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第二章 王冠と鎖
即位
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王になった日、ソルは祝われなかった。
歓声はない。
花は舞わない。
民は泣かない。
ヴァルディアでは、王が代わることは季節の移ろいに似ている。春が夏になるように、強い者が座るだけだ。そこに情は挟まらない。
だから玉座の間は静かだった。
血の匂いだけが残っている。
兄の血。
父の血。
二年かけて削り取った血。
床に滲む赤は、もう拭われていない。拭う時間さえ惜しい。
新しい王は、即位の儀より先に命令を出し続けるからだ。
「国内を整えろ」
将軍に言う。
「反対勢力を潰せ」
側近に言う。
「金を動かせ」
官吏に言う。
声は低い。
震えない。
その声を聞いた者たちは、安心する。
王が迷わないからだ。
この国の民は、迷う王を恐れる。
迷いは弱さだから。
弱さは死だから。
だから彼らは、ソルを支持した。
支持というより、従った。
それがヴァルディアの、正しい姿だ。
だが、ソルは知っている。
この玉座は終点ではない。
これは“手段”だ。
王位は目的ではない。
目的は、別にある。
目的は――白い神殿の奥にいる。
銀の髪の神官。
水色の瞳。
そして、あの言葉。
―あなたが壊れないように―
あの祈りを聞いた瞬間、ソルは自分の欠落を見抜かれたことを知った。
見抜かれてなお、見捨てられなかったことも。
だから。
欲しい。
癒しではない。
慈悲でもない。
救済でもない。
存在そのものが欲しい。
王の政務は多い。
だが、ソルはそれを苦としなかった。
忙しさは麻酔になる。
考えなくて済む。
胸の穴を意識しなくて済む。
ただ命令し、動かし、支配し続ければいい。
支配は、空洞の輪郭をぼかす。
埋まらないと分かっていても、ぼかせるだけで救われる。
即位から一年。
ヴァルディアは静まった。
反乱は潰れた。
貴族は従った。
税は集まり、兵は増え、鍛冶場の火は絶えない。
力が整った。
ソルの中では、整うほどに一つの欲が明確になっていく。
奪う。
奪う。
奪う。
二度と離れないように。
二年目。
ソルは国境を見た。
地図の上で、線が引かれている。
線の向こうがエルセリアだ。
豊かな国。
作物と資源に恵まれ、民は笑い、街は明るい。
ヴァルディアとは正反対の国。
だからこそ、憎い。
我々が血と引き換えに得るものを、彼らは土から自然に得ている。
争わずに、満ちている。
それが許せない。
だが本当に許せないのは、土地ではない。
そこにいる、アルベルトだ。
緑の瞳の王子。
光の王子。
あの男は、今もルナの世界の中心にいる。
邪魔だ。
消えてほしい。
だがソルは知っている。
殺せば終わるわけではない。
欲しいのは“温度”だ。
あの温度を、自分に向けさせたい。
向けさせるためには、まずは奪わなければならない。
夜。
王の寝所。
誰もいない部屋で、ソルは一人座る。
暗い。
灯は最低限。
王が眠れないことを、誰も知らない。
知られてはいけない。
弱さだから。
眠れない代わりに、考える。
どうすれば、月は逃げないか。
どうすれば、月は自分だけを見るか。
どうすれば、月は“特別”を自分に向けるか。
答えは簡単だ。
他を消す。
だが、ただ消すのでは足りない。
月の中に残る“他”までも、消す必要がある。
三年目には、王としてのソルは、完成していた。
将軍は恐れ、官吏は従い、民はひれ伏す。
だが、王の心は完成していない。
穴が埋まらない。
埋まらないからこそ、王はさらに力を求める。
力は目的ではなく、麻酔だ。
麻酔を増やさなければ、痛みが戻る。
痛みが戻れば、欠落が露わになる。
欠落が露わになれば、壊れる。
ルナが言った通りだ。
壊れる。
だからソルは、自分を壊さないために、世界を壊す。
即位から四年が過ぎる頃。
ソルはついに命令を出した。
「エルセリアへ通告を送れ」
将軍が息を呑む。
「和平の更新ですか」
ソルは首を振る。
「違う」
赤い炎色の瞳が、地図の上の一点を見る。
大神殿のある王都。
「奪う」
低い声。
命令。
「俺のものを」
将軍が問う。
「……何を」
ソルは答えない。
答える必要がない。
彼の中ではすでに、エルセリアという国は“器”に過ぎない。
器を壊してでも、中身を取る。
それがヴァルディアの王の論理だ。
そしてそれが、ソルの愛の形だ。
その夜、ソルは夢を見た。
神殿の回廊。
血の匂い。
水色の瞳。
銀の髪。
触れてくる温度。
そして声。
―ここにいます―
目が覚めた。
胸が痛かった。
痛みの正体が分かる。
失う痛みだ。
取り戻す前の痛みだ。
奪う前の痛みだ。
だから痛みは、行動に変わる。
戦はまだ、始まっていない。
