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後日譚① 塔の上のレイチェル(前半:元婚約者のレイチェル視点 / 後半:メルド視点)
(レイチェルside)
むせかえるほどの花の香りで、目を覚ました。
瞼を開けると、そこは赤い薔薇で埋め尽くされた部屋。
公開処刑の場から逃れて、数週間が経った。
エリックの故郷である隣国に逃げ延びてから、私はずっとこの部屋にいた。
あの処刑騒ぎは冤罪で、私は晴れて無罪放免。
もう逃げ隠れする必要もないのだけれど……。
この部屋から……いえ、この牢獄から一歩たりとも外に出られないのだ。
「おはようございます、我が最愛の運命の姫君」
扉の向こうから響く、どこか芝居がかった男の声。
扉を開き、恭しくお辞儀をした彼一一エリックは、また一輪の赤い薔薇を私の枕元に添える。
(また薔薇だわ……この国、花は薔薇しか生えていないのかしら……)
エリックは、かつて私の従者だった男だ。
彼がこの国の王子だったと知ったのは、あの処刑から逃れた日だった。
なんでも、一時期この国の情勢が不安定な時期があり、暗殺の危険があったようで、身分を偽り我が公爵家で匿われていたらしい。
そんな事は何も知らず、従者との禁断の恋に燃え上がっていた。彼以外要らないとさえ思っていた。
そんな心も今では彼への困惑に満ちている。
今日も今日とて、全身真っ黒な服装に、用途の分からない銀の鎖をジャラジャラと腰に巻きつけている。
そして右手には包帯……。(怪我はしていないらしいが、『何か』が疼くらしい。……『何か』って何?)
やけにキーの高い鼻歌を歌いながら、紅茶を淹れはじめたエリックに、おずおずと話しかける。
「……エリック、あの、そろそろ外に出たいのだけれど……」
私の言葉に大げさに驚いた顔をし、芝居がかった仕草で言葉を吐き出すエリック。
「お嬢様! 外の世界は“穢れ”に満ちています。世間という名の“雑音”に、“愚かな人間”ども……。我が“運命”たるお嬢様を、愛のままに我儘に、僕は傷つけたくなんかないっっ!」
狂気を孕んだ目でまくし立てられ「わかったわ……」と引き下がるしかなかった。
このやり取りはもう何度目だろうか。
私にはエリックの言葉の意味が、半分も分からない。
エリックは私の返事に満足そうに微笑んで、私の足元の鎖に触れる。
彼曰く『僕とお嬢様の魂を繋ぐ“愛の絆”』というその鎖は、美しい薔薇の彫刻がほどこされているものの、囚人を牢につなぐ鎖と何が違うというのだろうか。
公爵家にいた頃は、この様な奇妙な発言も行動もなかったはずなのに……彼は自国に帰ってきた事で、病(たまに掃除に来るメイドが言うには“厨ニ病”というものらしい)が再発したようだ。
紅茶を入れ終わると、エリックは「ではまた後程、マイプリンセス……」と言って部屋を出ていった。
扉の外ではガチャガチャと金属音が鳴る―― あの忌々しい扉の錠(エリック曰く『世の穢れから私を守る“聖なる封印”』)が、今日も厳重にかけられる音だった。
今日もまた、この薔薇の牢獄……『深紅の聖域』から出られなかった……。
私は震える声で神に祈る。
「神様……いえ、もう誰でもいい……助けて……」
——部屋から出たい。
もうあの痛々しい言動に耐えられない。
運命の恋だと思っていたのに、わずか数週間でこんな気持ちになるなんて……。
縋るような思いで、元婚約者へ手紙を飛ばした。
エリックに見つからぬよう、夜の帳に紛れて放った伝書鳥の魔法。
けれど未だ返事はない。
元婚約者のメルド殿下は真面目ではあるが、少し要領が悪い人だった。
幼い頃から文武両道の神童として名を馳せていた王弟殿下に比べると、酷くつまらない凡庸な人。
当時、王弟殿下に片思いをしていた私にとって、メルド殿下の婚約者に選ばれてしまったことは、とても不運な事に思えた。
ついついそんな想いで八つ当たりのようにメルド殿下には冷たく接した。
彼はいつも私に優しかったのに。
そんな時、隣国から我が家に従者見習いとしてやってきたのがエリックだった。
エリックはこの国では珍しい黒い髪に赤い瞳を持ち、王弟殿下よりも美しい顔をしていた。
エリックに優しく微笑まれるたびに、自分が特別な女の子になれた気がして、私はすぐにエリックに夢中になった。
ちょうど巷で、身分違いのロマンス小説が流行っていたからかもしれない。
その後、父が外で作った妹を家に招き、溺愛し始めるようになると、私はますますエリックに依存するようになった。
婚約者であるメルド殿下とのお茶会でも、同性のメイドではなく、エリックを伴うようになったが、殿下がそのことを咎めることはなく、困ったように笑っているだけだった。
腹違いの妹は教会から「聖なる力の持ち主」として認められ、この国の聖女として確固たる地位を築いてからというもの、父と一緒に王城にも出入りするようになっていた。
メルド殿下に近づき、分かりやすく媚びを売る姿が鼻につく。
何度かメルド殿下に苦言を申し入れたが、その後も同じような場面に何度も遭遇した。
「はぁ、あの子にも困ったものだわ。高貴な血が半分しか入っていないと、あんなにも下品になってしまうものなのかしら……」
腹違いの妹の母親は平民のメイドだった。
両親ともに高貴な貴族の血を引いている私とは、生まれ持ったものが違う。
甘ったるい声でメルド殿下以外にも媚びを売る彼女の行いは、生粋の高位貴族である私からは酷く下品な姿に見えた。
腹違いの妹の行いを部屋で愚痴っていると、エリックが静かに言った。
「……もし、あの女とメルド殿下が浮気でもしたら——殿下の有責で婚約を破棄できるのではありませんか?」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、顔を上げる。
「お嬢様が婚約を解かれれば、お嬢様は自由の身です。ちょうど自国の知人から国に戻るようにいわれているのですが、お嬢様も一緒に隣国へ行きませんか?私の故郷で、二人で一緒に暮らしましょう……」
エリックは微笑んだ。
その目はゆらめく炎のように赤く光っている。
「まぁ……エリック、なんて素敵な考えなの!」
当時の私には、それが世界で一番ロマンチックな言葉に聞こえた。
メルド殿下と結婚してからも、エリックを王城に連れていくつもりでいた私にとって、それは夢のようなアイデアだった。
「エリック、私あなたと一緒になれるように頑張るわ! メルド様の評判を落として、あの下品な妹と浮気していると噂を流すのよ! 民衆がその噂を信じれば、王家も動かざるを得ないわ!」
エリックは私の手の甲に軽く口づけを落とすと、ゾクリとするような少し低い声で囁いた。
「ええ、ずっと……永遠に一緒ですよ、マイプリンセス……」
——それから私はメルド殿下の評判を落とすことに躍起になり、まんまと腹違いの妹の策略にはまってしまったのだった。
◆◆◆
ふと窓の外を見ると、窓枠に伝書鳥が止まっていた。
鳥は私と目が合うと、わずかに開いた窓から部屋の中へ入り、その身を光に溶かしながら一通の手紙へと変える。
「レイチェルへ」——少し癖のある丸い文字。メルド殿下の筆跡だ。
胸の奥にわずかな希望が灯り、希望を込めて封を切る。
「やあ、レイチェル。先日の処刑騒ぎは本当に申し訳なかった。こうして手紙をもらえて嬉しいよ。レイチェルは今、『深紅の聖域』にいるんだね? よく分からないけど、彼とラブラブに過ごしているようで何より。君の幸せを祈っているよ。」
(……え? ラブラブに過ごしている――ですって? 助けて欲しいって、全然伝わっていないってこと?)
がくりと膝が落ちる。
足に繋がれた“愛の絆”が、じゃらりと音を立てた。
そんな私の落胆を待っていたかのように、扉が開く。
赤い薔薇の花束を抱えたエリックが、熱を孕んだ笑みを浮かべて入ってきた。
「お嬢様っ! 本日は“愛の記念日”ですよ!」
「……昨日も愛の記念日『僕の魂がお嬢様と初めて邂逅した日』だったわよね?」
「ふふ……今日は『僕がお嬢様の波動を初めて浴びた日』です! ああ、僕たちの小宇宙は、祝祭に満ちている!」
そう言って、薔薇の花束を私に押し付ける。
「さあ、お嬢様……今日も“愛の誓約”のお時間です! “エリック、愛してる”と、今日も百回、お願いしますね。今日は『魂に刻むレクイエムver.』でいきましょう!」
「……鎮魂歌って……不吉じゃない? 」
「さぁ! お早く!!」
「ええ……??」
「朝ご飯が冷めてしまいますよ?」
「くっ……エリック、愛してる(棒読み)……エリック、愛してる(棒読み)……」
「もっと魂に響かせて!!」
(魂に響かせるって何!?)
