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第43話 第二部 13・野田琢磨のこだわり
しおりを挟む午後の練習が始まった。
今日は高跳びの練習をしている。山野沙希が相変わらずリズムに乗れずにいる川相智子に右腕の使い方を教えているところに野田啄磨がやって来た。野田啄磨は走り高跳びで全道大会に出場したが予選記録を越えられずに終わった。出場選手中ただ1人のベリーロールで挑んだ彼は注目の的で、新聞社や雑誌記者の質問攻めに遭っていた。そのせいかどうか、1m80㎝の予選記録を越えられなかった。振り上げの鋭さとバネで跳んでいる彼のジャンプはもう一時代も二時代も昔のもので、スピードを生かせる背面跳びにかなわなくなっていた。
彼の重心を下げた11歩助走に比べ、背面跳びの連中はフィールドをとびだして9コースある走路の1番外側から長い距離をとってスピードを上げる選手も多くいるくらいなのだ。
「タク、背面に変える気になった?」
同じ名字の野田啄磨は「タク」と呼ばれ、野田賢治は中学の時と同じく「ノダケン」と呼ばれるようになっていた。
「いや、絶対ベリーロールでいく!」
確かにタクの跳び方は右足の振り上げる強さが武器なのだからベリーロールには合っている。このままの跳び方を背面跳びに移したとしたら、スピードに負けてしまうか。軸足の足首を痛めてしまうに違いない。スピードを活かす背面跳びだと彼のように深い後傾は必要なく、円を描く助走から生まれる内傾姿勢が利用できるため助走後半の沈み込みももっと浅くてすむようになる。だから背面跳びの方が技術的には簡単なのだが、タクは膝を曲げた振り上げができないのだ。
「何こだわってんの?」
「だっておまえ、途中で変えたら負けたようなもんじゃん。」
冗談で言ったつもりが、タクは本気にしたようだ。
「ノダケンは……、今までやって来たことすぐ変えられんのかよ?」
「今まで何にもやってないから。変えるもなんも、もとの形がない。」
「野球から変えたじゃねえかよ」
「それは、別なことだろ! おまえは、逆に変えられないんじゃねえのかよ」
「違うって、なんかみんな流行に乗らなきゃなんないと思ってるだろうけど、そうじゃないことだってあるんだ。いったんやろうと思ったら、最後までやるんだよ!」
「いやー、かっこいい言い方だけどよ、ダメな部分は変えながら進歩するもんだろ。歴史的にも、科学的にも、進歩とか進化ってそういうことじゃん。」
「いや、これは違う。自分の信念だって。こだわることも大事だ。」
「そうかい……」
同じ名字であることからか、2人は兄弟のような言い合いになることがある。というよりも、珍しく互いに気兼ねなくずばりと言うことのできる関係になってしまった。
野田啄磨は、札幌近郊の江別市からやって来ている。中学時代は常に学年トップの成績で、江別駅前に開業している父親の病院を継ぐことを義務づけられた一人息子なのだ。陸上部に所属する生徒だけでもこれだけ医者の跡継ぎが多いことに驚かされると同時に、自分がこんな優秀な生徒達と一緒の学校にいること自体が驚くことだった。
「おう、野田兄弟!」
そういう言い方をするのは、新しく陸上部主将に選ばれた坪内航平だ。高校生の平均身長が170センチを超える時代だ。165㎝に満たない坪内さんは、男子部員の中でも小さい方に分類される。野田啄磨は182センチで58キロ、野田賢治は178センチで68キロだ。いきおいどんなに坪内さんが強い言い方をし、バカにした口調になろうと、彼はいつも二人のことを見上げた状態で話さなければならなかった。僕らにとってはそれが、どんなにひどい言葉で、バカにされたような言われ方あっても憎みきれない理由になっていた。やっぱり彼も精一杯の見栄を張り、精一杯の努力をしている先輩の一人なのだ。
「新人戦の出場種目明日決めるからな。」
「坪内さん、200も出るんすか?」
タクがちょっと目尻を下げて話した。
「当たり前だろ、2種目出れんだからよ。え、それともおまえが出たいってのか?」
「いえいえ、やっぱりなー、すごいなー、と思って」
タクは足が遅い。本当に遅い。陸上部としてははずかしいだろうと言いたくなるくらいに遅いのだ。12秒台で100メートルを走る山野沙希の相手には全くならないし、14秒台の川相智子と良い勝負なのだ。それも、タクが背面跳びに変えない理由の1つだ。
「オメーは、高跳びしか出ねえだろどうせ。ノダケンの方だよ。」
急にこっちに三角の目が向いた。相変わらず相手を指さしながらしゃべり続けている。
「こいつが、なに出んのかはっきりしねえからよ、いっつも! 早く決めてもらわねえと、他のやつが困・る・ん・ですよ!」
やっぱり嫌な人だ。3年生がいなくなったらなおさらそのとげとげしい言い方に鋭さが増してしまった。
「僕ですか? 僕は何でも良いすよ。何でも出ますから。」
「ばーか!そんなやつがいるか! 自分の希望ってもんがあんだろ。何でも出るってのが1番失礼だろって。2種目出れんだから、早くなんかに決めろ!」
