黒き魔人のサルバシオン

鈴谷凌

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二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」

二章 第四十二話「ルシエルの啓示」

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「――さて。ご自由に寛いでくださって構いませんよ。ここでの語らいは、現実のヴェルトモンドからすれば一瞬の出来事でしょうから」

 ジェナの向かいに座った大精霊、ルシエルは両手を胸の前で合わせてこちらの緊張が解けるよう促した。
 しかしジェナからしてみれば、精霊との交感というのは初めてのことである。目の前に差し出された紅茶のカップを意味もなく手にとっては元に戻して、紡ぐべき言葉を探していた。
 ルシエルはそんな彼女を急かすこともなく、やけに洗練された所作で茶を楽しんでいる様子。
 喫茶という文化が本当に精霊の間にもあったのだと思うと、ジェナはどこか可笑しく感じられ、ようやく平常心を取り戻すことができた。

「えっと、まずお聞きしたいのは、あの魔獣――マルティコアスについてです」

「貴女様の母親アメリア・イルミライトと、その夫であったウィルフリッド・パレットによる非道ですね。それを思うとわたくしも胸が痛いです」

「おばあ様……エヴリンは、あれはとある闇魔法によって父が生み出したものだと。父の手記にも、その研究の過程が記されてましたが……やはりどうしても信じられないのです」

「……なるほど。ジェナ様はたいそう魔法がお好きなのですね」

 その口調は羽のように軽やかだったが、実は鉛のように重たく。
 一瞬迷ってから、ジェナは頷いた。過程はどうであれ、やはり魔法は彼女にとって無くてはならないものであった。
 ゆえに、その本質は常に理解しておきたい。
 ルシエルは空になったカップに二杯目を注いでから語りだした。

「人間が指す闇魔法の範疇は分かりかねますが、あれはベルムントが残した呪いによるもの。彼の因子が招いた結果です。その因子を操るのに、闇の魔素が適していた、というのが正しい認識かもしれません」

「因子、魔物……もしかして、マクダウェルが所持していたイブリス・シードのこと? 確かにあれを調べたとき、闇の魔素とは違う、禍々しい性質を感じたけど……」

「おや、人の子の研究はとても素晴らしい進歩を遂げているようですね。その因子の存在に気づいているのならばお分かりでしょう。術に罪などありません。魔に魅入られし人の狂気こそが、今回の事件の発端なのです」

 ルシエルは敢えて淡々と述べた。恐らく当事者の心情に触れることは却って真摯でないと断じたからだろう。
 ジェナはほっと一息ついて、やや冷めてしまった茶を啜った。
 あの魔人を信じた己の判断は、少なくとも魔法の観点から言えば間違っていなかったのだから。
 此度の災厄は偏に父と母の咎から始まるもの。認めることは辛いが、それでもジェナはこの結末を受け入れることにした。

「先ほどベルムント様の呪いと仰りましたが、ルシエル様たち六大精霊と魔物の関係について、聞かねばならないことがあります」

 二つ目は、ジェナが六霊守護として兼ねてから考察していた可能性について。
 王都を襲撃したディアマントが、土精霊の遺物を取り込んだことで魔人となったこと。そしてアマルティアの目標である魔王ベルムントの覚醒。
 何れも精霊と魔物の関連を示すことであった。始めはエルキュールから聞かされた考察だったが、精霊と関係の深い立場にあるジェナも、これを検証する責任があるだろう。
 力強い口調のジェナにルシエルは目を瞠った。
 彼女は光り輝く自身の髪を耳にかけ、視線を左右に散らして、それから困ったような笑顔でジェナを見つめる。
 慈愛の精霊には似つかぬ、罪人の顔であった。

「彼は……ベルムントは。わたくしたちとは違って唯一、ヴェルトモンドに顕現している精霊です。ジェナ様ならばご存じでしょう?」

「はい。大陸の南西端、六霊教教皇が管理する闇の聖域。アートルムダールの最奥に、その御体は封印されていると。ルシエル様たちとの闘いの結果によるものだと伝え聞いております」

「その通りです。闘いの末に彼を封じましたが、残った五柱の精霊は力を失い、この六霊の庭でしか姿を保てなくなりました。だからこそ、彼がこれから為そうとしていることに、わたくしたちは直接手を出せない」

 ルシエルはそこで言葉を区切って、広場の外周にある玉座に目を向けた。その榻背にある結晶は黄金色。土精霊ガレウスの座である。

「遺物に触れた人間が悪しき心の持ち主だと、ガレウスは直感的に判断したのでしょう。僭越者の身を呪うことで、ささやかな抵抗の意を示したのかもしれませんね」

 在りし日のディアマントの渇望を思い起こすジェナ。自らに備わった砂の権能を持て余していたことから、確かにその推察は的を射ているように思える。

「そして人の子らが言う魔物とは、ベルムントの力の残滓から生まれたもの……眠りについている彼とは主従の関係にあるといって差し支えありません」

「魔物は、ベルムント様の僕……精霊様の、お力の欠片……?」

「汚染本能と呼ばれるシステムを僕に組み込み、大陸を魔の軍勢で染め上げる。その果てに彼は、わたくしたちが施した封印を解こうとしているのでしょう。……精霊大戦は、まだ本当の意味で決着がついていないということです」

「ルシエル様……」

 彼女ら精霊とベルムントは、かつて混沌だったヴェルトモンドを統治した盟友だとされている。
 古代の伝説を記したヴェルトモンド創世記。その内容がほとんど真実だということは、精霊と共にあったイルミライト家の保証するところであった。
 アマルティアや他の魔物の活性化にベルムントが関与していると明らかになった今、光精霊の憂慮は尤もであろう。

