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しおりを挟むフォワレが少年に捕らえられている間、レーゼン伯爵家は一人娘の失踪に騒然となっていた。
言うまでもなく、報告者は庭師のコーセル。
彼は籠を手にして三分と掛からず戻ったのだが、既にフォワレはいなくなったあとだ。
慌てて側を通った執事に全てを話すと、すぐに主人への報告になった。
レーゼン家の女主人、フォワレの母であるエスポーサ伯爵夫人は顔面蒼白になって、青ざめるコーセルへの叱責を済ませるとすぐに捜索隊の編成を行う。
「とにかく、町や村を繋ぐ全ての関門にフォワレの件を伝える早馬を走らせなさい!近くの村に派兵して、とにかく探すのよ!」
「はっ!すぐにでも!」
エスポーサはそばに仕える家令に次々と指示を飛ばす。彼女自身はさっと踵を返して、自分の部屋へと向かう。
家令はすぐにその場にいた者たちに役割を割振って、関係部署への伝達を済ませる。
すべてを終わらせると、家令はエスポーサの元へと走った。
エスポーサは部屋の中央で小さな水晶を握っている。怜悧に見える細い顎がわなないて、額には脂汗が滲んでいた。
彼女が祈念するのは当然フォワレの無事だった。
レーゼン伯爵に嫁入りする前の彼女は、異国のジプシーだった。
精霊へ舞踊を奉納することによって加護を授かることと、それによって発言する水晶を用いた遠視が事実としてできる。
それは今も変わらない力であり、だからこそ小さな水晶から見える光景に鳥肌を立てて恐怖していた。
「そう、やはり…あなただったのね」
ライハラ・ミド・カロル。
それこそが、目の前で娘を抱きかかえている、死の森に棲まう魔法使いの名前だ。
どんな姿に変身していようとも、見間違うはずの無い膨大なほどの魔力。
彼とは底知れない因縁があった。
伯爵とのすったもんだの大恋愛を経てついに結婚を果たしたエスポーサは、数年間不妊に悩まされたものの、ある日とうとう彼との子を授かる。
伯爵もとても喜び、一月後に祝いの宴が開かれる運びとなった。
エニブエマでは生まれた赤子への祝福に魔法使いを呼ぶ伝統がある。
この時もジプシーだった頃の彼女の仲間たちが国中から集まるや、思い思いに祝福と加護をかけていった。
エスポーサの仲間たちは名のある魔法使いや力のあるジプシーたちで、伯爵夫婦の願いもあって、彼らはフォワレに大いに健康への加護を与えてくれた。
それは大変素晴らしい宴だった。
ローブを纏った最後の魔法使いが現れるまでは。
「レーゼン伯爵家にお呼び預かり光栄の至りです。拙技ではありますが、生まれた赤子に祝福をお掛け致します」
ひょろりと細長い男だ。フードを目深く被っていて、色白な細い顎と口元以外はまるで見えない。
彼はこれまでの者たちよりも仰々しいほどに丁寧な様子で、胸に手を当て、片膝をつき、また丁寧な文句を口にする。
はて、いつの間に居たのだろう?エスポーサはこの男と顔見知りではなかったし、でもきっと伯爵が呼んだのだと納得して、魔法使いにフォワレを見せる。
「お願いするわね」
「では、私も皆様と同じように健康を祈願いたしましょう」
彼の細く節だった指が、フォワレに向けられた。
エスポーサはふいにこの男に強烈な胸騒ぎを覚えて、すぐに身を引いた。
「どうしたんだい?エスポーサ?」
「顔をお見せなさい」
「…申し訳ないのですが、顔にはご婦人向きではない傷がございまして」
「いいから早くお見せなさいっ」
「え、エスポーサ?」
不思議そうな夫の声を無視して、エスポーサは強く男にフードを取るように命じる。
「…勘は鈍ってなかったか」
フードを取り払った彼の顔にエスポーサは見覚えがあった。
いや、それは隣にいるこの伯爵も、この場にいる見識のある者ならすぐにわかっただろう。
長い白髪、血のように赤い瞳、透けるような白い肌。今まで隠されていたらしい、圧倒されるほどの魔力。
そのすべてがこの大陸に根付く恐怖の存在の証拠だ。
死の森の主、古代からの魔術師、永久の邪悪。
悪名高きライハラ・ミド・カロルその者だった。
周りはたちまち騒然とした。伯爵は立ち上がり警備兵を呼び、周りの魔法使いたちも青ざめながらカロルへ対抗しようとしている。
しかし、カロルが顔をしかめて指を振ると、皆たちどころに固まってしまう。
呪文もない、詠唱もない、供物もないにしてはあまりに強力すぎる魔法だ。
カロルは周りを見渡し、失笑さえもでない程に呆れたか、つまらなさげに鼻を鳴らす。
彼は伯爵夫婦の元に近寄るべく歩を進める。
エスポーサは後ずさった格好のままピクリともしない体に、恐れより先に苛立っていた。
唯一、腕の中に機嫌よく眠るフォワレだけが拘束の魔法にかけられていない。
この子を守らなければ!ギリギリと歯噛みするエスポーサだが、無念にも抵抗は叶わず、カロルは悠々と触れられるほどの間近に来た。
「へぇ~。これがお前の子供かい。鼻は低いし目も小さいし、口ばかりが大きいね」
無遠慮にちょいちょいと頬をつつく彼を、なんとか目だけで睨み続ける。
しかし彼は不思議な物体である赤子にしか興味がないようだ。
「魔力も少ないし、とんだ期待はずれ…」
まだまだあげつらう予定だったろう言葉尻が唐突に止まる。言葉が出ないらしい。
見ると、寝ていたはずのフォワレが起き出して、カロルの指を握っていた。
フォワレは中々、生まれたばかりというのに貫禄のある顔つきだった。
不機嫌そうな半目をして、物怖じせずにカロルを見つめている。
「……」
「……」
フォワレにとって、眠りを邪魔する物体を反射的に止めただけにすぎない。
しっかと掴んで離さない。
カロルもまた、無理矢理引き剥がすこともなく、握られたまま固まっている。
「……中々…度胸はあるね」
大人の魔法使いでも威圧される魔力に晒されて、泣く所か不機嫌に見つめるのだから、エスポーサにもたしかに度胸があるように思えた。
カロルはえらく興味を引かれたようで、反対の手でエスポーサからフォワレを奪った。
エスポーサは咄嗟に叫んだ。
しかし口はまったく動かない。
もしも拘束されていなければ、目の前で、首の座らない赤子を苦戦しながら抱き上げているこの男の細い首を締め上げていたことだろう。
カロルは気の遠くなる時間を過ごした中で、赤子を抱いたのは初めてだと呟いていた。
泣きもわめきもしないフォワレは、しかし不機嫌そうにカロルを睨み付けている。
「うわぁ…ちっちゃいのに温かくて…ふにゃふにゃだ」
フォワレを抱いたカロルは、思わず顔を綻ばせた。
「名前はなんというんだった?…そうだ、フォワレちゃんだったね。フォワレちゃんほっぺたふにゃふにゃだねぇ」
カロルは掴まれた指でなおのこと頬をつついて、頬擦りしては思うがままに可愛がった。
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