53 / 88
第53話 第三部 1・「不易流行」~変化への兆しと覚悟~
しおりを挟む9月中旬に行われた全道新人陸上で、中川健太郎は1500mを4分4秒34で三位になった。小椋高校の外国人留学生が3分台の記録を出し圧倒的に速かった。
何年も前から駅伝を中心に活動しているこの高校では、外国人留学生としてケニアやエチオピアといった長距離王国から高校生の年代の選手を留学生という形で「輸入」していた。日本国籍を持たない彼らの力は記録として残るよりも、勝負として学校の名を高め、本人たちも恵まれた環境とその後の生活の安定を約束される。受け入れる高校側はその突出した力を中心に駅伝の強化を狙い、次年度以降の入学者増に結び付けるという目的もあるだろう。本州各地ではすでに何年も前からこのような学校が増え、高校の長距離界は外国勢の力を呼び水にしようとしている。
野田琢磨は走り高跳びで1m80㎝をクリアーしたが、もうその時点で体が上がらなくなってしまった。同記録が8人いる中で試技数の関係で三番目ではあったが1m90㎝台が二人いて全体では6番目の順位となった。この入賞はタクにとっては高校入学以来初めてのものだったのだが、本人はとても喜べるような内容ではなかった。もうこれ以上の高さは跳べないと感じてしまったのだ。
シーズン後半の秋から冬にかけて行われる駅伝競技には参加しないので、南ヶ丘高校陸上部の一年間の試合はこれで終わりになり、来春を目指しての冬季練習へと向かうことになった。隠岐川駿が来春を待たずにオランダへ帰ってしまったため二年生の全道新人戦への出場はゼロになり、完全に一年生に席巻されてしまった二年生達は大きな危機感を持って冬季練習に向かうことになった。
とりわけ新しい部長となった坪内航平にとっては、このままでは自分の立場がつらくなると思ったか、今まで以上に真剣に練習に向かうこととなった。豊平川河川敷での坂道ダッシュも嫌がらずに毎回参加していたし、一年生で伸びてきている相沢圭介や樋渡貴大と競いながら、いつもの強い口調で短距離グループに檄を飛ばしていた。特にこの秋になってからグングン力を伸ばし始めた二年生の福島海斗を含めた四人は、互いにライバル意識を満開にして一つ一つの練習メニューで競い合っていた。福島海斗は他の二人と違い大柄で200mにも向いた走り方をしていたため、沼田先生は山野憲輔の後釜としてリレーにも使いたいと考えていた。ノダケンを入れたこの五人を中心にして、また全道大会のリレーで南ヶ丘の力を見せたいと考え始めた。
この学校に来てから沼田恭一郎が次の年へと望みを抱いて冬を迎えるのは初めてのことだった。
このところ、中川健太郎は豊平川サイクリングロードでのフリーランニング(?)が楽しくて仕方なかった。自分が望んでいたのはこういう走りだと改めて気づいたのだ。中学の時から時間や距離を設定して部分的な練習ばかりをしてきたが、それは全く楽しい練習ではなかった。試合で勝つための鍛錬でしかなかった。しかし、健太郎にとっての走ることは、試合に勝つための鍛錬なんかではなく、自分が誰にも邪魔されずに楽しめる時間を確保するためのものだった。
サイクリングロードには制限がなかった。真駒内公園まで行ったら折り返してこればまた元のところへ戻れるのだから、何も気にせずに自分のペースで走れるのだ。豊平川の流れと両岸の緑に囲まれたロケーションは最高の開放感を与えてくれた。自分だけの練習時間も含めるとこの秋には週に三回以上この場所にやって来ていた。ここの楽しさにすっかり魅せられていたのだ。そして、彼は1500mという欧米では「格闘技」と呼ばれることもある「せわしない」中距離走より、もっと長い時間をかけて走り続けられる5000mに挑戦してみようかと考えるようになっていた。
野田琢磨は落胆ばかりの一年だった。全道大会には出場できたが中学からの記録をあまり伸ばせずにいた。全道新人で入賞を果たしていても記録は何も変わってはいなかった。どの大会でも自分一人になってしまったベリーロールにこだわり、自分の技術を高めてきたつもりだったが結果は全く伴わなかった。ノダケンの言う通りベリーロールから背面跳びに変えるべきなのだろうか。いや、背面に変えたところで自分の記録が向上するなんて保証は全くない。今はノダケンの方がはるかに記録も上になっていきそうな気がしてならなかった。同じ苗字だからだけじゃなく、高跳びを専門にする自分がそう簡単に負けるわけにはいかないという自負心はある。だが……、さて、どうすれば伸ばせるのだろうか。
「不易流行だ!」とかっこいいことは言ってみたが、この言葉自体「新しくすべきものは新しくする」という意味も持っているのは知っていた。スピード、助走、踏切の形。どれをとっても今の自分に当てはまるものはどれなのか、迷いは深まってしまった。
ノダケンのようなパワーは到底身に着けることはできないだろうが、今までやってこなかったこと、その部分を強化してみるしか次につながるものは見つけられそうにはなかった。
