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一章「王都動乱~紅蓮の正義~」
一章 第五十六話「過去を断ち切る時 後編」
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自らを守る、オーウェンの言葉の真意はすぐに明らかになった。
それは暗闇の空の彼方から風に乗ってやって来た。
「皆しゃーん! ちょっと、そこどきぃよー!」
甲高い声が緊迫した広場の空気を切り裂き、その方角からは凄まじい勢いの烈風が巻き起こった。
突如吹きつけた風が呆けていたディアマントの身体を押し戻し、地面に蔓延っていた砂を相殺する。
そうして幾らか体積が減り、不格好に抉れた大地に立つのは、これを起こした張本人である薄桃色の髪の少女。
騎士の胸当てに、背中に生えた小さな羽が目立つ彼女については、グレンも噂で耳にしていたが。
「ナ、ナタリアさん!?」
「元気にしよったと、ジェナしゃん。ロレッタしゃんも問題起こしとらんよね?」
「……当たり前でしょう」
互いが無事に再会できたことを言葉少なに喜んだが、脅威は未だ去ってはいない。
「ちっ、砂を相殺するとは。羽虫みてえにうぜえ女だが、纏めて叩き潰すのみだァ!」
地面に降り立った一行に、金色のシャルーアが振り下ろされる。今までよりも明らかに鋭いその攻撃は、しかし彼らに届くことはなかった。
「……ふんっ!」
それはどんな風雪をも凌ぐ山のような頑健さを有していた。
身の丈よりもなお大きい長方盾を構えた男が、グレンらに迫ってきていた大槌の一撃を防ぐ。
勢いに吹き飛ばされることなく、完璧に。
「あの時とは逆の立場であるな、グレン・ブラッドフォード。オーウェンも、よくぞ先陣を切ってくれた」
「なにを言うかロベール、貴殿らが魔獣を引き受けてくれた賜物だろう」
自らの何倍もある体躯の魔人を盾で押し返しつつ、ロベールは肩で大きく息をする。
「クソが……!」
ディアマントは再三の妨害に焦れたのか、シャルーアを持つ手とは反対の腕を空高く掲げ、その手に砂の球体を形成し始めた。
ある時は波のように、ある時は嵐のようにグレンたちを苦しめた力が、かつてないほどの奔流を纏って、今度こそ全てを挽き潰さんとしていたが。
「伏せろグレン! 他の者も!」
それは渇きをもたらす砂も、吹き荒ぶ嵐も、纏わりついて離れない過去すらも焼ききってくれるような、神聖で力強い焔だった。
グレンらの頭上を掠める弧を描く烈炎の斬撃波は、空を駆る鷹の如き鋭さでディアマントの腕へと飛んでいった。
力を蓄えていた砂の球体は灼熱に曝され、水泡が割れるようにその形を失った。
「まったく、急に帰ってきたかと思えば、またしても危険に首を突っ込んでいるとはな。まるで約束を忘れてくれたかのような所業を悲しむべきか、それとも息子の無事を喜ぶべきか」
「親父……!」
一族に伝わる宝剣レーヴァテインを構えて、ヴォルフガング・ブラッドフォードが一行の後ろから顔を出す。
超然とした態度は相変わらずだが、そこに交じった慣れない優しさがグレンにははっきりと分かった。
ヴォルフガングはそのまま悠々と進みロベールとナタリアの横に並ぶと、狼狽えた風に構える魔人と対峙した。
「さて、おまえが諸々の陰謀を主導した首魁か。ふん……随分と粋がっていたようだが、それもここまでだ」
「そうたい、魔獣はウチらがみんな倒したけん!」
「アマルティア幹部ディアマント。これ以上の抵抗はやめたまえ。魔獣の残党を倒した騎士団の各員も直に到着するだろう」
グレンはようやく理解した。オーウェンが口にした言葉を。ヴォルフガングらがここに来た理由を。
グレンたちが命がけで繋いだこの時間というのは、限りなく絶望的に思えた状況には、意味があったのだ。甲斐があったのだ。
ロベールが言っていた。他を生かすことが己を生かすことだと。
これは全てを投げうったディアマントのような者ではなく、誰かのために戦ったグレンらだからこそ為せた業なのだ。
「抵抗をやめろだと? 笑わせるッ! お前らがいくら集っても無駄だ。俺様は躊躇いなく力を扱える、また砂で沈めて――」
