彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「よく歌ってくれた妖怪の元気な歌、あれも好き」
 陽気な曲調でありながら、出自ゆえに孤独を選ばざるを得なかった人懐こい妖怪の歌だった。しかし彼は鼻唄だけで歌詞は歌わなかった。興味を抱いて自ら調べたのだった。思い出を語りながら紅の髪を撫で続けているだけ、彼の無表情に心配の陰が差す。それに気が付き、笑いかける。泥でも払うように中年男性にしては瑞々しい柔肌を指で拭った。
「子守唄、返そうと思って。でもやっぱ自信ない」
 どこからともなく、鋼琴ピアノが鳴った。紅の眼差しに背き、窓の外へ首を曲げた。上階から流れてくる、四季国には馴染みのない音質と調べ。人でも獣でもないくせ、それは生き物の声のようだった。穏やかな音律が発狂する。協和音であるくせ情緒を乱し、威圧する。視界の端で身動みじろいだ紅を怯えたものかと思って小さく収まる肩を寄せる。しかし彼は不思議そうに女を見上げるだけだった。腕の中で少年みたいな男は鼻を鳴らす。空気を揺らす鍵盤楽器が沈水香木の匂いを煽り立てて、身体中を愛撫しながらも侮蔑しているようだった。紅を突き放す。彼は珍しく戸惑いを浮かべた。
「汗かいたし、臭いよね。ごめんね。お風呂入ってくるよ」
 よく理解できていないらしいがそれでも赤茶けた髪がこくりと頷く。
「紅もは入るでしょ、寒いからね。ちゃんと温まるんだよ。係の人に言っておくから」
 捲し立て、焦りを隠せないまま退室する。紅の傍もすでに居場所でないのだと緩やかな音程を取り戻した楽器が告げている。全身の産毛を掠めて撫でられるような不快感に襲われ、何をしに廊下へ出たのかも分からなくなっていた。目的や予定などかなぐり捨て、ただ落ち着くためだけに歩く。そのうちに考えが纏まり、下回りの者を探した。広く人の多い中央通路に出る前に、対面からきょろきょろとした男が現れた。目が合ったため、会釈だけした。媚びるような笑顔で男は近付いてくる。30代後半といったくらいの年代で、ぼさぼさの黒髪は艶を失い、傷んで白く跳ねている。服装からして下回りや官吏や令嬢たちの使用人ではないようだったが、顎や鼻の下にある無精髭からすると、官吏や貴人というわけでもないようだった。
「おっとっと~。これはこれは極彩さん。すみませんが、山吹様の自室を教えていただけますかな」
 口頭で説明しようとしたが、喋るのが面倒になり、案内することにした。男は大袈裟な感嘆の声を漏らし、極彩の後に付いてくる。専門的な説明をぶつぶつと呟いていたがおそらく建築の話らしかった。
「随分と入り組んでますな。まぁ侵入者防止には適してますが。しっかし無防備だ。たとえばあの辺りなんか向こう側の廊下と袋棚みたいなところで繋がってるんじゃないかな。多分隠密系の監察なんかを雇って、探ってたんだな。まったく監視社会だ。下手なことは言えないもんさ。お~い!誰か~。見てるか~い?」
 男は天井を仰ぎ、手を振った。極彩との距離が開いていくが、曲がり角まで来てしまうと奇行の持ち主を待つ。彼は自身で相槌を打って、極彩の元へ歩み寄る。
不言いわぬ通りの一番治安悪い八連荘ぱーれんちゃん横丁と弁柄地区の高級住宅街には監視撮影機あるみたいだけど、やっぱり城も機械化すべきだよ。まぁそういうの河教贔屓のここは異国の俗物だ、自国の衰退だ、侵略の凶兆だって言って嫌がるかもしれないけどさ。効率的だし何より血生臭くないだろう?」
 訊いてもいなかったが彼は説明を続け、また自身で相槌を打った。
「こちらです」
 山吹の部屋の前で立ち止まる。おお、と男は眉を上げた。