そして誰よりも、山野紗季は大いなる迷いの中にいた。自分の専門は走り高跳び。中学の頃からずっと続けてきたこの種目に自信をもって今までやって来た。そして、それなりの記録も結果も出すことができていた。ところがここにきて少し自分の中で気持ちに変化が生じてしまった。札幌市の新人戦で川相智子に敗れ、全道新人では旭川の選手がいきなり10センチ以上も自己記録を伸ばして優勝してしまった。インターハイの全道大会で4位に入賞したのに、新人戦でも勝てない自分の進むべき道を見失っていた。自己記録はもう一年以上前に打ち立てたものなのに今年はその記録に到達していない。そして、先週の合同練習では上野先生からこんな提案をされたのだ。
「紗季ちゃんはね、スピードもジャンプ力もすごいものがあるからね、今までのようにハイジャン一本じゃなくて七種競技なんかも考えてみたらどう? 私はすごく合ってるように思うけどなー。紗季ちゃんの12秒台のスピードとハイジャンの記録だったらだれも叶わないと思うんだよねー! 幅跳びもハードルもそれだけのスピード持ってたらかなりのところまで行けると思うからね、考えてみてもいいかもよー!」
上野先生の話を聞いているうちに、それは私の走り高跳びの限界を伝えている言葉であるかのように耳の奥に響き始めた。たしかに、私より智子の方がジャンプ力は上で、バーのはるかに上まで体が上がっている。私があそこまで上がったら全部クリアーできるけれど、私にはあんな浮力は生まれなかった。持っている特徴が違うのだからそれはそれで仕方のないことなんだけれど……。自分には本当にあっている種目なのかどうかわからなくなってきた。もし私が七種競技をすることになったら……。今はそんなことなんか考えられないのだけれども……。
山野紗季は今、大きな転機を迎えていることを感じていた。
川相智子にとっては驚きの一年だった。そして自分のことながら、自分を客観的に見ている自分自身に驚いていた。
「自分じゃないみたい!」
その言葉が一番当てはまりそうな気がしてならなかった。中学からのつながりでそれほど強い思いも意欲もなく陸上部に入部した。ところが、それが自分にとってとても大きな転機を与えてくれたのだ。中学の頃から皆に注目されてきた山野紗季の後について何とか真似しようと頑張って来た。野田賢治という今までに感じたことのないパワフルな存在に驚きながら一緒に活動してきた。上野先生には情けない自分の話を何度も聞いていただいた。そのたびに次へと向かう前向きな姿勢をちょっとずつ手にすることができた。そんなことの繰り返しでここまで来た。
そして、自分ではわからないうちに紗季と同じ記録を手にしてしまった。これからどうすればいいのか本当は分かっていないけれども、今までと同じようにこの人たちについていけばまた先が見えるところへと連れて行ってくれるではないか……。
妹の祥子との関係も変化してきたような気がする。これからの自分の生活がちょっと楽しみになって来た。なんとなく、そんな楽しい日々が待っているような気がしていた。
10月。短い秋が深まり、あっという間に冬へと突き進むこの時期から、南ヶ丘高校陸上部の新しい練習が始まった。
室内ではポールを使ったバスケットボールのジグザグドリブル。屋外では5㎏のメディシンボールを蹴りながらの対抗リレー。3拍子と5拍子のラダートレーニングは次の日には2拍子と4拍子の偶数拍に変わる。春から続けて来た2000回の縄跳びと鉄棒を使ったトレーニング。ぶら下がり逆上がりも成功者が増え、新たな技に挑戦する意欲的な生徒がたくさん出て来た。男子は小学生の頃にやったように振り跳びの距離を競っている。
陸上の基礎トレーニングはもちろん毎日欠かさずに行うのだが、そのほかのトレーニングは今までにない変わったものばかりだった。今日はなぜだかキャッチボールの時間になった。体育で使うグローブとソフトボールを用意させた沼田先生がノダケンとキャッチボールを始めたのだ。
黄色の大きなソフトボールが二人の間を速いスピードで行き来する。さすがに去年までは野球部で中心選手だったノダケンの投げたボールはきれいな軌道で沼田先生のグラブに真っすぐと向かって行く。沼田先生も野球の経験があるらしくグラブを動かすことなくノダケンの投げたボールをグラブのポケット付近にしっかりと納め、投げ方もサマになっていた。
「キャッチボールしたことない奴は?」
沼田先生の質問に何人もの手が一斉に上がった。
「お前たち中学の時授業でやってないのか? 野球は必修になったと聞いたけどなー」
「ティーバッティングだったかな……、そんなのはやった記憶がありますけど、キャッチボールそのものは教えられてないです。なんか簡単なゲーム形式らしいのはやってましたけど、ボール飛んでこなかったし、一回か二回ぐらいしかやってないんじゃないかなー」
「そっかー、野球人口減ってるわけだな! なあ野田! お前今日は野球の指導者になって投げ方教えてやれ」