名だたる援軍に怯んだそぶりを見せず、ディアマントがシャルーアを構える。
だがそれに応じて現れたのは、いつも彼が振るっていた人々を呑み込む砂塵ではなかった。
それは、暗闇よりもなお暗い闇を湛える黒い穴であった。
「――あ?」
見る者を吸い込み、閉じ込めてしまうかのような円状の深淵。
不気味な黒が漏れ出る横穴から、同じく漆黒の魔素質で形成された細剣が突如として雪崩のように降り注いだ。
一本、また一本と、絶え間のないそれは経路上に立っていたディアマントの身体という身体を、腕を、脚を、コアを蹂躙した。
魔素で作られた剣と魔人の身体が互いに干渉し、目を射るような光の瞬きが場を支配する様はなんとも異様で。
オーウェンを除いたグレンら先発組は大きく目を見張った。
そしてその視線は、一切容赦のない苛烈な攻撃に対してだけではなく、攻撃を吐き出し終わった穴から降り立った人影に対してもそうであった。
静謐な彼の心を表すような灰色の髪は、銀の月光に照らされ鋭い輝きを帯びていて。
グレンが密かに趣味を疑っている全身の黒衣は、夜に沈んで見えなかったけれど。
振り返って分かるその琥珀の双眼は、暗くも優しい精神を宿していた。
「名の知れた傑物を前面に出すことで注意を惹き、ゲートによる遠距離攻撃を行う……単純な手だったけど上手くいったみたいだな」
それは王都までの道のりを共に旅してきた、物静かで不器用な相棒の姿だった。
彼は攻撃を喰らって沈黙するディアマントに注意を払って、グレンの方へ歩み寄ってくる。
「……エルキュール、お前いままでどこほっつき歩いてたんだっつの」
「ん、ああ……少し、過去を片付けていたんだ」
自分から聞いたにも関わらず、過去という単語にグレンは思わず肩を震わしてしまう。
エルキュールはそんなグレンの目をじっと覗き込んでいたが、それから何を思ったのか一息をつくと、徐に倒れ伏した魔人の方を指差した。
「君たちとの戦いで力を消費していたから倒しきれるかと思ったんだが。全力で放った闇魔法も、奴を殺すには至らなかった。つまりコアを局所的に叩くのが最善なんだが、それにはやはり、君が持つその剣が何より手っ取り早くて確実だ」
この場で起こったことを全て見通したように話すエルキュールの態度には苦笑が零れそうになるが。
煽るようなその言葉に、グレンは未だ力強く輝く銃大剣を両手で構えて見せた。
彼が取り戻した勇猛さに、ジェナが、ロレッタが、ロベールが、ナタリアが、オーウェンが、ヴォルフガングが、エルキュールが、期待に満ちた表情でめいめい頷く。
自らの力の代償とこれまでの攻撃で弱っているとはいえ、敵はアマルティアでも上位の魔人だ。
グレンらは慎重に、蹲るその巨躯を囲んだ。
「ぐァ……がはッ、ふざけ、やがって……! 弱っちい人間も、忌々しい精霊も、理不尽な世界も……! 全て崩れちまえ、廃れちまえ、壊れちまえ……」
呪詛のような呟きを吐く魔人を、力に溺れ、振り回され、搾取された者の末路を、グレンはエルキュールと共に見下ろす。
「力こそが正義だったはずだ、だからそれを追い求めたってのに……んだよ、このザマはよォ……なあ、グレン……!」
「……ヒトだった頃のお前について、調べたことがあるがよ」
かつて敵わない相手への復讐心を鎮めるために寄せ集めた情報を、グレンは一つ一つ並べるように口にする。
「カヴォードとオルレーヌが争っていた約三十年ほど前、帝国の貧民の出としてお前が暮らしたスラム街では、確かに力が全てだったんだろうな」
今となっては魔物というリーベ共通の敵の台頭によって、そのように不幸な人間の数は減少の傾向にあるが。
そのように荒れた場所では、食べ物を手に入れるのも、安心して眠る場所を確保するのも、暴力に任せるしかないのは現実として確かなことだった。
「けどな、お前が手に入れようとした精霊の遺物。それは違うだろ。それを手にしてお前は何を救えると思った。不幸に喘ぐお前の同類か? ましてやお前自身だとでも? それが本当に正しい選択だと思っていたのか?」
遠回りをして、他者と肩を並べて、正解を見つけられたグレンとは違い、彼には救いがなかったのかもしれない。あるいはその欲望に従うことが救いだと信じていたのかもしれないが。