本当に何でもよかったのだから、余ったので良いと言いたかった。でも、確かにそれは他の仲間に失礼な言い方だし、思い上がった言い方でもあった。こんな時、マネージャーの山口美優さんだったら、きっと幼稚園児か小学生を諭すような言い方で考えをまとめてくれていたはずだ。
「ハードル……、誰も出ませんよね? ハードルにします。」
「おまえ、ハードルであんだけ失敗したのにかよ。」
「イヤーなんかもうちょっと何とかなるんじゃないかと思ってるんですよ。あん時、失敗したのがちょっと頭に残ってて、早いうちに消し去りたいなー、って思うので」
「へへっ、おまえもちゃんとこだわり持ってるじゃん。良いぞ!」
走り高跳びの踏切位置では、山野沙希が右肩の使い方を川相智子に教えている。彼女の話は結構高度な内容ばかりだった。微妙なタイミングと細かな動きが要求されることばかりだった。でもそれは、もっと後の段階のように僕には思えた。川相智子に今必要なことは、野球で言うと素振りだったり、トスバッティングだったり、キャッチボールだったり、ベースランニングじゃないかと思うのだ。山野沙希はどうすればぎりぎりの高さをうまく超えられるかを考えている。いわば、もう頂点に近いところまで到達している選手だ。それに対して、川相智子や僕はまだ登山口から少しだけ入ったところにいる。
山野沙希が厳しい顔をしてやって来た。川相智子もその後から視線を下に向けてやって来る。
「ねえ、松山さんって、マネージャーできると思う。」
松山恵は短距離グループの樋渡たちとグラウンドの反対のコーナーのところにいて、なにやら話しながら記録をとっていた。バインダーに挟んだ資料に懸命に何かを書き込んでいる。首からぶら下げたペンは山口さんが使っていたもので、蛍光色に西日が当たり黄緑色に発光している。
「ノダケン、松山さんのこと知ってるんだって?」
山野紗希は野田琢磨と一緒の時にだけあえてノダケンという呼び方をしている。
山野沙希の後ろから川相智子の目も真っ直ぐに僕を見ていた。
「知らないって、誰がそんなこと言ったのさ?」
「おんなじ中学なんじゃないの?」
「イヤー、だから違うって、隣町の中学らしいけど、ついこの間そのこと聞いたばかりだよ。」
「なんで、こんな途中からマネージャーなんてやろうと思うかなー」
「良いんじゃねえの。裏方やろうってー気持ちが大切だろ。ありがたいことじゃあございませんか!」
高跳びのバーを160センチに上げて戻ってきたタクが軽い口調で言った。
「へー、タックンかわいい子好きだもんねー!ついこないだまで、クラスの青木さんのことばっかり言ってたけどねー」
山野沙希とタクは同じクラスで、クラス内ではみんながタックンと呼んでいるらしい。
「松山さんてかわいいよね。山口さんとはまた違って、なんか、小柄で愛くるしいって言うか……」
松山恵はグラウンドの校舎側の方に移動して中川健太郎たち長距離グループの話を聞きながら同じように、バインダーの書類に目を通していた。
「健太郎とおんなじクラスだったろ。なんか言ってた?」
タクはそう言ったが、誰もそれを聞いていなかった。もっとも、健太郎のことだから、何かを聞いていたにしても自分から話すことはないだろうことはみんな知っていた。
「あのな、山口さんの話だと、父さん同士が知り合いっていうか、同僚なんだとよ」
さっきからずっと付きまとうようにここまでやって来ていた坪内さんが言った。新しい陸上部主将としての役目を果たしているような言い方だった
「彼女も帰国子女なの?」
タクは大きな声を出した。グラウンドにいた何人かが振り向いたが、松山さんにまでは聞こえなかったようで、中川健太郎と何か話を続けていた。
「うるせえよ、おまえはよ!最後まで聞けって。いいか、同僚ってのは、日本に帰ってきてからの職場が同じってことよ。入社が同期だったから家族同士のつきあいになったってことらしいぞ。それでよ、山口さんと同じ高校に通って、山口さんの後釜になったって言う筋書きよ。」
時代劇にでもはまったように、得意げにそして、珍しく流れるような言い方をした。
「坪内さんも、かわいい子好きですもんね!」
唇に力を込めたように、山野沙希のしゃべりがますます鋭くなった。
「あのね、山野。野球部でもさ、バレー部でも、ちゃんとマネージャーいるでしょう。野球部なんて4人もだよ。陸上部にはこの2年間山口先輩がいたけど、後釜がいなくなったら困るでしょう。だから、余計なこと言わないで、気持ちよく裏方やってもらえば良いじゃないさ。なんも問題ないでしょが」
山野沙希は何も言わなかった。それでも、不機嫌な表情には変化がなかった。川相智子は何か言いたげだったが、坪内航平さんを大の苦手にしていたので黙ったままだった。
坪内さんがほかの場所で練習する部員の方へ行ってしまうと。野田琢磨が熱心に助走練習を開始した。全道大会で予選落ちだったことでタクの意識も変化したのかもしれない。助走スピードがいつもより速くなっていた。そしてやはり、スピードに負けて踏切がつぶれてしまった。
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