それから一時間、まったく初めての女の子も含めて全員でキャッチボールを楽しむ(?)時間になった。もっとも坪内航平や野田琢磨には全く興味のないことだったらしく。最後まで不満たっぷりの顔をしていた。中川健太郎は小さなときに父親と少しだけやったことがあるらしくなんとなく形ができていた。女の子の中で上手だったのは山野紗季だ。小学生の時に兄の山野憲輔さんと二人で遊ぶことが多かったそうで、野球を始めていた兄の相手をしていたという。女の子には珍しく腕をしっかり後ろまで伸ばし、肩を回してオーバースローができるのだ。肘から先に抜くことのできる女の子はなかなかいないのだが彼女はそれもきちんと理解していた。やはり彼女は天性の感覚を持っているのようだ。
一年生の樋渡と田口は小学生のころにやっていたらしくそれなりの動きができていた。そして二人とも懐かしさとうれしさが顔に表れている。その日は5mくらいから始め塁間くらいの距離まで伸ばしたあと、50mほどの遠投をしてみることにした。これには単にキャッチボールの形だけでなく助走にあたるステップをつける必要が出てくる。樋渡と田口は難なくできていたが、他の生徒はうまくいかなかった。特に女の子たちにはとても難しいことらしく、クロスステップがほとんどできていない。体のバランスはこういう動きから作られることを知っている沼田先生はさすがにやり投げの専門家らしく、うまくそこまで結び付ける作戦だったようだ。まあ、それでもその日はうまくできないことを各自が体感することだけで終わりになった。
次の日は大会参加のためにグラウンドを開けたサッカー部のゴールを借りてシュート練習になった。PKの位置から始まってどんどん距離を取り、最後にはハーフウエーラインからのシュートに挑戦した。結果は見事に誰も成功しなかった。約50mのキックが無人のゴールに届かないのだ。ただたんに真っすぐにボールを蹴ることにもそれなりの技術と筋力が必要なことがよく分かった。ましてコーナーキックだったりフリーキックでゴールを目指すだとか、カーブをかけるなんてことは難しすぎる技術なのだ。サッカー経験者が誰もいなかったこともあり、その難しさを再認識したと同時にサッカーの楽しさも感じられた日だった。
0
あなたにおすすめの小説
友達の妹が、入浴してる。
つきのはい
恋愛
「交換してみない?」
冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。
それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。
鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。
冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。
そんなラブコメディです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される
けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」
県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。
頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。
その名も『古羊姉妹』
本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。
――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。
そして『その日』は突然やってきた。
ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。
助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。
何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった!
――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。
そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ!
意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。
士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。
こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。
が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。
彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。
※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。
イラスト担当:さんさん
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる