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劇場の紫陽花 12
しおりを挟む「亡霊って、間違ってるよ。だって、私の知ってる幽霊はこんな風に触れたり出来ないし、足だってあるし、ミカは、」
「世の中には、不思議な事が沢山あるんだ」
焦ったように話す佳世に、ミカはやんわりとその言葉を遮った。
目の前の現実を誤魔化そうとする佳世に、ミカは気づいていたのだろうか。佳世だって、ミカが自身が幽霊かどうかを言っている訳ではない事は分かっている。ミカは、自分が人間ではない、だから住む世界が違うと言いたいのだろうか、それだって今更おかしな話だ、だって今日までずっと一緒に居たのだから。
佳世が反論しようと顔を上げれば、ミカはそっと眉を下げて微笑んだ。そのどこか悲しい微笑みは、佳世の言葉をまた奪っていく。合わせた目が言葉もなく語りかけてきて、佳世は何も出来ない自分が悔しくて、きゅっと唇を閉じると視線を俯けた。そんな佳世に、ミカは優しく佳世の名前を呼んだ。
「僕は、君が生まれるずっと前にこの劇場に立っていたんだよ。当時は看板役者って言われてた」
あまりに優しく名前を呼ばれ、それがまるで別れの挨拶のようにも思えた佳世は、ミカの話を聞きたくないとすら思ったが、「納得でしょ」とミカがおどけて言うものだから、佳世は顔を上げずにはいられない。思いを飲み込んで「それ、自分で言う?」と、笑っていつものように反論すれば、ミカはどこかほっとしたような表情を浮かべて。
それから、ミカは当時の事を少しずつ教えてくれた。
昔、この劇場は、今よりも多くの人が詰めかける人気の劇場だったらしい。ミカの父親はアメリカの人で、日本人の母親とは日本で出会い恋をし、そしてミカを授かった。なので、ミカは生まれも育ちも日本、本当の名前は夕凪巽で、ミカの長い名前は、その当時、芝居で演じていた役名だという。
「長い名前を披露する台詞があるんだ、今でもあの台詞を覚えているんだから不思議なものだよ」
「…思い入れがあった役だったの?」
「そうだね、当たり役って言われて評判が良かったんだよ」
当時、その劇場の人気を牽引していたのは、まさにその公演だという。
だが、最後の時は突然訪れた。
公演中、何かの手違いで照明器具が倒れ、火事が起こり、舞台セットに引火した。ミカは舞台に立っていた役者達を庇って大火傷を負い、その後、病院で命を落としたという。
「え…」
「僕の背中の傷は、その時のものだ。昔はもっと酷かったんだよ。でも、妖として力を得たり、仲間に治療して貰って、これでも大分ましになったんだ。人間の…巽の姿で居る時は、皆に背中を見せないようにするのが大変だったな」
ミカは苦笑い、それから俯く佳世の頭をそっと撫でた。その優しく大きな手のひらが、佳世の心を擽っていく。けれどそれは、同時に佳世を苦しめた。
「…どうせなら舞台の上で生涯を終えたいと思ってたからかな、気づいたらこの劇場に居た」
看板役者が命を落とし、劇場は長い間閉められていたというが、劇場の買い取りが決まった事で、内部は修復され劇場は復活した。事故とはいえ、死者を出してしまったこの場所で、また劇場を再開させるなんてと、初めは非難もあったというが、この劇場を買い取った支配人は、劇場を再生させる事が弔いだとして譲らなかったという。
「その支配人はね、僕が恋い焦がれていた劇団の女優だった。君に似て芝居が下手でね、それでも目を逸らせない、とても不思議で、魅力的な人だったよ」
その言葉に、佳世はミカの表情を見て納得した。優しく寂しげに目を細めたその瞳、自分ではない誰かを見つめているように感じていた眼差しが誰に向けられたものなのか。
ミカの心に、ずっといた人。そう思えば、佳世はまたミカの顔が見ていられなくなる。そんな自分の気持ちに戸惑うように顔を伏せれば、ミカの手を握っていた手がそっと握り返され、佳世はどきりと胸を跳ねさせた。
愛おしむように、宝物を取り出すみたいに大切に触れるその指先に、どうしたら落ち着いていられるだろう。それでも、ミカの思いがどこにあるのか確信が持てず、佳世が再び戸惑いに瞳を揺らしていると、ミカがそっと微笑む気配がした。
「…それから、人でなくなった僕は、この劇場で君を見つけた。彼女に似た君を、彼女と重ねて見ていた。でも、いつの間にか君だけを見ていた。君の中の彼女を探そうとしても、君しか見えなくて困ったよ」
ミカは言葉の通り、困ったように笑う。優しい微笑みは、佳世が恋焦がれた巽のものだ。
「僕はもう、幽霊でもない。君の言う化け猫になってしまった。それでも、僕は元は人間だったからか、人に化けるような力は元々ないんだ。だから、僕に力を与えた妖に頼み込んで、人に化ける力を分けて貰った。それが、佳世の知る巽だよ。絵美に記憶がなかったのもその為だ、劇団を去る時に、巽である僕の記憶は消す約束だったから」
そのミカの説明に、佳世は困惑した。ミカの説明の通りだとしたらおかしいのではないか。だって、佳世には巽の記憶がある。写真だって一緒に撮ったし、それは当時のまま佳世の部屋に飾ってある。
「…私は?どうして、巽先輩の記憶があるの?」
恐る恐る尋ねてみれば、ミカは困ったように瞳を揺らし、それでも優しく笑った。
「…消せなかった。その妖には凄い怒られたよ。それでも、君の記憶を消しに行くなんて出来なかった。君が劇団を去った後も、猫の姿で会いに行った。気がかりだったんだ、君はいつまでも腑抜けた顔をしてるから。だから…もう一度力を借りる事にした。今度こそ、ちゃんとお別れしてくるからって」
その言葉に、佳世は瞳を揺らした。お別れと、ミカは言った。まさか、今度こそこの記憶を消すつもりだろうか、今までの事をなかった事にして、もう会わないつもりなのだろうか。
巽との出会いも、ミカと過ごした日々も、ミカを大切だと思ったこの気持ちも、ミカは消してしまおうと言うのか。
佳世は、ミカの手をぎゅっと握った。
「どうしてそんな事言うの、勝手に決めないでよ、やっと会えたのに、ミカが言ったんだよ、ミカが言ったから、オーディション受けたんだよ」
思いが涙となって溢れ、掴んだミカの手に、ぽたぽたと零れていく。
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