「エリック、愛してる!」
「もっとです!!!」
「……エリック、愛してるぅぅぅ!!……エリック、愛してるぅぅぅ!!」
「もっと!!!!!」
「……もう無理ぃぃ!!!」
塔の狭い一室で、赤い花びらがひらひらと舞い散る。
私の叫びは、エリックの奏でる愛の旋律(ハープの演奏)によって、虚しく空に溶けていった。
◆◆◆
(メルドside)
朝食を食べているところに、レイチェルから伝書鳥の魔法で手紙が届いた。
俺が冤罪で処刑しかけ、元従者と駆け落ちした元婚約者の手紙。
少し複雑な気持ちで手紙を開くとそこには——
「メルド殿下、助けてください。エリックの愛が辛いです。 私は今、塔のような場所にある『深紅の聖域』と彼が呼ぶ、薔薇で溢れた部屋にいます。
足には『愛の絆』をつけられ、扉は『聖なる封印』がかけられており出られません。 そして毎日が愛の記念日です。『愛の誓約』を百回、私の『愛している』という言葉に合わせて彼が奏でるハープの音色が耳から離れません」
読み終えた俺は、ひきつった顔でケイを見つめた。
ケイは静かに紅茶を入れなおし、柔らかく微笑む。
「……意味が分からないんだが……」
「『愛の絆』に『聖なる封印』……何かの呪文でしょうか」
「うーん……あと『深紅の聖域』ってなんだ? 毎日が愛の記念日ってことは、“ラブラブに過ごしている”と惚気られているのかな?」
「ええ、きっと充実した毎日なのですよ。……そういえば殿下も高いところ、好きでしたよね? 塔に殿下用の『深紅の聖域』を作りましょうか?」
「よく分からないけど、頷いちゃダメな気がするな……」
「ふふふ、冗談ですよ」
「……まあ、レイチェルが元気そう(?)で良かったよ……」
俺は考えるのをやめて、ケイが入れなおしてくれた紅茶に口をつける。
ふんわりと薔薇の香りが口に広がる。どうやら今日はローズティーのようだ。
ケイは護衛騎士なのに、離宮に来てからというもの、俺専属の執事のように甲斐甲斐しく俺の世話を焼いている。
俺は紅茶の香りを楽しみながら、朝食のサンドイッチを頬張った。
ケイお手製のキュウリとハムのサンドイッチ。
薄くスライスされたキュウリの歯触りとハムの塩味が絶妙だ。
「うまい!」
「それは良かった……あ、殿下、口の端についてますよ……」
「え?」
顔をあげると、すぐ目の前にケイの顔があった。
次の瞬間、柔らかく唇に触れる感触。
「ちょ、お前っ!」
「ふふふ、真っ赤になる殿下はいつ見ても可愛いですね」
「——っ!」
自分でも顔に熱が集まっていくのが分かる。
そんな俺を見て、ケイは穏やかに笑って、俺の耳で囁いた。
「今夜は、二人の“聖域”で、もっとすごいこと……しますか?」
「ふぁっっっ!!」
囁きと共に吐き出された吐息が、耳の奥をくすぐる。
ビクッとする俺の反応に、愉快そうに目を細めるケイ。
そんな顔さえカッコイイと思ってしまうのだから、俺もだいぶ重症だ。
ケイはそんな俺を眺めながら、上機嫌にティーポットを傾けた。
柔らかい光が窓辺から差し込み、紅茶の鮮やかな琥珀色がゆらりと光る。
……最近、正式に恋人になってからというもの、ケイはやたらと甘い。
ふいに抱き寄せられたり、紅茶を飲もうとした瞬間にキスをされたり——。
ドキドキしっぱなしで、まったく落ち着かない。
けれど、不思議と嫌ではない。
こうして一緒に少し笑い合える日々が、たまらなく心地いいのだ。
カップから、薔薇の香りがふわりと立ちのぼった。
ティーポットを置いたケイの手が、俺の頬に優しく触れる。
俺はこれからまた訪れるであろう甘い予感に思いを馳せ、レイチェルの手紙のことは頭からすっかりと消えていた。
——どうやら、今日はいつもより甘い朝になりそうだ。
むせかえるほどの花の香りで、目を覚ました。
瞼を開けると、そこは赤い薔薇で埋め尽くされた部屋。
公開処刑の場から逃れて、数週間が経った。
エリックの故郷である隣国に逃げ延びてから、私はずっとこの部屋にいた。
あの処刑騒ぎは冤罪で、私は晴れて無罪放免。
