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翌日の仕事では、少しは慣れてきたように思うが、まだ二日目、それでもまだ戸惑う所はある。匠海は蕎麦を打ちながら、貴子が目を回すのを見て、さりげなくフォローをしてくれた。
「ごめんね、匠海くん。おばあちゃんとだったら調理に集中出来るのに」
へろへろになりながらも、後は任せてと気合いを入れ直す貴子に、匠海は表情こそ変わらないが、そっと貴子のお盆を取り上げ、「こっちやっておくから、テーブル拭いといて」と、簡単な仕事を回してくれる。
落ち込んでテーブルに向かえば、側のテーブル席にいた常連のお客さん達が、貴子を労うように声を掛けてくれた。
「優しいでしょ、匠海くん」
「はい、もう皆さんにまで迷惑かけちゃって」
「そんな事ないわよ、キヨエさんがパワフルだったからね。でも、あんなツンツンした感じで、キヨエさんやこっちの事もよく見てくれてるのよ、こんな田舎の小さなお蕎麦屋さんに、いい子が入ってくれてよかったなって皆言ってるんだから。キヨエさんも一人で寂しそうだったしね」
「気にかけて頂いてありがとうございます」
「そんなそんな。だってね、ここがもしなくなっちゃったら寂しいもの。だからよかったって。貴子ちゃんの彼氏とかなの?」
「へ?な、なんでそうなるんですか!」
「だって、キヨエさんのお孫さんで、一番若いのは貴子ちゃんでしょ?だから匠海くんがこのお店に来たのかなって…あら違うの?」
「違う違う!もう、誤解です!そんな話、広めないで下さいね」
「あらー、」
「もう無理かなー、噂はすぐ広まっちゃうから」
「じゃあ、違うって話も早めに広めておいて下さい!」
「すみません」と、他のお客さんに声を掛けられ、貴子は注文を取りに行こうとするが、先に匠海が注文を聞き、調理に取りかかろうとしていた。慌てて戻れば、下げた食器もいつの間にか綺麗になっている。
「ご、ごめんね、」
「いいんだ、ああいうのも大事な接客の一つだろ」
そうだろうか、ご近所さんとのただの井戸端会議、それもあらぬ疑惑を掛けられて、匠海の名誉にも関わる話題だ。匠海の耳に入っていないと良いが。
「キヨエさんも、ああやって楽しそうにお喋りしながら働いてる。皆、キヨエさんに会いに来てるところあるから。俺は、あんな風に人と話したり出来ないし」
貴子はふと、厨房を見渡した。厨房も店の中も、いつだって綺麗だ。たくさんのお客さんが来て、料理を作って慌ただしく出入りをしていても、厨房の中は特に綺麗にしているようで、丁寧に仕事をしている事が伝わってくる。貴子とお客さんのお喋りにしてもそうだ、自身の考えや仕事のしやすさより、匠海はこの店にとっての大事なものを大切に思っているように感じられて、胸がじんわり熱くなる。
貴子は、厨房の一角に飾られている写真に目を向けた。まだ若い頃の、祖父母の写真だ。店を開店した頃のもので、店の仕事着ではなく、おめかしした二人が、店の前に立っている。キヨエが手にしているのは、オレンジ色のショルダーバッグで、病室の戸棚の中にあったのを覚えている。あれは邦夫からのプレゼントで、この頃から大事にしていた物だ。
そして、この店は、邦夫が大事にしていた店。
貴子はきゅっと唇を結んだ。
「私、頑張るね」
「え?」
「おばあちゃんの代わりなんて務まらないかもだけど、頑張るから!」
そう気合いを入れ直し、貴子はフロアに戻っていく。匠海が少しでも料理に集中出来るように、今度こそ頑張ろう。匠海がこんなにキヨエの店を大事に思ってくれている、どうしてこの店にやって来たのかは分からないけど、キヨエの事だって大事に思って共に暮らしてきてくれたのだ。キヨエの思いを大事にして、店を守ってくれたのだ、貴子だってその気持ちを大事にしたい。
