彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 群青は近場で仕事をしていたらしく、朝餉と不審者の昼餉に使った食器を洗い終える頃に帰ってきた。手が離せなかったため玄関まで迎えなかったが、それが彼を不安にさせたのか珍しく足音をたて台所へやってきた。
「極彩様…ご無事ですか」
「ご心配おかけしました。護衛のお方がすぐに来てくださいましたので」
 群青は汚れた服装で、安堵の溜息を吐いて水場に佇む女に手を伸ばす。しかし触れる直前に力を失う。
「よかった…」
 ふらふらと台所の椅子に腰を下ろす。
「お酒を召し上がりますか。お仕事は…もう?」
「はい、終えてきました。お酒はまだ結構です。風呂を洗います」
「ゆっくりしていてくださいな」
 律儀者は数秒だけ休み、仕事着に手を掛ける。
「いいえ。他の者たちはまだ働いていますから」
 居間で着替え、彼は浴室に消えた。夕方にも届いていない時間帯だった。起床は遅かったが朝と昼を食いはぐれ、謎の若者の相手をしているうちにやることはなくなっていた。美しく手入れされた庭園を眺めながら時間が過ぎるのを待っていた。長い紙束と向き合う気力は湧かないままだった。そこへ群青が戻ってくる。袖口を濡らしたらしく、幾度か捲りながらぎこちなく1人分空けて隣に座る。
「外出の許可は下りたのですが、この様子では外に出ることを良しとするわけにはゆきません」
「そうですか。話を通してくださってありがとうございます。心配をおかけするわけにはいきませんもの。仕方ないです」
「ご容赦ください」
 彼は自分が軟禁されているのだと勘違いしているほど消沈していた。
「群青様がお傍にいてくださいますもの」
 天井を見回した。距離を詰め、男の肩に撓垂しなだれかかる。様々な女を知っているはずの青年は、面白いほどに強張った。惑う手が覚悟を決め、細い肩を抱き寄せる。
「極彩様…どこかお体の調子が、」
 冷たく肉感の薄い頬に手を添えた。彼は口を開いたまま固まった。
「少し寒いです」
 夫に近い体温を奪おうとさらに身を押し付ける。天井の板が軋んだ。境界を失いかけた箇所から殺気を感じる。
「大きなネズミがいるんです。顔を見てしまったら可愛くて。始末しようにも…外の猫にお任せすることにします」
 吊り布に潜む左手を押さえる。冷たい手に熱を与える。据わった眼差しに上目を遣う。数拍遅れ、彼も女に一瞥くれた。
「殺鼠剤を用意しておきます。処理はこちらでやりますので」
 低い声をしていた。天井を睨んだまま、痛いほど強く抱き締められる。しかしその腕に特殊な情感はない。そして床に倒される。大きな陰に呑まれた。彼は耳を澄ませ、辺りに気を張っていた。口元が近付く。だが触れ合うことはない。鼻先が掠め、痒くなる。

 同居人が湯浴みをしている間に巨大なネズミは天井から降ってきた。不機嫌に唇を尖らせ、眉を顰めて布団の上で髪を拭いている女を見下ろした。柔らかな繊維の手拭いを奪い取られ、視界が拓ける。
「ぼくのコト怒らせて楽しい?」
「何のことですか」
 幼い顔立ちの若者は女を布団へ倒す。薄暗くなり、眼前に貝殻の首飾りが大袈裟に揺れる。
「びっくりしたんだヨ?まさかぼくの前で他のオトコに抱かれるんじゃないかってネ…!」
「あなたには関係のないことだと思いますが」
「ぼくはあんたの夫だろ?闇競りで買ったじゃん!」
 布団に押し付け、揺する。首が据わらず、がくがく上下する。
「買いました。けれどあなたではありません。だってあの人は」
「死んだヨ…それがぼく…!」
 締まった腰をなぞりあげる。愛らしい面構えに似合わない筋肉質な体躯だ。刺されていたはずの腹を布越しに摩る。完治している時期だろう。生きていたならば。