もう逃げ隠れする必要もないのだけれど……。
この部屋から……いえ、この牢獄から一歩たりとも外に出られないのだ。
「おはようございます、我が最愛の運命の姫君」
扉の向こうから響く、どこか芝居がかった男の声。
扉を開き、恭しくお辞儀をした彼一一エリックは、また一輪の赤い薔薇を私の枕元に添える。
(また薔薇だわ……この国、花は薔薇しか生えていないのかしら……)
エリックは、かつて私の従者だった男だ。
彼がこの国の王子だったと知ったのは、あの処刑から逃れた日だった。
なんでも、一時期この国の情勢が不安定な時期があり、暗殺の危険があったようで、身分を偽り我が公爵家で匿われていたらしい。
そんな事は何も知らず、従者との禁断の恋に燃え上がっていた。彼以外要らないとさえ思っていた。
そんな心も今では彼への困惑に満ちている。
今日も今日とて、全身真っ黒な服装に、用途の分からない銀の鎖をジャラジャラと腰に巻きつけている。
そして右手には包帯……。(怪我はしていないらしいが、『何か』が疼くらしい。……『何か』って何?)
やけにキーの高い鼻歌を歌いながら、紅茶を淹れはじめたエリックに、おずおずと話しかける。
「……エリック、あの、そろそろ外に出たいのだけれど……」
私の言葉に大げさに驚いた顔をし、芝居がかった仕草で言葉を吐き出すエリック。
「お嬢様! 外の世界は“穢れ”に満ちています。世間という名の“雑音”に、“愚かな人間”ども……。我が“運命”たるお嬢様を、愛のままに我儘に、僕は傷つけたくなんかないっっ!」
狂気を孕んだ目でまくし立てられ「わかったわ……」と引き下がるしかなかった。
このやり取りはもう何度目だろうか。
私にはエリックの言葉の意味が、半分も分からない。
エリックは私の返事に満足そうに微笑んで、私の足元の鎖に触れる。
彼曰く『僕とお嬢様の魂を繋ぐ“愛の絆”』というその鎖は、美しい薔薇の彫刻がほどこされているものの、囚人を牢につなぐ鎖と何が違うというのだろうか。
公爵家にいた頃は、この様な奇妙な発言も行動もなかったはずなのに……彼は自国に帰ってきた事で、病(たまに掃除に来るメイドが言うには“厨ニ病”というものらしい)が再発したようだ。
紅茶を入れ終わると、エリックは「ではまた後程、マイプリンセス……」と言って部屋を出ていった。
扉の外ではガチャガチャと金属音が鳴る―― あの忌々しい扉の錠(エリック曰く『世の穢れから私を守る“聖なる封印”』)が、今日も厳重にかけられる音だった。
今日もまた、この薔薇の牢獄……『深紅の聖域』から出られなかった……。
私は震える声で神に祈る。
「神様……いえ、もう誰でもいい……助けて……」
——部屋から出たい。
もうあの痛々しい言動に耐えられない。
運命の恋だと思っていたのに、わずか数週間でこんな気持ちになるなんて……。
縋るような思いで、元婚約者へ手紙を飛ばした。
エリックに見つからぬよう、夜の帳に紛れて放った伝書鳥の魔法。
けれど未だ返事はない。
元婚約者のメルド殿下は真面目ではあるが、少し要領が悪い人だった。
幼い頃から文武両道の神童として名を馳せていた王弟殿下に比べると、酷くつまらない凡庸な人。
当時、王弟殿下に片思いをしていた私にとって、メルド殿下の婚約者に選ばれてしまったことは、とても不運な事に思えた。
ついついそんな想いで八つ当たりのようにメルド殿下には冷たく接した。
彼はいつも私に優しかったのに。
そんな時、隣国から我が家に従者見習いとしてやってきたのがエリックだった。
エリックはこの国では珍しい黒い髪に赤い瞳を持ち、王弟殿下よりも美しい顔をしていた。
エリックに優しく微笑まれるたびに、自分が特別な女の子になれた気がして、私はすぐにエリックに夢中になった。
ちょうど巷で、身分違いのロマンス小説が流行っていたからかもしれない。
その後、父が外で作った妹を家に招き、溺愛し始めるようになると、私はますますエリックに依存するようになった。
