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蒸れた夏のコト 全36話+α(没話)。年下男子/暴力・流血描写/横恋慕/高校生→大人
蒸れた夏のコト 34
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祭夜は冷静さを取り戻し、夏霞から顔を隠してしまった。
「祭夜ちゃん」
「恥ずかしい……」
「すごく可愛かったよ」
彼は色の抜けた髪を鳴らす。抱き締めた身体を放そうとしたが祭夜からしがみついた。
「夏霞ちゃんは……?挿れない……から、気持ち良くしたい」
「わたしは大丈夫だよ」
「気持ち良くなったら、具合悪くなっちゃう……?女の子のカラダのコト、分からなくてゴメンね」
保湿力の乏しい毛を指で梳く。
「謝らないで。祭夜ちゃんは男の子だもの。知ろうと思わなきゃ分からないよ。知ろうとしてくれてありがとう。祭夜ちゃんとこうしてるだけで、気持ち良いから。祭夜ちゃんのいう気持ち良いとは違うかも知れないけれど、好きな人とクーラーの中でこうやってぎゅってしてるの、炬燵でアイス食べてるみたいに幸せ」
彼の頭を支え、額と額を合わせる。その間に挟まる髪がざりざりと軋む。
「オレも。でもえっちなキモチイイも、夏霞ちゃんに感じて欲しかったの。夏霞ちゃんのコト、舐めたい。アイスキャンディーみたいに」
「汗かいてるから……」
「夏霞ちゃんの汗なら、オレにとってね、カキ氷にイチゴのシロップかけて、練乳垂らした感じなの」
「祭夜ちゃんはコーラ味が好きでしょう?」
夏霞はくすくすと笑って的外れなことを言った。
「そ、そうだケド!」
あまり突き放した態度は優しく感受性の高い彼を不安にさせてしまう。隠し事はない。不用意に柔らかな部位を他者に触られるのはわずかな厭気を感じてはいるが、祭夜に触られるのは嫌ではない。体調が万全ならば貫かれたいくらいだったが、飲んでいる薬の性質上、夏霞もどうなるのか分からなかった。昂らせて中断させたなら、祭夜を傷付けてしまいそうで最初からその選択を遠去けている。
「ありがとう。じゃあ、胸にクリーム、塗ってくれる?」
「えっ」
「ブラジャーの、下にあるところ。ちょっと恥ずかしいけれど、祭夜ちゃんの恥ずかしくて可愛いところ見せてもらったし、いい、かな……?塗って……くれる?」
先程まで胸を見たがり、膨らみと膨らみ撓んだ溝に鼻を押し付け匂いまで嗅いでいたくせ、祭夜は顔を赤らめて動揺を示した。
「い、い、いいの?さ、触って……」
「いいよ。わたし祭夜ちゃんになら、祭夜ちゃんの好きなようにして欲しい」
彼は夏霞の唇に甘い汁でも塗られているのかと思うほど、彼女のそこを啄んだ。
「かわいいコト言っちゃヤだ」
「かわいい?」
「かわいい。大好き。付き合って欲しい。結婚して!」
余裕のない声と表情で慣れて染み込み、自身の一部と化している匂いに包まれる。
「付き合ってるし、結婚するよ」
祭夜は話している彼女の頬にも数度キスして応える。
「ちゃんと、塗るね。お薬?」
そしてしかつめらしい貌に切り替わり、忠犬よろしく股肱の力を竭かさんばかりである。ただの戯れではなく、怪我の処置のような向き合い方をしようとしている。やはり外見から受ける印象にそぐわぬ真摯な人だった。
「ううん。ちょっと擦れたり、かぶれちゃって。だから保湿クリーム塗りたいけれど、自分でやると……なんだかヘンナ気分になっちゃうし」
夏霞は微苦笑を浮かべ、よく聞くメーカーのその手の商品としては有名なハンドクリームを見せた。チューブ型でそう大きくない。
「へ、へんな……気分………」
「祭夜ちゃんのこと考えちゃって、触られたくなっちゃうの。今なら祭夜ちゃんいるから」
「うん。オレ、ちゃんと塗るし……夏霞ちゃん、オレのコトいっぱい触っていいよ」
祭夜は緊張した面持ちだった。向かい合い、正座になった彼に倣う。対面で指にクリームを掬い取る動作がぎこちない。夏霞が思う以上に目の前の婚約者は真面目だった。その雰囲気に彼女も感化されていた。ブラジャーのホックを外すのに間誤ついてしまう。ブラウスを着たまま肩紐を外し、胸部を晒す。ほぼすべてを見せた関係であっても、この場で上半身を丸裸にするのは恥ずかしかった。
「こんな時に言うコトバじゃないケド…………き、綺麗だ」
「あ……り、がとう」
生臭い初体験もまだ済ませていないカップルのような固い空気感が漂う。
「マ、マジメにやる。ゴメン」
彼は銅線混じりの髪を弾ませる。夏霞はブラウスの前を開いた。ほんのりといつもより赤みの差した胸の先端が存在を主張している。クーラーの冷気、緊張、好きな人に触られる期待、様々なもので芯を持っている。
「冷たいかも。ビックリ……しないでね」
彼の保湿クリームを携えた指が寸前で止まる。夏霞は優しい接触であるはずの衝撃に備えた。そして届く。
「ん……っ、!」
「冷たかった?ゴメンね、下手くそで」
