18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」

結局は俗物( ◠‿◠ )

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揺蕩う夏オトズレ 6話放置/気紛れ兄+電波ワンコ弟/いとこ双子姉弟/百合要素

揺蕩う夏、オトズレ 2

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 夜中にまた線香の匂いを嗅ぎ取り、せせらぎが聞こえた。目が覚める。隣のベッドの深青みおを起こさないよう静かに身体を起きたつもりだった。
「マサオの部屋使う?」
 だが彼女は起きていた。先に目が覚めていた雰囲気まである。自分の双子の弟・真青まおの部屋を勧める。
「ごめんね、起こしちゃって。ちょっとお水飲んでくるだけ。おやすみ、深青ちゃん」
 霞澄かすみは台所に降りていって、コップの半分の量だけ水を飲んだ。線香の匂いもせせらぐ音もない。久々の親戚の家に身体は疲れているのかも知れない。今日は山にも登った。布団に戻る。掛け布団の温もりが恋しくなるほどクーラーが程良く効いている。すぐに眠りに落ちた
 夢の中には、疾うの昔すでに潰れた頂上の商店がまだあった。霞澄は今現在の姿のまま、そこで買い物をする。内装は土間に近い。現代的にいうイートインスペースは草臥くたびれた座敷で、昔ながらの和風食堂といった感じだった。三和土たたきなんかは煤けている。奥から店主が暖簾をくぐってやって来るのだ。
 角張った銀紙のバニラアイスを買い、店を出ると、ふと風が通り抜けて振り返った先に店はない。基礎だけ残り、廃材が積まれ、山下の景色が広がる。立ち尽くしていると隣に誰か立った。そちらを向いた瞬間に、あらゆる顔が脳裏を駆け巡る。
 セミが鳴いている。穏やかな冷気に包まれて目が覚めると、夜中ではなかった。目蓋越しの明るさに慣れ、緩やかな寝起きだった。深青の姿はない。かといってまだ8時少し前で、寝過ぎたということはない。布団を片付け朝食を摂りにリビングへ降りた。
「玉子焼きと目玉焼き、どっちがいい」
 急に話しかけられ、霞澄はびっくりしてしまった。台所に寝間着姿の深青がいる。
「おはよう、深青ちゃん」
「おっは。で?朝飯。ソーセージとテキトーに漬物あるから。それと昨日の味噌汁ね、ナスの。玉子焼き?目玉焼き?」
 深青が作るらしかった。
「玉子焼き」
「ふぅん。じゃああーしが目玉焼きにして半分こっつね」
 彼女は生卵を割っていく。霞澄も台所に入り、味噌汁の鍋の火加減を見た。
「マサオ今日帰ってくるってさ」
 フライパンを生卵で鳴らしながら深青は言った。
「そうなんだ。久し振りだから、会うの楽しみだな」
「あんたが来てるって言ったら明日にでも帰るって。女同士でたのしくやってんのにあーあ。野郎ってホント、デリカシーない」
 深青は肩を竦める。その態度はいくらか演技がかっていた。
「仲悪いの?伯父さんとは仲良いのに」
「親父は親父じゃん?双子は2コ1じゃなきゃダメってことはないでしょ、男だし。男のクセにナヨナヨしててキモいんだよ」
 霞澄の前で真青まおというのは深青が言うほど悪印象な人物ではなかった。同胞きょうだいではない者の視点だからそう思えるのかも知れない。深青は誰に対しても何に対しても辛辣だ。真青は穏和な気質で、姉弟という概念を重要書類以外で持ってもいいのか定かではない双子の片方に散々甚振られ、気を小さくしてしまったのが容易に察せられる。
「お兄さんは?」
