えに向かいます」
「長旅ご苦労であった。今夜はこの砦で一晩疲れを落とせ。けがも酷そうだ。軍医に診させよう」
正成の思いやりに満ちた温かい言葉を聞いて、伝令は瞳を潤ませた。
「誰か軍医を呼べ! この伝令のけがの手当てをさせろ!」
側近の者が進み出て、「心得ました。私が軍医にこの伝令を診させます」と言って、伝令を抱きかかえ、本陣の奥にある医務室に向かった。
次に現れたのは、壊滅した箕面の猿人間軍の残党だった。
「提督、必死の抵抗むなしく、我が軍は壊滅しました。百万の猫人間軍に対して、我が軍は、たったの二万、箕面の山にたてこもって善戦しておりましたが、猫人間軍は、我が軍の兵士に対して卑劣極まる誘惑をかけてきました。兵士たちは、偽りの誘惑に負け、昨日は百人、今日は千人というふうに次第に猫人間軍に降伏していきました」
「猫人間軍は、いったいどんな誘惑をかけてきたのだ?」
「はい、ただちに降伏すれば、自由と安全は保障すると……。しかし、これは真っ赤な嘘でした。降伏した仲間の兵士たちはサルマワシに捕らえられ、毎日、芸を仕込まれております」
「御味方は全滅したのか?」
「いえ、敵軍は我が軍の前線基地を攻め落とし、箕面の山の上にたてこもった味方の本軍に対して、猫ニャン砲による無差別攻撃をかけてきました。砦は火の海と化しましたが、幸いにして箕面の山には、蛸の足のように無数の沢が流れております。味方の大半は、散り散りばらばらになりながらも沢伝いに逃げ延びたと思います」
「猿成将軍は?」
「将軍は、わずかな手勢と共に、砦にたてこもり、壮絶な最後を遂げられました。他の者が逃げ延びる時間を稼ぐために、自らおとりとなられたのです」
「おいたわしや……、猿成将軍……。しかし、少数とはいえ、鉄の団結力を誇った猿人間軍が、そこまで簡単に崩壊するとは……」正成はそうつぶやいて唇を噛んだ。
箕面の猿人間と奈良の鹿人間との間には古くから親交があった。正成自身も幼少の頃、猿成将軍に遊んでもらった思い出がある。正成がどんな悪戯をしても、猿成将軍は穏やかな笑みを浮かべて許してくれた。その猿成将軍が戦死するとは……。正成は口を真一文字に結び、瞳を潤ませながら伝令に指示した。
「貴殿は、ばらばらになった御味方の残党を集め、河内の国の千早城に入れ。千早城は小さいながらも天然の要塞だ。小勢でも大軍を迎え撃つことが出来る。猫人間軍は寒さに弱い。冬になり、雪が降れば、必ず逆襲の機会は来る。それを信じて待つのだ」
「心得ました。ただちに残党を集め、千早城に向かいます」そう言って、猿人間軍の残党は去って行った。
最後に報告に来たのは、鹿人間軍の密偵だった。
「提督、猫人間軍は、箕面の猿人間軍を滅ぼした後、軍を二手に分け、我が大和の国に向けて進軍しています。兵力はそれぞれ五十万、一方は、生駒の山越えのルートをとり、もう一方は、大和川沿いに進んでいます。猫人間軍の総司令は、猫条提督です。生駒ルートの指揮を執っているのは猫之上将軍、大和川ルートは猫利将軍です」
正成は、本陣の物見櫓に立ち、考えていた。猫人間軍が生駒ルートと大和川ルートを採るのは読みどおりだ。それぞれ、生駒ルートの生駒山砦には猛将、鹿田将軍、大和川ルートの亀の瀬砦には正成の従兄弟、鹿川将軍を置き、猫人間軍の襲来に備えさせてある。どちらもそう簡単に突破されることはないだろう。しかし、所詮、多勢に無勢、猫人間軍が奈良になだれ込むのは時間の問題だ。若草山の前衛基地は、長くは持たない。次の策を講じなくては……」
2
鹿木正成が二十九歳の若さながら、鹿人間軍の総司令官となった理由は、王家の血筋だということもあるが、それ以上に彼の知略の優秀さと民の人望を集める穏やかで冷静沈着な人柄にあった。
『持久戦』
それこそが正成の戦略だった。狂猫病に感染した人間は、発症後五年間は高度な知能と抜群の運動神経を持つ猫人間となるが、発症後十年を過ぎれば、猫化が進行し、ほとんど『ただの猫』となる。
今回の猫人間軍の総攻撃は、そうなる前に鹿人間、猿人間、豚人間を滅ぼすのが目的に違いない。
したがって、戦が長引けば猫人間軍は、次第にただの猫の集団となって統率を失う。何としてもそれまで持ちこたえるのだ。
各軍の勢力図を見ながら戦略を練る正成のところに参謀総長の鹿上が歩み寄って進言した。
「提督、大和川も生駒も、敵軍五十万に対して、味方は所詮一万、まともに戦っては勝ち目はありませぬ」
「鹿上、もとより両軍が長く持つとは思っていない。しかし、大和川も生駒も断崖絶壁が連続する狭隘な進路だ。大軍を迎え撃つには格好の立地だ。鹿川にも鹿田にも正面からは戦わず、奇襲攻撃で時間を稼げと命じてある。鹿川も鹿田も戦術には精通した最高の指揮官だ。そう簡単に敵軍の進行を許すことはないだろう」
「提督のお考えはよくわかりました。しかし、如何に両将軍の知略が優秀でも所詮は多勢に無勢、敵の突破は時間の問題でしょう。その後は如何なさるおつもりですか?」
「春日山の本陣は、大軍を迎え撃つには適さない。一旦、軍を退き、吉野に新たな拠点を構える。吉野は四方を川に囲まれている。水を嫌う猫人間軍を迎え撃つには最高の立地だ」
「提督のお考えはわかりました。吉野要塞の整備を急がせましょう」
「ああ、そうしてくれ。それから大和川の鹿川、生駒の鹿田に伝えよ、間違っても玉砕はするな。ある程度、時間を稼いだら、若草山の前衛基地まで退くように、今は、一兵の命も無駄に失うことは許されない」そう言って正成は「ふう」とひとつため息を吐いた。
沈痛な表情で戦略を練る正成の背中に鹿姫が声をかけた。
「提督、今のうちに少し休息を取られてはいかがですか?」
正成が振り返ってホッとしたように微笑んだ。
「ああ、鹿姫様ですか、私は大丈夫です。それよりも姫は一刻も早く吉野に御退き下さい」
「いやです。わたくしは提督と一緒にここに残り、提督と運命を共にします」
「ご心配なく、私もこんなところで命を捨てるつもりはありません。春日山では食料や水の調達が難しく、長期戦には向きません。私もここでしばらく時間を稼いで吉野に退きます。大和の民は、みな鹿人間軍の味方です。一旦、猫人間軍に占領されても、農民たちは猫人間軍に食料を供給しないでしょう。百万の大軍を維持するためには莫大な食料が必要ですが、奈良盆地に入れば、奴らはそれを手に入れることが出来ません。長期戦になれば兵糧に困り瓦解を始めるでしょう。我が軍は、吉野に篭り、ただ、ひたすらその時を待つのです」
鹿姫は、憂いを含んだ円らな瞳を正成に向けた。
「わかりました。今は、提督だけが頼りです。提督のご指示に従います。わたくしは吉野に向かう身支度を整えて参ります」
鹿姫は、正成の遠縁にあたり、まだ十六歳だが、十二単を身にまとった艶やかな姿、まるで小鹿のような大きく円らな瞳、長いまつげと栗毛色の艶めく長い髪を持つその容姿は、妖精のように美しい。
古代から大和の国の盟主として崇拝されてきた鹿王家の末裔である鹿姫は、鹿人間軍の心のよりどころであり、邪悪な猫人間軍から鹿姫を守るという目的が鹿人間軍に強固な団結力を与えていた。
「鹿姫様だけは命に代えてもお守りしなければ……」正成は、心に誓っていた。
3
その頃、大和川の大阪と奈良の県境では、熾烈な戦いが繰り広げられていた。
亀の瀬の丘陵地に砦を築いた鹿人間軍の知将 鹿川義成は、物見櫓から敵の動きを観察していた。鹿人間軍の猛者、角田が鹿川に進言した。
「敵軍は既に奈良側に進軍しつつあります。黙って行かせていいのですか? 敵は我が軍を甘く見ております。ぜひ、先制攻撃させてください」
鹿川は、冷静な視線を角田に向けた。
「いや、攻撃はまだ早い。敵軍の先鋒が奈良側に入りきったら、攻撃を開始せよ」
「はっ、わかりました」
待ってましたといった様子で角田は勇躍して砦を飛び出した。
大阪から奈良まで大和川沿いに進むルートは、急斜面が連続し、道は狭い。猫人間軍は東西に長く伸びて進軍を続けていた。
「今だ! 巨岩を落とせ!」
角田の大号令とともに、鹿人間軍が山上に仕掛けていた巨岩・岩塊は、猫人間軍の先鋒めがけて斜面を転がり、猫人間軍の頭上に雨あられと降り注いだ。
「ニヤ~!」
猫人間軍の先鋒は、断末魔の悲鳴をあげながら巨岩の下敷きになったり、斜面を転がり落ちて大和川に転落した。
角田が落とした巨岩・岩塊は、進路を完全に塞ぎ、猫人間軍の先鋒は、生き残った者も後方の味方から完全に孤立した。
「うろたえるな! 鹿人間軍はわずかな数だ! 恐れるに足りぬ!」
猫人間軍の先鋒は必死に体勢を立て直そうとしていた。その時、目の前に猛将、角田が現れた。
「猫人間の愚か者ども、ようこそ大和の地へ来られた。しかし、一人も生かしては帰さぬ!」
角田はアントラーサーベルを頭上に振りかざし、部下の兵士と共に猫人間軍の先鋒めがけて突撃した。
その様子を鹿川は砦の物見櫓から見ていた。
「あのままでは、我が軍にもかなりの犠牲者が出る。敵の先鋒めがけて『マタタビ砲』を撃ち込め! 角田を支援するのだ!」
号砲とともに敵の先鋒めがけてマタタビ砲が撃ち込まれた。マタタビを嗅いだ猫人間軍は酔っぱらいのようにフニャフニャになり、完全に戦意を喪失した。そこへ角田たちの軍勢がなだれ込んだ。敵の先鋒は全滅した。
敵の先鋒が壊滅する様子を砦の物見櫓から見ていた鹿川は、大きくうなずいて、側近に命じた。
「第一段の作戦は成功だ。敵の先鋒は全滅した。大和川ルートは巨岩・岩塊に埋まった。敵が進路を復旧するには、二~三日はかかるだろう。その間に再び斜面の上に巨岩・岩塊を積んでおくのだ」
しかし、その命令に側近は異論を唱えた。
「巨岩・岩塊の準備は二~三日では間に合いません。巨木ならなんとか準備出来ます」
「わかった。巨木でよい。巨木の表面に稲わらを巻き、たっぷりと油を浸み込ませておけ。今度は猫人間軍を火攻めにしてくれる。奴らめ、鹿人間軍の知将 鹿川義成の恐ろしさを思い知るがよい」
4
一方、生駒ルートでは、生駒山上に築かれた砦の物見櫓から、鹿田頼秀が敵軍の動きを観察していた。鹿田が部下の鹿之園に命じた。
「予想通り、敵は信貴生駒登山道を登っている。敵が山の中腹まで着たら、堰を切れ」
「はっ、心得ました」
鹿之園は堰の横に立ち、タイミングを見計らって叫んだ。
「今だ! 堰を切れ」
轟音と共に堰が切られ、猫人間軍の先鋒は濁流に飲み込まれた。生き残った敵の先鋒が撤退しようと逃げ惑っていた時、鹿之園が目の前に立ちふさがった。鹿之園は、部下に号令した。
「猫じゃらし砲を撃ち込め! 一気に攻め潰すぞ!」
鹿之園の軍は、俵一杯に詰め込まれた猫じゃらしを投石器で敵軍に撃ち込み、猫人間軍が猫じゃらしに興じている間に、一気に攻め込んだ。猫人間軍の先鋒は全滅した。物見櫓からその様子を見ていた鹿田は、部下に命じた。
「敵はすぐに体勢を整えて、再び攻撃してくるだろう。堰の再構築を急げ! そして、今日の結果を提督に伝えろ」
大和川、生駒、いずれの戦いも大勝利だったという知らせが本陣の正成のもとに届いた。それを聞いても正成は顔色ひとつ変えなかった。
「伝令を飛ばせ、今日の勝利は敵軍が我が方を甘く見ていたためのものだ。勝利したといっても、敵軍の損害はせいぜい二~三万人だろう。次の攻撃では、敵は主力を先鋒に置き、猫ニャン砲による攻撃をかけてくるだろう。鹿田と鹿川に伝えるのだ。砦は砲撃の目標になり易い。山野に散らばって敵の砲撃を避けよと」
「承知いたしました」参謀本部の鹿上はそう答え、すぐに伝令を発した。
「提督、初戦は大勝利です。ひとまずお体を休められては?」
近衛隊長の美鹿野が後ろから声をかけた。美鹿野佐和子はまだ二十二歳の若い女性将校だが、ひとたび戦が始まれば、その華奢で端正な顔立ちからは想像もつかないほどの勇猛果敢さを見せる鹿剣法の達人である。しかし、女性らしい細やかな心遣いにも優れ、今や正成の片腕となっていた。
「ああ、そうする。この間に参謀本部も食事を済ますように。我々もこの間に夕食を取ろう」
「承知いたしました。あちらに料理を用意してございますので、どうぞお召しあがり下さい」
食卓に着いた正成の隣に佐和子は正座し、お酌をしようとした。それを正成は制止した。
「いや、今夜は酒はよそう。食後に参謀会議を開く、皆も酒は控えろ」
食事の後、正成は、参謀全員と佐和子を集め、参謀会議を開いた。会議の冒頭、正成が諸将をねぎらった。
「今日の初戦は、我が軍の完勝に終わった。これはひとえに皆の努力によるものである。提督として心から礼を言う。皆、誠にご苦労であった」
「恐縮至極にございます。しかし、本日の勝利は、我々の手柄ではありません。ひとえに提督殿の知略によるところと存じます」
正成は、鹿上の言葉に対しては何も答えず、佐和子の方を見た。
「美鹿野、明日以降の作戦を皆に説明せよ」
佐和子は、「ハッ」と言いながら一礼し、説明を始めた。
「密偵からの報告では、本日の戦で、猫人間軍の先鋒隊は、生駒、大和川のいずれにおいてもほぼ壊滅し、敵軍の死者は、生駒で約一万八千、大和川で約一万六千、合わせて約三万四千に及ぶと推定されます。負傷者はその倍、約七万とのことです。
これに対して、我が軍側の死者は、生駒で十一名、大和川で十八名、負傷者は軽症を除いて七十八名です。初戦はひとまず我が軍の完勝と言えましょう。しかしながら、本日、撃ち破った敵の先鋒隊は、猫人間軍にとっては、あくまで偵察部隊のようなものであり、装備も比較的軽装でした。今日の完敗に懲りた猫人間軍は、明日以降、前戦に精鋭部隊を配置することが予想されます。密偵の報告によれば、明日以降、前戦に配置される敵精鋭部隊は、生駒、大和川ともに約十万、いずれにも猫人間軍の最新兵器である猫ニャン砲が多数装備されています。これを迎え撃つ我が軍は、生駒、大和川、共に約一万です。本日、我が軍が破壊した進路を敵が復旧するには、二~三日かかるでしょうが、それ以降、我が軍の前線基地は猫ニャン砲の集中砲火を浴びることになります。陥落は時間の問題でしょう。それを見越した提督は、既に、両前線基地の我が軍を砦から退去させ、付近の山野に潜伏させております。敵軍が進路を復旧し次第、再び崖の上から巨木による火攻め、鉄砲水による水攻めをかけ、時間を稼ぎながら、我が軍の先鋒部隊を若草山まで撤退させるというのが提督の作戦です」
それを聞いた鹿上が異議を唱えた。
「しかし、その作戦では、敵の本隊は、無傷で大和の国に侵入することになります。遠距離から猫ニャン砲の集中砲火を受ければ、若草山の前衛基地どころか、この春日山の本陣も火の海と化します。我が軍はひとたまりもなく壊滅するでしょう。それより、今から特殊工作部隊を敵の精鋭部隊に侵入させ、猫ニャン砲に細工して故障させ、敵の目算が狂ったところで、亀の瀬と生駒山に潜伏している味方の先鋒部隊に突入させた方が、敵に多大な損害を与えることが出来るのではないでしょうか?」
正成は、鹿上の戦術を最後まで黙って聞いていた。そして、
「鹿上、確かにそのとおりだ。私も最初はそう考えた。しかし、山の上から駆け下るのは、攻めるには有利だが、退却は極めて難しい。例え、敵の精鋭部隊に何万という損害を与えることに成功しても、亀の瀬と生駒山の我が軍は玉砕するだろう。我が軍は合わせて二万の兵力を失うことになる。今はまだ決戦の時ではない。今、我が軍にとって最も肝要な課題は、出来るだけ兵力を損ねることなく、吉野に撤退することだ。そのためには、時間を稼ぎながら、我が先鋒部隊を若草山の前衛基地まで退却させた方がよい」
今度は佐和子が異議を唱えた。
「提督様、それでは、若草山の前衛基地とこの本陣をタダで敵にあけ渡すとおっしゃるのですか?」
「若草山もこの本陣も長期戦には向かない。兵糧の調達が難しいからだ。大軍を迎え撃つには、吉野の方がはるかに立地がよい。したがって、今、我が軍に肝要なことは、味方の損害を最小限にとどめながら吉野に退く時間を稼ぐことだ。皆と同じように私も武将の端くれだ。敵に後ろを見せたくはない。しかし、奈良の民は我が軍の味方だ。奈良を占領した猫人間軍に対して兵糧を提供することはない。それぐらいなら奈良の民は田畑を焼いて、我々の待つ吉野に合流するだろう。今回襲来した猫人間軍は百万の大軍だ、農民の協力なくして兵糧は維持出来ない。いずれ、食料も水も底をつき、猫人間軍は自壊するだろう。まして猫人間軍は寒さに弱い。戦が冬まで長引けば、奴らは奈良盆地で立ち往生することになるだろう。それが私の狙いだ」
「焦土戦術か……」鹿上はそうつぶやいた後で言った。
「提督の戦略は理解いたしました。満座異論はないと思います。しかし、せっかく築き上げた若草山の前衛基地とこの本陣を何の代償もなく敵にくれてやるのはあまりにも無念です」
それを聞いた正成がニンマリと微笑んだ。
「いや、何の代償もなくあけ渡すのではない。敵は我が軍が撤退したことを知れば、若草山の前衛基地にも、この本陣にも、雪崩を打って押し寄せてくるに違いない。そこで、若草山と本陣には遠隔操作式の爆薬を埋め込んでおく、これにより敵軍には多大な損害を与えるに違いない」
それを聞いた鹿上が感嘆の声を上げた。
「いや、提督の戦術には感服いたしました。満座、異論ないな!」
正成が言葉を足した。
「それだけではない。奈良で食料に瀕した猫人間軍は、一旦、大阪に戻り体勢を立て直そうとするだろう。それまでに、亀の瀬の斜面には再度岩塊を積み上げておく。また、生駒の堰には水を貯めておく。奈良から大阪へ戻る敵軍に追い討ちをかけるのだ」
「なるほど!」と参謀たちは正成の戦術に感嘆の声を上げた。
正成が皆に号令をかけた。
「人類の命運は、貴公たちにかかっている。心してかかれ、頼むぞ!」
参謀会議は散会し、参謀たちはそれぞれの担当部署に散った。
正成は物見櫓の上に立ち、満天の星空を見ていた。そこへ佐和子が歩み寄って来た。
「提督、頭上の星空は、子供の頃と何も変わりませんね」
正成は、振り返って佐和子を見つめながら穏やかに微笑んだ。
「ああ、子供の頃、夜、外に出るといえば、神社の縁日ぐらいだった。君は橙色の柄が入った浴衣を着て、私と縁日に出かけたね」
「はい、記憶しております。思い出すと懐かしくて涙がこぼれそうになります」
「君は、金魚すくいで一匹も救えなかったと言って泣き出したんだ。私は君をあやすのに苦労したよ」
佐和子がはにかみながら小さな声で答えた。
「恥ずかしい……」
正成は、物見櫓の手すりに両手をついて、つぶやくように言った。
「その幼かった二人が、今や鹿人間軍の提督と近衛隊長か……」
「もう一度、あの穏やかで平和な日々を取り戻しましょう。提督なら出来ます。私は、提督のためならいつでも喜んで命を捧げます」
「佐和子、今の君は近衛隊長だ。君の役目は鹿姫様を守ることだ。自分の役目を忘れるでないぞ」
「はい、心得ました。命に代えても鹿姫様を守ります」
「頼むぞ」
そう言って正成は穏やかな笑顔を見せた。
満天の夜空に一閃の流れ星が走った。
6
翌朝、鹿姫は、近衛隊長の佐和子とその手勢に守られて吉野に向けて旅立った。
正成が一行を見送りに来た。
「物見の報告によれば、吉野までの道中は安全です。どうかお早めに吉野にお入り下さい。道中の安全は、美鹿野隊長がお守りします」
鹿姫が寂しげな視線を正成に向けた。
「吉野の要塞は、出来る限り整備しておきます。必ず生きてお越し下さい」
正成が高らかに笑った。
「ご心配は無用です。こんなところで犬死はいたしません。春日山で出来るだけ多くの敵を撃破して、吉野に向かいます。美鹿野、私が合流するまで、鹿姫様を頼むぞ」
佐和子は凛と姿勢を正して答えた。
「心得ました」
何度も後ろを振り返りながら、鹿姫は吉野に向けて旅立った。正成は次第に小さくなる一行の姿を見つめていた。
正成がそばにいた鹿上に言った。
「私は寝仏のご隠居のところに行ってくる。しばらく留守を預かってくれ」
「心得ました」
正成が沢沿いに三十分ほど馬を走らせると山の中腹に小さな集落が見えてきた。ここに正成に兵法を教えた寝仏のご隠居が住んでいる。
寝仏のご隠居の家に着いた正成は、馬を降り、小さな門を叩いた。
「ご隠居、正成です。少し相談があって参りました。ここを開けてください」
「正成様ですか? ようお越しくださいました。ご隠居は奥の部屋におられます」
そう言いながら若い娘が門を開けてくれた。この家にご隠居と住む。小夜子だった。
「小夜子、久しぶりだな。元気でいたか?」
「正成様こそ、お元気そうで安心しました。鹿人間軍の提督になられたということで、いろいろお忙しいでしょう。ご健康を案じていたのです」