一旦祭夜は指を引いたが、乳頭にはクリームが付着した。琥珀の深い反射を彷彿とさせる瞳が真ん丸くそこを捉え、またもや、否、先程以上に顔面を真っ赤に染めた。身体の一部を痛痒くしている婚約者へのケアのはずだが、そこに淫靡なものを見出してしまったらしかった。夏霞からしても胸の小さな規模をクリームで隠されたのは卑猥な感じがした。
「な、な、馴染ませる、ね……」
指が戻ってくる。円を描いた。中心に当たると抵抗を示す。彼の体温と指の腹の感触に下半身が甘く痺れる。正座を崩しかける。
「祭夜ちゃん……」
「い、痛い?」
首を振った。凝っていることも知られてしまっているはずだ。それでもあくまでその指は塗布の意図の中に収まっている。
「痛くない……」
「痛かったらすぐに言って」
爪先も膝も腰も落ち着かない。祭夜はといえば、小さく悶える夏霞に気付いているのかいないのか、またクリームを指に出し、もう片方の胸の世話もしようとしている。そういうつもりは彼にはないくせ、触れて掠れ、焦らされる仄かながら確かな悦び。肉体はその期待を畏れ、咄嗟に彼女は胸を隠してしまった。
「やっぱ痛かったかな?出来るだけ力入れないようにしてるんだケド、これからもお薬上手に塗れるよう、頑張るから」
優しい相手はおろおろと狼狽する。夏霞もそれに気付いた。
「ち、違うの。祭夜ちゃんに触ってもらえて、嬉しくなっちゃったみたいで。いやらしくて、ごめんなさい」
「え……?」
「気持ち良くなっちゃった……ちょっと、怖いくらい」
「えっ、あっ、そ、そなの……ど、どうしようか……自分で、する?」
返事を迷った。彼には触れられたいがその結果訪れる官能を恐れている。
「あ、あと、全然いやらしく、ない。夏霞ちゃんの姿見てえっちなキモチにはなる……ってイミだといやらしいっていうかえっちだケド、オレが触って好きな子に気持ち良くなってもらうの、すごく嬉しいから、イヤなイミでいやらしいとか、ナイ……」
辿々しく喋るその声と優しさにもぼんやりとした興奮と期待が燻っている。
「祭夜ちゃん……続き、お願い」
好きな男の前に張り詰めた二点を差し出す。硬く凝っている。夏霞は喉を灼くように息をして今まで直視できていなかったキャラメルソースの双眸を見つめる。
「夏霞ちゃ………ん」
彼が生唾を呑んだのが分かった。律儀にも、乾燥部位の保湿ケアという体裁を守ろうとしている。その様があまりにもいじらしい。仔犬を煽って我慢させてみたい加虐心と彼の思うままに襲われてしまいたい被虐心で夏霞の頭の中はめちゃくちゃになっていた。
「祭夜ちゃん…………好き」
キャラメル色が爛々と照ったのが見えた。突如として視界が翳り、半転する。
「挿れない!挿れないから………触りたい、触りたいよ。夏霞ちゃん…………オレも好きぃ…………」
力強く抱擁され、夏霞は筋肉質な腕の中で漠然とした快感にびくんと背が波打った。
「触って……いっぱい触って。祭夜ちゃんに触られてわたし、もう…………」
クリームを塗るのは続行された。舌を絡め合いながら胸の頂を転がされる。彼はそこを甚振るようなことはしなかった。芯を指で包み保湿クリームをすり込んでいく。
「ぅ……っん、」
濃密なキスと胸の刺激で夏霞は逃げようとしてしまうが、祭夜の押さえる力は強い。頭と下腹部に粘度の高い気持ち良さが溜まっていく。水飴が溶けていくような図に似ている。そして祭夜の甘いところを夏霞は夢中になって吸った。彼の顎ごと口に入れてしまいたくなる。離れ方を知らない。
「ぁふ………っぅん……っ」
クリームを塗るときにはなかった動きが加わり、慰められているのは胸であるはずだが下腹部へも鈍く熱いものが広がっていく。繰り回されるとかぶれた微かな痛みと痒みが疼き、祭夜の指を鮮明にする。
「きもちぃ……?」
息がかかるほどの至近距離でも唇が離れ、互いの蜜が別れを惜しむ。
「きもち、いい……」
全身が融解していきそうだった。氷のようであり、氷ほど輪郭を持ち冷たいイメージではなかった。彼の好きな大福のバニラアイスがゆっくりと溶かされていくような感じだ。蕩けきった目と目を合わせ、奥まで結ぶ口付けが再開する。胸への淫戯が激しくなることはない。悦び以外麻痺していく。腰を大好きな男に押し当てていた。故意的ではない。無自覚に揺らめいていた。やがて胸の艶美な感覚が一矢となって脳髄を射抜く感じがあった。彼女は戦慄く。下腹部の奥で小さな爆発が起こる。
「ゃあ……んっん、」
祭夜は彼女のすべてを知っているのかと思うほど力加減を心得ていた。決して強くも激しくもなかった指が徐々に緩やかになり、爆ぜた余韻を長引かせるどころか快楽を助長した。
「んっぁ、さやちゃ………っあぁ、」
好きで好きでおかしくなりそうな人の手を拒みかける。
「今触るとオトコノコみたいにツラくなっちゃう?」
悪戯っぽく笑う祭夜は可愛がられることを確信し、疑うこともない仔犬のそれではなかった。ヒトのオスの、それもよく文明と女を得た理知的な大人の顔だった。
「祭夜ちゃんのこと、欲しくなっちゃう………から」
