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白いドアの握り手に手をかけた師長は、何かに気付いたような表情で再度後ろを振り返った。
「桜木先生、直前で申し訳ありませんが、この方は少々……」
奏にだけ聞き取れる声で早口に言って、一瞬言葉を濁す。
「頑固な方だってことですか?」
奏も早口でひそり。
唖然として目をぱちくりさせている守屋師長の顔を見ながら、
「ビンゴですね? 大丈夫ですよ、頑固な人なんていくらでもいますから。それに僕みたいなのは竹内さんから見たら若造だし」
軽妙な声でヒソヒソヒソ。
――― よく覚えたこと……。頑固おやじイコール要注意人物ってことで、頭に入れやすかったのかも知れないわね。
師長は苦笑交じりの笑みを浮かべ、ドアに視線を戻しつつ掴んだままの握り手をスーッと横に引いた。
室内は、壁もファブリックも淡いグリーン系で統一されている。
「失礼します」
竹内 虎蔵さん七十四歳は、末期の胃ガン患者だ。
日焼けした顔には、くっきりとした皺が刻み込まれているものの、シャープで若々しい印象だ。白髪交じりの髪もふさふさしているし。眼光も鋭い。まるでテレビドラマの刑事のようだ、と奏は思った。
ベッドの脇の椅子には、奥さんと思しき同じく白髪交じりの小柄な女性が、そっと寄り添うように座っている。
「竹内さん、少し前にお伝えしましたが、今日からこの病棟に新しい先生が来てくれましたので、ご挨拶に伺いました」
師長の横に立っている奏は、一礼して挨拶する。
「こんにちは。今日からお世話になる桜木です。よろしくお願いします」
竹内さんは眉間に皺を寄せフンと鼻を鳴らし、
「医者なんて誰が来ようったって同じだ。挨拶が済んだらとっとと出てってくれ!」
と、小刀よろしく尖った声を投げた。
――― おっと、のっけから手加減なしの手厳しさだな。
「ちょっとあなた……。先生、本当にすみません」
奥さんはおろおろと困っているが、奏は『お気になさらず』とでも言うかのように、微笑を浮かべ頭を小さく横に振った。
――― もともとの気質もあるだろうが、死と向き合い葛藤や不安があるなか、信頼できない人間が傍にいるのは不快なのだろう。無意識にこの人は、俺を試しているのかも知れない……。
「分かりました。ただ竹内さん、今は息が苦しいのは落ち着いていますか?」
険しかった竹内さんの表情が一瞬で緩み、怪訝そうな顔に変わった。
「ん? えぇと、まぁ大丈夫だが?」
「そうですか。昨日まではだいぶ苦しかったようで心配していましたが、それなら良かったです」
奏は、戸惑いを滲ませる深く皺の刻み込まれた顔に、にっこり微笑みかけながら朗らかに言った。
「あ、ああ」
「それと、昨日から痛み止めの量が増えていますが、その量で大丈夫そうですか?」
「うん、ま~なんとかなりそうだ」
――― あらら、虎が猫になりかけてるわ。それにしても桜木先生、良く覚えてきたこと……。
二人のやり取りを見つめる守屋師長は、顔には出さなかったが色々な意味で、かなり驚いていた。
奥さんもほっとしたような表情を浮かべている。
「分かりました。ただ痛みはとにかくしっかり取った方が良いですから、何か気になることがあれば直ぐに教えて下さいね……。また顔を出しますので、今日からよろしくお願いします」
「ああ分かった」
言葉はぶっきら棒だが、さっきまでとは比べ物にならないほど表情も纏った空気も凪いでいて、奏は、いや師長も奥さんも、ほんのりと嬉しかった。
「ではこれで失礼します」
奏は穏やかに言って、師長と共に踵を返したのだが、「なあ先生よぉ」と、しわがれた声が追いかけてくる。
奏は振り向いて竹内さんの顔を見つめ、「どうされました?」と感じの良い声で答え、竹内さんが話し出してくれるのを待った。
――― 何かが引っかかっているような表情だ。気がかりなことがあるのだろうか?