「私は心配ない。それより、早くご隠居に会いたい」
「それなら奥へどうぞ」
小夜子が正成を奥の部屋へ導いた。奥の部屋では、寝仏のご隠居が座禅を組んで瞑想にふけっていた。
「ご隠居、正成です。相談があって参りました」
「そろそろ来る頃だと思っておった。戦況はどうじゃ。かなり難儀しておるようじゃが……」
「お察しの通りです。現在、春日山の砦におりますが、春日山では長くは持ちません。時期をみて吉野の要塞に退却するつもりです」
「確かに吉野は天然の要塞。籠城するには最適の立地じゃ。だが、所詮は多勢に無勢。長くは持たんじゃろう」
「そう思います。吉野の要塞もいずれは陥落するでしょう。私にはその後どうすれば良いか、わからないのです。どうか妙案をお授けください」
そう言って、正成は首をうなだれた。
「正成、わしはお主に兵法の全てを授けた。もうわしにはお主に教えることは何もない」
「では、我が軍には勝ち目はないと?」
「そんなことは言っておらん。確かに戦力の差は大きいが、勝てる戦じゃ」
「教えてください。どうすれば猫人間軍を倒すことが出来るのですか?」
「それじゃ、一言だけ言わせてもらおう。元を絶つんじゃよ」
「元を絶つ? その意味は?」
「おそらく、今回の戦で少し痛めつけてやれば、猫人間軍は東京の主力部隊を差し向けて吉野の要塞を滅ぼそうとするじゃろう。当然、東京の大猫城は手薄になる」
それを聞いた正成はハッとした。
「ご隠居さま、妙案を授けていただき、ありがとうございます。成功する自信はありませんが、他に方法はありませんね」
「ない。勝利を期すなら、それが唯一の方法じゃ」
「わかりました。やってみます」
そう言って正成は一礼し、寝仏のご隠居の家を出た。
本陣の司令塔に戻った正成のところに、各地の戦況を伝える密偵が次々と参上した。
一人目は、日光に派遣していた密偵だった。
「提督、豚人間軍は、猫人間軍を振り切り、何とか無事に日光東照宮にある猿人間軍の陣地に合流しました」
正成はホッと胸をなでおろした。
「それは良かった。貴殿もさぞかし疲れたろう。ゆっくりと休むがよい」
二人目の密偵は、大阪の千早城からの者だった。
「提督、千早城には、箕面で壊滅した猿人間軍の残党が集結しつつあり、現在、その総数は約八千となりました」
「猫人間軍が千早城を攻める気配はあるか?」
「いえ、今のところその気配はありません」
「そうか、ご苦労であった」
三人目の密偵が勇躍して正成の前に進み出た。
「提督、吉報です。信濃でカモシカ人間軍が武装蜂起しました。現在、長野城跡に砦を築きつつあります。総勢たった二万三千の小勢ですが、信濃は酷寒の地、寒さに弱い猫人間軍にとっては攻めにくい相手でしょう」
それを聞いた正成の表情がパッと明るくなった。
「あの気の弱いカモシカ人間が、とうとう蜂起したか!」
四人目の密偵は、生駒と大和川の攻防戦の状況を伝えた。
「我が軍が破壊した進路を猫人間軍が復旧するのは、おそらく明後日の午後になるでしょう。提督の予想通り、猫人間軍は、現在、両前線に猫ニャン砲装備の精鋭部隊を集結させつつあります。明後日の午後には、決戦の火蓋が落とされることになると存じます」
「そうか、明後日の午後だな。生駒の鹿田将軍に伝えよ。堰を切り、水を流したら、速やかに軍を退き、若草山の前衛基地に戻れと。大和川の鹿川将軍にも巨木の投下が終了次第、若草山まで退却せよと伝えるのだ。兵を損じずに退却することは、進軍以上に難しい。くれぐれも退却のタイミングを失わないよう伝えろ。生駒山も亀の瀬も砦を死守する必要はない。決して無理をするなと伝えるのだ。敵が猫ニャン砲の一斉砲撃を始める前に退くのだ。わかったか?」
密偵が答えた。「心得ました」
「鹿上、鹿上はおるか」正成が叫んだ。
「はい、おります」鹿上の声がした。
「爆薬の配備状況はどうだ。後、どれくらい時間がかかる?」
「ハッ、昼夜兼行で作業を進めれば、明日中には終わります」
「そうか、間に合うな」そう言って、正成は小さく微笑んだ。
正成は物見櫓に登り、砦の各所に爆薬が取り付けられる様子を眺めていた。幼い頃に鹿と戯れた若草山も、佐和子と遊んだ奈良公園も思い出の地は全て爆破され、焦土と化す。正成は無表情につぶやいた。
「国破れて山河あり……か」
その時だった。参謀総長の鹿上が血相を変えて飛び込んできた。
「提督! 一大事です! 猫人間軍の奇襲部隊が宇治を迂回し、城陽に入りました。兵力は凡そ一万、おそらく昨夜大阪を出発し、夜を徹して京都を迂回したものと思われます!」
一瞬の沈黙の後、正成は振り返って鹿上を見つめ、冷静なまなざしで指示を与えた。
「あわてるな! 一夜で城陽まで到達したのなら、おそらく猫ニャン砲を装備していない軽装の奇襲隊だ。敵の目的は、我が軍のかく乱だ。木津川の橋を落として川の対岸に第三騎兵隊を対峙させろ、猫人間軍は水を嫌う。川を渡る艦船の準備もないだろう。敵の奇襲隊は、木津川の北側で立ち往生するだけだ」
「しかし、もし敵軍に艦船の準備があり、木津川を渡って来た場合は?」
「その時は、渡し場に向けて、猫じゃらし砲を一斉砲撃しろ、敵が猫じゃらしに興じている間に第三騎兵隊で一気に叩け」
「心得ました」そう言って、鹿上は走り去った。
総司令官である自分は、どんな時でも見方に動揺した様子を見せることが出来ない。例え予想外の事態が起こっても、すべて想定内の出来事のように振る舞い、部下に適切な指示を与えなければならない。正成は孤独だった。ただ、幼なじみの佐和子がいつもそばにいてくれることが正成の心の支えになっていた。その佐和子も今朝、鹿姫の護衛に旅立った。正成の心を荒涼とした隙間風が吹き抜けていた。
(自分はこれほどに佐和子に支えられていたのか……。寂しい……)
狂おしいほどの佐和子への想いが正成の胸一杯に広がった。自分は、いつも佐和子に提督と近衛隊長として厳しく接してきた。でも、佐和子はいつも自分に女性らしい細やかな心遣いを払ってくれていた。何故もっと佐和子に優しく出来ないんだろう。正成は後悔した。佐和子に再会できるのはいつになるかわからない。再会できる保証はどこにもない。正成はつぶやいた。
「辛きかな…… 一軍の将」
鉄の意志を持つ鬼提督、鹿木正成の瞳が潤んだ。
そこへ再び必死の形相をした鹿上が現れた。
「先月からの渇水で木津川の水位が異常に下がっております。猫人間軍の奇襲隊に木津川の防衛線を突破されました。現在、我が第三騎兵隊と一進一退の攻防となっておりますが、兵力では我が軍が不利です」
「あわてるな! 第五騎兵隊にマタタビ砲を持たせ、援軍に差し向けろ、第五騎兵隊には我が軍随一の猛者、熊鹿重光がいる。彼が行けば軽装備の奇襲隊など一気に蹴散らすだろう」
「心得ました」そう言って、再び鹿上は前衛基地に戻った。
若草山の前衛基地に着いた鹿上は、第五騎兵隊に出動命令を発した。第五騎兵隊の隊長、熊鹿重光は一騎当千の猛者だが、血の気が多すぎて、上官の命令に背くことも多いため、あえて生駒と大和川の戦闘からは外されていた。
出陣の命令を受けた熊鹿はニヤリとほくそえんだ。
「御命令、心得て候。猫人間軍の奇襲隊など、一気に踏み潰してみせまする」
「ものども、出番だ!」
熊鹿が号令をかけると第五騎兵隊の猛者たちは勇躍して基地を出発した。
木津川の河原では、猫人間軍の奇襲隊と鹿人間軍の第三騎兵隊が一進一退の攻防を繰り広げていた。そこへ第三騎兵隊が到着した。鹿光が熊鹿に言った。
「敵は軽装だが、なかなかの強者ぞろいだ。油断するな」
「なんの、あんな連中、俺たちだけで十分だ。お主らはここで一服しておれ、ものども、行くぞ!」
熊鹿の号令と共に、第五騎兵隊の猛者たちは一気に河原に向けて進軍を開始した。熊鹿は長さ三メートルはあるアントラーサーベルの大矛を振り回し、まるで人なき野原を駆け巡るごとく、バッタバッタと猫人間軍を斬り捨てた。その様子を北側の対岸で見ていた猫人間軍は、恐れをなして退却を始めた。戦は鹿人間軍の勝利に終わった。
熊鹿は逃げ惑う敵兵の後を追おうとしたが、それを鹿光が諌めた。
「追ってはならぬ。今は、一刻も早く本陣に戻り、提督をお守りするのが我らの役目。敵の敗残兵と鬼ごっこをしている場合ではない!」
それを聞いた熊鹿は、苦々しそうにその場に踏みとどまり、吐き捨てるように言った。
「ふん! 運のいい連中だ。しかし、今度会ったら命はないぞ!」
こうして第三騎兵隊と第五騎兵隊は、木津川の合戦に勝利を収め、若草山の前衛基地に戻った。
伝令から勝利の一報を受けた鹿上は、物見櫓にいた正成にそれを報告した。勝利の報告を受けた正成は、こともなげに言った。
「そうか、ご苦労だった。第三、第五騎兵隊の隊員には十分な休息を与えろ。それから、けが人には手厚い手当てを施し、死者は遺体を収容し、法師に十分に供養させるように、けが人や死者を粗末に扱うことは軍の士気を低下させる一番の原因になる」
その日の夕刻、鹿人間軍の陣営は、連戦連勝に沸きあがり、兵の士気は頂点に達していた。参謀の中にも、ここに留まって徹底抗戦すべきだという意見が出た。しかし、正成の決意は揺るがなかった。
春日山には地の利がない。長期戦になれば必ず負ける。それは兵法に精通した正成にとって確信的事実だった。
深夜になり、信濃のカモシカ人間軍からの使者が到着した。使者は、カモシカ人間軍の総大将である加茂鹿之助からの密書を携えていた。密書にはこう書かれていた。
「貴軍は春日山に篭城し冬を待て。初雪を合図に我が軍が敵の退路を絶つ。猫人間軍を東西から挟み撃ちにすべし」
密書を読んだ正成は冷ややかな笑みを浮かべ、返書をしたためた。
「春日山は持久戦に利なく、我が軍は初雪を待たずして滅ぶ。我が軍は、春日山を捨て、吉野に退く。貴軍は、そのまま冬の到来を待つべし。幸運を祈る」
正成は、返書を使者に手渡し、その労をねぎらった。
「遠路はるばるご苦労であった。今夜は、ここでゆっくりと体を休め、明日の朝、帰られよ」
深夜になり、正成は眠れずに物見櫓に登った。頭上には満天の星空が広がっていた。正成はその中でひときわ明るく輝いている星を見つめた。そして思った。
(たとえどんなに離れていても、佐和子は今、同じ星を見つめている。こんなところで死んでたまるか……。連戦連勝に浮かれて戦略を変えてはならぬ。今日までに戦ったのは敵の主力ではない。連勝に浮かれて攻めに転じれば必ず墓穴を掘るだろう。戦に迷いは禁物だ。吉野に退くのだ、吉野に。そして時を待つのだ)
その頃、生駒、大和川の両前線では、猫人間軍の司令官、猫之上将軍、猫利将軍のもとに密偵からの報告が入っていた。いずれの戦線でも密偵の報告は、ほぼ同じ内容だった。
「将軍、夜になっても、敵の砦にはたいまつが灯っていません。人の気配は全くありません。鹿人間軍の先鋒は、砦を捨てて、若草山に退却したものと思われます」
それを聞いた猫之上、猫利はしたり顔で言った。
「無理もない、本軍は猫ニャン砲装備の精鋭部隊十万、それに対して奴らはせいぜい一万だ。装備も旧式だ。まともに戦って勝ち目はない。まして砦は猫ニャン砲の目標になる。奴らは、砦を捨てて若草山の前衛基地まで退却したのであろう。進路の復旧を急げ、一刻も早く大和の国に入り、鹿人間軍を根絶やしにするのだ」
7
先に進路の復旧が終わったのは生駒ルートの方だった。猫人間軍は、前線にずらりと猫ニャン砲を並べ、生駒山の砦に向けて一斉砲撃を開始した。ずらり整然と配置された黒光りする猫ニャン砲から轟音と共に次々と砲弾が発射される姿は壮観でもあった。瞬く間に鹿人間軍の砦は火の海と化した。
猫之上将軍が号令を発した。
「敵の先鋒は壊滅した。進路は開かれた。全軍進撃せよ!」
その時だった。「ドドド」という轟音と共に鉄砲水のような濁流が猫人間軍を飲み込んだ。鹿人間軍が再び堰を切り、水を放ったのだ。
「ニヤ~!」阿鼻叫喚とともに、猫人間軍の精鋭部隊は濁流に飲み込まれた。濁流に流された猫ニャン砲がむなしく泥に埋まった。
「おのれ、鹿人間軍め! 空の砦はおとりだったか……」
この鉄砲水により、猫人間軍の生駒部隊は、総勢十万のうち、約半数の五万人を失った。
生駒山の山上からその様子を眺めていた鹿田将軍は、振り向いて全軍に号令した。
「作戦は成功だ。我々の役目は終わった。若草山に戻るぞ」
部下たちが納得出来ない表情で反論した。
「敵は乱れています。今が好機です。突入して敵にとどめを刺しましょう」
「いや、今は、まだ決戦の時ではない。出来るだけ味方の損害を出さずに時間を稼ぐことが我々の任務だ。我々の任務は成功した。後は、一刻も早く若草山まで撤退するのだ」
結局、生駒の合戦で猫人間軍は約七万の兵を失った。これに対し、鹿田率いる鹿人間軍は無傷に近かった。
大和川の合戦もほぼ同じ展開となっていた。猫人間軍は亀の瀬の砦を猫ニャン砲による一斉砲撃で破壊し、悠々と進軍を始めたが、突然、頭上から燃え盛る巨木がまるでなだれのようにゴロゴロと転がり落ちてきた。ここでも、猫人間軍は兵力の半数を失い、猫ニャン砲は巨木と共に大和川の川底に沈んだ。
それを見届けた鹿川は、全軍に対して若草山の前衛基地まで退却を命じた。
結局、生駒・大和川の攻防戦では、猫人間軍の損害は兵員数にして約十五万人、猫ニャン砲四十門となった。一方、鹿人間軍側の死者は、僅か四十一名に過ぎなかった。
大勝利を収め、若草山の前線基地に戻った鹿田、鹿川、両将軍の労を正成がねぎらった。
「ご苦労であった。この度の勝利は、ひとえに両将軍の知略と勇猛果敢な兵士たちの手柄だ。今夜は、ささやかな宴を催すので、ゆっくりとくつろいでくれ」
それを聞いた鹿川が深刻な表情で正成に進言した。
「こんな些細な勝利に喜んでいる場合ではありません。猫人間軍の総勢百万のうち、今回の合戦で討ち取ったのはせいぜい十五万、明日の午後には進路の復旧を終えた敵の本隊八十五万が大和の国に入るでしょう。少しでも砦の補強を進めるべきです」
「いや、明日の朝、我が軍は若草山の前衛基地と春日山の本陣から撤退する」
「撤退? 敵に後ろを見せるのですか?」
「そうだ、敵の本軍には、約百門の猫ニャン砲がある。あれで一斉砲撃を受けたら、前衛基地も本陣も火の海になる。我が軍は戦わずして壊滅するだろう。我が軍はこんなところで滅びるわけにはいかない。一旦、吉野まで撤退し、時を待つのだ。吉野は天然の要塞だ。持久戦には極めて適している。今は、吉野に篭って時を待つのだ。反撃の機会は必ず到来する」
「しかし……」鹿田は納得しなかった。
正成は、鹿田、鹿川両将軍を見つめ、諭すように言った。
「明日の栄光のために、今日の屈辱に耐えるのだ。それが戦略と言うものだ」
「心得ました。提督の指示に従います」鹿田、鹿川が口を揃えて言った。
翌日の夜半、猫人間軍の本軍が到着した。猫人間軍の総指令、猫条提督は、若草の前衛基地と春日山の本陣に灯っている無数のたいまつを見て、参謀たちに命じた。
「鹿人間軍の兵力は相当なものだ。まともに戦っては、我が軍にもかなりの被害が出る。敵陣に突撃する前に、猫ニャン砲で徹底的に叩け! 敵が戦意喪失するまで徹底的に砲撃を続けろ!」
轟音と共に猫ニャン砲の一斉砲撃が始まった。若草山の前衛基地も春日山の本陣も瞬く間に火の海と化した。砦の中からは阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてきた。砦は、ほぼ丸裸に近い状態となった。
猫条提督が号令を発した。
「今だ、全軍突撃!」
「ウニャー!」という喚声と共に、猫人間軍の大軍が若草山の前衛基地になだれ込んだ。しかし、意外にもそこは無人と化していた。猫人間軍は勢いに乗じて一気に春日山の本陣にも攻め込んだが、やはり、そこは無人だった。砦に灯っていた無数のたいまつは、実は、砦内に大軍がいると見せかけるために正成がしかけた偽装工作だったのだ。砲撃を受けた時に砦内から聞こえた鹿人間軍の悲鳴も、実は録音テープだったのだ。
伝令からその状況を聞いた猫条提督が言った。
「まあよい。敵は猫ニャン砲の一斉砲撃を恐れて、砦を捨てて逃亡したのであろう。全軍、敵陣に入れ、敵の砦で今夜は野営する」
参謀の一人が猫条に訊いた。
「敵の敗残兵は追跡しないのですか?」
「その必要はない。奴らにはもう再起を図る戦力は残っていまい」
その夜、猫人間軍は若草山と春日山の鹿人間軍の砦に野営し、戦勝を祝して大宴会を催した。その宴の様子を三輪山の山上から眺めていた正成が号令を発した。
「今だ!」
轟音と共に、若草山と春日山の砦に埋設されていた爆薬が次々と爆発し、猫人間軍は阿鼻叫喚に包まれた。
「ニヤ~!」という断末魔の叫び声と共に、猫人間軍の兵士たちがバタバタと倒れた。火ダルマになって悲鳴をあげながら逃げ惑う兵士も多数いた。
猫条提督が叫んだ。
「しまった! 敵のワナだ! 全軍、砦の外に退却せよ!」
その命令はもはや後の祭りだった。百万の猫人間軍は、全滅に近い大きな損害を受けた。その様子を見届けた正成は、視線を足元に落とし、鹿上に言った。
「作戦は成功だ。さあ、吉野へ行こう」
結局、猫人間軍の百万の軍勢は、二十万の敗残兵を残して壊滅に近い被害を受け、猫人間軍の本拠地、東京に逃げ帰ることになった。しかし、体勢を立て直すために一旦、大阪へ撤退しようと大和川ルートを退却していた敵の敗残兵を待ち受けていたのは、さらに苛烈な追い討ちだった。鹿之園は、斜面の上に、ずらりと積み上げた巨木に火を放ち、下を通って大阪に戻る敵の敗残兵に向けて解き放った。
炎の雪崩のように、巨木が敵の敗残兵に向けて転がった。巨木の下敷きになる敵兵、巨木と共に大和川に転落する敵兵、体中火ダルマになって逃げ惑う敵兵の阿鼻叫喚が渓谷に響いた。そこはまるで地獄絵だった。二十万の敗残兵は、ほぼ全滅し、約三千の兵が命からがら大阪に戻った。大阪に戻った敵兵は既に軍隊の態をなしておらず、まるで浮浪者の集団のような状態になって、東京を目指した。
猫人間軍の司令官である猫条提督は、まだ健在だったが、既に指揮官としては機能しておらず、烏合の衆の一員と化していた。
東京に逃げ帰ろうとする猫人間軍の敗残兵たちが静岡の浜名大橋に差しかかった時、目の前にカモシカ人間の軍勢が現れた。
カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助が言った。
「そこにおわすは猫人間軍の猫条提督であろう。その首を頂戴するのでお覚悟めされい」
「ニヤ~!」逃げ惑う猫人間軍の敗残兵をカモシカ人間軍は完膚なきまでに叩いた。百万の大軍を失った猫条提督は、自刃して果てた。
「エイエイオー!」カモシカ人間軍の勝鬨がこだました。
8
その頃、日光では、猿人間・豚人間の連合軍に対して、猫人間軍の関東軍が猛攻撃をかけていた。しかし、猿人間軍の知将、飛猿将軍の戦術は、かなり効を奏していた。
彼の戦術とは、集中砲火を受け易い砦を自ら放棄し、ゲリラ戦に徹するというものだった。飛猿のイメージしていたものは、大昔の戦争で北ベトナム軍が米軍を駆逐したときの戦術だった。
ひたすら山に篭り、地下や樹上で生活し、攻撃はもっぱら樹上からの狙撃手によるというものだった。
都会生活に慣れた猫人間軍は山岳地での質素な暮らしだけでも士気を低下させていたし、いつどこから狙撃されるかわからないという恐怖感は、軍の統率を乱した。
豚人間軍が各所に設けた落とし穴も猫人間軍を悩ませていた。あらかじめ水が貯められてある落とし穴に落下し、溺死する猫人間軍の兵数は、三千人に及んだ。
特に、日を追って厳しくなる冬の寒さは、もともと寒さに弱い猫人間軍にとって、厳しい自然の洗礼だった。地の利と気候を味方につけた猿人間・豚人間のゲリラ戦術は、今のところ完全に成功していた。
猫人間軍は比較的温暖な千葉まで撤退し、そこに野営しながら、時折、猿人間・豚人間の連合軍に大規模な攻撃をかけたが、大軍による攻撃は失敗を繰り返し、関東軍の兵力は次第に減じられていった。兵力の損失以上に痛かったのは、寒さと猿人間・豚人間のゲリラ攻撃による兵士の士気低下であった。
ついに、関東軍の司令官は、千葉の駐屯地を出ず、春が到来するまで攻撃を延期するという判断を下した。
ただ、ゲリラ戦と言葉にするのは簡単だが、ゲリラとして戦う兵士には、鉄のような固い意志と超人的な忍耐力が要求される。