「出来る範囲で良いですから」
「ん?」
「また皿割られちゃ、仕事も増えるだけだし」
「だ、大丈夫だから!運べるお皿の量は見極められてるから!」
昨日、匠海が簡単に皿を重ねて運ぶので、自分も出来るかと思えば想像以上に重たく、更には忙しい最中に他の事に気を取られ、盛大に皿を割ってしまったのだ。厨房内だったのでお客さんに被害は無かったものの、驚かせただろうし、匠海の手を煩わせた。
「釣り銭も、お客さんに数えて貰ってたし」
「あ、あれはテンパっちゃって!凄い良いお客さんばかりで助かったけど…」
とはいえ、そういう話ではないのは貴子も分かっている。言い訳しながらも落ち込む貴子に、頭上から、ふっと笑う気配がした。
「初めて会った時は、頼りがいのある人だと思ったけど、思ったよりどんくさいんですね」
「………」
貴子は何も言い返せず、赤くなるばかりだ。
初対面の時、テキパキと入院の準備を済ませた貴子を見て、頼りがいがあると思ってくれたのだろう。だけど、手続きと忙しい店の店員では使う能力も違う訳で。胸の内で呟いた言い訳が、しおしおと萎れて項垂れた貴子に、匠海は「だから」と言葉を続けた。
「出来る事、ゆっくりで良いので。初めから何でも出来る訳ないですから、キヨエさんもそう言ってました」
それが、ぶっきらぼうながらも匠海の労いだと分かると、萎れた心がふわっと花が開くように軽くなり、貴子が「ありがとう」と素直に口にすれば、匠海はどこか落ち着かなさそうに首の後ろを掻き、「引き続きよろしくお願いします」とだけ言い残し、思い出したように調理に取りかかっていく。貴子もその姿を見て、「よし」と気合いを入れ直したのだが、厨房の中の二人の様子を見てか、「あらあら」と、常連さん達が何やらニヤニヤしているものだから、貴子は「そういうんじゃないですから!」と、慌てて否定に飛んでいくのだった。
翌日の仕事では、少しは慣れてきたように思うが、まだ二日目、それでもまだ戸惑う所はある。匠海は蕎麦を打ちながら、貴子が目を回すのを見て、さりげなくフォローをしてくれた。
「ごめんね、匠海くん。おばあちゃんとだったら調理に集中出来るのに」
へろへろになりながらも、後は任せてと気合いを入れ直す貴子に、匠海は表情こそ変わらないが、そっと貴子のお盆を取り上げ、「こっちやっておくから、テーブル拭いといて」と、簡単な仕事を回してくれる。
落ち込んでテーブルに向かえば、側のテーブル席にいた常連のお客さん達が、貴子を労うように声を掛けてくれた。
「優しいでしょ、匠海くん」
「はい、もう皆さんにまで迷惑かけちゃって」
「そんな事ないわよ、キヨエさんがパワフルだったからね。でも、あんなツンツンした感じで、キヨエさんやこっちの事もよく見てくれてるのよ、こんな田舎の小さなお蕎麦屋さんに、いい子が入ってくれてよかったなって皆言ってるんだから。キヨエさんも一人で寂しそうだったしね」
「気にかけて頂いてありがとうございます」
「そんなそんな。だってね、ここがもしなくなっちゃったら寂しいもの。だからよかったって。貴子ちゃんの彼氏とかなの?」
「へ?な、なんでそうなるんですか!」
「だって、キヨエさんのお孫さんで、一番若いのは貴子ちゃんでしょ?だから匠海くんがこのお店に来たのかなって…あら違うの?」
「違う違う!もう、誤解です!そんな話、広めないで下さいね」
「あらー、」
「もう無理かなー、噂はすぐ広まっちゃうから」
「じゃあ、違うって話も早めに広めておいて下さい!」
「すみません」と、他のお客さんに声を掛けられ、貴子は注文を取りに行こうとするが、先に匠海が注文を聞き、調理に取りかかろうとしていた。慌てて戻れば、下げた食器もいつの間にか綺麗になっている。
「ご、ごめんね、」
「いいんだ、ああいうのも大事な接客の一つだろ」
