お姉様に夢中なはずなのにその他の誘惑が多すぎます

那須野 紺

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御曹司退場

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秘書課へ異動してから早一年半が過ぎた。
そしてようやく、美咲さんの担当秘書になれる時が近づいている。

こうなるまでに実に色々な事があったけれど、一番大きいのはやはり、袴田部長の退職があるだろう。
事前に聞かされていた事ではあったけど、何でもご友人と共同経営しているITベンチャーの業績が好調で、経営に専念して欲しいというリクエストがあった事や、それから袴田部長なりには美咲さんを振り向かせる為に御曹司の肩書を利用してこの会社で役員の椅子に座るのでは認めてもらえない気がするからという理由もあったらしい。凄い徹底ぶりだなとも思うけれど。

将来の役員を期待されていたはずなのではと心配に思ったけれど、本人曰く「別に世襲制じゃないし、どうしようと俺の勝手だし」などと気楽な調子で言っていたがそれで良いのかはわからない。
とは言えご親族を説得する事には成功したらしく、袴田部長は部長職一年を区切りに、社を去る事となった。

知らぬうちに袴田部長は進藤部長のようなフランクな話し方を身に着けていたのだけれど、素直に真似てもあの緊張感漂うビジュアルでは逆効果というか威圧的だったり尊大な印象を与えかねないものを、どういう味付けをしたのか、うまいことその気さくなイメージを取り入れた辺りはさすがだなと思う。

実は事前に退職について聞いた時、袴田部長はこう予言していた。

「俺が辞めたタイミングで多分、担当秘書の受け持ちは変わるはず…運が良ければ二宮さんの念願も叶うかもね」

それから同時に、「それでも、例の不文律だっけ?それの所為で相変わらず担当増やしてもらえないようなら、俺のもう一つの会社で働きなよ、秘書として」なんて事まで言っていた。

恋敵を同じ職場に引っ張るなんて本気ではないだろうと思って話半分に聞いていたら、「いや、人でが必要なのは本当だし俺に一念ついてくれてた秘書なら即戦力でしょ」などとまで言うので本気なのかもしれない。

「究極の話だけど、不文律に縛られて二宮さんのキャリアが開けないのなんてばかばかしいし、でもその為に彼女と別れるなんてそれこそ愚の骨頂でしょ、なら転職すれば堂々と彼女と付き合っていられるし、キャリアも開ける可能性が出る訳で、悪い話ではないはずと思うよ」

そう言えば美咲さんもその件に憤っていたなあと思い出す。
職場での恋愛が禁止ならそう規則で謳え、みたいな事も。
それこそ秘書課員同士での濃厚なお付き合いについてよく知っている私が思うならまだしも、何故直接的には関係の薄い人がそこを気にするのか、不思議だった。

その答えについても袴田部長はヒントを与えてくれた。

「特に彼女はそうだろうけど、この会社で女性のキャリアがなかなか開けない件は社風と言ってもいいぐらいの課題で、彼女はその中で担がれるように象徴的な存在になった訳だけど、それすらも本人としては内心面白くないんだよ。それに経営層に近い人間ほど、女性のキャリア形成は気にする話題だからね」

ぴんと来ない説明だったけど、正に秘書課の性質と言うか存在そのものが、そんな古臭い社風を物語っているという事なのかもしれない。
付け加えて袴田部長は「であれば秘書課の実務者に男が居ないのもおかしな話な訳だから」と言っていた。

多分ぼかした説明に留めたのは、私自身が望んで秘書課へ異動し仕事そのものには純粋にやりがいを感じているのを察しての事だろう。

「でも、どうしてそんな風に良くしていただけるんでしょうか」

微妙に不安になり袴田部長に尋ねてみると、「器の違いをこういう所で見せておかないとね…ってのは冗談だけど、俺は別に二宮さんが困ればいいとか、辛い思いをしろとか、そんな事は最初から望んでないし、どうせならお互いベストコンディションで争いたいからね」などと言う。

どういう思考かは不明だが、袴田部長なりにフェアにやりたいという事なのかなと解釈した。
ベンチャー、しかも聞けばアプリ開発のともなれば浮き沈みは激しいだろう。
でもそこである一定の地位を確立する事ができたなら、きっと袴田部長、いや袴田氏は単純に年収ベースでも累乗的にジャンプアップし文字通り駆け上がるようにステータスを築き上げていくのかもしれない。