実際、猿人間・豚人間のゲリラたちは、木の枝の上や地下に掘った小さな穴で睡眠をとり、水溜りの水をすすって生活していた。食べ物といえば、木の実やワナで捕らえた野ねずみや野うさぎ、蛇でもカブトムシの幼虫でも、雑草でも、毒にならないものは何でも食べて飢えをしのいでいた。戦で怪我をしても手当てしてくれる医療班すらいないのである。傷口にうじ虫がわいていることなど珍しくもなかった。それでも日光の猿人間・豚人間の連合軍は猫人間軍に屈しなかったのである。
また、信濃のカモシカ人間軍も同様の戦術で猫人間軍を苦しめていた。カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助は、一旦、本拠地の砦を放棄し、山野に撤退したように見せかけ、砦を占領した猫人間軍を逆に外から包囲した。
狭い砦内に閉じ込められた猫人間軍のストレスは極限に達し、また、兵糧も底を突いた。
せっぱ詰まった猫人間軍は、砦から脱出するための大規模な軍事作戦を何度も試みたが、全て失敗に終わり、結局、砦に撤退する結果になった。猫人間軍が寒さに弱いことを知っていた加茂将軍は、砦内に燃料となるものを一切残していなかった。暖をとることすら出来ずに篭城する猫人間軍の瓦解は時間の問題だった。
大分高崎山の猿人間軍も、日光と同様にゲリラ作戦に徹した戦術をとり、猫人間軍の大軍を苦しめていた。冬場の野戦には脆いというのが、今や、猫人間軍に対する定説となりつつあった。
『泥沼化』
正成が目指した戦略は、全国各地で着実に実現しつつあった。
同じ頃、正成率いる鹿人間軍は、吉野の要塞に向かっていた。紅葉で真っ赤に染まった獣道を正成たちは進んだ。遠くの方に両手を大きく振っている女性の姿が見えた。佐和子だ! 佐和子がここまで出迎えてくれたのだ! 正成は勝利の証にアントラーサーベルを抜き、頭上に大きく振りかざした。
佐和子は正成に駆け寄り、大粒の涙をこぼした。
「提督、よくご無事で…… お怪我はありませんでしたか?」
正成は穏やかな微笑を返した。
「怪我はない。我が軍の死傷者はわずかだ」
「猫人間軍は?」
「百万の敵軍は、ほとんど壊滅状態で東京に逃げ帰った。作戦は成功だ」
それを聞いた佐和子は、再び泣きじゃくった。
「それは…… 何よりです」
「鹿姫様はご無事か?」
「はい、ご健勝です」
「それは良かった」
正成はそっと佐和子の肩に手を置き、その労をねぎらった。
しばらく進むと吉野の要塞が見えてきた。それは、まだ石垣の構築工事中ではあったが、四方を清流に囲まれた天然の要塞だった。木製の城壁で守っていた若草山の前衛基地や、ほとんど城壁らしきものがなかった春日山の本陣とは、比べ物にならないぐらい堅固で広大な要塞だった。
正成軍が近づくと要塞の門が開いた。全軍が要塞の中に入った。正成は物見櫓に登り、兵士に向けて言った。
「諸君! この度の戦は我が軍の完勝に終わった。今夜はささやかながら諸君の労をねぎらう宴を催したい。皆、今夜だけは思いっきりはめをはずすがよい!」
「ウオー!」正成の言葉を聞いた兵士たちが歓声を上げた。歓声が静まった後で、正成が釘をさした。
「諸君、勝利したといっても、今回の敵は百万、全国の猫人間軍の総勢六百万の一部にしか過ぎない。それに比べれば、我が軍はたったの四万、敵の百五十分の一の兵力だ。しかし、我々には一騎当千の勇気と知恵がある。どんなに不利な戦でも必ずや勝利を手にするのだ! 勝ち負けはひとえに諸君の信念と我が軍の固い結束にかかっている。幸い、この吉野の地は天下の嶮、地の利は我が軍にある。猫人間軍は、再び大軍で攻め寄せるだろうが、勝利の日を信じて頑張るのだ! 今夜の宴が終わったら、早速、敵の大軍を迎え撃つ準備を始めるのだ。よいな!」
「ウオー!」、「提督万歳!」という潮のような歓声がこだました。
(勝てる、いや勝たねばならない)
正成は勝利への誓いを新たにした。皆の歓声を背に物見櫓を降りた正成は、本陣の奥にある鹿姫の御所を訪ねた。鹿姫の御所は、決して豪華な建物ではなかったが、要塞の中に造られた御所としては、神々しい品格を放っていた。
正成は御所の警備兵に小さく挨拶した。
警備兵は深く一礼して、御所の入り口に設けられた小さな門を開いた。
正成が中に入ると、正成の姿を見つけた鹿姫が簾の中から駆け出してきた。
「提督殿、よくぞご無事で……」
「鹿姫様こそ、ご健勝で……」
鹿姫は、瞳を潤ませて肩を震わせていた。そして言った。
「信じていたのです。貴公は必ず来てくださると…… そう信じてお待ちしていたのです」
「正成は約束を守る男です。犬死はしないと約束申し上げたはずです」
「ありがとう、本当にありがとう。生きてここにおいでくださって、本当にありがとう。今夜はこの御所で宴を催します。参謀本部の方とご一緒下さい」
「恐縮至極に存じます」
正成は、鹿姫に一礼し、本陣に戻った。本陣の縁側から紅葉を眺めていた正成のところに佐和子がやってきて茶と和菓子を差し出した。
「お疲れでしたでしょう。猫人間軍が再び体勢を整えて押し寄せるにはかなりの日数がかかるはずです。それまで、下々のことは私どもに任せて、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
正成は茶を一口、口に含んだ。
「ああ、旨い…… 不思議だな、何故か私の口には佐和子の茶が合う」
「フフ」佐和子は口元に右手を添えて小さく笑った。二人はしばらく黙って紅葉を眺めていた。静寂の時が流れたようにも、時の流れが止まったようにも感じられた。
その日の夜は、鹿姫を囲み、参謀本部の宴が催された。佐和子はピッタリと正成に寄り添い、酌をしていた。鹿上が懐から横笛を取り出し、笛を吹き始めると、鹿姫はゆっくりと席を立ち、舞を披露した。鹿姫のあまりにも優雅で美しい舞を、参謀本部の一同は言葉を失ってじっと見守った。つかの間の和やかなひとときだった。正成は、穏やかな笑顔を浮かべながら鹿川将軍の所に歩み寄り、一通の手紙を手渡した。鹿川がその紙を開くと、こう書いてあった。
「明朝、一万の兵を率いて熊野へ下れ、全軍が海路で移動出来るだけの船舶を整えよ」
それを読んだ知将、鹿川はハッとした。正成の意図が読めたからである。提督は、いずれこの要塞も捨てる計画だ。熊野古道を南下し、熊野から船でどこかに行くつもりなのだ。しかし、奈良を除けば日本全土は猫人間軍に支配されている。いったい、提督は船でどこに行くつもりなのか? それは鹿川にもわからなかった。
その頃、東京の永田町にある猫人間軍の大本営では、鹿人間討伐軍全滅の知らせを受け、御前会議が開かれていた。僅か四万の鹿人間軍に百万の軍勢が駆逐されたという事実に、猫人間軍の総帥、化猫(ばけねこ)大帝は激怒した。
「このうつけどもが! ろくな装備も持たぬたった四万のゲリラに我が軍の精鋭百万が敗れただと? どの面下げてそのような報告に来たのだ!」
怒りに震える化猫大帝に、副官の三毛猫参謀総長が恐る恐る進言した。
「大帝、ひとえに今回の敗戦は、敵軍の力を甘く見たためのものです。次回はより戦力を増強し、猫ニャン砲装備の主力部隊、三百万を持って討伐に向かいます。提督には、我が軍随一の知将、黒猫大将を当てます。そうすれば次回は万が一にも敗戦ということはございません。なにとぞお怒りを静められ、出陣の命をお下しください」
「うーむ」化猫大帝は、うなりながらどっかりと席に戻り、そして言った。
「黒猫を呼べ」
黒猫大将が化猫大帝の前に進み出て、ひざまずいた。
「大帝、お呼びでございまするか?」
「黒猫、そちに我が軍の主力部隊三百万を託す。ただちに奈良の鹿人間軍の討伐に向かうのだ!」
黒猫はニヤリとほくそえんだ。
「心得ました。冬の到来までに鹿人間軍を殲滅してお見せしましょう」
化猫大帝が威圧感のある声で命じた。
「ゆけ!」
「ハッ」黒猫はそう答えて起立し、振り返って大本営を出た。
第二章 吉野要塞攻防戦
1
正成が新しい要塞を築いたのは千本桜で有名な吉野山から東に五キロほど下ったところにある十二社神社からさらに一キロほど北上した地点である。ここは、吉野川が大きく蛇行しており、東・西・北側を川に囲まれている。唯一南側だけは急峻な斜面となっている。この急峻な斜面には三船山を水源とする小川が流れており、飲み水の調達にも有利である。この要塞にアクセスするには、吉野川に沿って狭い山道を進む以外にない。つまり、この地は、守るに易く、攻めるに難い天然の要塞なのだ。
正成がこの付近の地理に精通していた理由は、幼少の頃を吉野山にある竹林院で過ごしたからである。佐和子とはそこで知り合った幼なじみである。幼い頃から山歩きが好きだった正成は、竹林院から三重県の熊野まで踏破したこともある。つまり、正成は、この付近の地理について隅から隅まで知り尽くしていたのである。
その日、吉野の要塞で正成は工作班の作業を見守っていた。正成が開発を命じたのは、『鹿ロボット』だった。狭隘で急峻な渓谷が連続する吉野の地では、戦車や装甲車では身動きが取れない。そこで、正成が発案したのが『鹿ロボット』だった。これが完成すれば、急な斜面を駆け下って敵に奇襲をかけることも、逆に退却することも容易だ。技師長の鹿爪少佐が鹿ロボットの試作機を見せ、その構造や操作方法を正成に説明していた。正成が鹿爪を叱り飛ばした。
「貴様も軍人なら、これに乗って敵と戦う様子をよく想像しろ。鹿ロボットの操作は体重移動だけで出来る必要がある。足は鹿ロボットから振り落とされないように絶えず固定しておく必要がある。わからないのか? 両手でサーベルを振り回しても鹿ロボットから振り落とされることなく、自由自在に操れる必要があるのだ!」
「ご指摘の趣旨はよく理解いたしました。ただちに改良設計に入ります」
「頼むぞ!」そう念を押して正成は工作室を離れた。次に正成は、要塞内で武術の訓練を行っている若手の兵士たちを視察した。教官は、例の熊鹿だった。熊鹿は束になって襲いかかる若手兵士たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、カカと笑って言った。
「ガキども! そんなへっぴり腰で戦が出来ると思ってるのか? もっと体を鍛えなおせ! 要塞の周りを十周走って来い!」
若手兵士たちは武器を足元に置き、ランニングに出ようとした。熊鹿はそれをさらに叱った。
「このバカども! お前ら実戦で走るとき、武器を置いて行くのか? ちょっとは考えろ!」
それを聞いた若手兵士たちは武器を身に着けて再び出発しようとした。それを正成が呼び止めた。
「ちょっと待て、君らに実戦の怖さを見せてやろう」
正成は熊鹿の前に立ちふさがった。
「熊鹿、私を敵だと思ってかかって来い」
それを聞いて熊鹿が困惑したような表情を見せた。
「かかって来いと言われても、提督にお怪我をさせるわけにはいきませぬ」
それを聞いた正成はニヤリと笑みを浮かべた。
「さーて、怪我をするのはどっちかな?」
その言葉にカッとなった熊鹿は、自慢の大矛を振り上げた。その瞬間、目にもとまらぬ居合い抜きで正成のアントラーサーベルが熊鹿の喉元に突きつけられた。
正成の俊敏な身のこなしに若手兵士たちから驚嘆の声が漏れた。
「皆、よく見ておくように、これが実戦だったら、熊鹿は間違いなく死んでいた。実戦では一瞬の隙も許されない。わかったな!」
「はい!」兵士たちは、正成に一礼してランニングに出発した。
次に正成は、鹿上が指揮している城壁の工事現場を視察した。鹿上の怒鳴り声が聞こえてきた。
「石垣のかみ合いが緩いではないか! 岩と岩をもっとガッチリかみ合わせるのだ! こんな石垣では、敵の猫ニャン砲の集中砲火ですぐに倒壊してしまうぞ! それから、北側の石垣はもっと高く、要塞の内部が完全に隠れるまで積み上げるのだ。敵は、吉野川の対岸から猫ニャン砲を放つだろう。こんな高さでは、砲弾が石垣を超えて要塞の内部に着弾するぞ!」
額に汗を浮かべながら工事を指揮する鹿上に正成が声をかけた。
「作業は順調か?」
鹿上が首を傾げながら答えた。
「いえ、地形が複雑なので、弱点が出来ないように入念に城壁を築いているため、少し手間取っております」
「まあいい、まだ時間には余裕がある。そう急ぐな、作業中に城壁の倒壊事故でも起こしたら、もともこもないぞ」
「はい、心得ました。作業中の安全には十分に注意します」
正成が鹿上に尋ねた。
「ところで、川の対岸の山の中腹まで、トンネルを一本掘れるか? 敵陣に夜襲をかけたい」
「掘れますが、逆に敵に進入路を与えることにもなりかねません」
「それが狙いだ。我々の夜襲がそのトンネルを使っていると知った敵は、トンネルを通って要塞に侵入しようとするだろう。その時にトンネル全体を爆破するのだ。それで千人ぐらいの敵兵を生き埋めに出来る」
「なるほど! さすがは提督。早速、掘削を始めます」鹿上はそう言って作業に戻った。
要塞の視察を続ける正成に佐和子が声をかけた。
「提督、少し休息なさっては?」
正成がニッコリと微笑んだ。
「そうだな、今日は陽気がいい、少し歩こうか?」
二人は要塞の裏手の散策道を歩いた。散策道には紅葉がカーペットのように敷き詰められ、踏みしめるとふわふわした感触だった。二人は散策道の脇の倒木に腰掛けた。
「提督様、紅葉が美しゅうございますね……」
それを聞いた正成が少し表情を曇らせた。
「紅葉の赤は美しい。しかし、やがてこの要塞は人の血で朱に染まるだろう」
「それは、この要塞が陥落するという意味ですか?」
「いや、違う。もともとこの要塞は時間稼ぎのために築いているものだ。死守するつもりはない。やがてこの要塞は敵軍の血で朱に染まるだろう。少しでもこの要塞で時間を稼ぎ、敵軍に被害を与えて熊野に退く。それが私の戦略だ」
「熊野に? 熊野に何があるのですか?」
「鹿川に命じて船を用意させている。熊野から船に乗り、海を渡るのだ」
「でも、今や日本全土が猫人間軍に支配されています。船に乗っても行く当てはありません」
「いや、ある」
「それはどこですか?」
正成は足元に視線を落とし、紅葉の葉を眺めながら答えた。
「それはいずれ皆に教えることになる。今は知らずともよい」
「味方にも教えられないほどの作戦なのですね。わかりました。これ以上は訊きません」
それを聞いた正成は穏やかな微笑を浮かべた。
「さあ、もう暗くなる。要塞に戻ろう」
ピッタリと寄り添って散策道を戻って行く二人の後ろ姿を野うさぎが不思議そうに見つめていた。
2
翌々日の夕方、密偵からの報告が入った。
「猫人間軍は、近衛兵のみを東京に残し、主力部隊の三百万を率いてこちらに向かっています。十日後には到着するでしょう。敵の提督は黒猫大将です。約千基の猫ニャン砲を装備しています」
それを聞いた正成はニヤリとほくそえんだ。
(敵は全軍を引き連れて来るのだな……。しかし、吉野の狭隘な地形では、大軍はあまり意味をなさない。まして四方を川に囲まれているこの要塞は、天然のお堀に守られているようなものだ。水を苦手とする猫人間軍には最悪の立地だ。来るなら来い)
夜の参謀会議で正成が作戦を説明した。
「敵の兵力は三百万、率いるのは知将、黒猫提督だ。猫ニャン砲を約千基装備している。しかし、この地形では、大軍はあまり意味をなさない。敵軍は、南北に長く伸びた陣形を取らざるをえない。おそらく敵軍は、前回と同じように、猫ニャン砲の集中攻撃で、この要塞を滅ぼそうとするだろう。しかし、今、構築中の石垣なら要塞の内部は猫ニャン砲の死角になり、要塞の内部は安全だ。したがって、我が軍は、この要塞にたてこもり、猫人間軍の苦手な冬の到来を待つ。戦が長引けば長引くほど、気温は下がり、敵軍の士気は低下するだろう。幸いにして、この要塞の裏山には、豊富な湧き水と木の実がある。兵糧の心配もないだろう」
鹿上が言った。
「敵の自壊を待って撃って出るのですね」
「いや、ここも最終決戦の地ではない。出来るだけ敵の士気を低下させ、少しでも兵力を削ぐのがこの要塞の役割だ。敵を十分に叩いたら、我々は、熊野古道を南下し、海に出る。既に熊野では、鹿川の軍が、船舶の準備を進めている。我が軍が熊野に着くまでには、四万人分の船が揃うだろう」
「海に出る?」鹿上が不思議そうに尋ねた。
「既に日本全土は猫人間軍に支配されています。一旦、海に出たら、もう上陸出来るところはありません」
正成は表情を変えずに首を横に振った。
「いや、ある。そこが決戦の地だ」
「それは、どこですか?」
正成はニヤリとほくそえんだ。
「それは、その時が着たら教える。今は訊くな。我々が熊野から乗船するのが二月なら、勝利の女神は我が軍に微笑むだろう」
正成は、鹿上に三通の密書を手渡した。
「使者を放て。千早、信濃、日光の友軍にこの密書を届けさせるのだ。いいか、絶対に封を切ってはならぬ。友軍の将に直接手渡すのだ。途中、猫人間軍に捕まるようなことがあれば、この密書を食べ、自刃するのだ。使者は、この密書を命がけで守れる者を選べ、よいな」
「心得ました」
参謀会議が散会した後、正成は一人で物見櫓に登り、夜空の星を眺めていた。以前、春日山で眺めた星空を思い出した。あの時、自分は、同じ星を佐和子も見ていることを祈った。心から佐和子を愛しいと思った。この戦が終わったら一緒になろう。そう思っていた。でも、戦が終わる保証などない。勝利の保証もない。たとえ戦に勝利しても、自分たちが生きている保証はない。戦とはそういうものだ。いや、人間の命自体がそういうものだ。明日の保証など何もない。今、やりたいことは今すべきだ。しかし、正成にはそれが出来なかった。それが、鹿人間軍四万の命を預かる提督としての使命だった。気がつくと、すぐそばに佐和子が寄り添っていた。正成が驚いて振り返った。
「何だ佐和子、来ていたのか」
佐和子が少しむくれた表情を見せた。
「何だとはご挨拶ですね、提督。星を見ていたのですか? 今夜は満天の星空ですね。どの星を見ていたのか当てましょうか? あれ、あのひときわ明るく輝いている大きな星ですね」
「当たりだよ。実は、春日山でもあの星を見ていた。君の事を想いながら……」
それを聞いた佐和子はほほを赤らめた。
「まあ、どうせ、私の悪口でも言っておられたのでしょう?」
正成は、黙って首を横に振った。
「少し冷えてきたね。もう中に入ろう」
二人はゆっくりと物見櫓を降り、それぞれの寝所に戻った。
3
五日後、要塞の守りは完成した。正成は工作兵に命じ、要塞に渡る全ての橋に爆薬を仕掛けさせた。
(いつでも来い)正成がそう思ったときだった。密偵からの連絡が入った。敵の先発隊が奈良に入ったとの事だった。兵力は約二十万だという。
正成は鹿上に命じた。
「明日の午後には敵の先発隊が襲来する。要塞に渡る全ての橋を爆破せよ」
「心得ました」そう言って鹿上が本陣を出た。しばらくすると、あちこちで「ドドドドッ、バシャン!」という爆破音が響いた。爆破音が収まり、しばらくして鹿上が戻った。
「橋は全て爆破しました。準備完了です」
夕刻になり、敵の偵察隊がちらちらと姿を現した。こちらの要塞の様子を探っているようだった。正成は物見櫓からその様子を見つめていた。
(明日の正午には来るな)正成はそう感じた。正成は全軍を集め、号令をかけた。
「皆の者、よく聞け、敵の先発隊が明日の午後には襲来する。兵力は約二十万、ここまで一週間で来た事からおそらく猫ニャン砲は装備していないだろう。しかし、敵は猫人間軍だ。どんな新兵器を持っているかもわからぬ。みんな、今夜はよく寝ておけ、明日から激しい戦になるぞ」
「オウーッ!」という兵たちの喚声がこだました。何かを信じている軍は強い。鹿人間軍にとってその何かとは、鹿姫であり、正成だった。正成は身の引き締まる思いを胸に抱き、本陣に戻った。
予想通り、翌日の正午頃に敵の先発隊が姿を見せた。敵軍の指揮官、社務猫(しゃむねこ)大佐が命令を発した。
「全軍、敵の要塞を包囲せよ! ただし、裏手の散策道だけは開けておけ、敵の逃げ道を残しておくのが城攻めの常道だ」
本陣の正成のもとに鹿上が来て状況を報告した。
「敵の先発隊が到着しました。要塞全体が包囲されました。ただし、敵軍は裏の散策道だけには兵を配置していません」
それを聞いた正成は「フッ」と小さく笑った。
「敵の指揮官にも多少は兵法の心得があるとみえる」
一般に敵の城を攻めるときには一箇所だけ逃げ道を開けておくのが常識である。完全に城を包囲すると、逃げ場はないと覚悟を決めた城内の兵士が超人的な抵抗をするからである。しかし、一箇所でも逃げ道を残しておくと、勝ち目はないと判断した兵士たちが城から脱出を始める。そうなると、篭城側の士気は一気に衰え、城はあっけなく陥落する。