婚約者であるメルド殿下とのお茶会でも、同性のメイドではなく、エリックを伴うようになったが、殿下がそのことを咎めることはなく、困ったように笑っているだけだった。
腹違いの妹は教会から「聖なる力の持ち主」として認められ、この国の聖女として確固たる地位を築いてからというもの、父と一緒に王城にも出入りするようになっていた。
メルド殿下に近づき、分かりやすく媚びを売る姿が鼻につく。
何度かメルド殿下に苦言を申し入れたが、その後も同じような場面に何度も遭遇した。
「はぁ、あの子にも困ったものだわ。高貴な血が半分しか入っていないと、あんなにも下品になってしまうものなのかしら……」
腹違いの妹の母親は平民のメイドだった。
両親ともに高貴な貴族の血を引いている私とは、生まれ持ったものが違う。
甘ったるい声でメルド殿下以外にも媚びを売る彼女の行いは、生粋の高位貴族である私からは酷く下品な姿に見えた。
腹違いの妹の行いを部屋で愚痴っていると、エリックが静かに言った。
「……もし、あの女とメルド殿下が浮気でもしたら——殿下の有責で婚約を破棄できるのではありませんか?」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、顔を上げる。
「お嬢様が婚約を解かれれば、お嬢様は自由の身です。ちょうど自国の知人から国に戻るようにいわれているのですが、お嬢様も一緒に隣国へ行きませんか?私の故郷で、二人で一緒に暮らしましょう……」
エリックは微笑んだ。
その目はゆらめく炎のように赤く光っている。
「まぁ……エリック、なんて素敵な考えなの!」
当時の私には、それが世界で一番ロマンチックな言葉に聞こえた。
メルド殿下と結婚してからも、エリックを王城に連れていくつもりでいた私にとって、それは夢のようなアイデアだった。
「エリック、私あなたと一緒になれるように頑張るわ! メルド様の評判を落として、あの下品な妹と浮気していると噂を流すのよ! 民衆がその噂を信じれば、王家も動かざるを得ないわ!」
エリックは私の手の甲に軽く口づけを落とすと、ゾクリとするような少し低い声で囁いた。
「ええ、ずっと……永遠に一緒ですよ、マイプリンセス……」
——それから私はメルド殿下の評判を落とすことに躍起になり、まんまと腹違いの妹の策略にはまってしまったのだった。
◆◆◆
ふと窓の外を見ると、窓枠に伝書鳥が止まっていた。
鳥は私と目が合うと、わずかに開いた窓から部屋の中へ入り、その身を光に溶かしながら一通の手紙へと変える。
「レイチェルへ」——少し癖のある丸い文字。メルド殿下の筆跡だ。
胸の奥にわずかな希望が灯り、希望を込めて封を切る。
「やあ、レイチェル。先日の処刑騒ぎは本当に申し訳なかった。こうして手紙をもらえて嬉しいよ。レイチェルは今、『深紅の聖域』にいるんだね? よく分からないけど、彼とラブラブに過ごしているようで何より。君の幸せを祈っているよ。」
(……え? ラブラブに過ごしている――ですって? 助けて欲しいって、全然伝わっていないってこと?)
がくりと膝が落ちる。
足に繋がれた“愛の絆”が、じゃらりと音を立てた。
そんな私の落胆を待っていたかのように、扉が開く。
赤い薔薇の花束を抱えたエリックが、熱を孕んだ笑みを浮かべて入ってきた。
「お嬢様っ! 本日は“愛の記念日”ですよ!」
「……昨日も愛の記念日『僕の魂がお嬢様と初めて邂逅した日』だったわよね?」
「ふふ……今日は『僕がお嬢様の波動を初めて浴びた日』です! ああ、僕たちの小宇宙は、祝祭に満ちている!」
そう言って、薔薇の花束を私に押し付ける。
「さあ、お嬢様……今日も“愛の誓約”のお時間です! “エリック、愛してる”と、今日も百回、お願いしますね。今日は『魂に刻むレクイエムver.』でいきましょう!」
「……鎮魂歌って……不吉じゃない? 」
「さぁ! お早く!!」
「ええ……??」
「朝ご飯が冷めてしまいますよ?」
「くっ……エリック、愛してる(棒読み)……エリック、愛してる(棒読み)……」
「もっと魂に響かせて!!」
(魂に響かせるって何!?)