「かわいいコト言わないで。オレは無理させたくない。夏霞も、カラダ大丈夫そうだったら、いつでもオレのコト、求めて。夏霞に求められたら大体どんな時でもオレ、準備できてるから。途中でダメそうでも、こうやって、抱き締め合ったりしてるだけで、幸せだよ」
彼の貌が仔犬に戻らないのが、ほんの少しだけ寂しく、同時にそれもそれで良さがあった。
「あ、でもさすがにヒグマに追っかけられてる時とかムリだよ!夢で見たの、ヒグマに追っかけられる夢。ニュースで見たからかな。この時ばっかはさ、夏霞ちゃん一緒じゃなくて良かったケド。夢でよかったと思ったのに、現実だと、それが生活で起こっちゃう可能性ある人もいるんだもんな」
彼女の複雑な気分は束の間、可愛らしさが惚れたきっかけとなった婚約者はあの頃と大差ない仔犬に戻った。
「そこまで極論は想定してないよ、祭夜ちゃん」
思わず夏霞も機嫌の好さを見せて笑ってしまった。
何気なく交わされた、少し調子者のきらいがある祭夜の夢の話で、忘れることはなくとも頭の片隅に置いておける話だと思っていた。しかし夏霞はふと考えてしまった。羆は夏霞や祭夜の住まう地域には生息していない。熊であっても距離の離れた遠くの山の話だ。だが現実を混同して仮定してしまった。羆だけの話ではない。たとえば自然災害などでも同じことが彼女を不安にさせた。もし2人でいたとき、祭夜が自分を庇ってしまうようなことがあったら―……
それが恐ろしいのである。彼は自分を優先し身を守れるだろうか?それが本能であるはずだ。それでいてあの男は優しい。夏霞には、彼が自分に惚れているという認識がしっかりとあった。この不安の話題でなければ自惚れであると微苦笑と共に済ませたい認識だった。だがあらゆる経験から、その自覚はおそらく間違っていなかった。疑えばむしろ祭夜を侮辱しているに等しいくらいだ。
好きで好きで不安になった。彼がもう少し利己的で割り切れる人間であれば良かったと思うほど、好意が不安と比例して、他の者が助からずとも彼だけは……と夏霞をいくらか冷酷にしていく。
◇
あーし、お兄やんのコトについて、全然怒ってない。薄情なくらい、全然。
海夜の訪問は突然だった。もし約束があったなら祭夜は夏霞を自宅に連れてこなかったに違いない。祭夜は驚いた様子だった。海夜はあっけらかんとして、兄の死など無かったかのように、また兄が誰かを加害したこともなかったかのような態度で、いとこの横に控えめに立っている兄の想い人へ挨拶をした。
「海夜っち、どうしたの急に……」
彼女はシャーベットカラーの薄手のジップアップパーカーに芋羊羹を思わせる蛍光イエローのタンクトップとデニムのショートパンツに、オーシャングリーンのアンクルソックスを履いている。兄と同じ黒い髪は片側で青のシュシュに束ねられていた。
「ちょっと話があったんだ。急でめんちゃい。話そうか話さないか迷ってて、ころころ気分変わっちゃうから約束入れとかなかった」
海夜は言葉遣いこそ砕けているが兄同様、表情についてはそう多くなかった。ふざけているのかシリアスな話題を持ち込んできたのか分からない。
「そ、そう……」
祭夜の困惑が窺えた。海夜もそれに気付いているような眼差しを彼にくれている。
「わたし、上で待ってるよ。帰り、叔父さんとか暑詩ちゃんに頼むし……」
返事を聞く前に海夜が口を挟んだ。
「お邪魔してすみません。夏霞さんも一緒で構いませんよ」
ヘーゼルブラウンの目が気遣わしげに夏霞を捉える。何の話をされるのか見当がつかない。否、海夜の口からされる話など限られている。それは夏霞を傷付けかねない。祭夜の性格からいって彼はそれを危惧しているのだ。それに比べるとおそらく彼にとって夏霞も知らない緋森一族のごたごたを彼女の前で話されることなど、大した痛手ではないようだ。
「どういう話かな。夏霞ちゃんも一緒かは、それによる」
「南波くんの話。あーしも話そうかどうか迷ってて、眉唾ものくらいに思ってくれたらいいんだケド、でも、余計な感覚を植え付けるコトにもなりそうだし、あーしも信じてないから、言おうか迷って、さっきまではやっぱり話さないって引き返そうと思ってたくらい」
曖昧なことを言ういとこに祭夜は眉を顰めた。血縁者という近しさもあるのか彼が他者へそういう表情を向けるのは珍しい気がした。
「一応聞いとく。でも、夏霞ちゃんは……」
「大丈夫。一緒に聞こう。それで信じるかどうか、2人で決めよう」
海夜はすっと2人から顔を背けた。俯いた目が床を見下ろす。兄は事故死でありながら自殺とも言われ、その原因とまでいかなくとも要因や一因といえない人々が目の前で仲睦まじくやっている。彼女は兄に似てスタイルが良かった。背も低くはなく痩せ型で、しかし脚や胸には適度に肉が付き不健康な感じもない。それがふと、いずれ夫婦になることを約束した親戚とその相手を前に窶れて見えた。
「上がって、海夜っち」
リビングに通され、祭夜は飲み物と菓子を用意した。
「最初に言っておくんですケド……―」
海夜は兄に関する2人への胸中を口にした。本題に入って第一声がそれであると却って勘繰ってしまうものだ。彼女は祭夜と夏霞の顔色を観察するように見比べた。