鹿上が正成に問いかけた。
「敵には攻めてくる気配はありません。我が軍は如何いたしましょうか?」
「ほおっておけ。こちらの様子を十分に把握したら、敵はロケットアンカーを打ち込んで川を渡るつり橋を架けるに違いない。それが一箇所や二箇所なら我が軍の集中攻撃を受ける。おそらく、十分に準備を整えて、四方八方から同時に無数のつり橋を架けるだろう。しかし、ロケットアンカーで作ったつり橋では一度に大軍は渡れない。こちらの思う壺だ」
正成の予想は的中した。要塞を包囲した敵軍は、一斉に要塞に向けてロケットアンカーを打ち込み、無数のつり橋を架けた。しかし、敵はすぐには攻撃してこなかった。しばらくして一人の白旗を掲げた猫人間軍兵士がつり橋を渡り、要塞の門を叩いた。
「私は、我が軍の社務猫大佐の使者、白猫です。門をお開けください」
兵士たちはざわめいたが、その様子を物見櫓から見ていた正成は、使者を要塞に入れるように指示した。兵士たちは、使者の身体検査を行い、武器を持っていないことを確認した上で、要塞に入れ、本陣の正成のところに連れてきた。
「私は、我が軍の司令官、社務猫大佐の使者、白猫と申します」
「何の用だ?」正成がぶっきらぼうに訊いた。
「社務猫大佐のお言葉を伝えます。貴軍に一時間の猶予を与えます。それまでに、降伏して武器を捨て、要塞を開放しなさい。さもなければ貴軍を殲滅すると」
それを聞いた正成は嘲笑を浮かべた。
「一時間経とうと、一ヶ月経とうと我が軍の答えは『ノー』だ。貴殿も早く軍に戻り、戦の支度をするがよい」
「貴軍は、自ら望んで滅亡するのですか?」
「我が軍は自ら望んで滅亡したりせぬ。ただし、隷属か滅亡かどちらかを選べと訊かれれば、迷わず戦って滅亡する方を選ぶ。もう話はない。早う帰られよ」
「そうですか……。わかりました」そう言って使者は帰って行った。
それから約一時間後、社務猫大佐が号令をかけた。
「全軍、つり橋を渡り、敵の要塞を突破せよ!」
「ウニャー!」という怒涛のような喚声とともに敵軍が突入してきた。つり橋を渡りきった敵兵は、ハシゴを掛け、石垣を登り始めた。石垣を登りきった敵兵は、内側にもハシゴを掛け、雪崩のように石垣の内側に飛び込んできた。その様子を正成は物見櫓の上から黙って見守っていた。石垣の内側が敵兵で埋めつくされた時、正成の号令が響いた。
「今だ、煮え湯を注げ!」
石垣は二重になっていたのだ。石垣と石垣の間に立ち往生した敵兵たちは、頭から煮え湯を被せられ、「ニヤ~!」という断末魔の悲鳴をあげながら次々と熱湯の池に沈んだ。二重石垣の内部は、瞬く間に敵兵の屍で埋め尽くされた。正成は次の命令を発した。
「今だ! 敵のつり橋に向けて油を注げ!」
要塞の内部に配備された投石器から次々と油を溜めた樽が投じられた。敵のつり橋は油まみれになった。正成は次の号令を発した。
「今だ! 火矢を放て!」
敵のつり橋に向けて火矢が放たれると、瞬く間に敵のつり橋は火の海になった。
「ウニヤ~!」全身火だるまになりながら敵兵が逃げ回った。要塞全体を焼け死んだ敵兵の死臭が覆った。見る見る間に要塞の全周が敵兵の屍で埋めつくされた。まるで地獄絵のような光景だった。結局、初戦だけで敵の先発隊は九千の兵を失い、ちりぢりバラバラに退却した。その様子を正成は無表情に見つめていた。佐和子が正成に歩み寄り、状況を報告した。
「敵兵の損失は約九千、対岸まで総退却いたしました。味方側は無傷です」
「そうか、ご苦労だった。敵兵の屍は吉野川に流せ。工作隊に命じてつり橋を一つ残らず撤去しろ。
間違えるな、アンカーごと引き抜くのではない。アンカーを無理に抜くと、要塞の岩盤が緩む。アンカーの先のワイヤーを切断するのだ。それから、敵兵の亡骸は、法師に命じて十分に弔うように」
「心得ました」佐和子はそう答えて物見櫓を降りた。
正成は、吉野川に流される無数の遺体を眺めながら一句詠んだ。
「ちはやぶる 神のなき世の亡骸は 空しく流る 紅葉のごとく」
4
それから正成は、近くにいた鹿上に言った。
「熊鹿を呼べ」
鹿上が熊鹿を連れて物見櫓に戻ってきた。正成が熊鹿に命じた。
「今夜、お前は第五騎兵隊を率いてトンネルを抜け、敵の先発隊に夜襲をかけろ。敵の先発隊は我が軍に奇襲をかけるために昼夜兼行でここまで来たに違いない。その上に今日の惨敗だ。今夜は疲れきって深く寝入るに違いない。お前の部隊は、奴らの寝込みを襲うのだ。ただし、決して深入りするな、目的は敵を眠らせないことだ。敵陣に斬り込んで、ひと暴れしたら、すぐに撤退せよ。これは命令だ。どんなに戦況が有利でも、撤退するのだぞ! もう一度言う、目的は敵を熟睡させないことだ」
熊鹿がひざまずいて正成に一礼した。
「心得て候」
その日の深夜、熊鹿率いる第五騎兵隊は、トンネルをくぐり、敵先発隊を背後から急襲した。不意をつかれた敵軍は、総崩れになり、暗闇の中で逃げ惑う兵士でパニック状態になった。熊鹿が部隊に号令をかけた。
「提督の命令だ! 惜しいが今夜はこれで撤退する」
熊鹿の部隊は、あっさりと兵を引き、再びトンネルをくぐって要塞に戻った。大変なのは、熊鹿らが去った後の敵軍だった。暗闇で不意を疲れてパニック状態になった敵軍は、なんと同士討ちを始めたのだ。二十万を誇った敵の先発隊は、翌朝には、約半数にまで激減していた。先発隊の司令官、社務猫大佐は、地団太を踏んで悔しがった。しかし、次の日、遂に敵先発隊は攻撃してこなかった。社務猫は、兵法ではとても正成に勝てないと悟ったのだ。
社務猫は悔しそうにつぶやいた。
「本隊の到着を待って、猫ニャン砲の一斉攻撃をかけるしかない。それ以外にあの要塞を落とす方法はない。しかし、鹿人間軍の鹿木という男、さすがに百万の軍勢を全滅させただけのことはある。只者ではないな……」
その頃、要塞の本陣では鹿上が正成に訊いていた。
「提督、今夜も夜襲をかけますか?」
「いや、今夜行ってはならぬ。敵軍は十分に夜襲に備えているだろう。鹿上、奇襲というのは予期せぬ時に予期せぬ所から攻め込むから奇襲なのだ。備えある敵に奇襲攻撃は通用しない」
その夜、敵先発隊は一晩中徹夜で夜襲に備えていたが、結局、鹿人間軍は攻めてこなかった。敵先発隊の兵士たちは二晩連続で徹夜になり、疲労は極限に達した。
翌日、猫人間軍の主力部隊が到着した。前線に到着し、味方の先発隊が既に十万の兵を失ったと報告を受けた黒猫提督は愕然とした。確かに猫人間軍の兵力が三百万であることを考えれば、兵力の損失は微々たるものだが、わずか二日間の戦いで疲弊しきった先発隊の兵士を見た黒猫将軍は、鹿人間軍の要塞の堅固さと、その戦術の巧みさに感嘆した。
(我が軍の兵力は敵の百倍だ。しかし、鹿人間軍の高度な知略と結束の固さ、地の利を考えれば、形勢は互角だ)黒猫提督はそう思った。黒猫は、鹿人間軍の夜襲に備え、堅固な野営陣地の構築を指示した。社務猫大佐とは違い、すぐに要塞を攻めようとはしなかった。
密偵が正成に猫人間軍の状況を報告した。
「敵の本隊が到着しました。兵力は約三百万、約千基の猫ニャン砲を装備しています。しかし、敵は野営陣地の構築を行っており、要塞に攻め込む様子はありません」
正成が密偵に命じた。「敵陣の陣形をもっと詳細に探るのだ」
それから正成は、そばにいた鹿上と佐和子に言った。
「敵の提督、さすがに三百万の軍勢の総司令官となるだけあって、只者ではないな。まずは、敵の陣形を詳しく調べた上で戦術を立案しよう。苦しい戦いになるぞ」
『敵軍の総攻撃はいつか?』要塞の内部は、緊迫した状態が続いていた。正成は物見櫓に登り、全軍に指示した。
「何をそんなに緊張している。どうせ戦は長期戦になる。そんなに緊張していては体が持たんぞ。みんなもっとくつろげ。この要塞は戦場であると同時に、皆の生活の場でもあるのだ」
提督は落ち着いている。提督の指示に従っていれば大丈夫だ。そんな安堵感が全軍に広がった。
次に正成は、鹿姫の御所を訪れた。
「鹿姫様、何か不自由はございませんか?」
鹿姫は小さく首を横に振った。
「わたくしは快適に暮らしています。それより戦況は如何ですか?」
「まだ、戦況というほどの戦いは始まっていません。戦はこれからです」
「そうですか? 今は、提督だけが頼りです。お風邪などお召しにならぬよう……」
「ありがとうございます」
本陣に戻った正成に密偵からの報告が入った。
「敵軍は、南北に長い布陣を布き、東西に防護柵を築いています。先鋒には猫ニャン砲の配備を進めています」
その報告は、正成の予想通りだった。ここの狭隘な地形では三百万の大軍が野営する陣地を構築することは非常に難しい。陣地は必然的に南北に非常に長く延びた形になる。黒猫は、まともに攻撃してこの要塞が簡単に陥落するとは考えていない。おそらく猫ニャン砲による集中攻撃で石垣を破壊するまでは、本格的な攻撃は仕掛けてこないだろう。
密偵は、少し気になる報告もした。それは、敵陣から大量の土砂が搬出されているとの報告だった。
正成にはピンと来た。鹿人間軍と同じように猫人間軍も要塞内部に侵入出来るトンネルを掘っているのだ。しかし、この陣地の周りは自立性のない砂礫層が多く、トンネルの掘削は容易ではない。正成は、敵のトンネルのルートを探るように密偵に指示した。
猫人間軍は、野営陣地を完成させた後で、猫ニャン砲による一斉攻撃を開始した。
「ドカン! ドカン!」という轟音が要塞内部に響いたが、石垣は簡単には崩れなかった。また、高い石垣の死角になっているため、要塞の内部に猫ニャン砲が着弾することはなかった。このままでは、外側の石垣を破壊するのに一ヶ月以上はかかるだろう。思う壺だ。正成はそう考えていたが、兵士たちの間には、少しずつ崩れ始めた石垣に対する不安が広がっていた。外垣が崩れれば、敵軍は一気に押し寄せてくるだろう。そうなれば、所詮、多勢に無勢だ。要塞は簡単に陥落するだろう。皆はそう考えていた。
参謀会議で、正成は皆の不安を払拭した。
「石垣は、あくまで時を稼ぐためのものだ。もうすぐ冬になる。寒さに弱い猫人間軍は、初雪までに要塞を陥落させようと焦っている。敵を滅ぼすのは、我が軍ではなく、吉野の真冬の寒さだよ」
翌日、密偵から新たな報告が入った。敵のトンネルは、非常に深く、地表の砂礫層を貫通し、その下の粘土層を掘り進んでいるとのことだった。トンネルは東、西、北の三箇所を起点にして掘り進められているとのことだった。正成には黒猫提督の作戦が読めた。これらのトンネルは、要塞内に侵入するためのものではない。石垣の基礎地盤を爆破し、石垣を倒壊させるためのものだと。
正成は、鹿上を呼び、要塞の内部から、敵のトンネルに向けて迎え掘りすることを指示した。
鹿上が不思議そうに尋ねた。
「敵のトンネル掘りをわざわざ手伝ってやるのですか?」
「いや、迎え掘りの先には爆薬を仕掛けておく。敵のトンネルが迎え掘りに到達したら、一気にトンネルを爆破し、敵の掘削班を生き埋めにするのだ」
「心得ました。すぐに迎え掘りを始めます」
猫ニャン砲による砲撃は連日続いた。要塞内は無傷だったが、外垣は少しずつほころび始めていた。
朝夕の寒さが身にしみる季節になった。猫人間軍の陣内は、いつも暖をとるための焚き火がたかれていた。
(そろそろだな……)そう思った正成は、第三騎兵隊の鹿光を呼んだ。
「今夜、トンネルをくぐって敵に夜襲をかける。しかし、敵の野営陣地の東西には堅固な防護柵がある。貴公の仕事は、喚声を上げながら、敵陣に夜襲をかけるふりをするだけだ。貴公と第三騎兵隊は、敵の堅固な防護柵を見て、夜襲を諦めて逃げ帰るふりをするのだ。必ずや敵軍は、トンネルをくぐり、後を追ってくるだろう。貴公たちがトンネルを抜け、要塞に戻ると同時にトンネルを爆破する。敵の追撃隊を生き埋めにするのだ」
「心得ました」
深夜になり、鹿光は第三騎兵隊を率いて出陣した。トンネルを抜けて敵に夜襲をかけた。しかし、敵の陣地には夜襲に対する十分な備えがあり、鹿光は奇襲を諦めて全軍に撤退を命じた。退却する兵士たちに対し、猫人間軍は、陣地内から『レーザー機関銃』で銃撃してきた。「うわ~!」という断末魔の悲鳴と共に、数名の奇襲兵がバタバタと倒れた。
黒猫提督は千載一遇の好機だと思って号令した。
「第二師団は、敵の後を追い、トンネルをくぐれ、要塞の中に進入すれば、もう勝利は我が軍のものだ」
猫人間軍の第二師団約一万兵が続々とトンネルに侵入してきた。トンネル内が敵兵で一杯になったのを確認した鹿上が号令をかけた。
「今だ! トンネルを爆破せよ!」
「ドドドドッ!」という鈍い爆音と共にトンネルは陥没した。トンネル内部にいた敵兵二千が生き埋めになった。
鹿上は勇躍して本陣に駆け込み、作戦の成功を正成に伝えた。
正成は安堵の表情を鹿上に向けた。
「そうか、よかった。鹿光と第三騎兵隊を十分にねぎらってやれ」
鹿上は少し表情を曇らせていた。
「何か憂いごとでもあるのか?」と正成が問うと、鹿上が答えた。
「作戦の成功は間違いないのですが、鹿光から気になる報告がありました」
「気になる報告? それは何だ」
「はい、敵陣から退却する時、敵陣内から見たこともない『レーザー機関銃』による掃射を受けたそうです。実際に数名の犠牲者が出ています」
「レーザー機関銃? わかった。白兵戦では脅威だな」
「そう思います」
5
翌日からの砲撃は熾烈を極めるものとなった。要塞内には一日中爆音が響いて会話が出来ないほどの状態になった。それでも外垣は崩れなかった。猫人間軍の黒猫提督のイライラは頂点に達していた。
初雪までに敵の外垣は落ちない。この上は、要塞の裏の散策道から敵陣に侵入するしかない。黒猫はそう考えた。黒猫は、精鋭十万を用意し、要塞の裏の散策道からの攻撃を命じた。そして、それは正成の想定内だった。
要塞裏の散策道は、両側を急斜面に囲まれた、人一人がやっと通れる程度の小道だった。小道の両側にはうっそうとした雑木が茂っていた。猫人間軍はその小道を一人ずつ通りながら、鹿人間軍の要塞を目指した。要塞までもうすぐ到着するというところまで来た。その時だった。両側の斜面の頂上に鹿ロボットに跨った鹿田、鹿川両将軍が現れた。鹿川が猫人間軍を嘲るように出迎えの言葉を発した。
「猫人間軍よ、ようこそ来られた。しかし、一兵も生かしては帰さん」
その声を聞いて、猫人間軍は騒然となったが、雑木に遮られて鹿人間軍の姿は見えない。
その時、鹿田が号令を発した。
「またたび砲を撃て! 行くぞ! 全軍突撃!」
「ウワー!」という喚声と共に、鹿ロボットに乗った鹿人間軍が、細い小道に長く伸びた敵軍に襲いかかった。逃げ惑う猫人間軍の兵士たちに鹿田、鹿川の軍勢は、容赦ない攻撃を加えた。猫人間軍は、新兵器『レーザー機関銃』を装備していたが、鹿人間軍が放ったマタタビ砲に惑わされ、銃撃はほとんど当たらなかった。「ニヤ~!」という猫人間軍の阿鼻叫喚が散策道に響き渡った。猫人間軍の精鋭十万は壊滅した。
連戦連敗、冬の酷寒、猫人間軍の士気は、どん底まで低下していた。毎夜毎夜、戦線を離脱して脱走する兵は後を絶たず、昼間も兵士たちは焚き火を囲み、雑談に興じていた。戦況は、正成の狙い通りになりつつあった。
ある日の夜、敵軍の脱走兵約四十名が、要塞裏の散策道を歩いているところを味方の番兵に捕らえられた。その脱走兵は、鹿人間軍に捕まることを覚悟で、散策道を要塞の方に向かって来たのだという。
脱走兵たちは、正成の前に引き立てられた。
正成が脱走兵のリーダーらしき者に訊いた。
「君らは、猫人間軍の脱走兵だと聞いたが、何故、わざわざ我々に捕まることを承知で、要塞裏に向かって来たのだ?」
「私たちは間違いなく、猫人間軍の脱走兵です。我々全員、狂猫病に感染しています。でも、我々は皆、感染初期の患者で、まだ人間らしい感情が残っています。私たちは提督の軍と戦いたくはないのです」
正成は、彼らの言葉を鵜呑みにはしなかった。隙を見つけて要塞の中をかく乱するためのスパイかもしれない。正成はそう疑っていた。しかし、その兵は言葉を続けた。
「どうか、私たちを牢屋に入れてください。私たちの狂猫病は確実に進行します。いずれ時期が来れば人間らしい心を失い、あなた方を滅ぼそうとするでしょう。それは、もうどうすることも出来ないのです。私たちが人間の心をなくしたら、どうぞ、私たちを処刑してください。私たちは人間でなくなってまで生きていたいとは思いません」
彼の言葉に偽りはない。正成はそう思った。間違いなく彼らの病状は進行し、いずれ人間らしい心を失う。それを止める方法はない。かといって、今現在、人間らしい心を持つ彼らを牢屋に入れることは正成の本意ではなかった。正成は迷った挙句、一つの結論を出した。
「医療班、毎日彼らを診察し、病状を報告するように、彼らの病状が我が軍に危険を及ぼすまでは彼らを我が軍の一員として扱う、熊鹿、彼らをお前の第五騎兵隊に編入する。自分の部下として戦に参加させろ、病状が進行して人間の心を失ったと感じたときは、迷わず斬れ、私の了解は必要ない」
熊鹿が「ハッ、心得ました」と答えた。脱走兵たちはすすり泣いていた。正成に許される精一杯の寛大な処置だった。
それ以降、医療班から毎日、脱走兵たちの病気の進行状況が報告されるようになった。幸いにして、医療班からの報告は、今のところ深刻な変化は認められないという趣旨のものが続いた。
来る日も来る日も、要塞内には敵軍が放った猫ニャン砲の轟音が響き渡っていた。その日、正成と佐和子は裏手の散策道を歩いていた。
「提督、提督は連戦連勝にも関わらず、いつも浮かぬ顔をしておられますね。何か懸念事項でもあるのですか?」
「いや、今のところ計画通りだ。しかし、連戦連勝とは言っても、敵の損失は、三百万のうちのわずか二十万だ。今までの勝利など、たいした意味はない。大切なことは、時を稼ぐことだ。以前にも言ったろう、我々が熊野で海に出るのが二月なら、勝利は我が手にあるだろうと……。今の状況なら、おそらく、この要塞は二月まで支えられる。私が憂いでいるのはその先のことだ」
佐和子が心配そうに訊いた。
「その先の作戦はまだ言えないのですか? 兵士たちも気にしているようですが……」
「言えない。今は、まだ言うべきではない」
「わかりました。私は、提督の作戦がどんな作戦でも、黙ってそれに従います」
「ありがとう。君は近衛隊長だ。鹿姫様を守ることだけ考えておればよい」
「心得ました」
翌日から猫ニャン砲による砲撃は昼夜兼行となった。鹿人間軍の兵士を熟睡させないことが目的だった。しかし、砲撃を行えば熟睡出来ないのは猫人間軍も同じである。長期間の篭城で、鹿人間軍の兵士たちにも疲労や苛立ちが目立ち始めたが、連戦連敗という結果と酷寒の吉野での野営に猫人間軍は疲弊しきっていた。その上に夜中の轟音である。猫人間軍の士気の低下は甚だしいものだった。兵士たちの不平不満の声は、黒猫提督の耳にも届いていた。しかし、連日の砲撃で、要塞の石垣は少しずつ緩みつつある。外垣さえ破壊すれば、内垣を突破することは難しくない。黒猫提督はそれに期待していた。
十二月四日になり、吉野に初雪が降った。要塞の内部は十分な防寒対策が採られていたので、鹿人間軍にとってはたいしたことではなかったが、野営している猫人間軍にとっては一大事だった。猫人間軍の兵士たちは、陣営のテント内にコタツを作り、命令があったとき以外は、コタツにこもるという生活を続けた。それでも軍人である以上、夜警の順番などは回ってくる。テントから出た兵の「寒っー」という言葉がいつの間にか猫人間軍の合言葉になっていた。
寒さと共に、猫人間軍を悩ませていたのが、毎夜のように千早城からやって来て、猫人間軍の陣地の両側の山上から、たいまつを炊いたり、喚声を上げたりする箕面の猿人間軍の残党による嫌がらせだった。兵力は、たかが一万程度でも、毎晩、陣地の近くまで来て、たいまつを灯したり喚声を上げたりされれば、一応、一通りの戦闘体制は整えなければならない。そのため、三百万の猫人間軍は、ほとんど毎晩熟睡出来ない状態が続いていた。
数日後、鹿上から報告が入った。敵軍が掘り進めているトンネルが、今日中にこちら側の迎え掘りに達するとの報告だった。正成は、トンネルが貫通し次第、迎え掘りの先に据え付けられている爆薬に点火するように指示した。その日の夕刻、要塞の周りのあちこちの地下から爆音が響き、トンネルを開通させた数千の猫人間兵が生き埋めになった。
6
敵軍の士気が極限まで低下していることを密偵からの報告で聞いた正成が鹿上に命じた。
「時期が来た。そろそろ火遊びに出かけるか?」
