桜と星と初こいと

茶野森かのこ

文字の大きさ
55 / 64

桜と星と初こいと55

しおりを挟む



***


二人が帰ってきたのは、咲良さくらのアトリエだった。
黙々と歩く織人について来たまきは、織人おりとが咲良に用があると思っていたのだが、アトリエに、その咲良の姿はなかった。

「あいつ、もう行ったみたいだ」

カウンターの上に置いてあったメモ用紙を手に、織人が言う。
咲良が今日出発するとは聞いていなかったので、槙は拍子抜けだった。だが、泣きはらした顔を咲良に見せないで済んだのは、少しほっとした。アトリエでも散々泣いたのだ、また泣いたと知られたら、いい加減咲良も呆れるだろう。

「言ってくれたら、見送りに行ったのに…」

いや、心弱らせて泣いてる人間に、咲良も何も言えないだろう。もしかしたら、自分のせいで咲良の出発を遅らせた可能性もある。だから、咲良は織人に連絡を入れたのだろうか。ちらと、槙が織人を見上げると、織人は不機嫌そうに槙を見下ろしていた。

「な、何?」
「…ここに住んでるんだろ?」

思わずたじろいでいれば、思わぬ言葉が返ってきて、槙はきょとんとした。

「え?俺は親の家にいるよ」
「…は?あいつ、槙はここに住んでるって、さっき言ってたぞ」
「なんでよ、合鍵は持ってるけど…たまに来るよ?これからも換気とか頼まれてるし…まぁ、住んでも良いとは言ってたけど…今日は泊まらせて貰おうかな」

目を腫らしている姿は、母親には見られたくないし、また要らぬ心配をかけてしまうだろう。
槙が苦笑いながら言えば、織人はあからさまに安堵した様子で、大きく息を吐いた。

「なんだよ…焦って損した」
「はは、焦る事じゃないだろ」
「焦るだろ。あんたは命の危機とか言うし、同居してるって聞いて…パニックになるだろ普通」
「命の危機は…でも、本当お前は、なんで俺なんかにそんな、」

そこまで言いかけて、先程織人にプロポーズされた事を思い出し、槙はなんだか途端に恥ずかしくなって、焦ってキッチンへ向かった。

「じ、時間あんの?何か飲む?」
「…いや、いいよ。今日は帰る」
「そっか、ごめんな…あ、いや、…ありがとう」

顔を上げられず俯いたまま礼を言えば、ふと視界に夜空が映った。文人とお揃いのペンダントだ。それを見て、一瞬、時が止まったような気がしたが、織人に腕を引かれたので顔を上げると、不機嫌な顔をした織人と目が合った。

「おり、」

何で怒っているのか、槙が困惑してる間に、腰がシンクに当たった。いつの間にか、シンクと織人の間に閉じ込められている。え、と、驚きに固まっていると、そのまま影が降り注ぎ、槙は咄嗟に織人の顔を両手で押さえた。

「バッカ、お前!バカ!何してんだよ!」

ぐい、と両腕を突っぱねれば、今度は簡単に織人を引き剥がせた。
唇が間近に迫る突然の接近に、嫌でも胸が音を立て、顔が真っ赤に染まり熱くなる。槙は織人と距離を取る為、慌ててカウンターの外へ回り込んだ。
織人は首の後ろに手をあて、悶えているようだ。思い切り腕を突っぱねたので首を痛めてしまっただろうか、いや、今は自分の身の心配、いやいや、それよりも、自分と関わりを持ったら織人の方が大変だと、槙は心配が渋滞を起こして軽くパニックを起こしていた。

「いってぇ…なんだよ、もう教師と生徒じゃないんだし、一度してるし」
「して…!いいわけあるか!元教師と卒業前の教え子だし、その前に、…そうだよ!俺はお前と付き合うなんて、その、」

言いながら織人と目が合って、どくどくと騒ぐ心臓に、今度は別の意味で泣きたくなる。
だんだんと尻窄みになる声に、槙は織人の顔を見ていられず、視線を逸らした。上手く言葉が出ない槙をどう思ったのか、織人はふと、カウンターの上にはりついた槙の手に触れた。びくりと槙は肩を震わせたが、織人の手は槙の手を掴む事はなく、囲うように重ねただけで、逆に逃げる気を失わせてしまった。