だが、もう止まらない。
ソルが王になった瞬間から、この戦は決まっていたのだ。
歓声はない。
花は舞わない。
民は泣かない。
ヴァルディアでは、王が代わることは季節の移ろいに似ている。春が夏になるように、強い者が座るだけだ。そこに情は挟まらない。
だから玉座の間は静かだった。
血の匂いだけが残っている。
兄の血。
父の血。
二年かけて削り取った血。
床に滲む赤は、もう拭われていない。拭う時間さえ惜しい。
新しい王は、即位の儀より先に命令を出し続けるからだ。
「国内を整えろ」
将軍に言う。
「反対勢力を潰せ」
側近に言う。
「金を動かせ」
官吏に言う。
声は低い。
震えない。
その声を聞いた者たちは、安心する。
王が迷わないからだ。
この国の民は、迷う王を恐れる。
迷いは弱さだから。
弱さは死だから。
だから彼らは、ソルを支持した。
支持というより、従った。
それがヴァルディアの、正しい姿だ。
だが、ソルは知っている。
この玉座は終点ではない。
これは“手段”だ。
王位は目的ではない。
目的は、別にある。
目的は――白い神殿の奥にいる。
銀の髪の神官。
水色の瞳。
そして、あの言葉。
―あなたが壊れないように―
あの祈りを聞いた瞬間、ソルは自分の欠落を見抜かれたことを知った。
見抜かれてなお、見捨てられなかったことも。
だから。
欲しい。
癒しではない。
慈悲でもない。
救済でもない。
存在そのものが欲しい。
王の政務は多い。
だが、ソルはそれを苦としなかった。
忙しさは麻酔になる。
考えなくて済む。
胸の穴を意識しなくて済む。
ただ命令し、動かし、支配し続ければいい。
支配は、空洞の輪郭をぼかす。
埋まらないと分かっていても、ぼかせるだけで救われる。
即位から一年。
ヴァルディアは静まった。
反乱は潰れた。
貴族は従った。
税は集まり、兵は増え、鍛冶場の火は絶えない。
力が整った。
ソルの中では、整うほどに一つの欲が明確になっていく。
奪う。
奪う。
奪う。
二度と離れないように。
二年目。
ソルは国境を見た。
地図の上で、線が引かれている。
線の向こうがエルセリアだ。
豊かな国。
作物と資源に恵まれ、民は笑い、街は明るい。
ヴァルディアとは正反対の国。
だからこそ、憎い。
我々が血と引き換えに得るものを、彼らは土から自然に得ている。
争わずに、満ちている。
それが許せない。
だが本当に許せないのは、土地ではない。
そこにいる、アルベルトだ。
緑の瞳の王子。
光の王子。
あの男は、今もルナの世界の中心にいる。
邪魔だ。
消えてほしい。
だがソルは知っている。
殺せば終わるわけではない。
欲しいのは“温度”だ。
あの温度を、自分に向けさせたい。
向けさせるためには、まずは奪わなければならない。
夜。
王の寝所。
誰もいない部屋で、ソルは一人座る。
暗い。
灯は最低限。
王が眠れないことを、誰も知らない。
知られてはいけない。
弱さだから。
眠れない代わりに、考える。
どうすれば、月は逃げないか。
どうすれば、月は自分だけを見るか。
どうすれば、月は“特別”を自分に向けるか。
答えは簡単だ。
他を消す。
だが、ただ消すのでは足りない。
月の中に残る“他”までも、消す必要がある。
三年目には、王としてのソルは、完成していた。
将軍は恐れ、官吏は従い、民はひれ伏す。
だが、王の心は完成していない。
穴が埋まらない。
埋まらないからこそ、王はさらに力を求める。
力は目的ではなく、麻酔だ。
麻酔を増やさなければ、痛みが戻る。
痛みが戻れば、欠落が露わになる。
欠落が露わになれば、壊れる。
ルナが言った通りだ。
壊れる。
だからソルは、自分を壊さないために、世界を壊す。
即位から四年が過ぎる頃。
ソルはついに命令を出した。
「エルセリアへ通告を送れ」
将軍が息を呑む。
「和平の更新ですか」
ソルは首を振る。
「違う」
赤い炎色の瞳が、地図の上の一点を見る。
大神殿のある王都。
「奪う」
低い声。
命令。
「俺のものを」
将軍が問う。
「……何を」
ソルは答えない。
答える必要がない。
彼の中ではすでに、エルセリアという国は“器”に過ぎない。
器を壊してでも、中身を取る。
それがヴァルディアの王の論理だ。
そしてそれが、ソルの愛の形だ。
その夜、ソルは夢を見た。
神殿の回廊。
血の匂い。
水色の瞳。
銀の髪。
触れてくる温度。
そして声。
―ここにいます―
目が覚めた。
胸が痛かった。
痛みの正体が分かる。
失う痛みだ。
取り戻す前の痛みだ。
奪う前の痛みだ。
だから痛みは、行動に変わる。
戦はまだ、始まっていない。
だが、もう止まらない。
ソルが王になった瞬間から、この戦は決まっていたのだ。
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