「兄貴はどうだろ。ちょくちょく帰ってきてたから、こういう大きな休みは逆に帰ってこないかも」
 彼女の作る玉子焼きは形が崩れ、目玉焼きは黄身が破れている。
「何かけんの?醤油?塩胡椒?いいや、両方持ってく」
 2人で朝飯の用意をする。炊いてから少し時間の経った白米にはほんのりとぬかの風味があった。それはそれで趣き深いものがある。たまには悪くない。外でカンカンと音がして、飯を食いながら霞澄がそれを気にすると、いとこは母親が外交の一部を修繕しているのだと説明した。
「今日は何すんの?また散歩?」
「そうしようかな。手伝えることあれば、おうちのお手伝いしたいけれど」
「あーしとあんたの2人っきりのサマーバケーションもこれまでかぁ。マサオって小さい頃からあんたにべったりだしさ」
 食後に伯母の遣いでこの笠子かさご家からほんの少し離れた寺に出掛けた。この寺は見たところ新しく建て替えられたようだった。庭石のように墓がある。枡谷とかいう中年男が通っていた墓地よりも規模は小さいが、駐車場が近くアクセスしやすくなっている。年老いた寺の住職から"頂上さん"に新たな用事ができ、霞澄が引き受けて、そこまでは深青も一緒だった。ここからでは別のルートから頂上を目指すことになるが、その山道も初めてではなかった。小さな頃に登ったことがある。むしろその道のほうが緩やかで、整備されていた。頂上付近にある神社を目指すのか、遺跡を目指すのか、あの潰れた商店のあった展望台を目指すのかで若干ルートは異なるが、どれを選んでも多少距離や勾配が変わるだけで道同士が断絶されているわけではなかった。
「あんた、また川に近付いてぽっちゃんとかやめときなさいよ」
「うん。用を済ませたらすぐ帰ってくるから」
 住職からもらった冷えたドリンクを持って、庭石の如き風情を醸す小さな墓園で別れた。この道は自力で坂を登るよりも地面が段々と切り出され木で支えられて階段を上がる要領だった。40分ほどで着く。田舎道なら長く感じられる距離だが風景のすぐ変わる都会ではそう長い距離ではなかった。また、たとえ大したことのない山道でもすぐ変わる足場や勾配に時間を感じる隙がそうない。霞澄の意識も40分を数字のとおり受け取った40分だとは感じなかった。頂上付近に着き、用を済ませる。あとは帰るだけだったが、夢に出てきた商店がふと後ろ髪を引く。引くどころではない引き毟るほどだ。情緒不安定的な切なさが押し寄せる。何か病的だ。"頂上さん宅"でも冷えた茶を一杯飲んだが、霞澄はそれも暑気中しょきあたりの予兆と決めつけてドリンクを飲んだ。甘さが舌の上で粘つく。ペットボトルを揺らし、廃材を眺めた。夢の中では随分と広く感じられたが、基礎だけ見ると想像よりも二回りほど小さい。まだ小さな頃に見た感覚をそこに馳せていたのだろう。澄んだ風に適当に結った髪がそよいだ。このまま身体が溶けて吹かれていきそうだ。そうしたらがらりと、この商店があった頃に、或いはこの商店がまだ続いている世界線に塗り替えられはしないだろうか。不毛なことを考えはじめる。心地良い空気もそれを助長する。既視感を覚えた。どこかで見た。どこかで見たと錯覚しているだけなのかも知れない。認識は時折、肉体の持ち主を裏切る。
「ありがとう」
 蚊の鳴くような声が隣から聞こえた。他にも登山者はいたが、彼女は自分に言われたのか否かの判断もつかず反射的に振り向いてしまう。知り合いが話しかける距離感で見覚えのない青年が立っていた。ぬぼっと空を見上げている。艶やかな黒髪がそよ風に靡きながらも白い輪を携えている。葉でいうとクチクラ、髪でいうキューティクルを、若者風にいうと"天使の輪"となるのが強ち間違いではないことを生々しく実感する。だが霞澄は天使を見たことは無い。