「お前は踏み入ってはならないところまで進んじまった。そうして手に入れた力で多くの人を殺したのをオレは見た。お前は、取り返しのつかないことをしたんだ」
「……違う、間違ってやがるのは……」
未練がましい呟きはグレンの決意が微かに鈍る。グレンとて、彼を見逃した咎を抱えている。彼が力を手にした時、真っ先に逃げ出したのは他ならぬグレンなのだ。
だから自身に断罪の資格があるのだろうかと、この期に及んで戸惑ってしまう。
「グレン、君はかつて言ったな。人間一人では、いつか愚に陥って進むべき道を間違えると」
エルキュールが静かに口を開く。彼がヌールから旅発つときにグレンがかけた言葉だ。
「君の過去がどうだったか、俺には分からない。けれどもし何かを間違ったのだとすれば、それはやはり傍に君を止める者がいなかったからだろう。孤独でいる自分を驕り高ぶっていたからだろう」
グレンの背中を押すように、エルキュールは銃大剣に付与されているエンハンスを再び火の魔素を込める。
「だがこれからは別だ。君はまだやり直せる。君は数多くの人の縁に囲まれ、正しいことを為していくんだ。これは全て、絶望して闇に消えようとしていた俺に、他ならぬ君自身が教えてくれたことだ」
不格好に笑うエルキュールは、いつにもまして優しげだ。それは弱ったグレンを励ますために彼が努力したのか、それとも離れていた僅かな間に何か彼を変える出来事でもあったのか。
分からない。ただ分からなくても今のグレンには十分だった。
「……恩に着るぜ、エルキュール」
グレンは燃え滾るように赤い剣を、ディアマントの胸のコアに定める。
「……ククク、がはッ……俺様を殺そうが、お前の罪は消えねえよ」
「そんなことは分かってんだ。だがお前を倒さないと、オレは罪を清算する機会を、他者に報いる機会すら失うんだよ」
「あァ、だから無駄っつってんだ。俺様を殺しただけではな」
急所に刃を突きつけられ、黄金の魔素を纏う身体も霞んでいるというのに、ディアマントの声からはどことなく覇気が感じられた。
その言葉の裏にあるものを察したエルキュールの眉が歪む。
「他の幹部たちの存在か? 確かにお前以外の幹部が討たれたという情報はないが、それでも彼らをこのまま放置するつもりも毛頭ない。俺は必ずアマルティアとの決着をつけるつもりだからな」
「幹部……クハハ、そうだなァ、もちろん、それも、ぐァ……」
それ以外に何がある。グレンは思わず口を開きかけた。だがそれは結局ディアマントに伝わったのか、朧げな彼の顔の輪郭が揺れた。
「いいか、はァ……お前らに贖罪や復讐の機会なんざ来るわけねえ。あの方が……魔王ベルムント様が復活すれば……いつか必ずアマルティアを、魔物を救い……お前らを皆殺し、に……」
魔人がそれ以上言葉を続けることはなかった。
これ以上覚悟が鈍ることを是としないグレンが、力を失いつつあったそのコアを砕いたのだ。
ガラスが割れる時さながらの、耳障りな音が辺りに響く。
魔素質で構成されたディアマントの身体は維持することができなくなり、急速にその形が解けていった。
まるで始めからそこに存在していなかったかのように、あっけなく。
身体だったものが砂の海へ、主を失った伝説の大槌が塵の山に落ちる。
グレンはその終焉を、半ば信じられない心地で見つめていた。
逃げて逃げて、逃げた先で。まさか己の手で仇敵を打ち倒すことができようとは。
周りの協力者たちが警戒を解いて、労いの笑みを浮かべて近づいてる光景を目にしても、それは変わらなかった。
達成感と安堵。高揚と呆然。
残された敵将を倒したことについてはしっかり自覚があったが、グレンの内にはそれでも混然とした感情が渦巻いていた。
大声を上げて勝利を喜ぶことも、過去の罪に決着をつけたことに涙を流すこともグレンにはできなかった。
グレンにとって王都における事件の顛末は、一時の感受性に任せるにはあまりにも大きい出来事だった。
夢うつつのような状態。そんな不安定さを抱えていたからこそ、あるいはグレンも気付いたのかもしれない。
「ベルムント……」
隣に佇むエルキュールが一瞬、未だかつて見たことのない泣き出しそうな顔でそう呟いていたことに。
それは暗闇の空の彼方から風に乗ってやって来た。
