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第二章 嫌われ者の魔法使い
06
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フィナがアルバのメイドになってから二週間が経った。これと言って大きな変化はなく、慎ましい生活が続いている。家の掃除も庭の整備も完全に終わったので、忙しさからも解放されていた。前の職場ではやることがなければ自分で見つけて素早く解決していたが、現在は手が空いた時は手間のかかる料理を作るだけだった。もしかすると、アルバののんびりとした部分に影響を受けたのかもしれない。
そんなアルバも、最近は庭で遊んでいることが多い。水蝶を出して水やりをしたり、花壇に生えた雑草を見つけて抜いたりしている。フィナが目を離すと、地べたで居眠りをしていることが何度かあった。貴族と間違われてもおかしくないほど質のいいシャツが、土で汚れて無残な姿になっているがフィナは気にしない。洗えばいいのだ。
「それではアルバ様、買い物に行ってきます。必要な物などありますか」
「行かなくても、まだ食べ物はあるんじゃないかな」
「なくなる前に行くものです。食べたい物があれば作りますから」
この日は買い物に行くと決めた日だった。雨も降っていないので、市場は活気があるだろう。
フィナが外出を決めると、アルバは心配そうに彼女を見る。
「フィナが作る料理は何でも好きだよ。でも……嫌な気分にならないかなって」
「嫌な気分になんて」
ならない、とは言い切れなかった。気にならないのなら、人々が話すアルバの噂話を聞き流せただろう。
最初に市場を訪れた時に比べ、人々はどこかよそよそしかった。もしかするとアルバのメイドだと、周囲に広まっているのかもしれない。だがフィナは気にせず、数日分の食料をバスケットがいっぱいになるまで買った。アルバのことを理由に値段をふっかけられているわけでもない。それに、興味本位で話しかけられて時間を取られるよりはよかった。すぐに帰って来た方が、アルバも安心するだろう。
買い物を済ませたフィナは家路に向かう。
その時、コツンと背中に何かが当たった。
フィナが振り返ると、一人の少年が立っている。その手には石が何個も握られていた。フィナに石を投げたのだろう。背中だったからいいものの、当たり所が悪かったら大変なことになっていた。
「お前が水魔法使いのメイドか」
「アルバ様のことでしたら、その通りです」
淡々と肯定すれば、少年はさらに怒りを募らせ叫んだ。
「だったら出て行け!」
「アルバ様が住んでいる場所はあなたの土地なのですか?」
「そういう話じゃない。この領地に危険なやつがいるんだぞ!」
少年はもう一度、フィナに向かって石を投げつけた。
「何でだよ、おかしいだろ」
「何がおかしいのですか」
相手になんてしなければいいのに、フィナを聞き返してしまう。
表情も声音も普段と何ら変わらない、冷たささえ感じるものなのに、彼女の心臓は締めつけられるような痛みを感じていた。
「あいつは悪いやつなんだろ! みんな言ってたんだ」
「みんなとは、具体的に誰のことでしょうか」
「みんなは……みんなだろっ」
一人の小さな子どもが言うことだ。むきになる必要もない。その少年の周囲ではそういう会話が日常的に行われているのだろう。
フィナは少年に向かって一歩、足を進める。
「く、来るなよ」
「あなたはアルバ様がどういう人なのか知っているのですか」
「人殺しだろ、知ってるに決まっているだろ」
フィナは構わず少年に近づく。自分より背の高い女性が表情も変えずに迫ってくる姿に、少年は持っていた最後の石を投げた。
「あんなやつ、さっさといなくなれよ!」
カツン、と石がフィナのこめかみにぶつかる。
「そうしないとみんな安心して生活できないんだよ!」
こめかみに石がぶつかっても、フィナは痛みを感じなかった。どうでもいいとさえ思う。それなのに少年の言葉は、鋭い刃のようだった。
フィナは自分がどうして強い衝撃を受けているのか分からなかった。