 そうして同年代くらいの男の緊迫感のある美しい横顔を無遠慮に眺めてしまった。継ぎ足したように睫毛が長く、鼻梁を越えた反対側の睫毛も自然なカーブを描いている。彼は1人だった。誰かと別れたばかりなのかも知れない。それか独り言の癖がある。もしくは、遠くからは独り言を延々と喋っていながら近付くと小さな電子機器を耳に挟んで通話をしていたという人々も都会ではそう珍しくない。
 霞澄はばつが悪くなり、真上を覆う葉が揺れているのを見上げる謎の青年から離れようとした。
「ありがとう、弟を助けてくれて」
 墨汁を被ったばかりなのかと見紛うほど黒々と濡れた髪がさらさらと風に遊び、白い顔が霞澄を向く。長く濃い睫毛に覆われた黒い双眸と、薄い桜色の唇に意識を奪われた。ほんのりと雀斑そばかすがあるように見えた。深青が言っているのはこういうことかと納得してしまうほどの美青年が立っている。背が高い。ただ服装に季節感がない。髪と遜色ない黒のフード付きの長袖スウェットシャツに、淡い色のカットオフのデニムから足首が伸び、くるぶしで強い括れを作る。足は新品のように汚れのない生成り色のキャンバススニーカーだ。確かにその服装でも大した不便のない山ではあるが、どこか浮いている。
「人違い……じゃないですか」
 相手に恥をかかすまいと霞澄は努めて気を遣った。しかし人とは思えないほど美しく、山の精にしては俗っぽい風采の青年は艶やかな黒い髪を見せびらかすように振った。
「あんただよ」
 澄んだ大気に染み入っていくしっとりとして儚く甘い質感が桜色の唇から出てくる。霞澄は彼の美貌に硬直し、言葉の意味を読み取るのにも静止した。愛想のひとつもない黒髪の美青年は彼女の目を不躾に捉え、逸らそうともしない。霞澄からも逸らせず、名も素性も知らない相手と長いこと目線を交わしていた。
 彼の言ったことを反芻した。弟を助けたという。心当たりはひとつしかなかった。
「あ、川の子?」
「そう。あれ、俺の弟だから」
 霞澄は今度は遠慮も躊躇いもなく彼の顔を見てしまった。似ていない。
「よかった。ちゃんと帰れたんだ」
 隣の彼は目蓋を伏せた。
「あんた、名前は」
「早瀬」
 彼は黙った。下の名前を言うのは彼女にとってどこか軟派だ。都会の繁華街などは若い女が1人で歩いていると突然名前や電話番号を訊かれたり、雑談が始まったりする。彼もそういうことをする系統の身形みなりではあった。
「早瀬」
 彼は甘い声で復唱した。懐かれたような響きを持っている。
「そう。早い遅いの早いに浅瀬の瀬。早いってこっちの"はやい"。スピードのほうじゃなくて」
 宙に字を書いた。彼はぼんやりとして反応を示さない。
「君は?」
鈴城すずき。"き"は城のほう」
 愛嬌のない顔だが決して突慳貪つっけんどんというわけではないらしい。
「そうなんだ。珍しいね」
「……"すずき"って日本で一番多い苗字じゃないの」
「読み方じゃなくて、漢字」
 日焼けをしたら溶けそうな青年は霞澄の目を捉えたまま首を捻った。
「そう?」
「多いのかな。わたしは初めて聞いたから。地域の差かな」
 彼は喋りもせず突然屈み、霞澄は体調が悪いのかと驚いてしまった。
「熱中症?ちょっと触るね」
 額に触れる。顔色は相変わらず透けるような白さで、肌は暑苦しい服装にもかかわらず汗ばんだ感じがない。焦ったのは霞澄のみで当の本人はつまらなげな不機嫌そうな貌をしている。