ある意味、社に残ってもらえる方が先の見通しも、キャリアステップも見えて時間の流れも緩やかだったろうけれど、そこを飛び出し開拓者となれば、いつ何が起こるかわからない、それは良い意味でも悪い意味でもという事になるから、本当に一瞬で袴田氏が身内の立場を頼らずしてとんでもない存在に上り詰めてしまうかもしれないという焦りは覚えた。

「俺の目がないからと言って、所構わず社内でイチャイチャするんじゃないぞっ」
「…目とおっしゃいますけど、今も別に監視めいた事はなさってないじゃありませんか」
「うるさいっ、俺にはお見通しなんだからな」
「…そうですか」

実際は辞める直前までこんな調子で牽制し合っていたのだ。それもまあ日常会話と言うか、翻訳すれば「調子はどう?」みたいなやり取りなのだけれど。

「袴田部長も、意中の人が身近にいない分、女性を追い払うのに難儀すると思いますのでお気を付けください」
「そこは、心配ご無用…」

そうは言うがリアルに想像したのか、語尾が若干萎んでいた。
ただ、本人以外の周囲はこの件で大いにざわつき、一時期は不穏な空気にまでなったりしたけれど、その都度袴田部長はオープンに事情を説明し理解を得る努力をしたからか、最終的には新たな門出を祝福するかのような温かい空気の中で社を去る事となった。

私は参加しなかったけど、開発部メンバーで行った送別会は盛大なものだったそうで、どこか異様とも言える高揚感に満ちていたらしい。
その理由はと言えば、袴田氏お得意の「美咲さん口説き宣言」がまた始まったらしく、「婚約お披露目パーティーをやるならまたこのメンバーで」などと訳のわからない事を口走って、一部の男性社員からは妙に熱くエールを送られたとか何とか言う事らしい。
…監視がどうとか言う割に、私なり美咲さんの目がないとすぐにそういう事を言いふらすのは、袴田氏の悪い癖としか思えないが、もはや腹立ちもしなくなっている自分が若干怖くもある。

謎の連帯感と言うかその空気はむしろ、美咲さんではなく一部の男性から無駄にモテてしまっているのではないかと心配にもなるけれど、実害がないなら問題ないのだろう。

一般に、大人が叶わない夢を追いかけるのはみっともないという風潮もあるけれど、叶わない夢だからこそ袴田氏らしいと言うか、そこに対して無限とも言える頑張りを発揮できるのは一つの才能だとも思うし、それを追いかけている袴田氏の様が、どういう訳だか人を惹きつけているような気もしてならない。

…だとしたら、袴田氏は永遠に美咲さんを落とせない方が、皆に愛されるという事なのだろうか。

いや、その前に。

勿論人の気持ちなんていつでもいくらでも変わるものだから、袴田氏が頑張り続ける理由も根拠もあるとは思う。
けれども対象が違うとは言え、私の目指していた「美咲さんの担当になる」目標に対して、私は袴田氏のように諦めず努力し続けていたかと言えば、到底足元にも及ばない程度で音を上げていたのではないか。

それなのに、袴田氏はそんな私を見下したり馬鹿にしたりしなかった。「俺に比べれば」というような事も言わなかった。
美咲さんを巡る争いに負け続けている風を装ってはいるものの、そうではない部分においてやっぱり私は全然、相手にしてもらう事すらおこがましいはずなのに、それに関して袴田氏は引き合いに出す事をしていなかったのだ、とようやく気が付いた。

「……」

考えれば考えるほど、では何故美咲さん狙いだと、袴田氏は公言し続けるのだろうか。
どうしても、それは彼にとっていらない出会いや誘いを防御する為の処世術のように思えてならない。つまり美咲さんと実際どうにかなっても良いんだろうけど、そこは本筋ではないような気がして仕方ないのだ。

それでもやっぱり、「知らない間に俺がかっさらうような事になっても恨まないでね」などと私を牽制しつつ、「本気で嫌になったらいつでも連絡して」などとも言い、もう一つの会社の名刺を渡して来たりして、不可解な事この上ない。