「エリック、愛してる!」
「もっとです!!!」
「……エリック、愛してるぅぅぅ!!……エリック、愛してるぅぅぅ!!」
「もっと!!!!!」
「……もう無理ぃぃ!!!」
塔の狭い一室で、赤い花びらがひらひらと舞い散る。
私の叫びは、エリックの奏でる愛の旋律(ハープの演奏)によって、虚しく空に溶けていった。
◆◆◆
(メルドside)
朝食を食べているところに、レイチェルから伝書鳥の魔法で手紙が届いた。
俺が冤罪で処刑しかけ、元従者と駆け落ちした元婚約者の手紙。
少し複雑な気持ちで手紙を開くとそこには——
「メルド殿下、助けてください。エリックの愛が辛いです。 私は今、塔のような場所にある『深紅の聖域』と彼が呼ぶ、薔薇で溢れた部屋にいます。
足には『愛の絆』をつけられ、扉は『聖なる封印』がかけられており出られません。 そして毎日が愛の記念日です。『愛の誓約』を百回、私の『愛している』という言葉に合わせて彼が奏でるハープの音色が耳から離れません」
読み終えた俺は、ひきつった顔でケイを見つめた。
ケイは静かに紅茶を入れなおし、柔らかく微笑む。
「……意味が分からないんだが……」
「『愛の絆』に『聖なる封印』……何かの呪文でしょうか」
「うーん……あと『深紅の聖域』ってなんだ? 毎日が愛の記念日ってことは、“ラブラブに過ごしている”と惚気られているのかな?」
「ええ、きっと充実した毎日なのですよ。……そういえば殿下も高いところ、好きでしたよね? 塔に殿下用の『深紅の聖域』を作りましょうか?」
「よく分からないけど、頷いちゃダメな気がするな……」
「ふふふ、冗談ですよ」
「……まあ、レイチェルが元気そう(?)で良かったよ……」
俺は考えるのをやめて、ケイが入れなおしてくれた紅茶に口をつける。
ふんわりと薔薇の香りが口に広がる。どうやら今日はローズティーのようだ。
ケイは護衛騎士なのに、離宮に来てからというもの、俺専属の執事のように甲斐甲斐しく俺の世話を焼いている。
俺は紅茶の香りを楽しみながら、朝食のサンドイッチを頬張った。
ケイお手製のキュウリとハムのサンドイッチ。
薄くスライスされたキュウリの歯触りとハムの塩味が絶妙だ。
「うまい!」
「それは良かった……あ、殿下、口の端についてますよ……」
「え?」
顔をあげると、すぐ目の前にケイの顔があった。
次の瞬間、柔らかく唇に触れる感触。
「ちょ、お前っ!」
「ふふふ、真っ赤になる殿下はいつ見ても可愛いですね」
「——っ!」
自分でも顔に熱が集まっていくのが分かる。
そんな俺を見て、ケイは穏やかに笑って、俺の耳で囁いた。
「今夜は、二人の“聖域”で、もっとすごいこと……しますか?」
「ふぁっっっ!!」
囁きと共に吐き出された吐息が、耳の奥をくすぐる。
ビクッとする俺の反応に、愉快そうに目を細めるケイ。
そんな顔さえカッコイイと思ってしまうのだから、俺もだいぶ重症だ。
ケイはそんな俺を眺めながら、上機嫌にティーポットを傾けた。
柔らかい光が窓辺から差し込み、紅茶の鮮やかな琥珀色がゆらりと光る。
……最近、正式に恋人になってからというもの、ケイはやたらと甘い。
ふいに抱き寄せられたり、紅茶を飲もうとした瞬間にキスをされたり——。
ドキドキしっぱなしで、まったく落ち着かない。
けれど、不思議と嫌ではない。
こうして一緒に少し笑い合える日々が、たまらなく心地いいのだ。
カップから、薔薇の香りがふわりと立ちのぼった。
ティーポットを置いたケイの手が、俺の頬に優しく触れる。
俺はこれからまた訪れるであろう甘い予感に思いを馳せ、レイチェルの手紙のことは頭からすっかりと消えていた。
——どうやら、今日はいつもより甘い朝になりそうだ。
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