緩和ケア医の桜木先生はね・・・

紅牡丹

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それから三日後の朝

「先生大変です!!」

中堅看護師青木さんが声を張り上げながらナースステーションに駆け込んできた。
ただならぬ様子に奏は表情を引き締め、さっと椅子から立ち上がった。

「どうしました!?」

日比ひびさんが急にお腹を痛がり出して、冷や汗を流してのたうち回ってるんです」

「分かりました。すぐ行きます」

答え終わるか終わらないうちに、奏は走りだした。青木さんも慌てて後を追う。

611号室の日比 順子ひび じゅんこさん(六十八歳)は大腸癌の手術後で、肝臓や肺への転移、骨盤腔の腹膜播種の患者さんだ。
骨盤腔の腫瘍は大きく一部は小腸に接していたが、幸い腸閉塞には至っていなかった。

――― 緩和ケア病棟ここに入院されて一ケ月、今まで比較的穏やかに過ごされていたが……。

奏が病室に入ると、日比さんはベッドの上でのたうちながら真っ青な顔でうめいている。二十代半ばの看護師 湯川ゆかわさんは、心配そうに声を掛け続けているが、何もできずにおろおろしている様子だ。

「日比さん、大丈夫ですか?」
奏は優しく声をかけながら日比さんの手首に自分の指を置き、脈をみた。
――― しっかり触れてる。

「(痛む時の指示にあった〉ロキソニンを飲ませてあげようとしたのですが、とても飲める状態ではなくて……」

湯川さんは、奏と日比さんに交互に視線を送りながら言った。
奏は小さく頷きつつ、「日比さん、お腹が痛みますか? ちょっと触らせて頂きますね」そう言って腹部を触診し始めたが、途端に表情は険しさを増した。

――― 腹膜炎だ。おそらくどこかの腸が穿孔してる……。

「点滴と、あと痛み止めフェンタネスト持ってきて下さい! それと採血。それから家族にも連絡して、すぐに来てもらって下さい!!」

早口の指示が室内に響くが、青木さんも湯川さんも動こうとしない。奏は二人の対応を疑問に思いつつも、まずは目の前の患者に声をかける。

「日比さん、痛みが強そうですから、採血とCTの検査だけさせて頂きたいのですが、よろしいですか?」

労わるような問いに、日比さんは目をつぶったまま「は…い」と絞り出すように答えた。

奏は直ぐに看護師の方を振り向き、「君たちどうしたんだ! 早く!!」と今までになく語気を強める。

「わ、分かりました……」

緊迫した声に反応して、湯川さんが慌てて走り出す。
しかし青木さんは、日比さんを心配そうに見つめるものの、依然として動こうとはせずこう言った。

「先生は、日比さんをどうするつもりですか?」

――― どうするって、何言ってるんだ……
「急を要するからまずは点滴、次に採血、そのあとCT検査までいくつもりです」

青木さんは、いっそう表情を曇らせる。

「ですがもともと日比さんは、治療を希望しないから緩和ここに入られたんですよ? 延命措置もいらないって。患者さんの希望が第一だと言ってましたよね? なのにどういうつもりですか? 前任の伊集院先生なら」
「分かりました、その事はあとで話し合いましょう」

奏は心の中で嘆息し、青木さんの尖った声を遮った。

「今は急を要します。とにかく僕の指示に従ってくれると嬉しいのですが」

頑として譲らない真剣な眼差しを見つめながら、今度は青木さんが嘆息する。

仕方ないから指示に従うといった雰囲気を醸し出し、「分かりました……。娘さんに連絡してきます」そう言って、病室から出て行った。

入れ違いで湯川さんが、はぁはぁ息を切らせながら戻ってきた。
手に持った点滴と採血の用意を奏に見せながら、
「先生…持って…きました……」

「ありがとう。僕が刺すから貸して下さい」

言うなり奏は日比さんの左腕に駆血帯を巻きつけ、「ちょっとチクッとしますね」と優しく声をかけてから採血を行い、直ぐに点滴を繋ぐ。そして側管から痛み止めを静脈注射、流れるように鮮やかであっという間の出来事だった。

――― 次はCTだ

「CTオーダーしてくるあいだ、日比さんを診ていて下さい。何かあれば、すぐに呼んで下さい!」

奏は脱兎のごとくナースステーションへと駆け出した。


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