「なんだか牽制したみたいで申し訳ない。これね、南波くんから訊かれたコトで。周りからはそういう風に思われてるのかなって。相関図で言えば、あーしが怒ってるように見えるのかも知んないな」
彼女は苦笑を無理矢理作った。こうして真正面から近くで見ると顔立ちは兄妹よく似ている。兄は網膜が火傷するような美青年であったが、妹も特に目元がよく似て美しい。兄妹揃って色が白く、髪は艶やかで黒く、睫毛は長く濃い。
「あの子に何か、言われたの?」
祭夜の声音も表情も険しい。
「仇を討ってあげるって言うから……仇って何だよ、誰のコトだよって。あーし、結構ああいう外面もいい優等生みたいなタイプには気圧されるからそういう口の利き方はしなかったケド」
「仇……?」
夏霞も眉を顰めた。瑠夏は前にもそのようなことを口にしていた。海夜はいとこから彼女に目を向ける時、兄と同様に目を伏せて頷いた。
「なんだか物騒だし、祭夜兄ちゃん、練習会で顔合わせるんでしょ。詳しくは聞いてないケド、なんかゴタゴタがあったって他の子からも聞いてたし……こうやって本人に告げ口するの、お節介なの分かってるしし、また兄の時みたいにあーしが告げ口したことで、良くないコトになるのやっぱ怖い。でも、そんなコトあるわけないって思っても、聞いてたのにああしておけばって後悔するのも胸糞悪いし」
「そうだったんだ。話してくれてありがと」
祭夜は無難な返しをした。上辺だけだと深刻に受け取った様子はない。海夜は兄と同い年のいとこをちらと見ると、すぐに視線を落とした。表情はない。兄と違い不機嫌さもない。ただ表情がない。だが夏霞はそこに落胆をみた。
「話したら、やっぱあーしの考え過ぎかもって思った。急に来て頭のおかしなコト言って謝罪。バカらしい妄想、聞かなかったコトにして。不安にさせてごめんなさい、夏霞さん。」
海夜は長居せず、夏霞にも一度会釈をすると軽やかに腰を上げた。
「ううん。用心するに越したことはないから、教えてくれてありがとう。何事も無いのが一番いいんだから、バカらしいなんてことないよ」
海夜は無言のままその言葉を受け取ったとばかりに頷くと帰っていった。年上のいとこの見送りを断って、玄関扉の開閉を聞いた。
「夏霞ちゃんは良い人だ」
「どうして?」
「上手く……フォローしてあげれなかった」
「海夜ちゃんの話、どう思う?」
祭夜はクーラーを入れてもびっしょりと結露した飲み物を呷った。
「わたしは、あの子ならやりかねないと思っているの。あの子、仇がどうとか、言っていたから……海夜ちゃんが……仇を討ちにくるとか……」
「どっちなんだろう。すごくイヤな話だケド、オレ、舞夜が死んでから色んなコト、疑ってる。親戚のコトも、ママンのコトも、婆ちゃんのコトも、上手く目、見れないんだ。舞夜とぶつかったのは後悔はしてないケド、海夜っちのコトも遠去けてる。海夜っちとは妹みたいって言うと大袈裟だけど、歳離れてるし女の子だしオレなりに可愛がってたつもりで、向こうもよく懐いてくれてそういうふうに育ってきたし、実際悪いコじゃないんだ。でもあんな出来事あったら、やっぱそういう関係って簡単に壊れてさ……オレは多分、ホントのところ、疑ってる。あれは脅迫なんじゃないか……舞夜のコト怒ってないなんてウソで、ホントはオレたちのコト、別れさせたいんじゃないかって…………オレ、サイテーなイヤなヤツだケド、ホント、ヒドいヤツだケド……………夏霞ちゃんを海夜っちとはもう会わせたくない。それこそ何かあったら、怖いよ」
海夜が兄のことに対して実のところは憎悪を抱いている。この祭夜の疑心を否定することはできなかった。夏霞も暑詩が同じような目に遭えば、たとえ理屈で分かっていても何者かに対して落ち度を見出し、怒りの矛先を求めてしまうだろう。かといって海夜を疑っているわけでもなかった。瑠夏という少年はやりかねないと理性では打ち消せない直感が告げている。
「祭夜ちゃんは色々考えちゃう立ち位置にいる人だから、疑っちゃうのは仕方ないよ」
「でも、全部疑ってるワケじゃなくて、あの高校生のコトも、無さそうな話じゃ無いよなって……」
海夜が気さくな少女という程度のことしか知らない夏霞からすれば瑠夏のほうが危険人物だった。祭夜に薬を盛っただけでは済まさず拘束したり、平然と刃物をちらつかせ、スタンガンを手に人を誘拐する。
「気を付けよう?わたしも気を付けるから。できるだけ1人で出歩かないようにして、きちんと戸締りして……」
「この話、叔父さんにもしておいていい?夏霞ちゃんの言ってたとおり、何も起きなくて、夏霞ちゃんが無事で、ただオレが疑い過ぎで怖がりでイヤなヤツってカンジに終わるのが一番だから」
「うん、叔父さんに伝えておいてくれる?わたしから言うと心配かけたくないなって思っちゃって上手いこと話せないと思うんだ。でも、わたしだけ無事じゃ一番じゃない。祭夜ちゃんも無事じゃなきゃ、ダメ。祭夜ちゃんがイヤな子だって他の人に思われてもわたしはちゃんと祭夜ちゃんはすごくイイ子だって知ってるからね」
