「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~

kitamitio

文字の大きさ
48 / 88

第48話 第二部 18・中鉢誠子  

しおりを挟む


川相祥子に勧められた『書道パフォ』の日、野田賢治が武部と川相智子と三人で北園高校体育館についたのは午後1時過ぎのことだった。
大きなカメラバッグの中に二台もの一眼レフカメラと大口径レンズを詰めこんだ武部は、筋トレ中のヤセすぎ君の表情をしていた。地下鉄の階段を駆け上ったまでは予定通りだったけれど、三人とも初めての街並みに道順が分かっていなかった。スマホのアプリを睨みながらやっとたどり着いたときには電車を降りてから30分以上も経っていて、1時開始に遅れてしまった。
住宅街と商店街が交互にやって来て団地の裏道を通り抜けたようなところに目的の高校はあった。南ヶ丘高校と同時代に造られたということだが、周囲の街並みとの兼ね合いからかこっちの方が古くから建っているような雰囲気を感じさせている。

 ここにたどり着くまでにエネルギーを使い切ってしまったような武部を、二人で後ろから押すように体育館の入り口に向かう階段を上がると、もう中では大きな音量でアナウンスが始まっていた。体育館の床いっぱいにブルーシートが敷き詰められ、その上にさらにビニールシートを重ねるようにして会場づくりがなされていた。
 周りを取り囲むような観客も結構な数に上るようだ。道新の取材が入ると川相智子の妹が言っていたように北海道新聞のネーム入りベストを着たカメラマンと照明などのスタッフが目に入った。しかもそれだけではなく、この体育館には階段式のギャラリーが設置されていて、その一番上にはテレビ局のカメラが設置されていた。

「おい、こんな派手なものなの」
「凄いよね……」
川相智子は妹の存在を探しながらちょっと不安そうだ。
武部は以前から書道パフォーマンスについて知っていたらしく、カメラの準備を急ぎながら長い説明を始めた。
「あのさ、高校生の全国大会と言えば野球の『甲子園』が有名でしょ。それに倣ってね、最近じゃ野球以外にもね『〇〇甲子園』って呼ぶことが多いんだ。もちろんスポーツの大会じゃなくてさ。カメラだってね『写真甲子園』って立派な大会が毎年行われてんですよ。しかも北海道でね。どこだと思う? 知らないっしょ? 東川町。聞いたことある?……」
当然僕は全く知らなかった。川相智子は名前だけ知っていたらしく小さく頷いていた。

「書道パフォーマンスにも甲子園があるんですよー! 毎年ねー、四国で行われるんですよー……」
武部がまた誰かの真似をしたしゃべり方になり、川相智子が小さく笑ったが僕にはさっぱりわからなかった。それでも、武部は川相智子を笑わすことができたので目的を達成したと思ったのかやっと長い説明に区切りをつけた。

ギャラリーを一段ずつ上がっていくと体育館内の準備状況がよく分かった。新聞やテレビが入ることもあってだろうけれど、昨日まで体育系の部活が使っていたはずのこの場所を、ここまでしっかりとセッティングするのは非常に大変な労力だったことが想像できた。  
中学で野球をしていた頃、自分の学校が会場校になった時の準備の大変さが思い出された。試合の前日は練習なんてする時間もなく一日いっぱいグラウンドづくりと用具の設置のために部員全員が走り回っていたのだ。夏休み中などの大会ならば時間は余裕をもってできたのだが、今日のように土日祝日を使った大会だと、平日の授業が終わった後にやるか開場前の何時間も前から登校してやるしかない。今日のこの会場も担当の人たちにはかなり負担がかかっているはずだ。

