太陽王と終焉の月

帰り花

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第二章 王冠と鎖

侵攻

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 ソルが二十歳になった春、ヴァルディアの軍旗が風を裂いた。
 黒地に赤い紋章。
 炎を模したそれは、遠目には花にも見える。
 だが、花ではない。
 咲けば焼く。触れれば奪う。
 国境の丘に並ぶ兵列は、まるで黒い海だった。
 槍の穂が朝日を弾き、鎧は鈍く光る。進軍の音はゆっくりと地を揺らし、土の上に残る蹄の跡は、支配を予告していた。
 将軍が問う。
「陛下。第一目標は?」
 ソルは地図を見ない。
 地図など必要ない。
 目標は一つしかない。
「王都」
 短い命令。
「大神殿を落とせ」
 将軍が、一瞬言葉を失う。
 戦争は領土のためにするものだ。港を取る。鉱山を取る。穀倉地帯を取る。補給線を確保する。常識だ。
 だが、ソルは常識に興味がない。
 戦争を、手段としてしか見ていない。
 器を割るための槌。
 中身を取り出すための暴力。
「……補給線が」
 将軍が慎重に言いかける。
 ソルは、赤い炎色の瞳を上げた。
「奪え」
 たった二文字。
 補給線を作るのではなく、奪う。
 守るのではなく、焼いてでも取る。
 ヴァルディアの論理。
 そして、ソルの愛の論理。

 最初の衝突は、国境の交易都市で起きた。
 エルセリアは豊かな国だ。
 城壁は美しく、門は整い、兵の装備も良い。
 だが、兵は“戦うため”ではなく、“守るため”にいる。守る者は、攻める者の飢えを知らない。
 ヴァルディアは、飢えを知っている。
 飢えを知る者は、躊躇しない。
 門前。
 矢が降る。
 盾が受ける。
 投石が落ちる。
 土が跳ねる。
 ソルは、馬上で見ていた。
 顔色一つ変えず。
「火を」
 命令。
 魔術師団が前に出る。
 詠唱。
 炎が生まれる。
 ただ燃やす火ではない。
 壁を脆くし、崩す火だ。
 石が赤くなり、亀裂が走り、やがて音を立てて崩れる。
 門が開くのではない。
 門そのものが消える。
 守るべき境界が、蒸発する。
 兵たちがなだれ込む。
 短い叫び。
 金属音。
 首が地に落ちる音。
 そのすべてを、ソルは聞いていた。

 城内に入ると、民が逃げ惑っていた。
 泣く子。
 荷を抱える女。
 転ぶ老人。
 ヴァルディアの兵は止まらない。
 止まるのは、負けだから。
 遅さは、死だから。
 ソルは命令する。
「殺すな」
 兵が一瞬戸惑う。
 なぜ殺さない?
 奪うための戦なら、殺すのが早い。
 だが、ソルは言う。
「生かせ」
 そして続ける。
「見せろ」
 何を。
 答えは明白だ。
 恐怖を。
 従属を。
 降伏を。
 そして――
「王都へ道を開け」
 目的地へ、最短で。

 三日で、最初の都市は落ちた。
 降伏文書が差し出される。
 印章が押される。
 ソルは目も通さない。
「次」
 それだけ。
 戦は、彼にとって呼吸のようなものだ。
 止めれば死ぬ。
 続ければ生きる。
 いや。
 続ければ“痛み”を感じずに済む。

 次の都市は、河川都市だった。
 水は豊かで、倉庫には穀物が満ちていた。
 エルセリアが栄える理由が、そこにある。
 奪えば、ヴァルディアはさらに強くなる。
 だがソルは、川を見ない。
 倉庫を見ない。
 ただ川の先、その先を見る。
 そこに、神殿がある。
 そこに、月がいる。
 月は今も、緑の瞳の男の隣で微笑んでいるのだろうか。
 その想像だけで、胸が焼ける。
 焼けるのに、燃え尽きない。
 燃え尽きないから、奪いに行くのだ。

 河川都市は抵抗した。
 水路に杭を打ち、門を閉ざし、橋を落とした。
「ここで足止めをくらっています」
 将軍が言う。
 ソルは短く問う。
「迂回は?」
「時間が」
 ソルは言う。
「焼け」
 一言。
 堤が焼かれる。
 木材が焼かれる。
 油が水面を走り、炎が川を渡る。
 夜の河は、赤く光った。
 美しい、と誰かが呟いた。
 その美しさが、罪の匂いを帯びる。
 火は美しい。
 だからこそ、残酷だ。

