桜と星と初こいと

茶野森かのこ

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桜と星と初こいと32

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エアコンの稼働する音の向こう、うっすら香る消毒液の匂い、遠くから聞こえる賑やかな生徒の声。
意識が現実に戻って、まきがゆっくりと瞼を起こすと、くすんだ白い天井が目に入った。少し視線をずらすと、ベッドを仕切るカーテンレールが目に入り、自分がベッドに寝ているのだと気づく。恐らく、ここは保健室だ。再び天井に視線を戻すと、窓に掛かったカーテンが揺れているのか、窓から入った太陽の光が天井に模様を描いていた。まるで、砂浜に打ち寄せる波のような曲線だなと、ぼんやりとそれを見つめていたまきは、あぁ、今、自分は夢を見てたのかと、まだぼんやりした頭で思った。

あれは、過去の記憶だ。小さな織人おりとが、一生懸命に慰めてくれた。文人を失って、崩れ落ちた心を拾い集められたのは、あの小さな手があったからだ。

まだ俺は、その手に縋ろうとしているんだな。

何度も思い知っている筈なのに、同じ事を繰り返している。駄目なのに、そんな自分が不甲斐なくて、嫌で仕方ないのに、それでもまだ望みを捨てきれずにいる。

溜め息と共に瞬きをすると、目尻から涙が伝い落ちた。泣いてもどうにもならないというのに、槙はそんな思いで涙を拭おうとしたが、右手がどうしてか動かない。不思議に思い視線を巡らせると、ベッドの脇、足元の方で俯く頭が目に入った。ベッドに突っ伏しているので顔は見えないが、それが誰だか分かってしまい、槙は驚きと戸惑いに瞳を揺らした。

見慣れた髪につむじ、そのまま視線をずらしていけば、しっかりと右手が握られているのが分かった。今の今まで見ていた夢、その中で懸命に背中を擦ってくれていた小さな手が、今は槙の手をすっぽりと包みこんでいる。まるで、手放すまいと訴えかけているように、しっかりと握られたその手は、織人のものだ。

いつだって、織人は側にいてくれた。距離を置かれた時期もあったけど、それでも、織人はまたこうやって隣にいてくれる。

きゅっと胸が甘く締めつけられて、槙は空いた片方の手で目元をぐいっと擦ると、そっと体を起こした。それから、無防備な頭をそっと撫でてみれば、織人が弾かれたように顔を上げたので、槙は再び驚いて肩を跳ねさせた。

「槙、」

目が合った織人は、今にも泣き出してしまいそうな表情で、槙はその顔を慰めてやりたくて、わざと茶化して、握られた手を持ち上げた。

「はは、大げさだな、俺死ぬみたいじゃん」
「縁起でもない事言うなよ、倒れたんだぞ」

その怒った顔に、槙は思わず言葉を詰まらせた。織人が本気で心配してくれていた事が、伝わってきたからだ。

「…そっか、ごめんな」
「…別に」
「…えっと、ここ保健室だよな」
「うん、倒れたのは、暑さと寝不足のせいじゃないかって。ぐっすり眠ってたよ」
「…そっか、ちょっと気分いいかも」

槙がからっと笑ってみせれば、織人はまた怒ったような、それでいて泣きそうな表情を浮かべた。槙としては、これ以上心配かけないようにと思っての言動だったが、織人にしてみれば、笑えるような状況ではなかったのだろう。
そんな織人の様子を見たら、ぎゅっと胸が苦しくなって、槙は焦ったように視線を逸らした。

「なんで無茶すんだよ、辛いなら言えよ」
「…仕事とか立て込んでたし、自分でも気づかなかったんだ。ごめんな、心配かけて…」

申し訳なさもあるが、織人が心配してくれたという事実に、どうしても嬉しさや安堵を感じてしまって、いたたまれない気持ちも押し寄せてくる。だから、槙は変にテンパって落ち着かないでいるのだが、織人はそんな槙をどう思ったのか、また顔を俯けてしまった。

「…なんで、俺は子供なんだろ」
「え?」
「結局、俺は何もしてやれない。仕事だって分かんないし、そもそも十コも年下の奴なんか頼りになんねぇよな」

自嘲する言い方に、槙は視線を彷徨わせた。そんな事ないと言いたい、頼る頼られる事に年齢は関係ない。確かに織人はまだ若く、様々な事で槙の方が知識も経験もあるだろう、でも、それだけで人は人に寄りかかれない。
根底に委ねられるものがなければ、どんなに相手が立派だって、頼れたり寄りかかったり出来やしない。
織人だから、槙は頼りにしてしまうのに。

槙は、きゅっと唇を引き結んだ。

そんな風に思った所で、それを言葉に出来ない事を思い出す。
織人を傷つけたくない、でも、この一線を越えてはいけない。

槙は、握られたままの手に目を向けた。織人の指は、まだ槙の手を握ってはいるが、先程とは違い、槙が少しでも手を動かせば、簡単に離れてしまいそうな程、その拘束は弱くなっていた。

今すぐその手から逃れて、「お前を頼りにしてるよ」と、笑ってその頭を撫でてしまえば、きっと丸くおさまる。子供にするみたいに、弟にするみたいに、いつもしていたみたいに軽い調子で言ってしまえばいい。

けれど、どうしても手が動かない。この手を離してほしくない、だなんて。どう考えてもおかしいのに、駄目なのに。


「…でも、槙じゃなきゃダメなんだ」
「え、」

槙が返事も出来ずにいると、そんな言葉と共に、そっと頬に手が触れた。驚いて視線を上げると、織人は寂しそうに笑っていた。槙がまた何も言えなくなってしまうと、織人は「ごめん」と呟き、握っていた手も、頬に触れていた手も離し、立ち上がってしまった。

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