緩和ケア医の桜木先生はね・・・

紅牡丹

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外科医達は話すのをやめ、皆入り口に立つ奏に注目した。

この病院の外科医は院長を含めて全部で六人いるが、院長は出張中で一昨日から不在だ。室内には二年目の研修医一人を合わせて六人が座っている。

「何かあったのかい?」

驚いた顔でそう聞いたのは、上座に座っている外科本部長の滝川たきがわ医師だ。

「現在緩和に入院中の日比順子さんのことで、大腸癌術後の骨盤内再発の方ですが」
「ああ日比さんね、俺の患者だった人だよ……どした?」
五十歳くらいの腫瘍外科部長 山本やまもと医師が口を挟む。

「はい、腸に穴が開いて腹膜炎になっているので手術をしたいのですが。おそらくは骨盤の再発巣に食われた小腸に穴が開いたと思われます」

奏は「すみません、失礼します」とことわりつつ、パソコンの前に座っている医師に代わってもらい、日比さんのCTを提示した。皆の視線が一斉に画像に注がれる。

「あぁ、確かに君の言う通り小腸だろうねぇ」
と、滝川本部長。

「では手じゅ」
「いや、ちょっと待ってくれ」
滝川本部長は、慌てて奏の言葉を遮った。

「小腸穿孔、腹膜炎と言っても手術後なんだろう? 手術後の癒着、腫瘍の再発でお腹の中は高度な癒着が予想されるし、かなりの時間を要すると思われる。場合によっては処置できない可能性だってある」

「はい、それはおっしゃる通りだと思います」
奏は落ち着いた声で答えた。

「まして、緩和の患者さんなんだろう? 何もしないことを希望されているんだろうし、痛み止めで診てもいいんじゃないか?」

「確かに緩和ケア病棟に入っている方ですが、骨盤以外の肺や肝臓への転移は今のところ少なく、上手くいけば三ヶ月以上の予後は予想されます。ご本人、ご家族には手術の説明をして、ご本人が手術を希望されています」

熱心な奏の言葉に滝川本部長も心を動かされ、
「まあそれなら手術も選択肢ではあるが、外科からも一度きちんと説明をさせてくれ」そう言って一呼吸置き、「ただなぁ、このあと十時から、西都大せいとだいの院長夫人の食道癌のオペがあるんだよ。風水だか何だか知らんが、どうしてもその時間にこの病院じゃないと、駄目なんだそうだ」とぶつぶつ。「それが終わってからとなると、手遅れになる可能性も……」

この病院の外科医はみな西都大の第一外科に属している。秋葉院長も、東帝大から西都大へ席を移している。

奏はさっと腕時計に目をやった。

――― 八時半、ええと……何とかなる。

「説明は僕からしましたし、承諾書も頂いています。食道癌の手術だと、硬膜外を入れて片肺挿管をして手術を始められるのは十一時過ぎになりますよね? それまでには必ず終わらせますから大丈夫です」

外科医達は、自信たっぷりな様子で口の端を上向かせる奏を見つめながら、みな似たようなことを考えている。曰く

――― コイツ、なに勝手なこと言ってんだよ!
――― 大丈夫とかお前が決めんじゃねぇよ!

「終わらせますって君さぁ」
と、滝川本部長は呆れ顔だ。

「えっ? 僕、何かおかしなこと言いましたか?」

少し首を傾げながら不思議そうに尋ねるイケメン医師は、その場にいる外科医達の目に、もはやイタいアホ医者にしか映らない。
他じゃ使い物にならないから、この若さで緩和か? なんてことを考えながら、目配せしながら皮肉っぽい笑みを浮かべる者もいれば、中には堪え切れず吹き出す者もいる。

「だってまるで君が手術するみたいな口ぶりじゃないか!?」

「はい、もちろん僕が執刀するつもりです。ですからその許可と、前立ちと麻酔を見て頂ける先生、どなたかお二人お願いできないかと思ってお伺いしました」

――― は? コイツもともと外科医なの!?
また皆が同じことを考え、途端にその場は医師達の高速のヒソヒソ声で騒めいた。

「新しい緩和の医者って、確か院長と同じ東帝大出身ですよね?」と三十代後半の相沢あいざわ医師。
「あれ、そだっけ? あの医者名前なんだっけ?」と四十代半ばの井上いのうえ医師。
「さっき桜なんとかって言ったような?」と四十代後半の上田うえだ医師。
「確か桜木って…え、ちょ待て下さぃ…、東帝大の桜木って、あの桜木じゃ!?」と相沢医師。

東帝大の桜木といえば、東京ではもちろん、地方でも外科医の間ではけっこうな有名人だ。

「ないない。あの桜木がこんな若造なはずないし、まして緩和なんかに来るはずないだろ?」
井上はフッと笑って肩をすくめた。
その隣で上田はシニカルな笑みを浮かべ、
「だな、プロ野球でバリバリのエースが、社会人野球のマネージャーやるようなもんだぞ」と。

「……でも桜木って、たしか僕より年下だった気がしますよ」
相沢は、首をひねりながらボソリと言った。

――― えっ、まさか本物!?
三人は目を丸くして、無言で顔を見合わせた。
とその時、研修医の遠藤えんどうが、駄目押しするかのように横から口を挟んだ。

「多分先生たちが言ってる桜木先生ですよ。僕、テレビの天才外科医の特番で、あの先生見たことあります。テレビよりかっこいいなぁ」
とフワフワと言う。

「君は、本当にあの東帝大の桜木先生なのかい?」
と、いぶかし気に尋ねる山本部長に対し、奏は苦笑いを浮かべながら答える。
「はい、東帝大の外科で桜木というのは僕一人でしたので、多分」

途端に外科医たちは色めき立ち、
「じゃ、俺が前立ちやります!」
「なに言ってんですか、上田先生このあと外来でしょう!? ってことで、ここは俺が!」
「いや僕が!!」
と、争奪戦の様相を呈す。

「おいおい君達、全く困ったもんだなぁ」
――― まぁ気持ちは分かるがね。

「滝川先生のおっしゃる通りです。みなさんに迷惑をかけないようにしたいので、どなたかお二人だけ十一時までお願いします」

「じゃぁ、井上君が前立ちで、相沢君は麻酔を見てあげなさい。ただし桜木君、本当に十一時には二人を解放してくれよ。こっちもギリギリの人数でやっているからね……」

「はい、必ず」
――― 中規模の病院だけあって、小回りがきく。本当にありがたい。

奏はホッとしたように言って、深々と頭を下げた。


「それにしても秋葉院長も困った人だ、一言言っといてくれればいいものを。まあ、聞かなかった我々も我々だがね」
滝川本部長は、はははと声を上げて笑った。

外科も内科の医師達も、緩和の仕事を兼任するのはかなり負担だったため、一刻も早く専属の医師が決まることを願っていた。しかしどこの誰が来るかについては、特に興味はなかった。

一方院長は、背に腹は代えられず奏を迎え入れたが、前途有望な彼がメスを置くことが残念で仕方がなく、声をかけてしまったことに罪悪感すら抱いていたため口が重くなっていた。
周りの医師達から、新しく来る緩和の医師について特に個人情報を聞かれることもなかったため、来るのは自分と同じ東帝大出身の医者としか、言っていなかった。




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