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第10話 第一部 9・「ノダケン」の野球
しおりを挟む「時田一也はその時ベンチにいて、先生が相手監督をののしるのを聞いたと言っていた」
武部のしゃべり方がさっきまでの「テニス体験記」で盛り上がっていた時とは正反対だった。
「大谷先生は試合のあとに、相手の監督に『コノバカやろー!』って詰め寄ったんだ。そのことで連盟からかなり指導されたらしい」
「時田一也は、『フェアーじゃないのは向こうだろう?』って言ってた。フェアーの意味は違うけどね」
その意味の違いは僕には分からなかった。
「それが、野球をやめた理由なんだろう?」
「いや、楽しくなかっただけ」
「陸上は? 」
「たった、11秒しか陸上してない」
「それって、負けたのが悔しいってことだろう」
「違う!」
「じゃあ、なんだ!」
「人が走るのばっかり見てても面白くないから」
「100mじゃないのをやりたいんだろ?」
「それもあるけど、何種類もの競技がばらばらに始まって、いつの間にか終わって、なんだかかってに進んでる感じがして、自分がいてもいなくても関係なくて、ただ走って、跳んで、投げて……。それ見ながらテントで一人で昼飯食って……、どうやって楽しめばいいんだ?」
「ケンジー、それって……」
また武部の口調が変わった。
「……それって、やっぱり負けて悔しかった。そういうことだよ! お前、逃げてる!」
「なにがよ!」
武部が少しひるんだ表情をした。まずかった。声の調子が、……気持ちを隠しきれなかった。
「時田はさー、お前が札幌に出てきた理由も知ってるようだった」
「なんだってよ」
こういうしゃべり方が中学の時に敬遠される理由になっていた
「家族から離れたかったんでないかって」
ここに来てまで家のことを話題にしたくない。そのために札幌に来たのだ。
「時田なんてさ……あんまり仲良かったわけじゃないから、そんなこと知ってるわけない」
「ケンジ、俺はお前の家がどうのこうの、ってのとは関係なくお前が気になるんだ。なんだかこう、お前は凄い力持ってるはずなんだけど、最後の最後にすっと引いてしまって、自分で自分を蚊帳の外に置いてしまっているような、そんな気がするんだよな」
「そんな難しい言い方、良くわかんねえよ。お前ほど頭良くねえから!」
「いやー、ごまかすなって、お前は本当は頭もいいし、運動能力もずば抜けてる。それは間違いない。そんなことはもうオレはわかってる。けど、なんでだかさ、お前は自分を隠してしまうだろ?」
「中学の担任も、本気で私立高校進めてくれたよ。南が丘なんか受かるはずないって。頭いいわけない!」
「違うね。それはさ、勉強した時間が長いかどうかってこと。札幌にいてこの学校目指してきた奴らはさ、みんな塾だとか家庭教師だとか、夏季講習だとか、勉強にかけた時間が違ってるからさ。頭の善し悪しじゃなくて、この学校に入る目的意識の違いだ。お前にはそれがなかっただろう?」
「合格なんかするはずないって、みんなが思ってたさ」
「でもよ、お前の能力は俺たち以上かもしれない。おまえはさ、自分にもっと自信持てば! 誰の目も気にする必要なんてないんじゃねえの?」
「僕は、お前とは違う!田舎もんだからな」
「そう、臆病だよな!」
「おまえらのような都会育ちじゃないからな。しょうがねえだろう」
「いやいやいやいや、それは違うよ。野田君……」
武部がまた変なしゃべりをはじめた。
「……100m1回負けただけだろ。まだ、走り方もなんにも知らない素人なんだろう。俺とおんなじ。お前の野球だって最初からうまかったわけじゃないだろ。できないことばっかりだったはずだろ。100mだってきっと走り方ってのがあんのさ。でも、知らないから、結果でないから、面白くないとかなんとか言ってんじゃないの? 俺はさ、テニス初めてだけど、負けたけど、1ゲームも取れなかったけどさ、面白かったよ。相棒にはいっぱい迷惑かけたみたいだけど、これからこうしようって思ったよ。陸上だって100m以外にもいろんな競技があって、お前のやりたいっていう、やり投げ以外にだって夢中になれる何かがあるんじゃないの。それを知らないうちになんだかんだ言っても早すぎるだろ……、そうじゃないかね。ええ、野田君」
「なんなんだ! 変なしゃべりしやがって、この」
「お前はさ、今までスポーツに関してはエリートだったと思うよ。それが、1から、いや、ゼロから始めなきゃなんないから戸惑ってるんだろ? プライド許さないんだろ?」
「そんなんじゃねーよ」
「いいじゃんか、誰もお前の昔のことなんか知らないんだから。お前は、田舎からきた南が丘の生徒で、学ランで登校してくる変わったやつなんだから。そうやって自分の高校生活が始まったばっかりなんだぞ。そのキャラに自分から染まりきって行けばいいじゃんか。俺はそういうお前だから面白いと思うし、他の仲間だってお前を気にしてくれるんじゃないの? 逃げるのはなし!」
「逃げてるわけじゃねえ!」
「そーおー、俺には逃げてるようにしか見えないねー。いいかケンジ、ここは南が丘高校なんだぞ。お前の昔のこと知ってる奴なんか誰ーれもいないんだし、逆にさ、お前がどんなやつかみんな興味持ってるんだぞ。逃げる必要なんてないだろうよ。」
「……」
「時田一也はおまえのこと『ノダケン』だとも言ってた。意味はわかんないけど、カッコいい呼び方だよな。」
祖父の名は野田謙蔵、父は野田賢悟、そして曾祖父は野田謙輔という。明治期に網元だった「野田家」の家名はいつの頃からか「野田の謙輔」「ノダノケン」「ノダケン」という通称と共に広がっていったのだという。祖父の頃には既にニシン漁華やかりし頃の網元制度はなくなっていたが、野田家はその家名と人脈を残していた。地主と小作農にも似た網元と網子の関係は精神的なつながりとして残っていて、野田家に対する畏敬の念は地域の名士としての部分を強くして残された。祭や興行に際してのとりまとめや選挙運動での挨拶回りが「野田家」を抜きに始められることはなかった。
網元から水産加工場経営となったあとも「ノダケン」という呼び方は、野田謙蔵、野田賢悟、野田賢治と受け継がれてきた。中学校では、その「ノダケン」としての立場が僕の上に重たくのしかかっていたかもしれない。
……武部は、祖父の言う「本物」なのかもしれない。
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