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第49話 第二部 19・書道パフォーマンス
しおりを挟む野田賢治は今その時と同じ動きを目の前にしていた。紺色の袴に同色の道着、オレンジ色の鉢巻きを肩のあたりに揺らしながら、二年ぶりに目にした「誠さん」が竹刀の代わりに筆を動かしながらステップを踏んでいた。
完成した作品が太いロープで昇降式のバスケットリングを利用して持ち上げられると、体育館の床から見ていた観客たちにも作品全体が見えるようになった。大きな歓声と拍手が起こり10人の書道部員たちは深々と頭を下げたあとに手を振っている。
野田賢治はギャラリーの階段を下りて片付けを始めている部員たちの近くまで行ってみた。素早い動きで筆の片付けをしていた川相祥子が「あっ! どうもー!」とだけ言って荷物を運んで行き、そのすぐ横で汚れを拭きとっていた誠さんが、タイミングよくこちらを振り向くと僕と目が合った。その途端彼女の目が大きく見開き、続いて口が真ん丸な形になり大きく息を吸った。それを隠すように左手を顔に持ってきたときようやっと声が発せられた。
「ケンちゃん?!……ケンちゃんだよね? 野田賢治でしょう?!」
左手を口に当てたまま誠さんは右手で僕の制服の袖を引っ張って廊下へと向かった。廊下にいた南ヶ丘書道部の部員たちが一斉に僕の方を見た。
「どうして? どうしてあんたがここにいるの? 札幌の高校に来たの? この制服、中学校の時のでしょ? 何? どうなってるの? うん、ノダケンさんは? 一緒じゃないの?……」
誠さんの質問は終わりそうになかった。
「こっちの方がびっくりですよ。誠さん、武士道セブンティーンじゃないんですか?」
誠さんは化粧で白くなった顔のところどころに墨の跡を残している。二年ぶりの彼女はやたら大人っぽく見えてなんとも落ち着かなかった。
「いやー、そうだよねー、もうあの頃は本気で『剣士』目指してたからね。でもね、ちゃんと二段位までは取ったんだよ。そしたらなんかね、なんか急に一区切りついちゃった気がしてさ、楽しいのはそればっかりじゃないって気づいちゃったんだね。今はさ、なんかこっちのほうが楽しくってね、もうすぐ高校生も終わるからね、書道パフォも多分これが最後かな。……でも、剣道だって、やめたわけじゃないんだよ……」
二人の近くにいた南ヶ丘の生徒たちが僕の話をし始めたのが聞こえてきた。同級生の望月清華がちょっと自慢したような言い方をしている。
「もしかして、ケンちゃん! あんたこの人たちと同じ高校なの?」
誠さんの口がまた真ん丸になった。
「あの、……ちょっと運が良くて。今年、珍しく倍率割ったから……」
「えー、すんごいじゃん。そうなのー、すごいよー。……もう、いっつも驚かしてくれるよねあんたは、もう!」
札幌に住む叔父さんのもとからこの学校に通っているという誠さんは、久しぶりに再会した「本物の」弟に話しているような感じだった。
「……んで、なんで学生服なの? 札幌でも有名な私服の学校でしょ。みんなそれにあこがれて南ヶ丘目指してるっていうのに……なんで敢えて学制服?……」
近くにいる南ヶ丘書道部の耳目がこっちに集まってしまった気がして、誠さんの大きな声がちょっと気になった。
「まあ、なんか、こっちの方が服選ばなくていいっしょ! 毎日おんなじのでも制服だと考えなくていいんで。今までさ、私服なんて自分で選んだことなかったし……」
「いやー、もー、なんか説得力ゼロの理屈だねー。まあ、まあいいか。今度さうちに遊びに来なよ。おじさんの家だけどね『充(みつ)ニイ』も一緒だから」
「充ニイ」とは誠さんの三番目の兄充三郎のことだ。
「そうなんですか? それ、いいですね。充三郎さんもいるのー!」
野田賢治にとって「充ニイ」は初めて兄の雰囲気を感じさせてくれた人だった。
滉一郎、脩二郎、充三郎、誠子。中鉢家の三兄弟+誠さんは江戸時代の旗本家のような生活をしていた。二百年前にでもタイムスリップしたんじゃないかと感じさせちゃう家だった。「男性優位」と言えばいいのか、「男らしさ」を大事にしているというか、なんともうまく言えないけれど、ここの家だけは他とは違うのだ。
その中で一人だけの女の子である誠さんがとっても大事にされているのだ。上三人の男の生活にしっかり乗って生きているのだけれども、兄たちは誠さんのことをとても大切な末っ子の「妹」として、扱っていた。
剣道の練習は好きだったけれど大会に参加したり、昇級試験を受けたりということには全く興味のなかった僕とは違い、中鉢家の兄3人は皆中学で初段、高校で2段位を取得している。その中でも全道大会ベスト8まで勝ち上がったのは誠さんだけだった。この時の試合には家族全員が自作した「誠」の旗を振って応援したので大きな話題になったほどだ。
充ニイの近況を聞き始めた時に、川相祥子が誠さんを呼びに来た。
「誠さん、インタビュー始まるのでお願いします」