「火遊び?」鹿上が問い返した。
「そうだ。火遊びだ」
その夜、鹿ロボットに跨った第三、第五、両騎兵隊は、要塞の裏の散策道を迂回して、猫人間軍の陣地がある谷の両側の山の上に移動した。夜中になり、鹿光、熊鹿の両隊長が号令を発した。
「全軍突撃!」
鹿ロボットに跨った両騎兵隊は、敵陣の両側の斜面を駆け下り、防護柵沿いに鹿ロボットを走らせながら、火矢を放った。火矢は猫人間軍のテントに突き刺さり、次々と火災を起こした。もともと、風除けの簡易なテントなので、大火災とはならなかったが、テントを焼き尽くされた猫人間軍は、酷寒の中、風除けもない野宿を強いられるようになった。
猫人間軍の参謀が黒猫提督に進言した。
「提督、このままでは、我が軍は自壊します。一旦、奈良まで退却してはどうですか?」
黒猫は首を横に振った。
「枯れ木でも枯れ草でも何でもよい。とにかく陣地に防寒対策を採れ、寒さに耐えられるように陣地を改良するのだ。兵に伝えよ、あの要塞を落とすまで、どんな理由があっても退却はしないと。脱走を企てたものは処刑するとも伝えよ」
翌日の参謀会議で、鹿上は、火攻めの効果で敵陣の士気が低下していること、防寒のために敵陣には稲わらや枯れ木が積み上げられていることを報告した上で進言した。
「提督、現在、敵陣には風除けのために稲わらや枯れ木が積み上げられています。巨大な焚き木のような状態です。もう一度火攻めをかければ、敵陣は火の海と化すでしょう」
それを聞いた正成は苦笑いを浮かべた。
「いや、今、出てはならぬ。これは敵のワナだ。おそらく敵陣の両側の山の尾根沿いには、大勢の兵を伏せてあるだろう。敵の黒猫という提督はなかなかの知将だ。同じ失敗を繰り返しはしない。もともとこの篭城の目的は敵の殲滅ではない。今のところ全て予定通りだ。焦る必要はない」
年が明け、西暦二八二九年になった。元旦も猫ニャン砲による砲撃は続いたが、要塞内ではささやかな宴が催された。宴の後、正成は物見櫓に登り、全軍に号令した。
「皆の者、よく聞け、今のところ、全て計画通りだ。諸君の勇気と努力に感謝する」
「ウオー!」という兵士たちの喚声がこだました。正成は話を続けた。
「しかし、皆も気づいているとおり、要塞の石垣は徐々にほころびつつある。外垣が倒壊したら、敵軍は一斉になだれ込んでくるだろう。そうなれば、我が軍に勝ち目はない。我が軍は外垣の崩壊に先立ち、要塞を捨てて熊野古道を南下し、熊野に出る。熊野では既に鹿川が四万人分の船舶を用意している。我々は、それに乗り、海に出るのだ。よいか、明日より全軍熊野に向けての撤退準備にかかれ!」
「ウオー! 提督万歳!」という合唱がこだました。
宴の後、正成は佐和子と二人で散策道を歩いていた。木の枝にはうっすらと雪が積もっていた。
「春になれば、ここは千本桜で桃色に染まる。その景色を生きて二人で見よう」
「春にもう一度、生きてここに来ると約束してくださいますか? 提督が約束してくださるなら、私も約束します」
「ああ、約束する」
それは哀しいかな何の保証もない約束だった。でも、その約束に佐和子の心は満たされた。佐和子が足元を見ながらポツリと言った。
「もし、桜の季節に提督がここに来られなければ、私もここにおりませぬ」
本陣に戻った正成のところに密偵から報告が入った。
「提督、吉報です。但馬、飛騨、佐賀で次々と牛人間軍が蜂起しました。現在、それぞれの砦に篭り、各地の猫人間軍と対峙しています」
「そうか、それは良い知らせだ。ご苦労であった」正成は密偵の労をねぎらった。
もう一人の密偵が来た。その密偵の表情に、正成はただならぬ事態を予想した。
「敵は、三十万の大軍を千早城に差し向けました。おそらく、猿人間の毎夜の嫌がらせに業を煮やした敵軍は、猿人間の殲滅を狙っているものと思われます」
「千早城は天下の嶮、例え、猿人間の守備隊がたった一万だとしても、そう簡単には落ちない。しかし、猿人間の残党は、武器らしい武器はほとんど持っていないはずだ。三十万の大軍には持たないな……」
正成は少し表情を曇らせて鹿上に命じた。
「鹿光を呼べ」
鹿上が鹿光を連れてきた。鹿光が尋ねた。
「提督、お呼びですか?」
「ああ、貴公に頼みがある」
「ご遠慮なく、お申し付け下さい」
「第三騎兵隊を率いて、千早城へ行ってくれ、千早城に三十万の敵軍が迫りつつある。猿人間の残党一万では長くは持たん」
「はっ、命令とあれば参りますが、第三騎兵隊も所詮は小勢です。大勢を覆すことは難しいかと思われます」
「それは、そう思う。そこで、猿人間軍の残党一万をこの要塞に合流させようと思う。貴公は、千早城に行き、猿人間軍がこちらに移動する指揮をとってもらいたい」
「そういうことなら、喜んで」
「しかし、実際はそんなに容易ではないぞ、猿人間が千早城を放棄したと知れば、猫人間軍は直ちに追っ手を差し向けて来るだろう。貴公は、千早城に残り、猿人間軍が撤退する時間を稼ぐのだ」
「心得ました。命に代えても」
「いかん、命に代えてはいかん、今は、一兵の命も損じたくはない。貴公は、千早城にまるで大軍がいるように巧妙に細工して、敵の進軍を阻み、自軍も被害を最小限にとどめて帰還するのだ。出来るか?」
「やってみます」
「よし! 行け!」
鹿光は勇躍して本陣を飛び出して行った。
7
鹿光の軍勢は、裏の散策道を抜け、吉野川沿いに西に進み、途中から山道を北上して千早城に入った。千早城の北側斜面では、既に激戦が繰り広げられていた。千早城は天下の嶮、三十万の敵軍の攻撃にもよく耐えていたが、武器や兵糧を十分に持たない猿人間軍の抵抗は、限界に達していた。既に全滅の覚悟を決めていた猿人間軍の兵士たちは、鹿光の援軍が来たと聞いて狂喜乱舞した。猿人間の残党を指揮していた猿渡大佐に鹿光が言った。
「大佐、残りの兵を率いて吉野の我が軍に合流してください。追っ手は私たちが防ぎます」
「そうか、願ってもない誘いだが、君たちはどうする。ここで玉砕してはならんぞ」
「ご心配なく、十分に時を稼いだら、私たちも速やかに撤退します。ここで犬死するつもりはありません」
「それを聞いて安心した。それでは、先に吉野に行ってるぞ、必ず生きて吉野に戻って来い」
猿渡は、猿人間軍一万を引き連れ、吉野に向かった。
鹿光は、ありとあらゆる謀略を駆使して、敵の追っ手を食い止め、数日後、ほとんど兵を損じることなく吉野の要塞に戻った。
正成は、鹿光をねぎらった後、熊野の鹿川に密偵を送った。必要な船舶数が四万人分から五万人分に増えたことを伝えるためである。
その夜、正成は、猿渡と鹿光を招いて、ささやかな宴を催した。
「鹿光、ご苦労だったな。猿渡大佐、猿人間軍の合流を心より歓迎します」
猿渡が深々と頭を下げた。
「猿人間軍を滅亡の淵から救出いただき、感謝の意に絶えません」
「いや、こちらこそ、毎夜の貴軍のかく乱戦法には、どれだけ助けられていたかしれません。礼は無用です。それに、吉野の要塞に入ったからといって、決して安全になったわけではありません。この要塞はまもなく陥落します。我々は、熊野に落ち延び、海に出ます。どうか貴軍も同行してください」
「それはかまいませんが、海に出た後どうするのですか?」
「それは、今は言えません。熊野に着いたらお話します」
「そうですか、いずれにしても我が軍は貴軍と行動を共にします」
「ありがとうございます」正成が猿渡に一礼して、宴は散会した。
その日の深夜、鹿上がドタドタと正成の寝室にやってきた。
「提督、番兵が一名刺殺されています。石垣にはロープがかかっていました。敵の忍びが侵入したと思われます」
正成は寝所から飛び起き、鹿上に指示した。
「全軍戦闘配備、敵の忍びは、中から要塞の門を開けようとするだろう。門の周りの警備を固めろ!」
正成は軍服に着替え、物見櫓に登って要塞の内部を見回した。そして、思わず「しまった!」と声を上げた。敵の忍びが攻撃しているのは、鹿姫の御所だった。御所は常時百名ほどの近衛兵が警護に当たっていたが、敵の忍びは小型の『レーザー拳銃』で近衛兵を襲っていた。飛び道具を持っていない近衛兵には圧倒的に不利な戦いだった。敵の攻撃を受けてバタバタと倒れていく近衛兵の様子が物見櫓から見えた。ただ一人、近衛隊長の佐和子だけが鮮やかな身のこなしでレーザー銃をかわしながら次々に敵の忍びを斬り倒していた。少し離れたところに潜んで、敵の忍びが佐和子にレーザー銃の照準を合わせていた。
「佐和子があぶない!」そう思った正成は、アントラーアーチェリーを力いっぱい引き絞り、アントラーアローを放った。アントラーアーチェリーとは鹿剣法の達人が使う秘伝の弓矢で、その飛距離は普通の弓矢の約十倍であり、アントラーアーチェリーで放たれたアントラーアローは、分厚い鉄板でさえ射抜くことができる。正成が放ったアントラーアローは、忍びの首を貫き、忍びはバッタリと倒れた。その音で、佐和子は初めて自分が背後から狙われていたことに気づいた。物見櫓を見上げた佐和子に、正成がアントラーアーチェリーを高くかざして合図した。佐和子もアントラーサーベルを高く振りかざして正成に合図を送った。残りの忍びは、騒ぎを聞いて駆けつけた熊鹿らによって斬り刻まれた。忍びによる急襲は事なきを得た。正成は、物見櫓を駆け下りて御所に向かい、鹿姫の安否を確認した。
「私どもの手落ちです。怖い思いをさせて申し訳ありません」
正成は警備の手抜かりを鹿姫に詫びた。それに対して、鹿姫は毅然と答えた。
「わたくしは戦場にいるのです。わたくしだけ安全などとは考えていません。むしろ、提督の足でまといになって申し訳なく思っています」
その後、正成は全軍を集めて号令した。
「この要塞はもう長くはもたない。だからと言って警備に手抜かりがあってはならぬ。全てこちらの予定通りに進むように努力するのだ。それが戦略というものだ」
一月二十一日、ついに外垣が崩壊した。既に鹿人間軍は熊野に向けて退却を始めており、要塞内には僅かなしんがりだけが残っていた。しかし、正成はまだ要塞内に大軍が残っていると見せかけるため、時限式の投石器による自動攻撃をしたり、「ウオー、ウオー」という喚声を流すスピーカーを各所に配置するなど、様々な細工を施していた。
猫人間軍の黒猫提督は、正成の作戦にまんまとはまって号令をかけた。
「外垣は破壊した。しかし、鹿人間軍に逃げる気配はない。敵は、要塞を死守するつもりだ。ロケットアンカーを打ち込み、つり橋を架けろ! 全軍突撃だ! 一気に敵を踏み潰せ!」
「ズドン! ズドン!」という轟音と共に、対岸の各所からロケットアンカーが撃ち込まれ、瞬く間に、要塞の周囲に釣り橋が架けられた。
「ウニャー!」という喚声と共に、猫人間軍が要塞内になだれ込んだ。しかし、そこはもう、もぬけの殻だった。
「提督、要塞は占拠しました。しかし中は、もぬけの殻です」その報告を聞いた黒猫提督は、とっさに「しまった!」と叫んだ。次の瞬間、轟音と共に、要塞の各所で爆発が起こった。猫人間軍は、またしても正成の策略にはまり、大軍を失う結果となった。
鹿人間軍のしんがりを務めた熊鹿は、その様子を見て高々と笑った。
「ざまあみろ! バカ猫どもめ! 散策道も土砂に埋まった。しばらくは追っても来れまい。ウアハハハハハ! ウアハハハ! さあて、ものども、熊野に向かうぞ!」
第三章 旅立ち
1
猫人間軍の本陣では、黒猫提督が部下を叱り飛ばしていた。
「この馬鹿どもが! 鹿人間軍は、南に落ち延びたに違いない。追うのだ! 直ちに後を追え!」
参謀の一人が恐る恐る進言した。
「しかし、要塞の裏の散策道は、土砂に埋まっています。復旧には数日かかります」
それを聞いた黒猫提督が怒鳴った。
「追えといったら追え! たとえ崖を這い上がってでも、敵の後を追うのだ!」
「心得ました。直ちに追っ手を放ちます」
その頃、鹿人間軍は熊野古道を南下していた。熊野古道は人ひとりがやっと通れるような嶮しい山道である。先頭を鹿上に任せ、正成はしんがりについていた。まるでアリの行列のような長い行軍となった。しばらくして、しんがりに熊鹿の部隊が追いついた。熊鹿が正成に報告した。
「敵の軍勢は、吉野の要塞とともに吹っ飛びました。二~三万は吹っ飛んだと思います。散策道も土砂に埋まったので、追っ手が追いつくにはかなりの日数がかかるでしょう」
「そうか、ご苦労だった。後は、熊野に向けて急ぐのみだ。この様子では熊野まで十日はかかるな」
何日も何日もひたすら行軍が続いた。真冬の熊野古道は、鍛え抜かれた鹿人間軍の兵士たちにとってもそれはそれは嶮しい道のりだった。靴底が抜け、それを布で縛り付けて歩いている者、ほとんど裸足に近い状態で、足の裏を血まみれにする者などが行軍から遅れ始めた。予想以上に熊野への行軍は、はかどらなかった。
十津川温泉郷を抜けて、小辺路にさしかかった時、正成が立ち止まった。
「熊鹿、お前は手勢を率いてここに残れ、この狭隘な地形は天然の砦だ。ここに残って追っ手の進軍を阻め」
「心得ました」
正成が眉間にしわを寄せながら熊鹿を見つめた。
「お前、私の命令の意味がわかっているのか?」
「はい、わかります。ここを死守して、全軍が乗船するまで時を稼げとおっしゃりたいのですな」
「そうだ。それは、お前たちは一緒に乗船出来ないことを意味する」
「わかります。ここで、弁慶の立ち往生をすればよろしいのですな」
「そうだ。ただし、死ねとは言っていない。三日も稼いでくれれば十分だ。その後は、ちりぢりバラバラに逃げて、春まで熊野に篭れ、春になれば、我が軍は必ず吉野に戻る。生きて吉野で会おう」
「心得ました。ここから先は一歩も敵を通しません。春に吉野で会いましょう」
「頼んだぞ、熊鹿」
熊鹿は、自分の部下である第五騎兵隊の兵士たちを集めた。
「この狭隘な地形なら、敵の進軍を阻止するのに大軍は必要ない、わしと共に残るのは三十人で十分だ。ここで死ぬ覚悟のある者は、一歩前に出ろ!」
第五騎兵隊の全員が一歩前に出た。そこには猫人間軍の脱走兵もいた。
「私たちに残らせてください。私たちにはどうせ先の希望はありません。いずれ奴らと同じように、人間らしい心を失ってしまうのです。それくらいなら私たちは人間として死ぬほうを望みます。お願いします。これは人間として死ねる最後の機会かもしれません。提督に恩返しが出来る最後の好機かもしれません。どうか、私たちを残らせてください」
熊鹿は黙って頷き、正成も了承した。
勝利のためとはいえ、冷酷な命令だった。正成はしんがりを進みながら、自らが下した残酷な命令に涙をこぼした。
2
二日後、熊鹿が待ち受けているところへ猫人間軍の先頭集団がやってきた。熊鹿が山道に立ちふさがった。
「化け猫ども、よう来た。しかし、ここから先は一歩も通さぬぞ!」
奮い立って敵兵がレーザー機関銃を構えた瞬間、脇の茂みに潜んでいた第五騎兵隊の伏兵が猫人間軍に向けて、マタタビ砲の集中攻撃が浴びせかけた。
マタタビの匂いに酔っ払って支離滅裂になった猫人間兵を、熊鹿は自慢の大矛で次から次へとなぎ倒した。熊鹿はまるで工場の生産ラインのように、次から次へと敵を斬り続けた。
いくら敵兵を斬って捨ててもきりがなかった。あたり前である。敵兵は三百万人いるのである。
三日三晩、熊鹿はまるで機械のように敵兵を斬り続けた。
四日目の朝、敵の放ったレーザーが熊鹿の右ひざを射抜いた。熊鹿はその場にガックリと膝をつきながらも、襲い掛かる敵を斬り捨て続けた。
二発目のレーザーが今度は熊鹿の左肩を貫いた。熊鹿は悪鬼のような表情で敵兵を睨み付け、右手一本で大矛を振り回し、敵兵を斬り裂いた。
三発目が熊鹿の左ももを射抜いた。熊鹿は、バッタリと両膝をつき、鬼神のような表情で大矛を振り続けた。苦痛に顔がゆがみ、次第に動きが鈍り始めた熊鹿の全身を無数のレーザーが貫いた。
「うーむ……」そう一言うなって熊鹿はバッタリとうつぶせに倒れた。それを見た第五騎兵隊の伏兵たちは、マタタビ砲を乱射しながら敵兵に向けて突撃した。
血で血を洗う戦場となった。伏兵たちは無数の敵を倒しながらも一人一人、レーザー機関銃の餌食となり、倒れた。
熊鹿を含め、四十一人の兵士が戦死した。しかし、その周りは彼らに斬り捨てられた猫人間兵の屍の山と化していた。熊鹿は正成との約束を守って、見事に三日の時を稼いで憤死したのである。
その頃、鹿人間軍の先頭、鹿上らが熊野にたどり着いた。鹿川は見事に五万人分の船舶を用意して待っていた。船上には、投石器や猫じゃらし砲など、集められる限りの武器弾薬が満載されていた。
鹿上と鹿川は抱き合い、お互いの無事を喜んだ。続々と鹿人間軍が熊野に到着し、二日後にしんがりを務めていた正成が到着した。隊列の中間で鹿姫の護衛をしていた佐和子が正成に駆け寄り、大粒の涙をポロポロこぼした。
「提督、良くご無事で……」
正成は、佐和子の肩にそっと手をやりながら穏やかな笑みを浮かべた。
「君こそ、よく無事だった。鹿姫様にはお変わりないか?」
佐和子が涙を拭いながら答えた。
「はい、鹿姫様はお元気です」
「そうか、それはよかった」
正成は全軍を集め、号令した。
「全軍、直ちに船に分乗し、東京に向かう。敵の主力は現在、熊野古道にいる。敵の大本営、東京永田町の大猫城は、少数の近衛兵により守備されているに過ぎない。我々は、今から敵の本拠地に奇襲攻撃をかけ、敵の大本営を殲滅し、敵の総帥、化猫大帝を討ち取る。これが我が軍に与えられた最初で最後の好機だ。失敗は許されない。勝利か全滅か二者択一の時が来たのだ!」
「ウオー!」という喚声が上がった。皆、口々に叫んだ。「東京だ!」、「東京へ行くんだ!」、「敵の本拠地を壊滅するのだ!」、「化猫大帝を討ち取るのだ!」
全軍が船舶に分乗し終えたのを見届けた正成が号令した。
「全軍、東京に向けて出陣!」
約千隻の鹿人間船団がゆっくりと港を離れた。
3
船団は、一路東へ進路をとった。日が暮れ、正成は黙って真っ黒な海面を見つめていた。そばには佐和子が寄り添っていた。
「この潮の流れなら、東京までは二日で着く。君とこうしていられるのも、あと二日だけかもしれない」
「一秒にも劣る二日間もあれば、百年にも勝る二日間もありましょう。私はこの二日間、ご一緒出来て十分に幸せです。もう思い残すことはありません」
「そうか、そう言ってくれると嬉しい。しかし、敵の大本営は、少数とはいえ、鉄壁の守備がなされているに違いない。例え勝利しても、生きて帰れるものは僅かだろう。私には、私の命令一つで、この五万の将来ある勇者たちの命が失われていいものとは思えない」
「何をおっしゃいます。私たちが今まで生きてこれたのは全て提督のおかげです。提督なくして私たちに明日はありません。今、提督と共に敵の本拠地に向かっていることを兵士たちは心から誇りに思っています」
「そうか、そう言ってくれると救われる。ところで、鹿姫様のことだが……」
「鹿姫様が何か?」
「決戦の間、どこかにかくまう場所はないだろうか?」
佐和子が鋭い視線を正成に向け、正成の憂いを払拭した。
「いえ、鹿姫様も我が軍の一員です。鹿姫様は御自分だけどこかに避難せよと言われても悲しむだけでしょう。同じ女の私にはわかるのです。決戦を前に、お前だけ避難しておけなどと言われるのは屈辱です。皆、生きるも一緒、死ぬも一緒、それが鹿人間軍です」
「そうか……」正成は頭上の月を見つめた。
「この自然の営みの中では、人の一生など瞬く間です。でも、私はその瞬く間を全力で生きてきました。瞬く間の全てを提督に捧げました。二日後の決戦でどうなろうと、私はそれを誇りに思っています。私だけではありません。皆そう思っています」
それを聞いた正成は、黙ってうつむいた。正成の瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。月明かりに照らされてキラリを光った正成の涙が、佐和子には流れ星に見えた。
次の日の夜、正成と佐和子が同じように星空を眺めていると、緊迫した様子で鹿上がやってきた。
「提督、先頭の船から報告です。大船団がこちらに近づいています。ただ、船頭の報告では、どうも軍艦ではないようです」
「大船団? いったい何者だ?」
「それはわかりません」
「まあよい。今さら、どこの船団と出くわしたところで進路を変えるわけにはいかん。全軍、守備隊形を取り、このまま直進しろ!」
しばらくして、後方の船に乗っていた正成の肉眼でもその船団が捉えられるようになった。確かに軍艦ではないようだ。しかし大船団だ。よく見えないが、千隻ぐらいはあるのではないか?