「……手は、ないのでしょうか。十五年前のアートルムダールの戦役で、闇の聖域の封印も一度は解かれています。教皇様が過去の原因を探っているようですが、成果は芳しくなくないようで。何か私にも、できることがあれば……!」

 気づけばジェナはテーブルから身を乗り出していた。勢いよくついてしまった手がカップを鳴らしてしまったことに気づいて、ようやく彼女は己の威勢を自覚する。
 恥ずかしげに姿勢を戻して俯くジェナに、ルシエルは嬉しそうな、本当に嬉しそうな調子で目を細めた。

「ありがとうございます、ジェナ様。貴女様のような方がわたくしを守ってくださるのは、誠に光栄なことでありますね」

 ルシエルが指を鳴らすと、卓上に三段上のスタンドに乗せた茶菓子が現れた。
 マカロン、ケーキ、フィナンシェ。ジェナが幼い頃に憧れたオルレーヌ菓子の数々だが、祖父母の躾のせいであまり縁がなかったのを今でも覚えている。
 皿に取り分けてこちらに差し出してくるルシエルに、この話が長くなることをジェナは容易に感じ取った。

「魔物の活性化には闇の聖域の封印が解かれようとしていることが関わっています。故に、事態を収めたいのならば、その精霊の封印を再び施すことが最も効果的でしょう」

「しかしルシエル様も、他の精霊様たちも。御体がヴェルトモンドにあります唯一の精霊、闇のベルムント様におかれましても直接私たちの世界には干渉できないのですよね?」

「ええ。ですが、今。わたくしたちはこうして意識を通わせています。そして僅かにですが、わたくしはカドゥケウスを通じてジェナ様に力を分け与えることが出来るようなのです」

「聖杖の遺物で……? それにルシエル様の力って、まさか……!?」

「かつてベルムントを封じた力、そのうちの光の権能をジェナ様に。どうかそれを携え、ヴェルトモンド各地の聖域を巡ってください。そして五柱の権能を手にした貴女様が、封印を」

 もはや目の前の菓子など口にする気も起きなかった。
 ただただ光精霊から託された使命の重みに圧倒される。
 当然のことながら、ジェナにはそれを果たす自信がなかった。
 未だに両親の過失を止められなかった幼き頃の負い目と、祖父母が貼った未熟者のレッテルが彼女の道を塞ぐ。
 今回の事件解決において六霊守護としての面目は保たれたはずだが、それでも今のジェナの力で、精霊の代行のような役割を果たせるものだろうか。

 ジェナは黙り込む。ルシエルも、それを黙って見つめるのみであった。
 恐らくはこちらに全てを委ねる気なのだろう。
 この無こそが、光精霊の慈悲だというのか。それとも答えは既にジェナのうちにあるとでも言わんばかりの示唆であろうか。
 とかくジェナは目を瞑り、もう一度考えを整理する。思い起こすのは、あの黒衣の魔人のことだ。
 人々の常識の埒外にある存在。汚された自らの価値を再定義しようと足掻く彼は。あのときジェナにとって希望だとさえ思えた。
 巧みに魔法を行使する能力の高さに驕らず、その心は常に純心で溢れていた。
 ジェナはたびたび、彼に在りし日の光を見た。そして今なお、光ある闇は彼女に勇気を与えてくれるのだった。

「まあ、その表情。懸想している誰かを思い浮かべていますね?」

「あっ……! い、いえ! エル君は別にその、違くて……あの……ただ、決意を! そう、決意を固めていただけでっ」

「あら、エルキュール様だったのですか?」

 二度目の攻撃にジェナは悶絶した。
 頬を赤くし、頭を抱え、両の足をばたばたと動かす。それから卓上の菓子類を一気に平らげると、紅茶をぐいと飲み干してみせた。
 彼女の衝動的な照れ隠しをルシエルは暫く楽しそうに眺めていたが、ふと息を吐くと、真剣な瞳で以て問うた。

「――それで。決意のほどは聞かせてくださいますか?」

「……ふう、はい。何だか妙な雰囲気になってしまいましたが。ルシエル様の命とあらば、このジェナ、必ずやお役目を果たして見せます!」

「ふふふ、別に命じた覚えはありませんよ。これはただのお願いです。ヴェルトモンドは今や精霊ではなくリーベが治める大陸なのですから」

 口元に手を当て優雅に笑みを見せたルシエルは、もはや慣れた手つきで指を鳴らした。それに伴って卓上の食器が光の魔素となって消えていく光景もまた、やはり慣れたものである。
 この邂逅も、いよいよ終わりを迎えようとしているのだろう。

「……時が満ちたようです。ああ、そういえば。これほど長い交感はわたくしも初めてのことでしたね。やはりジェナ様だけでなくエルキュール様の助力も関わっているのでしょうか」

「え……? どうしてそこでエル君の名前が……?」

「あの方は特別です。貴女様も既に気づいておられるはず。ですからどうか彼との縁を大切に。出来ることなら、貴女様もその行く末を照らして差し上げてくださいね――」

 その言葉は何やら深刻めいていたが、ルシエルの声は次第に遠くなっていき。焦ったジェナが声を上げるも、それすら次第に聞こえなくなる。
 視界が、空間が歪む。意識が霞んでいく。この場所における存在感がどんどん希薄になってゆく。
 即ちこれは、夢の終わり。朧げな思考でジェナは思い至る。

「――――」

 最後の景色。ルシエルが笑顔で何かを口にしていた。
 それはきっと、彼女なりの祝福なのだろう。
 薄れゆく自意識の中で、ジェナは微笑みと共に思考を手放した。

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