「わたしのところに真っ先に来たのですか」
「妻の元に真っ先に来ないで何が夫なのサ?」
「…ありがたいお話です」
 不審者は錠剤を1粒突き出した。
「あいつ眠らせてぼくのトコ来て」
 無防備な手を払った。錠剤が飛ぶ。謎の男は状況を理解できていないようだった。乱暴された手を自身で慰めながら、円い目を丸くして女を健気に見つめる。
「なんで…」
「どうしてあなたは、わたしに信用されていると思うんです」
「…夫婦だからに…決まってるじゃん…!じゃあ、あんたは…信用してなかったのかヨ!端金で買って、見殺して!本物かどうかも分からない奴と暮らしてサ!誰でもよかったのかヨ!まだちょっと似てたから、好きだったのかなって、騙せてたのに…ずっと…ずっと我慢してたのに…今度は全然違うオトコと…そんな裏切りあるか!」
 不審者は震え、組み敷いた女をさらに手荒く扱った。興奮に明るい茶髪と同じ色の瞳が妖しく光る。緩い寝間着が開かれ、露わになった素肌に噛みつかれた。
「痛ッ…」
 歯型がつく。ざらついた質感が労わり、次には首を歯で挟まれる。舌がそこを確認した。
「あの人が来てしまいます」
「あんたはぼくの妻なのに…」
 拗ねていた。不満に頬を膨らませ、外観から推察される年齢を狂わせる。彼は極彩を布団に押さえ、耳朶や下唇を甘く噛み、寝間着をさらに開いた。
「ぼくのトコ、来て。酷いヨ。酷い。自分だけ幸せになろうだなんて、そんなの、ズルイよ。夫婦なのに…」
 女の躯体から興味を失くし、少年を思わせる大人の男は一瞬のうちに姿を眩ました。時機を計ったように腰に布を巻いただけの群青が居間へやって来る。ちらちらと極彩のほうを気にしたが、物言いたげな態度を押し殺しもしないまま背を向けた。衣類を身に着けていく様を凝らしていたが、居間とこの部屋を仕切る襖の傍に転がっている錠剤に気付く。飛び込むように拾った。物音に過敏な同居人が驚いた顔をして振り向く。
「あの、」
「はい」
 畳に這うような姿勢だったため、顔を上げた。夫と違う、眠くはなさそうな目と合うやいなや、彼の光は逸らされ、宙を彷徨う。
「衣類が乱れています…」
「…ごめんなさい。だらしがなくて」
「いいえ…」
 乱されたままの寝間着を指摘され、慌てて直す。
「昨夜は期待させるようなことを言ってすみませんでした。許可自体は下りているのですが、それでも、何かあってからでは遅いので、わたくしの判断から当分の間はこのまま外出を禁止させていただきたいのです」
「構いません。謝らないでくださいな。群青様には夢がありますもの。そのためにも、大切なお仕事を責めるわけにはいきません」
 小さな薬を指で弄ぶ。睡眠薬のようだが確証はない。
「警備兵の話では…侵入者は明るい髪色の若い男だったと……お知り合いではありませんか」
「わたし、その時は洗濯物を干していたものですから、よく見ていなかったのです。ただ、気印きじるしのお人が迷い込んできたものかとばかり…びっくりして、顔も見ていなくて…」
「そうですか。疑うようなことをお訊ねしてすみません」
 彼は定位置である布団の脇へ座った。手にしている刀は視覚から重量感を誇示している。
「群青様がお布団で寝られる日が早く来るといいのですけれど」
「…そうですね」
 同意に反し、寂しげな微笑を浮かべられる。初めて会った日の事務的な愛想笑いとは異質のもので、女の顔は引き攣りそうになった。
「おやすみなさい」
「はい、いい夢を」
 酒はない。人の気配。照明は点けられたまま。寝られないことは分かっていた。錠剤を掌で転がしながら布団に潜る。
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