彼は不安を隠さなかった。雷鳴に怯える犬をテレビ番組で観たことがあるが、それに似ていた。祭夜は眉を下げ、唇を甘く噛み、夏霞の左手を両手で包んだ。何度も安価な指輪にキスをする。
「祭夜ちゃん」
「恥ずかしい……」
「すごく可愛かったよ」
彼は色の抜けた髪を鳴らす。抱き締めた身体を放そうとしたが祭夜からしがみついた。
「夏霞ちゃんは……?挿れない……から、気持ち良くしたい」
「わたしは大丈夫だよ」
「気持ち良くなったら、具合悪くなっちゃう……?女の子のカラダのコト、分からなくてゴメンね」
保湿力の乏しい毛を指で梳く。
「謝らないで。祭夜ちゃんは男の子だもの。知ろうと思わなきゃ分からないよ。知ろうとしてくれてありがとう。祭夜ちゃんとこうしてるだけで、気持ち良いから。祭夜ちゃんのいう気持ち良いとは違うかも知れないけれど、好きな人とクーラーの中でこうやってぎゅってしてるの、炬燵でアイス食べてるみたいに幸せ」
彼の頭を支え、額と額を合わせる。その間に挟まる髪がざりざりと軋む。
「オレも。でもえっちなキモチイイも、夏霞ちゃんに感じて欲しかったの。夏霞ちゃんのコト、舐めたい。アイスキャンディーみたいに」
「汗かいてるから……」
「夏霞ちゃんの汗なら、オレにとってね、カキ氷にイチゴのシロップかけて、練乳垂らした感じなの」
「祭夜ちゃんはコーラ味が好きでしょう?」
夏霞はくすくすと笑って的外れなことを言った。
「そ、そうだケド!」
あまり突き放した態度は優しく感受性の高い彼を不安にさせてしまう。隠し事はない。不用意に柔らかな部位を他者に触られるのはわずかな厭気を感じてはいるが、祭夜に触られるのは嫌ではない。体調が万全ならば貫かれたいくらいだったが、飲んでいる薬の性質上、夏霞もどうなるのか分からなかった。昂らせて中断させたなら、祭夜を傷付けてしまいそうで最初からその選択を遠去けている。
「ありがとう。じゃあ、胸にクリーム、塗ってくれる?」
「えっ」
「ブラジャーの、下にあるところ。ちょっと恥ずかしいけれど、祭夜ちゃんの恥ずかしくて可愛いところ見せてもらったし、いい、かな……?塗って……くれる?」
先程まで胸を見たがり、膨らみと膨らみ撓んだ溝に鼻を押し付け匂いまで嗅いでいたくせ、祭夜は顔を赤らめて動揺を示した。
「い、い、いいの?さ、触って……」
「いいよ。わたし祭夜ちゃんになら、祭夜ちゃんの好きなようにして欲しい」
彼は夏霞の唇に甘い汁でも塗られているのかと思うほど、彼女のそこを啄んだ。
「かわいいコト言っちゃヤだ」
「かわいい?」
「かわいい。大好き。付き合って欲しい。結婚して!」
余裕のない声と表情で慣れて染み込み、自身の一部と化している匂いに包まれる。
「付き合ってるし、結婚するよ」
祭夜は話している彼女の頬にも数度キスして応える。
「ちゃんと、塗るね。お薬?」
そしてしかつめらしい貌に切り替わり、忠犬よろしく股肱の力を竭かさんばかりである。ただの戯れではなく、怪我の処置のような向き合い方をしようとしている。やはり外見から受ける印象にそぐわぬ真摯な人だった。
「ううん。ちょっと擦れたり、かぶれちゃって。だから保湿クリーム塗りたいけれど、自分でやると……なんだかヘンナ気分になっちゃうし」
夏霞は微苦笑を浮かべ、よく聞くメーカーのその手の商品としては有名なハンドクリームを見せた。チューブ型でそう大きくない。
「へ、へんな……気分………」
「祭夜ちゃんのこと考えちゃって、触られたくなっちゃうの。今なら祭夜ちゃんいるから」
「うん。オレ、ちゃんと塗るし……夏霞ちゃん、オレのコトいっぱい触っていいよ」
祭夜は緊張した面持ちだった。向かい合い、正座になった彼に倣う。対面で指にクリームを掬い取る動作がぎこちない。夏霞が思う以上に目の前の婚約者は真面目だった。その雰囲気に彼女も感化されていた。ブラジャーのホックを外すのに間誤ついてしまう。ブラウスを着たまま肩紐を外し、胸部を晒す。ほぼすべてを見せた関係であっても、この場で上半身を丸裸にするのは恥ずかしかった。
「こんな時に言うコトバじゃないケド…………き、綺麗だ」
「あ……り、がとう」
生臭い初体験もまだ済ませていないカップルのような固い空気感が漂う。
「マ、マジメにやる。ゴメン」
彼は銅線混じりの髪を弾ませる。夏霞はブラウスの前を開いた。ほんのりといつもより赤みの差した胸の先端が存在を主張している。クーラーの冷気、緊張、好きな人に触られる期待、様々なもので芯を持っている。
「冷たいかも。ビックリ……しないでね」
彼の保湿クリームを携えた指が寸前で止まる。夏霞は優しい接触であるはずの衝撃に備えた。そして届く。
「ん……っ、!」
「冷たかった?ゴメンね、下手くそで」
一旦祭夜は指を引いたが、乳頭にはクリームが付着した。琥珀の深い反射を彷彿とさせる瞳が真ん丸くそこを捉え、またもや、否、先程以上に顔面を真っ赤に染めた。身体の一部を痛痒くしている婚約者へのケアのはずだが、そこに淫靡なものを見出してしまったらしかった。夏霞からしても胸の小さな規模をクリームで隠されたのは卑猥な感じがした。