船内にいた鹿上が甲板に上がってきた。
「提督、向こうの船団から入電です。こちらの船籍を尋ねています」
正成は無線機の前に立ち、謎の船団からの入電に応答した。
「こちら奈良の鹿人間軍、こちらに攻撃の意図はない。貴船団は何者だ?」
スピーカーから声が聞こえた。
「こちらは、どこの軍にも属さない民間の船団です。狂猫病の感染を恐れて海上生活をしています。船は約千隻、総勢約十万人の民間人を載せています」
「我が船団は、現在、猫人間軍の本拠地東京を攻撃するため、航路を東に向けている。速やかに航路を開けられたい」
スピーカーの向こうの男が訊いた。
「猫人間軍の本拠地を攻撃するのですか?」
「そうだ、猫人間軍の主力部隊は、奈良の吉野に足止めしてある。現在、敵の本拠地を守っているのは約十万の近衛兵だけだ。化猫大帝を討ち取るには最初で最後の好機だと考えている」
「それなら、我が船団も合流したい。女子供や老人を除いても、約五万人の兵を用意出来る。武器らしいものはほとんどないが……」
それを聞いた正成は、内心、天の助けだと思った。
「武器はこちらの船団に多少余分に積んでいる。兵員以外にも輸送や伝令など人手があると助かる。戦う意思のある者を集めてこちらの船団に合流されたい」
船団の旗艦らしき船が近づいてきた。ヒゲを長く伸ばした白髪の老人が甲板に立っていた。船団の長老らしかった。その老人が正成に話しかけた。
「猫人間軍の本拠地を攻めるそうじゃの」
「そうです」
「おそらくは生きて帰れまい」
正成は何も答えなかった。老人が話を続けた。
「戦える者は皆、合流させる。お前さんに託す。生かすも殺すもお前さん次第だ」
「私に約束できることは、彼らを犬死させないということだけです」
老人はそれを聞いて大きくうなずいた。その船はゆっくりと遠ざかって波間に消え失せた。
約五百隻の船が新たに加わった。兵力は総勢十万人になった。大猫城を守る敵の軍事力は強大だが、これで兵員の数は、ほぼ互角になった。正成は思った。
(これで勝負になる。後は、勝利の女神がどちらに微笑むかだ)
4
東京湾に着いた鹿人間軍の船団は、ひっそりと築地に停船し、全軍が上陸した。敵の首都、東京はほとんど無警戒だった。当然である。三百万の大軍に包囲されているはずの鹿人間軍が東京の大本営を急襲するなどとは、想像もつかないことである。正成は、鹿上、鹿田、鹿川、鹿光そして佐和子の五名を呼んで命じた。
「鹿上、お前には機甲師団を託す。投石器を用いて敵の城門を破壊するのだ。鹿田、お前には第一師団を任す。機甲師団の前衛を務め、城壁を攻撃しながら投石器を守るのだ。鹿川、お前には第二師団を託す。大猫城の両翼に展開して、城を包囲し、城内に猫じゃらし砲とマタタビ砲を撃ち込んで敵をかく乱するのだ。我々の第一目標は、敵の大猫城の城門を破壊し、内部に突入することだ。鹿光、お前には第三騎兵隊を託す。命に代えても鹿姫をお守りするのだ。そして美鹿野、お前と近衛中隊は私に続け、城門が開いたら、わき目を振らず真っ直ぐに敵の大本営に突入する。途中の敵兵は相手にするな。ただひたすら真っ直ぐに大本営を目指し、敵の総帥、化猫大帝を討ち取るのだ。化猫さえ倒せば、敵の残党は、指揮系統を失って、烏合の衆と化すだろう。佐和子、お前の近衛中隊は、私と敵の心臓部に飛び込むことになる。まず、生きては帰れぬだろう。覚悟はいいか?」
佐和子は鋭い視線で正成を見上げた。
「もとより」
「敵の関東軍二十万が千葉にいるはずです。挟み撃ちにされるのでは?」
鹿上の懸念を正成が払拭した。
「その心配はない。我々の動きに呼応して、日光の猿人間と豚人間の連合軍が敵の関東軍に突撃する。関東軍は、しばらく足止めを食うだろう」
鹿上が続けて訊いた。
「敵の中部軍は?」
「それも大丈夫だ。我々の攻撃と同時に信濃のカモシカ人間軍が迎え撃つ。大井川を渡る橋を全て爆破すれば、当分、中部軍は足止めを食うはずだ」
「わかりました。後方の憂いはないということですね。さすがは提督」
「最後に言う。皆、心して聞け。この戦に退却はない。退却しても我が軍が逃げ帰るところはない。勝利か、全滅か、二つに一つだ。どんな苦境に陥っても、決して退いてはならぬ。我が軍に逃げ場はない。前進あるのみだ。わかったな」
「はい!」全員が口を揃えて答えた。
出陣前に正成は、海上で合流した船団の民兵たちを閲兵した。その中には、まだ十二~十三歳ぐらいの少年たちがいた。
「君たちはまだ子供だ。戦争はまだ無理だ。このまま船に残って待て」
彼らのリーダーらしき少年が答えた。
「僕たちは、猫人間軍によって滅ぼされた海王軍の末裔です。僕は、海王の息子、海仁(うみひと)です。僕たちも戦闘に参加させてください」
正成は、少年たちの指の付け根に水かきがあるのを見た。間違いなく海上生活をしていた海王軍の末裔だ。正成が驚いてその少年に問いかけた。
「君があの海王の息子、海仁王子か?」
「はい、そうです」
「海王軍は、強力な水軍を持っていたはずだ。海上戦の苦手な猫人間軍などに何故滅ぼされたのだ?」
「猫人間軍と海王軍との間には、和平協定が締結されていました。海王軍が、猫人間軍に海産物を提供する代わりに、海王軍が陸上で物資を調達することを許すという協定です。でも、海王軍が港に停泊して物資の積み込み作業をしていた時、猫人間軍は、一方的に協定を破り、海王軍の艦船に攻撃を仕掛けてきたんです。海上での戦いなら海王軍は無敵ですが、停泊中に不意を突かれた我が軍は、なす術なく、猫人間軍に殲滅されました。僕とここにいる仲間は、救命ボートで海を漂流しているところを市民船団に助けられたんです」
それを聞いた正成が悔しそうにつぶやいた。
「卑劣な猫人間軍め…… 海仁王子、君の父君の仇は、きっとこの正成が取ってみせる。戦いに加わりたいという君たちの気持ちはわかるが、今日の戦いは陸戦だ。それに君たちはまだ若すぎる。ここで待っているんだ」
「わかりました。僕らには僕らの戦術があります。連れて行ってもらえないのなら別働隊として行動します。きっとお役に立つでしょう」
「君たちが別働隊として行動することは自由だ。だが、命を粗末にするなよ」
「わかりました」
第四章 決戦
1
東の空が白み始める頃、鹿人間軍は進撃を開始した。寒風吹きすさぶ寒い朝だった。おそらく最低気温は氷点下に転じていただろう。号令なき静かな出撃は、ただならぬ悲壮感を全軍に感じさせた。
築地から永田町に向かう途中の進軍は、静かすぎるほど静かだった。猫人間軍は、まさか首都、東京が急襲されるなど夢にも考えていなかったし、何せ、寒さには弱い猫人間軍のことである。城の周りの警備兵も極めてずさんな警備体制しか布いていなかった。ほとんどの警備兵は、詰所のコタツに入り、マージャンに興じていて、たまに物見櫓に立ち、ざっと周りを見渡す程度だった。
夕刻、鹿人間軍は、何ら攻撃を受けることなく、敵の本拠地、永田町の大猫城にたどり着いた。さすがに正成らの姿に気づいた猫人間軍の警備兵が上官に報告した。
「隊長、なにか軍隊のようなものが城に近づいてまいります。遠くで良く見えませんが、かなりの大軍です」
警備兵の隊長は、「面倒だなー、このくそ寒いのに……」と愚痴をこぼしながら物見櫓に登った。もう、日が傾く時間だったので、西日がまぶしくて鹿人間軍の姿はシルエットしか見えなかった。
「おそらく日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋してきたのだろう。一応、上に報告は上げておけ」
部下にそう命じた警備兵の隊長は再び詰所に戻り、コタツに潜り込んだ。
「大帝、日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋した模様です」
参謀から報告を受けた化猫大帝は、首をかしげた。
「妙だな、偵察隊からは、かなり苦戦していると聞いていたが……。関東軍の司令官を呼んでこい!」
城門の横の小さなくぐり戸が開き、猫人間軍の使者が近づいてきた。
正成はアントラーアーチェリーをキリキリと引き絞り、使者めがけてアントラーアローを発射した。
「ニヤ~!」という悲鳴と共に、使者はその場にバッタリと倒れた。使者が撃たれるのを目の前で見た警備兵は血相を変えて、隊長に報告した。
「使者が撃たれました。あれは関東軍などではありません。敵軍です!」
それを聞いた警備隊長は、ぶったまげてコタツを飛び出し、正成の軍勢を確認した。
「間違いない、敵軍だ! それも大軍だ!」
警備隊長は、すぐその報告を城の守備隊長に送った。守備隊長からの報告を受けた副官の三毛猫参謀総長は仰天して、化猫大帝に報告した。化猫は怒りを露にし、三毛猫に怒鳴った。
「何? 敵の大軍だと、どこの軍勢だ!」
三毛猫は恐る恐る答えた。
「それはまだわかりません」
「貴様ら、城の目の前まで迫っている大軍がどこの兵かもわからないのか?」
「すぐに調べてまいります」
三毛猫は大本営を飛び出した。守備隊長からの報告があった。敵軍は間違いなく、鹿人間軍だとのことだった。
三毛猫がいぶかしげに言った。
「鹿人間軍? 鹿人間軍は我が軍の主力部隊三百万に包囲されて、吉野に篭城しているはずではないか?」
守備隊の使いが答えた。
「はい、そのはずです」
「まあいい、どこの軍勢だろうとたいした戦力はないはずだ。ウルトラ猫ニャン砲の発射準備にかかれ。その敵軍を殲滅するのだ!」
「心得ました」そう言って三毛猫は大本営を出た。
大本営を出た三毛猫は近衛師団の司令官である銅鑼猫(どらねこ)中将に命じた。
「ウルトラ猫ニャン砲発射準備、敵を殲滅せよ!」
2
鹿人間軍の目の前に、敵の本拠地、大猫城が姿を現した。四方を高さ二十メートルの超合金の壁に囲まれた、それはそれは堅固な城だった。城の内部は、城壁の死角になり見えなかったが、城の中央部には、豪華な天守閣のような背の高い建物があった。おそらくあれが化猫大帝の居所だ。
鹿人間軍は、先頭に投石器を並べ、城門への攻撃を開始した。
「ゴーン!」という大きな音がした。投石器から発射された巨岩には爆薬が仕掛けられていた。如何に強固な城門でも、爆薬を備えた巨岩で攻撃すれば、破壊出来るだろう。誰もがそう考えていた。
「ゴーン!」、「ゴーン!」という轟音が城内に鳴り響いた。
城壁の各所には、通常のレーザー機関銃よりも強力なレーザー砲が装備されており、城の守備隊は、それを使って反撃してきたが、射程距離の短いレーザー砲では、超合金で表面を覆われた鹿人間軍の投石器を破壊することは出来なかった。
鹿田率いる第一師団は、投石器の前にたちふさがり、兵に長いはしごを持たせて、城壁の突破を試みた。鹿田の号令を皮切りに、鹿人間軍の第一師団が城壁に向けて突撃した。レーザー砲の一斉掃射を浴びて、鹿田の兵はバタバタと倒れた。それでも鹿田は撤退しようとはせず、ひたすら城壁に向けて突撃を続けた。鹿田のまわりの兵士たちがバタバタと倒れた。兵士たちは動揺して突撃を躊躇した。
鹿田が再び号令した。
「何を躊躇している! 突撃せよと命じたはずだ! 全軍突撃! 敵の城壁を突破せよ!」
「ウワー!」という喚声と共に鹿田の兵が突撃を再開した。レーザー砲の一斉掃射で、兵士たちがバタバタと倒れた。それでも鹿田の兵は突撃を続けた。城門の近くまで来ると、鹿田が号令した。
「マタタビ砲を発射せよ! 猫じゃらし砲も発射せよ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
城内で、マタタビ砲や猫じゃらし砲が炸裂した。猫人間軍は戦意を喪失し、猫じゃらしに興じ始めた。しかし、レーザー砲の周りは、堅固な防弾ガラスによってシールドされていた。レーザー砲による攻撃は激しさを増した。城壁の周りには、鹿人間軍の屍の山が築かれた。
その間も投石器による城門への攻撃は続けられていた。しかしながら、城門は堅固で、投石器による攻撃ではビクともしなかった。
鹿田の軍勢は、城内にロケットアンカーを打ち込み、城壁をよじ登ろうとしたが、やはり、レーザー砲による攻撃で、犠牲者を増すばかりの結果となった。
そうこうするうちに、猫人間軍の最終兵器『ウルトラ猫ニャン砲』の発射準備が整った。
「ドカン!」という轟音と共にウルトラ猫ニャン砲が発射されると、鹿人間軍はまるで紙切れのように飛び散った。ウルトラ猫ニャン砲の破壊力は、通常の猫ニャン砲の十倍はありそうだった。ウルトラ猫ニャン砲が着弾するたびに、その周りにはまるで、地震のような地響きとともに爆風が広がった。ウルトラ猫ニャン砲が次々と着弾し、そのたびに、味方の兵士たちがバタバタと倒れた。恐るべき最終兵器だった。
鹿上は、必死の形相で投石器による攻撃を続けたが、城門は相変わらずビクともしなかった。見る見る間に、城の回りは鹿人間軍の屍で埋めつくされた。ウルトラ猫ニャン砲の砲口は投石器にも向けられた。ウルトラ猫ニャン砲の砲撃で、大多数の投石器は破壊され、発射不能となった。
一方、城壁を包囲してマタタビ砲と猫じゃらし砲を城内に撃ち込んでいた鹿川の軍勢は、一定の成果を挙げていた。敵守備隊の指揮系統は乱れ、城内の兵士たちは猫じゃらしで遊んでいた。それでも、敵のレーザー砲による死傷者の数は、時間を追って増すばかりだった。
『全滅』という言葉が正成の脳裏をよぎった。しかし、退却という選択肢はない。敵の本拠地を落とさない限り、鹿人間軍に逃げ場はないのである。
その時、敵のレーザー砲の一基が故障したのか、一箇所からレーザー砲の掃射が止まった。それに気づいた鹿田はそこに攻撃を集中させた。内部に向けてマタタビ砲と猫じゃらし砲を十分に撃ち込んだ後、城門にハシゴをかけ、兵士たちは城内に侵入しようとした。しかし、城門の上からの攻撃により、なかなか内部には侵入出来なかった。四時間に亘る攻撃で、鹿人間軍は兵力の約半分を失った。
数十名の兵士が城への侵入に成功したが、内部の守備隊による集中攻撃を受け、無残な最期を遂げた。
鹿田の突撃隊は、既に兵力の大半を失っていたが、それでも攻撃をやめようとはしなかった。その時、一発のレーザー砲が鹿田の太ももを貫いた。鹿田は四つんばいになり、それでもロケットアンカーの先のワイヤーをよじ登って、城内に侵入しようとした。次のレーザー砲が鹿田の胸を射抜いた。
鹿田は吐血し、それでもワイヤーに手をかけたまま、壮絶な憤死を遂げた。大将の死にも怯むことなく鹿田の兵は城攻めを続けた。しかし、残された兵力は僅かだった。城門の周りには、累々たる鹿人間軍の屍が積み重なった。
「もはやこれまでか……」正成がそう思ったとき、使者から一報が届いた。信濃のカモシカ人間軍の援軍が到着したというのだ。兵力は約二万、鹿人間軍とは逆の、城の北側の城壁を攻撃しているという。既に損じた兵力の約半分が再び補充されたことは大きい。しかし、城門を突破出来ない限り結果は同じだ。苦悩する正成の横顔を心配そうに佐和子が見つめていた。その時だった。
護衛の鹿光とともに鹿姫が正成の所に歩み寄ってきた。鹿姫は胸に勾玉を抱きしめていた。
「わたくしを投石器に乗せて城門に向けて発射してください!」
「何をおっしゃるのです! 心配は無用です! 姫は後方でお待ち下さい!」
「このままでは味方は全滅します! あの城門を突破出来ない限り、我が軍に勝利はありません!」
「それはそのとおりです! しかし、鹿姫を城門に向けて発射して、それでいったいどうなると言うのですか?」
「提督、提督は、わたくしがこの勾玉に念じれば何が起こるかご存知ですね!」
「存じています。しかし、それは出来ません!」
「提督、お願いします! わたくしにはもう、これ以上味方の兵士たちが倒れていくさまを見ることは出来ません! どうか、わたくしを投石器に乗せて、城門に向けて発射してください!」
「出来ません! 断じてそれだけは出来ません!」
鹿姫が瞳を潤ませながら言った。
「提督、提督はわたくしが死にに行くと思ってらっしゃるのですね。そうではありません。
わたくしの肉体は消滅するかもしれません。でも、そうすることで、わたくしの魂は永遠にあなたがた鹿人間軍の中で生き続けるのです。人の一生などというものは悠久の自然の営みに比べれば、ほんの一瞬のことです。でも、その一瞬にも価値ある一瞬と、無意味な一瞬があるのです。わたくしは、価値ある一瞬を生きたいのです。提督、勝ちなさい。絶対に勝つのです。この一戦は、人類の将来のために絶対に負けられない戦いなのです。その戦いでわたくしはお役に立ちたいのです。わたくしは、あなた方の女神となって永遠にあなたがたを見つめ続けるでしょう。そして、あなたがたの幸福のために祈り続けるでしょう。わたくしは死にません。たとえ肉体が滅んでも、わたくしは死にません。提督、どうかわたくしを投石器に乗せてください」
正成は、鹿姫の言葉を聞いて嗚咽しながら部下に命じた。
「鹿姫様を投石器にお乗せしろ! それから、全軍とカモシカ人間軍に伝えよ! 今から城門を破壊する。城門が落ちたら、全軍、城内に突入しろ。雑魚にはかまうな! 我々の目標はただ一つ、敵の総帥である化猫大帝を討ち取ることだ。繰り返し言う。この作戦の目的は敵の殲滅ではない。一直線に敵の大本営に斬り込み、化猫大帝を討ち取るのだ! よいな!」
全軍に通達がいきわたったことを確認した正成は、投石器に乗って静かに待っていた鹿姫に言った。涙で鹿姫の顔が見えなかった。
「発射します」
鹿姫は、目をつむって念じていた。
「オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ……」
正成が号令をかけた。
「第18号投石器発射用意! 目標! 敵正面城門! 秒読み開始! 発射10秒前! 9! 8! 7! 6! 5! 4! 3! 2! 1! 発射!」
「ガーン!」という投石器の発射音が響いた。勾玉を胸に抱いたまま、鹿姫が宙を舞った。城門に落下する瞬間、鹿姫は両目を見開き、唱えた。
「オンサンマヤサトバン!」
次の瞬間、目がくらむような青白い閃光が走った。鹿姫が勾玉を自爆させたのだ。
敵味方双方とも一瞬、目を伏せた。
閃光の後を追うように、「ドスン!」という地鳴りのような大きな音が響いた。城門が倒れたのだ。
3
それを見た正成が号令をかけた。
「全軍、城門に向けて突撃! 城内に侵入し、大本営に斬り込むのだ!」
「ウオー!」という喚声とともに全軍が城内に突入した。城内で、血で血を洗うような白兵戦が始まった。
正成、佐和子、それに佐和子率いる近衛兵三百名が鹿ロボットに跨った。
先頭に立った正成が号令した。
「我々の目標はただ一つ、化猫大帝を討ち取ることだ。雑魚の相手はするな、一直線に敵大本営に向かえ、行くぞ!」
「ウオー!」という喚声と共に、鹿ロボットに跨った三百名の軍勢が突撃を開始した。「ドドドドドド」という鹿ロボットの足音が響いた。それはまさに生還の希望なき特攻隊だった。
正成率いる特攻隊は、城内の乱戦には脇目もふらず、大本営に上る石段を駆け上がった。石段を登りきって、さらに進むと、おそらくこれが大本営の入り口と思われる小さく堅固な門があった。門は百人ほどの衛兵で守られていた。特攻隊が衛兵に向かって突撃した。衛兵は、レーザー機関銃を乱射してきた。特攻隊の兵士たちはバタバタと討ち取られ、鹿ロボットから転がり落ちた。
レーザー機関銃をかいくぐった特攻兵たちが今にも衛兵に飛びかかろうとした時、「ガーン!」という大きな音と共に、特攻兵が次々と鹿ロボットもろとも、何かに跳ね返されて転倒した。
正成は目の前に薄い半透明のスクリーンがあるのを見て叫んだ。
「防御シールドだ! このままでは前に進めない!」
佐和子が叫んだ。
「何とか防御シールドを破らないと!」
「防御シールドは、我々の武器では破れない。防御シールドのコントロール機構を破壊する必要がある。しかし、コントロール機構はおそらく大本営の内部にあるだろう。何とかして大本営に侵入しない限り、防御シールドは破壊出来ない!」
その間にも、衛兵からのレーザー機関銃の攻撃は続いた。味方は、物陰に身を潜めたまま、身動き出来ずにいた。
佐和子が正成に視線を向けた。瞳が涙に潤んでいた。
「ここまでで終わりなのですか? 大本営は目の前なのに……」
その頃、鹿人間軍とは行動を別にしていた海王軍の少年たちは、地下の下水道を泳いで、大本営に侵入していた。大本営の窓から、防御シールドに行く手を阻まれている正成たちの姿を見た海仁王子は、仲間に向けて言った。
「この建物のどこかに防御シールドのコントロール室があるはずだ。それを探してシールドの電源を切るんだ!」
少年たちは、手分けして大本営内部を探索した。少年たちは次々に大本営内の衛兵に見つかって射殺された。海仁王子は、天井裏に潜り込み、その中を這い回って、電気系統の配線を探った。そして心の中で叫んだ。
(最上階だ! 主要な信号ケーブルは全て最上階の鐘楼に繋がっている。最上階が防御シールドのコントロール室だ!)
海仁王子は、天井裏のダクトを通って、エレベーターシャフトに出た。そして、シャフト内の配管をよじ登って、最上階の鐘楼の天井裏に侵入した。海仁王子は、天井裏の点検口をそっと開いて、部屋の中を見た。そこは間違いなく、防御シールドのコントロール室だった。部屋の中には四人の兵士がいた。奴らを倒さなければ防御シールドのスイッチは切れないのか? 海仁王子は考えた。そして、意を決して腰の短剣を抜いた。
(奴らを倒せなくてもスイッチは切れる)
海仁王子は、防御シールドの制御盤の位置を確認し、天井裏を這って、その真上に移動した。
(いくぞ! いち、にの、さん!)
