余命二ヶ月の水魔法使いと真面目なメイドの不器用な恋

佐倉響

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第三章 メイドの恋

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 アルバとフィナは目立つつもりなどなく、他の人と同じように振る舞っていたつもりだった。しかし曲が終わりその場から離れようとすると、何故か人々に囲まれた。

「女の子の方は貴族なの?」
「いえ……」

 突然、何の話だろうか。フィナは目を丸くして、ひとまず否定する。

「お兄さん、力持ちだね!」
「あっ、あ、はい」

 アルバも声をかけられ、彼にしては珍しく戸惑った声が出た。

 どちらも知らない人から好意的に話しかけられる経験が欠如しており、しどろもどろにしか返答できない。にも関わらず、ものすごくぐいぐいと話しかけられる。年齢、職業、普段どこにいるのかまで凄まじい質問攻めだ。フィナが知っている顔はないので、たぶん外から来た人間がほとんどだろう。そうでなければ、あの果物を売る店主のように、気安い態度は出せないはずだ。アルバが水魔法使いであることがバレてしまわないか、フィナはヒヤヒヤしていた。

 マーサが助けてくれないだろうかと二人はすこしだけ思ったが、彼女は微笑ましそうに見物していた。だめそうである。

 なのでフィナは、戸惑っているアルバの手を引いて逃げることにした。

「行きましょう、ア……」
「あ?」

 いつものように名前を呼びそうになったフィナは眉を寄せる。「アルバ様」などと言えば、水魔法使いだと結びつけてしまう人がいるかもしれない。それに今、二人はカップルだと思われている。それならば「様付け」をするのもおかしいだろう。そして人々の視線が集中する中、名前を呼びかけてやめるのも変だ。

「……アル」

 フィナにとって、苦肉の策だった。

「アルって誰?」

 ……アルバには、フィナの苦悩をすこしも理解してもらえなかったが。

 ともかく、急いで離れればわざわざ追いかけてくるような人もいない。二人は人の群れから離れることに成功し、露店が並ぶ場所に戻る。二人はようやく落ち着いて歩けるようになった。ほとんど引きこもりのような生活をしているアルバに疲れている様子がないことを確認し、フィナは話しかける。

「他に行きたいところはありますか」
「ううん、もういいかな。それより、アルってどういう意味だったの? 俺のこと?」

 アルバにからかうつもりはない。本当に分からないようで、手を繋いだまま首を傾げている。

「……失礼しました。他に偽名が思い浮かばなかったのです」
「偽名かぁ」

 正直、何のひねりもない。一音減らしただけだ。それでもアルと聞いて、水魔法使いのアルバを連想する人はいないだろう。

「これからも使う?」
「いいえ、二度と使わないので安心してください」
「別に嫌じゃないのに……」

 当の本人が気にしていなくとも、フィナは酷く後悔していた。状況的に仕方がなかったとはいえ、主人を偽名で、それも敬称もつけずに呼んだのだ。そんな気安い態度はとりたくなかった。

「じゃあ、もう帰ろうか」
「いいのですか?」
「うん、もうお腹いっぱい。でもフィナに行きたいところがあるなら、俺も行くよ」
「私はお祭りに興味はありませんので、構いません」

 本当に家へ帰っていいのか、フィナはアルバの心を探るように彼を見つめた。

 しかし、アルバの言葉は本心のようだった。

 出かける前のような、憂いのある表情はない。どこかすっきりとした顔をしている。

「わかりました。帰りましょう」

 人の多い場所から離れ、二人はもう手を繋ぐ必要もないのそのまま歩いていた。

 森の中に入ると、空の色は茜色に染まりかけていた。夕飯はいつもの量で大丈夫だろうか。たくさん食べ歩いたので、あまり必要ないかもしれない。フィナは家に帰ってからのことを考えていた。

「フィナ、今日はありがとう」
「そのように感謝していただく必要はありません」
「でも、これはメイドの仕事じゃないと思うよ」

 そう言われてしまうと、フィナは何も言えなかった。確かにこれは、フィナに与えられている仕事ではないからだ。

「あのね、フィナがよかったら今日は……──うっ」
「アルバ様?」

 何も食べていないはずのアルバがゴボゴボと咳をしてむせる。口に手を当てて、苦しそうな声を出した。心配になったフィナは、繋いでいる手を離して彼の背をさすりたかった。だが、フィナの手はむせているアルバに強く握られてしまい、何もできない。

