ぽちゃ姫と執着魔法使い

刈一

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それからの行進は、平穏そのものだった。

レーゼン家の指示とのことで次の町から次の町へ馬車を乗り継いでいく強行軍ではあるが、目まぐるしく乗り継いでいく中で特段、問題は何も起こらなかった。

ヒッポウはフォワレの膝の上で眠り続けていたが、彼がかけた力が間違いなく働いていることはなんのトラブルも起こらないことから明白だ。
ただ一方で、家へ近づくにつれ、歓喜している胸中と裏腹によくない予感も募り始めてもいた。
嵐の前の静けさという言葉が脳裏にちらついてはかぶりを振って意識を散らすが、またすぐに不安が顔を出す始末だ。

随分と急ぐようで、トイレ以外、食事や水分補給は揺れる馬車の中で済ませた。
一日の大半を馬車で揺られ続け、いよいよ尻と腰が強い痛みを訴えはじめたころ、予想以上の速さで屋敷の外壁が窓から見えてきた。フォワレの家はすでに目前に迫っていたのだ。

もはやフォワレは馬車酔いと体の痛みで時刻を訪ねる体力もない。外の様子から分かるのは、月が頭上に迫り、薄い月明かりと馬車に取り付けられたランプの灯りが必要な時刻だということだけ。

馬車が停まる。

前方に乗っていたのはレーゼン家の騎士であるギリアムだ。彼は屋敷に着き、すぐに扉を開けて降りるや否や、ふらつくフォワレを大急ぎで支えてくれた。

「ありがとう……」
「いいえ!お嬢様はよく頑張られました」

彼がグロッキー状態のフォワレを背負い早足で門扉の前へ進むと、馬丁が馬を捕まえて待ち構えていた。

「ああ、お嬢様!おかえりなさいませ!」

馬丁のロニは、確かに喜んでいつつも慌てた様子で馬をギリアムに差し向けた。

「さ、急いで!」
「ああ。フォワレ様、もうしばらく我慢なさってくださいね」
「は、はい…」

ギリアムはフォワレを抱えて横向きに馬に乗せると、自分もすぐにまたがった。
ようやく念願の家に帰れたというのに微塵の感慨も抱かせずにここまで急かすというのがどういうことか、考えるまでもない。フォワレは理解した。

まだ逃げ切れてなどいないのだ。
この家に帰れたからと言って安心できるわけではないのだと。

ギリアムが手綱をとり、馬を駆る。彼が手を回してはくれてはいたが、フォワレはまだ“彼”の手の上にいる強烈な恐ろしさに必死にサドルにしがみついて耐えた。
幸いにも正面入り口は近い。ここからでも明かりはよく見える。

馬は風を切るような速さで進み、フォワレはすぐに待っていた家令の元へ届けられた。

「お帰りなさいませ、フォワレ様!ほら、ギリアム」
「ええ。さあ、お嬢様。お乗りください」

フォワレは泣いてしまいそうだった。未だかつてこんな切迫した状況を味わったことなどなかった。
またもギリアムの背を借りると、彼はすぐに走った。
屋敷内でここまでマナーもなく駆け出している。マナーや礼儀に厳しいはずの騎士が。
泣いてしまいそうに加えて卒倒してしまいそうになりながら、フォワレは必死でギリアムにしがみついた。隣を走る、これまた特に作法に厳しいはずの家令のセバスへ挨拶もしたかったが、とりあえず話を交わす間なども全くないことははっきりしていた。

彼にしがみつきながら、ふとあることに気付く。

ヒッポウがいない!馬車の中に忘れてきちゃったんだ!!

フォワレはいよいよ失神しそうになったが、なんとか持ち直した。
胸騒ぎは増す一方であるし、むしろ自分のそばにいない方がヒッポウにとって安心かもしれないと思ったためだ。

ギリアムは駆ける。その行く先をフォワレはなんとなくわかっていた。目指す先はエスポーサの元だ。

✳︎

人の世界は人間界、精霊の世界は精霊界というように、この世には複数の世界が重なり合うように存在している。

彼女がその事実に気づいたのは、己が生まれた世界が人間界に属しながら父親が精霊だと知った時点でだった。
精霊界と一部が混じり合うように存在するジプシーの集落で生まれたエスポーサは、世界の隔たりの力もよくよく理解していた。
それが嫌いながらも師事した魔法使いの術であっても、生まれ持った精霊の術であっても、どのような力を持ってしても世界の違う精霊界に人の身で行くことは不可能なのだ。
例外は精霊王に認められるか、はたまた精霊の血を継ぐ者が精霊と婚姻するか。
そう、彼女達が逃げ果せる道はそれしか考えられない。

✳︎

書斎に着き、ギリアムはノックの答えも聞かないままに中に入った。
家具の取り払われた一室は広い。恐らく机があった位置のあたりに精霊の文字であるルーンが円形に散らされ、その中央にいた女性は汗だくになりながらフォワレの方へと顔を向けた。
エスポーサ、フォワレの母は瞠目し、すぐに破顔した。

「フォワレ!」

歓喜を込めて名前を呼ばれたフォワレは、肩で息をするギリアムに申し訳なく思いながら、それよりも深い安堵感に誘われるままに背から降りて駆けていく。

「お母様ぁ~っ!」

張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたように、お母様、といい終わらない内にもはや涙が溢れている。
目を潤ませたエスポーサが腕を広げて迎えてくれていて、フォワレはすぐに母親の胸に収まった。

「うぁぁん!怖かったよぉっ!」
「ああ…本当に…あなたは本当によくがんばったわ…!」

エスポーサが顔を赤らめる。興奮や感動に耐えきれず今にも泣き出しそうな表情だ。
頭を撫でられ、強く抱擁されているのに、フォワレはもちろん全く嫌な気持ちにはならなかった。
うぐうぐと嗚咽を堪えるフォワレに、エスポーサは表情を引き締め直すと、少し周囲を眺めた。

「…ヒッポウは、一緒ではない?」
「ぐすっ…う、うん。実はあの子は寝てしまってて、馬車の中に忘れてしまったの…こめんなさい…」

言われてすぐに苦笑を浮かべた。エスポーサは、ヒッポウはあなたをここに連れてくるのが役目だったから大丈夫。と言って、顔をしょぼくれさせた我が子を慰める。
そしてそのまま彼女に肩を引き寄せられ、フォワレは後ろを向かされた。

この部屋に入った時にはあまりにも急すぎて気付かなかったものの、背後には戸惑った顔をした父親の姿があった。
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