そうだろうか、ご近所さんとのただの井戸端会議、それもあらぬ疑惑を掛けられて、匠海の名誉にも関わる話題だ。匠海の耳に入っていないと良いが。
「キヨエさんも、ああやって楽しそうにお喋りしながら働いてる。皆、キヨエさんに会いに来てるところあるから。俺は、あんな風に人と話したり出来ないし」
貴子はふと、厨房を見渡した。厨房も店の中も、いつだって綺麗だ。たくさんのお客さんが来て、料理を作って慌ただしく出入りをしていても、厨房の中は特に綺麗にしているようで、丁寧に仕事をしている事が伝わってくる。貴子とお客さんのお喋りにしてもそうだ、自身の考えや仕事のしやすさより、匠海はこの店にとっての大事なものを大切に思っているように感じられて、胸がじんわり熱くなる。
貴子は、厨房の一角に飾られている写真に目を向けた。まだ若い頃の、祖父母の写真だ。店を開店した頃のもので、店の仕事着ではなく、おめかしした二人が、店の前に立っている。キヨエが手にしているのは、オレンジ色のショルダーバッグで、病室の戸棚の中にあったのを覚えている。あれは邦夫からのプレゼントで、この頃から大事にしていた物だ。
そして、この店は、邦夫が大事にしていた店。
貴子はきゅっと唇を結んだ。
「私、頑張るね」
「え?」
「おばあちゃんの代わりなんて務まらないかもだけど、頑張るから!」
そう気合いを入れ直し、貴子はフロアに戻っていく。匠海が少しでも料理に集中出来るように、今度こそ頑張ろう。匠海がこんなにキヨエの店を大事に思ってくれている、どうしてこの店にやって来たのかは分からないけど、キヨエの事だって大事に思って共に暮らしてきてくれたのだ。キヨエの思いを大事にして、店を守ってくれたのだ、貴子だってその気持ちを大事にしたい。
「出来る範囲で良いですから」
「ん?」
「また皿割られちゃ、仕事も増えるだけだし」
「だ、大丈夫だから!運べるお皿の量は見極められてるから!」
昨日、匠海が簡単に皿を重ねて運ぶので、自分も出来るかと思えば想像以上に重たく、更には忙しい最中に他の事に気を取られ、盛大に皿を割ってしまったのだ。厨房内だったのでお客さんに被害は無かったものの、驚かせただろうし、匠海の手を煩わせた。
「釣り銭も、お客さんに数えて貰ってたし」
「あ、あれはテンパっちゃって!凄い良いお客さんばかりで助かったけど…」
とはいえ、そういう話ではないのは貴子も分かっている。言い訳しながらも落ち込む貴子に、頭上から、ふっと笑う気配がした。
「初めて会った時は、頼りがいのある人だと思ったけど、思ったよりどんくさいんですね」
「………」
貴子は何も言い返せず、赤くなるばかりだ。
初対面の時、テキパキと入院の準備を済ませた貴子を見て、頼りがいがあると思ってくれたのだろう。だけど、手続きと忙しい店の店員では使う能力も違う訳で。胸の内で呟いた言い訳が、しおしおと萎れて項垂れた貴子に、匠海は「だから」と言葉を続けた。
「出来る事、ゆっくりで良いので。初めから何でも出来る訳ないですから、キヨエさんもそう言ってました」
それが、ぶっきらぼうながらも匠海の労いだと分かると、萎れた心がふわっと花が開くように軽くなり、貴子が「ありがとう」と素直に口にすれば、匠海はどこか落ち着かなさそうに首の後ろを掻き、「引き続きよろしくお願いします」とだけ言い残し、思い出したように調理に取りかかっていく。貴子もその姿を見て、「よし」と気合いを入れ直したのだが、厨房の中の二人の様子を見てか、「あらあら」と、常連さん達が何やらニヤニヤしているものだから、貴子は「そういうんじゃないですから!」と、慌てて否定に飛んでいくのだった。
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