この程度の暴言はハウス家のメイドだった頃から聞き慣れたものだった。「顔を見ただけで気分が悪くなる」「さっさと死ねばいいのに」等、屋敷の中では悪口を聞かない日はない。そのことに対して悲しみも怒りもわかなかった。食事ができて、屋根のある場所で眠れるのだからそれでいい。誰かにいい印象を持って欲しいなんて欲求もなく、日々を過ごしていた。
なのにどうして、同じ暴言がアルバに向けられるとフィナは動揺してしまうのだろう。こんな言葉がアルバにぶつけられたらと想像するだけで、目の前が真っ暗になりそうだった。
彼女の脳裏で、毎晩見る蛇の形をした痣が浮かぶ。出会ってから二週間。それなのに、痣はどんどん広がっていった。そのせいで痣の周囲にできる傷も酷くなってきている。いくら朝には傷が綺麗に治るとしても、出血量が酷くて死んでしまうのではないかと不安になるほどだ。
しかしアルバは死が近づく様子を見ても、平然としていた。崩れる時があるとすれば、フィナのふくらはぎにある傷に薬を塗る時だけだ。彼が毎晩、傷薬を塗ってくれるおかげで彼女の傷はもうほとんど治りかけていた。
「お、おい。お前、血……」
フィナのこめかみが血で滲んでいく。
なのに彼女は血が出ていることにも気づいていない様子で、少年の手を取った。
「それほど不安に思うなら、会いに行きましょう」
「は?」
ちょうど森に入る手前だ。移動に時間もかからない。
「お、おい、こ、ここ魔法使いが住んでる森だろ!」
「はい、そうです」
フィナは構わず少年を連れて歩く。さきほどまでの威勢はどこに行ったのか、叫び声に力がない。少年は掴まれた手を振り回して逃げようとするが、フィナは手を離さなかった。
「メイドに石を投げることはできても、魔法使いの顔を見るのは怖いのですか」
「は、はぁ!? 怖くねぇし!」
「では、問題ありませんね」
「いや……えっ……」
アルバの家が見え始めると、少年の口数は減り顔色は真っ青になっている。フィナに連れられて歩いてはいるが、彼女の後ろに隠れるように移動していた。
後すこしでアルバに会える。途端に、フィナはどうしてこんなことをしてしまったのだろうかと虚しくなった。実際のアルバが優しい人だとしても、会うだけで嫌悪が薄れるのならとっくに解決しているはずだ。
そもそもアルバは自分を嫌う人と会いたくはないだろう。連れてきた少年がアルバに酷い言葉を投げるかもしれない。そんなことは連れてくる前から想像できたはずなのに、フィナは勢いで家の前まで連れて来てしまった。
やはり帰した方がいいかもしれない。
フィナがそう判断した時、家の周辺で水蝶が飛んでいるのが見えた。
「見たことのない蝶がいる……!」
「あ」
あれほど怖がっていたのに、少年はフィナの手から抜けだして走り出す。そのままアルバがいるであろう庭に入ってしまった。
「すげーキラキラしてる」
少年は花の周りを飛ぶ水蝶を見ると、手を伸ばした。だが、水蝶はひらりと身をかわして、少年のおでこに体をぶつける。
「冷たっ」
「大丈夫?」
庭にいたアルバは、心配そうに少年に話しかけた。
フィナは一歩も動けないまま、会話に聞き耳を立てる。本当は今すぐ走って、少年の口を手で塞いでしまいたかった。
「これくらい大丈夫だ。それより、何でお前にばっかり蝶がくっついてるんだよ」
「きみが蝶を握ろうとしたからだよ。怖いみたいだね」
「捕まえようとしただけだ」
「でもここにいる蝶は俺のだから」
「俺の!?」
「俺のだよ」
そう言って、アルバは少年に水蝶を作って見せる。ただの水の塊が形になっていく不思議な光景に、少年は興奮した様子で「すげー!」と叫んだ。
その後、アルバと少年の会話はフィナが想像しているような雰囲気にはならなかった。アルバが水蝶について教えると、少年は興味深そうに話を聞き始める。彼が水魔法使いであることは気づいているはずだ。なのに少年の声音は明るいままだった。アルバを傷つけるような言葉を放つことはなく、心配するようなことは起きないと伝わってくる。
フィナはやっとの思いで足を動かした。
しかし、向かう先はアルバの元ではない。彼女は庭からは見えない家陰に座り込んだ。体を丸め込むような姿勢で、息を潜める。