「な、な、馴染ませる、ね……」
指が戻ってくる。円を描いた。中心に当たると抵抗を示す。彼の体温と指の腹の感触に下半身が甘く痺れる。正座を崩しかける。
「祭夜ちゃん……」
「い、痛い?」
首を振った。凝っていることも知られてしまっているはずだ。それでもあくまでその指は塗布の意図の中に収まっている。
「痛くない……」
「痛かったらすぐに言って」
爪先も膝も腰も落ち着かない。祭夜はといえば、小さく悶える夏霞に気付いているのかいないのか、またクリームを指に出し、もう片方の胸の世話もしようとしている。そういうつもりは彼にはないくせ、触れて掠れ、焦らされる仄かながら確かな悦び。肉体はその期待を畏れ、咄嗟に彼女は胸を隠してしまった。
「やっぱ痛かったかな?出来るだけ力入れないようにしてるんだケド、これからもお薬上手に塗れるよう、頑張るから」
優しい相手はおろおろと狼狽する。夏霞もそれに気付いた。
「ち、違うの。祭夜ちゃんに触ってもらえて、嬉しくなっちゃったみたいで。いやらしくて、ごめんなさい」
「え……?」
「気持ち良くなっちゃった……ちょっと、怖いくらい」
「えっ、あっ、そ、そなの……ど、どうしようか……自分で、する?」
返事を迷った。彼には触れられたいがその結果訪れる官能を恐れている。
「あ、あと、全然いやらしく、ない。夏霞ちゃんの姿見てえっちなキモチにはなる……ってイミだといやらしいっていうかえっちだケド、オレが触って好きな子に気持ち良くなってもらうの、すごく嬉しいから、イヤなイミでいやらしいとか、ナイ……」
辿々しく喋るその声と優しさにもぼんやりとした興奮と期待が燻っている。
「祭夜ちゃん……続き、お願い」
好きな男の前に張り詰めた二点を差し出す。硬く凝っている。夏霞は喉を灼くように息をして今まで直視できていなかったキャラメルソースの双眸を見つめる。
「夏霞ちゃ………ん」
彼が生唾を呑んだのが分かった。律儀にも、乾燥部位の保湿ケアという体裁を守ろうとしている。その様があまりにもいじらしい。仔犬を煽って我慢させてみたい加虐心と彼の思うままに襲われてしまいたい被虐心で夏霞の頭の中はめちゃくちゃになっていた。
「祭夜ちゃん…………好き」
キャラメル色が爛々と照ったのが見えた。突如として視界が翳り、半転する。
「挿れない!挿れないから………触りたい、触りたいよ。夏霞ちゃん…………オレも好きぃ…………」
力強く抱擁され、夏霞は筋肉質な腕の中で漠然とした快感にびくんと背が波打った。
「触って……いっぱい触って。祭夜ちゃんに触られてわたし、もう…………」
クリームを塗るのは続行された。舌を絡め合いながら胸の頂を転がされる。彼はそこを甚振るようなことはしなかった。芯を指で包み保湿クリームをすり込んでいく。
「ぅ……っん、」
濃密なキスと胸の刺激で夏霞は逃げようとしてしまうが、祭夜の押さえる力は強い。頭と下腹部に粘度の高い気持ち良さが溜まっていく。水飴が溶けていくような図に似ている。そして祭夜の甘いところを夏霞は夢中になって吸った。彼の顎ごと口に入れてしまいたくなる。離れ方を知らない。
「ぁふ………っぅん……っ」
クリームを塗るときにはなかった動きが加わり、慰められているのは胸であるはずだが下腹部へも鈍く熱いものが広がっていく。繰り回されるとかぶれた微かな痛みと痒みが疼き、祭夜の指を鮮明にする。
「きもちぃ……?」
息がかかるほどの至近距離でも唇が離れ、互いの蜜が別れを惜しむ。
「きもち、いい……」
全身が融解していきそうだった。氷のようであり、氷ほど輪郭を持ち冷たいイメージではなかった。彼の好きな大福のバニラアイスがゆっくりと溶かされていくような感じだ。蕩けきった目と目を合わせ、奥まで結ぶ口付けが再開する。胸への淫戯が激しくなることはない。悦び以外麻痺していく。腰を大好きな男に押し当てていた。故意的ではない。無自覚に揺らめいていた。やがて胸の艶美な感覚が一矢となって脳髄を射抜く感じがあった。彼女は戦慄く。下腹部の奥で小さな爆発が起こる。
「ゃあ……んっん、」
祭夜は彼女のすべてを知っているのかと思うほど力加減を心得ていた。決して強くも激しくもなかった指が徐々に緩やかになり、爆ぜた余韻を長引かせるどころか快楽を助長した。
「んっぁ、さやちゃ………っあぁ、」
好きで好きでおかしくなりそうな人の手を拒みかける。
「今触るとオトコノコみたいにツラくなっちゃう?」
悪戯っぽく笑う祭夜は可愛がられることを確信し、疑うこともない仔犬のそれではなかった。ヒトのオスの、それもよく文明と女を得た理知的な大人の顔だった。
「祭夜ちゃんのこと、欲しくなっちゃう………から」
「かわいいコト言わないで。オレは無理させたくない。夏霞も、カラダ大丈夫そうだったら、いつでもオレのコト、求めて。夏霞に求められたら大体どんな時でもオレ、準備できてるから。途中でダメそうでも、こうやって、抱き締め合ったりしてるだけで、幸せだよ」
彼の貌が仔犬に戻らないのが、ほんの少しだけ寂しく、同時にそれもそれで良さがあった。