「皆しゃーん! ちょっと、そこどきぃよー!」
甲高い声が緊迫した広場の空気を切り裂き、その方角からは凄まじい勢いの烈風が巻き起こった。
突如吹きつけた風が呆けていたディアマントの身体を押し戻し、地面に蔓延っていた砂を相殺する。
そうして幾らか体積が減り、不格好に抉れた大地に立つのは、これを起こした張本人である薄桃色の髪の少女。
騎士の胸当てに、背中に生えた小さな羽が目立つ彼女については、グレンも噂で耳にしていたが。
「ナ、ナタリアさん!?」
「元気にしよったと、ジェナしゃん。ロレッタしゃんも問題起こしとらんよね?」
「……当たり前でしょう」
互いが無事に再会できたことを言葉少なに喜んだが、脅威は未だ去ってはいない。
「ちっ、砂を相殺するとは。羽虫みてえにうぜえ女だが、纏めて叩き潰すのみだァ!」
地面に降り立った一行に、金色のシャルーアが振り下ろされる。今までよりも明らかに鋭いその攻撃は、しかし彼らに届くことはなかった。
「……ふんっ!」
それはどんな風雪をも凌ぐ山のような頑健さを有していた。
身の丈よりもなお大きい長方盾を構えた男が、グレンらに迫ってきていた大槌の一撃を防ぐ。
勢いに吹き飛ばされることなく、完璧に。
「あの時とは逆の立場であるな、グレン・ブラッドフォード。オーウェンも、よくぞ先陣を切ってくれた」
「なにを言うかロベール、貴殿らが魔獣を引き受けてくれた賜物だろう」
自らの何倍もある体躯の魔人を盾で押し返しつつ、ロベールは肩で大きく息をする。
「クソが……!」
ディアマントは再三の妨害に焦れたのか、シャルーアを持つ手とは反対の腕を空高く掲げ、その手に砂の球体を形成し始めた。
ある時は波のように、ある時は嵐のようにグレンたちを苦しめた力が、かつてないほどの奔流を纏って、今度こそ全てを挽き潰さんとしていたが。
「伏せろグレン! 他の者も!」
それは渇きをもたらす砂も、吹き荒ぶ嵐も、纏わりついて離れない過去すらも焼ききってくれるような、神聖で力強い焔だった。
グレンらの頭上を掠める弧を描く烈炎の斬撃波は、空を駆る鷹の如き鋭さでディアマントの腕へと飛んでいった。
力を蓄えていた砂の球体は灼熱に曝され、水泡が割れるようにその形を失った。
「まったく、急に帰ってきたかと思えば、またしても危険に首を突っ込んでいるとはな。まるで約束を忘れてくれたかのような所業を悲しむべきか、それとも息子の無事を喜ぶべきか」
「親父……!」
一族に伝わる宝剣レーヴァテインを構えて、ヴォルフガング・ブラッドフォードが一行の後ろから顔を出す。
超然とした態度は相変わらずだが、そこに交じった慣れない優しさがグレンにははっきりと分かった。
ヴォルフガングはそのまま悠々と進みロベールとナタリアの横に並ぶと、狼狽えた風に構える魔人と対峙した。
「さて、おまえが諸々の陰謀を主導した首魁か。ふん……随分と粋がっていたようだが、それもここまでだ」
「そうたい、魔獣はウチらがみんな倒したけん!」
「アマルティア幹部ディアマント。これ以上の抵抗はやめたまえ。魔獣の残党を倒した騎士団の各員も直に到着するだろう」
グレンはようやく理解した。オーウェンが口にした言葉を。ヴォルフガングらがここに来た理由を。
グレンたちが命がけで繋いだこの時間というのは、限りなく絶望的に思えた状況には、意味があったのだ。甲斐があったのだ。
ロベールが言っていた。他を生かすことが己を生かすことだと。
これは全てを投げうったディアマントのような者ではなく、誰かのために戦ったグレンらだからこそ為せた業なのだ。
「抵抗をやめろだと? 笑わせるッ! お前らがいくら集っても無駄だ。俺様は躊躇いなく力を扱える、また砂で沈めて――」
名だたる援軍に怯んだそぶりを見せず、ディアマントがシャルーアを構える。
だがそれに応じて現れたのは、いつも彼が振るっていた人々を呑み込む砂塵ではなかった。
それは、暗闇よりもなお暗い闇を湛える黒い穴であった。
「――あ?」
見る者を吸い込み、閉じ込めてしまうかのような円状の深淵。
不気味な黒が漏れ出る横穴から、同じく漆黒の魔素質で形成された細剣が突如として雪崩のように降り注いだ。
一本、また一本と、絶え間のないそれは経路上に立っていたディアマントの身体という身体を、腕を、脚を、コアを蹂躙した。
