純情 パッションフルーツ

坂本 光陽

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 おかげで、「深水エリ」はベストセラー作家の座をキープしている。贔屓目ひいきめではなく、固定ファンをしっかり掴んでいるし、出版不況といわれて久しいけど堅実に売上実績を出している。

 辛口で知られる批評家が言っていた。
「深水エリは今年が正念場だ。既存読者だけを相手にせず、世間をあっと驚かせる野心作を書けば、ベストセラー作家から本当のトップクラスの作家になれるのだが」
 余計なお世話だと思う。エリさんはエリさんのままでいい。

「魅子さん、エリさんの新作ってどんな感じ? 確か、書き下ろしなんだよね」
「うん、年末に上梓じょうしの予定だから、早めに校正を終えたいんだけど、エリさんはギリギリまで手を入れるから」
「ああ、締め切りがとっくに過ぎているのに、ギリギリまで粘るんでしょ。印刷所にも迷惑かけて。ほんと編集者泣かせだよね。魅子さん、いつもゴメンね」
「ううん、推敲すいこうは昔からエリさんのこだわり。〈小説愛〉の証だし、読者に対する責任でもある。少しでも面白くするために、納得いくまで直してもらう。それは私の仕事の一部でもあるし」

「魅子さんから見て、新作はベストセラーになりそう?」
「もちろん、そうなってほしいけど、結果は『神のみぞ知る』よね。ただ、読者は驚くと思うな。これまでの作品とは違ったモチーフを扱っているの。エリさんのターニングポイントとなる作品だし、代表作になりそうな予感はあるかな」
 ちなみにモチーフとは素材,題材のこと。恋愛物で言うと、オフィスラブや熟年婚活、年の差カップルなどを指す。

「へぇ、魅子さんがそこまで言うの、珍しいね。ひょっとして、エリさん念願のN賞が狙えそうなの?」
エリさんはこれまで、大きな文学賞とは無縁だ。候補になったことは何度もあるけれど。
「N賞に限らず、文学賞は常に巡り合わせだからね。でも、エリさんの実力は誰もが知るところだし、頑張って書き続けていれば、いつかは順番が回ってくると思う。でも、そうね。これまでの中で一番近づいているかもしれない」

 好奇心がムクムクわきあがる。
「ねぇ、新作のモチーフって何なの?」
「エリさんから何も聞いていないの?」
 僕は首を縦に振る。エリさんはいつも、本が出るまで内容を教えてくれない。
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