「あ、でもさすがにヒグマに追っかけられてる時とかムリだよ!夢で見たの、ヒグマに追っかけられる夢。ニュースで見たからかな。この時ばっかはさ、夏霞ちゃん一緒じゃなくて良かったケド。夢でよかったと思ったのに、現実だと、それが生活で起こっちゃう可能性ある人もいるんだもんな」
彼女の複雑な気分は束の間、可愛らしさが惚れたきっかけとなった婚約者はあの頃と大差ない仔犬に戻った。
「そこまで極論は想定してないよ、祭夜ちゃん」
思わず夏霞も機嫌の好さを見せて笑ってしまった。
何気なく交わされた、少し調子者のきらいがある祭夜の夢の話で、忘れることはなくとも頭の片隅に置いておける話だと思っていた。しかし夏霞はふと考えてしまった。羆は夏霞や祭夜の住まう地域には生息していない。熊であっても距離の離れた遠くの山の話だ。だが現実を混同して仮定してしまった。羆だけの話ではない。たとえば自然災害などでも同じことが彼女を不安にさせた。もし2人でいたとき、祭夜が自分を庇ってしまうようなことがあったら―……
それが恐ろしいのである。彼は自分を優先し身を守れるだろうか?それが本能であるはずだ。それでいてあの男は優しい。夏霞には、彼が自分に惚れているという認識がしっかりとあった。この不安の話題でなければ自惚れであると微苦笑と共に済ませたい認識だった。だがあらゆる経験から、その自覚はおそらく間違っていなかった。疑えばむしろ祭夜を侮辱しているに等しいくらいだ。
好きで好きで不安になった。彼がもう少し利己的で割り切れる人間であれば良かったと思うほど、好意が不安と比例して、他の者が助からずとも彼だけは……と夏霞をいくらか冷酷にしていく。
◇
あーし、お兄やんのコトについて、全然怒ってない。薄情なくらい、全然。
海夜の訪問は突然だった。もし約束があったなら祭夜は夏霞を自宅に連れてこなかったに違いない。祭夜は驚いた様子だった。海夜はあっけらかんとして、兄の死など無かったかのように、また兄が誰かを加害したこともなかったかのような態度で、いとこの横に控えめに立っている兄の想い人へ挨拶をした。
「海夜っち、どうしたの急に……」
彼女はシャーベットカラーの薄手のジップアップパーカーに芋羊羹を思わせる蛍光イエローのタンクトップとデニムのショートパンツに、オーシャングリーンのアンクルソックスを履いている。兄と同じ黒い髪は片側で青のシュシュに束ねられていた。
「ちょっと話があったんだ。急でめんちゃい。話そうか話さないか迷ってて、ころころ気分変わっちゃうから約束入れとかなかった」
海夜は言葉遣いこそ砕けているが兄同様、表情についてはそう多くなかった。ふざけているのかシリアスな話題を持ち込んできたのか分からない。
「そ、そう……」
祭夜の困惑が窺えた。海夜もそれに気付いているような眼差しを彼にくれている。
「わたし、上で待ってるよ。帰り、叔父さんとか暑詩ちゃんに頼むし……」
返事を聞く前に海夜が口を挟んだ。
「お邪魔してすみません。夏霞さんも一緒で構いませんよ」
ヘーゼルブラウンの目が気遣わしげに夏霞を捉える。何の話をされるのか見当がつかない。否、海夜の口からされる話など限られている。それは夏霞を傷付けかねない。祭夜の性格からいって彼はそれを危惧しているのだ。それに比べるとおそらく彼にとって夏霞も知らない緋森一族のごたごたを彼女の前で話されることなど、大した痛手ではないようだ。
「どういう話かな。夏霞ちゃんも一緒かは、それによる」
「南波くんの話。あーしも話そうかどうか迷ってて、眉唾ものくらいに思ってくれたらいいんだケド、でも、余計な感覚を植え付けるコトにもなりそうだし、あーしも信じてないから、言おうか迷って、さっきまではやっぱり話さないって引き返そうと思ってたくらい」
曖昧なことを言ういとこに祭夜は眉を顰めた。血縁者という近しさもあるのか彼が他者へそういう表情を向けるのは珍しい気がした。
「一応聞いとく。でも、夏霞ちゃんは……」
「大丈夫。一緒に聞こう。それで信じるかどうか、2人で決めよう」
海夜はすっと2人から顔を背けた。俯いた目が床を見下ろす。兄は事故死でありながら自殺とも言われ、その原因とまでいかなくとも要因や一因といえない人々が目の前で仲睦まじくやっている。彼女は兄に似てスタイルが良かった。背も低くはなく痩せ型で、しかし脚や胸には適度に肉が付き不健康な感じもない。それがふと、いずれ夫婦になることを約束した親戚とその相手を前に窶れて見えた。
「上がって、海夜っち」
リビングに通され、祭夜は飲み物と菓子を用意した。
「最初に言っておくんですケド……―」
海夜は兄に関する2人への胸中を口にした。本題に入って第一声がそれであると却って勘繰ってしまうものだ。彼女は祭夜と夏霞の顔色を観察するように見比べた。
「なんだか牽制したみたいで申し訳ない。これね、南波くんから訊かれたコトで。周りからはそういう風に思われてるのかなって。相関図で言えば、あーしが怒ってるように見えるのかも知んないな」