魔素で作られた剣と魔人の身体が互いに干渉し、目を射るような光の瞬きが場を支配する様はなんとも異様で。
オーウェンを除いたグレンら先発組は大きく目を見張った。
そしてその視線は、一切容赦のない苛烈な攻撃に対してだけではなく、攻撃を吐き出し終わった穴から降り立った人影に対してもそうであった。
静謐な彼の心を表すような灰色の髪は、銀の月光に照らされ鋭い輝きを帯びていて。
グレンが密かに趣味を疑っている全身の黒衣は、夜に沈んで見えなかったけれど。
振り返って分かるその琥珀の双眼は、暗くも優しい精神を宿していた。
「名の知れた傑物を前面に出すことで注意を惹き、ゲートによる遠距離攻撃を行う……単純な手だったけど上手くいったみたいだな」
それは王都までの道のりを共に旅してきた、物静かで不器用な相棒の姿だった。
彼は攻撃を喰らって沈黙するディアマントに注意を払って、グレンの方へ歩み寄ってくる。
「……エルキュール、お前いままでどこほっつき歩いてたんだっつの」
「ん、ああ……少し、過去を片付けていたんだ」
自分から聞いたにも関わらず、過去という単語にグレンは思わず肩を震わしてしまう。
エルキュールはそんなグレンの目をじっと覗き込んでいたが、それから何を思ったのか一息をつくと、徐に倒れ伏した魔人の方を指差した。
「君たちとの戦いで力を消費していたから倒しきれるかと思ったんだが。全力で放った闇魔法も、奴を殺すには至らなかった。つまりコアを局所的に叩くのが最善なんだが、それにはやはり、君が持つその剣が何より手っ取り早くて確実だ」
この場で起こったことを全て見通したように話すエルキュールの態度には苦笑が零れそうになるが。
煽るようなその言葉に、グレンは未だ力強く輝く銃大剣を両手で構えて見せた。
彼が取り戻した勇猛さに、ジェナが、ロレッタが、ロベールが、ナタリアが、オーウェンが、ヴォルフガングが、エルキュールが、期待に満ちた表情でめいめい頷く。
自らの力の代償とこれまでの攻撃で弱っているとはいえ、敵はアマルティアでも上位の魔人だ。
グレンらは慎重に、蹲るその巨躯を囲んだ。
「ぐァ……がはッ、ふざけ、やがって……! 弱っちい人間も、忌々しい精霊も、理不尽な世界も……! 全て崩れちまえ、廃れちまえ、壊れちまえ……」
呪詛のような呟きを吐く魔人を、力に溺れ、振り回され、搾取された者の末路を、グレンはエルキュールと共に見下ろす。
「力こそが正義だったはずだ、だからそれを追い求めたってのに……んだよ、このザマはよォ……なあ、グレン……!」
「……ヒトだった頃のお前について、調べたことがあるがよ」
かつて敵わない相手への復讐心を鎮めるために寄せ集めた情報を、グレンは一つ一つ並べるように口にする。
「カヴォードとオルレーヌが争っていた約三十年ほど前、帝国の貧民の出としてお前が暮らしたスラム街では、確かに力が全てだったんだろうな」
今となっては魔物というリーベ共通の敵の台頭によって、そのように不幸な人間の数は減少の傾向にあるが。
そのように荒れた場所では、食べ物を手に入れるのも、安心して眠る場所を確保するのも、暴力に任せるしかないのは現実として確かなことだった。
「けどな、お前が手に入れようとした精霊の遺物。それは違うだろ。それを手にしてお前は何を救えると思った。不幸に喘ぐお前の同類か? ましてやお前自身だとでも? それが本当に正しい選択だと思っていたのか?」
遠回りをして、他者と肩を並べて、正解を見つけられたグレンとは違い、彼には救いがなかったのかもしれない。あるいはその欲望に従うことが救いだと信じていたのかもしれないが。
「お前は踏み入ってはならないところまで進んじまった。そうして手に入れた力で多くの人を殺したのをオレは見た。お前は、取り返しのつかないことをしたんだ」
「……違う、間違ってやがるのは……」
未練がましい呟きはグレンの決意が微かに鈍る。グレンとて、彼を見逃した咎を抱えている。彼が力を手にした時、真っ先に逃げ出したのは他ならぬグレンなのだ。
だから自身に断罪の資格があるのだろうかと、この期に及んで戸惑ってしまう。