「いやぁ、助かりましたよ。まさかこことはね。もう少しあっち側かと思いました。何せ事にれば四公子に成り得ますからな、こんな城の端のほうとは驚きました」
「では」
 ぼさぼさの黒髪を掻きながら男は把手を握った。しかし男が金属部を捻る前に、内側からの力で彼は室内に傾いた。極彩様、と山吹の世話係が安堵の様子を見せる。挨拶だけして辞そうとしたが、男はひとり頷く。
「うんうん、極彩さんにもついでに自己紹介しておきたいね」
 男は両の掌を翻し、媚びるような笑みで引き留めた。お静かにしてくださいね。世話係のおさが訝しげに実際の清潔感とはまた違う薄汚さのある男を睨みながら牽制した。室内に促され、挨拶だけ済ませて出ていくことは出来そうになかった。山吹は寝台で眠っていた。片手にぬいぐるみを嵌めている。そのすぐ脇に青年が組んだ両腕を枕にして伏していた。薄布を肩から掛けられ、座る姿勢で寝ている。つい先程突き放したばかりの明るい茶髪が呼吸のたびに揺れている。人工的な毛色はこの者の雰囲気に似合っていない。
「明日付で山吹様の世話係の一員になります、菖蒲あやめと申します。35歳。赤の訂正線一本入ってます」
 城下に蔓延る隠語で、彼には離婚歴があるらしかった。風変りな自己紹介をして、腰の骨が折れたみたいに上体ごと頭を下げた。しかし面を上げた際に極彩と目が合い、気拙げに苦笑される。ふと、あの広間で立ち眩んだ時に支えた者だと繋がった。視線や会話を拒み、極彩は夫の肉体を借りた若者を見下ろしていた。猫か兎か犬かも分からない渋い色味のぬいぐるを嵌めた山吹の腕が肘をついて持ち上がる。指に合わせ、口に相当する鮮やかな薄紅色が開閉した。しかし山吹は目覚めていなかった。
「なんでも、三公子が懲罰房行になった日に転落事故を起こしたんですってね。それからずっと寝てるんです?一度も目覚めず?」
 菖蒲あやめと名乗った気怠げな男は世話係たちの話を打ち切り、極彩の隣へやってきた。躊躇いがちな肯定が返ってくる。そして、山吹は意識を取り戻さず、ぬいぐるみだけが動くこと、三公子には内密にしてあること、仕事のために城を離れる群青が様子を看に来て眠ってしまったことを簡潔に説明される。
「転落事故ってことになってますけど、本当のところはどうなんです?二公子と三公子の仲違いがあったようですが。いずれにせよ責任問題が起きますからねぇ、困りものです。当時の当番と担当が送検されたとか?二公子は寛大な処置を講じてくだすったようで…流石としか言いようがありませんが」
 気の遣わない物言いは顰蹙を買ったようで室内は妙な空気に包まれる。世話係や下回りたちは顔を見合わせ、渋い色を露わにしていた。
「兄弟で不仲はいけない。でもそんなものかな。せめて女同胞おんなきょうだいでもいればなぁ。男だけの家族きょうだいってのは縄張り意識っていうのかな、闘争心があっていけない。互いがカッコイイカワイイなんて小さな時分だけさ。これはおすの本能なのかもしれないね。矜持ってやつとはまた別のところだとボクは解釈しているね」
 菖蒲は顎に手を当て、自論に頷く。
「仲裁役ってのは大変だな。一男一女でよかったよ、うちは」
 再び彼は自ら相槌を打った。山吹の右手のぬいぐるみが菖蒲を見つめる。創意的な意図があるようでもない継接つぎはぎだらけの不格好で、愛らしさはなくむしろ醜いぬいぐるみの黒い目玉釦が光る。菖蒲はまったくそのことに気付かず、群青に気を取られていた。
「群青さん」
 寝顔にまで苦悩を巡らせる青年の肩を遠慮なく揺する。極彩はびっくりして半歩後退る。
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