ギャラリーの最上段に上り会場全体を眺めていると、体育館の更衣室側の廊下に並んでいる南ヶ丘書道部の一員が目に入った。書道部を見たのは初めてだけれども、同級生を一人その中に見つけたのだ。今まで書道部であることも知らずにいた望月清華だ。芸術科目の選択では僕と彼女だけが「書道」を選んでいたのだ。他の仲間たちは音楽が人気でギターや和楽器に触れることが人気になっていた。武部は何故か美術を選んだ。
男子生徒で書道を選んだのは僕のほかには隣のクラスの二人だけで、38人の書道Bクラスは三人の男子生徒が女子の中に埋もれていた。一週間に一度だけのこの時間は岩内での祖父と一緒の時間を思い出させてくれる50分間になった。そして、話すことも仲間に合わせて行動することもない時間は、余計な気疲れをすることなく気持ちを浄化できる唯一の授業時間だった。

選択書道の時間で仕上げた作品を自分たちで裏打ちし展示すると、望月清華の作品は群を抜いていた。楷書や行書の二文字や四文字を課題とする授業なのに、彼女だけは王義之の臨書だったり漢詩文の連作だったりするのだ。授業で配布される通常の半紙ではなく自前の用紙に書かれた彼女の作品は多くの生徒が読むこともできずにいた。裏打ちの方法も手慣れたもので廊下に展示される彼女の作品だけが別な世界に導く入り口のようになっていた。そんな腕前なのだから、当然書道部だろうと考えてしかるべきなのに、僕の頭はそんなことすら考えられない状態だったのかもしれない。まして、同じクラスのたった二人の生徒なのにまともに会話したことすらなかったのだ。

「野田君も書いてみない?」
「はいっ?」
初めて彼女から話しかけられたのは、一学期ももうすぐ終わろうとする頃だった。その日が一学期最後の選択授業の日だったと思う。
「野田君の筆さばき見てるとね、ほんとにすんごくまじめだよね。きちんとした文字を書こうとしてるでしょ。だから誰が見ても綺麗だなあ!って感動しちゃうわけよね。でも、なんか無理してないかなって思ってさ。その詰襟の学生服ときっちりとした文字ってほんっとぴったりマッチしちゃってるよね。でも、なんかね、いつもいつもそうだとね、疲れちゃうでしょ、お互いに。楷書ばっかりじゃなくって行書も連綿の平仮名も、ほんと上手に書けてるし、とってもきれいに見える。でも、なんか無理して作っているみたいに見えちゃってね……」

全てを見抜かれてしまっているような指摘だった。書道の腕前ばかりでなく「この子はすごい」と改めて思わせられる日になった。返す言葉も見つからずただ聞いているだけだったのだが、彼女も別に答えを期待していたわけではないようで、その時はそのまま漢詩の読み方と作者の思いを解説したあと、自分の創作詩を披露して少しだけはにかんでいた。
その彼女が今あそこに並ぶ南ヶ丘書道部の一員であることに何の不思議もなかった。むしろそれが当然だろうというふうに思うようになっていた。

しばらく彼女とのことを思い出しながら体育館の入り口あたりを眺めていると北園高校書道部の一団が体育館に姿を現した。いよいよこれから始まるようだ。この一団は紺色の袴に同色の上着という剣道の袴と道着によく似た衣装を身に着けていた。
僕はこの衣装に非常に強い思い入れがあった。書道と同じように祖父に叩きこまれた剣道の仲間たちが思い出されたのだ。小学校に入学する前に始めた剣道は相手と自分との間合を見切る勝負が面白かった。上の学年の生徒に面で後頭部を叩かれてしまうことも、小手の防具より外れた場所ばかりを打たれて強烈な痛さと痣が年中絶えないということもあったが、相手の竹刀と足先だけに集中できるこの競技は大好きだった。そして、同じ剣道仲間のうちただ一人の女の子だった「誠(まこと)さん」の姿が思い浮かんできた。