「かっさらうなんてそんなの、あり得ないです」
「ほほう…じゃ逆はあるのかな」
「はい?」
「二宮さんが他の人の所へ行っちゃうとか」
「何をおっしゃってるんですか」
「あー失礼、忘れてください」

餞別を渡そうとしたけれど、「いらない」と先手を打たれてどうにもならなかった。

「いらない代わりに、彼女とサシで食事させて欲しいなあ」
「……そんなの、ご本人に聞けば良いじゃないですか、いちいち私に聞かれても」

現にこれまで袴田氏が私にそんな了承を得ようとした事などないし、私の知らない所で食事なりお茶なりはしていておかしくないのだから、こういう事をわざと言うあたりが小憎らしい。
それに袴田氏の揺さぶりは強ち的外れでもないような気がしてしまって、違う意味でも怖いと思った。

「んじゃ直接誘いますわ」
「……」

わかりやすく、面白くないという表情になった私に無言で笑顔だけ向けられて、私はそれ以上何もやりようがなく仕事に戻るふりをしてその場を立ち去ったりなんかして。

餞別も渡す事なく、送別会にも参加せずだったので袴田氏との最後の接点は実に地味なものだったけど、表面上は形式的に、でもなんとなく今後も何かにつけ絡んでこられそうだなという予感もありつつ「これまでありがとうございました、お世話になりました」などと挨拶をしてお別れという感じになった。

秘書課員の担当割り振りの見直しについてはその後間もなく言い渡された。
私は、当初の…と言ってももうだいぶ前の事になるけれど、予定通り各部の部長を、真帆さんと二人で受け持つ事となった。
誰が誰を、と言うよりも二人が同程度まんべんなくという事にするよう指示があり、結局の所大部分は真帆さんの業務を引き継ぐ形でシェアする流れとなるだろう。

ようやくか、と思ったのはほんの短い時間で、それ以降は特に何の感慨もなかった。
どちらかと言うと、本当に袴田氏はこの会社から居なくなったんだな、という実感が妙に強く感じられる。
秘書課の担当云々の前にまず、部長人事がどう動くのか、それにより業務内容はだいぶ変わる事にもなるだろうし、まさかとは思うけど美咲さんが異動なり昇進する事がないとも限らないから、そこが固まるまではやっぱり落ち着かなかった。

*-*-*-*-*-

「……」

こりゃまた強引な、という気がしないでもないけれど、空席になった開発部長の席には元営業部長が、そして更に空席になった営業部長の席は元副部長がスライドで昇格。
…となったのは良いが更に空席となった営業部副部長にはあの、真下みすず女史が就くと発表されている。しかも当面は一課課長と兼務という事のようだ。

通達を眺めながら、これは真下課長にとっては朗報なのだろうか、などと考えてしまう。
女性故に体よく担がれた…感を、本人は感じてしまっていないだろうか。
真相はともかくそういう噂だって流れる可能性は大いにある。
あるいはそれすらも好機と思って純粋に良かったと思っているのだろうか。噂に聞く実力面などからすれば、この昇格自体は当然という風にも思えるのは事実だ。

異動には必ず何らかの意図がある、と感じている私は、そのどちらが濃厚なのか…あるいは両方なのか、組織の思惑について考えてはみるけれど、そうした所で何がわかる訳でもなく、それを言ったら私が秘書課へ異動した意図こそ知りたいよと思ったりして、もやもやするばかりなので思考を止め通達をファイリングして引き出しにしまった。

「微妙な顔しちゃってどうしたの、冴子ちゃん」

偶然梢さんにその表情を目撃されてしまい、声をかけられた。
そんな梢さん本人は、この所特にプライベートは絶好調のご様子で、遊び半分のセクハラもめっきり鳴りを潜めている。

「部長人事の通達を見てただけです」
「ふーん、でも…担当替え自体はお祝い案件なんじゃ、ないのかな」
「そうですか?」
「そうでしょ、一応」

袴田氏が居なくなった事、真下課長が副部長になった事、そういう事柄ばかりが妙に気になるからか、単純に喜びにくい状況に陥っている。

「そう、だからそういう顔で帰ったらダメだよ」
「……」

お祝い案件、と言えば真下課長が昇格したのだから、友紀をはじめ営業部で気心の知れた人がいるならそれをお祝いするのだろうか。
そこから何故かエッチな妄想を始めてしまいそうになり、私は思わず頭を振る。