「それでも俺は、あんたが好きだ」

視線を合わせないまま、織人が言う。拗ねているようにも見えたが、その声は不思議と槙をすっぽりと包んでしまった。
この心から何も引き剥がさず、どくどくと跳ねる心臓も、触れる手の戸惑いすら受け止めようとしているかのようで、槙は織人の手の下で、困って手を丸めた。

「…そ、それを言うなってば、その、だから、あんな事があったばっかりで、それに、学生に手を出せる訳ないだろ、ついこの前まで俺はお前の先生だったんだから」

それでも頷く事は出来なくて、どうにか反論すれば、織人は再び不機嫌に目を細めた。
あんたは教師と付き合ってたくせに、なんて言われそうだったが、織人は何も言わず言葉を呑み込んだようだ。

小さな溜め息が聞こえ、槙は視線を逸らした。そのまま織人の手が離れていくと、思わず目で追いかけてしまい、あぁ、これがいけないんだなと、不意に思った。
学生の自分は、文人の負担でしかなかった。分かっていながら、追いかけてしまった。
あの頃から自分は、何も変わっていない。
これじゃまた、織人の負担にしかならない、分かっているのに、また追いかけている。

槙ははっとして目を逸らした。同時に引っ込めた手がペンダントに触れそうになった所で、「じゃあ」と織人がその手を掴んだ。

「学生じゃなきゃ、いいんだな」
「え?」

織人はカウンターに手を掛け、まだムスッとした顔のまま、槙の顔を覗き込むように見つめた。

「悪いけど俺、本気であんたを貰いにくるからな」

そう真っ直ぐと見つめられれば、その瞳から目が逸らせなくなる。
今度こそ返す言葉を失っていると、織人はそっと視線を外し、槙の胸元に揺れるペンダントに目を止めた。槙がそれに気づき、思わず織人の手をほどこうとすると、織人はその手を引き寄せ、槙の肩に額を寄せた。

「お、織人、」
「だから…だから頼むから、俺が大人になるまで、誰かのものになんないで」

願うように、必死ともとれるその声に、どうしてこんなに好きでいてくれるんだろうと、胸が震えてしまう。
織人の髪が頬を擽り、その柔らかな温もりに満たされて、思いが溢れていくみたいで。

「…お前以外誰がいるんだよ、こんな物好き」
「あんたが気づかないだけだよ。すぐに大人になる、だから待ってろよ」
「…気長にね」
「すぐだっての!」

織人は勢い良く顔を上げると、槙の頬を両手でむぎゅっと挟んできた。

「余裕でいられんのも今の内だからな!」

今だって、余裕なんかない。
泣きたいくらい胸が苦しいのに、人の顔を見ておかしそうに笑う織人につられて笑ってしまう。


こんな風に幸せでいいのだろうか。
いつだったか織人の母に、「嫌なら追い出して」なんて言われたけど、こんなのもう手放せそうもない。
未来のある少年の手を、分かっているのに、その隣りに立つ自分を望んでしまう。

「…待ってるよ」

そう呟いた言葉は、織人の腕の中で再び涙に変わった。空に昇ったこの思いは、文人にどう聞こえただろう。織人と未来を生きていいと、言ってくれるだろうか。


二人の間に、夜空が揺れる。
槙の涙に濡れたペンダントは星を一つこぼして、ただ静かに二人を見守っているようだった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

だって、君は210日のポラリス

大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺 モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。 一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、 突然人生の岐路に立たされた。 ――立春から210日、夏休みの終わる頃。 それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて―― 📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。  エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。

楽な片恋

藍川 東
BL
 蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。  ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。  それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……  早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。  ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。  平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。  高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。  優一朗のひとことさえなければ…………

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】

彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。 高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。 (これが最後のチャンスかもしれない) 流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。 (できれば、春樹に彼女が出来ませんように) そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。 ********* 久しぶりに始めてみました お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。

ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。 幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。 逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。 見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。 何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。 しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。 お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。 主人公楓目線の、片思いBL。 プラトニックラブ。 いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。 2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。 最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。 (この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。) 番外編は、2人の高校時代のお話。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...