「日陰に入ったほうがいいんじゃない?」
 彼は膝を抱えうずくまった。体調不良に見えたが黒い髪が左右に揺れる。枝葉の淡い陰では日に炙られているも同然だ。霞澄は言葉を交わしてしまった以上、放っておくことができなくなってしまった。
「熱中症になっちゃうよ」
 鈴城とかいった青年は動こうとしない。別の切り口から攻めてみた。
「弟くんは?」
「川で遊んでる。釣りが好きだから」
 はっとした様子で鈴城青年は立ち上がった。急用でも思い出したに違いない。マイペースな相手に辟易した。帰ろうかと立ち竦んでいるところにどこかに行きかけている鈴城は戻ってきて霞澄の腕を取った。
「あんたも来て」
「どこに?」
「弟を迎えに行く」
 同行というよりもそれは連行に近かった。霞澄は引っ張られ歩幅もつかめない。整備された区間が終わり、木の根や人の踏んで削れた場所を頼りに降りねばならない地点だというのに鈴城は乱暴に霞澄の腕を引く。
「危ないよ」
 先に降りる彼の目線はわずかに霞澄より下になる。幅の薄い目蓋の重なった切れの長い目が不思議そうに彼女を見上げた。
「危ないのか」
「わたし、このまま足元滑らせたら多分あなたにしがみついちゃうよ」
 彼女の口調は柔らかかったが鈴城は叱られたみたいに睫毛を伏せ、目を伏せ、顔を伏せる。ひとつひとつ優美な仕草を嫌味たらしく見せつけているようでさえある。
「山来るの、初めて……とか?」
 服装や立ち振る舞いがそういう疑惑を呼び起こす。川まで弟を迎えにいき、山頂まで辿り着いたのはこれが初めてなのではないか。
「ここに住んでる」
 無邪気な目で見上げられ、拍子抜けしてしまった。
「住んでるって、この山に?」
「あっちの方にある」
 長く白い指がおそらく鈴城青年の住まいのある方角を示す。
「こっちまで釣りに来てるんだ」
 沈黙は頷きの意らしい。かなり気紛れだ。接しにくい同年代と思しき青年に案内され、登山道を外れて茂みに入る。しんと薄暗くなる。空気も冷涼で、テレビや雑誌などでみる樹海よりも鬱蒼として閉鎖的な空間に感じられた。セミの音が遠く、せせらぎが近い。
「あの先にいる」
 仕掛け罠を確認するような物言いで、鈴城青年は立ち止まった。言外に先に行けといっている。怪しむこともなく霞澄は川辺に近寄った。確かに釣りをする背中がある。麦藁帽子に薄い黄色ともクリーム色ともいえないシャツが汗で透けている。
「鈴城くん?」
 特殊な事情がない限り、兄が鈴城ならば弟も鈴城のはずだ。霞澄は驚かない程度に呼びかける。
「およよ?」
 振り返った顔は彼女を認めると人懐こく笑った。八重歯が見える。麦藁帽子はあまり似合っていない。むしろ麦藁帽子など使わない、といった風貌ですらある。キャップのつばを後ろに回して被っているほうがよく似合っていると思うくらい、麦藁帽子が不釣り合いだった。それをテンガロンハットと言い張り、まだ麦藁帽子よりも似合っていたかも知れない。日除け道具としての使い方は何ら間違っていない。しかしそれをコーディネートの一種として見てしまった。言いようのない違和感があった。
「あ!この前のお姉さん」
 よく日に焼けた肌に麦藁帽子とシャツの色が合わないのかも知れない。それか麦藁帽子の形や大きさが霞澄も見慣れた機能性もあれどコーディネートの一部として親和性も高い形状ではないからかも知れない。彼の頭を翳らせているのは完全に日除けのためのものだった。
「昨日だね」
「そう、そう!今日はオレ大丈夫だよ。お礼できなかったんね」
 彼は餅のように頬を柔らかくして霞澄のほうへ上体を伸ばした。後退る間もなく頬が弾んだ。咄嗟に頬を押さえた。