「あっ、そうだ、そうだった。ごめんね祥っちゃん、今すぐ行くから」
川相祥子は僕に向けて胸の前で両手を振って戻っていった。
「あれ、なにー。ケンちゃん、祥っちゃんのこと知ってるの?」
「あのー、つい最近知ったんだけど、双子の姉の方が同じ陸上部なんです」
「陸上部って、あんた野球は? あんなに一生懸命やってたのに、やめちゃったの?」
「まあ、他のこともやってみようかなって……、それより、やっぱ『誠さん』って呼ばれてんだ」
はにかんだような顔をした誠さんは後でまた話すことを約束してインタビューへと向かって行った。
彼女と入れ替わるようにこっちに向かって来たのは、妹からこの場所を聞いた川相智子と武部だ。二人は南ヶ丘書道部の知り合いと短い挨拶の言葉を交わし、当然武部は何度もカメラのシャッターを切った。
「知り合いの人だったの?」
本当にそっくりな顔をした二人なのに、表情は全く違っていた。川相智子は何時もの様に少し不安げな目をしている。
「ケンジー、お前は本当に年上にもてるよなー!剣道の達人なんだって」
川相祥子はまた「達人」を誕生させてしまったらしい。
誠さんとの関係を短めに説明すると、武部は自分の中でストーリーを創作したようで盛んにニヤニヤし始めた。こういう時の武部はいつも、自分で都合よく物語を劇的に展開させてしまった時なのだ。
「まず一人目はバイリンギャルの山口美憂さんね。それからこの前話を聞いた旭川の菊池さんだっけ。そして今ここにいた彼女。みんな三年生じゃんか! おまえやっぱ年上にもてるんだわ」
「バカか!」
「菊池さんも誠さんも岩内の人だもんねー」
「そっかー。でもよ、岩内の人ってさこんなに優秀なスポーツマンばっかなの? 誠さんて剣道の達人なんだろ。で、その菊池さんって8月のインターハイ全国三位だって?」
「それはー、それはもちろん、たまたまだって」
「おまえのそのパワーがパワーを引き付けるのか? 類は友を呼ぶって言うからな。パワーストーンノダケンってか!」
「祥子がね、野田君の学生服姿がみんなの注目の的だって。ここの男子も学生服なんだけどね、立つ姿が全然違うって。肩のラインが並行で背中がピシッと伸びてて……。それがね、あのー、中鉢さん、に、似てるんだって」
「それはな、俺も感じたぞ。レンズ越しでもさ、あの人の動きだけ違ってるもんな。やっぱお前と同じで立ち姿かっこいいしさ、流れるような動きと言えばいいのかなー」
「誠さんは武士道セブンティーン目指してた人だから」
「ああー、そうなんだ! それで祥子が剣道するって言い始めたんだ!」
川相智子はこの手の小説が大好きだった。
「はあっ? なんなのそれ?」
映画が大好きな武部だが、こいつは小説をあまり読まない。
書道部に入部してすぐ、中鉢誠子の所作にあこがれた川相祥子は「武士道セブンティーン」の意味を聞き出して自分もまねようとした。何時もの様に唐突に剣道をするんだと宣言すると、何時もの様に家族みんなに反対されてしまった。高校の剣道部も初心者を受け入れる雰囲気はなく、誠さんからも「そんな簡単なことじゃない」と言われしぶしぶ諦めたのだ。それ以降、いつでも誠さんの所作から目を離さないストーカーとなっていった。
「さすがサチコ。見る目があるねー。ちゃんと本物を見つけてる」
いままでも武部はいろんな人の評価を口にし、そのために仲間を怒らせてしまうこともあった。それでも僕が知る限り武部の人物評価は納得出来るものが多かった。
「本当に素敵な人だよね。祥子が憧れるのわかるわ」
「さっき、双子だってこと話しちゃったけど」
「そう……」
「あのさ、さっき望月がねお前が誠さんの知り合いだってことびっくりしてたぞ。書道部の人みんなだけどさ、あの人書道パフォじゃ超有名なんだとさ」
「そうだよ、私の友達も言ってた。姉弟かと思ったって」
「うん、まあ姉弟みたいなもんなんだ」
「ケンジの知り合いってさー、みんなスーパーウーマンじゃんか。あのー、もう一人のさ菊池さんって? どんな人なの? 会ってみたいねー」
「あのね、背が高くてね……小顔でね……、ちょっと野田君に似てるかもしれない。」
「じゃあ、その人も姉弟みたいなんだな!」
「……まあ、な……」
今までは決して使ってはいけないもののように思って来た「姉弟」という言葉が、こんなにも身近に、そして何回も耳にすることなんか決してなかったことなのに、当たり前のように自分の周りで行き来する言葉になっていることがなんだか不思議だった。恥ずかしいような、自分から口に出すのが憚られるような……、今までの自分とは違う世界にやって来ている気分だった。
体育館では誠さんたちのインタビューが終わり、南ヶ丘高校書道部が発表準備を始めていた。川相祥子は今もあちこちと走り回るようにしてセッティングに大忙しだった。そして、それを見ている姉の川相智子は何時もの穏やかな表情に少しだけ笑みを散らしていた。
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