数秒間の沈黙が流れたが、結局竹内さんは何も答えなかった。
「いや何でもない。呼び止めて悪かったな」
竹内さんの顔つきは、また刑事のような厳しいものに戻っていた。
――― 何でもないって顔じゃなかった。
奏は今さっきの竹内さんの表情を思い浮かべながら一礼し、病室を後にした。
「桜木先生、直前で申し訳ありませんが、この方は少々……」
奏にだけ聞き取れる声で早口に言って、一瞬言葉を濁す。
「頑固な方だってことですか?」
奏も早口でひそり。
唖然として目をぱちくりさせている守屋師長の顔を見ながら、
「ビンゴですね? 大丈夫ですよ、頑固な人なんていくらでもいますから。それに僕みたいなのは竹内さんから見たら若造だし」
軽妙な声でヒソヒソヒソ。
――― よく覚えたこと……。頑固おやじイコール要注意人物ってことで、頭に入れやすかったのかも知れないわね。
師長は苦笑交じりの笑みを浮かべ、ドアに視線を戻しつつ掴んだままの握り手をスーッと横に引いた。
室内は、壁もファブリックも淡いグリーン系で統一されている。
「失礼します」
竹内 虎蔵さん七十四歳は、末期の胃ガン患者だ。
日焼けした顔には、くっきりとした皺が刻み込まれているものの、シャープで若々しい印象だ。白髪交じりの髪もふさふさしているし。眼光も鋭い。まるでテレビドラマの刑事のようだ、と奏は思った。
ベッドの脇の椅子には、奥さんと思しき同じく白髪交じりの小柄な女性が、そっと寄り添うように座っている。
「竹内さん、少し前にお伝えしましたが、今日からこの病棟に新しい先生が来てくれましたので、ご挨拶に伺いました」
師長の横に立っている奏は、一礼して挨拶する。
「こんにちは。今日からお世話になる桜木です。よろしくお願いします」
竹内さんは眉間に皺を寄せフンと鼻を鳴らし、
「医者なんて誰が来ようったって同じだ。挨拶が済んだらとっとと出てってくれ!」
と、小刀よろしく尖った声を投げた。
――― おっと、のっけから手加減なしの手厳しさだな。
「ちょっとあなた……。先生、本当にすみません」
奥さんはおろおろと困っているが、奏は『お気になさらず』とでも言うかのように、微笑を浮かべ頭を小さく横に振った。
――― もともとの気質もあるだろうが、死と向き合い葛藤や不安があるなか、信頼できない人間が傍にいるのは不快なのだろう。無意識にこの人は、俺を試しているのかも知れない……。
「分かりました。ただ竹内さん、今は息が苦しいのは落ち着いていますか?」
険しかった竹内さんの表情が一瞬で緩み、怪訝そうな顔に変わった。
「ん? えぇと、まぁ大丈夫だが?」
「そうですか。昨日まではだいぶ苦しかったようで心配していましたが、それなら良かったです」
奏は、戸惑いを滲ませる深く皺の刻み込まれた顔に、にっこり微笑みかけながら朗らかに言った。
「あ、ああ」
「それと、昨日から痛み止めの量が増えていますが、その量で大丈夫そうですか?」
「うん、ま~なんとかなりそうだ」
――― あらら、虎が猫になりかけてるわ。それにしても桜木先生、良く覚えてきたこと……。
二人のやり取りを見つめる守屋師長は、顔には出さなかったが色々な意味で、かなり驚いていた。
奥さんもほっとしたような表情を浮かべている。
「分かりました。ただ痛みはとにかくしっかり取った方が良いですから、何か気になることがあれば直ぐに教えて下さいね……。また顔を出しますので、今日からよろしくお願いします」
「ああ分かった」
言葉はぶっきら棒だが、さっきまでとは比べ物にならないほど表情も纏った空気も凪いでいて、奏は、いや師長も奥さんも、ほんのりと嬉しかった。
「ではこれで失礼します」
奏は穏やかに言って、師長と共に踵を返したのだが、「なあ先生よぉ」と、しわがれた声が追いかけてくる。
奏は振り向いて竹内さんの顔を見つめ、「どうされました?」と感じの良い声で答え、竹内さんが話し出してくれるのを待った。
――― 何かが引っかかっているような表情だ。気がかりなことがあるのだろうか?
数秒間の沈黙が流れたが、結局竹内さんは何も答えなかった。
「いや何でもない。呼び止めて悪かったな」
竹内さんの顔つきは、また刑事のような厳しいものに戻っていた。
――― 何でもないって顔じゃなかった。
奏は今さっきの竹内さんの表情を思い浮かべながら一礼し、病室を後にした。
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