「グレン、君はかつて言ったな。人間一人では、いつか愚に陥って進むべき道を間違えると」
エルキュールが静かに口を開く。彼がヌールから旅発つときにグレンがかけた言葉だ。
「君の過去がどうだったか、俺には分からない。けれどもし何かを間違ったのだとすれば、それはやはり傍に君を止める者がいなかったからだろう。孤独でいる自分を驕り高ぶっていたからだろう」
グレンの背中を押すように、エルキュールは銃大剣に付与されているエンハンスを再び火の魔素を込める。
「だがこれからは別だ。君はまだやり直せる。君は数多くの人の縁に囲まれ、正しいことを為していくんだ。これは全て、絶望して闇に消えようとしていた俺に、他ならぬ君自身が教えてくれたことだ」
不格好に笑うエルキュールは、いつにもまして優しげだ。それは弱ったグレンを励ますために彼が努力したのか、それとも離れていた僅かな間に何か彼を変える出来事でもあったのか。
分からない。ただ分からなくても今のグレンには十分だった。
「……恩に着るぜ、エルキュール」
グレンは燃え滾るように赤い剣を、ディアマントの胸のコアに定める。
「……ククク、がはッ……俺様を殺そうが、お前の罪は消えねえよ」
「そんなことは分かってんだ。だがお前を倒さないと、オレは罪を清算する機会を、他者に報いる機会すら失うんだよ」
「あァ、だから無駄っつってんだ。俺様を殺しただけではな」
急所に刃を突きつけられ、黄金の魔素を纏う身体も霞んでいるというのに、ディアマントの声からはどことなく覇気が感じられた。
その言葉の裏にあるものを察したエルキュールの眉が歪む。
「他の幹部たちの存在か? 確かにお前以外の幹部が討たれたという情報はないが、それでも彼らをこのまま放置するつもりも毛頭ない。俺は必ずアマルティアとの決着をつけるつもりだからな」
「幹部……クハハ、そうだなァ、もちろん、それも、ぐァ……」
それ以外に何がある。グレンは思わず口を開きかけた。だがそれは結局ディアマントに伝わったのか、朧げな彼の顔の輪郭が揺れた。
「いいか、はァ……お前らに贖罪や復讐の機会なんざ来るわけねえ。あの方が……魔王ベルムント様が復活すれば……いつか必ずアマルティアを、魔物を救い……お前らを皆殺し、に……」
魔人がそれ以上言葉を続けることはなかった。
これ以上覚悟が鈍ることを是としないグレンが、力を失いつつあったそのコアを砕いたのだ。
ガラスが割れる時さながらの、耳障りな音が辺りに響く。
魔素質で構成されたディアマントの身体は維持することができなくなり、急速にその形が解けていった。
まるで始めからそこに存在していなかったかのように、あっけなく。
身体だったものが砂の海へ、主を失った伝説の大槌が塵の山に落ちる。
グレンはその終焉を、半ば信じられない心地で見つめていた。
逃げて逃げて、逃げた先で。まさか己の手で仇敵を打ち倒すことができようとは。
周りの協力者たちが警戒を解いて、労いの笑みを浮かべて近づいてる光景を目にしても、それは変わらなかった。
達成感と安堵。高揚と呆然。
残された敵将を倒したことについてはしっかり自覚があったが、グレンの内にはそれでも混然とした感情が渦巻いていた。
大声を上げて勝利を喜ぶことも、過去の罪に決着をつけたことに涙を流すこともグレンにはできなかった。
グレンにとって王都における事件の顛末は、一時の感受性に任せるにはあまりにも大きい出来事だった。
夢うつつのような状態。そんな不安定さを抱えていたからこそ、あるいはグレンも気付いたのかもしれない。
「ベルムント……」
隣に佇むエルキュールが一瞬、未だかつて見たことのない泣き出しそうな顔でそう呟いていたことに。
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魔王軍の侵攻は止まらず、世界滅亡のカウントダウンが始まっていた。
「もう面倒ごとはごめんだ。でも、目の前の誰かを見捨てるのも――もっとごめんだ」
これは、追放された“地味なおっさん”が、
異種族たちとスローライフしながら、
世界を救ってしまう(予定)のお話である。
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