「私……」
最後まで声に出せなかった。言いたいことを呑み込み、喉を鳴らす。少年の腕を掴んでアルバの家に向かっている時、フィナは自分の中に生まれた衝動に従って動いていた。そこにはアルバ本人を気づかう心がない。ただ、誰か一人でもアルバを悪く言う人がいなくなって欲しかっただけだった。
少年の楽しげな声は家陰まで届いた。
どうかそのまま、続いて欲しい。
フィナは目を閉じて、その声を聞き続けた。
フィナが家陰に座り込み、どれほど時間が経っただろうか。
空の色は茜色に染まりかけていた。少年は水蝶で遊ぶのをやめて、家に帰る。庭で一人になったアルバは家にフィナがいないことに気づいた。出かけてから随分と時間が経っている。心配になって彼女が向かったであろう市場に行きかけるが、家陰で小さくなっているフィナを見つけた。
「フィナ、こんな所にいたんだ」
「アルバ……様?」
肩を叩かれ、フィナは顔を上げる。
しかし、頭がくらくらしてアルバの顔を見られなかった。
「買い物が終わったのに、どうし……」
「申し訳ございません、ぼんやりとしておりました」
フィナの顔色は不気味なほど青くなっている。それも当然だ。石で切った傷口は、まだ何の処置もしていないのだから。立ち上がろうとすれば、体がふらついた。それでも食材が入ったバスケットを持ち、移動を始める。
「すぐに夕飯を作ります」
「いや、それよりフィナは休んで」
持っていたバスケットを奪うと、アルバはフィナの体を支えた。
「頭に血が出てるよ」
「血ですか……?」
言われてみれば、とフィナはひりひりと痛むこめかみに触れる。指は不自然に肌を滑った。そして触れた手を見ると、赤い血で汚れている。
「アルバ様、申し訳ございません」
「謝らなくていいから、休んで。その前に止血しないと」
「いえ、そうではなく……」
自分がどうなっているのか自覚すると、フィナは血の気が引くのを感じた。怪我した部分がドクドクの脈打つっているようにも思える。
「……今、倒れそうなので」
「フィナ?」
宣言を終えたフィナはゆっくりとしゃがみ込むと両手を床につけ、床の上で横になった。その姿は倒れるというよりは、横になって寝るような自然な動作だった。
「寝たの……? いや、気絶……あっ、そうじゃなくて寝るならベッドにしよう!」
アルバは混乱しながらも、ひとまずフィナをベッドに運ぶことにした。
そんなアルバも、最近は庭で遊んでいることが多い。水蝶を出して水やりをしたり、花壇に生えた雑草を見つけて抜いたりしている。フィナが目を離すと、地べたで居眠りをしていることが何度かあった。貴族と間違われてもおかしくないほど質のいいシャツが、土で汚れて無残な姿になっているがフィナは気にしない。洗えばいいのだ。
「それではアルバ様、買い物に行ってきます。必要な物などありますか」
「行かなくても、まだ食べ物はあるんじゃないかな」
「なくなる前に行くものです。食べたい物があれば作りますから」
この日は買い物に行くと決めた日だった。雨も降っていないので、市場は活気があるだろう。
フィナが外出を決めると、アルバは心配そうに彼女を見る。
「フィナが作る料理は何でも好きだよ。でも……嫌な気分にならないかなって」
「嫌な気分になんて」
ならない、とは言い切れなかった。気にならないのなら、人々が話すアルバの噂話を聞き流せただろう。
最初に市場を訪れた時に比べ、人々はどこかよそよそしかった。もしかするとアルバのメイドだと、周囲に広まっているのかもしれない。だがフィナは気にせず、数日分の食料をバスケットがいっぱいになるまで買った。アルバのことを理由に値段をふっかけられているわけでもない。それに、興味本位で話しかけられて時間を取られるよりはよかった。すぐに帰って来た方が、アルバも安心するだろう。
買い物を済ませたフィナは家路に向かう。
その時、コツンと背中に何かが当たった。
フィナが振り返ると、一人の少年が立っている。その手には石が何個も握られていた。フィナに石を投げたのだろう。背中だったからいいものの、当たり所が悪かったら大変なことになっていた。
「お前が水魔法使いのメイドか」
