シュバルツバルトの大魔導師

大澤聖

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2 動乱の始まり編

089 帝国からの離反2

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「その『頬に三日月形の傷を持つ男』というのは、帝国の特務機関『黒の手』の隊長ベイロンという男だ。皇帝ヴァルナードの腹心として、帝国の影の部分で暗躍している男だ。この男に睨まれた奴はまず帝国で生きていけない」

「俺はそのベイロンにスカウトされて『黒の手』へと入った。『黒の手』は表沙汰になるとマズい裏の仕事、暗殺や誘拐、偽情報の流布、とにかく色んなことをやる組織だ。だが、その存在はあんたも知らなかったくらい極一部の人間にしか知られていない。隊長のベイロンはとにかく優秀な男でな。奴は少し状況が変わっていれば、将軍としても立派にやっていけるほど、優れた判断力、統率力があり、そして一人の戦士としても一流の男さ」

 従来知らなかった帝国の裏側についてカルナスに語られると、エルンストは自分がいかに帝国の一部の面しか知らなかったかということを思い知らされた。

「それでなぜ君は『黒の手』から抜けようとしたのだ?」

「それがあんたに関係あるのか? ……まあいい。『黒の手』は帝国の重要な機関であるだけに、厳しい組織なのさ。万が一任務に失敗した時のために、自分の身元を消すことや、任務に命を差し出すことを平然と求められる。ありゃあ、騎士が国に忠誠を尽くす以上に身を捧げることが求められる所なのさ。元が盗賊の俺がそんなところでやっていけるはずが無いわな」

 カルナスは皮肉げに口元を緩めた。

「それで俺は『黒の手』から抜けだしたのさ。『黒の手』の追求は厳しい。内情を知っている俺には、いまも追手がかかっている。いずれ始末される時が来るだろうな」

 カルナスは自分の人生に諦めていた。『黒の手』の追手に対してだけでなく、身を持ち崩し、普通の人間から裏の人間へと転落したあの時から……。

「だからあんたも気をつけた方が良い。俺に会ったことは、きっと『黒の手』に嗅ぎつけられるぞ。覚悟しておくんだな」

 カルナスの言葉に、エルンストは眉一つ動かさなかったが、内心では面倒なことになったとうんざりした。彼はすでに地位や名誉などにこだわりはないが、すすんで面倒事に巻き込まれたいと思っているわけではない。

「それでどうするつもりだ? あんたの娘を殺したのは帝国特務機関の長ベイロンだ。復讐するつもりなのか?」

「さて、どうするかな……」

 エルンストは対応を決めかねていた。無論娘を殺したベイロンを憎んでいるが、経緯からすれば恐らく偶然の産物なのだ。「黒の手」は何らかの思惑があって王女を誘拐したが、たまたまその現場に娘が居合わせたということだろう。それを恨み、復讐することが正しいことなのか、エルンストには分からなかった。

 深く考え込んでいるエルンストを見て、カルナスが再び口を開いた。

「大金をもらった礼に大サービスだ。この話は更に俺を危うくするからな」

 カルナスは勿体ぶった口ぶりで溜めを作り、そして思いがけない爆弾を投げかけた。

「あんた、ベイロンを恨む筋合いじゃないと思っているんだろ? だがそれは間違いだ。あんたにはあいつを恨む十分な理由がある」

「なに? どういうことだ?」

「あんたの息子、確かエミールだったな。彼が死んだのは魔獣のせいだ、そういうことになっている。だが、それは嘘だ」

「なに!!」

 エルンストの眼が驚愕で見開かれた。そしてカルナスの話の流れから嫌な予感がしている。そしてなぜか、それは正しいという確信があった。

「そう。エミールを殺したのは、ベイロンなのさ。エミールは魔獣の討伐に成功したが、負傷し疲労していた。そこをベイロンに襲われ殺されたのだ」

「だが、なぜだ!? なぜ奴が息子を殺さねばならないんだ?」

 エルンストの体がわなわなと震えている。眼を大きく見開いて、叫んだ。カルナスは心底同情するような眼でエルンストを見た。

「あんた、自分がどれだけ貴族たちに憎まれているか知らないんだな。きっと自分で思っている以上だぞ」

 エルンストは貴族に憎まれていることを自覚していたが、これほどまでとは思っていなかった。認識がまだ甘かったということか……。

「そ、それで……ベイロンに息子を殺すように命じたのは誰なのだ!?」

 エルンストは聞くまでもなく、その人物の顔を頭に思い浮かべていた。

「ベイロンはいわば帝国の裏組織の長。そのベイロンに命じることができるのはただ一人。現皇帝ヴァルナード、その人さ」

 予想通りの名を耳にして、エルンストは怒りに震えていた。彼が身命を賭して仕えた帝国が、自分にこのような仕打ちをするとは信じたくなかった。

 エルンストは急に目の前が真っ暗になったような気がした。体が揺れ、テーブルに手をつかなければ姿勢を維持できなくなっていた。皇帝とベイロンに息子と娘を殺され、これでもまだ帝国に仕えるなら、それはもう精神的な奴隷と言えるだろう。この時、エルンストはついに帝国から離反する決意を固めたのである。
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