「チュッちゅがお礼でい?あ、お魚食べる?ごろにゃん」
 兄弟と聞いていたが外見だけでなく対応まで鈴城の兄とはまったく違う。想像もつかなかった人物に霞澄は戸惑ってしまった。踵を返す兄のほうに助けを求めた。
「お姉さん名前なんていうの」
 霞澄は口を開き、しかし先に答えたのは鈴城兄である。
「早瀬」
「ハヤセ?ハヤセ何さん?」
 ひょいと兄を向いて、それからまた彼女に向き直る。
「霞澄」
 腕を組んでいた鈴城兄はまたもや先に帰ろうした。
「鈴城くん、待ってよ。弟くんと一緒に帰るんじゃないの」
 つまらなそうな目が霞澄を捉えた。
「そうだよ。霞澄さんと一緒に帰ろうよ!ね、ね、霞澄さんて呼んでい?ハヤセさんがい?」
 忙しなく鈴城弟は視界をちょろちょろ動き回り左右から顔を覗く。犬のような見た目をしているが、飼い主で遊ぶことを覚えた猫に似た図々しい挙動である。
「どっちでもいいけれど……」
「じゃ、霞澄さん。ね、ね、オレの下の名前も訊いて~。訊いてちょぉだいぃ」
 人懐こ過ぎてむしろ対人関係に問題を感じずにいられない。彼女は変わり者の弟をどうにかしろと兄へ助けを乞うた。黒い双眸と確かに視線が一直線に合致したが、ふいと鼻先ごと背けられてしまった。
「名前、なんていうの……?」
爽夏さやか!オレ爽夏!爽やかでしょ。レモンみたい。しゅわわ~って。すっぱぁい」
「自分で言うの?」
「霞澄さんはね、ラムネなの。あわあわ~めっちゃバブリ~なの」
 不思議な感性を前に霞澄は圧倒され、また鈴城兄のほうに救助要請した。彼はまた冷ややかな目でこちらを見ていたが、霞澄を弟の珍妙なコミュニケーションから掬い取るつもりはないらしい。腕を組む白い手が黒のフーデッドスウェットシャツによく映える。
「お兄さん、迎えに来たってことはそろそろ帰らなきゃなんじゃない?爽夏くんだっけ」
「へへへ、そ。でもまだ帰らないもん」
「帰るぞ」
 やっと兄が口を挟んだ。外見だけならば、つまり風貌だけならば、すなわち見た目だけならば歳が離れている様子はなかった。兄があどけないのか、弟の発育が早いのか。
「まだ帰りたくない」
 爽夏と名乗っていた鈴城弟は首を左右に振る。
「帰るんだ」
「やら。やらもん。帰んないもん」
 鈴城弟は兄にも霞澄にも背を向け、釣りを再開しようとしている。
「何かこの後、用事でもあるの?まだ明るいし……暗くなったら流石に危ないけれど………」
 愛想笑いを浮かべ霞澄は鈴城の兄のほうへおもねる。彼は腕組みを解いてとうとうこの場を去ってしまった。弟は弟で釣り糸を垂らしている。隣に屈む。
「兄ちゃん、カッコいいでしょ」
 先程のやりとりは無かったかのようなけろりとした調子である。
「タイプじゃない?」
 反応を示さない霞澄のほうへ首を傾け、がっちりと視線を奪われる。似合わない麦藁帽子の下で彼はにかりと笑った。それがきちんと服飾品のひとつとして作られたものならば日に焼けた肌や色の抜けた毛先に、やんちゃな傷などと相俟って活動的な夏を思わせるそのアイテムはよく似合っていたことだろう。最低限の日除けという機能性のみを追求した今被っているものはほぼ同じ品であるくせ、何か滑稽なのである。二又に分かれ顎で合流する留め紐がぷらぷら揺れる。
「オレも霞澄さんのこつ好きぴっぴだからよかった」