「アルバ様のことでしたら、その通りです」
淡々と肯定すれば、少年はさらに怒りを募らせ叫んだ。
「だったら出て行け!」
「アルバ様が住んでいる場所はあなたの土地なのですか?」
「そういう話じゃない。この領地に危険なやつがいるんだぞ!」
少年はもう一度、フィナに向かって石を投げつけた。
「何でだよ、おかしいだろ」
「何がおかしいのですか」
相手になんてしなければいいのに、フィナを聞き返してしまう。
表情も声音も普段と何ら変わらない、冷たささえ感じるものなのに、彼女の心臓は締めつけられるような痛みを感じていた。
「あいつは悪いやつなんだろ! みんな言ってたんだ」
「みんなとは、具体的に誰のことでしょうか」
「みんなは……みんなだろっ」
一人の小さな子どもが言うことだ。むきになる必要もない。その少年の周囲ではそういう会話が日常的に行われているのだろう。
フィナは少年に向かって一歩、足を進める。
「く、来るなよ」
「あなたはアルバ様がどういう人なのか知っているのですか」
「人殺しだろ、知ってるに決まっているだろ」
フィナは構わず少年に近づく。自分より背の高い女性が表情も変えずに迫ってくる姿に、少年は持っていた最後の石を投げた。
「あんなやつ、さっさといなくなれよ!」
カツン、と石がフィナのこめかみにぶつかる。
「そうしないとみんな安心して生活できないんだよ!」
こめかみに石がぶつかっても、フィナは痛みを感じなかった。どうでもいいとさえ思う。それなのに少年の言葉は、鋭い刃のようだった。
フィナは自分がどうして強い衝撃を受けているのか分からなかった。
この程度の暴言はハウス家のメイドだった頃から聞き慣れたものだった。「顔を見ただけで気分が悪くなる」「さっさと死ねばいいのに」等、屋敷の中では悪口を聞かない日はない。そのことに対して悲しみも怒りもわかなかった。食事ができて、屋根のある場所で眠れるのだからそれでいい。誰かにいい印象を持って欲しいなんて欲求もなく、日々を過ごしていた。
なのにどうして、同じ暴言がアルバに向けられるとフィナは動揺してしまうのだろう。こんな言葉がアルバにぶつけられたらと想像するだけで、目の前が真っ暗になりそうだった。
彼女の脳裏で、毎晩見る蛇の形をした痣が浮かぶ。出会ってから二週間。それなのに、痣はどんどん広がっていった。そのせいで痣の周囲にできる傷も酷くなってきている。いくら朝には傷が綺麗に治るとしても、出血量が酷くて死んでしまうのではないかと不安になるほどだ。
しかしアルバは死が近づく様子を見ても、平然としていた。崩れる時があるとすれば、フィナのふくらはぎにある傷に薬を塗る時だけだ。彼が毎晩、傷薬を塗ってくれるおかげで彼女の傷はもうほとんど治りかけていた。
「お、おい。お前、血……」
フィナのこめかみが血で滲んでいく。
なのに彼女は血が出ていることにも気づいていない様子で、少年の手を取った。
「それほど不安に思うなら、会いに行きましょう」
「は?」
ちょうど森に入る手前だ。移動に時間もかからない。
「お、おい、こ、ここ魔法使いが住んでる森だろ!」
「はい、そうです」
フィナは構わず少年を連れて歩く。さきほどまでの威勢はどこに行ったのか、叫び声に力がない。少年は掴まれた手を振り回して逃げようとするが、フィナは手を離さなかった。
「メイドに石を投げることはできても、魔法使いの顔を見るのは怖いのですか」
「は、はぁ!? 怖くねぇし!」
「では、問題ありませんね」
「いや……えっ……」
アルバの家が見え始めると、少年の口数は減り顔色は真っ青になっている。フィナに連れられて歩いてはいるが、彼女の後ろに隠れるように移動していた。
後すこしでアルバに会える。途端に、フィナはどうしてこんなことをしてしまったのだろうかと虚しくなった。実際のアルバが優しい人だとしても、会うだけで嫌悪が薄れるのならとっくに解決しているはずだ。
そもそもアルバは自分を嫌う人と会いたくはないだろう。連れてきた少年がアルバに酷い言葉を投げるかもしれない。そんなことは連れてくる前から想像できたはずなのに、フィナは勢いで家の前まで連れて来てしまった。
やはり帰した方がいいかもしれない。