 都市が混乱に沈む。
 その混乱の中で、ソルは見つけた。
 城壁の上。
 弓を引く青年。
 指が震えている。
 恐怖で。
 だが踏みとどまっている。
 守るために。
 その姿を見た瞬間、ソルは一瞬だけ足を止めた。
(守る)
 守る、という行為。
 自分の人生にはなかった行為。
 母の手だけが、それに近かった。
 だが、母は死んだ。
 守りは消えた。
 だから、ソルは守らなかった。
 代わりに奪った。
 奪うことでしか、生きられなかった。
 青年の矢が飛ぶ。
 ソルの頬を掠める。
 痛み。
 血が一筋落ちる。
 将軍が叫ぶ。
「陛下!」
 だが、ソルは笑った。
 痛い。
 その痛みが、現実を思い出させる。
 自分はまだ、生きている。
 まだ、奪える。

「連れてこい」
 命令。
 兵が青年を引きずり下ろす。
 青年は叫ぶ。
「殺せ!」
 ソルは答える。
「殺さない」
 そして囁く。
「お前は生きろ」
 青年の瞳に恐怖が広がる。
 死より怖いものがある。
 生かされること。
 支配されること。
 従わされること。
 ソルはそれを知っている。
 それを経験してきたからだ。
 だからこそ、それを与える。
 与える、という形で奪う。

 一週間で、二つ目の都市も落ちた。
 王都へ向かう街道が開く。
 道の両側には焼けた畑が残り、煙が空へ細く伸びる。
 豊かな国が、黒い匂いを帯び始める。
 エルセリアの兵たちは後退しながらも秩序を保とうとするが、ヴァルディアは秩序そのものを壊して進む。
 守りの戦は、壊されることに慣れていない。
 攻めの戦は、壊すことに慣れている。
 その差が、国の命運を分けた。

 エルセリア王都の城壁。
 ここだけは違った。
 壁が高い。
 堀が深い。
 兵の練度も高い。
 そして何より、城壁の上に緑の旗が揺れていた。
 エルセリア第一王子の旗だ。
 アルベルトが、前線に立っている。
 ソルの胸の奥で、炎が跳ねた。
(いた)
(そこに)
(邪魔者が)
 視界が狭くなる。
 世界が単純になる。
 敵は一つ。

 夜。
 ソルは、一人で天幕にいた。
 誰も入れない。
 灯は一つ。
 地図が広げられている。
 しかし、見ているのは地図ではない。
 自分の指だ。
 そこに、血の匂いが残っている。
 河川都市の矢。
 頬の傷。
 痛みはもうない。
 だが、傷は残る。
 ソルは思う。
(ルナに触れられれば)
(すぐ塞がるだろう)
 その想像だけで、心の中で炎が渦巻く。
 欲しい。
 癒しの力ではない。
 触れられること。
 自分だけが触れられること。
 自分の傷を、他の誰でもなくルナに塞がせたい。
 それは、“特別”の証明だ。

 外で兵がざわめく。
 報告が届く。
「アルベルト殿下が城壁に立ち、民に檄を」
 ソルは笑った。
 緑の瞳の光が、人を守ろうとしている。
 守るために立つ王子。
 その姿は美しい。
 だからこそ、焼く価値がある。
 ソルは立ち上がり、命令する。
「明朝、総攻撃」
 将軍が息を呑む。
「損耗が」
 ソルは言った。
「構わない」
 目指すは、月。
 ただ、それだけだ。

 夜明け。
 霧と湿った空気の中で。
 太鼓が鳴る。
 号令が響く。
 矢が降り、盾が鳴り、叫びが上がる。
 城壁の上に、アルベルトが見えた。
 緑の瞳が、戦場を見ている。
 恐れていない。
 逃げない。
 ソルは馬上で、炎色の瞳を細める。
(お前は)
(光だな)
 光は眩しい。
 眩しいものは、影を際立たせる。
 だから嫌いだ。
 だから壊す。

 ソルは、前へ進んだ。
 自分の手で決着をつけるために。
 月へ辿り着くために。
 ただ、それだけのために。
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