「誠さん」は本当は中鉢誠子という名前なんだけれども「私の名前は新鮮組の誠だから」と誠子を誠と呼ばせていたのだ。
「私は武士道セブンティーンになるからね!」
ことあるごとにこのセリフを口にする中鉢誠子さんは剣道にのめり込んでいる二歳年上の「剣士」だった。「武士道セブンティーン」というのが小説のタイトルだと知ったのはずっと後のことだったが、中学二年生で彼女は初段位に合格し三年生の時には北海道大会でベスト8まで勝ち上がった。うちの祖父のところで剣道をやっていたということは同時に書道も習っていたことになる。祖父はスポーツだけ勉強だけ、というのをものすごく嫌っていたのだ。
八興会館の二階道場で剣道を教え、その隣の教室で書道も同じ子供たちに習わせていた。剣道を始める条件は書道も同時にすることでもあった。だから野田賢治には剣道の姿と書道が重なって見え、彼女たちの衣装から剣道をしていた時の「誠さん」を思い出してしまったのだ。

会場に整列し始めた北園高校書道部の10人は床に敷かれた大きな紙(紙なのかどうかわからないけど、もしかすると布なのかもしれない)の周りに位置取りをした。スタート位置についたという雰囲気だ。テレビ局のカメラが回っている。道新のカメラマンが重たい音のするシャッターを切った。横にいる武部は二台のカメラを首から下げてもう連写している。

大音量の音楽が流れ始めた。オレンジ色の鉢巻きを背中に垂らした10人の部員たちが動きだした。「書道パフォーマンス」はダンスパフォーマンスといった方がいいかもしれなかった。いやむしろ、演劇の一種かも知れない。10人それぞれに役割があって、持っている筆の大きさや色までもが様々だ。音楽に合わせて踊るような動きを見せ、一つのストーリーを演じているようだった。出来上がった作品もド派手なものだった。

 川相智子の妹祥子はこの十人のバックアップで演技をする彼女らに道具を供給したり、場所のセッティングをしたりと1年生部員らしく走り回っていた。川相智子も武部も少なからず落胆した様子だったが、野田賢治はこのパフォーマンスの間じゅう一人の動きだけを追いかけていた。

バックに流れる音楽に合わせた足のリズムが一人だけ剣道の試合のようだったのだ。パフォーマンスが始まり両手で抱えるほどの大きな筆を持ち運ぶ動きも、筆を変えて四人で並んでリズミカルに文字を書き連ねる動きも、すべて彼女だけは継ぎ足を基本とする剣道の足運びだった。剣道着にそっくりな衣装だっただけに自分の記憶と結びつけてしまったからなのだろうと初めは思っていた。けれども、彼女だけは背中にしっかりと太い力線が入っていた。足首やひざの柔軟性が活かされたリズミカルな動き、そして動きを止めすっと立ったその立ち姿……。他の九人とは全く違う。そんな彼女の姿を追っていると思い出の中のものなんかじゃなくて、本当に「誠さん」に見えてきたのだった。

「誠さん」こと中鉢誠子さんは二学年先輩なのだが中学は別だったので学校でのことはよく知らなかった。ただ、小学校に上がる前から道場に通っていたので6年以上も一緒に練習し机に向かっていた。彼女の三人の兄たちも皆道場に通っていて末っ子の誠さんも一緒に付いて来ていたのが始まりだった。始めたばかりの僕と二年が経った誠さんが道場では最も年下の二人だったので互いが練習相手となることが多かったし、誠さんは先輩として僕に動き方や練習の方法や、その他いろんなことを教えてくれた。
野球を始めてからも道場にだけは休まず通っていたので、週に4回の練習はほとんど誠さんを相手にしていた。上下素振りから始まり前進後退素振り、足さばきの練習。ウオーミングアップ代わりにもなるこれらの運動はいつも二人が並んでやっていた。背の高さも年齢も近いので男女の力の差も少なかった。何年もこの運動を並んでやっていると、まったく同じタイミングで動くようになり、誠さんの兄たちからは「誠子にも弟ができてよかったっしょ」と言われるようになっていた。

面をつけてからも切り返しの練習と前進後退や左右斜めの継ぎ足の練習になると、二人はほとんどシンクロしているような動きになっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の妹が、入浴してる。

つきのはい
恋愛
 「交換してみない?」  冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。  それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。  鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。  冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。  そんなラブコメディです。

小学生をもう一度

廣瀬純七
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...