「きっと、お祝いしてくれると思うよ?」
「…そうだと良いんですけど」
「何なら自分でやっちゃえば良いんだよ、うん」
「……」
「関係ない私だってちょっと嬉しいぐらいなんだから」

梢さんは別にお祝いであろうとなかろうと、日々晴香ちゃんと濃密な百合エッチにいそしんでいるはずなので、理由やきっかけはどうでも良い気がする。
…でも確かに、梢さんの言う通り、もっと嬉しい気持ちを前面に出さずしてどうする、という気持ちになった。

私にとっては本来、美咲さんとの関係性こそが最重要であって、袴田氏だの真下課長だのというのは別に気にするべき存在ではない。

何だか変な心境のまま、それでも声をかけてくれた梢さんにはありがたい気持ちを十分に感じながらその日の勤務を終えた。

帰宅途中で考えているのは、何故だか知らないけど友紀と真下課長の組み合わせや、梢さんと晴香ちゃんの組み合わせによる交わりの場面ばかりで、自分や美咲さんが主役の妄想がどうにも広がっていかない。

油断すれば袴田氏がある日突然美咲さんの前に現れて略奪されそうなプレッシャーもあると言うのに、心のどこかで「そういう日が来るならそれも必然かもしれない」などと考えていたりして、もはや謙虚を通り越して卑屈な自分が顔を出す。

それでも美咲さんの担当を任せられるようになった時の為にシミュレーションも繰り返してきたし、必要そうな事項や手順は自分でまとめてメモにも残している。
基本的には進藤部長の仕事術を踏襲するイメージだが、秘書に任せる部分はもっと少ないだろうという事も想定できている。

…そうか、美咲さんとは業務上の繋がりが強くなるから、恋愛感情や性的な好奇心というものだけを純粋にぶつける事には戸惑いが出ているのだろう。
こんなで勤務中とプライベートをきっちり切り替えできるのだろうか、と考えると今一つ自信は持てなかった。

「……」

それが本当に自分で思いついた事なのかと疑いたくなるが、いっそ一旦中野の自分のアパートに拠点を戻した方が良いのかもしれない、などという事まで考えてしまう。
業務での接し方に慣れるまではそうしておく方がメリハリがつくのではないか、等と私らしからぬ事を考えてしまっていた。

「…あれ?」

美咲さんのマンションの玄関扉を開けると、既に美咲さんは帰宅しているようだった。
珍しく残業せずに帰ったという事のようである。

「冴子、おかえり」

私が何か言うより先に、美咲さんが玄関に向かって歩いて来た。
けれども着替えはまだらしく、今朝出かける時の恰好のままである。
ただいまと言うべき所で黙って玄関扉を開けてしまった私は若干気まずくなった。

「…あ、すみません何も言わなくて」
「ううん」

美咲さんは何かを確かめるように私の表情を少し観察してから、「冴子、ホテル行こう」と口にした。

「え、今からですか?」
「そう、このまんま出かけるの」
「はぁ…でも」
「いいから」

そのまま駐車場に連行されるのかと焦ったけど、「着替えは持って行って」と言われ部屋には上がる事ができた。
だが車のキーホルダーを指にかけて弄ぶような仕草で美咲さんに待たれると妙に焦る。

「あの、少しお待ちください」
「…うん」

何も言われないが「早くしろ」と言われているかのようなプレッシャーを感じ、適当に下着だけを持って私は美咲さんのもとへと急いだ。

「あの、その…ホテルと言うのは、どういう」

マンション地下の駐車場へ向かうエレベーターの中で尋ねてみる。

「どういう、って?」
「…その、種類と言うか」
「種類…」

着替えを持って来いと言われたので宿泊らしき事になるのはわかるけど、それはそれとして、その他に食事をするのだろうかとか、そうじゃなくてむらむらしたからいかにも系のラブホテルにしけ込みたいとか、美咲さんがこの後何をする為にホテルへ行こうとしているのか、それを知りたかった。

言いながら梢さんに言われた「お祝いしてくれると思う」という言葉を思い出すけど、今の段階では私の一方的な思い込み、いや思い上がりかもしれない。
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