海仁王子は、勢いよく天井板を蹴破り、真下に飛び降りた。兵士たちが驚いて、彼を見た瞬間、海仁王子は、防御シールドのスイッチを切ると同時に、制御盤に繋がっている太い信号ケーブルに短剣を突き立てた。
衛兵たちが腰のレーザー拳銃を抜いて、海仁王子めがけて発射した。海仁王子は、体中にレーザー銃を受けながら、薄れゆく意識の中で窓の下を見た。防御シールドが消えていた。
「やったぞ……」
それが海仁王子の最後の言葉になった。
最上階の鐘楼で閃光が走り、それと同時に防御シールドが消えたのを見た正成は、直感的に叫んだ。
「防御シールドが消えたぞ! 誰かがコントロール機構を破壊したんだ! 今だ! 突っ込め!」
特攻隊は防御シールドよる防衛線を突破し、なりふりかまわず、城門の衛兵に襲いかかった。白兵戦になれば、アントラーサーベルを持つ鹿人間軍の方が有利だった。衛兵を全て倒し、門を開けようとした時、一発の流れ弾が正成の肩を貫いた。
正成は、バッタリと鹿ロボットから転がり落ちた。佐和子が血相を変えて正成に駆け寄り、正成を抱き起こした。
正成は苦痛に顔をゆがめながらも厳しい口調で言った。
「行け! 私のことはいい、行くのだ! 君だけでも行って化猫大帝を倒すのだ!」
「いやです!」
「命令だ! 行け! 行って化猫を倒せ!」
「いやです!」
「今、行かなければ我が軍に勝利はない! 今までの苦労が全て水の泡になるのだぞ!」
「提督のいない勝利など、私には何の意味もありません。約束をお忘れですか? 春に二人で吉野の桜を見ると約束したことを、二人で生きて桜を見ようと約束したことを…… 約束を守れない提督の命令に従う義務はありません。私もここに残ります」
正成が苦痛に顔をゆがめながらも体を起こした。
「わかった。私を鹿ロボットに乗せろ。一緒に行こう。一緒に行って二人で化猫大帝を討ち取ろう」
「わかりました。その前に止血をしないと…… 傷口を拝見します」
佐和子は自分の衣を引き裂き、それで正成の肩を強く縛った。佐和子に支えられながらかろうじて鹿ロボットに跨った正成が、声を絞り出した。
「さあ、行くぞ!」
今度は、正成に代わり佐和子が先頭に立ち、約二百名の特攻隊が大本営の長い廊下を駆け抜けた。豪華な石張りの壁に赤いじゅうたんが敷かれた煌びやかな廊下だった。途中、要所要所に敵の衛兵が伏せていてレーザー機関銃による攻撃を仕掛けてきた。レーザー機関銃を受けた兵がバタバタと鹿ロボットから転がり落ちた。兵力は百名にまで減った。大本営を抜けるとさらに中庭があり、その向こうにひときわ豪華な御殿があった。正成が言った。
「あれが化猫大帝の御所に違いない」
御所の前にも百人ほどの衛兵がおり、レーザー機関銃を構えていた。
佐和子が号令した。
「全軍、突撃!」
「ウオー!」という喚声とともに、百名の特攻隊が衛兵に襲いかかった。レーザー機関銃の掃射で、仲間の兵士がバタバタと倒れた。それでも、特攻隊は突撃を続け、アントラーサーベルで衛兵に襲いかかった。佐和子は、鮮やかな剣さばきでバッタバッタと敵の衛兵を斬り捨てた。敵の衛兵は全滅した。
佐和子が御所の扉を開けた。中央に噴水のある豪華な御所はもぬけの殻だった。正成が周りを見回した。
「吹き抜け階段の奥に両開きの豪華な扉がある。あの中が化猫大帝の居所だ」
生き残った八人の特攻隊が階段を駆け上がり、扉を開いた。
4
部屋の奥に一人の男が座っていた。その男が不敵な笑いを浮かべた。
「鹿人間の坊やたち、よく来たね。しかし、一人も生かしては帰さぬ」
奥の扉から三十人ほどの敵兵が飛び出してきた。敵兵は、恐ろしく敏捷な動きで正成らに襲いかかった。敵兵の動きはとても人間とは思えないほど敏捷で力強かった。佐和子が軽やかな身のこなしで敵の攻撃をかわし、アントラーサーベルを一閃した。佐和子のサーベルで、まともに腹を突き抜かれた敵兵は、何と表情一つ変えずに攻撃を続けてきた。
それを見た正成が叫んだ。
「こいつらは人間じゃない! アンドロイドだ! 闇雲に切ってもダメだ。どこかに急所があるはずだ。急所を探せ!」
八人の鹿人間兵と敵アンドロイドの間で、壮絶な戦いが繰り広げられた。敵サーベルの攻撃を味方のサーベルが受け止め、火花が散った。一人の兵士が敵アンドロイドと刺し違えた。刺し違える瞬間に兵士はアンドロイドの首を斬り落とした。首を失ったアンドロイドは、コントロール回路を切断され、まるで壊れた機械のように痙攣して倒れた。それを見た正成が叫んだ。
「首だ! 敵の弱点は首だ! 頭のコントロール回路と体の筋肉は、首の信号ケーブルでつながれている。敵の首を狙え!」
それを聞いた兵士たちは、敵アンドロイドの首を狙って襲いかかった。しかし、敵のアンドロイドは強かった。味方兵士はバタバタと討ち取られ、正成と佐和子の二人だけが生き残った。佐和子は、華麗な剣さばきで次々に敵アンドロイドの首を斬り落とし、正成も最後のアンドロイドを倒した。正成と佐和子はサーベルを手にゆっくりと化猫大帝に近づいた。化猫大帝は立ち上がり、真っ赤に光り輝く猫ニャンサーベルを抜いた。
「鹿人間の坊やとお嬢ちゃん。なかなかチャンバラごっこがお上手だね。だが、お遊びはこれで終わりだ。二人仲良くあの世にゆくがよい」
正成と佐和子は一瞬、互いに視線を向け、呼吸を合わせて二人同時に飛びかかった。
「ダーッ!」全身全霊を込めた二人のサーベルが化猫大帝に襲いかかった。
「ウァハハハハッ」化猫大帝は二人の攻撃を軽くかわしながら高らかに笑った。
「二人ともガンバレ、ガンバレ、ファハハハハ」
「天誅!」佐和子が叫びながら斬りつけた。「カチン!」佐和子の剣は軽くはたかれた。
「おのれ!」今度は正成が剣を突きつけた。化猫大帝は、それを軽くかわしながら、ヒョイとジャンプし、高さ三メートルはある回廊に飛び乗った。正成と佐和子が階段を駆け上がって化猫大帝を追った。二人が回廊に上がると、化猫は回廊からヒョイと飛び降りた。
「どうした、どうした、鬼さんはこっちだよ」
正成と佐和子も回廊を飛び降り、二人同時に化猫大帝に飛びかかった。
「グサッ」という鈍い音がして、佐和子の足元に鮮血が飛び散った。「ウッ」という声を漏らして佐和子がその場に倒れた。正成が叫んだ。
「佐和子!」
正成が必死の形相で佐和子に駆け寄り、傷口を見た。佐和子は腰を切られていた。
「佐和子! しっかりしろ! 傷は大丈夫だ! 傷は大丈夫だ! 佐和子! 佐和子!」正成は、声を震わせて叫び続けながら、ハチマキで佐和子の傷口を縛った。佐和子が瞳を潤ませながらか細い声で言った。
「正成さま、あなたと二人で桜を見たかった。約束を守れなくて、ごめんなさい」
その言葉を最後に佐和子はガックリと力尽きた。正成が叫んだ。
「佐和子! 佐和子!」
正成は、こぼれる涙を拭おうともせず、振り返って化猫大帝をにらみつけた。
「おのれ! この化け猫!」
鬼神と化した正成の猛烈な攻撃を化猫はかわし続けたが、さすがに少し恐れをなしたか、化猫は大きく後ろに跳びよけた。そして、真っ赤に輝く猫ニャンサーベルを頭上に振りかぶり、低い声で唱えた。
「ダンワラ、ワバイニ、この世に巣くう魔物ども、我に力を与えよ! ヌオー!」
猫ニャンサーベルの先端に閃光が走り、真っ赤な雷撃が正成に向けて放たれた。正成は、アントラーサーベルで雷撃を防いだが、その反動で、壁際まで弾き飛ばされた。
バッタリと倒れ込んだ正成に化猫大帝が飛びかかり、馬乗りになって、サーベルを振りかざした。化猫大帝が低い声で叫んだ。
「これで、終わりだ!」
「ガチン!」化猫の一撃を正成はアントラーサーベルで受け止めた。両手で必死にサーベルを支え、化猫のサーベルを防ごうとする正成だったが、肩に受けたレーザー機関銃の傷のために、左腕に力が入らなかった。化猫のサーベルがじわじわと正成の喉に近づき、とうとう、その刃先が正成の喉に触れた。正成の心に、撤退の時間を稼ぐために憤死した熊鹿、体中にレーザー砲を浴びながらも城壁をよじ登ろうとして死んでいった鹿田、そして、城門を破るために自爆覚悟で投石器に身を託した鹿姫の姿が走馬灯のように思い出された。その時だった。
「ヌオー!」という叫び声とともに、化猫大帝の攻撃が緩んだ。床をはいずりながら近づいてきた佐和子のサーベルが、化猫大帝の太ももに突き立てられていた。佐和子は、鬼のような形相で、そのサーベルをさらに深く突き刺した。
「ハッ」一瞬の隙をついて、正成は身をかわし、立ち上がって、化猫大帝の背中を踏みつけた。正成はサーベルを両手に握り、全身全霊の力を込めて、それを化猫大帝の背中に突き立てた。
「ウニヤ~!」という化猫大帝のうめき声がした。正成は、化猫大帝の背中に突き立てたサーベルをグリグリと回しながら言った。
「これは、熊鹿の分!」
そして、一旦、サーベルを抜き、今度は、それを化猫のわき腹に突き立てた。そして、それをグリグリ回しながら言った。
「これは、鹿田の分!」
そして、もう一度サーベルを抜き、乾坤一擲の力を込めて、それを化猫の心臓に突き立てた。
「グハッ」と口から鮮血を吐き、化猫大帝は絶命した。正成は、既に息絶えている化猫の心臓に突き立てられたサーベルをグリグリ回しながら、叫んだ。
「これは、これは、鹿姫の分だ!」
正成は、化猫大帝の屍の横にバッタリと倒れ込んだ。その正成に、佐和子がにじり寄り、正成のほほをなでながら言った。
「帰りましょう、二人で吉野の桜を見るのです……」
5
静まりかえった室内にドタドタと靴音が響いた。血相を変えて鹿川らの部隊が飛び込んできた。
「提督! 近衛隊長!」そう叫びながら、鹿川が気を失って倒れている正成と佐和子のところに駆け寄った。鹿川は二人の胸に耳をあてて、叫んだ。
「二人とも生きてるぞ! 医療班は、生きてるのか?」
そばにいた若い兵士が答えた。
「鹿光様の部隊の医療班は、健在のはずです。今、城外で、負傷者の手当てにあたっているはずです」
鹿川が叫んだ。
「すぐに連れて来い!」
「はい、わかりました!」その若い兵士は、そう答えて駆け出して行った。
鹿川が大粒の涙をポタポタ落としながら、すがるように叫んだ。
「提督、近衛隊長、お願いです。死なないで下さい。お二人に逝かれたら、いったい何のための勝利なのですか?」
「うーん」という正成のうめき声がした。鹿川が叫んだ。
「提督、提督、聞こえますか? 鹿川です。お願いします。お気を確かに、我が軍の勝利です。我々は勝ったのです。わかりますか?」
うっすらと見開いた正成の目に、ぼんやりと鹿川の顔が映った。正成がかすかな声で訊いた。
「鹿川か? 勝ったのか?」
鹿川が嗚咽して、声を震わせながら答えた。
「勝ちました。我が軍の勝利です」
「そうか……」朦朧としていた正成がハッと目を見開いた。そして訊いた。
「佐和子は? 佐和子は? 佐和子!」
苦痛に顔をゆがめながら正成が顔を横に向けると、目の前に佐和子が倒れていた。
「佐和子! 佐和子!」
「近衛隊長もご存命です。ご安心下さい。もうすぐ医療班が来ます。大丈夫です」
正成は、震える手を伸ばして、佐和子のほほを撫でた。そして呼び続けた。
「佐和子、佐和子……」
医療班が血相を変えて飛び込んできた。医療班が叫んだ。
「提督!」
「私は大丈夫だ。佐和子を頼む」
医療班が佐和子に駆け寄り、傷口を覗き込んだ。
「大丈夫です。酷い出血ですが、傷は内臓には達していません。輸血すれば助かります。近衛隊長はA型でしたね」
医療班は、佐和子の首にかけられていた身分証の血液型を確認し、後ろを振り返って叫んだ。
「A型の者は前に出ろ! 輸血を開始する」
五~六人の兵士が前に進み出た。輸血が開始された。
医療班は、佐和子の胸に聴診器を当て、脈を計り続けた。一同が固唾を呑んでその様子を見守っていた。長い長い時間だった。正成は朦朧とする意識の中でその様子を見守り続けた。正成も輸血を受けていた。正成の出血も酷かった。
佐和子を診続けていた医療班がホッとしたように肩の力を抜いて言った。
「どうやら、安定したようです。あとは意識が戻るのをお待ちするだけです」
「そうか…… ありがとう」正成がそう言って再び意識を失った。
医療班が立ち上がり、鹿川に言った。
「お二人とも、もう大丈夫です。でも、動かすのは良くありません。意識が戻るまでここでお待ちしましょう」
鹿川は黙ってうなずいた。攻撃開始からまる一日が経過していた。
鹿川が思い出したように言った。
「お前! 全軍に伝えるのだ! 化猫大帝は討ち取った。提督も近衛隊長もご無事だと!」
「わかりました!」命令を受けた兵士がそう答え、勇躍して駆け出して行った。
6
数時間後、佐和子の意識が戻った。佐和子がうっすらと目を見開き、横を向くと、隣のベッドに寝かされている正成が穏やかに微笑んだ。
佐和子がか細い声で訊いた。
「私たち、助かったのですか?」
「そうだ、傷は痛むか?」
「いいえ、ちっとも……」
「我が軍の勝利だ。我々は勝ったのだ」
それを聞いた佐和子の瞳からとめどなく涙が溢れた。
ずっと二人を見守っていた鹿川が二人の会話を聞いて声を上げて泣いた。
正成が鹿川に言った。
「鹿川、全軍の兵士に伝えてくれ」
「はい、何と?」
「皆、ご苦労だった。ありがとう……」
「心得ました」
鹿川は、医療班に後を頼み、部屋を出て行った。
城門の物見台に上った鹿川は、思わず目を伏せた。見渡す限り、屍の海が広がっていた。半数近くは、味方の屍だった。意を決して鹿川は顔を上げ、号令した。
「全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える」
その声を聞いた全軍が静まりかえった。
「もう一度言う、全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える。提督のお言葉は、次のとおりだ!」
少し間を置いて、鹿川が大声で言った。
「提督のお言葉はこうだ! 『皆、ご苦労だった。ありがとう』」
それを聞いた全軍が怒涛のような喚声を上げ、抱き合って勝利を喜んだ。狂ったように踊り狂う者、大声で泣き声をあげる者、黙ってうつむきすすり泣く者、喜びの表現は様々だった。
「勝ったんだ!」、「俺たちは勝ったんだ!」
喜びの喚声はいつまでもやむことがなかった。
第五章 掃討作戦
1
その夜、正成は鹿上を呼んだ。
「皆に伝えよ、勝利の美酒に酔うのは今夜で終わりだ。明日の朝からは、城の補修を急げ、武器の整備も怠るな。ウルトラ猫ニャン砲やレーザー機関銃など、敵の武器でも使えるものは使う。忘れるな、本拠地を滅ぼし、化猫大帝を討ち取ったとは言っても、日本全国には、まだ三百万以上の猫人間軍の残党がいる。もちろん、指揮系統を失った烏合の衆だ。以前ほどの力はないだろうが、他の指導者が現れれば、息を吹き返す可能性は十分にある。幸い、この大猫城は、攻めるにも守るにも最高の城だ。今後当面は、この城の名前を『大鹿城』と改名する。我が軍の本拠地とするのだ。そのために城の補修を急げ」
「心得ました」鹿上はそう答えて医療室を出て行った。
隣のベッドから佐和子が声をかけた。
「あと二ヶ月で、吉野に戻れなければ、二人で桜を見る夢は叶いませんね」
正成が穏やかに微笑んだ。
「今年の桜にこだわる必要はない。私たち二人は、これから毎年二人で同じ桜を見るのだから……」
佐和子にはその言葉の意味がわかった。
「嬉しい……」
佐和子は、涙を流してすすり泣いた。そして、突然、「ワッ」と少女のように泣きじゃくった。
医療室には、他にも大勢の負傷者が収容されていた。重篤なけが人も多くいた。でもその夜だけは、佐和子の瞳に他のけが人は映らなかった。
翌朝、『大鹿城』の前の広場では、戦没者を弔う大祭典が催された。
正成は、敵味方の区別なく、戦没者を弔うように命じていた。
城壁の物見台に車椅子に乗った正成が姿を見せると、全軍が大歓声を上げた。
「提督万歳! 提督万歳!」
その歓声はいつまでも静まる気配がなかった。
正成が右手を前に差し伸べると、歓声がぴたりと収まった。全軍が固唾を呑んで正成の言葉を待った。
「諸君、この度の勝利はひとえに皆の努力によるものである。私は、あなたたちの指揮官であることを心から誇りに思う」
その言葉を聞いて「ワアー!」という地響きのような歓声が上がった。正成は再び右手を差し伸べて歓声を抑えた。
「しかしながら、勝利の影には、命をかけて敵と勇猛に戦い、亡くなっていった多くの仲間がいることを忘れてはならない。今日は、戦没者を弔い、彼らが成仏して天国に召されることを祈願して祭典を行う。皆も、今日の日を忘れず、明日のために努力を続けて欲しい」
一呼吸おいて正成は話を続けた。
「確かに、我が軍は猫人間軍の本拠地を攻め落とし、化猫大帝を討ち取った。しかしながら、日本全国にはまだ、三百万の猫人間軍の残党がいる。もちろん、奴らは指揮系統を失った烏合の衆だが、数の上では我が軍をはるかに上回っている。したがって、我々は、敵の残党が新たな指導者を立てて体勢を立て直すまでに、完膚なきまでに敵軍を叩かなければならない。今回の勝利は、その第一歩に過ぎない。」
正成はさらに話を続けた。
「幸いにして、我が軍の友軍である日光の猿人間・豚人間の連合軍、各地の牛人間軍、信濃のカモシカ人間軍、高崎山の猿人間軍も有利な戦いを進めている。敵の残党を掃討するには、今が最高の好機である。我が軍は、今後、この城を『大鹿城』と呼んで本拠地とし、まずは千葉に野営している猫人間軍の関東軍を掃討する。諸君は、今日の祭典後、早速その準備に入ってもらいたい。敵関東軍の包囲から、日光の猿人間・豚人間の連合軍を解放するのだ!」
全軍の「ウオー!」という潮のような歓声と拍手がいつまでも鳴り止まなかった。
正成は、小さく右手を上げて、物見台を降りた。
物見台の下では、やはり車椅子に乗った佐和子が満面の笑みをたたえながら拍手を送っていた。
正成は、それを見てニッコリ微笑んだが、その後の表情は固かった。佐和子が心配そうに尋ねた。
「提督、何か憂いごとでも?」
それを聞いて正成が小さく頷いた。
「直近の憂いごとと言えば、やはり敵の関東軍だ。関東軍にもし優秀な指導者がいるとすれば、猿人間・豚人間の連合軍に対する攻撃を一旦中止し、ここを奪還しに来るだろう。敵の関東軍は総勢約二十万、それに対して我が軍の生き残りは約七万だ。いくらこの城があるだけ有利だとは言っても、数の上では向こうが有利だ。早く対策を考えないと……。特に、今、我が軍の兵士たちは戦勝気分に浮かれている。不意を突かれたらひとたまりもない」
「関東軍の動きは監視しているのですか?」
「ああ、大勢の密偵を送って、一時間毎に報告させている。敵は、既にこの城を奪還するための戦闘準備に入っている。進軍を始めるのは時間の問題だろう」
「敵がこの城に向けて進軍を開始したら、日光の猿人間・豚人間の連合軍に背後を突かせ、挟み撃ちにするのがよろしいかと……」
「私も最初はそう考えた。しかし、猿人間・豚人間の連合軍の東には、猫人間軍の東北軍がいる。うかつに撃って出ると、逆に猿人間・豚人間の連合軍が挟み撃ちにされかねない」
「確かにそうですね……」そう言って佐和子は考え込んだ。
しばらく沈黙の時間があった。
正成は鹿上を呼んだ。
「お呼びですか?」
「鹿川を呼べ」
鹿上が鹿川を連れてきた。
「先制攻撃をかける。第一師団一万を率いて、今夜、敵関東軍の陣地に夜襲をかけろ。それに呼応して、猿人間・豚人間の連合軍にも総攻撃をかけさせる。敵は、まさかこんな安全な城を占拠した我が軍が、わざわざ外に撃って出るとは思っていないだろう。敵の不意を突くのだ」
「心得ました」
その会話を横で聞いていた佐和子が言った。
「如何に鹿川将軍でも手勢が一万では敵の二十分の一です。少し少なすぎませんか?」
「いや、昔から大軍による夜襲が成功した例はない。夜襲というのは少人数の精鋭でやるものだ」
「確かに……」
正成が鹿川に言った。
「敵から奪ったレーザー機関銃を持って行け、きっと役に立つだろう」
「いえ、レーザー機関銃は城の守備に必要です。それに夜襲にレーザー機関銃は必要ありません。僭越ですが、私には私の戦い方があります」
それを聞いた正成がニヤリと笑みを浮かべた。
「火攻めか?」
鹿川は黙って頷いた。
2
深夜、作戦は決行された。鹿川の軍勢は、尖兵に敵の警備兵を討ち取らせながら、投石器の射程距離まで軍を進めた。寒風吹きすさぶ酷寒の夜だった。猫人間軍の野営地は静まり返っていた。
鹿川は、前線に投石器をずらりと並べ、油を満載した樽を搭載させた。
その前に、火矢を携えた兵士たちが進み出た。
鹿川が大号令をかけた。
「攻撃開始!」
「ドーン!」という轟音と共に次々と投石器から油樽が投下された。油樽は、敵陣に着弾すると「パーン!」と破裂し、周囲に油が飛び散った。
鹿川が次の命令を発した。
「火矢を放て!」
ヒュンヒュンという音をたて、無数の火矢が放たれた。火矢は、油にまみれた猫人間軍の陣地に次々と突き刺さった。
「ボオッ」という音とともに、一瞬にして敵陣地内は火の海になった。
「ニヤ~!」という悲鳴をあげて猫人間軍の兵士たちが逃げ惑った。
阿鼻叫喚が乱れ飛び、敵陣地内は地獄絵の様相を呈した。
猫人間軍の兵士たちは完全に統率を失い、次から次へと、陣地の外に逃げ出してきた。
鹿川が号令を発した。
「全軍、突撃! 敵関東軍を殲滅せよ!」
鹿川の軍勢が敵の兵士に襲いかかった。敵関東軍は、体勢を立て直す間もないまま、バタバタと討ち取られていった。
鹿川の攻撃に呼応して、陣地の東側からも、猿人間・豚人間の連合軍が総攻撃を開始した。あまりにもあっけなく、敵二十万の関東軍は全滅した。
鹿川は、その様子を表情ひとつ変えずに見守っていた。
東の空が明るくなり、敵関東軍二十万の亡骸が日の光に晒された。この世の光景とは思えなかった。
鹿川は、全軍を集めた。
「敵関東軍は全滅した! 我が軍の勝利だ!」
「ウオー!」兵士たちの喚声がこだました。
喚声が静まるのを待って、鹿川が号令した。
「任務は完了した。さあ、大鹿城へ帰ろう!」
鹿川は、ほとんど兵を損じることなく大鹿城に戻った。正成が彼の帰りを待ちわびていた。戦勝の報告を聞いた正成は、鹿川の労を深くねぎらった。
「鹿川、誠に大儀であった。敵関東軍の殲滅は、我が軍にとって、当面の安泰を意味する。ゆっくりと休んでくれ」
鹿川が去った後、正成は、車椅子に乗り、大本営の中庭に出た。同じように車椅子に乗り、佐和子がついてきた。正成と佐和子は車椅子を並べ、二人で中庭の風に当たっていた。寒風吹きすさぶ寒い日だったが、二人の心は暖かかった。
「関東軍は、想像以上に弱かったようですね」
「ああ、敵軍は完全に指揮系統を失っているし、兵士も戦意を喪失している。例え兵力が二十倍でも、鹿川の敵ではなかったようだ」
佐和子がニッコリと微笑んだ。
「これで、この城は当面安心ですね」
「そう思う。しかし、吉野にいる敵の本隊を倒すまでは、戦は終わったとは言えない」
「確かにそう思います。でも、猫人間軍は既に指揮系統を失った武装集団です。たとえ、兵力が三百万と言っても、こちらが戦術を誤らない限り、勝利出来るのではないでしょうか?」
「その三百万だが、結局、我が軍を追って、熊野にたどり着いたのは二百五十万、残りの兵は、途中から吉野に引き返して逃亡した模様だ。熊野の二百五十万は、船を用意出来ずに、尾鷲、鳥羽、伊勢と紀伊半島の東側を海沿いに北上しているようだ」
「それでは、兵糧も底を尽き、士気の低下も甚だしいのではないですか?」
「そう思う。その状態で、名古屋に入ろうとすれば、おそらく木曽川でカモシカ人間軍の急襲に遭うだろう。カモシカ人間軍の兵力はたった二万だが、川を挟んだ戦いでは、カモシカ人間軍に有利だ。猫人間軍は、相当な被害を受けるに違いない」