フィナがそう判断した時、家の周辺で水蝶が飛んでいるのが見えた。
「見たことのない蝶がいる……!」
「あ」
あれほど怖がっていたのに、少年はフィナの手から抜けだして走り出す。そのままアルバがいるであろう庭に入ってしまった。
「すげーキラキラしてる」
少年は花の周りを飛ぶ水蝶を見ると、手を伸ばした。だが、水蝶はひらりと身をかわして、少年のおでこに体をぶつける。
「冷たっ」
「大丈夫?」
庭にいたアルバは、心配そうに少年に話しかけた。
フィナは一歩も動けないまま、会話に聞き耳を立てる。本当は今すぐ走って、少年の口を手で塞いでしまいたかった。
「これくらい大丈夫だ。それより、何でお前にばっかり蝶がくっついてるんだよ」
「きみが蝶を握ろうとしたからだよ。怖いみたいだね」
「捕まえようとしただけだ」
「でもここにいる蝶は俺のだから」
「俺の!?」
「俺のだよ」
そう言って、アルバは少年に水蝶を作って見せる。ただの水の塊が形になっていく不思議な光景に、少年は興奮した様子で「すげー!」と叫んだ。
その後、アルバと少年の会話はフィナが想像しているような雰囲気にはならなかった。アルバが水蝶について教えると、少年は興味深そうに話を聞き始める。彼が水魔法使いであることは気づいているはずだ。なのに少年の声音は明るいままだった。アルバを傷つけるような言葉を放つことはなく、心配するようなことは起きないと伝わってくる。
フィナはやっとの思いで足を動かした。
しかし、向かう先はアルバの元ではない。彼女は庭からは見えない家陰に座り込んだ。体を丸め込むような姿勢で、息を潜める。
「私……」
最後まで声に出せなかった。言いたいことを呑み込み、喉を鳴らす。少年の腕を掴んでアルバの家に向かっている時、フィナは自分の中に生まれた衝動に従って動いていた。そこにはアルバ本人を気づかう心がない。ただ、誰か一人でもアルバを悪く言う人がいなくなって欲しかっただけだった。
少年の楽しげな声は家陰まで届いた。
どうかそのまま、続いて欲しい。
フィナは目を閉じて、その声を聞き続けた。
フィナが家陰に座り込み、どれほど時間が経っただろうか。
空の色は茜色に染まりかけていた。少年は水蝶で遊ぶのをやめて、家に帰る。庭で一人になったアルバは家にフィナがいないことに気づいた。出かけてから随分と時間が経っている。心配になって彼女が向かったであろう市場に行きかけるが、家陰で小さくなっているフィナを見つけた。
「フィナ、こんな所にいたんだ」
「アルバ……様?」
肩を叩かれ、フィナは顔を上げる。
しかし、頭がくらくらしてアルバの顔を見られなかった。
「買い物が終わったのに、どうし……」
「申し訳ございません、ぼんやりとしておりました」
フィナの顔色は不気味なほど青くなっている。それも当然だ。石で切った傷口は、まだ何の処置もしていないのだから。立ち上がろうとすれば、体がふらついた。それでも食材が入ったバスケットを持ち、移動を始める。
「すぐに夕飯を作ります」
「いや、それよりフィナは休んで」
持っていたバスケットを奪うと、アルバはフィナの体を支えた。
「頭に血が出てるよ」
「血ですか……?」
言われてみれば、とフィナはひりひりと痛むこめかみに触れる。指は不自然に肌を滑った。そして触れた手を見ると、赤い血で汚れている。
「アルバ様、申し訳ございません」
「謝らなくていいから、休んで。その前に止血しないと」
「いえ、そうではなく……」
自分がどうなっているのか自覚すると、フィナは血の気が引くのを感じた。怪我した部分がドクドクの脈打つっているようにも思える。
「……今、倒れそうなので」
「フィナ?」
宣言を終えたフィナはゆっくりとしゃがみ込むと両手を床につけ、床の上で横になった。その姿は倒れるというよりは、横になって寝るような自然な動作だった。
「寝たの……? いや、気絶……あっ、そうじゃなくて寝るならベッドにしよう!」
アルバは混乱しながらも、ひとまずフィナをベッドに運ぶことにした。
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