太陽王と終焉の月

帰り花

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第二章 王冠と鎖

王位をめぐる戦い

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 ヴァルディアの冬は、刃の匂いがする。
 空気が冷たいのではない。
 空気そのものが、切れる。
 馬車を降りた瞬間、ソルはそれを思い出した。
 故郷の匂い。
 鉄。
 油。
 血。
 懐かしい。
 そう感じた自分に、少しだけ驚く。
 ここは愛された場所ではない。
 守られた場所でもない。
 それでも懐かしい。
 ここは愛され、守られる場所ではなく、
 ――戦う場所だからだ。

 城門が開く。
 重い音。
 帰還の音。
 だが迎えはなかった。
 王も来ない。
 兄たちも来ない。
 歓迎もない。
 それでいい。
 歓迎など、最初から期待していない。
 期待しない者は失望しない。
 それが、ソルの処世だった。

 廊下を進む。
 石床。
 高い天井。
 兵たちの視線。
 変わらない。
 十歳で去った時と同じ目だ。
 評価の目。
 値踏みの目。
 武器を見る目。
 人を見る目ではない。
 ソルは思う。
(変わらないな)
 そして同時に理解する。
(なら、壊せばいい)
 変わらないものは壊す。
 壊せば、変わる。
 それが、ヴァルディアの法則だ。

 王の間の前で止まる。
 扉の前に衛兵が立つ。
 一人が言う。
「第七王子」
 呼び方は敬称付きだが、声は平坦だ。
 敬意ではない。
 形式だ。
「陛下がお待ちです」
 待っている?
 嘘だ。
 あの男が誰かを待つことはない。
 だがソルは頷く。
 扉が開く。

 玉座。
 高い位置。
 そこに王が座っている。
 父。
 血のつながりでは。
 だが、記憶の上では違う。
 この男は父ではない。
 王だ。
 それだけだ。

 王は言った。
「戻ったか」
 声は低い。
 感情はない。
 ソルは跪く。
「命により」
 形式。
 王は言う。
「役目は果たしたな」
 それだけ。
 無事でよかった、はない。
 苦労したな、もない。
 当然だ。
 ソルは人質だった。
 役目を果たした、余り物の道具だ。

 左右には、五人の王子たちが立っていた。
 第一から第五まで。
 第六はいない。
 戦死したのだ。
 ヴァルディアでは珍しくない。
 兄たちは、ソルを見ていた。
 軽蔑。
 無関心。
 評価。
 それぞれ違う。
 だが、共通していることが一つある。
 弟として見ていない。
 ただの駒だ。
 戻ってきた、余り物の駒。

 第一王子が言う。
「生きて帰るとはな」
 笑っている。
 褒めていない。
 試している。
 ソルは答える。
「死ねばよかったですか」
 沈黙。
 空気が少しだけ張る。
 第一王子は口角を上げた。
「いいや」
 低く言う。
「使えるなら、な」
 その言葉。
 ソルは理解する。
 ああ、同じだ。
 十歳の頃と、何も変わっていない。
 ここでは、価値がすべてだ。
 愛ではない。

 その瞬間、胸に浮かんだ。
 帰ってきた理由が。
 ―王になる。
 それ以外に、この城で生きる方法はない。
 炎は、形を変える。
 灯りの火から、戦火へ。

 戦は突然始まらない。
 準備から、始まる。
 ソルは動いた。
 静かに。
 誰にも気づかれないように。
 だが、確実に。

 まず味方を作る。
 弱い者。
 冷遇されている者。
 忘れられている者。
 つまり――自分と同じ者。
 彼らは簡単に集まる。
 なぜなら彼らは皆、知っているからだ。
 この国では、選ばれない者は、死ぬ。

 次に情報。
 兄たちの癖。
 部下。
 金の流れ。
 女。
 毒。
 剣。
 弱点。
 すべて覚える。
 記憶する。
 忘れない。
 炎の瞳は、獲物を見失わない。

 最初に死んだのは、第五王子だった。
 狩りの最中に、馬が暴れた。
 崖から落ちた。
 ただの事故。
 誰も疑わない。
 ヴァルディアでは、死は日常だ。

 次は第三王子。
 酒席での発作。
 医師は言う。
「体質です」
 そういうことにされた。

 二年。
 時間をかけた。
 急がない。
 急げば、疑われる。
 ゆっくり削る。
 削って。
 削って。
 削って。
 気づいた時には、もう遅い。

 十六歳の春。
 最後に残ったのは、第一王子だった。
 玉座の間。
 もう隠す必要はない。
 第一王子が言う。
「いつからだ」
 ソルは答える。
「最初から」
 炎と剣が交わる。
 火花。
 音。
 衝撃。
 第一王子は強い。
 しかし、ソルもまた、強かった。
 お互いに、兄弟の情などなかった。
 ただ、邪魔なだけ。

 二撃。
 三撃。
 四撃。
 殺すための剣。
 隙がない。
 ソルが弾かれる。
 壁に叩きつけられ、頭から血が滴った。
「余り物めが」
 笑う声が、頭に響く。

 ソルは、その音を消すように踏み込んだ。
 喉へ。
 その瞬間、炎が爆ぜる。
 轟音。
 肉の焼ける匂いがした。
 だが、止まらない。
 第一王子が剣を振り下ろす。
 ソルは、その刃を掴んだ。
 焼く。
 溶ける。
 一瞬。
 その一瞬で。
 炎が、胸を貫く。
 音が消える。
 第一皇子は、倒れ
 ―炎は、消えた。

 沈黙。
 玉座の間に、血の匂いが満ちる。
 王が見ている。
 表情は変わらない。
 ただ言う。
「……やるな」
 それは承認だった。
 愛ではない。
 だが十分だ。
 ソルは理解する。
 ここでは。
 愛より承認の方が、価値がある。

 王は言った。
「今日からお前が王だ」

 その胸を、炎が貫いた。
 転がり落ちた王冠を拾い上げると、ソルは自らの頭にのせた。

 十六歳。
 ソルは王になった。
 望んだからではない。
 必要だったからだ。
 王冠は重い。
 重さは、金属の重さではない。
 支配の重さ、奪う権利の重さだ。

 その重さを感じた瞬間。
 ソルの脳裏に浮かぶのは、血でも玉座でもなかった。
 白い神殿。
 銀の髪。
 水色の瞳。
 そして、
 ―ここにいます―

 ソルは王座に座り、静かに呟く。
「待っていろ」
 誰に向けた言葉か。
 それを知っているのは、この世で二人だけ。

 王になったその日。
 ヴァルディアの空は、曇っていた。
 だがソルの中では、炎が煌々と燃え上がっていた。
 次の戦は決まっている。
 次の敵も。
 次の獲物も。
 すべて。
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