彼女は苦笑を無理矢理作った。こうして真正面から近くで見ると顔立ちは兄妹よく似ている。兄は網膜が火傷するような美青年であったが、妹も特に目元がよく似て美しい。兄妹揃って色が白く、髪は艶やかで黒く、睫毛は長く濃い。
「あの子に何か、言われたの?」
祭夜の声音も表情も険しい。
「仇を討ってあげるって言うから……仇って何だよ、誰のコトだよって。あーし、結構ああいう外面もいい優等生みたいなタイプには気圧されるからそういう口の利き方はしなかったケド」
「仇……?」
夏霞も眉を顰めた。瑠夏は前にもそのようなことを口にしていた。海夜はいとこから彼女に目を向ける時、兄と同様に目を伏せて頷いた。
「なんだか物騒だし、祭夜兄ちゃん、練習会で顔合わせるんでしょ。詳しくは聞いてないケド、なんかゴタゴタがあったって他の子からも聞いてたし……こうやって本人に告げ口するの、お節介なの分かってるしし、また兄の時みたいにあーしが告げ口したことで、良くないコトになるのやっぱ怖い。でも、そんなコトあるわけないって思っても、聞いてたのにああしておけばって後悔するのも胸糞悪いし」
「そうだったんだ。話してくれてありがと」
祭夜は無難な返しをした。上辺だけだと深刻に受け取った様子はない。海夜は兄と同い年のいとこをちらと見ると、すぐに視線を落とした。表情はない。兄と違い不機嫌さもない。ただ表情がない。だが夏霞はそこに落胆をみた。
「話したら、やっぱあーしの考え過ぎかもって思った。急に来て頭のおかしなコト言って謝罪。バカらしい妄想、聞かなかったコトにして。不安にさせてごめんなさい、夏霞さん。」
海夜は長居せず、夏霞にも一度会釈をすると軽やかに腰を上げた。
「ううん。用心するに越したことはないから、教えてくれてありがとう。何事も無いのが一番いいんだから、バカらしいなんてことないよ」
海夜は無言のままその言葉を受け取ったとばかりに頷くと帰っていった。年上のいとこの見送りを断って、玄関扉の開閉を聞いた。
「夏霞ちゃんは良い人だ」
「どうして?」
「上手く……フォローしてあげれなかった」
「海夜ちゃんの話、どう思う?」
祭夜はクーラーを入れてもびっしょりと結露した飲み物を呷った。
「わたしは、あの子ならやりかねないと思っているの。あの子、仇がどうとか、言っていたから……海夜ちゃんが……仇を討ちにくるとか……」
「どっちなんだろう。すごくイヤな話だケド、オレ、舞夜が死んでから色んなコト、疑ってる。親戚のコトも、ママンのコトも、婆ちゃんのコトも、上手く目、見れないんだ。舞夜とぶつかったのは後悔はしてないケド、海夜っちのコトも遠去けてる。海夜っちとは妹みたいって言うと大袈裟だけど、歳離れてるし女の子だしオレなりに可愛がってたつもりで、向こうもよく懐いてくれてそういうふうに育ってきたし、実際悪いコじゃないんだ。でもあんな出来事あったら、やっぱそういう関係って簡単に壊れてさ……オレは多分、ホントのところ、疑ってる。あれは脅迫なんじゃないか……舞夜のコト怒ってないなんてウソで、ホントはオレたちのコト、別れさせたいんじゃないかって…………オレ、サイテーなイヤなヤツだケド、ホント、ヒドいヤツだケド……………夏霞ちゃんを海夜っちとはもう会わせたくない。それこそ何かあったら、怖いよ」
海夜が兄のことに対して実のところは憎悪を抱いている。この祭夜の疑心を否定することはできなかった。夏霞も暑詩が同じような目に遭えば、たとえ理屈で分かっていても何者かに対して落ち度を見出し、怒りの矛先を求めてしまうだろう。かといって海夜を疑っているわけでもなかった。瑠夏という少年はやりかねないと理性では打ち消せない直感が告げている。
「祭夜ちゃんは色々考えちゃう立ち位置にいる人だから、疑っちゃうのは仕方ないよ」
「でも、全部疑ってるワケじゃなくて、あの高校生のコトも、無さそうな話じゃ無いよなって……」
海夜が気さくな少女という程度のことしか知らない夏霞からすれば瑠夏のほうが危険人物だった。祭夜に薬を盛っただけでは済まさず拘束したり、平然と刃物をちらつかせ、スタンガンを手に人を誘拐する。
「気を付けよう?わたしも気を付けるから。できるだけ1人で出歩かないようにして、きちんと戸締りして……」
「この話、叔父さんにもしておいていい?夏霞ちゃんの言ってたとおり、何も起きなくて、夏霞ちゃんが無事で、ただオレが疑い過ぎで怖がりでイヤなヤツってカンジに終わるのが一番だから」
「うん、叔父さんに伝えておいてくれる?わたしから言うと心配かけたくないなって思っちゃって上手いこと話せないと思うんだ。でも、わたしだけ無事じゃ一番じゃない。祭夜ちゃんも無事じゃなきゃ、ダメ。祭夜ちゃんがイヤな子だって他の人に思われてもわたしはちゃんと祭夜ちゃんはすごくイイ子だって知ってるからね」
彼は不安を隠さなかった。雷鳴に怯える犬をテレビ番組で観たことがあるが、それに似ていた。祭夜は眉を下げ、唇を甘く噛み、夏霞の左手を両手で包んだ。何度も安価な指輪にキスをする。
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