「──あ」

 アルバがようやく、口を覆っていた手を離す。

 彼は呆然と、自身の手元を見ていた。

 けれどフィナは、アルバの口元を見て言葉が出なかった。

 同時に、アルバが着ている白いシャツの腹部が赤く染まっていく。

 まだ、昼間なのに。

 彼の口も手も、赤い。

 アルバの体から力が抜けそうになり、ようやくフィナは彼の前に立って体を支えた。

 なのに、肝心の言葉が出ない。何を言えばいいのか分からなかった。

 フィナの呼吸は、口から血を吐いたアルバよりも荒くなっている。

「……驚かせてごめんね、フィナ。さっき、ちょっとお腹の中が潰れちゃったみたいで。あ、フィナの服が汚れるから支えなくても」

 服の心配なんて、しないでください。

 フィナは首を横に振る。彼女の声は、喉が潰れたような音しか出なかった。

「う……」

 喋りかけたアルバの唇の端から、血がこぼれる。

 フィナはポケットの中に入れていたハンカチを取り出し、彼の口元に当てた。

「こ、これを……つ、使っ……て、ください」
「ありがとう」

 血を吐いた本人の方が、動揺しているはずだ。それなのに、フィナを見て申し訳なさそうに笑う。

「アルバ……さま……」

 このままではだめだ。アルバが安心して過ごせるよう、振る舞わなくてはいけない。フィナはハンカチをアルバに渡す。また口から血が出そうになるかもしれない。手で受け止めるよりはいいはずだ。

「家まで、歩けそうですか……」
「うん。そこまでなら大丈夫だと思う」

 動揺してはいけない。いつか、こんな日が来ることは最初から知っていた。予定よりも早く、その時が来たっておかしくない。いつまでもアルバを世話する生活が続くわけではないのだ。

 なのに。

 なのに、彼女の喉は焼けそうなほど熱かった。

 普通に喋ること自体がとても難しいことのように思える。

 自分よりも大きな体が壊れやすい物のように感じられて、一歩足を進めるたびに恐ろしくなった。

 アルバが死んでしまう。

 毎晩、腹部に広がっていく痣を見ていた。心の準備はできていたはずだ。

 ここに来る前から、決まっていたことである。

 相手がどんな人であろうと、どうだってよかった。

 気にしたって仕方のないことだ。

「重たいよね、ごめんね……」

 それなのにどうして、こんな時でも気づかおうとするのだろうか。

 フィナはすこしも嬉しくなかった。

「重たくありません。もっと、体重をかけてくださって構いません」
「うん……」

 アルバの腕がフィナの肩に回る。体が密着すると、彼がすこしずつ衰弱していくのが生々しく伝わってきた。弱々しい呼吸、褪色たいしょくしていく皮膚、足は時折もつれまっすぐ前に歩くのも難しいようだった。普段の驚異的な回復力はどこにいってしまったのだろう。

 祭りに参加している最中は、何事もなかったはずなのに。

「フィナ、もし……怖かったら──」
「怖くありません。最期まで、看病します」

 何を言おうとしているのか、フィナはすぐに気づいて遮った。

 けれどそうしなければ、アルバはフィナをシリル伯爵の元に行くよう言っただろう。

 もしくは、一人きりで死にたいと心にもないことを言うかもしれない。

 そんなことになれば、フィナはアルバが願う通りに行動してしまいそうだった。

「私は平気です」

 フィナはいつも通り、抑揚のない声で語りかける。

 能面のような表情は完璧で、アルバの死が迫っていることに対して何の感情もないように見えた。

 そうしないとそばに置かないだろうに、アルバは苦しいのを堪えるように笑う。

「……そっか」

 ラベンダー色の瞳が潤んで、今にも涙が浮かび上がりそうだった。

「はい」

 フィナはまた間違いを犯したような気がしたが、もう言葉を取り消すことなどできなかった。
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