蔦屋と写楽

坂本 光陽

文字の大きさ
11 / 17

反響

しおりを挟む

 河原崎座で奴一平を演じた市川男女蔵は、心が浮き立っていた。一四歳の少年である彼は、まさか自分の役者絵が出るとは夢にも思っていなかったのだ。あちこちの地本問屋を走り回って、自分の役者絵をありったけ買ってきたとしても、何ら不思議ではない。

「何でぇ、また買ってきたのか。物好きだね。一体何枚買って来れば気が済むんだい」
「そういう鬼さんだって、後ろに隠しているのは何だい。あんたの役者絵じゃないか」
「ふふっ、ばれたか。俺を描いてもらえるたぁ、ようやく、認められたってことかね」

 そう言って笑い声を上げたのは、奴江戸兵衛を演じた大谷鬼次である。

 他にも、桐座の中島和田右衛門や中村此蔵も写楽の役者絵を喜んでいたが、彼らに共通しているのは皆、主役ではないということである。一人残らず、脇役だったのだ。そして、喜んでいたのは、あくまで少数派だった。

 写楽の大首絵は衝撃的であり、確かに世間をあっと言わせた。しかし、それは必ずしも好意的に受け止められたわけではなかった。

 その原因は、誇張された顔の特徴にあった。まるで化け物のように描かれた人気女形,中山富三郎や瀬川菊之丞は激怒していたし、江戸三座の関係者は皆、怒り心頭だったのだ。

「こんなひどい顔に描きやがって、こん畜生めぇ」
「写楽って奴の眼はどうかしてんじゃねえのかい」
「蔦屋に一言いってやらないと、気がすまねぇな」

 耕書堂に乗り込んで文句を並べ立てた者は、一人や二人では済まなかった。

 役者絵とは本来、千両役者や芝居の名場面を描いたものである。現代でいうならば、スターやアイドルのブロマイドであり、本質的にファンが買い求めるものである。

 その意味では、二八枚の大首絵は本来の役者絵ではなかった、と言えるかもしれない。

『江戸風俗総まくり』の中には、「写楽といふ絵師の別風を書き、顔のすまひのくせをよく書たれど、その艶色を破るにいたりて役者にいたまれける」とある。

 役者絵の本筋を外れて独特な大首絵を描いたのだが、顔の特徴を強調して醜く描いてしまったため、役者たちに嫌われてしまった、というのだ。

 二八枚の大首絵は確かに、江戸三座の役者や関係者、贔屓筋ひいきすじ、江戸っ子を驚かせた。しかし、醜い部分を誇張した絵など、ほとんどの江戸っ子は見たくはなかったのである。

 せっかくの商機だったのに、蔦屋の思惑は見事に外れた。歌舞伎ファンのニーズを考えてみれば、写楽のような大胆な大首絵など売れるはずがなかったのだ。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...