私を捨てた婚約者へ――あなたのおかげで幸せです

有賀冬馬

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 「――ごめんね、おまたせしちゃって」

 わたしがそっと扉を開けると、陽ざしの差しこむ書斎の中で、セシル様が振り返って、やさしく微笑んだ。

 「いいえ。アンナを待つ時間は、私にとって一番幸せな時間ですから」

 「もう……そういうこと言うの、ずるいです」

 恥ずかしくて、顔が赤くなっちゃう。でも、それと同じくらい、胸がぽかぽかする。

 わたしはもう「アンナ嬢」じゃない。

 今は――セシル・グラスフィットの妻、アンナ・グラスフィット。

 そう、ほんとうに夢みたいなお話だけど、わたし、セシル様と結婚したの。

 最初は信じられなかったけど、あの日、お庭で「ずっとそばにいます」って言ってくれた約束を、セシル様はずっと守ってくれた。

 お式の日、わたしは緊張して泣きそうだったけど、セシル様がぎゅっと手をにぎってくれて、「大丈夫、あなたは世界一美しいお嫁さんです」って言ってくれた。

 その言葉に、泣いちゃったのは……秘密だけど。

 「今日は少し早くお仕事が終わりました。夕方、お散歩にでも行きませんか?」

 「え、ほんと? 行きたいですっ」

 「ふふ。じゃあ準備しておきましょう」

 セシル様の笑顔は、やっぱりわたしにとって、いちばんの宝物。

 わたし、今までいろんなことがあったけど……ほんとうに、幸せです。

 

***

 夕方の風が、あたたかく頬をなでる。

 わたしたちは、手をつないでお庭を歩いた。

 前と同じ場所――でも、少しだけ景色が違って見えるのは、きっと、心が変わったから。

 「アンナ。今、幸せですか?」

 「……はい。とっても。あのころは、自分に何もないって思ってたけど、今は、わたしにもちゃんと、大切なものがあるって思えるんです」

 「……うれしいです。私も、あなたと過ごすこの日々が、なにより大切なんです」

 セシル様の手のぬくもりが、心まであたためてくれる。

 「……あのね、セシル様」

 「なんでしょう?」

 「わたしね、もうちょっとだけ強くなれたらなって、思うんです」

 「それはどうして?」

 「だって、ずっと守られてるだけじゃ、もったいないから。これからは、わたしもセシル様を支えたい。いっしょに笑って、泣いて、歩いていける、そんな奥さんになりたいんです」

 セシル様は、少し驚いた顔をしてから、やさしく頷いてくれた。

 「……それは、とてもすてきな夢ですね。アンナがそう思ってくれるだけで、私はもう十分幸せですよ」

 「えへへ……でも、やっぱりがんばりたいんです。だから、これからも……見ててくださいね?」

 「もちろん。いつまでも、あなたのそばにいますから」

 この人といっしょに生きていく未来を、ちゃんと想像できるようになった。

 つらかった過去も、いまは遠い日の夢みたい。

 カーター様のこと?

 ――ああ、そういえばいたなぁって、たまに思い出すくらい。

 彼は、あのあと持っていた財産をぜんぶ失って、町の片すみにひっそり暮らしているらしい。

 セシル様に追い返されて逃げて行ったときの顔、いまでもちょっと思い出すけど……もう、なんとも思わない。

 むしろ、「あのときがあったから今がある」って、感謝すらしてる。

 だって、あの日わたしが捨てられなかったら、セシル様と出会い直すことも、こんな幸せもなかったんだから。

 

***


 わたしは、今、世界でいちばんしあわせです。

 だけど、これはまだ、物語の「おしまい」じゃない。

 だって、セシル様との毎日は、毎日が新しい物語なんだから。

 きっと、これからもいろんなことがあると思う。

 でも――大丈夫。

 わたしはもう、ひとりじゃないから。

 大好きな人と手をつないで、笑いながら、ゆっくり進んでいくの。

 

 ――これが、わたしのほんとうの「しあわせの物語」。

 これからも、ずっとずっと……つづいていく。
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