 麦藁帽子が霞澄の肩に凭れかかる。布越しにつばが刺さった。非常に馴れ馴れしい。現代若者は卑屈になって自らを「コミニュケーション障害」と称するが、それは距離感に慎重になるあまり余分な話をしないだけで、沈黙によって守るところは守り、挨拶と肯定と否定ができないわけではない。自称する者のほぼほぼ大半は真っ当なコミニュケーションはとれている。だが、この者は距離感を測れず、返しに困る言葉が多い。彼自身が困ることはないかも知れないが、長い目で見た時、この者を孤立させそうな危うさを持っている。これこそまさに現代若者が己を縛り付けた「コミュニケーション障害」ではあるまいか。しかし霞澄は彼の態度に戸惑いながらも、それを指摘するほどの自信もなければ誰かの気質に踏み入ってまで正そうとするほどの図太さかつある種の親切心を持ち合わせてはいなかった。
「揶揄わないの」
「揶揄ってなぁい」
「カノジョとかいるんじゃないの?」
 霞澄の脳裏にふと過ったのは深青である。帰りが遅くなっていることに気付く。
「ごめんね、お世話になってる人に連絡しなきゃ。ちょっとスマホいじるね」
 電波は1つ欠けている。爽夏は麦藁帽子を上下させた。
「カノぴいないと思うよぉ。あ、カレぴ~のもいないよ。このご時世だからね、カレカノどっち持ってるかなんて分かんないかんね。オレぴにも」
 ひゃひゃひゃ、とそれこそ小馬鹿にしたように彼は笑った。メッセージを送信すると、深青はスマートフォンを使用中だったらしく、すぐに既読のマークがついた。
「ママぴ?」
「今ね、いとこのおうちに泊まってるの」
「そぉなんだ。オレはね、兄ちゃんと暮らしてるん」
「兄弟だもんね。いつも迎えに来てくれるの?」
 彼は頷いた。釣竿はしならない。霞澄は釣りをよく知らなかった。
「優しいお兄さんなんだね」
「う~ん。優しいんかな?霞澄さんは優しいってゆうなら優しーのかも。へへ、新しい"気付き"だね。発見、わぉ~ん」
 犬とも狼ともいえない遠吠えの真似が上手かった。こだましている。
「兄ちゃん、釣り嫌いなんだよ。オレのことは好きだけど!ブラブラコンどんぶらこなの。へへ、へへ、ブランコぶらぶら楽しいな」
 川の音を目の前にそうこうしていると、やがて日が傾いていく。霞澄は時刻を確認した。似合わない麦藁帽子が焦る様子はない。
「そろそろ帰ろう?お兄さん心配しちゃうよ」
「……帰りたくない」
「どうして?」
「オレ、ここに住む」
 爽夏は動こうとしなかった。丁度良いタイミングで深青からメッセージが入る。今から帰ると送った。
「わたしもそろそろ帰らないと。お兄さん、迎えに来てくれるの?」
「……オラが霞澄さん送る。男の子だからへーき、へーき」
 彼は釣り糸を水面から引いた。魚は1匹も釣れなかったようだ。テレビや動画サイトの釣りチャンネルとは違い、実際はそういうものなのかと霞澄はそのシビアな世界を垣間見た気がした。魚の高価ぶりにうなずかざるを得ない。彼に連れられ、笠子家に通じるルートと合流した。線香の匂いが漂う墓地に入る。幼げな感性の鈴城弟は怖がるかと思いきや、墓地と墓地の間にある道を通っていた。
「ここまでで、いい?許しちょ」
 しかし墓地の中ほどまで来ると爽夏は立ち止まった。強がっていたのかも知れない。
「うん。送ってくれてありがとう。遠回りさせちゃったね。お兄さんにもよろしく。帰り、気を付けるんだよ」
「夢の中で、逢いにいくね。絶対だよ。逢いに行く」
「うん。寄り道したらいけないよ」
 20代前後という体格だが、霞澄の態度は子供に対するものに近かった。笠子家のほうへ数歩進んでから、振り返る。線香の匂いに晒されながら佇むか、背を向け去っていくはずの姿はもうなかった。
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