「木曽川をはさんで対峙すれば、猫人間軍は多大な損害を受けるでしょうが、猫人間軍にも知将、黒猫提督がいます。カモシカ人間軍だけで完全に殲滅するのは難しいでしょう。我が軍はどうなさるおつもりですか? この城で敵を向かえ撃つのですか?」
「いや、篭城はしない。篭城という戦法は、時間が経てば有利になることがわかっている場合にのみ通用する戦法だ。篭城だけでは敵を殲滅出来ない」
「では、あくまで攻めに出るのですか?」
「そのつもりだ、今、その戦術を考えている」
「考える時間は十分にあります。それまでささやかな平和を楽しんではいけませんか?」
それを聞いて正成がニッコリと微笑んだ。
「いや、束の間でも平和を楽しむことは良いことだ。兵の休息にもなる。我々も今日、明日ぐらいは、ゆっくりと休もう」
その夜、参謀本部ではささやかな宴が催された。化猫大帝を討ち取り、当面の敵である関東軍を殲滅した安堵感が皆の表情を和らげていた。
宴会の席上で鹿上が言った。
「提督、実は、皆の総意として一つ提案があるのですが……」
正成が穏やかに微笑んだ。
「何だ、遠慮せずに言え」
「提督は、もともと王家の血筋に当たります。鹿姫なき後、我が軍には象徴的存在が必要です。兵は皆、提督の王への即位を望んでいます」
それを聞いた正成は苦笑いを浮かべた。
「私はそんな柄ではない。私の望みを叶えさせてもらえるのなら、この戦が終わって平和な世が来たら、佐和子と二人で、田畑でも持たせてもらって、ひっそりと暮らしたい」
それを聞いた佐和子は、ほほを赤らめた。
正成の発言に鹿上は仰天した。
「とんでもない。たとえ、平和な世が来たとしても提督に隠居されては困ります。平和な世にも、それなりに国家運営上の様々な難しい課題があるのです。例え、議会制民主主義の国を目指すとしても、象徴的存在として国王の存在が必要なのです」
「象徴的存在か……」そう言って、正成は口ごもった。正成の心の中を鹿姫との想い出が駆け巡った。正成の瞳が潤んだ。
佐和子が心配して声をかけた。
「提督、お加減が悪いのですか?」
正成は、慌てて首を横に振った。
「いや、なんでもない。今夜はみんな楽しんでくれ、それから、鹿川、今より、貴公を、副提督に任じる。参謀総長の鹿上と協力して私を助けてくれ」
鹿川が恐縮して言った。
「私は、副提督などという器ではございませんが、今までどおり、全力を尽くします」
正成が言った。
「明日の十四時より、参謀会議を開く。皆、出席するように」
その夜は珍しく、皆、深酒した。束の間の平和を満喫した。
3
翌日、予定通り、参謀会議が開かれた。会議の席上、鹿上が現況報告をした。
「猫人間軍の残存兵は、全国に散らばっていますが、そのほとんどは指揮系統を失い、ただの武装集団と化しています。その中で、吉野で我が軍と戦った敵の主力部隊だけが、黒猫提督の指揮のもと、正規軍として活動しています。兵力は約二百五十万、我が軍の、約三十五倍です。兵力だけで考えれば、我が軍よりはるかに強大な勢力を持っています。ただ、本拠地であるこの城を奪われ、総司令官の化猫大帝なき今、敵軍の士気の低下は確実です。兵糧も弾薬も底を突きつつあります。現在は、木曽川をはさんで二万のカモシカ人間軍と対峙していますが、この戦でも、猫人間軍は相当な被害を受けることが予想されます。本日は、敵軍が木曽川のカモシカ人間軍を突破した後の我が軍の戦術を決定するためにお集まりいただきました」
鹿上がそのまま話を続けた。
「この城に篭城して敵を迎え撃つというのも、一つの戦術です。ただ、この作戦には提督は賛成ではないようです。敵軍に包囲された状態で持久戦に入ると、この城ではこちら側の兵糧が先に尽きるというのがその理由です。皆、忌憚ない意見を述べて下さい」
鹿川が言った。
「私も篭城には反対です。篭城という戦術は、長期戦になれば必ず有利になるという確固とした根拠があるときにのみ採用すべき戦術です。戦は、城の外に撃って出るのが基本です」
正成が鹿川に言った。
「そちの作戦を述べてみよ」
鹿川が自分の意見を説明した。
「仮に、木曽川を突破した敵軍の総数を二百万と仮定します。我が軍は、静岡の富士川まで南下し、まず、川を渡ろうとする敵を徹底的に叩くべきです。猫人間軍は水を嫌いますから、必ず船で川を渡るでしょう。その時に、投石器と火矢による攻撃をかければ敵の半数は壊滅するでしょう。そこで、我が軍は、一旦退却し、今度は箱根で敵を迎え撃ちます。箱根は天下の嶮、大和川や生駒の戦で用いた戦法がそのまま使えます。ここでも、敵は、兵力の約半数を失うでしょう。つまり、東京までたどり着く敵兵は、総数五十万ぐらいだというのが私の読みです。五十万と言っても我が軍の七倍です。単純な篭城作戦では、城を攻め落とされる可能性は十分にあります。そこで、我が軍は、二万の兵を城に残し、篭城するふりをしながら、実際には残り五万の兵で、敵の背後を突きます。具体的には新宿御苑に五万の兵を伏せておき、敵が城攻めを始めると同時に、敵の退路を絶ちます。行き場所を失った敵軍はパニックに陥って自壊するでしょう。これが私の提案です」
鹿川の戦術を聞いた正成が苦笑いを浮かべた。
「鹿川、貴公には参ったな、私の作戦とまったく同じだ」
鹿上がニッコリと微笑んだ。
「提督と、副提督の作戦が、期せずして一致したということは、それが最良の作戦だという証明だと思います。異議はありますか?」
異議を唱える者はいなかった。作戦は決定した。
「よし、作戦は決まった。後は、皆の努力のみで雌雄が決せられる。我が軍が敗れるとしたら、些細な連絡ミスや油断が原因となるだろう。皆、心してかかれ!」
「おう!」と一同が声を上げた。参謀会議は散会した。
その頃、木曽川では、猫人間軍とカモシカ人間軍の壮絶な死闘が繰り広げられていた。カモシカ人間軍の総大将、加茂鹿之助は、ありとあらゆる知略を用いて、猫人間軍を苦しめた。その上、但馬の牛人間軍に背後を突かれたことも猫人間軍には大きな損害を与えた。挟み撃ちに遭った猫人間軍の黒猫提督は、木曽川の強行突破を命じた。
血で血を洗うような激戦になったが、所詮は二百五十万対二万の戦いである。木曽川の東岸を支えきれないと判断した加茂は、全軍に退却を命じた。木曽川を渡りきった猫人間軍は百七十万までその数を減じていた。
正成のところに密偵からの報告が入った。
「猫人間軍は、木曽川を突破しました。兵力は百七十万です」
それを聞いた正成は、鹿上、鹿川、鹿光、鹿之園を呼び、それぞれに命令した。
「鹿川、そちに機甲師団と第一師団を託す、富士川に陣を築き、敵軍を迎え撃て。予定通り、支えきれなくなったらあっさりと退却し、箱根で鹿光と合流せよ。鹿光、そちには第二師団を預ける。箱根街道の両側に、巨岩、巨木を積み上げろ、戦術は、大和川の戦と同じだ。鹿之園、そちには第三、第四、第五師団を任せる、新宿御苑に兵を伏せて、敵の城攻めが始まったら、その背後を突け。鹿上、そちは第六、第七師団で城の防備を固めろ、よいな。皆、即座に行動にかかれ」
一同、声を合せて答えた。
「心得ました」
翌朝、全軍が城門の前の広場に集められた。正成が城門の物見台の上から号令を発した。
「諸君、これが最後の戦いだ! 勝てば昔のような平和で豊かな暮らしが出来る。負ければ全滅だ。人類の存亡をかけて諸君の活躍に期待する!」
「ウオー!」という地響きのような喚声がこだました。全軍が武者震いしながら、行動を開始した。
午後には、富士川に向けて鹿川の軍勢が出発した。その後を追うように、鹿光、鹿之園の軍勢も進軍を開始した。その様子を物見台の上から正成と佐和子が見つめていた。佐和子が正成に尋ねた。
「彼ら、やってくれますよね?」
正成が無表情に答えた。
「やる。必ず……」
4
鹿川の軍勢と黒猫提督の猫人間軍は、ほぼ同時に富士川に到着し、川を挟んで対峙した。猫人間軍は、船の手配に手間取っているようだった。その間に、鹿川の軍勢は、河原に投石器を並べ、陣地の整備をした。知将、鹿川は、河川敷の至るところに釣り糸を張り巡らせた。川を渡りきった敵軍が足を引っ掛けて転ぶようにワナを仕掛けたのである。そしてそのワナの先には、弓矢を持った伏兵を配した。
鹿川は考えていた。敵は、熊野古道を通ってきた軍だ。猫ニャン砲を運べるはずがない。敵の主力兵器はレーザー機関銃だろう。それももう、どれだけバッテリーが残っているか怪しいものだ。富士川の水深から考えて、大きな船では渡れない。十人乗りの小船を千隻用意したとしても、一度に渡れるのは、一万人だ。十分に戦えると。
富士川の河川敷に立って敵軍を観察する鹿川のほほを生暖かい強風が撫でた。鹿川はつぶやいた。
「春一番か、もうすぐ春だったな……」
翌日の夜半から、猫人間軍の渡航が開始された。先頭の船が川の中央に達した時、鹿川が号令を発した。
「攻撃開始! 投石を始めろ! 火矢を放て! マタタビ砲を撃て! 猫じゃらし砲を発射せよ!」
富士川の上空にまるで花火のように無数の火矢が放たれた。敵軍は船上からレーザー機関銃で反撃してきたが、十分に守備体勢を整えていた鹿川の軍勢には、ほとんど当たらなかった。投石器による攻撃の直撃を受けた敵船が次々と沈没した。火矢の集中砲火を受けて炎上する船も多かった。沈没する船から川に飛び込んだ敵の兵士の悲鳴が聞こえた。
「たっ、助けてくれ! 俺、泳げないんだ! ニヤ~! ゴボボボ……」
阿鼻叫喚の飛び交う中で、ほとんどの敵兵が川底に沈んでいった。川底が埋まるほどの大軍が溺れ死んだ。それでも、敵軍は強行突破を諦めなかった。次第に、鹿人間軍の攻撃をかいくぐって川岸に着岸する敵船が数を増した。上陸した敵兵は、レーザー機関銃を乱射しながら突撃してきたが、鹿川が仕掛けたワナに足を引っ掛けて転倒する兵士が多かった。転倒した兵士に向けて、一斉に矢が放たれた。瞬く間に、河原は敵兵の屍の山となった。それでも、敵は突撃を続けた。所詮、猫人間軍百七十万に対して、鹿川の軍勢は一万である。次第に敵は、勢力を増して攻撃を仕掛けてきた。河川敷では敵味方入り乱れての壮絶な攻防戦が続いた。投石器が全て破壊され、火矢が底を突いたとき、鹿川が判断を下した。
「全軍、退却!」
既に、東の空が明るくなっていた。富士川の河原は八十万人の猫人間軍の屍で埋め尽された。鹿川の軍勢も約三千人の兵を失った。
鹿川軍の総退却を見届けると、敵兵は、それ以上追っては来なかった。敵兵の疲労も極限に達していたのである。結局、猫人間軍はその日、一日を富士川の河川敷で野営した。
翌朝、黒猫提督が号令を発した。
「全軍、進軍を開始せよ!」
東側の堤の上には、不自然な敷板のようなものが敷かれていた。それを踏んだ兵士が「ウッ」とうめいてバタバタと倒れた。それは、鹿川が仕掛けた『置き土産』であった。板を踏むと、自動的に矢が放たれる仕掛けになっていたのである。この仕掛けだけで、敵兵は千人の犠牲者を出した。数にすれば僅かだが、この『置き土産』で猫人間軍の士気は大きく低下した。
箱根で鹿光の軍と合流した鹿川は、作業の進行状況を視察して驚愕した。何と、巨岩・巨木の積み上げ作業がほとんど進行していなかったのである。
鹿川は、鹿光を呼んで怒鳴りつけた。
「いったい、どういうことなんだ! 遠足に来てるんじゃないんだぞ!」
鹿光が申し訳なさそうに言った。
「それが、一旦積み上げた巨岩・巨木が一昨日の春一番で倒壊してしまったんです」
「……」
鹿川には次の言葉が見つけられなかった。これでは、敵の通過に間に合わない。
しばらく考え込んだ後、鹿川が鹿光に言った。
「とにかく作業を急げ、私は、もう一日稼ぐ」
そう言い残して鹿川は、第一師団を引き連れ、もう一度静岡方面に進軍を始めた。三島市の東端まで南下した鹿川は、兵を二班に分け、南北の両斜面に配置した。鹿川が命じた。
「ここから矢を放ち、猫じゃらし砲とマタタビ砲で敵の進軍を阻め、どうしても、もう一日稼ぐ必要がある。矢が尽き、砲弾がなくなったら、全軍突撃せよ」
鹿川の作戦は、九十万の敵軍の中に七千人で突撃するという無謀極まるものだった。
命令を聞いた兵士たちがざわめき始めた。
鹿川が言った。
「士はおのれを知る者のために死ぬ。私は私を信じて、この大役を命じてくださった提督のために死ぬ。私はここを墓場に決めた。逃げたいものは逃げろ、責めはしない」
それを聞いた一人の兵士が言った。
「士はおのれを知る者のために死ぬのです。副提督は我々が逃げたりしないことをご存知ですよね」
「……」
鹿川は何も答えず、声を殺してすすり泣いた。
夕刻になり、猫人間軍の軍勢が見え始めた。鹿川軍は、斜面にそっと身を潜めていた。
敵軍の通過が始まった時、鹿川が号令をかけた。
「攻撃開始!」
不意を突かれて敵兵がバタバタと倒れた。猫じゃらし砲、マタタビ砲が次々と発射された。敵の先鋒はパニック状態に陥った。逃げ惑う兵士たちを黒猫提督が叱った。
「退くな! ここで退いてどうなるというのだ! 首都東京は占領された。我が軍の本拠、大猫城は陥落した。もう我々には帰るところはない。逃げ場はない。大猫城を奪還するしか生きる道はないのだ! 全軍、守備隊形で突撃!」
敵兵たちは、再び進軍を開始した。鹿川軍の壮絶な攻撃が続いた。敵兵は、味方の屍を踏み越えて前進を続けた。登山道は屍の山となった。それでも猫人間軍は進軍を止めなかった。猫じゃらし砲の砲弾が尽きた。マタタビ砲の砲弾が尽きた。遂に矢が尽きた。放つ矢がなくなった鹿川軍は一斉に剣を抜き、斜面を駆け下りて敵軍に突入した。敵味方入り乱れての白兵戦になった。しかし、猫人間軍の総数は、鹿川軍の百倍だ。どれだけ時間を稼げるか? それだけが鹿川軍の課題だった。鹿川は、悪鬼の形相で敵軍に斬り込み、バッタバッタと敵兵を斬り倒した。しかし、所詮は多勢に無勢、結果は見えていた。体中に斬り傷を受け、血まみれになった鹿川が西の空を見上げて言った。
「一日稼げたな……」
それが鹿川の最後の言葉となった。
5
猫人間軍は味方の亡骸を踏み分け、進軍を続けた。そして、深夜に、鹿光の待つ芦ノ湖の西側の急斜面までたどり着いた。徹夜の戦いを終えた上に徹夜の進軍である。猫人間軍の兵士には、過酷すぎる登山道だった。それでも猫人間軍は、重い足を引きずりながら進軍を続けた。その進軍を山の上から鹿光が冷めた目で見つめていた。
鹿光がつぶやいた。
「鹿川副提督の仇、思い知るがよい」
次の瞬間、鹿光が大号令を発した。
「攻撃開始!」
山上に高々と積み上げられた巨岩・巨木が一斉に斜面を転がり落ちた。
「ニヤ~!」猫人間軍の兵士たちは、断末魔の悲鳴をあげて、巨岩・巨木の下敷きになり、あるいは巨岩・巨木と共に谷底に落ちていった。昨夜の鹿川の奇襲と今夜の鹿光の攻撃で、黒猫提督率いる猫人間軍は総勢三十五万人にまで激減した。秋に城を出発した時のほぼ十分の一である。
巨岩・巨木は完全に登山道を塞いだ。黒猫提督は仕方なくそこで野営した。これ以上先に進む力が誰にも残っていなかった。それを見届けた鹿光は、軍を退き、鹿之園が待つ新宿御苑の軍に合流した。
正成のところに密偵からの報告が入った。
「味方の作戦は成功です。敵軍は総勢三十五万にまで激減しました」
正成が密偵をねぎらった。
「そうか、ご苦労だったな」
密偵が報告を追加した。
「提督、残念なお知らせがあります。鹿川副提督が戦死なさいました」
「えっ」正成は一瞬目の前が真っ暗になった。呆然とその場に立ち尽くす正成に密偵が言葉を足した。
「箱根に積み上げた巨岩・巨木は春一番のために一旦崩壊しました。鹿川副提督は、もう一度巨岩・巨木を積み上げる時間を稼ぐため、手勢を引き連れて敵軍に突撃しました。その結果、鹿川副提督と第一師団は全滅しましたが、箱根の作戦は成功しました」
密偵を帰らせた後、正成は一人になり、声を上げて泣いた。その姿を佐和子が見守っていたが、慰める言葉を見つけられずにいた。
翌日、他の密偵からの報告が入った。猫人間軍は、登山道を塞いだ巨岩・巨木をよじ登りながらも進軍を開始したとの報告だった。正成がそばにいた佐和子に言った。
「黒猫提督の猫人間軍は、以前、吉野の要塞を攻めたときの猫人間軍ではない。もう、彼らには逃げて帰る場所はない。彼らが生き残る方法は、この城を奪還するしかない。
佐和子、以前、我が軍がこの城を攻めたとき、私は我が軍に逃げ場はないと通知した。今度は猫人間軍が同じ立場でこの城に攻め込む。あの時の我が軍は総勢十万だったが、今度の敵軍は三十五万だ。手強いぞ……」
「提督のおっしゃること、よくわかります。背水の陣を布いた軍は強い。そうおっしゃりたいのですね」
正成は黙って頷いた。
その日は、密偵からの報告が続々と届けられた。最後の報告は、猫人間軍が川崎に野営の準備を始めたとの報告だった。
鹿上が正成に進言した。
「敵は川崎に野営します。鹿之園の伏兵がいる新宿御苑とは目と鼻の先です。鹿之園に今夜、夜襲をかけさせれば、一気に敵を殲滅出来るのではないですか?」
それを聞いて正成が苦笑いを浮かべた。
「鹿上、そちには何故、猫人間軍が川崎のような見渡しの良い平地に野営したかわかるか?」
「は?」鹿上が問い返した。
「川崎に野営しているのは、敵軍のおとりだ。敵の主力は、今夜、移動を開始し、品川方面から迂回して、城に攻め込むつもりだ。今夜、鹿之園の軍が川崎を攻めれば、敵の主力は、後方の憂いなく城攻めができる。黒猫提督の狙いはそこにある」
鹿上が首を傾げながら正成に訊いた。
「何故、提督にはそこまで敵の作戦が読めるのですか?」
「簡単だ、私が黒猫の立場だったらそうするからだよ」
そう言って、正成は鹿上に背を向け、空を見上げた。そしてつぶやいた。
「今夜の敵は強いな……」
深夜、大鹿城の正門の前に猫人間軍の大軍が姿を現した。
「ニャー!」という黒猫提督の号令を合図に敵が突撃を開始した。まるで地震のような地響きがした。
鹿上が号令を発した。
「ウルトラ猫ニャン砲発射!」
轟音と共にウルトラ猫ニャン砲が発射された。かつての鹿人間軍と同じように、ウルトラ猫ニャン砲の直撃を受けた敵兵たちが、まるで紙切れのように飛び散った。ウルトラ猫ニャン砲の連射を受けた猫人間軍は瞬く間に屍の山を築いた。しかし、敵軍は全く怯むことなく突撃してきた。ウルトラ猫ニャン砲は猫人間軍が開発した兵器である。黒猫提督はその弱点もよく知っていた。あまり近くの敵は撃てないのである。
ウルトラ猫ニャン砲の射程を越えて敵軍が接近したとき、再び鹿上の号令が響いた。
「レーザー砲掃射開始!」
レーザー砲の閃光が走ると、城壁に接近した敵兵がバタバタと倒れた。それでも敵軍は全く怯まず、突撃を続けた。鹿人間軍は城壁の上から無数の矢を放ち、城壁の周りは敵兵の屍の山と化した。それでも敵軍は怯まずに突撃してきた。とうとう敵兵の屍の山は高さ二十メートルある城壁の頂点まで到達した。猫人間軍は、味方の屍の上をよじ登り突撃を続けた。遂に城壁の一部が突破され、猫人間軍が城内になだれ込んだ。城内で、壮絶な白兵戦が始まった。
その時、敵軍の後方から鹿之園の軍勢が攻撃を始めた。城壁との間で猫人間軍を挟み撃ちにするという作戦通りだった。一瞬作戦は成功したかに思えた。しかし、鹿之園軍のさらに背後から川崎に野営していたはずの猫人間軍が攻撃を開始した。もはや、敵と味方の区別もつかないような凄絶な白兵戦となった。その様子を大本営の物見台から観察していた正成の胸にかつてないような緊張感が走った。正成の目で見ていても、どちらの軍が優勢なのか判断出来ないほどの乱戦となったからである。
正成は、大本営の中庭に待機させていた第一、第二騎兵隊に命令を発した。
「城内にマタタビ砲を発射しろ、猫じゃらし砲も発射しろ、砲弾が尽きるまで撃って撃って撃ちまくれ!」
轟音と共に、城内の各所に砲弾が着弾した。城内に、マタタビと猫じゃらしの雨が降り注いだ。それを契機に城内の猫人間軍は劣勢になった。次々と城内に突入してきた敵軍は、マタタビの匂いに戦意を失い、猫じゃらしと戯れ始めた。そこに、鹿人間軍が攻撃を加えた。城内は、敵兵の屍で埋め尽くされた。
一方、城外での戦いでは、敵の背後を突いたはずの鹿之園軍が逆に敵に挟み撃ちにされ、危機に瀕していた。
物見台からその様子を見た正成が命令を発した。
「第四騎兵隊は鹿ロボットに騎乗せよ!」
正成は物見台を降り、自らも鹿ロボットに跨った。そして号令をかけた。
「第四騎兵隊は私に続け、敵の司令部に突入する。黒猫提督を討ち取るのだ! 今から城門を開ける。準備はいいか?」
全員が一斉に答えた。
「はい!」
正成がアントラーサーベルを振りかざして城門の守備兵に合図を送った。城門が開いた。正成が叫んだ。
「全軍、敵司令部に向けて突撃! 黒猫提督を討ち取るまで帰還は許さん!」
「ドドドド」という鹿ロボットの足音と共に、正成軍の突撃が開始された。正成軍は、周りの乱戦にはわき目もふらず、敵の司令部に向けて直進した。正成軍は、城外に出て、血で血を洗う乱戦が繰り広げられている戦場の中を突き進んだ。敵の司令部が見えてきた。敵司令部の衛兵たちがレーザー機関銃の掃射を始めると、第四騎兵隊の兵士たちは次々と討ち取られ、鹿ロボットから転げ落ちた。正成は、レーザー機関銃をかいくぐりながら衛兵の集団に飛び込み、まるで人なき野原を行くごとく、バッタバッタと衛兵を斬り捨て、敵の司令部に飛び込んだ。そこに、黒猫提督の姿があった。
黒猫提督がゆっくりと立ち上がって言った。
「どうやら私の負けのようだな……」
黒猫は、腰の短剣を抜き、それを自分の喉元に突きつけた。
(自刃して果てるつもりか……)
正成がそう思って、黒猫の様子を見守っていた時、物陰に潜んでいた敵の衛兵がいきなり正成に斬りつけた。
「ガチン」という金属音がした。
衛兵が振り下ろしたサーベルを佐和子のサーベルが受け止めていた。佐和子は鮮やかに身を翻して衛兵をバッサリ斬り捨て、黒猫提督をにらみつけて叫んだ。
「この卑怯者! 天誅!」
「ニャ~!」という低いうめき声を発して黒猫提督がバッタリと倒れた。
その様子をあっけに取られて正成が見守っていた。
「佐和子、君も来ていたのか……」
佐和子が小さく微笑んだ。
「これでおわかりになったでしょう。提督には私が必要だということが……」
指揮系統を失った猫人間軍は戦意を喪失し、総崩れの状態となった。
勝敗は決した。
正成と佐和子は、鹿ロボットに跨って累々たる屍の海と化した戦場をゆっくりと進み、大鹿城に戻った。城壁の物見台の上に登った二人は周りを見回した。既に夜が明けていた。見渡す限り屍の海が広がっていた。味方も約半数が戦死した。正成は、サーベルを振りかざして、生き残った鹿人間軍に向けて叫んだ。
「全軍、静まれ!」
正成はサーベルをさやに収めて、右手のこぶしを振りかざし、もう一度叫んだ。
「勝利だ! 平和だ!」
「ウオー!」という地響きのような歓声が響いた。
「鹿木! 鹿木! 鹿木!」という連呼がいつまでも続いた。
正成は、全軍が見守る中で、佐和子の手を握り、そっと抱き寄せた。
それを見た一人の兵士が叫んだ。
「王様万歳! 王妃様万歳!」
それを聞いた全軍が連呼した。
「そうだ! 王様だ! 国王万歳! 王妃万歳!」歓声の連呼が続き、鹿人間軍が互いに抱き合って喜びを分かち合った。
正成が佐和子の耳元でささやいた。
「帰ろう、まだ吉野の桜に間に合う」
佐和子が弾んだ声で答えた。
「はい」
雲の隙間からこぼれた朝日が、まるでスポットライトのように二人の姿を照らしていた。
― 了 ―
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